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2025-11-07 16:24

イエスマンになって後悔した話

体験談です🫡

サマリー

このエピソードでは、イエスマンとなったことから生じた後悔や自己反省について語っています。特に、映画『イエスマン』からのインスピレーションを受け、自分の軸を見失い、無理にイエスと言ってしまった結果、精神的に疲弊していく様子が描かれています。イエスマンとしての後悔を語りつつ、相手に選択肢を与えるコミュニケーションの重要性について考えています。自身の経験を通じて、感情の一致や判断基準の見直しが成功のカギであることを強調しています。

イエスマンの実験と恩恵
はい、皆さまおはようございます。片付けコンサルタントのまっちゃんです。このラジオでは、シンプルに自分の日常をちょっとだけ、昨日より好きになるための学びをシェアしていきます。
はい、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。もうだいぶ秋めいてきたとかいうか、冬めいてきてね、紅葉もちょっと気出しが見えてきた気がしますよね。
私、この間公園をね、お散歩してたんですけれども、バッター、この時期バッターいるのかよくわかんないけど、バッター、トロサマバッターがいたので、トロサマバッターを追いかけて行ったら、ズボンにくっつき虫がめっちゃついて、
紅葉もね、すごい半分くらい色変わってたので、空見上げて、わーってしたりして、なんか小学生に戻ったような気分になりました。
くっつき虫ってね、昔は取るのすごい時間がかかってたんですけど、やっぱくっつき虫を取る能力に関しても昔よりちょっと上がっているのか、手が大きくなっているのかわからないですけど、相方よりだいぶ早く取ってて、ちょっと、ううんってなりました。
はい、多分ズボンの素材の問題だと思うんですけどね、単純に。めっちゃすぐ取れた。
はい、では小学生みたいな話はちょっとこれぐらいにして、今日のテーマはイエスマンになって後悔した話ということについて話そうかなと思います。
皆さん、イエスマンという映画、お存知ですか。
ちょっと前に、ちょっと前って言ってもだいぶ前ですけど、ヒットした映画ですごい有名なので、多分見たことある方いらっしゃると思うんですけど、
結構お笑いのね、ポップな感じの映画なのでね、私めっちゃ好きなんですよこれ。
何回も見てるんですけど、ネタバレせずに概要を話しますと、タイトル通り、人生において何でもネガティブでノーノー言ってたお兄さんが、
イエスって言ったら、何でも、はいって言ったら人生が肯定するよっていう、もう見る柄に怪しい感じのセミナーに行って、
イエスイエスみたいな感じに言ってるセミナーに行って、何でもイエスっていう人生を選択した結果、人生が肯定していくんだけど、実はてんてんてんてんみたいな映画なんですよ。
この映画をしっかり理解すると、何でも単純に、頭を働かせずに軸なしにイエスっていうのは良くないよっていうオチなんですけど、
私この映画も好きだったのもあったし、ちょっと実験をしたいなっていう時期があって、何でもイエスって言ってた時期があったんですよ。
なんでそんな実験するんだって話なんだけど、新卒1年目の職場がしんどくて辞めた後に、自分に追い目があったから、
とにかく何でもとりあえず頑張ろうみたいな感覚があったんですよね、その時にね。
だからとにかく興味がないことでも嫌なことでも、自分の意思でイエスって言ってみようと思ったんですよ。
新卒1年目はどっちかというと自分の意思っていうか、言われたことは全部やった方がいいなみたいな感じで、
どっちかというと脳死でイエスって言ってたんですけど、新卒2年目の時は、自分の意思でイエスって言おうって、
修行のために成長するために、イエスって言おうっていう時期があったんですよ。
だから明らかに仕事に関係ないことでも、上心に頼まれたりとか、それこそ学会とか論文とかそういう書く機会があった時とかに、
全然興味ないですけど私、全然興味なかったんですけど、なんかやった方が拍がつくかなとか、やった方が経験になるかなと思ってやってたんですよ。
