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マスコットチャンネルを始めていきます。今日のテーマは、ゆとり世代でよかったこと、ということについて話をしていきたいと思います。
このチャンネルでは、NFTマーケティング、デザインのことなどについて話をしています。 今日のテーマ、ゆとり世代でよかったこと、ということについて話をしていきたいと思います。
僕はですね、ゆとり第一世代と言われる世代ですね。ネットでエクペディアとかで調べるってもうちょうど入った、ゆとり世代という一番最初の年ですね。
一個上の学年の人と、教科書が変わったりだとか、そういうことが確かあった気がします。
ゆとりだからな、みたいなこと、結構前からかな。10年前までかな。
結構多分、僕が社会人になる頃ぐらいに、そういう話がわりと世間でされたりとか。
その後、さとり世代が来てとか、Z世代だとか、何とかだとかっていう、まあそれ事自体もまずくだらない隠れだなっていう風に僕は思ってるんですけども。
隠れにしたいっていうか、人間の本質というか、僕自身もわかるんですけど、理解したいって思うとグルーピングというか、
属性に、その人は何々に所属してるからとか、どこの大学出たからとかっていう風にやると、すごい理解しやすいので、
なので、そうすることで自分を安心させるというために、必要なグルーピングの一つで、そういう世代でくくるみたいなこともあるんだと思います。
ただ僕的には、そもそもゆとり世代でも、すごい人もいればすごくない人もいるというか、いろんな人いるから、そもそもそのくくり自体があんまり意味ないと思っているんですけども、
あえてというか、一応そのゆとり世代、第一世代というか、一番最初の世代の人間として僕が思ったことっていうのを、ちょっと今日話したいなというふうに思いました。
僕が小学校行ってた小学校というのは、国立の小学校で結構変わった小学校というか、割と自由にそもそも学ばせてもらえるような環境があって、
だからそもそもゆとり世代とか言いながらも、僕が通ってた小学校は多分、それこそ僕が第一世代とかじゃなくて、もっと前からそういった自由な工夫というか、割とそういったものだったと思います。
僕はいろんなことを小学校で学んだんですけども、特に今でも覚えていることは、小学校4年生ぐらいの時に友達が電子手帳なんかを買って、
それを学校に持ってきて、電子辞書を持ってきていて、それでいろいろ調べたりとかして、それを見て、そういった新しい機械みたいなのを持ってきたら、
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みんな周りの人たちが面白がって、「何それ?」みたいな感じになるじゃないですか。
友達がそれを持っていて、何のきっかけか忘れたんですけど、その友達が目高っていうのを、目高って目高ですね、さくなの。
漢字とか調べたら、なんか目、アイとかの目玉の目ですね。高い、低いの高ですね。
目に高いって書いて、っていう感じで目高って読むんだって書いてあって、
なんで目が高いって書いて目高って読むんだろう、みたいなことを授業とかで言ったのかな、そういう話を先生にしたら、
そっから目高の話題が、目高のことを先生が授業で取り上げてくれたんですよね。
で、その時に新聞で誰かが、目高はもう長野県、僕長野県に住んでるんですけど、長野県では絶滅していますっていう新聞の記事を見つけてきて、
で、それをみんなの前で発表してた時に、僕は野生の目高を見たことがあって、
あれ、あそこに目高いたけどね、みたいなことを授業で言ったんですよね、確か。
そしたら、じゃあそれ本当に目高はもう絶滅しているのかどうかっていうのを確かめにいこうって言って、
先生がバスを貸し切って、1日中目高探していってとかっていうことをやっているような学校だったんですよね。
で、それこそ一般的な授業とかって、その当時のことを鮮明に覚えてるわけじゃないんでわかんないんですけど、
一般的な授業ももちろんしてたと思うんですけども、それだけじゃなくて、子どもたちが興味を持ったことに対して
追及させてくれる、手助けをしてくれるみたいなことを先生がしてくださっていて、それこそ目高が実際にいて、
で、捕まえてきて、でも目高に似た魚が実はいるらしくて、もしかしてその魚なのかもしれないとか言って、
じゃあ本当にそうかどうか実際に確かめてみようとか言って、顕微鏡で魚を見てみたりだとか、
