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2026-03-06 40:35

精神科医は見抜けるか?ローゼンハン実験が暴いた診断の盲点

「正気」と「狂気」を分けるものは、本当に客観的に判断できるのでしょうか。1973年に学術誌『Science』に掲載され世界的な議論を巻き起こしたローゼンハン実験を取り上げます。健康な人が精神科病院に入院できてしまった理由、診断名という「ラベル」が人の行動の解釈をどのように変えるのか、さらに第二の実験が示した「期待」が診断を歪めるメカニズムとは何だったのか。精神医学の信頼性を問いながら、その後のDSMなど操作的診断基準の発展につながった歴史的事件を、精神科医の視点からわかりやすく解説します。

 

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サマリー

このエピソードでは、1973年に発表されたローゼンハン実験について、精神科医の視点から解説しています。この実験は、健康な人間が精神科病院に偽患者として入院し、精神科医がその「正気」と「狂気」をどれだけ正確に診断できるかを検証したものです。実験の結果、参加者は容易に入院でき、統合失調症や躁うつ病と診断されました。入院後、彼らが正常な行動をとっても、その行動は病的なものとして解釈され、抗精神病薬が処方されました。さらに、ローゼンハンは第二の実験で、病院側に偽患者が来ることを予告し、実際には送っていないにも関わらず、多くの患者が偽患者だと判定されたことを示しました。これにより、診断が個人の内面だけでなく、周囲の期待や状況に大きく影響されることが明らかになりました。この実験は、精神科診断の信頼性を問い、その後のDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)などの操作的診断基準の発展に繋がる歴史的な出来事となりました。現代の精神科医療においても、診断の難しさや社会的文脈の影響は依然として存在することが示唆されています。

ローゼンハン実験とは何か?
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在開業医のマリモ等。
その姉で、障がいを持ちの方の就労支援事業を承継していて、もう一つ、社会人サッカークラブの運営もしている桜がお送りします。
ローゼンハン実験、精神科偽患者実験の話です。
これ、すごく気になる。
ありがとうございます。
業界的には、わりと有名というか、なんとなく伝説になっているような話なんですけど、
それ、今回ひも解いてみようかなと思います。
これは、1973年にアメリカで発表されました、ローゼンハン先生が発表した実験なんですね。
結構最近ですよね。
そうですね。73年ですからね。今から50年近く前ですけれども。
大途立派に言いましたら、精神科病院に模擬患者、偽患者を送り込んで、
それが精神科病院が判別できるのかどうかというのを調べた実験なんですよね。
これ、やりたかったわ、個人的に。
いろんな問題があるので、今は無理ですけれども。
今はダメだけど、ダメだからできないけど、先生ってこれ分かるのかなというのは、私は個人的に時々思っていました。
そういうことも含めて話していきたいなと思うんですけど。
まず実験をやったデイビット・ローゼンハンですけれども、その経歴を見ていきたいなと思うんですけど、
この方は1928年の11月にアメリカのニュージャージ州で生まれています。
1951年に大学を卒業して、数学の学士号を取って、2年後コロンビア大学の修士号を取って、今度は経済学で。
そこから5年後、コロンビア大学の博士号を心理学で取得します。
バラバラですね。
数学、経済、心理学。
この方は博士号で心理学を取った以降ですけれども、いわゆる心理学の先生です。
心理学とか法学の研究を続けて、教授になられるんですね。
教授になったのがローゼンハンが42歳の頃に、1971年スタンフォード大学の心理学と法学の教授になります。
若くして教授ですね。
この方も多分優秀なんでしょうね。
実はこのスタンフォード大学の教授を定年の69歳まで勤めるということになって、
とても活躍、よく分からないんだけれども立派な先生だったと思うんですよね。
この先生がちょうどスタンフォード大学の教授になられるぐらいの頃に、ローゼンハン実験というのをされて発表されました。
ローゼンハン先生の一番有名な研究論文だったし、社会的な影響を与えたものなんだろうなと思うんですけどね。
