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2026-01-23 42:46

家族愛のパラドックス:『どうすればよかったか』を精神科医が読む

不可解――しかし切実。今回も映画『どうすればよかったか』を題材に、藤野家の「愛情とすれ違い」を精神科医の視点で読み解きます。姉の人生と家族の支援、弟である監督の葛藤、そして父の「間違っていなかった」という言葉の意味を検討。家族であっても「別の人間」であるという距離感、アイデンティティの問題を掘り下げ、家族関係の倫理と現実を考えます。

 

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サマリー

このエピソードでは、映画『どうすればよかったか』を通じて家族愛の複雑さやすれ違いについて探ります。精神科医は、家族が抱える愛情や葛藤、医療への不信感の影響を描いています。このエピソードでは、映画監督が家族との関係や介護の重要性について語ります。両親との深い絆やお姉さんの病気への配慮を通じて、家族愛の複雑さとその影響が彼の作品にどのように反映されているのかを探ります。このエピソードでは、家族愛のパラドックスについて考察し、家族間の愛情やコミュニケーションの難しさを探ります。また、家族の影響や個々の考え方の違いも浮き彫りになり、特に親子関係における理解の必要性が強調されます。このエピソードでは、家族愛と子育ての複雑な関係について語られ、個々のアイデンティティが家族にどのように影響を与えるかを探ります。ドキュメンタリー映画の価値を評価し、人生には完璧な選択肢が存在しないというメッセージが強調されています。

家族の愛情と葛藤
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、7ヶ月になる初孫がついにハイハイを始めて、その映像を見て喜ぶ桜がお送りします。
映画、どうすればよかったかの感想会です。第2回目ですね。
はい、ありがとうございます。今回はですね、婦人の家の家族から、その愛情とすれ違いを語ろうというふうに題しました。
一応、その前回は、その遠吾井少将のことを中心にお話ししたんですけれども、この映画って家族のことも多いのでね、前回も語りましたけれども、
もうちょっと家族のことをですね、語りたいなと思うんですけどね。この映画自体っていうのが、もう婦人の家の愛情が作った映画かなと思うんですよ。
で、どうしようもないことをどうにかしようとした家族愛と、ように僕は考えました。
どうしようもないことをどうにかしようとしたっていうことなんですけどね、これ監督が言ってくれてるんですけども、
この映画は受け入れがたいことに直面したときに、人がどう反応するかを描いたと。
受け入れないのであればなかったことにする、もしくは拒否する、否定する、阻害する。
だから受け入れないと先に進めなくなるっていうふうに言葉を残してらっしゃいますけれども、
要するにお姉さんの病気を両親が受け入れずに医療受けさせなかったっていうことで、こういう事態になったよということを描いてますということだと思うんですけどね。
両親がそれに受けさせなかった理由とかも、医学が信用ならんかったんちゃうかとか、病気を恥じたんちゃうかとか、
あるいは姉の将来を残すために受診させなかったんちゃうかとか、っていうようなことを監督自身も考えてるし、
僕自身も姉の将来を残すためにっていうことが一番強く彼らは考えたんじゃないかなと想像したんですけどね。
あともう一つ大きいと思うのは、お姉さん自体が病気のことを受け入れなかったっていうことも、両親の判断に影響したんかなという気はするんですけどね。
お姉さんの人生と医療への影響
まずお姉さんの人生を考えていきたいなと思うんですけど、
これ前回でもちょっと語ったことではありますけれどもね、ざっと見たいと思うんですけど、
お姉さんは23歳で医学部に入学して、四浪して、23歳で入学して、私たちよりもだいたい一回り上ですね。
お姉さんっていうのは1958年生まれ。僕よりも9歳上かなっていう感じですね。ぐらいの年代の方なんですけども、23歳の時に医学部に入学して、25歳の時に発症しました。
おそらく32歳の頃、それから7年経って医学部卒業したのと違うんかなと思うんです。
医師国家試験をそこから数回受けたかなと思うんですよ。よくわかんないんですけど、多分数回受けてると思います。
医師国家試験は通らんかったんでしょうね。
その頃に医学教室の研究員として身分を置きながら、自宅の研究所、ご両親の研究所で研究を手伝いながら、実際論文を出してらっしゃるようですね。
