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YouTubeとかFacebookを見ていると、たまにですね、日本人の人が動画で喋っている広告が流れてきますけども、
だいたい漏れなくですね、棒読みで何かね、喋っている動画が多いですね。
まあその企業家向けとかね、副業やりたい人向けとか、
まあそういったジャンルの広告を出している、その動画を出している人ですね。
だいたいそういうパターンが多いです。
海外に住んでいると、海外のね、YouTube広告とか流れてきますけど、
まあ同じそのビジネスジャンルの人たちであってもですね、非常に喋り方が上手ですね。
だからまあショート動画ぐらいですね、台本見ずに喋ればいいのになって、僕はすごく思うんですよね。
まあ言っても30秒から1分ぐらいの内容なんだから、そんなこう、読んでるから棒読みになるわけですよ。
頭に入っていれば自分の言葉で喋れるんですけど、何を喋るかっていうところだけに多分フォーカスをしているから、
読み上げるみたいな感じになって、言葉としてはきれい、正しい言葉になっているけども、
伝え方の部分が全然間違っているわけですね。
だからなんかこう嘘臭いとか作りもの感満載みたいなね、そういう印象を受けるわけですよ。
で、もうユーザーとか見込み客もですね、そういうものをもう散々見てきて見飽きたというか、
なんならもううんざりし始めてきているっていうね、もう時代になってきたので、
逆にそういう作りもの感があることによって、今日ザメしてしまったりとかっていうのがあるんですよね。
だからそういう発信の仕方とかね、そういう広告も含めですけどよりは、
もう自分の言葉で自然に喋るほうがね、いいと思うんですね。
100本譲って台本作るんだったら、せめてもっと練習したほうがいいんじゃないかなって、表現の部分ですね。
もうあからさまに棒読みじゃん、この人みたいなのが結構いるんで、
てか大半そうじゃないかなって思うんですよね。
だからそれでなんかもうちょっとね、そこでなんかこう、私はこうなんですって言われても本当それって思いますよね。
そもそもが虚構というかね、作りものなわけだから本音を喋ってない可能性があるわけですよ。
だからやっぱりこう信用してもらうっていうところを考えるなら、
そういう嘘くささみたいなものを排除していかないと、なんか嘘くさいなって思ったら、
言葉でいいこと言っててもね、違うんじゃないのっていうふうに思われますよね。
例えば何でしょうね、めちゃくちゃこうね、
落ち着いたトーンで、私は怒ってますとかって言われても、え、嘘じゃないのとかって思いますよね。
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あるいはまあ、その逆パターンもあって、なんかすごく、
なんだろうな、表情とかもなんかこう、
いやらしい感じの表情で、私は世界平和を願ってますみたいなね。
口先だけで言っても、いやなんか嘘っぽいなって思うじゃないですか。
だからやっぱその伝え方の部分もすごく大事で、その嘘っぽいとか、なんかそういう印象を与えてしまうと、
言葉でいいこと言っていても、全然その信頼につながらないというのがあると思うんですよ。
だからそういう台本読むみたいなのはやめたほうがいいですよね。
もう今そういう時代じゃないから、なんかその正しい言葉を聞きたいとか、
そういうものじゃなくてその人間らしさみたいなもの、間違いとかも含めて、
人間らしさとか自分らしさとかね、喋り方も人それぞれ違うじゃないですか、同じこと喋るにしてもね。
そこが違いみたいなものになるわけだって、ただ喋るだけだったらもうAIに文章を読み上げさせればいいじゃんって、
それと変わらないわけですよ、言葉だけが全て大事なんだとしたら。
でも言葉だけじゃなくてその伝え方とかね、っていうところも重要だからこそ、
そうやってね、人間ってものが発信する意味があるわけですね。
これだけAIが発展して、それこそ今も自分のクローンみたいなものも作れますよね。
だけど、なんでじゃあそのトップマーケターとか、そういう人たちは自分のクローンを使わないんですかってことですよ。
自分のクローンを使わずに、実際自分がYouTubeとかに出て、自分が全部喋ってますよね。
普通に考えたらそんなことするよりも、AI使ったほうがいいんだって、AI使うわけじゃないですか。