つまり、このローゼンハン先生というのはアカデミックの中でも正当派な先生で、
その極ものとかじゃ決してないですよね。
ちゃんとした心理学の先生の教授先生が真面目にやった実験ということです。
じゃあこのローゼンハン実験を見ていきたいと思うんですけど、
実際行われたのは1968年から1972年の間にしたと言われてますね。
ちょうど私たちが生まれた頃ですね。
50年ちょっと前ぐらいにアメリカでしたんですけども。
73年にサイエンスという学術雑誌に発表して、これが取り上げられて大きな影響を与えることになります。
このサイエンスという学術誌って言いましたけれども、今もあるんですけどね。
そうですよね。聞いたことあります。
研究者っていろいろ研究しますやんか。
ローゼンハン実験の概要と方法
A研究とかあんまり大したことない研究とかっていろいろ出しますでしょう。
世の中でこいつが役に立つのかすごいのかどうかっていうのを判別する一つっていうのが、この雑誌に乗ることなんですよね。
そうですよね。
このA雑誌っていうのがあるんですよ。
はい。
そうでもない雑誌っていうのがあって、一番いい雑誌がこのサイエンスとネイチャーと言われてる雑誌で。
最もインパクトファクターといってここの雑誌に乗ったことっていうのは、学者の世界の中でみんな注目するっていう雑誌なんですよね。
みんな学者先生たちはこれを見てるってことですよね。
はい。サイエンスに一本雑誌、自分の論文が乗ればですね、日本で言うたら帝国大学の教授ぐらいになるのは全然不思議じゃないっていう感じの件になる雑誌っていう感じです。
逆に言うと簡単には乗せてもらえないってことよね。
もちろんです。
サイエンスに乗せた論文を持ってる先生は、精神医学の中ではあんまり言ってないんじゃないかな、日本の中ではっていうぐらいの感じです。
おー、なるほどです。
いや、言ってないことはないと思うんですけども。
それぐらい全ての学問、科学から医学からいろんな学問があると思うんですけど、その中の最高峰の雑誌の一つですね。
そこに取り上げられたということですね。
この結果は精神学にも影響を与えるということになって、それまた後で話したいと思うんですけどね。
じゃあ早速見ていきましょうか。
論文に沿って見ていきたいと思うんですけど。
論文の題名としては、英語の論文なんですけども、日本語を訳にするとしたら、精神病院において健常であるということという、ちょっと詩的な論文名なのかなと思うんですけど。
まず初めに書いてくれているのは、精神疾患の診断が、実際の精神科病院ではどのように行われているかを明らかにしたいということを目的とされました。
方法というのは、8人の模擬患者を精神科病院に入院させようと試みたわけですよ。
その模擬患者というのは、心理学者、精神科医、小児科医、大学院生、画家、主婦など、多様な職業的な背景を持つ方です。
協力者がそれだけおったということですね。
老前半自身も入っているんですけど、この心理学者というのは老前半のことだと思うんですけど。
自分が模擬患者になって入ったんですね。精神科病棟に。
それ以外の人は基本老前半の知り合いかなと言われています。
性別は男性が5人で女性が3名と言われていて、全員精神的には健康と考えられていて、中量階級に属していて、老前半とお友達だったという人たちですね。
彼らが病院を受診するときに訴えた症状というのは、極めて限定的なものというふうに決めました。
それは何もなくなったとか、空っぽとか、鈍い音といった意味のない現状が聞こえるというふうに訴える。
それだけを指定したんですよ。
現状だけ。
しかもその現状があまり意味がないような、何もなくなったとか空っぽとか鈍い音。
英語の話を日本語に訳すとそうなるんですけれど、実際空っぽって聞こえるのかなというふうに僕は解釈したんですけど、
鈍い音という音が聞こえるというのか、あるいは何かが聞こえてそれが鈍い音だという表現をしようとしたのか、ちょっとそこが分かりにくいんですけど。
いずれにしても意味がない現状だけを訴えるということを老前半は指定したわけですよ。
それ以外の症状とか生活史というのは、事実をそのまま伝えてください。嘘のことは言わないでくださいねというふうにした。
その後入院が認められるんですけれども、入院が認められた後、この模擬患者は直ちに現状症状が省略したことを申告して、以降は普通の生活行動をとることにしました。
病院職員に対しても特別な演技とか異常な行動を行わないというか、見せないということも心がけたとされています。
入院する前にだけ訴えて、入院してからはもういつも通りになったってこと?
