ここもね、実は古代とか中世とかはあんまり考えられてなかったみたいなんですよ。
関係があるとかね。
このマスターベーションについては、若干の罪悪感はあったものの、近世とかに考えられてたような強い拒否感というか、
罪の意識っていうのはあんまりなかったようなんですよね。
キリスト教が入る前のこのギリシャ時代ですかね、
その時代、西洋の医学では、性的なものはどのように考えられたかっていうのがあるんですけれど、
ガレノス説っていうのが、古代のギリシャの中では有名だった医学があるんですけれども、
死体液説って言って、人の健康とか病気っていうのは、体の中の4つの体液の量と均衡で決まるみたいな理論があったんですけど。
余計難しそうな内容ですよね。
例えば血液とか胆汁とか、いろんな液体のバランスで、人間の健康とか病気が決まるよっていう考え方があったんですけど、
ガレノス医学の中で、性行為についても考えられててね、ちょっと直接的な言葉になるんですけど、
性行為にて男女とも性域を放出して、快感を覚えて、男女双方の性域が混合することによって受体が起こるって、その頃考えられてたんですよ。
女性がオーガニズムに達さないうちに男性が射精してしまった後、女性の人がマスターベーションをすることでオーガニズムに至ることについてはいいという意見だったんですね。
それによって妊娠することができるよっていう考え方もあったようです。
つまりマスターベーションがめっちゃ悪いこととは考えられてなかったようなんです。
その後キリスト教が入ってきて、キリスト教中心の世界になってくるんですけれど、その中ではマスターベーションは否定的ではあったものの、いろんな罪がある中の非常に軽いものの一つとみなされていて、
でも罪なんよね。
一応罪とはされてたけれど、非常に大きな罪とはされてなかったようなんですよ。
宗教的にいまいち良くないことって考えられてたものが、医学的に悪いものですよっていう風になってくるのが、だいたい18世紀ぐらいからなんですよ。
これは割とわかっていて、1716年にですね、ロンドンで出版された本があるんですけれど、この人はね、著者名がわかってなくて、ただこの著者っていうのが、もともと牧師あった人がイカ様医師になったって言われてて、ちょっとかなりいい加減な本かなって言われてるんですけれど、
その本がこのマスターベーションの罪を強調したんですよね。
あまり信用されてないのに。
マスターベーションって悪いものですよっていうことを言い始めて、その罪の一つに病気になるっていうことも書いてて、その病気の一つに精神疾患もあるって言われてて、これがね、割と流行っちゃうみたいですよ。
この本の名前がオナニアっていう名前の本で、これからオナニズムっていう言葉になったみたいね。
そうなんや。
だから、ここからオナニーっていう言葉が出てきたみたいです。
なるほどです。
18世紀のこの話なんですけどね。
そこから40年後なんですけれども、1757年にちょっと有名な本がこの時代で今出るんですけれども、オナニズムっていうティソーっていうお医者さんが書いた本なんですけど、
このオナニズムっていうティソーが書いた本は、マスターベーションが心身ともに重大な疾患を起こしますっていうふうに言いました。
お医者さんが?
お医者さんが。
何を原因にそういうふうに言ったんやろうね。
そうですね。中にそんな人もおったということからだと思うんですけどね。
たまたまね。
たまたまということだと思うんですけど、いろんな病気っていうのが全身衰弱が起こったりとか、呼吸器疾患が起こったり、視力低下、体力低下、脳のあらゆる変調が起こるということを言ったわけですよ。
マスターベーションとか性のこととかを考えた学者さんとかが指摘されているのは、18世紀ぐらいっていうのは、宗教的な思いっていうのから科学的な理論にだんだん移ってはくるんだけど、世の中としては。
その中の一つとして、宗教的な罪悪感、医学の言説に転換されてくると。その一つの代表選手として取り上げられちゃったのがマスターベーションだったのかなって。
なるほどね。
宗教の世界から科学の方に一歩進んではくるんだが、その中のちょっと不安というかドロドロしたものっていうのがマスターベーションに行っちゃったみたいな感じなんかな。
19世紀になってからどうなるかっていうことなんですけど、この精神医学で僕たちが勉強した人の名前が出てくるんですけどね。
19世紀の初頭にピネルさんっていうのが精神医学の教科書を書くんですよ。この時には精神疾患の原因としてマスターベーションというのはなかったんです。
