2025-01-14 24:25

#049 刑罰ってなんで自由刑なんやろうね~その起源をたどる~

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【トークテーマ】

・あなたのシーズン3といえば?

・自由刑の話をする前に刑罰の話をしましょう

・私的な罰から公的なものへ

・罪刑法定主義からが近代化?

・刑務所の移転とともにお稲荷さんも府中へ!

・お便り紹介


【キーワード】

自由刑、刑罰の歴史、公開死刑、懲治場、決闘、贖罪金、追放、身体刑、チェザーレ・ベッカリーア、犯罪と刑罰、松平定信、長谷川平蔵、石川島人足寄場、巣鴨刑務所、府中刑務所、熊本藩、稲荷神社【犯罪学の観点から語るエンタメ】

池波正太郎 著『鬼平犯科帳』


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サマリー

このエピソードでは、自由刑の起源や歴史が探求され、刑罰の概念の変遷が語られます。特に、刑罰が公的な司法として確立される過程や、自由刑の位置づけが形成される様子に焦点が当てられています。エピソードでは、自由刑の近代化の進展や、ベッカリーアの影響についても説明されます。また、日本における自由刑の歴史や、石川島人足寄せ場が近代刑務所の起源とされることが詳述されています。このエピソードでは、日本における自由刑の起源や、犯罪学の観点からのエンタメ作品が掘り下げられています。特に、鬼兵繁華町シリーズや死亡制度についての議論が展開され、社会復帰と刑罰の関連性が考察されます。

