おばあちゃんの死とその影響
はい、皆様おはようございます。このラジオでは、片付けコンサルタントのまっちゃんが、自分の日常を好きになるための片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分お話をしていきます。
掃除や片付け、朝活のお供にぜひ聞いてみてください。
はい、皆様おはようございます。ちょっとお久しぶりですね。少しだけお休みをしておりました。
なんでお休みをしていたかというと、私のおばあちゃんが急に天国に行かれたので、ちょっとバタバタしていたんですね。
バタバタしていたのと、ポッドキャストって声なので、ある程度整理してからじゃないと、声ってすごいいろんなことが伝わるので、
整理してからにしようと思って、私元気だったんですけどね。大丈夫、元気なんですけど、ちょっとポッドキャストは控えておりました。
というわけで、今日はですね、ポッドキャストは自分の感覚とか気持ちと裏腹なことを話すとですね、棒読みになってしまったりとか、うまく伝わらなかったりすると思うので、
今日は純粋にですね、おばあちゃんが天国に行って思ったことをね、ちょっとシャラシャラシャラとお話ししようかなと思います。
なので、タイトルは話してからまとめようと思うんですけど、おばあちゃんはね、元気だったんですよ。結構元気。薬とかもね、高血圧の薬ぐらいしか飲んでなくて、
特に膝が痛いくらい。なので急に亡くなったんですよね。私の家族はね、医療系が多かったりとか、警察関係だったりとか、
人の死に関わる方が多いので、多いからっていうのもあると思うんですけど、そのおばあちゃんが急に亡くなったんですが、
お葬式で会う人たちとの関わりの中でですね、改めて人の死っていうのは、悲しいんですけどね。おばあちゃん年っていうのもありますし、悲しいんだけど、
お葬式の中で悲しさと喜びと、あとご飯を食べるっていうことと、人との関わりみたいなものが全部詰まってたんですよ。笑い回ったりとかね。
人の死っていうのはね、いつ起こるかわからない。本当にわからないし、おばあちゃんたまたま高齢でしたけど、若くして亡くなることも、突然死することも、死んだ理由がわからないこともね、たくさんありますよね。
おばあちゃんが亡くなった理由も、年だからっていうよりかは、最近芸能人が亡くなられたような、お風呂の気温差みたいな、温度差みたいなことで亡くなられたんですけど、そういったことって防ごうと思ったら防げたし、
もっとこうできたんじゃないかとかできたんじゃないかみたいなこともね、あるんですけど、でもね、亡くなっちゃったんですよ。亡くなっちゃった後は、もうどうすることもできないわけですよね。
だから、もちろん悲しいんですよ。悲しいんですけど、いつもこういうことが起きたときにどう捉える自分がいるかって言ったら、本当に後悔してもどうしようもないので、改めて、
今日から一日一日を一生懸命生きることと、若いとか年取ってるとかが関係なく、前々から意識してるんですけど、出会う人出会う人、その瞬間が最後だと思って接するようにしてます。
入籍と家族のつながり
よくハグをしたりとかするんですけど、別れ際とかにね、大げさだなって言われるんですけど、人って本当にね、いつ亡くなったりとかいついなくなるかわからないので、そのときそのときの行動を後悔しないようにしようと改めて終わりました。
おばあちゃまの場合はですね、たまたまなのか、そのとき私どうしてもそうしたいと思ったことで、後悔、改めてね、そうしてよかったなと思ったことがいくつかあってですね。
私も最近ちょっと結婚したんですけど、入籍日を延ばすかどうかみたいな話もちょっと出てたんですよね。
でも私そのときに入籍を延ばす理由が自分の中でどうしてもなくて、昔の私だったら多分周りのこととかね、いろんなことを考慮して自分のことを一番後回しにして入籍を延ばしたりとかしてたと思うんですけど、
入籍日を延ばすって発想がそのときはどうしても生まれなくて、ポッキーの日にしたんですね。
昔の私だったら延ばしてたと思うんですけど、入籍日を延ばさなかったからこそ、年末に相方が私の実家に来てくれるって言ってたんですよ。
来てくれるって言ったから、そのときにおばあちゃんと一緒に過ごしましたし、それまでも何度か私のおばあちゃんと会ってたりしたので、
