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2025-05-16 34:07

映画アマデウスと18世紀の精神医療 #1

精神科医マリモと姉のさくらが、歴史の中のエピソードを切り口に、精神科医療の知識をわかりやすくお届け。

 第1回は「映画アマデウスと18世紀の精神医療」18世紀の“患者見物”。そして今も残る「自分と違う人」への好奇心。19映画アマデウス(1986年)から紐解きます。

 

番組へのお便り

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Summary

映画『アマデウス』は、18世紀のウィーンを舞台に、天才モーツァルトとそのライバルサリエリの視点から物語が描かれています。この作品は、精神医療の進展を背景にしています。また、フランス革命の影響を受けた精神科医フィリップ・ピネルの鎖を取る活動が、当時の精神医療を考察する上で重要な要素となっています。 映画『アマデウス』を通じて、18世紀の精神医療とそれに関連する歴史的事実、および当時の精神疾患に対する態度が考察されています。特に、ロンドンのベスレム病院が観光名所となっていた事例や、患者に対する冷淡な視線が批判される様子が紹介され、啓蒙主義の影響も検討されています。 この作品からは、18世紀の精神医療の背景や医療の進歩が深く掘り下げられ、特にベスレム病院における特殊な事情や精神科医療の遅れとその葛藤が考察されています。

映画アマデウスの背景
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。
この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと
その姉で、障害をお持ちの方の就労支援事業所を経営していて、つい先日、初孫が生まれたサクラがお送りします。
フィリップ・ピネルが鎖を取る物語。
これを4回に分け、その第1回として、映画アマデウスから見る18世紀の精神科医療、
って何?
ありがとうございます。精神科医療を作った方々ってたくさんいるんですけど、
その一番初めに出てくるのが、このフィリップ・ピネルさんという方が、
患者さんの鎖を取るという映画が、わりといつも教科書には出てくるんですよね。
このサリ・ペトリエルで鎖を取るピネルっていう、この絵画ですね。
それがわりと教科書に出てくることが多いんですよね。
今回は1回目なので、この話からしようかなと思うんですよ。
ただ、この話が1991年から94年頃のパリの精神科病院であった話で言われてるんですけど、
これ、いわゆるフランス革命ですよね。フランス革命、知ってます?
知ってます。
1789年の2、3年後の話で、日本では天命年間、江戸時代の中期から後期ぐらいらしいですわ。
この話を言いたいなと思うんですけど、いきなりこの話を言ってもあんまり伝わらないので、
第1回目の今回は、この話につながる背景みたいな形で、
この同時代の精神科医療の話をしたいなと思って、アマデウスの話をしていこうかなって思います。
アマデウスの内容
アマデウスから見る18世紀の精神科医療ということです。
映画アマデウスの話をしますね。
映画アマデウスは1984年に風起られた映画なんですけど、
18世紀のウィーンで天才モーツァルトをライバルサリエリの視点で描いた映画です。
モーツァルトの死亡が1791年なので、ほぼ同時期になるんですね。
ピネルが患者さんの鎖を解いたと言われる時期と、この映画というのはほぼ同じ年代なんですよ。
この映画見たことあります?
私は見てるんだけど、最初から最後まできっちり見てないんです。
ところどころ、歌がすごく流行ったじゃない?
その関係でチラッと見たんやけど、今しっかり記憶に残ってるかって言ったらちょっとないんです。
そうですよね。
僕も映画館では見ていなくて、たぶんレンタルビデオですね、その頃ね。
懐かしい。
あとね、たぶんこの映画はテレビのロードショーで結構何回もやってて。
本当に?
たぶんそれで姉ちゃんも見たんちゃうかな?
