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2025-06-06 19:56

論理と感情

サマリー

このエピソードでは、論理と感情の対立が具体的な家庭の議論を通じて探求されています。納豆やキムチを例にしながら、判断における論理的思考と感情的な反応の違いが明らかにされています。また、食に対する感情的な選択とその背後にある論理的な判断の複雑さについても深く探求されています。

論理と感情の対立
ウェスティナレンテ、この放送はSWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日のテーマは、論理と感情ということについて話をしていきたいと思います。
昨日ですね、まあ妻とですね、3時間ぐらい
討論というかな、討論までいかないですけど話をしました。
具体的にはね、ちょっと言いにくいので、具体的な話はしないので、ちょっと抽象的に話をするんですけど
生活している上でどちらか判断をしなきゃいけないことってありますよね。
結婚していて子供たちがいるので、自分だけの判断じゃなく、例えば妻だったり子供だったりがどう判断するのか、どう選択するのかな
ということはいろいろ迫られるわけですよね。 その時に
なんかまあ、僕はすごい、なんていうんだろうなぁ
どっちかにできるだけそんなに偏らないで話をしたいなと思ったんですよね。 なぜかというと
そのどちらか判断しなきゃいけないっていうことが、世の中的にも
僕が正しい、世の中的にも2択に分かれていることなんですよ。 こっちの2択になっちゃいますよね。どっちかを選ばなきゃいけないので
ちょっとその具体的な内容を言えないからちょっと説明難しいんですが
じゃあな。 じゃあ例であげますね。じゃあ納豆を食べた方がいいのか
じゃあ食べない方がいいのかという話みたいなことをしてたわけですよね。 だから当時は本当はないですけど例で
もっと大事なことなんですけど、それを
決めなきゃいけない夫婦で、子供か子供に納豆を食べさせるべきか食べさせないべきかみたいな感じかな
例であげるとそんな。 納豆の話はしてないんですけども、みたいなことをしてたんですよね。
それを3時間くらい話してて そこで気づいたのが
なんか僕は割とそのフラットに見たいなと思っていて だから論理的に考えようという思想だったんですよね
えっとじゃああの 何て言うんだろうな
でフラットに論理的に考えるときに僕が一番いいと思っているのが 確率論なんですよね
納豆の例だとすれば、納豆を食べている方が 健康になったという人の数と
納豆を 食べてない方が健康になったっていう人の数
っていうのを統計的に出せるんだとしたら、今多分それ出せないけど それをやった時に食べてて健康になったって人の割合の方が
調べてないですけど多いですよね。でそれ調べて もし食べて健康になったって人の方が多かったら
そういう納豆はあの食べた方が良くないっていう判断をするのがすごく中立な 立場で考えるとそういう結論になるよねっていう話をしたんですよね
でね、納豆ちょうどいいな、納豆自体はね 納豆を僕は毎朝食べてるんですけど
納豆もねいっぱい食べ過ぎると良くないっていう論があるんで 論を持っている人がいるので
なのでそれもちょうどいいかな たまたまになりましたけど
だからその時にできるだけ多分ね
その統計データが食べてない人の方が健康かとか その死亡率が低いとかってよくわからないんですけど
だって1回でも食べたことあったらそれ変わっちゃうし だから統計ではそれ多分出せないけど
なんかその なんていうんだろう、その中で納豆を食べたことある
食べたことないみたいなのをできるだけフラットに比較できる数値を出してきて
出してきたりだとかもちろんソースもねそれを確認したりしてね 信頼を受けるであろうというところを判断した上で
それを出して
比較できるものとして見た時にそっちの方が高そうだなってこう 実際調べてもそう出る
プラス感覚的にもそうだろうなーってわかる だったらそっちをね
そっちの方が多いってわかるんだったらそっちを選ぶでしょっていうのが論理的に考えて それが統計的なものが一番わかりやすいフラットに見えるんじゃないかと思ったので
そういう説明をしたんですよね そしたら
あの 妻はそれでも全然理解
してもらえなかったんですよ だから妻の考えでは納豆はそもそも悪いものが入っている
っていうふうに
いるけどでもただその量がすごく少ないだけであって だから別に食べる人は食べるんだけどでもそもそも悪いものがちょっとでも入る
んだったら食べない方がいいんじゃないのみたいなことを言っていて なんか話がねずっとその話をぐるぐるぐるぐるしてたんですよ
僕としては何を言っているのかわかんない その大前提の話で そこは僕はもうわからないから
考える土俵に入れないよって話したんですよ だってそれは本当にそうかもしれないし
毒みたいなのが入っているのかも 良くないものが入っているかもしれないし 入ってないかもしれない だけどそれはもうわからないから僕としてもそこは考えない
ただわかる結果その数値だけを見て それで判断するっていうのはフェアだし中立だしそこで
別に僕は納豆絶対食べた方がいいっていう前提で見るんじゃなくてフラットに見ても 数値的に分かりやすい比較をすれば