入院の時も、ちょっと何もなくなったみたいな現状が聞こえるということのみを伝えて、それ以外は今の自分の様子を伝えたということですね。
実験結果と診断の盲点
どうなったかというと、8人全員が精神科病院の入院を許可されて、その多くが統合視聴症あるいは躁鬱病と診断されました。
入院の診断が下された後、模擬患者の行動や発言が精神疾患の枠組みで解釈されたと記載しています。
つまり、例えば、模擬患者はどんなことが起こったかということを忘れてはいけないので、メモを取ったりしていたんですね。病棟の中で。
メモを取るという行為は、知的関心とか記録のための行為だけではなくて、病的な処置行動として考えられていたと。カルテにはね。
メモを取る、字を書くっていうのを繰り返してやるってことね。
それって精神症状だなっていうふうに病棟では解釈されたりとか、あるいは退屈なので歩き回ったり病棟の中をしたんですよね、模擬患者は。
退屈とか時間つぶしではなくて、精神運動性の興奮と解釈されたとかね。
病棟でどんな生活だったかというと、病棟内において、模擬患者は普通の行動を続けたんですけれども、スタッフからおかしいって気づかれることはほとんどなかったって書いていました。
すべての模擬患者は抗精神薬を消耗されました。この頃はクロール・クロマジンもできていましたのでね。多分それに類した薬が出たのかなと思うんですけど。
副薬は模擬患者は協力的に見えるように振る舞った、つまり飲むようにしたっていうことですよ。ただ実際は薬を飲まずに、密かに吐きしたっていうことです。
そうだよね。飲まないよね。
薬を口に入れたけども、見てないところで捨てたりとか、トイレ等で破棄したりとかってしたってことで。合計で2100錠以上の薬が破棄されたというふうに論文には記載されています。
はい、すごい数だ。
一方で、実際の患者さんの中には、病棟の中には他にも患者さんいらっしゃいますので当然ですが、偽患者を正常であると見抜く者が多くいたって書いています。
他の患者さんが見抜くってこと?
そう、この人おかしいんじゃないかっていうふうに言われたことがあったってことですね。
そこで論文に書いているのは、医師や看護師は多忙であり、患者との直接的な接触時間が極めて限られていた。
患者に対する対応は形式的であって、人格的な交流はほとんど生じなかった。
入院期間は7日から52日の範囲で、平均は19日間ですね。2週間ちょっとっていう感じの入院期間だったってことですね。
で、他院と診断についてなんですけども、無期患者は全員他院を許可されました。
単院時の診断は、多くの方が感慨状態の統合症状という病名で、健常と診断された者は一人もいませんでした。
みんな一応精神疾患を持っている人が良くなったよっていう診断をしたと。
つまり精神疾患の存在自体は前提として維持されましたよと。
ここからですね、診断というのは一時的な仮説ではなくて、持続的な属性として個人に名付けられたりするよねっていう傾向が精神学ではあるんちゃうかというふうに結論をこの番ではしています。
あともう一つですね、老前藩はこれには付け加えた実験をしています。第二の実験ですね。
これは身抜き実験と呼ばれていますが、
これはですね、この初めの実験を公表した後、ある精神科病院は、これは効率の精神科病院と言われていて、教育的なものとか、あるいは非常に多くの患者さんを見ているとかっていう有名な病院だったらしいです。
これは明らかにはされていませんが、そこからですね、いやそんなことない、うちは模擬患者を正確に判別できると主張する病院があったと。
まあ老前藩はですね、そこの病院に連絡して、老前藩はそこの病院に、模擬患者がこれから3ヶ月以内に来ますので判別してくださいというふうにお伝えしたらしい。
えーすごい。
その病院はですね、3ヶ月間に新観患者の193人を新観で見ました。
そのうち相当な数を模擬患者かもしれないと判定したとされています。
ところがですね、老前藩は誰も送ってなかったんですよ。
え、ゼロ?
