まずお姉さんの人生を考えていきたいなと思うんですけど、
これ前回でもちょっと語ったことではありますけれどもね、ざっと見たいと思うんですけど、
お姉さんは23歳で医学部に入学して、四浪して、23歳で入学して、私たちよりもだいたい一回り上ですね。
お姉さんっていうのは1958年生まれ。僕よりも9歳上かなっていう感じですね。ぐらいの年代の方なんですけども、23歳の時に医学部に入学して、25歳の時に発症しました。
おそらく32歳の頃、それから7年経って医学部卒業したのと違うんかなと思うんです。
医師国家試験をそこから数回受けたかなと思うんですよ。よくわかんないんですけど、多分数回受けてると思います。
医師国家試験は通らんかったんでしょうね。
その頃に医学教室の研究員として身分を置きながら、自宅の研究所、ご両親の研究所で研究を手伝いながら、実際論文を出してらっしゃるようですね。
数本どうもお姉さんが書いたと言われる論文があります。おそらくお父さんが大分手伝ってるかなとは想像しますけれども、そういう論文が出ています。
34歳ぐらいの頃に、初めの冒頭のわーって叫ぶようなことになってて、36歳の頃に慈悲出版の秘密の星占いっていう本を出しています。
これ映画の中では80万円とかって言ってたけどね、そのくらいかかったのかな、その頃の本を出すのにね。
慈悲出版ね。
慈悲出版ね。それも両親は許可したわけでしょう。
でも37歳ぐらいの頃、翌年ぐらいにもちゃんとした論文出てますわ。
これも多分本人が書いたというよりはとかって思うんですけれども、書いたところもあると思うんですけどね。お父さんが大分手入れしてるんちゃうかなとかって思いますけれども。
この論文ね、実は日本ロコ論文で多分手に入って、僕手に入れたと思うんですけれども。
そうなんですか。
これね、面白い、面白いという。いやいや、多分その3人のオーサーがあって、論文ってね、誰と誰の名前を入れるって結構大切なんですけれども、
お姉さんが一番初めで、ファーストオーサーで、セカンドオーサーがお母さんで、最後の名前がお父さんでしたね。
3人で出してるんですか。
3人でっていう論文がありましたね。
すごいな。
まあ、37歳の頃です。
でもそれはそれで、お父さんとお母さん嬉しかったんでしょうね。
そう、誇りに思ったと思いますよ。
本人さんが亡くなった時の看護犬にさ、論文をお父さん入れてましたやんか。
入れてました、入れてました。
多分この辺の論文を入れたと思うんですよね。
なるほど。
お父さんお母さんにとっては、この論文を出すっていうことが最も研究の上で大切なことの一つなのでね、そういったこともやったんかなとか思うんですけど。
そこから5年後に43歳くらいのところから、弟さんである監督が定期的に撮影を始めて、映画が始めます。
で、50歳の頃に精神科病院に入院して、3ヶ月だけ入院して、その後、割と少々落ち着くと。
53歳の時にお母さんが亡くなって、本人は62歳の時に肺がなくなりますという人生の方でした。
お姉さんの人生ってどうやったんやろねって前回も話しましたけどね、どうなんでしょうかね。
お姉さんってどうやったんやろって思って。
医者になりたかったのか、研究員になりたかったのか、あるいは占い師になりたかったのか。
でもいずれにしても、家族を大切にしてたっていうのは間違いないなと思うんですよ。
間違いないと思います。大好きだったりと思います。
監督がポッドキャストで言ってましたけれども、お姉さんっていうのはお父さんをずっと尊敬してたんだって。
お父さんのことはとっても大事にしててって言ってた。
この映画の最終場面がさ、お父さんとインタビューした後、死んだはずのお姉さんが映るじゃないですか。
車でね、弟さんが家から出かけるんですよ。
その時にお姉さんが手を振ってるっていう場面で終わるんですけども、
あの場面について監督が言ってたんですけどね、
もともとお父さんが車で外出するときは、いつもお姉さんは手を振って見送ってたんだって。
そうなんだ。
いつもそれはしてたんやけど、ただその普通に買い物に行くだけ近くに近所のスーパーに行くときだけでも、
お姉さんはお父さんに向かって手を振ってたらしい。
ただお父さんがこの脳血管障害で運転できなくなったんですよ、このショートを撮るときにね。
その時には監督がご自宅に帰ってて、監督が外出するんですよね。
そしたら監督にも手を振るようになってた。
弟としてはそれが嬉しくて、その場面を何回か撮ってたらしいよ。
昔のお姉ちゃん思い出したりもするしね。
お姉さんというのは結構お父さんのことは大切に思ってて、好きだったんやろうなと思うんですけどね。
50歳の頃に入院させたっていうのがあったと思うんですけど、
これはお父さんが決断したんですよね。
お姉さんに入院しましょうって伝えたのはお父さんだったらしい。
そうなんや。
お姉さんは治療を受けた後もせやけれども、別に統合症症と思ってないので、
入院はオッケーは言えへんかったけれども、
