1. まっちゃんの片付けラジオ
  2. 比較から始まる、やさしい自己..
2025-11-10 16:58

比較から始まる、やさしい自己理解

結婚式の準備を通して改めて感じております。他者との『比較』は、自分を知るためにすごく使えることを☺️

サマリー

このエピソードでは、比較を通じた自己理解の重要性が話されています。まっちゃんは自身の体験を交え、他者と違うことを受け入れる意義や片付けへの応用について考察します。また、自己理解を深めるために他者との比較を有効活用する重要性についても語られています。特に、植物研究家の稲垣秀弘さんの本を通じて、比較がもたらす気づきと自己成長へのアプローチが紹介されています。

日常の学びをシェア
はい、皆様おはようございます。片付けコンサルタントのまっちゃんです。このラジオでは、シンプルに自分の日常をちょっとだけ、昨日より好きになるための学びをシェアしていきます。
はい、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は最近は、結婚式、大会ですよね。大会に向けて、着々といろんな準備をしているところなんですけれども、
本当に面白くてですね、いっぱい学びがあって、もうポッドキャスで毎日話したいぐらいなんですけれども、
毎日ネタが積み重なっていくのと、それを片付けに結びつけて、みんなにどう伝えようかなとか思うたびに情報が更新されていくので、なかなか全部伝えきれないんですけど、
大会に向けてやりながら、一番1日に10回ぐらい思うのがですね、私と相方は違う人間なんだってことを、1日に10回、20回、いや30回ぐらい思い知らされるというか、気づかされるんですよね。
例えば具体的に言ったら、同じ資料を見てて、目につくところが違ってたりとか、直していきたいところが違ってたりとか、物事に取り組むスピードとか、その時間でできる完成度の違いとか、
あとシンプルに言ったら好きな色とかも違いますよね。好きな色も違うし、同じ話を聞いて理解をしているところも違うんですよね。あまりにも違っててね、めっちゃ面白いんですけれども、
人と違うことを比較してどっちがいいとか、どっちが優れてるとかじゃなくて、自立として受け入れられるようになったのって、結構私最近だなって思ってて、それで結構片付けにもすごい使えてるなって思うんですよ。
片付けだけじゃなくて、人生においてですけどね。なので今日はちょっとその話をしようかなと思います。なので今日のテーマは落ち込むためじゃなくて、自分を知るために比較をするっていう話をしようと思います。
多様性が問われる最近の世界で、他人と比較をするっていう言葉の、言葉面だけ見るとちょっとあまりよろしくないような、そしてそれを表だって使うとちょっとよろしくないような風潮がありますけれども、私比較をするっていうのはすごくいいことだと思っていて、
私は理学療法士と片付けコンサルタントの仕事をしておりますが、この2つの仕事に共通することが、自立を多角的に観察をして、一面だけじゃなくて多角的に観察をして、そこからゴール設定をしてアプローチをしていくっていうところがすごい共通点なので、
私のもともとの性格もあるだろうし、後から身につけたものもあると思うんですけど、とにかく観察をするんですね。
自己理解の深化
理学療法士だったら、なぜこの人はこういう歩き方になっているのかっていう歩き方を観察するんですよ。歩くときにかかとからついているのかかかとからついていないのかとか、膝が曲がっているのか曲がっていないのかとか、頭の位置はどうなっているのかとかっていうのを見て、
そこから筋力がないからなのかなとか、痛みが生じているからこんな歩き方なのかなとか、動かしたいんだけど動かせる、指令が言ってなくて動いてないのかなみたいな、そういった観察をするんですね。
片付けコンサルタントというか片付けも同じ視点なんですけれども、多分皆さんも日常に思ったりすると思いますが、なぜ例えば私はこれを元の位置に戻せるのに家族はこれを元の位置に戻せないのかとか、
私はここにしまいたくてここに物の住所を決めたのに、なぜ私はいつもそこにしまえないのかみたいな謎だみたいな感じで、ふと疑問に思ったりすることってあると思うんですよね。それこそが事実を観察してそこから生まれてくる疑問だと思うので、
多分皆さんも日常的にぼーっとして見ているとき以外は観察して思うことがあったりすると思うんですけど、それが事実をそのまま見て考えることだと思うんですよね。