やったごとに後悔はないんですけど、だから毎日夜の10時とかまでやったりとか、先輩にこれやれあれやれみたいな、
自己反省としんどさ
この論文まとめろとかめっちゃ言われたことでも、はいはいやってたんですよ。
土日もそれに時間費やされたりとかしてやってたんですけど、私の横には愛犯するノーマンがいたんですよ。
ノーマンがね、私の同期と職場の別の先輩にね、ノーマンがいたんですよ。
私の直属のその先輩みたいな人は、みんなにいろんな頼み事をするタイプの人だったんですよね。
いろんなその学会関係とか論文関係のことで、人を巻き込んで、いい意味でも悪い意味でも、いろいろ頼み事をする人だったんですよね。
で、その私の周りの先輩、別の先輩とか私の同期は、頼まれた時に、いや、いやみたいな、やれないっすみたいな、いやいいっすみたいな、いや土日遊びに行くっすみたいな感じで、めっちゃ断ってたんですよ。
私はそれをね、見てたんですよね。
私もその時は自分の意思で、イエスって言うってなってたから、
ノーノーノーの言う人に対して、別にそんなにひがみは最初はなかったんですよね。
あ、そういう選択肢もあるんだと思いながら観察してたんですけど、そんな生活を数年続けてた後に、
結果私もその、和解発表とか論文の発表とかね、自分にとってのプラスもあったんですけど、
やっぱりね、興味がないことに対して、イエスって言い続けて、我慢をして言い続けてると、やっぱね、ちょっとね、しんどくなってくるんですよ。
しんどくなってくるし、横にノーって言って、私がちょっと、なんでこんな頑張ってるんだろうみたいな時間に、
あえて悪い言い方しますけど、楽をしている人たちとか、ノーってはっきり言いまくってる人たちを見てると、
なんかね、ちょっとねってなってくるんですよね。ちょっとイラッとしてきてたんですよ。
でも私はその人たちのことすごい好きだったし、仕事はすごい頑張ってた人だったんですよ。患者さんのためにね。
だからその人たちは別に仕事をサボってるわけじゃなくて、自分の軸で何をやりたくて何をやりたいのかが明確で、
やりたくないことに入ってきたことはノーってめっちゃ言ってたんですよね。
私も自分の意思で選んでるつもりだったんだけど、自分で修行するために、自分がより成長するためにイエスって言ってたつもりだったんだけど、
なんだろう、それってなんかもう意地みたいなもので、自分が興味あることとか、自分が楽しいと思うこととか、
なんだろうな、患者さんのためになるか、最終的になるから、これはイエスって言おうみたいな軸じゃなくて、
どういう軸なんだろう、なんか見返してやろうとか、箱をつけてやろうとか、
人から見て、新札1年目で辞めたことに対する罪悪感から来る、見返してやろうみたいな感覚が強いイエスマンになってたんですよね。
ちょっと軸がね、またずれてたんですよ。軸ずれがち。だからやっぱね、なんか嫌な気持ちになってたんですよ。
コミュニケーションの重要性
どんどんどんどんどんどんどん、何でも投げてくる先輩の問いかけに対して、NOっていう権限は絶対的にあるはずなのに断ってる人もいるから、
NOって言ってる人たちに対して先輩はね、愚痴を言ってたんだけど、あいつらは何でも断っていくみたいな、断っていいでしょっていうレベルでも言ってたから、
私だって絶対NOって言ってよかったんですよ、その時に。よかったんですけど、当時の私は言ってなかったから、結果でもしんどくなっていったんですよね。
そう、っていうイエスマンでも、やっぱね軸がずれるとよろしくないよねっていう経験をしたんですよ。
自分が軸がずれてね、自分の意思じゃないところでイエスって言うようになると、やっぱ人にそれを押しつけちゃったりとか、
NOっていう選択肢がなくなって、人に対してもNOを与えないようなコミュニケーションを取っちゃったりするんですね、無意識にね、本当に。
そう、我慢して頑張ってる人こそ、そう。で、これって結構、お家の中で、家事とか片付けの中に置いてもすごい現れてて、
シェアハウスの時もすごい思ってたんですけど、例えばですけど、片付けてくれないとか、お風呂洗ってくれないとか、
何々してくれないって頼む時って、あんまりやらないっていう選択肢を相手に与えずに聞いてることが多いと思うんですよ。