でもお父さんに言われたから仕方ないから行くかっていうことで行ったみたい。
すごい信頼やね。
病院には家族4人、お父さんお母さんと弟である監督とお姉さん4人で病院を受診して、
家族で行ってるんや、すごいな。
入院したということみたいね。
だからお姉さんというのは家族への思いっていうのは大切にしてたんかなとは、
それは常々思うんですけどね。
家族みんなそうやね。
そうそう。優しい家族ですよ。
お互いを思い合ってたかなって思うんですけどね。
ただお姉さんの病気があって、お姉さん自身は辛い思いをしたし、
お父さんも辛い思いをしたかなと思うんやけれども、
そういう家族ですよ。
あとやっぱりもう1個強く思うのは、この映画ができたっていうのは何はともあれ監督ですよ。
そうですね。
監督っていうのはこの映画の撮ってる人でありプロデューサーでもあるんやけれども、
実は一番の登場人物かなと思うんですけど、
監督がおったからこそこの映画は撮れているので、
監督の人生も見とこうかなと思うんですけどね。
嬉しいです。見たいです。
これもね、ポッドキャストで監督が述べてるんですけれども、
お姉さんの病気っていうのは監督自身の人生に影響がありましたかっていう、
映画を見た人からの質問があって、
それで監督がどう答えたかっていうと、
大きな影響がありましたと。
もともと力援の学問が好きで、
数学とか力援とかに進みたいと思ってたけれども、
お姉さんの病気とそれに伴ってご両親の理解できない行動、弟としては、
への反発があって、
人間の理解できない行動に興味が出てきたと。
で、最終的に画像を見ることで、
自分が癒されることもできたので、
ドキュメント映画への興味に至りましたっていうふうに、
お姉さんの病気とそれに伴ってご両親の理解できない行動に興味が出てきたと。
で、最終的に画像を見ることで、
人間の理解できない行動に興味が出てきたので、
ドキュメント映画への興味に至りましたっていうふうに、
今はもうドキュメント映画の監督になっているので、
この映画以外にも4本ぐらい、5本ぐらい、
ドキュメント映画はこの監督を捉えているんですけれども、
そうなんや。
こういうこともなりましたっていうふうに、
ご発言されてて、
もちろんそうかなという気もするんですよね。
ドキュメント映画監督になったわけじゃないんですよ、この監督っていうのは。
で、どんなやったかっていうと、
高校生の時にお姉さんが発症して、大学に入学されます。
この大学はパンフレットに書いてるんですけれども、
北海道大学の農学部。
7年間かけて卒業したらしいです。
お、7年か。
この大学生の時代、田中卒が7年間のこの大学時代っていうのは、
お姉さんが良かったり悪かったりした時代なわけよ。
つまり、お姉さんが勉強できる時期もあるし、
そうじゃなくて、わーっていう時もあった。
で、それに対する両親への行動っていうのが、
弟には理解できなかった。
同居してた時やもんね。
そう。で、結構しんどかったみたいね。
なるほど、なるほど。
一時期、その下宿をした時期もあるみたい。
北海道大学の時代に、
自分の大学の保健センターっていう、
大学に保健センターっていうのがあるんですけども、
そこに精神科やって結構行ってるんですけども、
そこで、お姉さんが、
精神科医療をつなげようっていうことで、
その先生に相談して、
一回、じゃあ受診しましょうよって、
その先生が言ってくれて、
そこでアポイントを取ったんやけれども、
ご両親が、
その言ってた先生の論文を見て、
この論文はちょっと納得いかんとかっていうことで、
受診させないっていうことになっちゃいました。
そうなんよね。
だから、弟さんは何とかお姉さんを
医療につなげようという形で、
ずっと思ってた。
思ってたよね。
この映画撮ったのも、
実はそういう意味もあるみたいね。
後々、医療につながった時に、
この時代から、
こういう症状が出てましたよって
医者に伝えたいがために、
映画を撮り始めたっていうことみたいね。
すごいな。
お母さんのように陽気に話すこともあったし、
お父さんのように論理的に話す傾向もあったと。
で、監督自身は、
お姉さんが病気になった当初ですね、
あまり感情的に話すんじゃなくて、
お父さんのように論理的に考えたりすることが、
お姉さんの病気にいいんじゃないかなって感じてたんやけれども、
後々には、やっぱりお母さんのように感情を出して、
話するのが自然なんかな、いいんかなって思うようになったっていうふうに述べてました。
そういうご家庭だったようですね。
だから監督は、お父さんもお母さんもお姉さんも、
いろんな思いも持ちながらもやっぱり好きだったんですよね。
そうですよね、お互いにね。
最後の最後の場面で、
監督とお母さんが、
インタビューするじゃないですか、監督が、
この映画を出していいの?っていう場面ですけれども、
あれって人によったら、ちょっと緊張する場面のように見えますやんか。
はいはい。
なんかちょっと対決するみたいな感じ?