目高を見てみたりだとかって、いろいろ観察とかしたりとかして、だから目高の研究みたいなのを4・5・6って3年間やってたんですよね。
っていうすごい特殊な学校に通っていて、それはたぶんゆとり世代とか関係ないんですけど、
ただそういうことをやらせてもらっていた学校だったゆえに、今自分自身が割とクリエイティブな仕事をしているっていうのと結構通じる部分があって、
それこそ疑問に思うことみたいな感覚がすごい僕は大事だと思うので、
常にそれこそトトロのめいちゃんの目みたいな感じで、発見とか新鮮な目で物事を捉えることによって、
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新しい気づきだとか、自分が今まで感じてこなかったことを感じられたらいいなってことを常に思っているので、
そういうのって実は小学校の時にそういう風に学んだことによって、実は養われたりしたんじゃないかなっていうことを、
今日たまたまそういう話を家族でしてた時にして思い出しましたね。
それこそ小学生の時だから全然気づかなかったですけど、先生はすごい大変だったと思うんですよね。
うちの奥さんが先生だったりしたので、そういう関係もあって、
それこそよく覚えているのが、目の中を観察するために、当時MD。
MDって若い人知らないかもしれないですけど、MDっていうのが音楽を聴くCDの次に、
カセット、CD、MDなのかな、多分。っていう順番でMDになったんですけど、そのMDを、
MDの後に多分iPodとかそういう風になっていったのかな、多分だと思うんですけど、
そのMDで音楽を聴いていて、そのMDのケースを目高を観察するために、
そのそこをMDのケースを改造して、多分普通のMDのケースだと、そこに目高を入れると多分水が漏れちゃいしまうので、
それを水漏れないように、接着剤とかで何とかしたのかな、多分何かして、
それで観察できるようにとかっていうのを作ったって先生が言っていたっていうのを、なぜか鮮明に覚えていて。
だからそれもすごい自由に子どもたちが、自分たちが思う疑問とかに対して、純粋にそれを阻害しないで、
それを教科書に書いてあるからいいんだよとかじゃなくて、実際に自分たちの目で見て確かめてみたいなことをさせてくれるために、
すごい努力というかすごい大変な思いをして、先生が準備してくれてたんだろうなというふうに思うんですよね。
それを聞いた時にありがとうございますみたいなことも、そこまで小さい子供だから思っていなかったですし。
でもそうやって工夫して、子どもたちがどういうふうにしたら興味を持つというより、興味は多分子どもたちって持っているものがあるから、
それに対してただ単にそういうものなんだっていうんじゃなくてっていうところがやっぱりすごいなというふうに思って、
これはだから今日のテーマはゆとりだからとかどうこうじゃ実際にないですけど、
そういうふうにある種自由な教育、教科書に載っているものを教えてもらうというだけじゃなくて、
実際に体験するということとか、そこから何か築きがあるかどうかということを考えさせるっていうのはすごい良かったなというふうに思っています。
なのでゆとり、最初にゆとり世代とかくだらないみたいなことを言ってましたけど、
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実際、だけど一つの括りで括るとしたらそういった世代なので、
そう考えていくと、ある種自分たちがとか、自分だけじゃなくて友達とかが疑問に思ったこととかを追求させてもらえるとかっていう感覚とかっていう興味に対して、
割と後押ししてくれるような教育っていうのがゆとり世代では、みんながみんな育ったとは思わないですけど、
そういったことを思ってました。それが実際今の自分に繋がっているなというふうにも思います。
今日はちょっと雑談みたいな感じなんですけれども、思ったことを話しました。
実際はゆとり世代だからとかって関係ないと思います。
ゆとり世代でもすごい人はすごいし、悟り世代でもすごい人はすごいし、みたいなことだと思うので、それは関係ないなぁとは思いますけれども、
なんか一つの、ゆるくというか捉えるとそういう側面があるのかもしれないなぁとかっていうことを思いました。
今日はですね、ゆとり世代で良かったことということについて話をしていきました。
あなたにとって今日僕が話したことが役に立ったりだとか役に立たなくても、そういう考え方もあるんだというふうに思っていただけたらとても嬉しいです。
今日も聞いてくださりありがとうございます。失礼します。