ゼロ。誰も模擬患者を送っていませんでした。
ここからですね、診断というのは個人の特性そのものよりも、期待とか状況において作用されるんじゃないかというふうに老前藩は結論付けたということで。
この論文の結論としてですね、精神科病院では健常な状態と精神病の状態を確実に区別することが困難ですよと。
診断というのは個人の内的な状態、つまり精神的な状態だけじゃなくて、それが観察される精度の文脈に大きく依存していると。
どういう状況になっているかということで依存すると。
つまり病院に来て、現状を訴えるということで精神疾患かなというふうに診断されたりとか、あるいは偽患者が来るぞって伝えられただけで偽患者が多いんじゃないかというふうに考えたりとかということで、そういう文脈に大きく依存しているよということを言うたと。
だから精神科の診断というのは社会的とか制度的な性質があるということをよく考えないといけないし、ということを伝えたと。
ただ解説論の中でも伝えているんですけれども、このことは精神疾患が存在しないということを意味するんじゃなくて、精神科の診断自体に若干そういう社会的な文脈に作用されるものですよ、そういう傾向があるんですよということをこの実験は明らかにしたということなんですね。
老前半実験の結論になります。
ローゼンハン実験の意義と現代への影響
どう思います?
そうよなって感じがします。
ああ、はいはいはい。
うちの利用者さん見てても、本当にこの診断で合ってる?って思う方は結構いらっしゃるんですよ。
診断苦だったときはそうかもしれないけど、慣慨なのか、今は全くこれがゼロになっているのかわからないけど、本当にこの診断で合ってる?って思う人は結構います。
なるほど。
偽患者さんではないはずやけどね。
それはないんだけど。
同じ病気でも千差万別っていうのがあるからな。
同じ、例えば気分障害でも統合指導症でも大きく違うことがあるからな。
長期でずっと何年も付き合いしていると、やっぱり調子悪い時っていうのが必ずあるから、そうだな、この病気だなっていうのはわかるんだけど。
はいはい。
元気な時はね。
そうそうそうそう。
短い時とかはわかんない。
僕から思うと、あるべきかなというか、事実だろうなというところがあるかと思うんですけど、この実験が出たことによって精神疾患は存在しないんだっていうのは間違いなので、そこだけは間違えたらあかんなということなんやけど。
そうですね。
精神疾患は必ずあるんですけれども、それをうまく精神医学は判別できるのかどうか問題っていうのは確かにあるんだと思うんですよ。
結論で、このロゼハンが言った論文にあるサイエンスに載っているものをちょっと否定したら問題ないんですけども、
ロゼハンが言ったのは、精神医学は健常な状態と精神病の状態を区別することが困難って書いたけど、
これはそうじゃなくて、健常な状態で嘘を言うっていう人と精神病の状態を区別することが困難っていうことだと思うんですよ。
なるほど。はいはい。
普通の文脈で考えたら、精神科病院に来て嘘を言うっていうのは、特別な何かしら意図があれば別やけど、
普通の状態では嘘を言う意味がないので、
それを嘘を言ってるかどうかっていうことを勘別する技術は、臨床医はあんまりないんですよね。
そもそもね。
そもそもね。たださ、精神医学の中でも、嘘を言うことを見抜かなあかんっていう学問もあるんですよ。
司法精神医学って言うて、裁判とかの時に、精神病なのか、そうじゃなくて嘘を言ってるのかっていうことを区別する必要があるっていう学問もあって、
この場合っていうのは、それをしっかり見抜かなあかんっていう技術もあるんです。
へー。
この病院は、もちろん臨床をやっている病院だから、そういった技術を使って診断するわけじゃなくてっていうことがあるので、
このいわゆる司法精神医学ってやつと臨床精神医学っていうのは若干差があって、
この路前藩が試したのは、臨床精神医学って言われている患者さんを良くするための医学では、
嘘を言う人を見抜くっていうのはちょっと苦手かなっていうのは確かにその通りかなって思うんですよね。
そうですよね。そもそも嘘をつく人を前提としてませんもんね。