確かに。
そのポッドキャストで、また監督が言うてるんですけれど、
ちょっと前段階があってね、
あれのインタビューで、
あれのインタビューシーンの前に、
映画を見せてるんですって、このどうすればよかったかを。
そうなんや。
飛ばし飛ばし、お父さんに見てもらった後のインタビューなんだって。
この場面っていうのは、2022年、
映画が最初に完成する1年前の出来事なんですけれど、
この時期っていうのは、お姉さんも亡くなられて、
2年経ってるんですよね。
で、お父さんのご病気がやっぱり悪くなってて、
その頃お父さんは96歳。
監督は56歳ですけれども、
主に監督は実家で、お父さんを介護しながら、
ドキュメンタリー映画を作ってたりするっていう仕事をしてたみたいです。
このお父さんの介護について述べてるんですけれども、
実はお父さんの介護っていうのは、介護保険を利用してたので、
全然大変ではなかったと。
つまり、いろんなサービスを利用できたので、
お姉さんのことに思うと全然大変ではなかったよって述べてらっしゃいます。
ヘルパーさんだったりとか、いろんな訪問看護を使ったりとかっていうのができてたんでしょうね。
とはいえ、お父さんは食事を作ったりもしてたみたいですね。
例えばこの映画のパンフレットに書いてるんですけど、
プロデューサーの朝野さんっていうのが書いてるんですけれども、
この当時、どうすればよかったかができる当初、
うちの会社の映画の作り方っていうのは、
頑張って作ったり編集したりするんだけども、
18時には終わってたと。
なんでこれは18時には終わってたかっていうと、
うちが超ホワイト企業だからではなくて、
監督が父の介護をしなければならないから、
18時には終わるようにしてたんだっていうのが書いてたりするので。
なるほど。
この時期っていうのは、監督はお父さんの介護をしながら、
自分の仕事もしてた。
その自分の仕事の一環の、
このお姉さんの映画っていうのを出したいなとかって思って、
これちょっとお父さん見てくれる?っていうことで見せたみたいですね。
この時にお父さんがこの映画を他人に見せてもいいよっていうように返事してくれたんですけれども、
多分監督はいいよって言うかなと思ってたみたいですって。
なんでかっていうと、
お父さんっていうのは常々自分を介護することで、
監督の映画に主張が出てはいけないなっていうふうに
ずっと気を使ってたらしいわ。
素晴らしい。
だからこの映画の出してもいいよっていう反応も、
別に自分たちの姿を他人の目に触れさせるのを許可したっていうよりも、
監督の仕事を配慮したいっていうことが、まず大事にお父さんが考えたんちゃうかなってね。
なるほど。
この映画を他人に公開することで、自分の行為とかが批判されるみたいなことを考えてうんって言うたんで、
多分違うんちゃうかなみたいな言い方をしてた。
だからこの息子に迷惑をかけ合うようにしたいよっていう意味のうんなんかなっていうふうに監督は考えてたみたいですね。
なるほど。
あんまりいいよっていうときに悩んでなかったですもんね。
そう、スッて言うたんですよね。
つまりこれって、お父さんのことを息子である監督は大切にしてたし、
お父さんも監督のことをとっても感謝してたというか、大切にしてたっていうのが、
このインタビューの土台になるわけですよ。
そうですね。
それがあった上でのやり取りになるんかなと思うんですけどね。
その後、今までしてたことっていうのが間違ってたと思ってるのかっていう質問に対して、
お父さんはそんなに間違ってるとは思わないっていうふうにお答えするんですね。
これが結構衝撃というかなんというか。
これは監督もどっちを言うかなって。
もちろん自分が期待した間違ってたと思うっていう反応ではなかったけれども、
ああ、そうきたかって感じたっていうふうにおっしゃってて。
なるほど。
僕も実はこのお父さんの言葉を感じてて、
なぜお父さんは最後にこの言葉を言うんかなって思ったんやけど、
これはやっぱりお父さんなりの文脈で自分が正しいことをしたって本当に信じてたんやろうなと思うんですよ。
つまり、まこちゃんの医学部を卒業させて、医学論文を書かせて、
医者としての未来を守ったっていうことの決断は間違ってなかったし、
もっと何とかしたいという思いは絶対あるんだけど、
いろんな外への発信というか吸収というか、
というのは手探りで動いたような気はする。
自分に知識がないのもあるんだけど。
藤野家のご両親は全く自分たちだけで解決しようとしたもんね。
そうなん。
娘のことを信じたでしょ。
この子は論文書けるし、
お医者さんとしてやっていくんだみたいなのを信じてたじゃないですか。
これがすごいなと思うんです。
できるって思ったよね。
きっと子供はこうだって。
そこの自信を持ててると。
私だってそんな子供がきっとこうだって自信持って言えないもん。
すごい愛情を持って本当に頑張って育てたんですよ。
私にしたらもう本当にこれ以上はできないというぐらい頑張って育てはしたんだけど、
でもやっぱり別の人間なので。
別の人間だよな。
そうなんです。
確かに親とは異へことは異へ。
そうなん。たまたまご縁で今回親子になってるけれど、
医師っていうのはみんなそれぞれ別々。
同じ兄弟でもお兄ちゃんと弟と全然違うし、
そこは自分の家族の在り方を、
一般の人と私は教えとめさんとしたらちょっと変わってるのかしらって日々最近思ってたところで、
この映画を見たので、
そういう面では環境全然違うから何とも比べられへんのやけど、
自分だったらどうだったんだろうってやっぱり考えました。
なるほど。
真莉も先生はどうでした?