そのときそのときの自分がこうしたいと心から思ったことを、周りの余計な何か、もっとこういうことを考えなきゃいけないんじゃないかとか、
世の中の流れ的にこっちを先にしておいた方がいいんじゃないかとか、いろんなことを置いておいて行動、自分の気持ちとかね、こうしたいとかを優先して行動してきたからこそ、
おばあちゃんに関しては、それ言い出したらね、もっとこうした方がいいかもしれないとか、もっと会いに行った方がよかったかもしれないとか、いろいろあるんですけど、後悔は私はないです。
シェイクスピアの言葉にね、終わり良ければ全て良しっていう言葉がありますけど、この終わり良ければ全て良しって言葉、
私昔は本当は、もうポッドキャストで言ったことありますけど、嫌いだったんですよね。なんか結末がどうでもいい、結末じゃなくて過程がどうでもいいような感じがして、
結末が全てだっていう感じがして、あまり好きではなかったんですけど、やっぱ人ってね、終わり方とか終わり、終わる瞬間、死ぬ瞬間っていうのはね、選べないんですよね。
本当に選べないし、自分で選ぶ方も、自分で死ぬということを選ぶ方もいらっしゃいますけど、それってその瞬間に思うだけで、ずっとその人生が不幸せだったわけじゃないじゃないですか。
だから終わり方とか、死ぬ方とか、死ぬ瞬間で人生を判断してほしくないなって、私もそうですけど、私自身もそうですけど、思ってたので、この言葉好きじゃなかったんですけど、
でも別の捉え方としてね、どんなことが過程で起きても、人生のどこかでしんどいこととか、苦しいことがあったとしても、その後にどう捉えるかとか、それをどう捉えるか、
その嫌なことが起きたときに、どう捉えるのかとか、死ぬ間際にそれを自分がどう捉えるのかで、それが良かったのかどうかが、事実とは異なって、受け取り方でどうとでもなるっていう意味だとしたら、いいなって思います。
私のおばあちゃんはですね、本当に大変な人生を客観的に聞いたら歩んできたんですけど、両親というポジションの人を2回亡くされたりとか、
伊勢湾台風でね、本当に川に流されて死にかけたりとかしてて、私も子どもとか伊勢湾台風の恐ろしさを聞いて育ったんですけど、
そんなおばあちゃんはね、非常にそうめんでですね、怒ったことを、私も見たことないんですけど、母親の父が話してたんですが、
父も怒ったことを見たことがないって言ってたので、本当に怒ったことがないんでしょうね、子どもの前で。
でもそんな大変な人生を送り、そして時代は時代ですから、親戚の中をたらい回しというか回され、そして停止感爆のおじいさまと結婚し、
大変な人生だったと思いますけど、私から見たら、いい子どもに出会って、孫に、自分で言うのもあれですけど、孫に恵まれ、最後死ぬ瞬間はびっくりしたと思いますけど、あれ?みたいな。
急に?みたいな感じでびっくりしたと思いますけど、幸せだったと思います。
そういう意味での、終わり良ければ全て良しだと思っております。
お葬式はみんな楽しそうに、親戚がね、悲しいですけど、おばあちゃんの思い出をいろいろ話して楽しかったなと思います。
私の好き、布が好きとかね、自然が好きとか、着物が好きとかね、そういうのもね、おばあちゃんから来てると思います。
小さい頃よく布をね、体に巻きつけて遊んだりしてたりとか、編み物をしてたりとか、自然なものを土畑とかで遊んだりとか、取ったものをすぐ食べたりとかするような感覚、そういう楽しさみたいな感覚。
神社で遊んだりとか、そういうところはね、私は全てこのおばあちゃんから来てると思うので、別に会えなくなる感覚は私はないですね。
なので、今日から私もね、また改めて毎日毎日精一杯生きていこうかなと思います。
皆さんも今日を悔いなくね、今日できることを、今の自分ができることを精一杯楽しんでね、いてほしいなと思います。
また明日から通常回に戻りますが、今日はだらだらおばあちゃんの思い出について語る回でございました。
では皆様、今日もここまで聞いてくださりありがとうございました。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
今日も皆様一日、味わい尽くしてユニークにお過ごしください。ではでは。