この事件のテーマを見ていきたいなと思うんですけどね。相馬友谷さんですね。相馬友谷さんというのは相馬家という中村藩という藩があったんですって。
現在の福島県の相馬地方ですってわかる?
福島県に相馬地方があるんですね。
福島県の宮城県に近い北の方になるのかな。
その辺に中村藩というのがあった大名家なんですけど、六万石っていうので中東道の大名家で、名門大名家だったらしいですよ。
その相馬家の第30代藩主っていうのが相馬友谷さんでした。
この方は1952年に生まれて、1966年14歳の時に家族を相続します。
この時にはまだ幕末なんですけどね。
そっからすぐに明治維新になっちゃいます。
藩主っていうのは明治維新になったら、その後藩主ではなくて県知事になるんですけど、県知事になった後、家族になってですね、東京とかに住むようになるわけですよ。
この相馬家っていうのはこの私尺っていう、家族の中でも公尺とか私尺とか男尺とかってあるんですけど、相馬家の人は私尺になります。
ただこの大名から家族になった人っていうのは、とっても大きな財産を持ってたりするんですよね。
そうですよね。お供様ですか。
お供様ですからね。広大な土地とか山林とか金融資産を有して、それを管理するような必要があるというような家なわけですよ。
それが14歳の相馬友谷さんの方にのしかかるわけなんですけどね。
明治維新から9年経った1976年、24歳の頃ですね、精神的な変調が出現しだします。
些細なことで怒ったりとか、周囲の方に怒りを迎えたりとか、荒っぽい行動とかっていうのが出てきたりとか。
翌年にはですね、威豪の勝敗をめぐって月耕して、家臣というか、自分の家を勤めている人をですね、槍で突こうとして止められたりとかして。
相馬家には当然親兄弟がおるわけじゃないですか。
で、この番頭さんみたいな人もおるわけですよ、当然ですけどね。
その人らがですね、この座敷の中に牢屋を作ってですね、いわゆる座敷牢を作って、友谷さんをそこに閉じ込めます。
一応この当時の相馬家の家礼って言うて、家の命令の礼って書くんですけれども、家礼って言われてて、その家の番頭さんですよね。
で、商売してるわけじゃないけど、いろんな不動産とか資産とかあるので、で、従業員もたくさんいてるから、そういった人を取り仕切る人っていうのも当然。
過労みたいな感じなの?
そうそう、過労みたいな感じ。過労さんって言うたら、その人自身は高級物資だから、そういう人らも家族とかになったりもするんですけど。
もうちょっと身分っていう言い方もあるけれども、相馬家に使える人、家の方で私的に使えるような人ですかね。
その人がいろんなお父さんお母さん方とか、おじさんおばさん方とかかってですね、この友谷さんを閉じ込めないといけないよねということで、閉じ込めるわけですよ。
槍振り回したらね、危ないもんね。
やはりね、本人とか家族、周囲の方も含めて、やっぱりこれはあかんということになって。
で、その後、初期にできたのは、東京にある私立の精神科病院に入院させたりとか、東京はですね、いち早く精神科病院できるんですよ。
東京府転教院っていう病院ができるんですけど、その病院が後々の菅野病院っていう病院に変わるんですけれど、合律の精神科病院にも入院させることになります。
相馬家はですね、東京府転教院、後の菅野病院のですね、病院内に友谷専用の離れ病室を地で作ったりもしています。
すごい時代ですね。
まあまあまあ、そういう感じですよ。
まあ、師匠さんですからね。
その友谷専用の離れ病室のことを相馬室とかって言ってたっていうのが記録に残っていますが、
その当時はですね、やっぱりできるだけの医療を当然受けさせようとはしてたということでいいかと思うんですけれど、
で、まあそれはそれでね、病気が起こって残念なことではあるけれども治療してたということだと思うんですけど、
そこでこの相馬事件が起こるのに重要な人物がいるんですけれども、
それがですね、西コリタキキオっていうですね、方。
その事件を起こす当時は26歳。
殿様のですね、精神疾患になられた方の友谷さんよりも3歳年下っていうぐらいの方ですね。
相馬藩の下級武士と言われてて、
で、維新が起こった時には13歳ぐらいだったと言われてますね。
で、下級武士の方っていうのは、維新の後っていうのはあんまり当然財産、まあそもそもないし、
武士の身分がなくなった後っていうのは全く恩恵がなくなるわけです。
自分の身一つでいかなあかんことになるのよね。
結構貧しい生活をお母さんと送ってて、
で、商人の娘と結婚して江戸に出るんだけれどもあんまりうまくいかずに、
また故郷の相馬のところに帰ってきたりとか、あるいはまたもう一回江戸に出たりとかっていうような、
ちょっといまいち感じの人生を送っていた西コリタキキオがですね、
訴えるんですよ。
何を訴えるかっていうと、このうちの元殿様ですね。
正常のはずなのに、財産を狙う華麗の志賀直道によって精神病として監禁されて、
医者も買収されているというふうに裁判所に訴え出ます。
要知らんの違うんですか?