でも使わないっていうのは、AIのクローンを使うよりも自分が出たほうがいいから自分がやってるわけですよ。
だからこそやっぱりその人間っていうところが大事なわけですね。
どんなに自分のクローンが喋っても、これAIじゃないのって思ったら、なんかもう一気に強詰めされてしまうというかね、そこも大事なわけですよ。
仮にAIのほうがミスが少なかったとしても、これAIだ、作り物だっていうふうに思われた瞬間に、一気に相手が冷めてしまうとかっていうことも考えられるわけですね。
だから変に作り物感を出さないほうがいいと思うんですよ。
僕たちは自分たちのプロセスエコノミーじゃないですけど、普段仕事に向き合っている姿とかそういったものをノンフィクションみたいな形で届けていくっていうね。
そういう世界にいる人間なので、別にドラマとか映画とかそういうものを見せている人たちじゃないわけですよ。
最初からもうフィクションだってわかっていて、エンターテインメントだってね、思って見ている人たちであれば、そういう作り物であってもね、もうそれをわかった上で見ているわけだからいいんですけど、僕たちはノンフィクションだと思われて見られているわけなんで、そこにそういう演出とか台本とかみたいなものがあったらね、
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それノンフィクションじゃないじゃんってなるじゃないですか。
だからそのノンフィクションのテレビ番組とかありますよね。
例えばプロジェクトXとかそういうのありますけど、あれが全部そういうお膳立てで演出で作り物でやらせるみたいな感じだったら、一気に冷めますよね。
なんだ、嘘だったんだあれみたいな感じになるじゃないですか。
でもあれが一切そういうのがなくて、本当のリアルな実話だから心が動くわけであって、感動させるためにね、なんかそういう嘘の情報を入れたいとかね。
実際のところはわからないですよ、どうなってるかテレビだから。
わからないけど、もしそうだっていうのが判明したら、一気に冷めるというかね、なんだら騙されたっていう感覚にすらなると思うんですよ。
だからノンフィクションなんだから僕たちは変に作ったりとか飾ったりとかしなくていいと思うんですね。
やっぱり正しくしゃべるっていうところに意識を置きすぎて、とにかく読むみたいなことをしてしまうから棒読みになってしまう。
なんでそういうことをしないといけないのかっていうと、普段しゃべるってことをしてないからですよ。
普段しゃべることをしてたら別にそんなたかだか30秒60秒の動画なんて台本なんかなくてもしゃべれるし、アドリブでもね、上手にしゃべれるわけですよ。
台本使ったら上手になるとは限らないですかね。台本使わないほうが上手にしゃべれるケースもあるわけですよ。
それは経験ですよね。
何事もそうだと思うんですよ。そういうのも最初はマニュアルとかあってやり方を覚えるけど、
自分が熟練してきた後に逆にマニュアルとか見てたら仕事の精度が落ちたりするじゃないですか。
あとは自分のやり方でやったほうがクオリティが上がるのにみたいな。
でもそれでマニュアルに従って作ったりしたらね、自分のパフォーマンスを発揮できないみたいなことあると思うんですけど。
だから別にアドリブでできるんだったらそっちのほうが上手にできる可能性もあるわけなんですね。
僕がオーディオブックの1冊目を初めて収録した時に最初は電子書籍の朗読みたいなのをやってみたんですけど、
上手にしゃべれないというかね、言葉に詰まるし、棒読みになるしね。
もう読むことが先行してしまって、もう全然上手くしゃべれないというかね。
だからもうようやくって形にして、このポッドキャストみたいにね、ただしゃべるっていう形にしたらスムーズに撮れたんですけど、
だから練習すれば上手にしゃべれるわけですよ。
普段練習してないからこそ、そういう台本作って読み上げる、棒立ちで無表情で棒読みでしゃべるみたいなことになってしまう。
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その結果作りもの感満載で、嘘くささがすごくかもし出してしまうみたいなことになってしまうと思うんで、
やっぱりちゃんとね、その辺は練習すればなんとかなることだし、別に台本通りにしゃべれなかったから上手くいかないっていうわけでもないんでね。
何を伝えるかだけじゃなくて、伝え方の部分っていうのもちゃんと意識してやっていくことが大事かなと思います。