ところどころで見たんかなという気がします。
テレビで見た記憶もね。
テレビで見たり、その頃はレンタルビデオが流行ってたので見たりとかっていうことでした。
なるほど。
ここでちょっと特徴的な記憶に残っていることがあるので、この話をまず言いたいんですけどね。
アマデウスの話を言いますね。
このアマデウスっていう映画は、初めにライバルの老人になったサリエリが自殺を図って精神病院的な施設に運ばれるっていう冒頭のシーンがあって。
そのサリエリの話を若い修道士が聞いていって、それを聞いて物語が始まるということになるんですよ。
ここは見てないかも。
見てないかもですか。
そこでサリエリが話す話を映像で送っていくということで、モーツァルトが活躍していって。
それに葛藤するサリエリの苦悩みたいな、嫉妬するサリエリみたいなのが描かれてくるということなんですけど。
有名なのがモーツァルトのマテキとか、いろいろ有名な舞台があるんですけど、
あれがその当時の感じで映像化されるというか、オペレーターが出てきたりとか有名な音楽が流れたりするんですよね。
あれが有名だったんですけど。
今日はここで言いたいのは、このアマーデウスの最後のシーンなんですけど、
このサリエリが最後まで語って、最後サリエリ自身が妄想を抱きちゃってることになるんですね。
自分が神となったという妄想を抱いたサリエリが、
精神科病院的な施設の廊下を介護人に押される廊下で移動するというシーンが最後なんですけど、
そこのシーンで、その施設の周囲に横たわる患者さんというか、座り込んでいる患者さんとかがいる中を、
私が皆の神だ、みたいな形でサリエリがちょっとつぶやきながら移動するというのが最後のシーン。
車椅子に乗りながら?
車椅子に乗って、乗りながらね。それが最後のシーンなんですよ。
これはもちろん映画でね、実はサリエリは別に精神科病院に入院したっていうのもないし、
そうなんだ。
普通に亡くなっていたみたいで。
映画ではモーツァルトの死亡に因果関係があるというか、
殺すとまでは言いにくいんですけど、見殺すみたいな形で描かれているんですけど、
これもフィクションで、事実ではないみたいなんですけどね。
18世紀の精神科病院
僕がこれを持ってきたのは、この精神科病院ってすごいとこやなって思ったので、
それをちょっと19世紀の精神科の、精神科病院のイメージとして感じたんですね、その当時。
10代後半から20代頃で、まだ精神科じゃない頃を見たんですけど、
こんな精神病院か、みたいなことが思った。そんなシーンだったんですけどね。
最初の精神科病院のイメージって感じ?
そうそう、画像で見たところなんですけど。
なるほど。
実際、私が医者になって精神科病院に体験するというか、仕事することになるんですけど、
その頃は平成なんですけど、古い病院もいっぱいあって、昭和の日本の精神科病院というところで働くことになるんですけど、
この感じとも、サリエリが体験した19世紀の精神科病院と全然イメージ違うので、当然違うんですけどね。
何がどう違うかというと、映画のシーンというのは、全然治療する雰囲気とかじゃなくて、
雑多な人がゴロゴロ言っているというだけのことで、ちょっと異様な感じがあったんですけど、
当然昭和の精神科病院というのは、一帳というか治療する病院なので、病院という感じだったし、
だけど実は今の病院とはまた違って、精神科病院独特の感じというのはあったんですよね。
その当時。
その当時もあったんですよ。今はもうないんですけど。
昔は日本の精神科病院って大広間みたいな畳敷きの、結構10人ぐらい寝れるようなでっかい畳の部屋があって、
座っこ寝で。
座っこ寝で。患者さんが布団で寝ているみたいな部屋もあるんですよ。
もちろんこいつもあるんですけどね。
あとやっぱり精神科病院で一番特徴的なのは、やっぱりちょっと匂いがするんですよ。
何の匂いですか?
多分、排泄物関連の匂いとか、カビの匂いだと思うんですけど。
カビね。
カビね。あんまり閉じ込めているから、開けっぱなししたりとかって基本できないんですよ。
あ、そうか。窓も開けられないよね。
窓も開けられない。
窓もね、あるんちゃあるんやけど、四六時中開いてるわけでもないし。
確かに。
昭和の頃ってカビ臭いなとか、排泄物ももちろん水洗トイレなので、直接漏らすことなんてあったとしても片付けたりするんですけど、
なんか染み付いたような匂いっていうのがあったなっていうのが記憶に残ってるんですね。
なるほど。
で、この18世紀の頃のことを思うとですね、
例えば排泄物処理って結構ひどかったんだろうなって想像するんです。
確かにね。
例えば別に病院じゃなくても、フランスのベルサウキューデンとかでもトイレがなくて、みんなオマルで用を出してたって言うし。
あのすごいきれいなドレスはトイレの時隠すためにも便利だったって聞いたことあるもん。
ねえ。だからすごく匂いって大変やったんやろうなって思うんですよね。
だから香水が発展したんですってね、フランスは。
なるほど、なるほどね。
だからまあ、なんていうのかな、やっぱりちょっとその当時の病院のことを思うとめっちゃ大変だったんですよね。
精神科病院とかって見たことあります?