数本どうもお姉さんが書いたと言われる論文があります。おそらくお父さんが大分手伝ってるかなとは想像しますけれども、そういう論文が出ています。
34歳ぐらいの頃に、初めの冒頭のわーって叫ぶようなことになってて、36歳の頃に慈悲出版の秘密の星占いっていう本を出しています。
これ映画の中では80万円とかって言ってたけどね、そのくらいかかったのかな、その頃の本を出すのにね。
慈悲出版ね。
慈悲出版ね。それも両親は許可したわけでしょう。
でも37歳ぐらいの頃、翌年ぐらいにもちゃんとした論文出てますわ。
これも多分本人が書いたというよりはとかって思うんですけれども、書いたところもあると思うんですけどね。お父さんが大分手入れしてるんちゃうかなとかって思いますけれども。
この論文ね、実は日本ロコ論文で多分手に入って、僕手に入れたと思うんですけれども。
そうなんですか。
これね、面白い、面白いという。いやいや、多分その3人のオーサーがあって、論文ってね、誰と誰の名前を入れるって結構大切なんですけれども、
お姉さんが一番初めで、ファーストオーサーで、セカンドオーサーがお母さんで、最後の名前がお父さんでしたね。
3人で出してるんですか。
3人でっていう論文がありましたね。
すごいな。
まあ、37歳の頃です。
でもそれはそれで、お父さんとお母さん嬉しかったんでしょうね。
そう、誇りに思ったと思いますよ。
本人さんが亡くなった時の看護犬にさ、論文をお父さん入れてましたやんか。
入れてました、入れてました。
多分この辺の論文を入れたと思うんですよね。
なるほど。
お父さんお母さんにとっては、この論文を出すっていうことが最も研究の上で大切なことの一つなのでね、そういったこともやったんかなとか思うんですけど。
そこから5年後に43歳くらいのところから、弟さんである監督が定期的に撮影を始めて、映画が始めます。
で、50歳の頃に精神科病院に入院して、3ヶ月だけ入院して、その後、割と少々落ち着くと。
53歳の時にお母さんが亡くなって、本人は62歳の時に肺がなくなりますという人生の方でした。
監督の影響とドキュメント映画
お姉さんの人生ってどうやったんやろねって前回も話しましたけどね、どうなんでしょうかね。
お姉さんってどうやったんやろって思って。
医者になりたかったのか、研究員になりたかったのか、あるいは占い師になりたかったのか。
でもいずれにしても、家族を大切にしてたっていうのは間違いないなと思うんですよ。
間違いないと思います。大好きだったりと思います。
監督がポッドキャストで言ってましたけれども、お姉さんっていうのはお父さんをずっと尊敬してたんだって。
お父さんのことはとっても大事にしててって言ってた。
この映画の最終場面がさ、お父さんとインタビューした後、死んだはずのお姉さんが映るじゃないですか。
車でね、弟さんが家から出かけるんですよ。
その時にお姉さんが手を振ってるっていう場面で終わるんですけども、
あの場面について監督が言ってたんですけどね、
もともとお父さんが車で外出するときは、いつもお姉さんは手を振って見送ってたんだって。
そうなんだ。
いつもそれはしてたんやけど、ただその普通に買い物に行くだけ近くに近所のスーパーに行くときだけでも、
お姉さんはお父さんに向かって手を振ってたらしい。
ただお父さんがこの脳血管障害で運転できなくなったんですよ、このショートを撮るときにね。
その時には監督がご自宅に帰ってて、監督が外出するんですよね。
そしたら監督にも手を振るようになってた。
弟としてはそれが嬉しくて、その場面を何回か撮ってたらしいよ。
昔のお姉ちゃん思い出したりもするしね。
お姉さんというのは結構お父さんのことは大切に思ってて、好きだったんやろうなと思うんですけどね。
50歳の頃に入院させたっていうのがあったと思うんですけど、
これはお父さんが決断したんですよね。
お姉さんに入院しましょうって伝えたのはお父さんだったらしい。
そうなんや。
お姉さんは治療を受けた後もせやけれども、別に統合症症と思ってないので、
入院はオッケーは言えへんかったけれども、
でもお父さんに言われたから仕方ないから行くかっていうことで行ったみたい。
すごい信頼やね。
病院には家族4人、お父さんお母さんと弟である監督とお姉さん4人で病院を受診して、
家族で行ってるんや、すごいな。
入院したということみたいね。
だからお姉さんというのは家族への思いっていうのは大切にしてたんかなとは、
それは常々思うんですけどね。
家族みんなそうやね。
そうそう。優しい家族ですよ。
お互いを思い合ってたかなって思うんですけどね。
ただお姉さんの病気があって、お姉さん自身は辛い思いをしたし、
お父さんも辛い思いをしたかなと思うんやけれども、