人間なので自分の目を通して世界を見るからそれがそのまま事実かって言われたらそうじゃないですけど、自分なりの事実ってことですね。
この事実っていうのを自分の中だけに留めておくと、他の人と比較をせずに自分の中だけで持っておくと、その数値とかその事実っていうのは結構うまく使えなかったりするんですよね。
それっていうのは例えば私がね身長150ちょっともって7なんですけど、157センチが高いのか低いのか一般的にね、高いのか低いのかっていうのは表情値ってものがあるからわかるじゃないですか。
例えば180センチの人が横にいるから相対的に私は低めっていうことがわかるんですよね。
それって別に低いのがいいとか悪いかとかじゃなくて、比較をするから初めて一般的にこの180センチの人より低いとか、女性の平均は150、いくつか今知らないけど155だから一般的に女性よりかは少し高めみたいな事実がわかるじゃないですか。
それは本当にいいとか悪いとか置いといて本当に比較をしてわかる目の前の事実みたいなことですよね。
なので、比較をするっていうのはやっぱその事実っていうのの情報をより深めるというか、それをより多角的に見ることができるっていう面ですごく使えるんですよね。
自分のために使えるんですよ。すごくね。
なので私は比較をすることは特に悪いことだとは思ってなくて、めっちゃ日常で使うんですよね。そのままね。
片付けにおいても目の前の事実をそのまま見つつ、例えば部屋が散らかっているなおみたいなその目の前の事実を受け入れつつ、
なぜ散らかっているのかっていうのを分析するために他者と比較をしたりとか、他の人の考え方とか動きとかと比較をして、
自分なりのこうした方がいいんじゃないかみたいな行動のアプローチの方法を考えられたりとか、逆に
世の中で言われているこのアプローチが自分に合ってないから潔く諦めたりとかすることができるわけですよね。
例えば、お家の中に殺虫剤があるとして虫を殺すための、一般的には殺虫剤をしまい込むようなイメージがあるかもしれないですよね。
押し入れとかにしまい込むようなイメージがあるとして、しまい込みますよね。何も考えずにしまい込むんだけど、いざ虫が出てきたときに毎回自分はうまく使えなくて、
あたふたするということですね。あたふたするという事実があって、例えば友達の家に行ったときにその殺虫剤が玄関に出しっぱなしにしてたとして、
出しっぱなしにするっていう発想もあるんだってそこで気づきますよね。
友達になんで出しっぱなしにしてるのって言ったら、私はあたふたしたときにしまい込んでると冷静になって探せないからすぐ目につく限界に置いてあるよっていう話を聞いたときに、
あ、そうかと。みんながみんなしまい込んだものをすぐあたふたしたときに冷静になって取りに行けるとは限らないのか。
確かに私も虫が出たときに結構虫が嫌いなタイプだから焦って目の前がわーってなるから、むしろその虫が出やすいところにそのまま置いておかないと私はそれを使うことがそもそもできないんだと。
しまい込んでたら意味がないんだ私はみたいな感じで対策ができますよね。
今すっごいスペシフィックな変わった例を出しましたけど、実際そういう方も今までいらっしゃったんですよ、片付けをしててね。
私は殺虫剤はここに置きますとテレビの目の前にバーンと落ちた人がいたので、かっけーと思ったんですよ、この人は自分のことをよくわかってると。
その時は思った思いがあるので、ちょっとその例を出しましたけど、なので自分のことをね、自分がどうしたいのか、自分がなぜこれができないのかとか、
自分なぜこういう時にこういう行動してしまうのかっていうのを自分だけで分析するのもすごい大事なんですけど、やっぱり人と比較をすると明らかすぎてめっちゃ面白くてわかりやすいんですよね。
で、この他者と比較をしたりとか、それがね、なんかこう差別とか上下ではなくて区別をすることにすごく意味があるんだよっていうことがね、
すごい書かれているのが、稲垣英寛さんのハズレ者が進化を作るっていう本なんですけど、このポッドキャストでも何度も言ったことあると思うんですけど、
区別をすることの意味っていうことがこの本にすごい書かれているので、たぶんこれ稲垣さんが伝えたいことの一番のことじゃないんですけど、全然別のこと伝えたいと思うんですけど、
