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2024-06-10 22:59

他人の評価が気になる理由

はじめまして!魚住剛司です!

自然豊かな高知でフリーランスSNSマーケターをしています。

本チャンネルでは「自分を生きよう!」をテーマに
幸福度と自由度の最大化に役立つ情報を発信します。

現代は「物質的豊かさ」から「心の豊かさ」に、価値観が移行しています。しかし、豊かに生きるには自己研鑽も大事。

そこで本チャンネルでは、人がより自由に豊かに、そして幸せに生きるために必要な

・心(心理学・自己探究・自己啓発)
・ビジネス(お金・働き方・稼ぎ方)
・体(バイオハック・筋トレ・運動・睡眠)

などの話をぼくのこれまでの知識・経験、すべてを盛り込んで発信していきます。

少しでも興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください!

✅経歴
・中央大学法学部卒
・明治安田生命に総合職として入社
・入社3ヶ月目で不安障害となり休職
・副業でブログとTwitter(現X)をはじめる
・副業開始1年4ヶ月で月20万円を稼ぎフリーランスに
・4年ほど続け2023年にブログ・SNSアフィリエイトで年3000万円稼ぐ
・お金と競争にとらわれ、自分を見失う
・500冊以上の書籍と300万円以上の投資で心理学を学び自分の生き方を見つける
・本YouTubeチャンネルをはじめ、新たな事業に挑戦中!

✅趣味

・フットサル(チーム立ち上げ)
・筋トレ
・国内ドライブ旅
・読書
・瞑想
・サウナ

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サマリー

彼/彼女は他人の評価が気になる理由について話しています。他人の評価に縛られることで自己実現ができず、自分らしく生きることができなくなることが多いそうです。他人の評価が気になる理由とは、自己実現をしたくても他人から認められず愛されないのではないかと思い込んでしまうからだそうです。他人の評価を手放すためには、期待や評価は幻想であり、嫌なことをやめて自分をさらけ出すことで好かれると理解する必要があるそうです。