そういう家族ですよ。
あとやっぱりもう1個強く思うのは、この映画ができたっていうのは何はともあれ監督ですよ。
そうですね。
監督っていうのはこの映画の撮ってる人でありプロデューサーでもあるんやけれども、
実は一番の登場人物かなと思うんですけど、
監督がおったからこそこの映画は撮れているので、
監督の人生も見とこうかなと思うんですけどね。
嬉しいです。見たいです。
これもね、ポッドキャストで監督が述べてるんですけれども、
お姉さんの病気っていうのは監督自身の人生に影響がありましたかっていう、
映画を見た人からの質問があって、
それで監督がどう答えたかっていうと、
大きな影響がありましたと。
もともと力援の学問が好きで、
数学とか力援とかに進みたいと思ってたけれども、
お姉さんの病気とそれに伴ってご両親の理解できない行動、弟としては、
への反発があって、
人間の理解できない行動に興味が出てきたと。
で、最終的に画像を見ることで、
自分が癒されることもできたので、
ドキュメント映画への興味に至りましたっていうふうに、
お姉さんの病気とそれに伴ってご両親の理解できない行動に興味が出てきたと。
で、最終的に画像を見ることで、
人間の理解できない行動に興味が出てきたので、
ドキュメント映画への興味に至りましたっていうふうに、
今はもうドキュメント映画の監督になっているので、
この映画以外にも4本ぐらい、5本ぐらい、
ドキュメント映画はこの監督を捉えているんですけれども、
そうなんや。
こういうこともなりましたっていうふうに、
ご発言されてて、
もちろんそうかなという気もするんですよね。
ドキュメント映画監督になったわけじゃないんですよ、この監督っていうのは。
で、どんなやったかっていうと、
高校生の時にお姉さんが発症して、大学に入学されます。
この大学はパンフレットに書いてるんですけれども、
北海道大学の農学部。
7年間かけて卒業したらしいです。
お、7年か。
この大学生の時代、田中卒が7年間のこの大学時代っていうのは、
お姉さんが良かったり悪かったりした時代なわけよ。
つまり、お姉さんが勉強できる時期もあるし、
そうじゃなくて、わーっていう時もあった。
で、それに対する両親への行動っていうのが、
弟には理解できなかった。
同居してた時やもんね。
そう。で、結構しんどかったみたいね。
なるほど、なるほど。
一時期、その下宿をした時期もあるみたい。
北海道大学の時代に、
自分の大学の保健センターっていう、
大学に保健センターっていうのがあるんですけども、
そこに精神科やって結構行ってるんですけども、
そこで、お姉さんが、
精神科医療をつなげようっていうことで、
その先生に相談して、
一回、じゃあ受診しましょうよって、
その先生が言ってくれて、
そこでアポイントを取ったんやけれども、
ご両親が、
その言ってた先生の論文を見て、
この論文はちょっと納得いかんとかっていうことで、
受診させないっていうことになっちゃいました。
そうなんよね。
だから、弟さんは何とかお姉さんを
医療につなげようという形で、
ずっと思ってた。
思ってたよね。
この映画撮ったのも、
実はそういう意味もあるみたいね。
後々、医療につながった時に、
この時代から、
こういう症状が出てましたよって
医者に伝えたいがために、
映画を撮り始めたっていうことみたいね。
すごいな。
家族との関わり
彼が卒業した後、
27歳の時に、
東京の住宅メーカーに勤務することになります。
はい。
そこでお金を貯めて、
29歳の時に、
日本映画学校映像科録音コースに入学して、
画像とか音の専門知識を得るんですよね。
うん。
ゲーム会社とか映画会社に入社して、
映画監督への道を歩むと。
うん。
35歳の頃から、
帰省の度に、
お姉さんの映画を撮ると。
はい。
42歳の時に、
お姉さんが入院になるんですけれども、
その時には両親のともに付き添って、
面会とかは監督がずっといてたみたい。
そうなんや。
お父さんお母さんは高齢やもんね。
そうなんですよね。
この時代っていうのは、
監督が42歳なので、
ご両親は80代ですね。
お父さんが82歳で、
お母さんが81歳。
しかもお母さんはもう妊娠を発症してますからね。
ああ、そっかそっか。
お父さん42歳が映画監督でもあるんやけれども、
多分長期間帰省を繰り返してたんでしょうね。
3ヶ月入院してた間のお姉さんがね、
面会はずっとお父さんがいてたらしいですよ。
だんだん入院して良くなってるなっていうのは、
お父さんも感じてたみたい。
うん。
どこまで良くなるんかなと思って帰ってきた。
でも帰ってきたら、
ある程度は良くなってたけれども、
やっぱり統合症状とは認めんし、