自由刑の導入
ところで山口さん、
罪の話シーズン3始まりますけども、
シーズン3といえば、思いつくものってなんですか?
シーズン3ですよね。
シーズン3。
Stop the season in the sun.
ちゃう言ったらチューブやん、それ。
上手いこと言いますね。
その3は、太陽の3ですよね。
そうやな。
今回言ってるのは、3の3ですよね。
そうよ。
罪の話っぽいやつある?
罪の話っぽくないんですし、
シーズンでもないんですけど、
第3形態で言えば、シン・ゴジラ。
そう。
第3形態で行くとな。
なるほど。
第3形態って、普通フリーザかなと思うけど、
そういうことじゃなくて、
僕が今日話したのは自由刑ですよ、自由刑。
無理くり言いますけど、
旧刑法の重懲役と重禁行が、
現行刑法の懲役禁行になって、
2025年からってなると、
後勤刑になるから、
第3形態だなと。
無理くりですけどね。
というわけで、シーズン3は、
自由刑の話から始めていきましょう。
刑罰の歴史的変遷
はい。
丸ちゃん教授の罪な話。
市民のための犯罪学。
刑事政策犯罪学を専門とする立証大学教授で、
一般社団法人刑事司法未来の丸山康博です。
同じく刑事司法未来の山口由希です。
このトーク番組は、
一般社団法人刑事司法未来が送る、
これまでとは異なった視点から、
罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない、
犯罪学刑事政策の話について、
分かりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、
なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は自由刑の話っていうことなんですけど、
はい。
自由刑っていうのは、
いつ頃からあるものなんでしょうか。
いい質問しますね。
多分ですけど、
自由刑の話をする前に、
そもそも刑罰ってなんなんっていうところから、
はい。
考えていった方がいいんじゃないかなって思うんですね。
多分多くの人は、
刑罰ってもう刑務所に入ることっていうのが、
圧倒的に大多数が思うんでしょうけど、
刑罰っていろいろあるわけじゃないですか。
はい。
なので今日はちょっと歴史的な話をメインに、
やっていくので、
まず刑罰の歴史考えていきたいんですけど、
はい。
いつ頃始まってると思います?
刑罰って言われたら。
刑罰っていうと、
結構江戸時代とか、
それこそなんかあの、
この間のエンタメ会でも、
丸山先生シチュー引き回しのお話されてましたけど、
ああいう時代、
江戸時代とかくらいからはあるイメージです。
もっと前はどうしてたと思う?
例えば、
縄文時代とか?
そうそうそう。
槍で。
種類の話じゃなくて、
それは刑罰だと思わない?
刑罰だとして、
なんかこう、悪いことした人には、
槍で突いたりとかもあったのかなって。
そうするとだよ。
別に江戸時代かじゃなくて、
もっとあることになるやん。
でも刑罰としては、
江戸ぐらいかな?
そこ境目は何やと思う?ちなみに。
近代化。
いいですね、いいですね。
まあでもそういうことに繋がってくるんだけど、
刑罰の歴史って、
いろんな説があるのよ。
どっからスタート。
それとか定義をどこに置くかっていうので、
変わってくるのよ。
なんかさ、
守るべきルールを守らへんかった人に、
何か制裁的なものっていうのは、
それは歴史としてはさ、
人がいる歴史上ずっとあるわけじゃない?
例えば人類の誕生からもずっとある説っていうのもあるし、
それがずっと、
そうやって仕返しとか復讐みたいなのあったわけよね。
ただそれは、
言われてるのは、
私的な私的ね。
私的な刑事司法の範疇であって、
それが公的になってるものから、
やっぱり刑罰って言うんじゃないの?っていう説と、
人は人で復讐的にやってたんだから、
それを刑罰って言うんじゃないの?っていう説もあって、
だからどっから始まってるかって結構いろいろな。
だから今も、
山口さん言ったみたいに、
これは江戸時代からなんじゃないの?
それが公的に、
幕府がちゃんと取り仕切ってって思ったら、
そうなってくるんだろうし、定義がね。
そうじゃなくて、
刑罰の実態と変化
人が人を仕返しするんだ的になっていけば、
それはもう縄文なり、
もっと何ならもっと前から、
人が村を作ったりとかする時からあるんじゃないの?
ってなってくるよね。
で、それが、
例えば主的なものから始まっていくんだけど、
これも刑罰でもかどうかちょっと人によって分かれるが、