そこから12年後、ベンジャミン・ダッシュさんって覚えてますかね。
はい、出ましたね。
アメリカの北米の精神医学の父と言われる方ですけれども、いろんな功績があった方なんですけど、この先生が精神医学の教科書を書いてるんですけど、その中にマスターベーションは身体とか脳に作用して精神障害の原因の一つになるって書いてる。
え、ダッシュさんがそう書いたんだ。
ダッシュさんが書いてますね。
マスターベーションにより、肺脳障害、脊髄疾患、呼吸器疾患、消化器疾患、しぶり腹、めまい、転換、各種精神疾患、認知症になると。
その後マスターベーションの外に悩む人、そういう人とそれを治療している先生の手記も紹介しています。大真面目で議論されていました。
そうなんや。
そこから4年後ですけれども、フランスでピネルの後を継いだエスキロールさんというのを見ていたと思うんですけど、この方も教科書とか創設を書かれるんですけどね。
そこの中でマスターベーションは全ての国で精神疾患のありふれた原因であると認められているという言葉がありました。
そうなんだ。原因になっちゃったんですね。
そうなんですよ。つまり19世紀の初めぐらいの精神医学が重くに閉じ込められているのからしっかり治療しなければならないよという偉大な先人が言った先生が、原因の一つとしてマスターベーションがあるかもねということを言い始めていたんですよ。
1845年のグリジンガーさんという人がいているんですけど、この人はドイツの精神医学、精神病理学の祖と言われる方なんですけれども、
この方もマスターベーションは精神障害の重要でよくある原因であると。
マスターベーションは体に影響するだけじゃなくて欲望に負けてしまう恥と失望がその病気の原因となるみたいだね。
グリジンガーさんというのもとても有名な精神医学者で、まだちょっと古い教科書とかには名前出てくるし、この方が言った体質、いろんな体質によって精神病が変わるみたいなことって20世紀僕らが学生時代もちょっと習ってましたね。
そうなんですね。
それぐらい割と有名な人なんですけどね。
こういう大化の方々っていうのが19世紀の初めぐらいはマスターベーションは精神疾患の一つですよっていうことを言ってはったわけですよ。
なるほどです。
だからクレイ・シューゾーが日本に精神疾患を輸入した先生ですけれども、こういう先生方の言説をとって、このマスターベーションは精神疾患の原因ですよみたいなことを書いてたわけですね。
こんだけの先生がずっと書き続けたらそうなりますよね。
はい、そうなんですよ。
それの極めつけというか、集大成と言われるのがあって、それが1887年のマスターベーション性狂気というふうに言ったスピツカっていうニューヨーク州立大学の神経解剖学の教授先生なんですけれども、その先生が言い始めて、マスターベーション性狂気っていうのを詳細に記載しました。
ちょっと前で言うところのハカガタの分裂病っていうのがあるんですけれども、それとよく似た症状かなっていうことを記載したんですね。
統合視聴症の一つのパターンとして、このマスターベーションによって起こる精神疾患の類型があるよっていうことをスピツカは言ったということですね。
なるほど。
ここでですね、大きな転換が起こります。
精神医学ってまだ全然この頃って体系化されてなくて、どんなもんだろうっていうのがよく分かってなかったんですよね。
それらをしっかり分類しましょう。脳の原因であろうからきっときっちり分類できるはずだって考えた先生がいてて、それがクレッペリンなんですよ。
クレッペリンってちょっとね、斉藤茂吉の時かな、ちょっと名前が出たかと思うんですけれども。
現代にも非常に大きな影響を与えている偉人ですけれども。
知名な先生ですよね。
その方がですね、このマスターベーション性狂気っていうのはないよって否定します。
クレッペリンはですね、19世紀の終わりぐらいですね、ドイツの教授として精神医学のことで大きな業績を残すんですけれど。
その中の教科書にですね、創発性知法、今で言うところの統合失調症の概念を確立する先生なんですけれども。
その中で、統合失調症っていうのはマスターベーションによって引き起こされるということは決してないと断言します。
このスピツカが言うたマスターベーション性狂気っていう仮説は否定されて、マスターベーションっていうのは原因じゃなくて症状ですよ、あるいは随伴症状、併発現象ですよっていうふうに再定義されます。
すごいな、なんでそんなふうに言えたんでしょうね。