お薬飲むときに嫌がったりすることもあったりして。
お父さんはだから結構、
この時代ずっと、
まだちゃんと家には帰ってないんやけれども、
自宅に帰るのを繰り返してたみたいですね。
まあ、ほっとけないですよね。
そう。
だけどそれもまたすごいなと思うんやけど、
42歳の画像を学んでいる会社員の方が、
お姉さんと両親の介護のために
自宅的に頻繁に東京から北海道に帰るっていうことを
してたっていう弟さんなわけですよ。
うん。すごいですよね。
はい。なかなかみんなができる話じゃないなと思うんですけど。
ないですね。
45歳の時にお母さんが亡くなって、
翌年の46歳の時に、
自宅に弟さんは帰ります。
うん。
なんで帰ったかっていうと、
どうもお父さんがですね、
本格的に体調を悪くされたみたいね。
80代ですもんね。
体調が悪く起こした。
だから監督がご自宅に戻ったっていうのは46歳で、
その頃、
お父さんは86歳。
うん。
お母さんとの思い出
お姉さん、まこちゃんは54歳でした。
54歳。
そうね。
監督は自宅に戻って、
お父さんの介護を主にしてた。
お姉さんの受診にも付き添ったりもしてたってことやね。
そうやね。
翌年から動画工房っていうのを立ち上げて、
あたのさんっていう方と立ち上げて、
ドキュメンタリー映画を実際に制作するようになって。
うん。
57歳の時に、
2023年ですけれども、
どうすればよかったか観戦します。
これが監督5本目の映画となるんですけどね。
うん。
だからこの監督の行動を見てても、
それはご両親に反発した時期はあったにしても、
うん。
すごく大切にしてますよねっていうか。
してますね。
これだけ両親とか家族に
覆うとしてたってことやね。
うん。
監督から見て両親っていうのは、
どんなふうに見えたかっていうことなんやけど、
お母さんっていうのは、
この監督から見てどんな人だったかっていうと、
お母さんは実際研究者で、
自分でね、この職業を持ってた人であるんやけれども、
家庭内ではお父さんに従うんだって。
うん。
ご性格は明るくて陽気に話す性格だったらしいんだけど、
基本お父さんの言うことを聞くっていうのが、
まあメインだったみたい。
実際旦那さんを立てるということにはなってたらしいね。
うん。
家の中ではわーっと、
なんか笑ったりとか明るく話すという方みたいですね。
へー。
思い出に残ってる場面ありますか?みたいな質問があった時の監督が答えたのが、
監督が小学生の頃ですね、
自分の友達と食卓で、家の食卓でピンポンしてたと。
あかんやんそれ。
家の食卓でね。
普通そこで怒られる場面なんですけれど、
お母さんがそれを見つけて、
あなた達何をやってるの?ってね。
このネットをちゃんと立てなきゃ、
ちゃんと試合にならないじゃないって言って、
このネットに代わりになるものをテーブルに立てかけてくれて、
それに手伝ってくれて楽しんでたっていう場面とかね。
すごいすごい、おおらかですね。
そう、おおらかのお母さんですよ。
そういう明るい場面であったってことですね。
で、病気になったお姉さんに対しても、
お母さんが一番日々の場面で世話をしてたって感じ。
逆に監督から見て、
むしろお姉さんとお母さんとの関係が近すぎたよね。
お姉さんの考えてることを先回りして言ってることとかね、
ようなことがあったりして、
ちょっと気になったこともあったよっていうことですね。
で、映画の画面では、
監督とお母さんとがちょっと言い合う場面とかっていうのもあったりしたけれども、
通常、家庭内で明るく話してるのはお母さんで、
冷静に話をするのはお父さんだったってことみたいね。
で、病気になる前のお姉さんっていうのは、
お父さんの反応
お母さんのように陽気に話すこともあったし、
お父さんのように論理的に話す傾向もあったと。
で、監督自身は、
お姉さんが病気になった当初ですね、
あまり感情的に話すんじゃなくて、
お父さんのように論理的に考えたりすることが、
お姉さんの病気にいいんじゃないかなって感じてたんやけれども、
後々には、やっぱりお母さんのように感情を出して、
話するのが自然なんかな、いいんかなって思うようになったっていうふうに述べてました。
そういうご家庭だったようですね。
だから監督は、お父さんもお母さんもお姉さんも、
いろんな思いも持ちながらもやっぱり好きだったんですよね。
そうですよね、お互いにね。
最後の最後の場面で、
監督とお母さんが、
インタビューするじゃないですか、監督が、
この映画を出していいの?っていう場面ですけれども、
あれって人によったら、ちょっと緊張する場面のように見えますやんか。
はいはい。
なんかちょっと対決するみたいな感じ?