他人の評価に縛られる理由
おはようございます、魚住剛司です。このラジオでは、僕がブログSNS歴5年で年収3000万円を稼ぎ、そこから心理学の学びに300万円を投資してきた経験をもとに、
自分を生きようをテーマとして、個人で稼ぐコツや、自分らしく生きるための心の話をしていきます。
はい、おはようございます。本日はですね、6月10日月曜日になりますね。
四国が昨日から梅雨入りしたみたいで、少しずつね、これが東の方に広がっていくんじゃないかなというふうに思います。
本日から仕事の人が多いと思いますが、本日もね、コツコツやっていきましょうということで、今回は、他人の評価が気になる理由っていうテーマでお話ししていきます。
僕自身もそうだったんですけど、こうね、なんか人の目とか評価、比較競争が気になって自分でやりたいことができない。
例えば、新しい転職とかね、新しい挑戦をしてみたいけど失敗したら恥をかけそうだとか、
職場内でもね、なんか同僚とか上司とかの目が気になって思うように意見が言えないとか、
言えてもですね、なんかこう人との比較競争というか、人と比較しちゃって自分の言ってることってどうなんだろうみたいな、やってることってどうなんだろうって自信がなくなったりして萎縮しちゃう感じとか、
あとはですね、親とか周りの親族からどう思われるかわからないから、
結婚しないといけないなとか、結婚してもこの家庭をちゃんと守っていかないといけないなとか、ちゃんとお金を稼いでいかないといけないなみたいな感じで、
結構ね、今の僕らの世界は結構他人の評価にね、振り回されて自分の自由な生き方を選択できないっていう感覚を抱いている方が多いんではないでしょうか。
今回はその理由はどこにあるのかっていうことをお伝えしていくんですけど、その前にですね、何で他人の評価に縛られるのが良くないかっていう、
良くないというか、別にいいんですよ。他人の評価に縛られて、何て言うんですか、他人の評価を満たすようなね、生き方っていうのはもちろん悪くなくて、それも一つのね、人生だというふうに思うんですけれども、
でもやっぱりね、そこに苦しさがあるっていうことは、やっぱりね、自己実現がしたいんですよ。結局僕ら人っていうのは、
他人の評価気にするの嫌だなって思う人はですね、自己実現がしたいんです。自分のやりたいことがやりたいんです。自分の才能を最大限発揮したいんです。
そして自分の生きたいように生きたいですよね。もう家族なんか気にしないで、お金なんか気にしないで、世界中を飛び回りたいとか、例えば自分の納得のいく仕事をしたい。
で、その中で自分のクリエイティビティを最大限発揮して、何でもいいんですけど、例えばブログならブログ、SNSならSNS、他の絵画とか音楽とか何でもいいんですけど、
自分の才能を最大限発揮して、それを世の中に、社会に役立てたいとかね、そういうふうに思うと思います。
結局他人の評価に振り回されている限り、本当の意味で自分がやりたいっていうことがなかなかできないんですよ。
なぜなら、自分恐れているからですね、他人の評価を。自分はAをやりたいけど、周りはBをやることを期待している。じゃあBをやろうかって、単純化するとこういう話なんですけれども。
そうやってずっと他人の評価に鍛えるように生きて、他人の評価に応えるように生きていくと、あれって自分の心を押し殺していることになるので、あれ本当に自分がやりたいことって何だろうみたいな。
なんか今、ちゃんと生活できてるし、何か一定のお金を稼げているけれど、本当にこれが自分のやりたいことなんだっけ、みたいな感じで、自分の心がある種、やりたいことを見つける好奇心とかが消えていってしまうっていう最悪の場合、そうなる。
でね、僕もそうでしたね。受験勉強、就職活動、大学での成績とかね、そういうのを期待に応えるために、自分が取りたいから取るならまあいいんですけども、親の期待とか、同級生、同僚たちとの競争、競争というか評価を機にしてですね、期待に応えるために、
自分が本当にやりたいことみたいなものを押し殺してですね、評価されそうなことをやるっていうのが僕のこれまでの生き方でした。
で、エイリヒ・フロムとか、マズローの五段階要求説で有名なマズローさんとか、あとね、ちょっと知名度はやや落ちるんですけども、デイビッド・シーベリーっていうね、アメリカの心理学者とかは、もう幸せになるためには自己実現をするしかないっていうふうに言ってるんです。
3人の心理学者が言ってるってことはもうね、たぶん事実です。で、僕自身も実体験を通してね、他人の評価を満たすため、他人の期待に応えるための生き方ではね、なかなか自己実現できず、自己実現できないと本当にこうストレスというか、
何をやってもこう他人の評価を気にして怯えて、その評価に応えるために焦って、自分の生活を見失ってね、やりたいことを見失ってね、ストレスフルな生活を送っていたなって僕自身も思うので、
やっぱり他人の評価を気にせずですね、自分らしく生きていこうっていうのが僕の主張になりますが、じゃあどうしてね、そんなふうに他人の評価を気にしてしまうのかっていう理由をですね、