知らんはずです。要知りません。
ですよね。
そういうこともないはずだし、お目見え以下の当然はずだから、
普通はないとは思うんですけど、
なぜこの西コリタキキオはそんなことを思ったかっていうのは、ちょっといまも謎。
謎なんですね。
もしかしたら、本当にちょっとそんなふうに本人が思い込んでたっていう可能性もあるし、
あるいは自分の名を挙げようとした売名行為だったんじゃないかっていう意見もあるし、
あるいは詐欺行為を働こうとしたのかみたいな思いもあったりもするんですけど、
よく分かんないんですよ。
で、ちょっと裁判沙汰とかになっちゃうわけですよ。
告発されたらね、裁判所は当然その当時もあったからさ、
友谷さんっていうのは2回の精神鑑定を受けることになります。
ただこの2回ともですね、32歳になってた。
いずれもですね、今で言うところの統合指標症ですよというふうにその当時の先生方に診断されて、
まあ適切ですよねっていうか精神疾患ですよねっていうことで判断はされていると。
それが1884年、友谷32歳の頃はそのようにされるんですけれど、
3年後なんですけれども、1887年の1月、友谷が35歳の時にこの西こりがですね、
東京府転教員から友谷を連れ出すんですよ。
脱院させる。
なぜ?
つまりこの病気というふうに偽って閉じ込められている殿様を私は救い出すということで実行しちゃうわけなんですね。
で、その西こりはですね、この友谷さんを支持者の家にかくまったりとかして、
その相負けにも一応返したりはするようなんですよね。
割と大事件じゃないですか。
そうですよ。
病人から連れ出してみたいなことでね。
そんな勝手なことをね。
されたら困るんですけれど、これね、世間はどう考えたかっていうことなんやけど、
割とね、この事件って当時は新聞とかが割とメインのマスコミなわけじゃないですか。
相馬のなんとかさんっていうのが精神科病院に入所してるのは間違ってるよみたいな訴えが起こってるみたいなことを当然伝えるんですけれども、
その伝え方というか世間の声っていうのは、この西こりが言ってることが正しいみたいな感じになるんですって。
え?
なぜかそんな風になっていて。
なんでかってよくわかんないんですけど、その当時精神疾患っていうのはあんまりよくわかってなかったし、
忠義の家臣が殿様を救うみたいな物語、忠臣倶楽的な感じ、忠義をみたいなことっていうのは割と一般受けしてたっていうことだったり、
あとこの家族っていうか、この旧大名家っていうのを一般的な庶民っていうのはやっぱり嫌ってたりするわけですよ。反感っていうかね。
ネタ味がありますもんね。
そういった思いも背景にあったんちゃうかと言われてたりとか、あと精神医学っていうのがよくわからんということもあったので、精神病と言われてるけども、そんなものは本当にあるのかと。
今も若干そんな話を聞かないこともないけれども、その当時は思ったようなと思うんですよ。
病気と言われてもどうでしょうかみたいな思いを持つ方っていうのが多かったんですよね。
だから、より現実的な理解というか、閉じ込めて他人を奪おうとしてるみたいなことの方がわかりやすいので、そっちの方をみんな信じちゃったんかなって言われてますね。
結構ですね、その奪還した後、一旦本人自身は相馬県には戻すんですけれども、非常に世論が活発になるんですよ。相馬下で起こってる事件っていうのは、どうもいろんな潔さがあって、悪い人が精神病という風に語って閉じ込めてると。
元殿様を閉じ込めてるんちゃうかみたいな感じに、世間はそんな感じのムードになってくると。
そういうのもちょっと絡んだりしてね。
ややこしいですね。
もう一回また鑑定したりして。いずれも病気やと言われるんですけれども、鑑定した医者っていうのも実は買収されてたんちゃうかみたいなね。
つまり、そんな言い方をしてくる。
すごいね、お話作りますね。
そうなんです。今から思うとね。
ただ、そういうことになる中ですね。
友谷は1982年、明治25年に糖尿病で死亡します。
その時40歳。
あら、40歳。
今で言うところ、たぶん。
連れ出されてから5年後ですね。
糖合子症症も悪かったし、プラス糖尿病も悪くなって亡くなっちゃったと。