確かに。
そのポッドキャストで、また監督が言うてるんですけれど、
ちょっと前段階があってね、
あれのインタビューで、
あれのインタビューシーンの前に、
映画を見せてるんですって、このどうすればよかったかを。
そうなんや。
飛ばし飛ばし、お父さんに見てもらった後のインタビューなんだって。
この場面っていうのは、2022年、
映画が最初に完成する1年前の出来事なんですけれど、
この時期っていうのは、お姉さんも亡くなられて、
2年経ってるんですよね。
で、お父さんのご病気がやっぱり悪くなってて、
その頃お父さんは96歳。
監督は56歳ですけれども、
主に監督は実家で、お父さんを介護しながら、
ドキュメンタリー映画を作ってたりするっていう仕事をしてたみたいです。
このお父さんの介護について述べてるんですけれども、
実はお父さんの介護っていうのは、介護保険を利用してたので、
全然大変ではなかったと。
つまり、いろんなサービスを利用できたので、
お姉さんのことに思うと全然大変ではなかったよって述べてらっしゃいます。
ヘルパーさんだったりとか、いろんな訪問看護を使ったりとかっていうのができてたんでしょうね。
とはいえ、お父さんは食事を作ったりもしてたみたいですね。
例えばこの映画のパンフレットに書いてるんですけど、
プロデューサーの朝野さんっていうのが書いてるんですけれども、
この当時、どうすればよかったかができる当初、
うちの会社の映画の作り方っていうのは、
頑張って作ったり編集したりするんだけども、
18時には終わってたと。
なんでこれは18時には終わってたかっていうと、
うちが超ホワイト企業だからではなくて、
監督が父の介護をしなければならないから、
18時には終わるようにしてたんだっていうのが書いてたりするので。
なるほど。
この時期っていうのは、監督はお父さんの介護をしながら、
自分の仕事もしてた。
その自分の仕事の一環の、
このお姉さんの映画っていうのを出したいなとかって思って、
これちょっとお父さん見てくれる?っていうことで見せたみたいですね。
この時にお父さんがこの映画を他人に見せてもいいよっていうように返事してくれたんですけれども、
多分監督はいいよって言うかなと思ってたみたいですって。
なんでかっていうと、
お父さんっていうのは常々自分を介護することで、
監督の映画に主張が出てはいけないなっていうふうに
ずっと気を使ってたらしいわ。
素晴らしい。
だからこの映画の出してもいいよっていう反応も、
別に自分たちの姿を他人の目に触れさせるのを許可したっていうよりも、
監督の仕事を配慮したいっていうことが、まず大事にお父さんが考えたんちゃうかなってね。
なるほど。
この映画を他人に公開することで、自分の行為とかが批判されるみたいなことを考えてうんって言うたんで、
多分違うんちゃうかなみたいな言い方をしてた。
だからこの息子に迷惑をかけ合うようにしたいよっていう意味のうんなんかなっていうふうに監督は考えてたみたいですね。
なるほど。
あんまりいいよっていうときに悩んでなかったですもんね。
そう、スッて言うたんですよね。
つまりこれって、お父さんのことを息子である監督は大切にしてたし、
お父さんも監督のことをとっても感謝してたというか、大切にしてたっていうのが、
このインタビューの土台になるわけですよ。
そうですね。
それがあった上でのやり取りになるんかなと思うんですけどね。
その後、今までしてたことっていうのが間違ってたと思ってるのかっていう質問に対して、
お父さんはそんなに間違ってるとは思わないっていうふうにお答えするんですね。
これが結構衝撃というかなんというか。
これは監督もどっちを言うかなって。
もちろん自分が期待した間違ってたと思うっていう反応ではなかったけれども、
ああ、そうきたかって感じたっていうふうにおっしゃってて。
なるほど。
僕も実はこのお父さんの言葉を感じてて、