その当時治療っていうのはあんまりはかばかしいのはできなかった。つまりお薬も対処はできないし、とはいえ人道的なこともしないとならないし、精神医学者は何をせなあかんのかってみんな悩んでた100年間だったと思うんですけれど。
クレッペリンはとっても観察したと言われている。その観察というのも場面を見るだけじゃなくて、柔断的に経過を合いこと見たって言われてるんですよ。
つまりこういう症状を持っている方が十数年後こんな症状になってこんなふうになるっていうことをこと細かに見ていたんですね。
何千人もの患者を発症前から発症時とその後再発とかして慢性的にこんなふうに至るよっていうのを長期間に渡って追跡していったと。
すごいですね。根気のいることですね。
本当に何十年もかけてやっていくんです。もちろんこの人は教授先生なので、全く一人でやったわけじゃなくて、多くの弟子さんを作りながらやっていくんですけど。
でもそこで事実に気づくわけですね。
つまり統合視聴症とか躁鬱病と言われるような精神疾患というのはマスターベーションをしていてもしなくても発症するし、その後の症状というのも
症状とマスターベーションというのは特別に関係があるというわけでもないよっていうことがわかったんですね。
なるほど。
絶対マスターベーションは精神疾患の原因ではないっていうことをクレッペリンは確認したわけです。
データですね。
データでね。
それを示されて、多くの科学者はそうなんやって僕たち間違ってたんだっていうことに気づくということが起こるんですね。
今までどんなふうにして考えられてたかっていうと、この原因と結果が取り違えられてたんですよね。
クレッペリンが起こるまでっていうのは、この精神病が持っている方にマスターベーションが多いっていうことがなんとなくわかってたので
これまあなんとなくなんですけれども、だからマスターベーションが原因だろうっていうふうなことを考えてた。
なるほど。
けども、クレッペリンさんっていうのは精神病になって、衝動制御が低下してマスターベーションが増えるってね。
これが結果なんですよっていうふうに考えたってことですね。
そういうことでしょうね。
つまり原因じゃなくて結果の一部ですよっていうふうに考えたんですけど。
でもこの考え方も実は現代から見ると違ってね。
精神病を持つ方がマスターベーションが多いっていうこと自体が間違い。
別に変わらないし、むしろ少ないかなって言われてるんですけど。
これなんでこんなふうに思われてたかっていうと、精神病を持つ方っていうのは入院するわけじゃないですか。
つまり入院するとマスターベーションしている場面が目撃されやすいんですよね。
なるほど。観察されますもんね。
しかもその隠す能力も一般の方よりも低下して見つかりやすいっていうこともあるし。
しかもですね、一般の方っていうのは自分のマスターベーションはしてないって言ってるんですよ。
偽ってるわけですね。
まあね、そうでしょうね。
つまりだから一般の方の方がむしろマスターベーションが多いくせに、
たまに見かける精神疾患を持っている方のマスターベーションが多いって言っちゃうんですよ。
ということが起こったということなんですけど、それはそれとして。
それはそれとして。
一つですね、原因じゃないっていうことが分かると。
つまり精神病の原因にマスターベーションはならんよということがクレイプリンは言ってくれるんですけど、
ただでも人間、そうしたらすぐにマスターベーション無罪方面かって言うとそんなわけにならんのですね。
じゃあ今度はマスターベーションが悪いっていうのは精神病じゃなくて、そうじゃない病気の原因になるんだっていう話が広がってきます。
やっぱり悪いものだってしたいですね。
やっぱり悪いものにしちゃうんですよね。
それがこの精神衰弱っていう話なんですけど、
ちょうどですね、この19世紀の終わりぐらいにこの精神衰弱っていう概念が広がってきます。
これどんなのかって言うと、ざっくり言っていわゆる精神病と正常の方の間にあるような状態のことを精神衰弱っていう概念をこの当時できるんですよ。
今でいうところの軽度の鬱とか不安とか身体症状症とか自律神経症状とか慢性疲労とか、
ちょっと元気がないような状態、不安が強かったりとかってするような状態を精神衰弱っていうふうに読んで、
こういう病気もあるよねっていうふうに考えられるようになった。
神経衰弱っていう概念がこのジョージ・ミラー・ピラードっていう先生が提唱するんですけど、
この神経衰弱っていうのは、現代文明が生み出した病気なんですよ。
つまり、近代の文明とか工業社会とかができることによって、あるいは知的労働とかをする方がなる病気だっていうふうに定義されます。
鬱とか不安が?