この当時ね、当然糖尿病っていう病気も、糖尿病自体はわかってたけれども、どんな風に治療したかっていうのはわからないので、これで亡くなることっていうのもあったようですね。
病院から脱獄した後、どんな精神症状をやったかっていうと、やっぱりですね、精神症状が良くなかったようですね。
例えば、何事もなく過ごしているかと思えば、突然挙動が活発になって、声高く多言となり、
夜間には天井から自分を責める男女の声が聞こえるというような訴えもあったりとかして、
急に足踏みをして眼球が鋭くなって看護人とかに膀胱を加えることもあったみたいなね。
そんな記載もあったりするので、精神症状もやっぱり良くなくてっていうのが続いてたようですね。
治療できてないからね。
治療できてないし、この当時はやっぱり薬もないしね。
ある程度、相馬県にいる時には雑誌披露とかにおったので、そんなに激しい悪い環境にはなかったかもわからないけど、
それでもね、やっぱり今と比べると全然ということだと思うので。
残念なことに40歳で亡くなるんですけども、実は亡くなった後が大変だったんですよ。
亡くなった後ですね、西小里はですね、相馬県の彼の志賀直道とか相馬県の関係者とか、
友谷の主治医だった仲井上次郎という先生がいてるんですけど、
この先生方がグルになって友谷を毒殺したと告発するんですよ。
すごい物語作りますね、この人。
そう、まさに火のないところに煙を立てた人なんですけれど。
で、これをしたもので、相馬事件っていうのはその後大ブームになるんですよ。
本人は亡くなったんですけれど。
で、事件管理系の書類っていうのが40冊以上出版されたとかね、言われてたりとか。
西小里自身もこれを出版します。
神も仏もなき闇の世の中みたいなね、本を出したりして。
ええ、もうそのまま返したいですよね。
まあ今から思うとね、まあそうなんだが、これの結末どうなるかというと、
友谷のですね、墓を発掘するんですよ。
もしかしたら毒殺されたかもしれないということで、
ご遺体とか保管された検体を、もう一回検察が調査します。
そうしたら、やっぱり毒物は検出されませんでした。
で、もう一回いろんなことを調べると、やっぱり言ってることっていうのは、
華麗の志賀直道とか、主治医の仲井常次郎とか、
相撲の方々が言ってる話が正しいよねっていうことで、
もう一回、まあ、お神はそんなふうに判断するわけですよ。
それで、結局1994年に西小里自身はですね、虚偽侵獄の罪で、
獣金庫4年と罰金40円の判決を受けることになります。
はい。
罰金40円ってどれぐらいの価値なんですかね。
罰金40円はそんなもんなんやろ。まあでも、そこそこだと思いますよ。
そこそこですよね。明治時代ですからね。
何百万までいかんのかもわからないけれど、だし、金庫4年なのでね。
結局西小里自身が牢屋に繋がれて、それ自体は一件落着することにはなるんですけれど、
で、この事件が起こった後ですね、この精神病を持っている方を、
誰が診断して誰が見守るのかっていう問題がですね、全国的に大きな議論になるんですよ。
まあ今までは、今までの慣習でですね、家族がやってたみたいなことで、
家族だけがその責任を負ってたんやけれども、
まあ家族だけで本当にいいのか、もっと社会がしっかりとその責任というかを
負った方がいいんじゃないか、みたいな議論になるわけですね。
それで1900年、明治33年に精神病者看護法っていう法律ができます。
看護の看護っていうのは、看護師さんの看護じゃなくて、
監督っていう字の監に守るっていう方の法でね、看護法って言うんですけれど。
これは精神病のある方をどうやって自由を阻害するというか、保護するというか、
牢屋に入れるか牢屋というか、拘束するかっていうための法律が制定されることになります。
この法律の骨子っていうのは、家族が基本責任を負うんですけれども、
自分の自宅に監視すると、雑誌記録を使うっていうことは認めるわけですよ、法律でね。
プラス警察がそれを監督するんですよっていうことを決めるわけですよ。
つまり家族とか親族が警察にそれを提出して、警察がそれを認めて、
自宅に牢屋に入れるということを認めますという制度を作るわけですね。
一応この警察関与っていうのが制度化されるという進歩にはなるんだが、
でもやっぱりこれって確立的になったりとかね。
医療にはつながりにくくなるよねっていうことで、