私がこの仕事をするようになって初めてから、
障害者施設ですね。
そうそう、障害者の支援をするようになって、精神科病棟の見学に行ったことがあります。
そういう機会が研修としてあったので、参加させてもらって、
そうでした。どんな感じを受けました?
思ってたより自由だった、みんなが。
患者さんが好きなように好きな場所で過ごしていて、
好きなように廊下をうろうろしてるし、
好きなように私たち見学に行ったことがあって、
やっぱり病棟に入るときには鍵がかかっているドアがあったりとかがあったので、
昔の名残っていうか、患者さんの安全のために行くことができるようになって、
そういう感じだったんですよね。
そういう感じだったんですか?
そういう感じだったんです。
そういう感じだったんですか?
そういう感じだったんです。
やっぱり、昔の名残っていうか、患者さんの安全のためにこういうことになってるんだけど、
私自分が入院したのは出産のときだけなので、
そういうところにはもちろん鍵かかっているドアもないし、
もう少し自由度はあるから、
やっぱり独特の病気なんだろうなっていうのは、見学したときにも感じましたね。
そうですね。
隔離とか拘束とかって精神科の病院では言うんですけど、鍵をかけるということとか、
手足を縛ることとかも現在もあるので、できるだけ少なくはしたいという話にはなってるんですけど、
その辺のところは、21世紀にもつながる話なんですけど。
熱海の患者さんの安全のためやもんね、今は逆に。
そこもいろいろあるんだろうというところなんですけど。
その辺の始まりというか、18世紀どうやったかなという話をしていきますね。
18世紀の精神科病院というのは、
今で考えるところの病院とはちょっと違って、
貧民院というか共生施設というか、いわゆる施設と一体化していたと言われています。
例えばロンドンのベスレム病院というのが有名だったり、
パリではサルペトリエル病院というのが割と有名な病院があるんですけど、
ヨーロッパ中にいろいろあったみたいです。
ただ病院というか、収容するという施設だったみたいですね。
それ以外にも、教会関連の病院みたいな収容する施設というのもあったらしいです。
その管理とか隔離とかが目的の施設なんですけど、
医学的な治療というのはほぼ行われなかったと言われていて、
精神疾患がある人にとっては、
悪末期とか道徳的欠陥とかって考えられて、
鎖につながれて、檻に閉じ込められていたと言われている。
みんなそうではわけじゃないと思うんですけど、そういうのが目立っていたということですね。
医者というのも管理的な立場で少数で、
一つの施設に1人か2人くらいで、
看護人というのはこの当時はいてなくて、単に世話をする人という感じですね。
看守って言われていたみたい。
看守ってまた意味が違うよね。
そうなんです。ただ見張るというだけのことと、単に世話をするというだけのことと、
実際に動く人というのは教会関連の牧師さんというか、
教会関連の人がボランティアで働くという、奉仕するみたいな形だったみたいです。
看護師さんとかじゃないよね。
そうなんですよ。
なるほど。
この病院というのは、当時は当然保険とかがないので、
国が施設として運営したりとか、あるいは寄附で運営していたりとか、
結構、豊かな人というのは、こういったところには入らずに、
18世紀の精神医療の実態
自宅で介護されることが多かったと言われています。
なるほど。そういうことなんだ。
そもそもでも病院ということ自体が、この国の病院というのは、
自宅で介護されることが多かったと言われています。
そういうことだね。
そういうことだね。
なるほど。そういうことなんだ。
そもそもでも病院ということ自体が、この頃というのは、
施設的な意味合いが強くて、
いわゆる上流階級とかの人たち、あるいは一般階級の人も、
病気になったら、基本自宅なんですよね。
病院って、だから治療する場所じゃなかったってことなんだ。
そうそう。基本そんな感じ。
イメージは、例えば江戸時代とかで病気になった人は、
奥座敷で寝てて、お医者さんが見に来て、みたいなイメージあるじゃないですか。
確かに。あるある。
病気になったからって言って病院に行くわけではないと。
ただ病院という施設はあって、
身寄りがない人とか、
家に居ることができない人たちを収容するような施設的な意味合いを持っていたってことで。
そうやわ。日本だったら小石川療養所とかそうやもんね。
そうそう。だから基本病院っていうのは施設的な意味合いを持っていて、
あんまりちゃんと医療ができなかったんですよね。
へー。
特に精神科病院。
この当時って、精神科のお医者さんって居てたの?