実際、確かにそういった方にこれが目立ってきたんだと思うんですよ。
今までそういった方っていうのは、あんまりいてなかったんですわ。
主にこの労働者っていうのが中心だったと思うんですけど、
ホワイトカラーっていうんですかね、ちょっと前の言い方で言うたらさ、
デスクワークをするような方々っていうのが、19世紀末ぐらいから出てくるんですけど、
そうした方がかかることとして実際出てきたと思うんですよ。
現代も割とあるっちゃある話、鬱病みたいなことで言うこともあると思うんですけど、
適応障害とかって言われることもあると思うんですけど、
これを精神、神経衰弱というふうに言って、それが流行する概念になるんですけれども、
それの原因っていうのが文明化とか都市生活とか疲労とかっていうこと、
プラス、このマスターベーションとか性行為の過多っていうのが原因だって考えられるようになります。
合ってるようで間違ってるって感じですよね。
そうなんですね。環境っていうのが若干影響してたっていうのはそうなんですけれども、
ここでマスターベーションっていうのも入り込んできちゃうんですよね。
ところがこれも大きく否定されることになります。
20世紀に入ってフロイトさんっていうのが精神分析っていうのを確立するんですけど、
このマスターベーションっていうのは病気の原因じゃなくて、
普遍的な発達段階の一部ですよっていうことを定義しました。
正直にマスターベーションすることは正常なんですよと。
問題になるのはその気持ちを抑圧したりとか罪悪感を持ったりとか、
長寿がって言うて、自分の親とかから怒られるという概念。
そいつが原因なんだと。
そういうことが強く思うことによって神経症っていうのが起こりますよって。
ざっくり言うでマスフロイトは言ったわけですよ。
マスターベーション自体が異常なんじゃなくて、
マスターベーションをめぐって抑圧されたりとか、
それが悪いことって言われたりすることが病気を起こすんですよっていうことを、
フロイトなりの科学の理論で証明するわけなんですね。
科学ですごい。
フロイトは観察というよりも一人一人の気持ちの中を科学的に見たっていうのが優れてるとされてて、
こういう話って人文的というか、科学にはできないってされるんだけれど、フロイトはこれを一応科学にするわけですわ。
すごいですね。
それがすごいよということでみんなに認められて、大きな学問にはなるんですけれども、
そこってその後ちょっとどうなんかなって言われることもあるんですけどね。
それはともかく、とりあえずこのマスターベーションというのはそんなに精神医学的にも悪いものじゃないよということを、
フロイトの理論では証明することになります。
なのでマスターベーションが神経衰弱を引き起こすという説も否定されることになって、
つまり20世紀の初めぐらいには医学界の中ではマスターベーションというのは病気の原因じゃないよっていうふうに証明されていくことになりました。
これによって日本の方にも同じような話が入ってきて、
明治大正のぐらいではマスターベーションが精神疾患等の原因じゃないかと言われていた説があったんですけれども、
それは徐々に否定されていくことになります。
ただとはいえ西洋の中でも100年ぐらいはマスターベーションが精神疾患になるという説が長いこと維持されていたんですよ。
結構長いこと原因説になってましたもんね。
なってましたね。100年って言ったら人の人生で3代に渡ってみんな信じているというような状態なんですけどね。
これは何でかということを考えた方がいているんですけど、20世紀になってそういうのがあるんですけども、
何でこんなに長時間マスターベーション仮説が維持されたかということには3つ説があって、
まず第一に医学の権威者ですね。
エスキロールとかグリジンガーとかモーズレーとかというイギリスの人なんですけれどもね。
このタイカがこぞってこのマスターベーション仮説を支持したということも原因だし、
それを疑うような説というのがなかった。
全く反例というのを挙げていなかったんですよね。
あともう一個、健康とされる人のマスターベーションというのを軽視していた。見なかったということがあるんですよね。
見たくても見にくいですよね。見せてくれないしね。
それを例えば山本千次とかは一般の方ってどうなんだろうということも明らかにしようとしたけれども、
その当時の風潮としてね、やっぱりこういうのを議論してはダメだみたいな風潮があったりするので、
なかなかそこまではいかんかったということです。
というようなことがあって、100年間ぐらいはこういう間違った仮説が支持されていて、