勉強してきた精神医学者であるところのクレイ・シューゾーとかは、これを大きく批判することになるんですけれども。
そりゃそうですよね。
ただ、このソーマ事件が起こった当時っていうのは、そういった制度も法律でなかったのでね。
こんなややこしいことが起こっちゃったので、きっちり国の責任も含めて、この制度を作れば、
家族だけが勝手に隔離したということにはならないので、
一応政府のお墨付きも与えることで、
みなさん、これっていうのは正しいことをしてるんですよっていうことを、
みなさんに知らせるということにつながるかなっていうふうに、世間は考えたんですね。
なるほどね。
もうちょっというと、こういう問題って、
日本政府はその当時、不平等条約をどないかしたかったわけですよ。
で、いろんな裁判制度とか法律とか、あるいは日本国憲法とかを制御しようっていうのは、
そういった意味があったんだと思うんですよ。
つまり、欧米から見たときに、日本という国はしっかりしてるよねって思ってほしかった。
その一つに、この精神障害者の処遇っていうのもあったようですよ。
これも何も法律がないようではダメで、
現代的な、近代的な法律を作らないといけないなっていうプレッシャーが国にもあったので、
できたとも言われています。
なるほどね。
ただ、それがちょっと確立的だったりとか、人権にはあんまり配慮してないよねっていうことを、
その当時のお医者さんは考えてて、これをどないかしたいなっていうこともあったっていうことですね。
これが相馬事件の大体の話ですね。
なんか嘘みたいな話ですよね。
本当に何もないところに煙が立って、そこから火が出てみたいな。
本当にそうですね。
ねえ、友谷さん、お気の毒ですよね。
本当にそうですよ。
静かに病院で降りたかったら違う別室建ててもらって、
そうですよね。
健やかに過ごしたかったように。
ちょっとね、こういう世間の種目を浴びてしまってですね、
本来ならば受けなくてもいいようなことを受けちゃったっていうことが多々あっただろうしね。
友谷さんの親族も大変な思いをしたようなんですよ。
そりゃそうですよね。
どうしたら潔白を証明できるんだろうっていうのに、
意志をかけてる感じですもんね。
全く病気になったこと自体もつらかったはずやのに、
プラス余計なことに巻き込まれてっていうようなことがあって。
本当、本当。
そこは本当につらかったことだったし、
プラスやっぱり一般の世間の方の反応ですよね。
この精神疾患を病気としては認めないというような思いっていうのが、
やっぱりここに滲んでたかなという気がするんですよね。
そうですよね。
でも今もそうやけどやっぱりこのマスコミの持っていき方によって、
やっぱりだいぶ右へ右へとか左へ左へとか寄せられますよね、世間の人はね。
情報がそこしかないからね。
そうですよね。
そういう問題ってずっとこれ以降ありますよね。
あるある。もうだいたいこれだと思う。いろんな問題は。
そこがね。
全ての情報が開示されたらね、みんなそれぞれ判断できるんだけど、
偏ってるのしか出てこないからね。
でも本当に当事者の方が一番大きな毒だよなとは思います。
本当にそうですよね、これね。
カレーさん、お世話してた方、もう本当に大きな毒やと思う。
この人はね、仕事をしてただけやのにね。
本当のお父さんに忠実に。
そうよ、ちゃんと使えてただけやのに、毒殺したまで言われてひどいわ。
そうですよね。
持っていきようがないしね。
ただその中でやっぱり正しいですね、裁判結果は苦だったのでね。
それはまあ良かったというか、一応正義は叶われたということでいいかと思うんだが。
はい。
でもまあやっぱりね、精神疾患自体の不幸もあったし、
社会自体の受け入れの問題っていうのはやっぱりこういうところでね、目立ったかなという気がしますよね。
家族の声とかも今回は全然出てないし、多分世間にもそんな出てないんだろうけど、
言いたいことはいっぱいあるやろうなと思いますね。
そうでね、何かありもしないような噂とかどうこうとかっていうのが流されたりとかってしたこともあったようなので。
そりゃそうやと思います。そんなん好きやもん世間の人は。
ちょっと辛かったんちゃうかなという気がしますよね。