ただ、集団内で起きる身内的なものの制裁的なもの、
集団の外に対する視線的なもの、
戦いみたいなものって分かれていくんですよ。
で、集団外のものでいけば、
部族間同士の争いとかになってて、
で、ただその時に、
徐々にですけど、
部族間で争うだけじゃなくて、
調停しようぜ、
話し合って解決しようぜ、
お金払って解決しようぜとか、
このブツブツ交換して話し合いで終えようぜとか、
こんな風にどんどん発展していくのね。
で、これは部族間同士で商売始めることも出てくるし、
何なら同じ国単位、領土の中で部族単位があって、
揉めてる場合じゃないねっていうところで、
調停するっていうのも出てくるんです。
で、そうなってくると和解が大事になってきていまして、
で、この和解に拒否した場合に、
何かその起きたことに対するタリオって言うんだけど、
何かやったことに対する責任を負う範囲内で、
復習できる動向みたいなところが、
同外報復の範囲内でやっていいよっていうのがどんどん発展してきて、
で、ただそうは言っても、
その後歴史が発展してくると、
強制的に仲裁しないといけない時が出てくるわけなんですよ。
バーンって。
で、それがだんだん裁判的な形式になってきてて、
で、そこでじゃあこういうふうに解決したんだから、
次はこういうふうに同じようなことが起きたら、
これで解決しようねって先例が法廷にだんだんなってきたりとか、
で、この辺からやっと公的な司法、
さっきのなんか私的な司法解決じゃなくて、
公的な司法の段階に入ってきて、
やっと裁判官みたいな人ができて、
で、有罪の人に刑罰を課すようになっていくのね。
で、この時期ってまだ犯罪の本質っていうのは、
その君主とかその国を治めてる人に対する反逆って捉えられてたんで、
だからそこでいう被害者っていうのは、
実践事件の被害者っていうよりは、
そこの君主に対する反逆が犯罪と考えてたんで、
決められてるルールを守らない、
それは君主に対する反逆だったが、
被害者は君主だったわけ。
で、そこに対する報復として、
君主が復讐するっていうような位置づけで、
で、その刑罰の中身も死刑とかだったんですよ。
なんでここでやられてる死刑って公開でやってたりとか、
そういうのが中心になったんだけど、
で、それがどんどん時代を経てですね、
ヨーロッパで対応され始めてくるのが、
閉鎖施設に閉じ込めていく。
で、この辺からちょっと刑務所の空気感出てくるでしょ。
で、刑罰がここと自由刑っていうのが繋がってきがちなんだけど、
でもこの時のまだ閉鎖施設で閉じ込めるってやつっていうのは、
犯罪をやった人入れるっていうよりは、
病人入れたり、
不労者入れたり、
無職者の人が入ってってとか、
これがだんだん長寿状とかになっていくのね。
で、これを徐々に自由刑に変化していくっていうのが、
もともとのスタートだったりします。
ということは、その刑務所の始まりみたいな時も、
君主に何か歯向かったりすると、
そういうとこに入れられたりするっていう。
それはもちろんそうだし、
だからその国に納めてるルールを破ること自体が、
君主に対する反逆なんだ。
君主がこれを守れって言ってることを守らないわけだから、
だから直接的に、
君主とか王様に対して歯向かったっていうのはもちろんだけど、
それだけじゃなくて、
例えば人のものと女とか、
これを守りましょうってルールを守らないこと自体が、
君主に対して反逆してるかのような位置づけになってた。
じゃあその頃は、私が何か危害を加えられても、
刑罰で何かその人に報復しようっていうようなことはできなくて。
刑法によって取り締まって、
それによって罰値を出てくるのは、
もっともっと後なのね。
例えば、僕らでよく知ってるやつでいくと、
ペッカリーヤとかが、
犯罪と刑罰の核当たりの話になってくるから、
その頃はまだ、
市民はそういうところには、
土俵にも立ててない。
なので、だから今そういうふうに
自由刑が始まってた期限のところにいったけど、
そこに至るまでには、もちろんどんどんいろんなものがあって、
例えば社会の牙に破った人の制裁っていうのは、
今中世の話ぐらいまで来てるんだけど、
例えば、決闘してもらうとか、
食材金払ってもらうとか、
追放としてこの町から出てくるとか、
戻ってこれへんような、
島流しってイメージあるかもしれないけど、
当時はコミュニティ単位から外に出されると、
結構生活しづらかったんで、
行くなって言われてるようなもんだから、
その外に出すっていう刑罰とかがあって、
で、身体刑があって、
身体刑ってあの鞭打ちとかね、
刑罰の自由刑の起源と近代化
とかっていうのが刑罰としては発展していって、