ただ20世紀の初頭になって、こんな説はやっぱり間違ってるよっていう風になりました。
なんかでも性的なものって今でもだいぶオープンにはできるけど、
人事の話はできても身近な話ってやっぱりみんなしたくないもんね。
うん、そこですよね。
そこかな。それがずっとだから今もあるかもしれませんね。
僕は思うにそういった気持ちも大切にしなきゃいけなくって、
むやみに踏み込みすぎるのも問題を引き起こしてしまうかなとも思うんですけど、
でもとはいえそれでずっと踏み込まないと、
このマスターベーション仮説みたいになってしまう、100年になってしまうこともあるので、
そこのバランス難しいなって思うんですよね。
本当ですよね。
そのためにこういうポッドキャストがあってもいいですね。
そうですね。たまにはね、時々ね。
そんなことも考えてみるのはどうだろうっていうことやし。
今みたいな本当にいろんな討論ができる時代が来るとは、私が思春期の頃は思えなかったし、
やっぱり古い考え方が全体的にまだ残っている最後の時代ぐらいだから、
でもそこからは一気に時代が変わったしね。
これから私の孫、今ゼロ歳ですけど、
この子たちが二十歳越えて大人になった時っていうのは私も全然想像できないから、
どんな時代になっててAIが入ってきて、
それこそいろんなことが科学的に進んでいくんだけど、
でもこの人間の心の問題とか恥ずかしいとかさ、
相手の気持ちを思いやってとかっていうのはそんなに急には変わらないやろうから、
どんな時代になるんだろうな、どんな融合するんだろうなっていうのがもう全然想像できないです。
本当ですね。
楽しみでもあるんだけどね。
言えるのは確実に変わるよね。
変わる変わる。絶対変わる。
ちょっとふされがち、あんまり大っぴらには言われないような概念こそ変な風に変わってくるんやろうな、
変な風に言ったら怒られるけど、思っても見ない風に変わってくる可能性あるよねっていう気もするね。
言わないことでねじ曲げられるっていう可能性はすごくあると思う。いろんなことがね。
こういう精神医学については、こうやって身近に感じない方っていうのもいるでしょう?
いますね。
家族さんとか友達とか自分の周りに精神医学が必要のない人生の方も必ずいるので。
そうなんです。いらっしゃるんですよ。こういう方がいてるんですよね。
そういう方たちの中では、あんまり語られないことっていうのもきっとたくさんあるし。
そうなんですよ。精神疾患なんてないっていう人いますからね。
そうなの?
そこまでは言い過ぎですけど、それ自体を信じないっていうかね。
そうやろうね。身近に接したりとか、関係を持てない方っていうのは、望む望まないにかかわらずね、全然そういう方に接しなかったっていうのもあるから。
そうですね。
そういう面では、誰もが身近に知識としては知っておけるっていう環境は大事かなと思いますね。
そうですよね。心理的な幅っていうかな。知識の幅っていうかな。こういうのはやっぱりできるだけ持っておくことは大切ですよね。
今本当にこういうポッドキャストとか、自分で選べるし、あえて避けずに、選べるからこそ面倒くさいとか言って避ける人、自分の好きなことしか聞かないっていう人も多いんだけど、
たまに何なんだろうこれって言って興味を持って見るのはすごく大事なことかなと思いますね。
このフィルターバブルってやつでね。
動画を見ていると興味があると思われる動画だけが流れてきて、っていう話ですよね。
そうです。そこの選択が自由になった分、すごく逆に視野が狭くなっていくんだろうなっていうのは思いますね。
そうですよね。
図書館行かないでしょ、今の小さい子は。ネットで本読めるから。
図書館に行くとね、私よかったのは芸術の本があるんですよ。
芸術?
そう、図書館行って芸術の本とかって見ないやん。
美術とかってこと?
そうそうそうそう。
美術のすごい図鑑とかがガーンって持ち出し金の本なんだけど、
すごく普段お目にかかれないようなすごい美術の本がずらっと図書館には並んでて、
私小学校のね、本当に小さい時やったんやけど、こんな絵があるんだ世の中にと思って、
すごい一時通った記憶があります。
それは市の図書館ですか?
そうそう、私小学校の隣に図書館があったんですよ。
正門が出たすぐのとこに。
あそこに、基本早く帰らないと母に叱られるから早く帰らなきゃいけないんだけど、
今日図書館に寄るからって言って、本が好きだったんでね。
割と図書館に寄って本を借りてっていうのがあったんですよ、週に1回。
その時に続きものとか読んでると、借りる本ってすぐ決まるじゃない?
