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  2. Ep163 自分と他人の境界線
2022-07-23 15:00

Ep163 自分と他人の境界線

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00:07
はい、みなさんおはようございます。
このラジオでは、私、まっちゃんが自分の選択を信じて、日常を豊かに面白くおテーマに
片付け、シンプルライフ、日々の学びについて、ほぼ毎朝10分ゆるーくお話をしていきます。
掃除や片付け、朝活のお供に、ぜひ聞いてみてください。
今日は、実はお引越しというか、今住んでるお部屋を貸してくれてた人が住んでるお家に1週間お泊りすることになったので、
荷物をまとめて引っ越してきました。
はい、1週間だけなんですけどね。
その方々がちょっと島にバケーションに行くので、
庭のお野菜のお世話と、子猫ちゃん、子猫じゃないわ、大人だわ、猫のお世話をしに行きました。
はい、私はあのお庭があるのも好きだし、猫も好きだから、
喜んでやりますーって言って引っ越してきてたんですけれども、
実はその家を貸してくださってた人たちって、私の友達の友達の友達?
みたいな感じで、全くね、面識がなかったんですよね。
で、このお家に、その方々のお家に猫のね、世話をしに来る提案をしてくださった時に、初めて出会ったんですけど、
すごい人たちで、私も楽しかったんですが、
日本から来たね、訳のわからない、英語もそんなにペラペラじゃないような女の子に家をあけ渡すって、
すごい信頼度だなと思って、
なんか日本じゃあんまり考えられないですよね。知らない人に1週間家を預けるとか、なかなかないシチュエーションだなぁと思って、
あのー、なんで私に貸したん?って聞いたら、
他にもいろんな人に頼んだりしてみたけど、あなたが一番まともなの?って言われて、
まあ確かに私はまともな人間だけれども、他どんなん?ってちょっと思ったんですよね。
まともじゃない人、
まあいるかと思いながら、でも私選ばれたんだと思って、ちょっと嬉しかったって話です。
なので今日から猫ちゃんとの生活が始まるので、私は非常に嬉しく思っております。
はい、では今日のテーマに移っていきます。
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はい、では今日のテーマは、自分と他人の境界線です。
私が片付けを終わらせたから、一緒に住んでいた親にイライラしなくなったお話があるんですけれども、
なぜ片付けを終わらせると人のものが気にならなくなったり、
散らかっていてもイライラしなくなったり、その相手にイライラしなくなったりするのかっていう理由をね、
昨日聞かれる機会があったので、今日はそれについてお話をしようかなと思います。
結構片付けを終わらせてからイライラしなくなるよって聞いたら嬉しいですよね。
そんな未来が待ってるのかって思うと思うんですけど、まあそれがなぜかっていうお話ですね。
はい、大きく理由は2つあると思っていて、
1つ目は自分と他人の境界線がちゃんと引けるようになるっていうこと。
2つ目が課題の分離ができるようになる。
はい、この2つだと思います。
1つ目の自分と他人の境界線が引けるようになるっていうのは、片付けですから、いわゆるものにおいて、
自分と他人の境界線が引けるようになるっていうことです。
私はどのものを把握していて、どれが共有するものなのかっていう、
カテゴリーというか境界線が、まあ線でこうやって引かれているわけでもないですし、
ものに名前が書いてあるわけではないんですけど、自分の中で明確になるんですよ。
なぜかというと、自分のものを全部一回把握する、全部出して、自分のものを目で一回把握するっていう行為を通すことによって、
どれが自分のもので、どれが自分のものじゃない、どれが共有するものなのかっていう、
把握ができるから、いい意味で境界線が引けて諦めがつくようになるんですよね。
そうだから共有できるものは自分のものじゃないから、
自分が思い通りにはできないんだっていう、いわゆる諦めじゃないんですけど、納得っていうのが片付けを通してできるようになります。
私ももちろんその実家に住んでた時は共有のスペースなんていくらでもあるわけで、
化粧品とか置いたりする場所とかタオルとかも一緒に使うわけなので、それを全部自分の好きなように思い通りにできるかっていうと、
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全然そんなわけじゃないんですけど、片付けする前と片付けし終わった後では自分の心持ちがだいぶ変わりました。
なので人のものがどれだけ散らかってても、自分のものじゃないしと思って、
なんか視界には入ってるんだけど気にならなくなりました。
不思議な感覚ですね。
で2つ目がですね、課題の分離っていうことなんですけれども、これはものだけじゃなくて、もの以外における自分と課題の、課題じゃない、自分と他人の境界線が引けるようになるっていうことですね。
はい、これはいわゆる、あの、
自分は片付けられてるけど、人が片付けていないことにイライラするっていう問題ですね。
これがこの課題の分離をすることで気にならなくなるんですけれども、はい。
これ私は片付けだけじゃなくて、本とかから学んだことでもあるんですが、