なぜお父さんは最後にこの言葉を言うんかなって思ったんやけど、
これはやっぱりお父さんなりの文脈で自分が正しいことをしたって本当に信じてたんやろうなと思うんですよ。
つまり、まこちゃんの医学部を卒業させて、医学論文を書かせて、
医者としての未来を守ったっていうことの決断は間違ってなかったし、
家族愛についての洞察
それを私たちはサポートしたよって思ってた。
そこが幻想だっていうのかも分からないけれども、
でも彼にとってそれは人生にとって大切なことだったんやろうなって思うんですよね。
愛し合ってる家族でもこのすれ違いが起こるんやなっていうことでしたね。
そうですね。確かにこの家族の愛情っていうところにフォーカスすると、
本当に見え方というか感じ方って変わってきますよね。
僕は立派に生き切った家族というか、いうふうに感じたなと思うんですけどね。
いろいろ修正したいところはあるにしてよ。
人間ってでも成功することもあれば失敗することもあるから、
こういう家族が映ってる映画だなと思いましたね。
それにしても本当に全てをセキララにこうやって見せてもらえるっていうのは本当にありがたいですよね。
後に残された私たちにとっては、家族の中のことってなかなか出せないから。
出せないんですよね。
そういうのにお父さんがいいよって、わりとスッと答えてあったのが、
なんでかなってすごい聞きかかってたんですよ。
でも今日は裏側の話をちょこっと聞けて、
息子さんへの愛情がね。
息子さんへの愛情なんかなと思うんですけどね。
それはもうすごいしっくりきました。
そう考えるといろんなことが負に落ちるなという気が僕はしてて。
はい、ありがとうございました。
親子関係の影響
ありがとうございます。
何かどうですか、家族への愛情。
家族への愛情。
家族への愛情、そうですね。
私は自分が子供だった時の家族と、自分が母親だった時の家族を思い浮かべたりもしてるんですけど、
いろんな形の愛情ってあるからね。
いろんな形ですか。
いろんな形が。
私が自分が子供の時の両親との関係性って、わりと私は近かったんですよ。
特にお母さん、母親とはね。
女同士ということもあるし。
結構いろんなところに母が口を出してくるし、
わりと考え方を教え込まれているというか、
考え方の影響はすごく母から受けてしまってるなって思うことが今もあって。
でも私も大人になるにつれて、
それにプラスアルファで沿った自分の意見だったり、
逆に反発する反対側の自分の意見だったりというものがだんだん出来上がってくるから、
自分の中ではわりと距離を置けるようになったつもりではいるんですけど、
でもやっぱりちっちゃい時から擦り込まれてる考え方っていうのは、
親の影響がすごく強くなるなっていうのは、
思ったんですよ。
それを感じながら、私は自分の子供を育ててたんですね。
意見が合うなっていうところと、
全然違うと思うという反発を感じる部分で、
戸惑っている中で自分の子供を育ててたので、
わりと私は男の子2人、息子2人を育てたんだけど、
異性っていうこともあって、
距離を持って育ててた気はします。
なるほど。自分とは違う人間っていうのを強く意識してたってことだよね。
強く意識してて、よくあるあるなんですけど、
お母さんってすごく息子にべったりになったりとか、
旦那さんの代わりを求めたりとか、すごく近くなるでしょ。
今はお母さんと娘さんがべったり、
二子みたいな親子がすごく増えてきて、
息子じゃなくなった時代もと思ったりするんだけど、
わりと自分の分身感というのは母親は持ちがちなんですよ。
なるほど。
だけど私は子供を産んだ時から、
あんまり私の子っていう分身感がないことはないんですよ。
確かにお腹の中から育てているので。
別の人間というか、考え方は別に持っているはず。
持たなきゃダメだよなっていうのを思って育ててきたので、
だから藤野家の皆さんの家族の愛情と愛を見ていると、
まだ違うなって思いました。
自分の子供たちへの?
