2023-05-29 10:02

承認の奴隷

承認欲求は人間の持つ本能の中でも強力なもののひとつ。


僕もいまだに「他人から認められたい」と思うことがよくあります。


しかし、承認の奴隷になればなるほど苦しくなってしまうもの。

承認の奴隷から自由になることで楽に生きることができるようになります。


ブログ記事「承認欲求の渇き」

https://www.theloablog.com/entry/desire_for_acknowledgement


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はい、こんにちは、ポロです。
今日はですね、承認の奴隷という話をしていきます。
この承認欲求というのはですね、人間にとって本能の一つで、非常にですね、強い本能なんですよね。
他人に認めて欲しいっていうね、すごく誰しもそういう思いを持っていると思いますし、
自分自身もですね、やっぱりこの承認されたいという気持ちがめちゃくちゃ強かったので、今でもあるんですけどね。
なので、やっぱりね、認めてもらえないと苦しくなってしまったりとかってあると思うんですよ。
そもそもSNSがあそこまで普及したのはですね、やっぱりこの承認欲求がうまくついているなというのがあるんですね。
いいねを押してもらったりとか、コメントがついたりとかね、盛り上がったり、みんなから注目されたりとかすると、やっぱりこう承認欲求が満たされるわけですよ。
だからその承認の虜になってしまってね、どんどんどんどんそれがエスカレートしてしまう、のめり込んでしまうっていうのはですね、
やっぱりプラットフォームの運営側はそれをよく理解しているわけですね。
だからこそああいういいねボタンとかっていうのを付けたりしてるんですね。
それによってどんどんどんどん気持ちよくなってしまうわけです。
僕もあんまり偉そうなこと言えないですし、今でも認めてもらいたいみたいな気持ちが強いので、
特に自分みたいなちょっと変わった存在だと、世の中からあんまり認められないっていう経験をずっとしてきたので、
やっぱりより他人に認めてほしいみたいな気持ちは強いわけですよね。
でもそれをやってしまうと承認の奴隷になってしまうわけですよ。
とにかく承認されるために動いてしまうとか行動してしまうということになってしまう。
そうするとやっぱり自由になれないわけですね。奴隷なわけだから。
どうやったら他人に良く思ってもらえるか認めてもらえるかみたいなことを軸に考えてしまうわけですね。
でも大事なのは他人にどう思われるかではなくて自分がどう思うかだと思うんですね、最終的には。
だからやっぱり他人にどう思われるかっていうところは他人軸なわけですよ。
でも他人にどう思われようが自分はこうですよっていうのは自分の軸なわけですね。
これは人生においての生き方とかだけじゃなくてビジネスとかもそうなんですけど、
やっぱりそこで他人に良く思われたいっていうので偽りの自分を演じてしまったりとかするとやっぱり苦しくなると思うんですよ、本来の自分じゃないから。
特にSNSなんかっていうのは特にTwitter多いと思うんですけど日本の場合はね。
アニメアイコンとか使って要するにリアルの自分と別の自分を演じられるわけですよね。
だからリアルでは全然充実してないとか認めてもらえないけど
ネットの世界、Twitterの世界とかに入ればみんなからチヤホヤされてそれがもうすごく気持ちよくなってしまうみたいなことがあると思うんですけど、
それって本来の自分じゃなかったりするわけですよ。
で、この承認の奴隷になってもっと認められたい、もっと認められたいみたいな感じになってしまってブレてしまう。
自分じゃない、また別の全然違う自分になってしまうっていうことがあると思うんですね。
で、自分を大きく見せようとしてしまう。認めてほしいからそういう大きく見せるような発症したりとか自慢に聞こえたりとかするわけですよ。
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それは逆効果になってしまったりするわけですね。
自分をすごいと思ってもらいたい、認めてもらいたいと思って発信するけど、それが相手にとっては単なる自慢に聞こえるとかね。
逆効果になったりとか。
僕もよくやってしまったりしますけど、そういったことになるわけですよね。
だからまずこの承認の奴隷から自由になるっていうのがすごく大事で。
もう他人にどう思われようが、自分がどう思うかっていうのが大事ですよっていうのがすごくポイントなのかなって。
結局それで他人の理想の自分を演じてしまうとね、それが本当の自分のありたい姿であればいいですよ。
他人の理想と自分の理想が合致していればいいですけど、そうじゃない場合っていうのはね、やっぱり他人の理想の自分を生きることになるんで。
やっぱりね、辛くなってしまったり苦しくなってしまったり。
そして認めてもらえなかった時にですね、すごくまあ辛い思いをすることになってしまうわけですよね。
で、やっぱり他人っていうのはコントロールできないわけじゃないですか。
どんなに自分が認められたいと思ってもですね、認めてくれるかどうかっていうのは相手次第なので。
なので、やればやるほどこんなに頑張っているのにとかね、こんなにいいことをしているのに誰も自分のことを認めてくれないって思うと、やっぱりそれがフラストレーションに変わってしまったりするわけですよね。
で、よりこう辛くなってしまうみたいな感じになるんで。
もちろんね、他人に認めてもらえるのはそれに越したことはないですけど、そのために自分の行動を決めてしまうっていう風にやると、やっぱりずっと大変な状態とか辛い状態が続いてしまうので、
この承認の奴隷から自由になる。承認の奴隷から自由になったらすごく楽だと思いますね。
他人からどう思われるかが気にならないとかね。自分はこれが好きだからとか、自分はこれがいいと思うからこれをする。
