00:05
フェスティナレンテ、マスコットです。
なんか、初めてフェスティナレンテっていう風に言ったんですけども、
スロスロスロースよりちょっと恥ずかしいですね。なんでだろう。
マスコットをマスコットですみたいな、ちょっと外人風みたいな、すられてなっちゃったので、それが理由かもしれません。
今日のテーマなんですが、宮崎駿作品からの3つの学び、ということについて話をしていきたいと思います。
昨日ですね、想像の余白があるみたいな話をサンダーFMでしました。
そのことに対して野間さんからコメントをいただいて、そういう余白があるといいよね、的なことを書いていただいて、
僕はそれで、宮崎駿監督の君たちはどう生きるかがすごい好きです、余白がたくさんあってすごい好きです、みたいなことを書いてくださっていて、
僕もすごい君たちはどう生きるかってすごい好きなんですよね。
あの作品って結構賛否両論みたいなところがあって、わけわからないみたいな風に思う人も多いし、
あとは普通に単純にあれってつまらなかったよねっていう人も結構いた印象があります。
もちろんまだ見てない方もいらっしゃると思うので、内容のことについては触れないんですけども、
僕もまさに想像の余白がすごくあって、本当に僕はタイトルの通り君たちはどう生きるかっていうことを問うてるんだと思うんですよね。
それを映画として表すと、ああいう宮崎駿監督が撮るとああいう風になるんだよっていうことだとは思ったんですけども、
ぜひまだ見てない方は見ていただきたいです。
今日のテーマの三つ、宮崎駿作品からの三つの学びということで、
一つ目が今話した想像の余白があるということ、二つ目が敵のいない世界、
三つ目がいろんなことに気がつくことという、この三つのことが僕は学びであるなということを思っています。
その一つ目の想像の余白があるっていうのは、君たちはどう生きるかの映画にも通じているんですけども、
宮崎駿監督作品っていうのは結構僕は直接絶対物を言わないなというふうに思っていて、
息子さんがゲゾ戦記を撮った時に、確かドキュメンタリーで、
ジョン・レジタリックだかプロフェッショナルだかちょっと忘れちゃったんですけど、そういう系のドキュメンタリーで撮影していて、
そこで宮崎駿監督がもう途中でゲゾ戦記の途中でも出て行っちゃって、ああいうやり方ダメなんだよみたいなことを言ってたんですよね。
僕は何がダメなのかなっていうふうに考えた時に、ゲゾ戦記のシーンで、命を大切にしないやつなんて大嫌いだみたいな、
03:06
すみません、ニュアンスちょっと変わっちゃってるかもしれないですけど、っていうセリフがあったんですよね、確か。
それを聞いた時に、それってめちゃくちゃ直接的すぎて、なんか多分宮崎駿監督だったら、それを想像させる、その言葉を使わずにそのことを想像させる作品を今まで作ってたんじゃないかなというふうに思って、
そう思わない人もいると思うんですけども、そういう風に感じるようなことを作品で作っているんじゃないかなと思っていて、
だから僕は結構宮崎駿監督は昔からそういう想像の予約がある作品をたくさん作っていて、それが素晴らしいなということを思っています。
2つ目の「敵のいない世界」という話なんですが、すみません、この1つ目と2つ目の話って、実は僕スタンドFMすごい昔始めた、
2年前ぐらいにやってた時にもちょっと宮崎駿監督の話をしていて、そこでも話している内容です。
敵のいない世界というのは、僕が多分中学生とかそんぐらいの時に、確か千と千尋の神隠しがやってたんですよね。
千と千尋の前が確かもののけ姫で、その千と千尋の神隠し以降っていうのは、なんか実は敵らしい敵っていうのはいなくなったんですよね。
皆さんも見ている方がたくさんいらっしゃると思うので、と思うんですけども、千と千尋の神隠しだと湯婆婆が敵のような感じなんですけど、
最終的にこの中からお父さんお母さんをこのベタの中から見つけたら元に戻してあげるよって、別に味方になったわけじゃないけど、本当の敵じゃないし、
ゼニーバも実は全然敵じゃなくて優しいおばあちゃんだったとかっていうのもあって、敵っていうのはいないなって。