自分の子供たちへの接し方っていうかな。
だから自分だったらっていうのはなかなか、
本当に想像の域でないと想像できないんですけど、
実際うちの子たちに病気があったわけでも今なかったので、
なんだけどこの映画を見てすごい自分だったら、
自分がこのお母さんだったらって思った時に、
いやここまではできてない。逆にできてないというかしなかったかなっていう。
もっと引いてみれてたかなって。
思ったりもした。
今もそうなんですよ。
息子たちはお仕事してるから忙しいし、
私も仕事してるのでそんなにべったり会ったり連絡取ったりしないんだけど、
2人とも結婚してお嫁さんができて、
家族をそれぞれ持ち出したら、
お嫁さんが気を使ってくれるわけですよ。
自分のお母さんのお母さんは私の仕事目線になるわけで、
お母さんは全然連絡してこないし、
もっと家族だから近くてもいいんじゃないみたいな、
お嫁さんが逆に言ってくれたりするんだけど、
割と昔からそうはなるまいっていう、
母の影響を受けてきたからそこに対する反発なのか、
あんまり距離を詰めれてないんですよ。
特に大人になってから。
だから私この映画を見たときに、
もしこれが私が作ってる家族だったら、
自分がこのまこちゃんの立場だったら、
もしかしたらあり得たかもなって想像する。
うちの良品の神はこれだけのことをしようとした。
できたかどうかは別にして。
そうそう。
考えたことは理解できるかも。
必死でこんな風になったかもなっていうのは想像できるんだけど、
けど私がお母さんの立場になったときに、
これはできたかなみたいなのはちょっと考えました。
なるほど。ここまではせえへんかな。
カミングアウトの難しさ
もっと何とかしたいという思いは絶対あるんだけど、
いろんな外への発信というか吸収というか、
というのは手探りで動いたような気はする。
自分に知識がないのもあるんだけど。
藤野家のご両親は全く自分たちだけで解決しようとしたもんね。
そうなん。
娘のことを信じたでしょ。
この子は論文書けるし、
お医者さんとしてやっていくんだみたいなのを信じてたじゃないですか。
これがすごいなと思うんです。
できるって思ったよね。
きっと子供はこうだって。
そこの自信を持ててると。
私だってそんな子供がきっとこうだって自信持って言えないもん。
すごい愛情を持って本当に頑張って育てたんですよ。
私にしたらもう本当にこれ以上はできないというぐらい頑張って育てはしたんだけど、
でもやっぱり別の人間なので。
別の人間だよな。
そうなんです。
確かに親とは異へことは異へ。
そうなん。たまたまご縁で今回親子になってるけれど、
医師っていうのはみんなそれぞれ別々。
同じ兄弟でもお兄ちゃんと弟と全然違うし、
そこは自分の家族の在り方を、
一般の人と私は教えとめさんとしたらちょっと変わってるのかしらって日々最近思ってたところで、
この映画を見たので、
そういう面では環境全然違うから何とも比べられへんのやけど、
自分だったらどうだったんだろうってやっぱり考えました。
なるほど。
真莉も先生はどうでした?
いやー本当に、
僕は自分の家族はいてないので、
自分が子供としての家族しか経験がないから、
だけど、
このどうしようもないことをどうにかした家族っていうことで言うたら、
これを自分が同性愛者だって言うたことへの両親の反応をどうしても思い出してしまうかな、
というふうに思いました。
なるほどね。
この時は僕自身は両親の世話にならないように食わだててたので、
実際それでどうこうなることはなかったけども、
両親がその後どう行動したか、
どんなふうに僕に伝えてきてくれたかみたいなこともちょっと考えたりしたかな。
結局は、
両親の反応をどうしても思い出してしまって、
どういうふうに僕に伝えてきてくれたかみたいなこともちょっと考えたりしたかな。
結局は理解とかっていうことは進ませなかったというか、
僕が努力しなかったせいもあるし、
でも両親はいろいろ考えてくれてたみたいっていうことは伝わってきたんだが、
ちょっとそれを僕はあんまりちゃんと受け入れなかったというか、
なんというかっていうのが感じるかな。
でも理解は最後してたんじゃない?