端的にお伝えすると、理由はかなりシンプルでして、ありのままの自分では認められない、愛されないっていうふうに幼少期から思春期にかけての教育というかね、経験でそういうふうに思い込んでしまっているからです。
簡単に言えば、例えば、いい子でいなさいとかね、わかりやすいですよね。レストランとかに行って、はしゃぎ回っていると、静かにしなさいみたいな感じで言われると、別にね、それ自体はそれだけを見るとね、別に悪い、いいことでも悪いことでもないんですけれども、
そういうふうに、今のは親ですけど、親の期待に応えなければあなたは愛されませんよ、みたいな感じのメッセージをですね、至る所に散りばめられていくと、自分はちゃんといい子でいないと愛されないんだな、認められないんだなっていうふうになっていく。
もっとわかりやすい例で言えば、テストの点数が良かったらお小遣いあげるよとか、テストの点数が良かったらめちゃくちゃ褒められるけど、テストの点数が悪かったらめっちゃ怒られるみたいな、その学校のこういうことが起こるとですね、
自分はテストの点数が良ければ認められるけど、テストの点数が悪かったら認められないんだ、愛されないんだ、みたいな感じになって、じゃあテストの点を取れるようにしようっていう、こういう感じですね。
これは往々にして、100%全てではないんですけれども、大体親の価値観を僕らは引き継いでいます。なので、親が私はこうでないと親から、世間から、周りから認められないと思っているとですね、それが基本的には子供に移ります。
例えば仕事ができない人、仕事っていうのは一つの象徴で、何かこう自分が頭が良くて成果を出せるようなことをしないと認められないって思っている人はですね、親に育てられると、大体ですよ、100%じゃないんですけど、その子も自分も学校の成果とか部活動の成果とか、真面目にコツコツやらないと誰からも認められない、愛されないっていう風に思ってしまう。
他人の評価による幻想に気づく
で、それが過度強すぎると極端に反抗してしまったり、それが自分にはもう無理だって諦めてしまうと、引き継いだってしまったりするわけなんですけど、こんな感じで、親に限らないですね。
今の資本主義社会って広告っていうものを使って、今のあなたはこれがないと認められないんですよっていうことが如実に宣伝されてますよね。
最近ちょっとね、僕びっくりしたのが、男性脱毛のCMだったんですけど、もうあなた嫌われますよみたいな、そういうメッセージだったんです。腕毛の濃い男性はもう女性から嫌われますよっていう広告が流れてたんですよ。
何かで見たんですけどね、アベマのCMで見たかもしれないですけど、アベマの動画の途中で入るCMで見た気がするんですけど、これね、やばいんですよ。
だってあなたはもう脱毛しないと認められないよっていう社会的なメッセージを植え付けられているわけなんですよね。別にトレンドとしてね、確かに男性脱毛はあるし、テレビのタレントとかメイクフレンサーの方とか女性は脱毛している。
脱毛してない毛深い男性は無理みたいなことを言ってるんですけど、それってあくまでも、確かにトレンドとしてそういう流れはあるのかもしれないですけど、その人の趣味、趣向ですよね。でもそれがあたかも世間一般の女性の意見だみたいな風に思っちゃって、高いお金を払ってですね、男性脱毛に行ったりしてですね。
それで自己満足しちゃうわけなんですよ。あ、俺脱毛したからモテるみたいな感じでね。それ本当に望んでることなんですかっていうことなんですよ。あなたが本当に望んでることなんですかっていうこと。望んでたらいいんですよ。
でも脱毛なんてね別に可愛い話なんですけど、これが会社員で出世すれば女性からモテるとかね、例えば認められるみたいな。別に性別逆でもいいですよ。いい女、家事ができる。これステレオタイムかもしれないですけど、ちゃんとね料理がうまくて家事ができる女性が男性にモテる。おしとやかで、黒髪ロングでみたいな。
そういう何か価値観思い込みを持っていると自分はそうしたくなくても何かそういう風に合わせちゃうみたいなね。ことがまあよくあるわけなんですよ。いろんなところであなたはこうしないと認められないですよみたいなメッセージをね植え付けられてくるんですよ。
マジで本当にテレビとかもね結構危ないと思ってるんですけど、危ないです。テレビ危ない。なのでありのままの自分では認められませんよって。だから自分は自分に自信がないんです。つまりありのままの自分にいつまでも自信が持てないからずっとね他人の期待に応えられる他人の評価を得られるような装飾品、今象徴ですけど装飾品っていうのはいろんなものを身につけようとするんです。
仕事に役立つスキルとか、いい子であるように振る舞うとか、わかりやすい例で言えばね、高級品とか高級マンションに住むとかね、高級な車とかを持つみたいな話になってくるんですけど、もっとねそういう目に見えないものでもそのスキルとか出世とか収入だとか、家事ができるだとか、料理がうまいだとかね、美容にめっちゃ気を使ってますとかね、そういうのになってくるわけなんですよ。