10年間ぐらいでしょ、友谷さんが連れ出されてから亡くなるまで。
それから亡くなった後も揉めてるわけじゃないですか、毒殺したとか言われて。
家族にしたらすごい長い時間ですよね。
いやー本当にそうですよね。
いやー大変。
生魔事件って割と有名だったので、もっとメディアミックスというかですね浮世絵みたいなのが作られたりとか、映画作られたりとかね。
明治天皇がですね、割とこのことも気にしてたみたいな記録が残っていますね。
だってお殿さんですから繋がってますよね。
知らんことなかったんちゃうかなという気がして。
それはないと思う。
だいたい友谷さんと同じぐらいの年代なんですよ、明治天皇って。
そうなんですか。
同じじゃないけれども、殿様と天皇ということでちょっと思いがあったやろうからね。
そういうことも気にされてたみたいな記録が残っていますね。
明治の中期ににぎわした生魔事件の話をしてみました。
その事件の結果、精神病者看護法という座敷牢を政府が公認して、どんなふうに運営するというのを決めたという制度ができたということでしたね。
今後の一歩になるんですね。
これも一歩ですよね。一歩には違いないところですよね。
一歩は一歩やけれども、ちょっと社会の安全を重視しすぎた一歩かなという気もするんですけど。
精神病のある方を家に閉じ込めることを認めるという法律ということになっちゃうのでね。
治療しようというのとはちょっとまた違うので、若干そこからまたいろんな問題が出てくるよということになりますね。
いやぁ、相馬事件は知らなかったです。
知らなかったですか。あんまり知らんかな確かに。
歴史では習わんわ。
歴史では習わんかな確かに。
歴史では出てこんかった。
詳しい話、実は僕も今回勉強したのがこれでそうかということなんですけれど。
そうやね。現代精神改良にはほんまにちょろっとで。
名前だけは出てくるんです。相馬事件というのは聞いたことはあったなということですよ。
中身がこうだったのかというのはわかんないけどね。
もやっとするよね。
そうそう。この西こりさんというのは何者かというのがちょっと気になるところじゃないですか。
気になる。そっちが気になる。
何をこの人はしようかなというのがよくわかんないんですよ。今となってはね。
ここで終わっちゃうんですよね。きっと治療がね。
ただね、西こりさん亡くなったのは65歳まで生きてたということだったりとか。
意外と長生きされてたりとか。
今ですね。出てきてるんですよね。
出てくるんですよ。当然。西こりさん自身はその記録に残っていることで言うと、
わりと演説が上手だったりとか、背が高くて立派だったりハンサムだったりしたみたいな記録が残っている。
だからみんな信じちゃったんやろうね。
まあそうやろうな。押し出しは立派やったんやろうね。
終わったこともないのにね。何でお殿様にそんなことしちゃったんやろうね。
まあこの人はこの人の正義がきっとあったんやろうなとは思うんやけど。
いやーもうわかんないよね。今となっては本当に怖い話やね。
怖いですこれ。ほんまに作られたストーリーに世間がそっちが正しいって動いちゃうんやから。
確かに。
でも今やったら世間はそれほど精神疾患についても無知ではないからさ。
ここまで先生方が言うんやったらとか、あるいはこんな状況やったらこういう病気なんやろうぐらいのことはわかると思うんやけどね。
今はね。いやでもわかれへんよ。全部が全部開示されてるわけじゃないやろうから。
ああそうか。
開示されてないことって世の中たくさんあるはずやから、わからんわからん絶対誘導されてると私は思ってる。
なるかもね。今まで言うと陰謀論ね。
そうそうそうそう。
この友谷さん陰謀論やったんかもしれないね。
そんなかなって。
そうそうそう。友谷さんじゃなくて西小里さんの方。
西小里さんだね。
西小里の方はそういう陰謀を信じたわけですよね。
そう。
独立してる。
独立してるとかね。この人も大丈夫って感じですけどね。
まあ確かに。
ちょっと妄想、大丈夫ですかって思ったりする。
思い込みが強かったみたいな気がしますよね。
しますよね。夢と現実の差ちゃんとついてますかっていうところが気になるけど。
いやでもいろんな人生ありますね。
まあまあそれが相間次元でした。
じゃあまあ以上で終わりましょうかね。