どうなんでしょうか。
そうかもしれないけど、
認めるというか、
あえては否定はせえへんけれども、
僕もちゃんと語らない方が問題だけどね。
いや、難しいよ。
それは難しいよね。
両親とはまた違うからね。
だからそこっていろいろ難しいところだなという気もしたりして、
でもこういうのってお互いの相互作用みたいなもんじゃないですか。
そうです。
カミングアウトって単に言うだけじゃダメで、
その後お互いどういう交流をしていくかっていうことが大切だなって思うんやけど、
僕自身の方が親へのあんまりもういいやと思ってそこは当たりかけんかったっていうのが、
ちょっとあれかなって気はするんだけどね。
そういう意味で言うと統合失調症、この頃は分裂病って言われてたけど、
昔はね。
そこに対する偏見とか等に似たようなものはあるかもよね。
そこに対する怖さとかね。
そうそうね。
そこはあったかもしれないね。
そんなことも考えながら、
でも家族って難しいよね。
家族って難しいのよ、この距離が。
距離が、近いがゆえに。
確かにね。
私のこの言葉がいいか悪いかは本当に捉える方お一人お一人によって違うと思うんだけど、
やっぱりね、家族でも別の人間っていうことは忘れてあかんと思う。
それはもちろんそうですよ。
これめっちゃ大切だと思ってる。
ね。
家族だからって言うと、
本当に何か勘違いしてる人が結構多い気がする。
そうそう。
たまたま家族でめっちゃ気持ちがある人もあるけど、
そうじゃない人もいるよっていうとこですよ。
そうやね。
会わない人も中には出てくるのよっていう。
そうそう、絶対ある。
そこが分かってるとすごく楽やし、
そうなんですよ。
絶対そこはもう。
行きやすいよね。
たまたまいい親やったねっていうのもあるけど、
たまたまこんな親やったかっていうこともあるから。
あるある。
これは逆にいろいろな面になるやろうからね。
そうなん。
だから精神を病む方の中にはね、
なんでかこう思い通りいかないからって言ってしんどくなる方もいるやん。
きっかけの一つとして。
それが、いやそんなもんなんやってっていうのが分かってたら、
そんなに苦しまんでよかったのになって、
引き金にせずに済んだかもしれないのになって思うことが本当に多くて、
いや本当にいろんな人のいろんな考えがあって、
ねえ当たり前なんよって兄弟と言え、親子と言え、
夫婦はもっとやからね。
夫婦は一番ね、なかなかいろんな問題が大きいから。
だけどさ、一番セットにされるわけやん。
そうやね。
だからみんな苦しまなあかんね。
そうそうそう。
まあその時代時代で、あるいはその人ひとで変わってていいよね。
と思う。
愛と子育ての複雑さ
何よりもその人を恋愛している。
と思う。
何よりもその人を、幸が大事だと思う。
その人のアイデンティティやったり考え方やったりっていうのを尊重できるようなお付き合いができると、
みんな幸せになるんじゃないかなって。
尊重できたら本当にね、戦争怒らんのよ。
そうですか、そういう考えなんですね、あなたはね。
違うけどねって。
でもまあ、世界平和のために仲良くしていきましょうかって言えば話し合いできるんやけど、
合わせろってこうどうしたことあるじゃないですか。
つらいなあと思って。人間はどこまで行っても。
そこね。
そう、だからお母さんたちがね、うちは孫が7ヶ月でこれから大きくなっていくわけですよ。
で、かわいい、かわいいなんですよね。
確かにその時は。
でも、おゆめちゃんにも言うんですよ。思い通りいかん時が来るのよって。
私あんなに育てたのにって。でもそれを言うとあかんねんよっていう話をあった時にして、いつもおゆめちゃん笑ってます。
でもそういうのって子育てしないとわからないことやしね。
そうなんそうなん。どうしてもね、分身になるんですよ。何にもできない。
ちょっとごめんを話すと命にかかわるちっちゃい子たちやから、本当に私が私がってなりがちなんだけど。
本当にお預かりした子を育てるのがまずは仕事って思わないと。
お預かりした子やから必ず違う考えになっていくし。
とはゆえ、私が母の影響を受けたかの受けたように、やっぱり私の価値観って子供たちに影響を与えてるのね。
それはすごい実感するから、子育てってすごい大事って思います。
だから藤野家のお父さんとかお母さんは素晴らしい子育てをされてきたんやろうなって思う。
そうですよね。少なくとも監督見たらわかるよね。この監督の生き方見たらさ。
わかる。で、まこちゃんがあれだけしんどくても医学部を目指して、四郎よ。
だいがい長い4年ですけど、それでも医者になりたいと思ったっていうのは、やっぱり両親のこと好きだったからだと思うんですね。
信頼してたし、素晴らしい子育てしてきあがったんやろうなって思います。
ドキュメンタリーの意義
ですよね。
でもままならんよね、やっぱり人生ってね。
本当にままならないんですよ。だから100点でこれが大正解だった人生なんてどなたにもきっとなくてね。
ああだったらこうだったらってみんな思うんやけどね。
みんないろいろ思う中でね、なんとかやろうってことですよ。
本当にでもね、この映画は貴重なドキュメンタリーやと思います。
家族の歴史も落としてくれてるしってことですね。
ここまでさらしてくれてっていうのが素晴らしい家族やな、大事にしたいなと思います。
皆さんね、監督以外はいらっしゃらないけれど、批判は絶対してほしくないなって思います。
本当に本当に。実際多くの方見てくれてる映画みたいやし、こんなふうにね、後々まできっと語り継がれる映画になるんちゃうかなと思うんですけどね。
そうですね。だんだん大事にされていくかなとは思いますね。
ぜひそうなってほしいと思いますね。
はい。
じゃあ終わりましょうか。ありがとうございました。
ありがとうございます。
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