お風呂洗ってくれないって言って、いやちょっと今は洗えないわっていう多分返答が返ってくると、
多くの方は多分、え?って、じゃあ私に洗えって言うの?みたいな感じの思うと思うんですよ。
でもね、私結構子供の時から、こういう質問がすごい嫌だったんですよ。
NOという選択肢がないような感覚になる質問の仕方とか、
NOと言ったらこの目の前の人って怒るんだろうなみたいなプレッシャーみたいなすごい嫌いだった側なんですけど、
この選択肢って実はNOって言ってもいいんですよ。いい。いいし、
NOっていう選択肢を相手に与えた方がコミュニケーションってうまくいくんですよね。
私もこれをすごい意識して実践してるんですけど、
自分が頑張って何か過剰してる時に、人にヘルプをどうしてもこれやってくれるっていう優しい言い方で言おうとして言って、
相手が結果、いやちょっと今無理だわって言った時にやっぱってなったりするんですよ。
やっぱ自分がギリギリのところで頑張りすぎて精一杯な時に、こういうあえて優しい言い方で聞いたりして、
相手に選択肢があるような聞き方をして、NOって言われるとってなるんですけど、
やって欲しいんだったら、疑問文じゃなくて、やって欲しいです、手伝ってくださいってお願いした方がいいし、
心に余裕があって相手に選択肢を与えるんだったらやってくれないっていう聞き方をして、相手が無理だったら、
後からでもやってくれると嬉しいなとか、じゃあ私は今できるから私が今やるね、みたいな感じに持ってった方がいいんですよ。
やっぱ行動と発言は一致させた方がいいんですよね。自分のためにね。相手のためじゃなくて自分のために。
疑問文で聞いてるのに相手が断ってイラッとするときは、相手が悪いんじゃなくて自分の言葉の使い方とか、自分の心の余裕の問題だったりするので、
それは私もすごい意識してます。これって結構心理学の本にも書いてあるんですけど、
選択肢はいつも絶対的にそこにあるし、選択肢を与えるときは選択肢を与える聞き方をした方がいいですし、選択肢を与えないときは断言をした方がいいです。
これは子どもに対するリハビリをするときも使ってたんですけど、片付けて欲しいんだったら片付けますって言った方がいいですね。
片付けしてくれないんじゃなくて片付けます。
なので、自分の言葉、出てくる発言と自分の感情が一致しているかどうかっていうのは、イエスマンかどうかよりもすごい大事だなって、
私も経験上思いますし、この映画を見るとすごく思いますし、イエスって自動的に言うってのはそもそも間違ってますけど、
自分の判断する軸自体がずれてると全てが変な方向になってくるので、やっぱり軸がずれてないかどうか、
自分の感情に従うというか、感情にそのまま動物みたいに従うんじゃなくて、感情はそのまま流しておいて、
自分の軸、何を判断の基準にしているのかっていうところを見直してみると、
今までうまくいかなかったことが全てうまくいくようになったりするのかなって、結構そこってシンプルだったりするので、
昔の私みたいに軸がそもそも人を見返すためだったりとか、人によく見せるためだったりとか、
自分が求めてない方向の軸だったら全てがずれていくので、そこってすごい大事だなって思います。
感情と判断基準
というわけで今日のテーマはGSマンになって後悔した話でした。
ちなみに私の周りのノーマンの人たちは、すごい楽しそうに仕事をしてたので、最後までね。
私も途中で軌道修正したんですけど、別に人にどう思われても、ノーって言っていいんだなということで、すごい体現してたなって思います。
軸って大事ですよね。
というわけで、今日のテーマはこんな感じでした。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。また次回のポッドキャストでお会いしましょう。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。
今日も皆様一日味わい尽くしてください。
ではでは。
16:24

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