これは、課題の分離ができてないとそもそも片付けて終わらせられないので、片付けを通して学んだことでもあります。
なぜなら相手の問題と自分の問題を分けて考えないと、そもそも手放せないものがたくさんあるからです。
せっかく人が買ってくれたもの、せっかく人が私のために作ってくれたもの、
人のために私が作ってあげたもの、してあげたもの、みたいなものを手放すためには、やっぱりこの課題の分離っていう考え方ですね。
人は人、自分は自分、人の課題には口を出さない。
こういった考え方が、自分の中でこう腑に落ちていないと、納得してないと、
手放しにくいものもたくさんあるので、片付けを終わった時には必ず、
昔の自分よりかは、その課題の分離について納得がいっていることが、やっぱりあります。
この、なんか自分と他人の境界線とか、
ものじゃない人としての課題の分離ですよね。
この2つが、私は親にイライラしなくなった、片付けない人に対してあまりイライラしなくなったっていう、大きな理由です。
で、これらのことを学んで、日常生活でも意識をするようになったんですけれども、
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どんな行為であろうとも、自分が発言したりとか、自分が行動したりすることに対してですね、
前より気をつけるようになったのが、主語を自分にするっていうことですね。
主語を自分にするって、ちょっと主張強めな感じに一見聞こえますけれども、
実は、前、ポッドキャストでも少し話しましたが、
私、日本語っていうのは、主語がなくても通じないものだと思っていて、実際そうだと思うんですけど、
だから、主語がなくても結構会話って成り立つんですよね。
察する文化もありますし、私たち日本人は察することができる文化なので、
だから、自分のことを話しているのか、相手のことを話しているのか、自分の意見を相手に今押し付けているのかって、
喋っている時に気づいてないことが結構あるんですけれども、
でも、相手に何か伝えたい時とかに、主語を自分にするっていうことを意識すると、
それは相手に押し付ける言葉じゃなくなっている。
良い意味でね、相手に自分の気持ちを伝えるっていう伝え方ができるようになります。
例えば、片付けとかでよくあるのが、掃除してほしいとか、そういう片付けとか、綺麗にしてほしいとか、そういう時に、
人が言う言葉っていうのは、掃除してよとか、片付けてよとか、ゴミ拾ってよとか、
綺麗にしてよとか、もっと物をしまうようにしないよ、みたいな感じで、
相手が主語になっちゃうんですよね。そうするとちょっと言われた方もムッとして、余計やりたくなくなるし、そんなこと言われて、
やるぐらいだったら最初からやってますよねっていう話なんですけど、これを主語を自分にするとですね、
あなたが掃除をすると私は嬉しいとか、 私はあなたに掃除をしてほしいとか、
あなたが片付けをすると私は嬉しいとか、 主語を私にすると、
あなたの行動によって私はこう思うとか、 私はこういう気持ちですって言ってるので、それは相手に押し付けることじゃなくて、
自分の中で完結することだから、聞いてる方も命令されてる感じには聞こえないんですよね。
だから、
自分と他人の境界線を引いて、日常生活で私が気をつけるようになったのが、
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人に何か伝える時に命令口調で言うんじゃなくて、命令口調でやったり、あなたはそうした方がいいって、
主語をあなたにするんじゃなくて、私がどうなのかっていう主語を自分にして相手に伝えるようになりました。
あと言葉で伝わらないことはたくさんあるので、 その行為をしたら、
どれだけ、なんか、
幸せなのかとか、 いいことなのかっていうのを情報として、
ちょっと、ちょこちょこ言ってあげるってのもいいかもしれません。
もちろん掃除をしたら気持ちがいいとか、片付けをしたら気持ちがいいとかは、
みんな分かってるけど動けないっていうところもあるので、
片付けをしたらいかに生活が良くなるのか、いかに自分が幸せになれるのかっていうのを、
言葉だけじゃなくて、自分がそれを行動で背中で示すっていうのも一つありかなと思います。
私がいくら片付けいいよって口で言ってても伝わらないのと同じで、
私が片付けをし終わってすごい楽しそうにしてたりとか、幸せそうにしてたら、
周りの人間は自然と、片付けっていいかもって思いますよね。
それと一緒で、言葉で通じないときは、自分が幸せそうにしてるところを見せたりとか、
行動で、背中で、背中で、背中で語るってやつですね。
背中で語ると良いと思います。
というわけで、今日は自分と他人の境界線というお話でした。
最終地点は背中で語るでしたが、
私はまだ子育てしたことありませんが、子育てもきっと、
安全を守るために口を出すところと、背中で語るところの攻め合いが結構あるとは思うのですが、
はい、では今日はここまでにします。
ここまで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のラジオでお会いしましょう。
皆様、良い一日をお過ごしください。
はい、あのポッドキャストの中で、
主語がなくても通じないって、ちょっとよくわからない文章を言っておりますが、
主語がなくても通じる日本語です。
はい、すいませんでした。
15:00

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