もののけ姫まではあったと思うんですよね。だけど千と千尋の神隠しからはなくなって、
その後のハウルの極城も荒れ地の魔女も最初敵っぽい敵なんですけども、結局荒れ地の魔女っていうのは魔力取られちゃっておばあちゃんになって味方みたいになってたじゃないですか。
敵らしい敵はいないと。もちろん戦争っていうものが敵だとすればそれは敵であって、ハウルの先生を敵と言えば敵なのかもしれないけど、
最終的にはこういった馬鹿げた戦争をやめましょうっていうふうにやめたので、敵らしい敵ではないと思っています。
で、その後は風立ちぬかな。風立ちぬ、ポネオか。ポネオも、すみませんポネオ抜かしてた。ポネオはもちろん敵はいないですね。
お父さんが敵なのかなとかって思ったんですけど全然敵はいない。で、風立ちぬはちょっと戦争の話が入っているので、
敵という敵らしい敵がいるわけじゃない。戦争は敵と言えば敵なんですけども、そういった一人の敵というものはいないです。
06:08
で、今回の君たちはどう生きるかっていうのも、ちょっと内容は言わないですけど、見ていただいてと。
とにかくですね、ある時期から敵がいなくなったんですよ。でもなんかこれってすごいことで、結構こう
明確に冒険者っていうのは敵が結構多い、敵がいるんですよね。じゃないとストーリー的に盛り上がらないし、
努力してジャンプとか普通のいろんな漫画、冒険者の漫画っていうのは最初弱かったりするような主人公が仲間とともに
どんどんスキルというかレベルがアップして、それで力をつけてようやく最終的にラスボスみたいな最後のボスを倒す
つまり敵がいるんですけど、そういうストーリーっていうのはすごくわかりやすいんですよ。でも
宮崎駿監督の作品ってある時期からそういう敵らしい敵がいなくなって、にもかかわらずやっぱり面白い作品を作れていて、
でもなんかそういう敵って本当はいないんだよっていうことを宮崎駿監督はずっと思ってるんじゃないかなと思っていて、
それがいいなっていうことを思ったっていうので、敵のいない世界という。
で3つ目が、すいません今日長くなって申し訳ないですけど、3つ目がいろんなことに気が付くことということなんですが、
これこの間僕美容室に行って髪を切っていて、すごい尊敬できる美容師さんに切ってもらってます。
そのクリエイターというか、すごい今でもいろんなことをチャレンジしている尊敬している美容師さんで、すごい仲がいいんですけども、
その方と話した時に、宮崎駿監督ってよくドキュメンタリー番組とか見ると、もう頭かきながらめんどくさいめんどくさいってずっと言ってるじゃないですか。
見たことある方は多分イメージできると思うんですけども、
あれってなんでめんどくさいことやるんだろうなとかって思ったりとかいろんな視点で見れるんですけど、
あれってクリエイター的な目線で見ると、要はどんなことでも気が付いちゃうということなんですよね。
でも本当に素晴らしい建築家というかクリエイターとかデザイナーとかっていうのは、気づく視点がすごく多いんですよね。
本当にどこまでも気づくし、すごい多角的な、いろんな角度から見ることができて、いろんなことに気づくからクオリティーが高いものを作れて、
だから宮崎駿監督っていうのはどうしても気づいちゃって、そのままにすることは許せないので、
そこを徹底的に直していくということで、すごい高いクオリティーを作っているんだなということを美容師さんが話をされていて、僕も確かになと思いました。
やっぱり優れたクリエイターさんを本当にいろんなところから見ていて、見る力があって気づけちゃう。
09:06
だから故に面倒くさいってことになるっていう、そういった気づきがありました。
今日は三つの、宮崎駿作品からの三つの学びということで、一つ目が想像の余白がある、二つ目が敵のいない世界、三つ目がいろんなことに気がつくことという三つのことを話しました。
今日もすごい長くなってしまったんですが、最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それでは皆さん、スロースロースロース。