で、それを他人が認めてくれればそれでいいし、別に認めてくれなくてもそれでいいっていうね、言い方にするとすごく軽やかになると思うんですね。
情報発信なんかも、そういうね、周りの目をあんまり気にせずに言えるようになるとかね。
ってなるとすごく楽になると思うんですよ。楽になると、もうね、行動もできるようになるし、やっぱりそういういろんな負荷とかね、ブレーキとかがかかるとなかなか行動ってできないですけど、
それが楽になるわけですね。ってなるとすごく楽に行動できるようになりますし。
なので、とにかくこの他人にどう思われるかってことから、こう、解放されるとかね、奴隷から解放されて自由になるっていうのが大事なわけですね。
で、そもそもなんでね、この他人にこう認めてもらいたいと思うのかってことですけど、まあこれは人間の承認欲求ってものがあって。
マズローの五段階欲求の中にもね、承認欲求みたいなものってありますよね。
だから本能的なものでこれはもう仕方ないんですけど、でもやっぱり個人差ってあるわけじゃないですか。
すごく認めて欲しいなって思いが強い人もいればですね、そんなに持ってない人もいると思うんですね。
で、これは僕の考えですけど、何が違うかっていうと、自分で自分のことを認められてるかだと思うんですよ。
だからやっぱり自分で自分のことを認められてないからこそ他人に認められたいと思うわけですね。
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だから渇きですよ。渇いてるわけですよ。
その承認に対しての渇きがあるから、もっともっと承認が欲しいってなるわけですけど、
仮に自分で自分のことをですね、認めてあげることができていたら、そんなにこうね、他人から認められたいみたいなものってそんなに感じないと思うんですね。
だからこのまずは自分で自分のことを認めてあげるっていうのはすごく大事で、
で、そこでですね、その大事なことがですね、無条件の自己需要ってことなんです。
無条件の自己需要。こういう自分は認められるけど、そうじゃない自分は認められないっていうのは無条件じゃないわけですよ。
条件付き。例えば英語が喋れる自分はすごく認められるけど喋れない自分は認められないとかだったら、それは条件付きなわけですね。
でもそうじゃなくて無条件。どんな状態にあったとしても自分は自分のことを認めているってなったらね、これはもう無条件の自己需要になるわけですよ。
で、これがちゃんとできていればですね、周りからそんなに認めてもらえなくても、そこまで承認に対して渇きを感じることもないって思うんですよ。
だからまずは自分で自分のことを認めてあげる。ほんと素晴らしいとか周りのままでいいとか、そういうような形で認めてあげると、
そんなに周りからいいと思われたくないみたいな感じで、承認の奴隷から自由になることができるということなんで、
その辺りも日々自分で自分のことを認めてあげる。あんまり自分の自己対話ってないと思うんですよね。
そういう時間を取ったりとか、自分で自分のことをどう思ってるのか。
大抵の場合自分に対してはすごく否定的なセルフトークをしてしまったりとか、自分はダメな奴だとか、そういう否定的な考え方を持っていたりとかするんで、
そうではなくて、とにかく認めてあげる。できれば褒めてあげる方がいいですけど、認めてあげる。
もういいも悪いもない。そのままで自分は素晴らしいんだみたいな感じで認めてあげるとすごくいいと思いますし、
あとプラスアルファで他人からの承認っていうところですけど、大勢の人が認めてくれなかったとしてもですね、
必ず自分のことを認めてくれる人はいるんですよね。必ず。
今まで人生で誰一人自分のことを認めてくれなかったって多分ないと思うんですよ。
誰かしら数は少なくても自分のことを認めてくれる人っていたと思うんですね。
だからそういう人必ずいるんで誰も自分のことを認めてくれないなんてことはないですから。
僕もこういう変なユニークなというかちょっと変わったようなやり方をやってたりとか、
ちょっと他の人と違うようなことを言ってたりして、普通に考えたらどっちかというと叩かれたり攻撃されたりとかってあると思うんですけど、
でもやっぱり一部の人はそれでいいですって言ってくれる人もいるし、
だから特に自分の身の回りだけだと分母が少なすぎるんで認めてくれる人はいなくても、
もっとより広いネットの世界とか日本世界中の人に見てもらうことができるから、
それだけ分母が大きくなれば当然自分と同じような考え方を持っている人とか、
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自分のことを認めてくれる人って出てくるわけですね。
だから身の回りで認めてもらえないんだったらネットで発信してみるとかね。
ネットで発信したら自分と近いような人が見てくれたり聞いてくれたりして、
そこで共感してくれたり認めてくれたり承認してくれたりするんで。
それによって自分自身も承認欲求を満たすことができますし、
承認のために生きるっていうのは良くないですけど、
自分がやったことによって承認されるんだったらそれに越したことはないんで。
なので必ずどこかで誰かは自分のことを見てくれてますし、
自分のことを認めてくれる、承認してくれる人って必ずいるんで、
あんまり気にしすぎないってことですね。
この人たちにこんなにやってるの全然認めてもらえなかったっていうのは苦しくなるんじゃなくて、
でもそうじゃなくて一方では承認してくれる人もいるんだってなって、
心が楽になると思うんで。
そういうような感じで考えていく。
それは人生に対してもそうだし、情報発信とかビジネスに対してもそうだと思うので、
ぜひぜひこういう考え方を持ってやってもらえればと思います。
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