一応居てたみたいです。
へー。
ただ多くなくて、
そういう施設とかに管理する人みたいにしていてたりとか、
ただ常療階級を専門に見るお医者さんっていうのがいてて、
その人の中では常療階級の人の悩みを聞いたりとか、
精神科的な治療をする人っていうのもいることは居てたみたいですけども。
居てたんだ。
そういう人らもまた出てきますね。
また2話以降そんな話もしようかなと思うんですけど。
市民による患者の見物
はい。楽しみです。
はい。
じゃあですね、このその当時の精神科病院でのちょっとひどい話をちょっと言おうかなと思うんですけど。
はい。
ちょっと今では信じられないような話なんですけどね。
はい。
このロンドンのベスレム病院っていうのは王立、国立病院なんですけど、
結構もう何百年も18世紀から前からあって、
そういう施設、精神疾患を持っている人とかいろんな人を収容する施設だったんですけど、
いわゆる有名だったんですけれども、
なんとそこの病院がですね、市民に見物料をもらって見に来させてたというか、
病院見物にお金を取ってたっていうのがあって、
それって患者さんのことを見に来るってこと?
そうそうそうそう。
その精神疾患の患者さんをロンドンの市民が見に来ると。
お金払って?
お金払って。
えー。
考えられへん、今では。
考えられないですよね。
ショック。
なかなかちょっと考えにくいけど、でも結構これが流行ってたらしくて、
年間に9万6千人が訪れたみたいな記録があったりとか、
ロンドンで最も有名な観光名所だったとか言われてます。
ショック。
私、話ちょっと飛んじゃうんですけど、
演劇が好きで、オペラ座の怪人ってよく見に行くんですけど、
怪人もそうやって見られてた一人やったからね。
あー。
これは精神科の患者さんではなかったけど、
見た目だったりとか、
人と違うっていうことで見せ物にされてて、
でも賢かったから逃げてきて、
オペラ座に住み着いたっていうのが物語の中の設定やったから、
あー、そうでしたね。
そういう時代があったってことよね。
うーん。
そうですね。
そういう障害を持つ方というか、
自分と違った方への興味っていうのを、
そういう形で表してたんですよね。
そうなんやね。
ちょっと悲しいですけどね。
悲しいですけどね。
一応、この時代にある記録なんですけども、
例えばベスト7病院のどんな記録が残ってるかっていうと、
病院の廊下は身なりの良い寝室宿所でいっぱいで、
中に閉じ込められた哀れな人々を見て笑っていた、
というような記載が残ってます。
ショックですわー。
ねー。
実はね、そんな風刺画が残ってて、
ウィリアム・ホガースっていう方、
その当時、新聞がちょっと出たらしいんですけども、
画家さんなんですけどね、
新聞にも載せるような風刺画を描いてて、
ベスト7病院で、
閉じ込められた人の絵と、
それを見て笑うというか、楽しむ寝室宿所っていうのを描いてて、
この風刺っていうのは、
ロンドン市民の残忍さももちろん描いてはいるんですけど、
そこに閉じ込められた人っていうのが、
物語の主人公が、
最終そこに閉じ込められて亡くなるというストーリーがあるんですけど、
その人の行為がね、
ちょっと、
何て言うかな、
荒唐というか、
倫理に合わんようなことをやったので、
最終そういう形になっちゃったみたいな、
ストーリーらしいんですけど、
でも、
そういう行為と、
そういう市民たちというのも、
一応批判しているという風刺が、
っていうのが残っているんですね。
その笑ってる人たちに対して、
啓蒙主義の影響
おかしいよなって感じる人もいたってことは、
そういう風刺があるんですね。
この頃には、
ちょっとそういう思いもあったみたいですね。
出てきてたということなのかもしれないですね。
やっぱり、
啓蒙主義とかって言うんですけど、
人間っていうのは、
理性を働かせて、
社会を進歩するんだと。
自由とか平等とか、
人権とかが、
尊重される世界になっていくべきだ、
みたいな考え方っていうのが、
あったんですね。
だから、
それが爆発するのが一つ、
フランス革命だと思うんですけど、
ヨーロッパ中にそんな考えが、
ちょっとずつ広がってきている時期だった、
ということなんですけども、
まだでもそれがね、
全部にはなってないんですけどね。
そうですね。
そうか、
そんな時代を経て、
そんな時代を経て、
歴史がずっと続いてきているわけですね。
そうですよね。
そうですよね。
一応、ベストラン病院の勧告っていうのが、
1760年とか、
70年に廃止されている、
ということがあるので、
多分きっちりは書いてなかったんですけれども、
人権意識が高まったりとか、
やっぱり病気っていう人を
検別するのは問題だよなっていう、
