1. メタモヤモヤ
  2. 情報に消費されない心の守り方
2025-07-04 12:54

情報に消費されない心の守り方

サマリー

このエピソードでは、情報過多の現代において心を守る方法について考察しています。具体的には、シュミラークルという概念を通じて、人々が物語に囚われやすくなり、その影響を受ける危険性について語っています。

心の守り方についての考察
みなさん、こんにちは。建築とAIの間で日々小さな実験をしているマスコットです。
今日は、情報に消費されない心の守り方ということについて話をしていきたいと思います。
今日ですね、娘を小学校に送って行ったんですけど、すごい衝撃的な光景を見たんですよね。
それが、小学校高学年ぐらいの男の子が空に向かって、すごい大きい声で、
神様、今日地震を起こしてください。震度7以上でお願いします、みたいなことを叫んでいて、
うわーって思ったんですよね。これ、ご存知の方もいるかもしれないんですけど、
今、ネットの一部で、2025年7月5日に大災害が起こるという、ある漫画家さんの予言が都市伝説で大きな話題になっていますよね。
その子は、おそらくその物語を信じて、まるでゲームのイベントが起きるかのように、待ち望むかのようにですね、
その日を待ってしまっているんじゃないか、みたいなのが思いました。
僕はその時に、その子自身に腹が立ったというよりかは、それはしょうがないなって思う部分もあって、
それはなぜかというと、背後にあるもっと大きな問題に、すごい怖いなって思いました。
本来、都市伝説とかって、僕はエンターテイメントとしてはすごい好きで見ているんですよね。
シュミラークルの概念
もちろん、信じるか信じないかはあなた次第だという部分があるので、それを信じる人もいるとは思うんですけど、
ただ、そういった物語をいつの間にか現実と本当に違いがないように信じちゃっていて、
人の倫理観とかも麻痺させてしまうような、そういう構造になってしまっていて、
これはどうなっているんだろうというふうにすごい思いました。
今回、僕たちが物語にこれほど引き付けられて、時には支配されてしまうというのは何でなのかなというと、
この情報が溢れすぎた時代に、僕たちが本当に大切にすべき考える力というのは何かということについて話したいなというふうに思ったので話しています。
実はこの問題は結構建築でも近い話が昔から議論されていたテーマであるんですよね。
僕はフェイクの素材とか使うの嫌だとかっていうのとかを割と結構前から話しているんですけど、
例えば本物のレンガではないのにレンガ風の壁紙を張ったりとか、
特に地中海に行ったこともないのに南欧風の家を建てたりとか、
そういったものってそのものが持つ本来の意味とか歴史からは切り離された表層的な記号だけを消費している状態だというふうに建築の世界ではよく言われているんですよね。
この記号の消費というのは、ということを現代社会の構造を鋭く指摘した人がいて、
それがフランスの思想家であるジャン・ボドリアールっていう結構建築を学んだ人なら一度は耳にしたことがあるような人で、
そういった思想家のこととかもすごい好きとか知っている人だったら聞いたことある方だと思います。
彼が、ジャン・ボドリアールが言った言葉、考えの中にシュミラークルという考え方があって、
この予言なんですけど、こうなっていくんじゃないかという予言があって、それが今回の話に大きな鍵になるんじゃないかなというふうに思っています。
シュミラークルというのを、すごい簡単にコピーのコピーの例え話で説明しますね。
ちょっと分かりにくいかもしれないけど説明していきます。
第4段階までシュミラークルというのがあるという話をしていて、
第1段階は、これ例ですけど、昔は現実のレンガの壁があって、それを写した写真がありました。
写真は現実の忠実なコピーですという段階が第1段階ですね。
第2段階が、やがてその写真をより美しく見せるためにCGが作られたりします。
これは現実を少しだけ偽装したコピーですね。それが第2段階です。
第3段階が、さらに時が経つと、もはやオリジナルの現実は必要なくなって、最初からは完璧なCGだけが作られるようになります。
これが第3段階。ディズニーとかもそうですね。
アメリカの街並みを再現しているように見せるけど、実際は同じ街でというのは実際にアメリカにはないので、
ある種第3段階はディズニーの作り出した街並みもそれに入ると思います。
第4段階が、最終的にCGのイメージを真似て作られたプラスチック製のレンガ風の壁紙が
家を建てる時の現実になるということが第4段階です。
このレンガ風の壁紙は、もはや本物のレンガとは何の関係もなくて、コピーのコピー、そのまたコピーなんですよね。
ちょっとわけがわからないかもしれないですけど、それぐらいコピーを繰り返しているということですよね。
でも、僕たちはそれをレンガというふうに認識して、それで消費しているわけですよね。
これがシュミラークルが現実を支配している状態のハイパーリアルというふうに言われるものです。
ちょっとわかりにくかったかもしれないですけど、そういうものが言われているのがあって、
最初に話したこの予言の話も全く同じ構造なんじゃないかなと思っていて、
自身の科学的なメカニズムというのは複雑で、