だからありのままの自分では認められないっていうふうに、愛されないっていうふうに思い込まされてきたから他人の評価が気になるんです。
じゃあどうやったらその他人の評価を手放すことができるのかっていう話をね最後にしたいと思うんですけども、大きく3つ今回はお伝えしようと思います。
正直いろいろあるんですけども、まずはね、人の期待は幻想であるとね、気づくことがめちゃくちゃ大切です。
人の期待とか評価っていうのはもう全部自分がそう思い込んでいるだけの幻想なんですよ。本当に。
仕事ができないとなんか社会的に愚かな奴って思われるじゃんって思うかもしれないんですけど、全然そんなことないですからね。
仕事ができなくて楽しそうに友達と醤油売ってる人とかたくさんいますからね。そうそう思い込みなんですよ。
で、それお金がないと暮らせないじゃんとかっていう話になってくると、それはあなたはどういう生活がしたいんですか。
そのためにいくらぐらいのお金が必要だと考えてるんですか。そのお金をどういう手段で稼ぎたいですかっていう話になってくるわけなんですよ。
じゃあその通りにやればいいだけの話であって、いちいちなんかこう、それじゃ暮らせないですかっていう反論はちょっと的外れなんですよ。
今評価の話をしているのでね。
なのでまず自分が気にしている他人の評価は幻想だということに気づくことと、あとその期待をかけている相手すらも別にあなたのことそこまで本当は気にしてませんよって話なんです。
もう少なくとも大人になればです。大人になっちゃえばね。気にしてないんですよ。
気にしてるように見えるかもしれないですけど、あなたの期待に、あなたが相手がどういう期待を自分に寄せてるのかっていうのは想像でしかないじゃないですか。
事実じゃないですよね。
嫌なことをやめる
親から自分はちゃんとした社会人生活を全うすることを求められてるって思ってるかもしれないですけど、
親の本音の本音を聞くと、あなたにはあんまり辛い思いをさせずに安定した安らかな生活を送ってほしいだけなんだよって本当に思ってるだけかもしれないじゃないですか。
でもこれね、わからないですよね。
だし、相手の期待、自分が思っている相手の期待と本当に相手が思っている期待って全然食い違う場合もあるじゃないですか。
100%一致することなんてないんですよ。
だって他人なんでね。これまでの生きてきたことを見てきた世界、その日の気分とか全く違うじゃないですか。
だから人の期待っていうのは100%幻想、自分が作り出した架空の世界でしかないっていうことに、まず論理的に気づくことっていう感じですかね。
それが1点になります。
2つ目がですね、嫌なことはやめましょうっていう単純な話です。
これね、僕よく言ってるんですけど、嫌なことはね、もうやめましょう。
シンプルな話です。
嫌なこと、嫌なのにやらなければいけないと思っていることとか、嫌だけどやらなきゃいけないと思っていることっていうのは大体100%じゃないですよ。
他人の評価が気になる理由
でも大体他人の期待とか評価に応えるための行動であることが多いです。
なぜなら、自分が選んで、自分がやりたいことを叶えるための、自分がこれから生きたい人生を叶えるための手段だというふうに分かっていればですね、嫌なこと、もう嫌だとあんま思わないからです。
で、嫌なことをやればこの先の未来があるからやるっていう感じですね。
なので意義があるし、やります。
本当に嫌なんであれば人に任せちゃったり頼ったり、やらないようにするにはどうしたらいいんだろうって考えると思うんですけれども、
それはもう自己決定ができているからです。
でも自己決定ができていない、自分が生きたいと思い込んでいる未来すらも他人の期待に応えるための人生を選んでいる方はですね、
やめちゃったら死ぬと思っているんですよ。
なぜなら認められていなくて孤独になっちゃうと思い込んでいるから。
例えば会社通勤が本当に嫌、もうめちゃくちゃ死ぬほど嫌、でも今会社辞めちゃったら妻に申し訳ないなとか家族に申し訳ないなとか、
親に反対されそうとかいうふうに思って辞められない人っていうのはですね、
将来的に出世すれば自分の生きたい人生が生きられるんだって思い込んでいるかもしれないんですけど、
無理している証拠、他人軸の中で頑張っている証拠なので嫌なことはやめていきましょうということですね。
いきなり会社が嫌だから会社を辞めるんですかって話になってくると思うんですけど、
それもまたちょっと違うと思っていて、やめられるんだったら別に辞めたらいいんですけど、
たぶん今は辞められないと思っているのでステップを踏む必要がありますね。
嫌なことをひとまず簡単なものから辞めていったらいいんですよ。
例えば嫌だなーって思いながら飲み会とかに行ってるんだったら辞めるっていうことですね。
小さな小さな今この瞬間辞めても大して問題なさそうなことを勇気を振り絞って辞めていく。