こういう批判がですね、
高まってやめたのかなって思うんですけどね。
すごい。
人間ってちゃんと自分で気づけるんですね。
そうですよね。
そうですよね。
やっぱりちょっとずつ進歩したのかなって思うんですけどね。
今日のお話はこのくらいになるんですけど、
はい。
まとめとしてはですね、
17世紀のヨーロッパでは、
精神疾患がある人は、
自宅で養生して、
そうでない人は仕方なく入院してたと。
入院したら、
閉じ込められたりとか、
鎖に繋がれることもあって、
自宅で養生して、
そうでない人は仕方なく入院してたと。
で、入院したら、
閉じ込められたりとか、
やっぱり精神科の病気っていうのも、
一般社会にも認知し始められてたなっていうところでした。
そうか、17世紀なんですね。
17世紀ですね。
フランス革命前後というところになりますね。
これを土台に、
精神医学も進歩するということになりました。
ちょっとこの話を聞いて、
ちょっと思ったことがあるんですけどね。
アルモ病院を観光したロンドンの18世紀の人たちと、
実は僕たちがアマデウスを見て、
妄想を持ったサリエリを見て、
ちょっと楽しんだというか、
ひどいなと思った気持ちも含めてなんですけど、
妄想を持つ人への興味っていうのは同じかなと思って。
つまり、精神疾患というか、
自分たちとは違うわけではなくて、
自分たちとは違う人を見たいっていう要求っていうのは、
その当時もあったし、
実は僕たちも持ってるんだっていうことで。
ただやり方とは全然違うので、
実際の観客さんを見に行くか、
映画というか、役者さんを演じたのを見に行くかの違いは大きくはあるけれども、
ちょっとこういう残忍なところっていうのは、
まかり間違うと残忍になったりすることっていうのは、
人間の気持ち、僕たちも持ってるなって思ってて。
なんかこう、違いを知りたいっていう気持ちは、
誰にでもあるような気はする。
その残忍な気持ちじゃないかもしれないけど、
何が違うんだろうとか、どうなってるんだろうっていうのを、
見たいとか、知りたいっていう思いはあるかもしれない。
そうやね。
純粋な好奇心なんですけどね。
まあ言えばね。
ただそれがちょっと悪い方に行っちゃうと、
辛い方を傷つけてしまうリスクもあるかなと思ってて。
それはそう思います。
だから僕が精神科医になったのは、
よくわからないんですけど、
動機の一つにも、
そういう方々に触れ合うことを、
なんとか治したいという気持ちがもちろん一番ですけども、
でもよく気持ちを探ると、
そういった人たちを知りたいというか、
そういう興味というか、
そういうのももちろんあったということがあるので、
だからあんまりそこのところを自覚してですね、
あんまり患者さんに触れ合うというか、
自制的でないといけないというか、
暴走しちゃうといろいろリスクがあるなということは、
やっぱり患者さんを会う中で思うんですよね。
確かにね、
普通のって言葉はよくないと思うんですけど、
風邪を見たり、
例えば肺炎の病気を見たりしている先生とは違って、
精神科の先生って人に向き合っているじゃないですか。
どちらかというと心に病原菌とかウイルスじゃないとか、
心に向き合っているお仕事なんだなというのは、
私は就労支援の仕事をしてから、
大きく同じお医者さんという国の中でも、
見ているところが違うんだなというのは感じます。
病原菌とかウイルスとかね、
そういうのってすごく分かりやすいと思うんだけど、
この精神科の治療っていうのは、
ウイルスじゃないじゃないですか。
薬でこれをやっつけたら治るよっていうものじゃないから、
そういう意味では人を見る、興味を持つっていうのは、
いい意味で大事な好奇心になるんじゃないかなとは思えるようになってます。
確かにそうですね。
同じお医者さんでもそこは大きく違うんだろうなと思うんです。
ガンを治すお医者さんだったら、
お腹切ってガンを取って、
治していきますっていうのができるんだけど、
精神科の先生っていうのは、
精神医療の進歩と葛藤
やっぱり人に向き合わないといけないんだろうな、
そういう意味で、いい意味で興味を持って、
患者さんと接してるんだろうなっていうのは感じてますね。
精神科医も患者さんを良くしたいっていう思いが、
全ての医者と同じく、
やっぱり良くするっていうことを、
外科とか内科の先生って、今後すごい大成功を収めていくことになるんですよね。
大きな薬とか技術とかを手に入れることで、
この先どんどん進歩していくことになるんです。
17世紀以降ね、18世紀以降が。
社会が変わるぐらい大きく医療は進歩していくことになるんですけど、
精神科医療も20世紀に入ると大きく進歩するところもあったりもするんですが、