現実から切り離された予言という強力な物語がSNSとか動画サイトで無限にコピーされて増幅されていって、
いつの間にかそれ自体が現実よりもリアルな存在感を持ち始めて影響力を与えてしまっていますよね。
情報に消費されないために
実際飛行機で今日すごい旅行している方とかも、いつかの日に東京とかにいないようにしようとやっている方もいますし、
あとは、アジア系にもこれが話が行き届いちゃっているらしくて、
そういう日本と近い国にも影響を与えて、航空会社とか旅行業、観光業とかにも影響を与えてしまっているという話を聞きましたね。
それはやばいじゃないですか。
さらにやばいのが、AIが加速していくのがよりやばいんじゃないかなと思っているんですけど、
セースAIというのはそれっぽいけど中身のないシミュレーションを無限にかつ高速に、しかも低コストで作ることができるじゃないですか。
それらしいニュース記事とか、本物と見分けのつかない画像とか、専門家風の解説文とかいろんなものをね、
それっぽいけど中身のないシミュレーションをめっちゃいっぱい出しますよね。
だからそれがこれからの時代の僕たちがAIが生成した無数のシミュレーションの構図の中に行くということになるんですよね。
そうなった時に何が問題というか何が起きるかというと、3つ、3つというかもっとあるのかもしれないですけど、
1つは何が本物で何が偽物かという価値の基準がわからなくなるということですよね。
今日話している話はね、たぶんハラリさんのネクサスの話にもちょっと通じるんですけど、そういうことがあると思います。
2つ目があまりにも多くのそれっぽい個体に囲まれと、自らの自分の意思で考えることを放棄、やめてしまうということですね。
3つ目が現実を良くすることに無関心になって、心地よいシミュレーションの世界に暗住してしまうというふうになっちゃうじゃないかなということがあります。
冒頭の小学生のように、現実の痛みとかよりも物語の終末を優先してしまうような、そんな危険な状態に、
小学生だけじゃなくていろんな人が落ちる可能性があるというか、既に落ちている人もいるんじゃないかというふうに思うんですよね。
だから情報に消費されないために、僕たちが何ができるかということを考えていったほうがいいなというふうに思っていて、
もちろん物語を全て否定して異心半競になれということを僕は言いたいわけじゃなくて、
物語というのは本来は僕たちの人生を豊かにする素晴らしいものだというのを思っているんですよ。
だから僕が提案したいというか思うのはシンプルな習慣で、
それは心を動かすあらゆる物語に出会ったときに、一歩立ち止まって自分に問いかけたほうがいいんじゃないかなというふうに思っていますね。
それは例えばこの物語の証拠は何なのか、エビデンスとは何なんだろうと考えることだったりとか、
この予言を裏付ける客観的なデータというのはあるのかなとか、
この感動的な話をしているのは一体誰でどんな立場の人なのかなとか、
この商品の素晴らしい効能というのはどんな実験で実証されているのかなとか証明されているのかなとかという疑問ですよね。
だからやっぱりそういう物語の感情的な魅力に流されるだけじゃなくて、
その背後にある事実や証拠を探して自分の頭でその繋がりとかを考えたりとか、
わからないことはね、僕は全部Aを否定するわけでもちろんないので、
Aで聞くとかということも全然いいと思うんですけど、それで確認していくということが必要だなと思っていて、
こういう知的な体力というのかな、そういうのがこれからの時代で絶対に必要になるなというふうに僕は思いましたね。
何がやばいかというと、すごい速度で加速していて、確かに僕らは、
僕が中学生ぐらいの時にノストラダムスの大予言とかあったんですよ。
言ったら僕もその当時、世界もう滅亡するんだなとか言って、確かに思っては言ったんですけど、
でも中学生だからというのもあるけど、それを100%信じてたわけじゃないし、
SNSとかも当時はなかったから、そこまで、もちろんメディアではそういう話はよくされてたけども、
テレビとかね、だから知ってはいたけど、それを本当に信じているとか、
本気にはしてなかったですよね。そういうことがあるかもとは思ってたけど、
だからそれはすごい。
今の子たちが今回の話をどういうふうに受け止めているかなって考えると、やっぱりSNSがあったりとかAIがあって、
情報がより、嘘っていうと言えないけど、過剰にね。
アテンションをみんな、注目度を上げて、インプレッション数とか上げてとか、そういうのが実際YouTubeとかと収益につながっていくので、
そのためには何でも過剰にするっていう傾向は明らかにあるので。
でもそうするとそれによって影響を受けてしまう人とか、土地伝説がなぜ流行るかということにも通じるんですけど、
さらに不安定な時代とか、そういういろんな要因が絡んで、すごくそういうものを加速させているからこそ、
それが本当にやばいよねっていうことを一度立ち止まって考えないといけないんじゃないかなっていうことをすごく強く思ったので、
そういう話をしました。
最後まで聞いてくださりありがとうございます。
これからも建築のこととか絵のこととかいろいろ考えていこうと思います。
それではまた。
12:54

コメント

スクロール