そうなんですね。で、そのことだけなのかって言ったら、実はそうでもなくて、
つまり、診断が間違うことっていうのは割とあるんですよ。
僕らも理解することで、よくあることではあるので。
誤診っていう言い方はちょっと言葉強いんですけど、
正直医学の中では、間違ってたよ、ごめんなさいっていうことって結構多いんですよ。
特に精神医学の場合っていうのはね。
今もそうなんですけど、これからその時から50年経った現在もそうなんですけど、
精神疾患を診断するのは、この症状を見て診断するしかないんですよ。
そうですよね。
症状を聞いたりとか、それまでの生活とか、いろんな人生を見ていくしかなくて、
それ以外の医学って基本いろんな検査ができるんですよね。
そうですね、数字が出ます。
数字が出てね、割とできるんですけど、精神医学はまだそこが開発できなくて、
それができるようにどんどん研究はしてるんですけど、まだちょっとそこまで届いてないっていうのがあって。
じゃあ、その症状を集めて診断はしていくんですけど、
で、やっぱり誤診があるんですよね。
送局性障害と思ってたら実は鬱病だったとか、そんなこともあったりするんで、
それは僕らももちろん分かっているんで、
じゃあどう考えていくかっていうことなんやけど、
できるだけですね、誤診はしても、罪が少ない誤診にしたいわけよ。
はいはいはい、そうね。
そう、その誤診、つまり100%の診断はできへんっていうことは分かってるんですけども、
その中でも患者さんにできるだけ害がないというか、
一番害が少ない感じにしたいわけですよ。
例えば間違ったとしてもっていうことがあってね。
で、この、例えば現状のみを、ちょっと微妙な現状のみを訴えてきた患者さんっていうのを、
現状ではなかなか統合失調症とは指断はしないが、
でももしかしてこの人統合失調症だったらどうしようって思う気持ちはあるんですよね。
うんうんうん、そうですよね。
だからその人をもし見逃しちゃったらどうしようっていう心配もしてて、
はい。
まあ典型的ではないが、まあ統合失調症として治療してみた上で、
まあ考えようかと、いうことはありなんですよね。
なるほどなるほど。
っていう思考は多分この50年前の先生もしただろうし、
まあ僕らもそのわからんことはないんですよね。
うんうん。
ただその50年前の精神医学と今の精神医学は確実に違うっていうのは、
うん。
診断の、なんていうかな、輪郭っていうのが、まあしっかりできるようになったんですよ。
ほう、輪郭がしっかりしてくるとは。
あのね、この精神疾患が存在するっていう手、まああるんですよね。
はい。
これはまあずっとあるんですよ。
はい。
で、この中核的な診断、この病気っていうのはこういう症状を出して、
で、そのこういう進展をしていきますという中核的な病気をまず勉強するわけですね。
そういうゾーン、僕たちは勉強して、これが例えば統合失調症ですよっていうのを勉強すると。
はい。
で、そこを見渡さないようにしようねっていうのが、僕らにとってはまず一つとっても大切なことなんですけれど。
はい。
でもさ、その典型的な症例になかなかならんやん、みんな。
そうそう。
そうじゃない人もいてるじゃないですか。
多いです、多いです。
で、そのこの微妙な症例をどう扱うか問題っていうのがあるんですよね。
うん。
常々考えられてて。
うん。
より細かくですね、この現状が出たら、あるいはこの考え方があったら、統合失調症に進展するぞみたいないろんな技術を僕ら100年、200年かけて身につけてはきてたんですけれど。
うん。
でもね、そういうのでとっても優れた明治みたいな先生っていうのは言ってるんやけど、僕らみたいな凡人の先生方ってなかなかそこまでいかんのよね。
うんうんうん。
だからそこの差っていうのは結構あったわけですよ。
ふーん。
つまりこの診断っていうのがある中で、この枠組みははっきりせえへんね。中にあるこの典型的な例があるのはわかんねんけれども、その周辺にあるぼやっとしたところが、どこからどこまでがどうかっていうのがちょっとわかんにくいな、そっからは割と職人芸的なとこやったんですよね。
なるほど。