私はこの本を読んで、そもそも物の数値とか名前とかつけられたのって、区別をするためにつけられてるんだっていうそのそもそもの前提のことが書かれてたので、
比べることの意味
人と比較をする、人と区別をして、比較をして自分のために使う、比較をして落ち込むんじゃなくて、それを一つの情報として自分の武器として使うっていうことの大切さをちょっとこの本を読んで、
再認識した覚えがあるので、ぜひこの稲垣秀弘さんっていう植物の研究家の方かな、道草研究家って書いてあったんですけど、
たぶん植物の、特に雑草なんですけど、植物をすごい調べて、本をめちゃくちゃ出している方なので、さっきウィキペディアでチラッとみたいなボワーってたくさん書いてあったから、
たぶんたくさんの本書かれてて面白そう、全部面白そうなので、私も読んでみたいんですけど、ぜひ読んでみてください。
人と比較して落ち込む傾向がある人とか、目の前の自立を直視するのにすごいエネルギーがいる人、落ち込んじゃって、ガーって落ち込んじゃって、なかなかできない人はこの方の本をぜひ読んでみてください。
上下とかで落ち込むために比較するのがどれだけ意味がないことなのか、この方の本を読んだら、たぶんすごく身に理解しやすいと思うので、ぜひ読んでみてください。
はい、なので私もその、ちょっと冒頭の話に戻りますけど、結婚式という大会に向けて、同じ人間、性別は違いますけれども、同じ人間と同じ行動をすればするほど違いが見えてきて、
そういう人間と同じ行動をすればするほど違いが見えてきて、そういう人間と同じ行動をすればするほど違いが見えてきて、
私はこれが多分人よりも得意なんだとか、彼ができてて私ができないということは、これは多分このやり方は、このやり方自体が多分私に向いてないんだということで、私に向いているやり方はどんなふうなんだろうとか、私が見えている世界でできることは何なんだろうみたいな感じでね、毎日毎日違いを見せつけられるので、めっちゃ面白いです。
シェアハウスに住んでた時は、外国の方と暮らしてたので、それこそ見た目も違うじゃないですか。髪の毛の色も違うし、目の色も違うし、パッと見で違うんですよね。
パッと見で違うから、違う人と比較して違う、できてなくてもそんなに落ち込まないんですよね。これ何でかわかんないけど、多分人間っていう括りで見ると一緒だけど、見た目があまりにも違いすぎると、比較対象から外れるから、同じことやってて違いがあってもそれを上下として捉えないんですよね。
違う生き物が違うことをして違う結果をしているみたいな感じで落ち込まないんですけど、多分日本って同じ見た目で同じ髪色でほぼ似てるじゃないですか。ぼやーっと見たらね、シルエットをぼやーっと見たら、いくら性別が違っててもそれ以外は似てる感じがするから、同じ文化の元育ってるから。
民族も似てる方が多いから、見た目が似てるから、多分似てるから同じっていう括りになって、いざ違いが見えたときに、あって、違うんだって気づかされると思うんですけど、基本同じ見た目だとしても宇宙人みたいなもんですかね。やっぱり他人は違いますから。
なんかその比較をして落ち込むんじゃなくて、全て自分のために使うっていうスタンスで、日々私はいろんな方を研究しております。下場に行って、人を見て、とにかく人を見て、これが違うなとか、これが私と違うなと思ったりとか、何か職場とかね、私も今回もそうですけど、何か人と同じことをやったときに違う結果が出たときとかに、
アプローチの仕方を変えたほうがいいなとか、私はここを人よりもすごい引いれてるっていうか、得意なんだみたいなね、見方で見ると、これはもう多分死ぬまで楽しめるというか、死ぬまで自分のことを知るための情報が転がってて、めっちゃ面白いなといつも思います。
弱ってるときにやると落ち込んじゃうので、基本的に自分が整っているときにやるようにしてますが、そういうわけで一人で何か作業をもくもくするだけじゃなくて、時には人と関わったりとか、人がいるところに自分を放り投げるっていうのはすごく大事なのかなって思います。
というわけで今日のテーマは落ち込むためじゃなくて、自分をより知るために比較をするということでした。
自分を知る楽しさ
やっぱ自分を知るっていうのはね、めっちゃ楽しいですからね。
では、ここまで聞いてくださりありがとうございました。また次回のホットキャストでお会いしましょう。
今日も皆様一日、味わい尽くしてください。
ではでは。
16:58

コメント

スクロール