いやー本当に、
僕は自分の家族はいてないので、
自分が子供としての家族しか経験がないから、
だけど、
このどうしようもないことをどうにかした家族っていうことで言うたら、
これを自分が同性愛者だって言うたことへの両親の反応をどうしても思い出してしまうかな、
というふうに思いました。
なるほどね。
この時は僕自身は両親の世話にならないように食わだててたので、
実際それでどうこうなることはなかったけども、
両親がその後どう行動したか、
どんなふうに僕に伝えてきてくれたかみたいなこともちょっと考えたりしたかな。
結局は、
両親の反応をどうしても思い出してしまって、
どういうふうに僕に伝えてきてくれたかみたいなこともちょっと考えたりしたかな。
結局は理解とかっていうことは進ませなかったというか、
僕が努力しなかったせいもあるし、
でも両親はいろいろ考えてくれてたみたいっていうことは伝わってきたんだが、
ちょっとそれを僕はあんまりちゃんと受け入れなかったというか、
なんというかっていうのが感じるかな。
でも理解は最後してたんじゃない?
どうなんでしょうか。
そうかもしれないけど、
認めるというか、
あえては否定はせえへんけれども、
僕もちゃんと語らない方が問題だけどね。
いや、難しいよ。
それは難しいよね。
両親とはまた違うからね。
だからそこっていろいろ難しいところだなという気もしたりして、
でもこういうのってお互いの相互作用みたいなもんじゃないですか。
そうです。
カミングアウトって単に言うだけじゃダメで、
その後お互いどういう交流をしていくかっていうことが大切だなって思うんやけど、
僕自身の方が親へのあんまりもういいやと思ってそこは当たりかけんかったっていうのが、
ちょっとあれかなって気はするんだけどね。
そういう意味で言うと統合失調症、この頃は分裂病って言われてたけど、
昔はね。
そこに対する偏見とか等に似たようなものはあるかもよね。
そこに対する怖さとかね。
そうそうね。
そこはあったかもしれないね。
そんなことも考えながら、
でも家族って難しいよね。
家族って難しいのよ、この距離が。
距離が、近いがゆえに。
確かにね。
私のこの言葉がいいか悪いかは本当に捉える方お一人お一人によって違うと思うんだけど、
やっぱりね、家族でも別の人間っていうことは忘れてあかんと思う。
それはもちろんそうですよ。
これめっちゃ大切だと思ってる。
ね。
家族だからって言うと、
本当に何か勘違いしてる人が結構多い気がする。
そうそう。
たまたま家族でめっちゃ気持ちがある人もあるけど、
そうじゃない人もいるよっていうとこですよ。
そうやね。
会わない人も中には出てくるのよっていう。
そうそう、絶対ある。
そこが分かってるとすごく楽やし、
そうなんですよ。
絶対そこはもう。
行きやすいよね。
たまたまいい親やったねっていうのもあるけど、
たまたまこんな親やったかっていうこともあるから。
あるある。
これは逆にいろいろな面になるやろうからね。
そうなん。
だから精神を病む方の中にはね、
なんでかこう思い通りいかないからって言ってしんどくなる方もいるやん。
きっかけの一つとして。
それが、いやそんなもんなんやってっていうのが分かってたら、
そんなに苦しまんでよかったのになって、
引き金にせずに済んだかもしれないのになって思うことが本当に多くて、
いや本当にいろんな人のいろんな考えがあって、
ねえ当たり前なんよって兄弟と言え、親子と言え、
夫婦はもっとやからね。
夫婦は一番ね、なかなかいろんな問題が大きいから。
だけどさ、一番セットにされるわけやん。
そうやね。
だからみんな苦しまなあかんね。
そうそうそう。
まあその時代時代で、あるいはその人ひとで変わってていいよね。
と思う。