で、やっぱりまあ、それやとこの老前半実験などを経てですね、ある程度経験がついた精神科医であれば、一般的な技術的な職人さんと同じぐらいのことができるようなマニュアルを作らないといけないよねっていうことになって、この後できたのがDSM診断とかICD診断って言われてるような操作的診断基準っていうのができたんですよ。
そうなんだ。
はい。この操作的な診断基準を使ったら、割とこの本当に職人芸的なところでできる診断とほぼ重なるのと違うかっていうのができてきたって言われてるんですね。
ここでも操作的診断基準って全く無意味な感じで。
はいはい。
例えば、幻聴だったら、ある種の幻聴と妄想とが1ヶ月以上続くと。で、それによって生活機能が落ちるとかね。
本当にチェックリストでチェックできるようになるんですよ。
そうですよね。
それをしっかり満たすっていうことが分かれば、一応統合指標書をお手診断していいんと違うかっていうのが、マニュアル的なものが完成されてくるんですね。
80年代90年代にかけてなんですけど。
これを使った方がいいんじゃないかなって言われてるね。
素晴らしいのできましたね。
でもこれが素晴らしいかどうかは別なんですけど。
そうなんや。
DSMに当てはまったとしても、もちろんそうじゃない人だってあるわけだし。
まあそうね。
確実にそうだとも言いにくいんですが、でも多くの割合でそうなるだろうっていうのができたってことやね。
DSM自体もどんどん進化していてね。
DSM4、3、4、4R、今5まできてるんですけど、どんどんそっちは進歩はしている。
マニュアルが進歩はするんですが、っていう感じなんかな。
これでもDSM診断とかって、精神科にあんまり関係がなかった方っていうのは知らないですよね。
うん、もちろんもちろん。
一般の方は本当に知らないものやろうなと思って。
この診断は、精神医学のことをある程度知ってる人じゃないとうまく使えないと言われてるんですよ。
マニュアルみたいなのって簡単にできそうな気もするのだが、例えば現状があるなしとか欲打ち気分があるなしっていうことを判定するのも一定の努力というか訓練が必要で。
例えば、この変な例出すんですけど、研修の先生方で精神科も回ってこられる方がいてるんですけどね。
もちろんお医者さんなので、精神医学のことは勉強してもてっていうことはやるんですけど、ただでも2ヶ月3ヶ月精神科で勉強したところで全ての精神が診断できるわけじゃないのでね。
そこは難しいんですよ。誰しもそうですけど、どこの学問でもそうですけども。
でもそこでちょっと齧っちゃった、例えばある研修医はね。DSM診断で精神科の診断ができるようになったらということで、自分でそれをやってみたらうまくいかないんですよ。
全てが薄病になってしまったりとかね。
なかなかこの診断をうまく使うっていうのは、もともとのこの中核となる病気っていうのを知ってて、自分の中でこの病気っていうのはこういうことっていうのを知ってる上で使わないと
正しく使えないって言われてて。
ああ、そうなんだ。
言われてますが、今後AIがもっと進歩してきたらきっとうまく使えるようになるんだろうなと思うんやけど。
今のところはそんなん言われてて、あんまりだから知られてはないですね。
一般の方には知られてはないけれども。
でも例えば50年前のこの時の診断に比べて、この操作的診断基準っていうのができたので、一定の進歩はしたかなと思うんですね。統合症症については。
それは言えるかなっていう気はするんですが。
診断における社会的文脈と患者の意思
この診断の意義っていうのがあったんですけどね。
一旦診断されたらずっとそのまま診断がくっついてたよって、老前派の論文ではあって。
これはまあ単位で診断のことを言うたと思うんですけどね。
確かにそこも問題かなと思うんですよね。
症状が全くなくなったっていうふうに判断したなら、そんなふうに伝えないといけないかったかなと思うんですけど。
統合症症確実っていうふうに診断されちゃうと、確かに良くなることは通常ないと言われてて。
感慨はいたることはあってもって言われてる病気なので。
ちょっとマスネのところは微妙なところがあるんですけどね。
この社会的な文脈に左右されることっていうのはやっぱりあるんですよね。
今でも?