そうやって出てるんだから納豆は 食べた方が体に良いよって思っているっていうふうに
言ってたんだと思うんですけども それは通じなくて
嫌なものは嫌なんだもんみたいなことを言われて これもう全然
話が通じないなぁと思って でも不思議なんですけど一応妻は僕より全然頭がいいんですよ
妻はっていうか 妻は僕より全然頭がいいから結構論理的な思考ができる人で
だから結構話し合いとかも 結構好きでずっと議論したり 議論というかな
対談というか なんか対談って言わないか その割と夫婦でも話を
ヒートアップすることが多いんですよね
だけど そうそうそういう
だけど普段そういう喧嘩というかな ヒートアップする時は割と論理的に
説明をしてきて それで僕がよく考えると 確かにそう考えると僕が間違ってるかもって思うことが多いんですけど
なんかその 納豆じゃないけどその話に関しては
なんかそういう説明だったんですよ そこで気づいたのがそれって感情で嫌だ
感覚とも言ってましたけどっていう判断をしてるからもうそれ以上進まないんだって話を
していて 僕が前提だと思っている納豆自体がまずじゃあ安全かどうかみたいなのって
具体的な例としての納豆
前提だから僕にとってあんまり重要じゃなかったんですけど 妻にとってはそこの前提がもうすべてほぼ100%
占めてしまうような話なので だからそこでもうダメだという判断をしたらもうそれ以降の判断というのもないんですよ
だから そう
そうなんだなって僕は論理という方を 論理的に考えるとだからできるだけフラットに見てるよと
だからこそ確率論とか数字に 信頼できるような数字を根拠にして
フラットに見た時にじゃあどっちがいいのか判断 50%50%ってことってほぼなくてどっちかに分かれるから
そっちの方確率が高ければそっちの方を信じた方がいいんじゃないっていう 論理的な考えている考え方だったんですけど
その時は感情的なものでそれでもそれはもう 一番大事な部分を占めていてそれをジャッジする判断する部分で
最重要な項目だから だから絶対
そこが揺るぎないですよその意見がその論理的に聞かされたとしても 大前提の段階でそれをもう危ないものだというふうな認識があるとかしている
それも分からないことではあるんですけどそうなので それが感情的なものなので
だからこの話はね絶対どっちかがどっちかに折れるということはほぼないもの なんだってことがよく理解できたんですよ
お互い だからすごい良かったんですけどその話し合い自体
で もちろんその論理的にとかよく
そういうのはね嫌だそういう話し合い自体も嫌だっていう人も多いんでね ですが別にそういうのは別に苦じゃなくてその話し合いをすることが大事だと思っている
からしてたので別にそこは問題ないんですが お互いそれが分かったことがすごい面白くて
なんでそれを選んでるんだろうっていうことが僕には全然その論理的っていうかな そういうふうには理解できなかったんだけど
そういう感情的な部分が大部分占めているもの その場合においてだけでした
その場合においてだったんですけど
だから 例にした納豆は毎日食べた方がいいかという議論とかそういう考え
そういう題があった時に そもそも納豆には悪いものも入っているから食べない方がいいっていう考え方と
それは感情的なものでそういう判断をしている なぜかというともうその悪いものが入っているというふうに
えっと そう思うからただそれは量によるんですけど量で
結構なものがね 実際食品とかってたくさん取れば絶対体に悪いっていうのがあるんですよ
だから全てがそういうことを言ったら毒なんじゃないかっていうふうに説明 論理的にというか説明しようとできちゃうんですけども
ああそうかでもだから普段は そういう論理的に話をする人だからなんでそのことは感情になっちゃうのかなとは思いましたけど
なるほどなとそういう理解だから 多分そういう理解だから sns とかで例えば a か b かみたいな時にお互いにこう
何かレスバーみたいな起きたとしても絶対お互い納得しないみたいなことが起きるんだな っていうのがすごいよくわかりました
キムチに関する意見
そう で
で一方で僕はじゃあ常に論理的な思考で判断をしているのかというとそうでもないなあっていうのを
思ったんですよねそれは何か途中で妻と話してた時に
キムチ最近キムチをですね あの
妻が買えたんですよでそれキムチがすごく健康 体に悪いものが入っていないキムチを買ってきたんですよね
僕はお気に入りのスーパーで売ってるお気に入りのキムチがあったんですよ 別に体に良い悪い関係なく美味しかったら僕はいいやと思っていたのでその買って
きたキムチを食べたんですけど 買ってきてもらったキムチ食べたんですけど
それなんか全然味が僕からすると味がないなと思って まずいとかじゃないけど美味しいって感じないものだったんですよね
キムチそもそも僕は好きなんですが 美味しく感じなくて
でも体に良いと言われてもそしたら食べたくないわけですよ だからそういう説明を受けても
あの 食べたくなくて
だから昔のキムチを買ってくれって言ったんですよね そしたらまぁ昔のキムチ買ってくれたんですけど
昔のキムチは僕が好きだったキムチね 買ってくれたんです それが僕がさっき言った納豆の話で言うところの