その歩みはちちとして遅くって、
やっぱり内科とか外科には遅れてるところもあるんですよね。
だから僕らも内科とか外科と同じように、
この薬飲めば良くなるよぐらいの、
この治療すればすぐ良くなるよっていう形に、
やっぱり良くしたいという気持ちがあって、
だからその葛藤がゆっくりなので問題が大きいんですよね。
そうなんだね、そうね。
でも精神科医療のことをそんなふうに考えていただいているのはありがたいなと思いますね。
大きく違うなと思いました。
同じ医者、ドクターという国の中でも、
精神科の先生は本当に患者さん一人一人も全部違うじゃないですか。
流行ってくるインフルエンザとかだと、
この薬でみんな治せるよみたいな薬が開発できるし、
流行りだしたらみんな同じ症状が出るじゃないですか。
咳がひどいよとか、今年は鼻水がひどいよねってみんな共通なんだけど、
精神科の病気については本当にお一人お一人が全部違うので、
だからさっきマリモ先生が言った、
父として進まないんだっていうのは、やっぱり一人一人全部違うから、
研究するのも大変なんだろうなっていうのは想像できています。
いまだにガッチリ絶対これですよっていう確実な理論があるわけではないので、
ただ行きつ戻りつしながら進歩しているのにも間違いないので、
そんな話をしていきたいなって思いました。
経済と精神医療
じゃあ一旦これで終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございます。
では早速エンディングの話をしていきましょうかね。
では第1回取りまして、
ありがとうございました。
いやいや、きっちりご意見を言っていただけてありがたかったです。
本当ですか?ありがとうございます。
いやもう本当に率直な感想かな。
今ね、お仕事も就労支援のお仕事なので、
精神科の先生とも接する機会もあるし、
医療では患者さん、福祉の分野とか、
医療では患者さん、福祉の分野では利用者さんになるんですけど、
そういう方と毎日接する機会もいっぱいあるので、
ただ今日のお話は結構ショックでした。
見物してるやつね。
そう。やっぱりそういう歴史確かにあるよなと思って。
じゃあ自分の中にそういう気持ちがないのかって言われた時に、
いや、みんなあるよなと思って。
いい意味でも悪い意味でも好奇心っていうのは人間絶対持ってるから。
そうですね。変な風に暴走しちゃうとこうなるのかなって思うんですけどね。
この話も、ベステルム病院さんも痛めつけようという思いじゃなくて、
どうもお金の問題もあったみたい。
経営のためね。
公立病院だったけど、経営のためっていうのもやっぱりあって、
ちょっとこの辺のね、次また病院の話をやるんですけど、
お金問題って結構大切だったんだろうなって思ってます。
そこってやっぱり経済原理があるので。
ありますね。どの時代もそうですよね。
どの時代もあって、今の時代ももちろんあるんですけどね。
そういうことって、やっぱり医療と密接だったりとかってするんかなって思いますね。
なるほど。
そっか。笑うがダメだけではなかったっていう理由ね。
そうそう。見たいっていう思いもあったのと、来ていただいたらお金取れるやんっていう風に考えた人がおったんでしょうな。
どっちもウィンウィンやって考えたよね。
ウィンウィンで、これでいいやんっていう風にやったということなんでしょうね。
なるほど。
ただやっぱりこのベスレム病院は有名なんですけど、それ以外にたくさんヨーロッパにも精神科病院あるんですが、
他の病院でこんな風になってたかどうかっていうのはよくわからんというか、多分なかったんだろうなと思うんですけど。
そうなんですね。ここベスレム病院だけ。
だけだったみたい。
なるほど。
ベスレム病院っていうのがすごくヨーロッパでは有名な精神科病院だったらしくて、昔からそんなんだったのでっていうこともあるみたいなんですけど、
だからちょっとそういう特殊な事情があったのかもわからんのですけどね、このヨーロッパ、ロンドンなんですけど。
なるほど。
はい、そうなんでした。ありがとうございます。
ありがとうございました。
また次回からどうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそ楽しみにしてます。
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオは、毎週金曜日午前9時に最新話が更新されます。
お聞きのアプリでフォローして最新話をお聞きください。
また番組を聞いてくださった感想やご意見を募集しています。
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