最終的には今のように落ち着いてくるって感じですね。
先ほど刑法ができるのは、
もっと後の時代だっておっしゃってたんですけど、
その辺がやっぱ近代化っていうところになってくるんでしょうか。
近代化どっからっていうのも、
またこれは学者によって分かれるかなと思うんですけど、
さっき言ってたあの史的な司法から、
公的な司法に変わっていって、
さらにその公的な司法の近代化をもたらす要因となったのじゃないか、
と言われてるのはやっぱベッカリーヤの、
犯罪と刑罰が出版されたあたりからなんですけど、
ベッカリーヤなんて言ってるかっていうと、
ちょっと一節抜きますね。
法律だけが、
各々の犯罪に対する刑罰を規定することができる。
この権限は社会契約によって統一されている、
社会全体の代表者である立法者だけに属するって書いてるんですね。
僕らが、
例えば法学部の一番最初に習うのって、
ベッカリーヤのこの犯罪と刑罰から何が言われたかって、
罪刑法廷主義っていうのを並び出すんですけど、
罪刑法廷主義って何かって細かい話をさせだすと、
これでまた30分40分かかっちゃうので、
結構カットしていくんだけど、
簡単に言うと、
何を罰与えるか前もって示して、
これが刑法とかね。
それを犯したらこういう罰与えますよって名文化しといて、
前に出さないとそれをやっちゃダメだよってことを、
皆に知らせたと。
そこで細かく何が書いてあるか、
この本だけで言ってるんじゃないんだけど、
ベッカリーヤはそもそも何をずっと主張してたかっていうと、
この犯罪の本質っていうのは、
そもそも個人の自由を侵害することにあって、
それは犯罪だと。
その自由を守るために締結されている社会的契約があって、
これが犯罪の本質で、
刑罰の所在は君主にあるんじゃなくて、
社会全体にあって、
人々全体が刑罰権を持っているんだ。
その刑罰の本質は、
人々に犯罪は得しないよっていう概念を植え付けることで、
個人の自由を守ろうとしてた。
彼が言ってたのは、
公害作業みたいに、農業作業みたいに、
外に見える形にして、
人に分かるようにして、
人々に示し教えるものが最もふさわしいだろうって言ってて、
とか、あと刑事手続きで、
無罪推定を前提にしようねとか、
裁判を公開にしようねみたいなことをやってて、
どっちかというと、
ベッカリーヤ自体は監獄的な刑罰、
これあんま良くないと思ってたんです。
人目につかへん所に入れてるから。
どっちかというと廃止を訴えてたんだけど、
そもそも刑罰の近代化ってどこの辺かっていうと、
だから、領主とか国王とかが、
もしくはその土地の偉い人が、
その人の自由に、
あの人好きだからこういう刑罰しとこうとか、
あの人嫌いだからこういう刑罰しとこうとか、
自由自在にやるんじゃなくて、
そうすると僕らって自由に生活できないじゃないか。
なんか後で、
それ関西弁でマイクの前で喋ったら、
有罪なのにとか言われたらさ、
それが先言ってくれる?ってなるわけですよね。
それを何が刑罰に対応するもので犯罪か、
っていうのは前もって示してもらわないと、
我々自由に生活できないんで、
それは明文化されているもので、
前もって示しましょうって言ったのが、
ベッカリアの犯罪と刑罰なんで、
この辺が公的な司法の近代化の、
きっかけの一つじゃないって言ってる人たちはいますよね。
日本の自由刑の歴史
結構じゃあ近代化の前は、
明文化されたルールがなくって、
その部族とかの集団の中の暗黙のルールみたいな、
その時のその集団の雰囲気とか監修とかで、
何が罪になるかとかが、
結構曖昧だったりしたけれど、
そのベッカリアの登場によって、
刑罰っていうのはここであって、
ここに書かれていないと罰は与えられない。
だってほら、そもそも在刑法定主義から持ってこれる原則って覚えてます?
拡大解釈禁止とかで。
おお、惜しい。
類推適用の禁止。
そうそうそう、そういうことそういうこと。
例えばそこで言ったのが、
監修刑法の禁止だよね。
その村でずっと言われてるようなやつを維持しないとか。
だからさっき言ってくれた部族のって言ってたのは、
その部族だけで守ってる法律で特別にそこでその罰を与えるとかしないとか。
あとは訴求処罰の禁止。
そこから法律を作ったのに、
法律作る前のやつを罰しないよとか。
で、類推解釈の禁止とか。
そういうことそういうこと。
そういうことがここから出てるんで。
だからまさに今言ってくれた通り、
近代化こっからっていうのは、
そういうのを禁止していきましょうねっていうのがここでできてたんで。
だからここは一個の起点じゃないかって言われてるわけ。