感情的にもちろん多分体におそらくね悪いもの入っているんだと思いますよ ただそれも量の問題であって
ということはあるんだけど でもそれがなんだろうそれが
その物質が入っていないキムチと入っているキムチだったら 悪いと言われているであろうものがね
論理的に考えれば良くないものが入っている方が体に悪いよねっていうのは多分 統計的にも何か数値を出せば判断できると思うんですよね
だからそれはわかってるんですよ だけど自分の中ではそれは美味しくないから
だから美味しい方を食べたい 体にあまり良くないと言われても美味しくないから食べたくないんだもん
みたいな話で それはもう感情的な話がベースになっているので だから僕はその
分かってたでも美味しくないからそっち取るんだよっていう話で つまり感情で判断する時も自分の中ではあるなぁと思いました
なおかつこれもグラデーションなんだと思うんですよね 判断する時とは思いつつもどちらか選ばなきゃいけないという判断を
知らなきゃいけないということは自分の家族とかについてとか自分以外の人とかに対して
自分だったら自分のその時に感じる論理的な判断とか感情的な判断 そのものによって変わるけどそれはそれで自分でジャッジしていいけど
家族とか子供とかって考えていくとそこは 夫婦だとしたらそこでどっちかを選ばなきゃいけないから
だからそこはもう判断していかなきゃいけないなというふうにはなりました ただまあ良かったのはあくまでそういう考え方をする場合とそうじゃない時
論理的な判断をする時と感情的な判断をする時っていうのは人間にはあって 多分お互いを説得しようとしても一生できないものなんだってことがよく
分かったという だからこれからもそう判断をすることはたくさん増えていくわけですよね
でも僕はだから論理的に考えれば絶対分かってくるだろうと今まで思ってたからそういう 説明をすることもあったし逆もおそらくあったんだと思うんですけどね
でもそれがそうじゃないんだと感情的に 感情っていうのかな 感情が正しいかちょっと分からないな
感覚というかね的にそういうものがダメだというふうに思っている人を説得することは 多分一生絶対できないからこそ
でもその時に話し合いお互い並行するに絶対になるんだけど 話してどっちかに判断をしていかなきゃいけない
あくまでそれはお互いどっちかに やっぱりそうだったねっていうふうにはできないものだから
どっちかが必ず折れなきゃいけないことだとは思いつつも でもまあそういうものなんだなって理解できたことがすごい収穫だったんですよね
僕にだって 僕たちにとってかな
だからそれが分かったからすごいスッキリしたし 常に毎日毎日
そういう話をするわけでもないんですけどね そこまでコミュニケーションめちゃくちゃ多いっていうわけではないけど
たまにねそういう話で 折れないんでね向こうもね 僕も折れないからね
だからそういうふうな そう だけどその理解ができることが面白かったんですよね
やっぱりなんか考えるってすごい面白いなと思って なんか
なんであいつこんなことわかんないんだよっていうだけで終わると あんま面白くない面白くないってあれだけど
そこであいつわかってねーなーって終わっちゃうんだけど
なんか向こうの思想 向こうの考え方が そういう回路で考えていたらそうなるよなって
すごく納得ができるとこまで話し合えたり考えることがやっぱできるから
論理と感情の理解
だから考えていくことって面白いし 考えることを途中でやめて
あいつわかってねーなーって終わらせると そこで終わっちゃうんですけど
それ以上のところを踏み込むとそういうこともわかってくる なんか見えてくる
でおそらくね多分この多くの話を聞いてくださった中で それ論理と感情ということでもないんじゃないっていうふうに
捉えられる可能性もありますけど 前にもっちゃんさんにマスコットさんに二極化しがちというふうに言われたので
結局二極化しちゃってるんですけど今日も
だから僕もあくまでグラデーションだと思うし その時の判断はその人にもよるし
そもそも単純に論理100%感情100%とかっていうわけでは人間はないと思って分かりつつですよ
ただ分かりやすく考えていくとその2つが分かれてて お互いそっちっていうのはもう本当に対極になるようなものだから
説得することは難しい お互いをどっちかに酔わせることは難しいんだなっていう
そういうことをね すごく分かって
昨日夜それの話をしてたんですけど すごい長い時間になっちゃったから
そうそうなっちゃったんですけど でもなんか面白い面白いって言ったら嫌やけど
そっかだから世の中そう絶対そういう 納得できないものを持っている人もいるし僕自身そういうものもあったりするし
それを何でだろうなって一方の立場から見た時に 向こう側の気持ちとか向こうがどう判断しているかっていうのを考えると
すごい面白いなっていうふうに思いました 今日の話はねちょっと
わかりにくかったかもしれないですけどもね ただなんかなるほどなと思ったので話をしたくなったので話をしました
はい今日も最後まで聞いてくださりありがとうございました それでは皆さんスロースロースロース
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