すぐ帰ればいいんだけど、ちょっと寄り道したいんですよね。特別な時間だから。
その時に大人の方の本棚へ行くとね、持ち出し金ですごい図鑑とか美術の本、
ただ絵が並んでるだけじゃなくて、その解説が書いてあったりとか、
またこの漢字が難しくて分からないとかいうときあったんですけど、
とにかくその絵がすごくて迫力があって、それが気になって通った時期がありました。
すごいな、そのダ・ヴィンチとか、モナリザとかそんなやつ。
モナリザとかダ・ヴィンチとかさ、ゴホさんとかさ、そういうのってテレビで見れる時代やったやん。
とりあえず有名な。だけどその見たこともないような色彩とか、その絵の種類っていろいろあるでしょ?
印象派だったり油絵のすごいもんだったりとか、
ああいうのを絵本みたいな感じで見て、すごいなんか分かんないけどワクワクしながら見たのを覚えてます。
それは今まで私が生きてきた中で、感じたことのない世界でした。
音楽はさ、割とほら、ピアノが身近にあったりとか、
音楽を父がかけてたりとかっていうので耳にはする機会はあったんだけど、
その絵画の方の文化な、あの芸術、それは学校の水彩画とかはあるんだけど、
でもその図工とかの本にない本格的な西洋の絵だったり浮世絵の絵だったりっていうのは、
いや本当にすごい本だったのよ、そういうのが図書館にはあった。
そういう意味で全然知らない自分の知識を得た瞬間ではあったんですよ。
絵って私そんなに上手に描かんから、好んで描いたりっていう習慣も今もないんですけど、
でも見るのは好きになりました。
そうなん?
そう。
え、じゃあさ、例えば美術館に行ったりとかそんな話になってくるの?
そうそう、実は私絵画ってなかなかほら、期間が決められてたりさ、遠かったりするでしょ、都会はすぐ行けるけど、
私は田舎に住んでいるのでなかなか行けるときは行くんだけど、
いやそうじゃないとき、私ね、徳島にある大塚製薬さんが作ってる大塚美術館ってある。
はいはいはい、東版のやつね。
そうそうそう、東版画の、あれがね、世界中の有名な絵がほとんど集まってるので、
ですよね、はい。
あと彫刻とかもあるでしょ。
はいはい。
あそこにね、結構足しげく通ったんです。
あー。
ここを2年ぐらいは用意ってないんだけど、ね、2回ぐらいはね、そうそう、ああいう、あの空間で1日過ごせる。
あー。
そういう意味で、そうそう、だから、芸術は小学校の時に出会って、見るのは好きだし、見ても意味わからんのってあるんですよ。
私あの戦争描いたゲルニカとかも、いろんな解説がいろいろあるんだけど、見ててほんまに?って思うことが結構あって、
いろんな解釈が、どこからこういう解釈が出るんだろうと思ったりとか、
いまだにわからないっていう世界なんですよね。
うんうん。
でもそれが、私あのこの障害福祉の仕事を10年前ぐらいからちょっと勉強しだして、
あの病気のこととかを勉強してると、似たような感覚になるんです。
うーん、はい。
そう、同じ病気なんだけど、統合失調症って言っても、あの、同じ部分もあれば全然違う部分があったりとか、
あのいろんな解説書ってあるやん、医学書で、で私たち福祉の人が勉強するものってあるんやけど、
そこに解説はあるんだけど、でも実際接してる利用者さんで、この病気の診断が下ってるけど、
え、先生ほんまに?この診断であってるん?とかって思う人もいっぱいいるし、
うんうん。
そういう面では、このゲルニカ見たときのほんまに?って思うのと、結構似てるんです。
あーなるほど、つまりゲルニカを見たときの自分の気持ちに促される何か出てきてくるものと、
そう。
病気の人をお会いしたときに感じる自分の中で生まれるものっていうのが相通じるものがあるよってことね。
えっとね、答えがあるやん、解説書があったりとか、あのゲルニカへとこんな風に思って書いたんだよ、みたいなのがあるけど、
え、ほんまに?私そんな感じ全然こないけどなって思ったり、
で、それは利用者さんについては、先生がこの病気ですって診断を下すじゃない、病名つけるけど、
接してて、え、ほんまに?って、この病気なん?って思うことがあって、それが結構似てるなって思うんです。
なるほどね、解説というか、
それと一致するものではないよっていうところがね、似てるってことですか。
似てるってこと。
なるほどね。
例えば、そういう芸術のこととかに視野を広げるっていうことも、病気の理解とかにつながるし、仕事に役立つよっていうことですね。
そうです。広い視野でいろんなものを感じたり、聞いたり、読んだりっていう機会は増やすのがいいんじゃないかなとは思います。
なるほどね。