はい。
ということはベッカリーヤが犯罪と刑罰を出版したのが、
1764年っていうことなので、
結構言って最近なんですね。
そうね。
これまでは刑罰の近代化っていうところまで教えていただいたんですけど、
国家がどんどん近代化が進むにつれて、
できていって大きくなっていくと思うんですけれども、
国が大きくなることで、
また刑罰に変化っていうのは起きてくるんでしょうか。
そうですね。
刑罰内容も今ちょっと自由刑、今日のテーマは自由刑なんだけど、
そもそもがそこに定住している人に食材禁断してもらって、
国家が大きくしていくために国庫に納入させるみたいなのが前提だったようなものもあるんだけど、
それが非定住者が犯罪を行うとか、
そもそもお金持ってないために食材禁払えないとか、
いろんな問題がどんどん出てくるので、
国を統治してコントロールするためには、さっきも言ってたんだけど、
犯罪者だけじゃなくて、不労している人とか無宿者の人とか、
定着してない人を集めて、
それまでの刑罰がそういうお金払ったりとか身体刑みたいなのが中心的なものだったんだけど、
徐々に労働力に変えていったりとか、
もう一度社会で活躍できる人にっていう概念がちょっとずつ入ってきて、
なので自由刑っていうのがまた刑罰の中心に向かっていくのよ。
これまでは割と世界的なところで教えていただいたんですけれども、
じゃあ日本に焦点を当てた時に、日本の自由刑っていうのはどんな感じになってるんですか?
だから自由刑の近代化をどこに置くかって結構また揉めるんだけど、
一応最近よく言われているのは、
1790年に松平貞宣が、長谷川平蔵、鬼の平蔵ね。
鬼平。
鬼平繁華町の鬼平ですよ。
の長谷川平蔵に命令をして、
現在の佃の辺ですね。東京の佃になるとこね。
の石川島っていうところに建設した無宿舎のための養成所っていうのが、
石川島人足寄せ場って言われてるんだけど、
ここを起源とするんじゃないかっていうのが結構根強い説になってきてて、
で、そこではいろんな犯罪者っていう今のようながっちりした法律とそれに反したと、
っていうのじゃなくて、その周辺の人たちを含めて、
要は町でうまく働けなくなったりとか、
追い出された人たちが無宿舎になったり不労舎になったりしてるので、
この人たちを集めて、もう一度江戸の町で生活してもらおうっていうようなものに、
労働力をつけてもらって、
江戸の町に戻そうっていうような公正とか社会復旧を目指すっていうのが長事情があって、
これが近代刑務所の起源の一つって言われてて、
それがこの1790年に始まった石川島人足寄せ場が起源なんじゃないのって言われたりするわけです。
現在の刑務所と神社の関係
今の佃島にあるっていうことなんですけど、
今行けばなんかここが発祥の地ですみたいな記念碑みたいな立ってたりするんですか?
良いこと聞きますね、これね僕の趣味覚えてます?
市中引き回しだけじゃなくて、あれはほら資材が前提なんじゃない?
で、こういうふうなもう一回社会復旧を前提としたのを自由刑だとすると、
これの起源はどこなんだろうっていうのも一つだと言われてるからここ行ってみたの。
じゃあ記念碑ってより、ここが佃島の石川島人足寄せ場がありましたよっていうような灯台跡地とか。
灯台。
とか置いてあって、そこの町全体がそういうところに作られてたんで、
そこにいろいろな人が来て、改善行政を目指されて江戸の町に戻るっていうのが作られたんです。
それが徐々に刑務所化していって、その後監獄になっていくんだけど、
その後、てんてんと有名な監獄に移っていくわけです。
そこからその監獄が菅野に移って、最終的には今現在は府中刑務所に移っていくのよ。
てんてんとこれが元になっているやつが移動していって、って言われてて、
で、さらにですよ。僕はその跡地を巡るのが先月やってたのか、
なんと石川島人足寄せ場のところに、お稲荷さんの神社が建ったんですね。
あ、跡地にですか?
跡地にじゃない、その時に。
あ、その時。
それがですよ、監獄が移動していく菅野に移り、府中に行くときに全部一緒に移動して混流されてるのよ。
お稲荷さんがですか?
同じやつが。
えー。
で、マニアックになってくるとですよ。府中刑務所に行かせてもらうとね。
稲荷神社が近くにあるはずなんですけど、って言ってね。
あ、ありますよ、ご存知ですか?って。
皆さんは目の前にダーンってあるでっかい塀と府中刑務所がドカーンって建ってるんだけど、
それの外側の端っこの職員宿舎の端の方に稲荷神社建ってるんだけど、
この稲荷神社を僕は見に来たんですよ。
えーマニアックっていう。
日本の自由刑の起源