するとですね、これ次の話になってくるんですけど、
嫌なことを辞めてもやりたいことをやってもつまりありのままの自分の素直な気持ちを出してもですね、
人って実はあなたのこと嫌いませんよ。むしろ好かれますよっていう話です。
そう僕らって周りの期待に応えれば認められるって思ってるかもしれないんですけど、
でもそれってね素の自分を押し殺していることになるんですよ。
するとね、そこにはね恐れとか怯え不安っていうのが必ずついてくるんです。
恐れとか不安を介在して人と付き合っている限り本当の意味でつながれないんですよ。
だってこの人俺のことなんか大したことねーなーとか思ってそうだなーって思いながらその人とめちゃくちゃこう愛し合いますか?
心の底で認め合えますか?っていう話なんですよ。難しいですよね。
だから本当に仲良くなる友達、たぶん親友みたいな人って1人か2人ぐらいいると思うんですけど、
その人って自分の弱みとかクソダメなところとか分かってませんか?
だいたい親友の人って。いろいろ勇気を振り絞ってセキュララに伝えて自分でこんな恥ずかしい経験をしてきたんだとかですね、
この失敗しちゃったんだみたいなことを伝えると仲良くなりませんか?
そうですよね。本当に仲良くなるのって、ありのままの自分をさらけ出している相手に限るんです。
そこに共感性とかシンパシーみたいなものを感じて人って仲良くなっていくんです。
だから本当の意味で人に認められるというか、本当の意味で人と繋がる、一心同体みたいになるには、
もうありのままの自分、プライドを捨てて鎧を脱ぎ去ってですね、ありのままの自分をさらけ出していく。
できないことはできない。失敗したことは失敗した。逆にうまくいったことはうまくいった。
それをちゃんとそのまま伝えればいいんです。
そういう風にやれば人と繋がれるっていう実体験を少しずつ少しずつ積み上げていくっていうことが本当に大切になってきますので、
練習はですね、嫌なことを嫌と言う。やりたいことを少しずつやってみる。
寝坊したいなら寝坊してください。寝坊した自分を責めないでくださいね。
自分はダメな奴だなぁとか。そんなことないんで。自然の説的に人ってただ生きてるだけなんで、
何してもOKなんですよ。本当は。
僕らは幻想に従って成功しないとダメみたいな、成功しないと人生じゃないとかね、
例えば思っちゃうんですよ。すると日常生活がその価値観に縛られていくので、
なので僕らは嫌なことをやらずにね、やりたいことをやるために生きてきてるので、
自分のやりたいこと、アイスクリーム食べたくなったらアイスクリーム食べましょう。
どっかフラッと行きたくなったらフラッと行けばいいですよ。
そういう風に遊びを取り戻すというか、自分の心に従ってね、
気楽にまずは生きていただければという風に思います。
そうすれば他人の評価が少しずつ気にならなくなっていくので、
100%気にならなくなるってのは結構難しい。
そこはイエス・キリストとかブッダとかの領域になってくると思うんですけども、
他人の評価を手放すっていうのをある程度、
今が100%だったとしたらそれを大体30%くらいまでには結構すぐ、
半年くらいかければ手放していくことができるので、
ぜひ参考にしていただければなという風に思います。
今回は他人の評価が気になる理由というテーマでお話ししてきました。
話してきた内容として簡単にまとめると、
他人の評価を気にしながら生きている限り、
他人の評価を手放す方法
自己実現できませんよという話。
自己実現できないということは別に悪いことでもダメなことでもないんですけれども、
生きづらくないですか、つらくないですかということですね。
なぜなら人間は自己実現をするために生まれてきたと、
僕が考えているからですね。
どうして他人の評価が気になるのかというと、
簡単に言えばありのままの自分をさらけ出したら、
人から認められないんじゃないかという風に思い込んでいるからです。
相手が思う期待に応えれば自分は認められる、愛されるという風に思い込んでいるからです。
その他人の評価を手放すにはどうしたらいいかというと、
人の期待、他人の評価というのは幻想だと気づくこと。
嫌なことを嫌と言ってやめてみることで、
やりたいことをさらけ出した方が好かれるという風に理解することということをお伝えしてきました。
今回少しでも他人の評価を気にして自分らしく生きられていないなと思う方は、
今回の話を参考にしていただければという風に思います。
ということで今回の話は以上になります。
こんな感じで僕のラジオでは、自分を生きるをテーマに個人で稼ぐコツや、
自分らしく生きるための心の話をしていきますので、
少しでも参考になった方は、いいねとフォローしていただけると嬉しいです。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
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