ぜひちょっと府中刑務所に行ったら、稲荷神社どこですか?って。
わかりました。勇気を出して聞いてみます。
聞いてみてください。
ということは、日本の起源っていうのは石川島、佃島の人足寄せ場が起源っていうことなんでしょうか?
いいとこ聞いてきますね。
これ1790年でしょ?
はい。
なんとこの35年前に熊本藩の細川家が、もっと近代的なやつを始めてたんじゃないか説がありまして、
で、いっぱい書類も残ってるんですよ。
で、私こっちも推しておりまして、で、これ話し出すとですよ。
もっともっと話が長くなっててですね、
なんならこの熊本藩を長谷川平沢招いて石川島人足寄せ場に生かしていったんじゃないかとさえ言われていますので、
この話は尽きないんです。
起源じゃなかったのかーっていうところね。
なのでこの話はto be continuedです。
エンタメと犯罪学
私もぜひ聞きたいです。
さてここで犯罪学をもっと身近に感じてもらうために、犯罪学の観点からエンタメを見ていきたいと思います。
はい。今回のおすすめは鬼兵繁華町シリーズです。
鬼兵繁華町は池並章太郎による日本の時代小説です。
実在の人物である棺桶盗賊改め方長官、長谷川平沢を主人公とする取物町です。
長谷川平沢が棺桶盗賊改め方長官になったのは、田沼置次の失脚を受け、松平貞信が老中に就任した1787年です。
1783年の浅間山大噴火や大饑饉による農作物の不作や各地の打ち壊しなど不安定な時代で犯罪が増加し、凶悪化した時代のお話です。
池並章太郎さんの代表作でテレビドラマ家、映画家、歌い家、漫画家、テレビアニメ化されています。
はいありがとうございます。鬼兵繁華町知ってる?そもそも。
知ってます。
あ、そうなの?
私は子供の頃チャンバラが大好きで、すごい時代劇好きで、いろんな時代劇見てた中の一つ鬼兵繁華町があるんですけど、
この子供の頃好きで見てた鬼兵繁華町が大人になって興味を持って携わってる刑事政策に結びついてるっていうことがすごい感慨深いです。
なるほどな。さっき言った俺、佃の方から当時の人足寄せ場をぐるぐる歩くのも好きだったけど、そのまま長谷川平蔵ゆかりの地を巡っていくっていうルートもあるので。
参加したいです。
参加したい?じゃあこれまた企画しましょうか。
丸山先生に解説してほしいエンタメ作品がありましたら番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください。
さてこの番組では感想や質問、リクエストなどをお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
Xではカタカナでハッシュタグ罪な話をつけてポストしてください。
ここでメッセージをご紹介します。
Xでポストしていただきました。
死刑制度はちゃんと議論しないといけないと思う。
少し前に聞いたこのポッドキャスト、死刑について考えるのにすごく参考になるのでおすすめとコメントいただいております。
死刑のことを考えるというのは、僕がこの佃の方に行ってみたっていうところのきっかけにもなると一緒で、
やっぱり死刑って社会復旧を前提としない刑罰でしょ。
そこから近代の刑務所の運営にどう変わっていったのかっていうのを発展してくるし、
その近代刑務所の起源はどこなのかっていう今回のテーマにもなってくるし、
だから一つのテーマからこうやってどんどん広がっていくっていうことに関しても今日のコメントってすごいありがたいですね。
最後に大切なお知らせがあります。
第1回目から48回目まで毎月第2・第4火曜日に配信してきた丸ちゃん教授の罪な話ですが、
今後は毎月第2火曜日にポッドキャスト番組として配信。
第4火曜日はYouTube Liveでリアルタイムなお話をしていこうと思っています。
YouTube Liveはアーカイブとして残していきますので、
ぜひそちらもご視聴いただきチャンネル登録などいただければありがたいと考えています。よろしくお願いします。
YouTube Liveではポッドキャストで話しきれなかった内容や参加してくださった皆さんの質問にお答えしています。
こちらのご参加もお待ちしております。
それからnoteも始めました。ぜひこちらもフォローをしていただけると嬉しいです。
また私が所属する一般社団法人刑事司法未来でも犯罪学や刑事政策について発信しています。
刑事司法未来で検索してみてください。ではまたお会いしましょう。
お相手は丸山靖彦と山口由紀でした。
24:25

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