今でもあると。
診断自体はそんなにぶれなくはなったけど、何をどうするか。
つまりお薬を飲むか飲まんかとか、入院するかしないかっていうことに関して言うと、やっぱり社会的な文脈に左右されますね。
もうちょっと言うと、この本人の意見っていうのをより尊重する方向になってる。
それがね、とても大切やって言われてることもあるので。
このロゼハの実験で気になったことは、論文で気になったことは、ニセ患者が入院したいと言うたかどうかっていうことを全く記載してないんですよね。
これでも言うてるはずなんですよ。
そうですよね。
一応この当時もアメリカではですね、自発的な入院と強制的な入院っていうのがあって。
強制的な入院っていうのは、今ほどきっちりと枠組み使われてなかったと思うけど、でもやっぱり保護者っていうかね、家族とかに連絡しなきゃいけなかったと思うんですけど。
このモギ患者の場合っていうのは、診断されて入院かなみたいなことを多分、医者が好み化したときに患者ははいって言うたと思うんですよ。
だからすぐ入院になったと思うんですけどね。
つまりこの患者の意思っていうのが、この当時はあんまり尊重されなかったと思うんですけど、最近は非常に尊重しますね。
そうですよね。
例えば入院するのが嫌やっていうことであれば、でもやっぱりした方がいいよっていうふうに医者が判断すれば、やっぱり説得っていうことをするし。
説得してどうしてもあかんかって、でもやっぱり非常にやばい状態であれば、強制入院の行為を取ることについていろんな手立てがあるので、それを法的な枠組みを誘ってやっていくっていうのが最近というか、ここ20年ぐらいの感じなんですけど。
本人の意思っていうのは結構大切にさせたかなっていう。
これも社会的な文脈というよりは文脈なわけですよ。
つまり同じ症状で同じ病気というふうに考えられる人であっても、入院したいっていう人の場合はじゃあ入院するかっていう話になるし、入院したくないっていう人であれば入院しなくてもいいよっていうことになると。
言ってみればこれはどの医療でも同じっちゃ同じなんですけどね。
お薬使うっていうことに関してもそうなんかなってことですね。
そういう社会的な影響、文脈にその医療が影響されるっていうのは一般的なんかなっていうことがあるんですけどね。
それ自体はおかしいことではないし、正しいことなんかなとは思うんですけど。
この時代ですね、お薬の治療と精神科病院での入院っていうのが大きな柱だったというふうに考えられてて、あんまり多分外来でっていう話があんまりなかったのかなと思うんですけど。
そうなんだ。
ないことはないと思うんですね。
このアメリカのところを調べてみたら、1955年とか60年にかけてめっちゃ収容される時代なんですって。
精神科病院がとても多くなってきて。
60年代以降、開放化、脱施設化ってされていて、あんまり精神科病院に閉じ込めるのは良くないから地域に戻そうっていう動きにはなってきつつあるところだったと思うんですよ。
ちょうどそれが進展しつつあるところの老前半実験やったと思うんですね。
あんまり外来で治療をしましょうっていうふうには考えなかったのか、もしかしたらこの模擬患者は入院させてくれって言ったのかも。
そこは書いてないとわからないんですけどね。
もし入院をっていうふうなことを患者が言うんであれば、病棟に空きがあれば入院するかみたいな話になったかと思うんですけど。
ここで老前半実験で精神科病院っていうのが当てになれへんっていうのが趣旨だったと思うんですけれども、
逆にそうじゃないよっていうメッセージもここから感じたことがあるんですけど、
それはこの老前半実験の入院期間なんですよ。
7日から15日間で平均は19日って言ったと思うんですけどね。
これ一般的なアメリカの就立病院での新規入院した患者さんの平均的な入院期間っていうのは74日って言われてて、2.5ヶ月って言われてるんですね。
それに比べるとかなり短い。
そうですよね。19日間。
めちゃめちゃ短い。2週間ちょっとなんですよね。
診断は慷慨した統合主張症だったかもしれないけれども、この人らは少なくとも長いこと入院する人ではないよねっていう風に病院は判断した。
っていうことがここから伺えるかなと思うので。
だから無茶無茶なことはしてないんやろうなとは思うんですけどね。
この老前半実験の対象となった病院も。
入院はちょっといい加減にさせちゃったけれども、でもこの人大きな病気ではないからねっていうことで退院させたっていうことで言うと、
その当時の医療レベルからするとめちゃめちゃ悪いことはしてないんちゃうかなっていうのが僕の今から思うところではあるんですけどね。
ローゼンハン実験の結論と精神医学の発展
そうですよね。観察してたってことですよね。
大丈夫っていうことでね。
だけどもやっぱりその老前半が指摘したような人間的な触れ合いがなくて、
っていうことはやっぱり問題かなと思う。何のために精神科病院に入院してるんやっていうことになろうと思うので、
全く入院治療に問題がないんかっていうわけではないと思うんですけど、
やっぱり問題も多々あろうかなと思うし、あるいはお薬を捨てられたっていうことも含めてさ、ちょっと問題はあるんですけれど、
でも、めちゃめちゃ悪いっていう話につなげるのは問題なんかなとは思ってて。
まとめると老前半事件っていうのは、そもそも不完全な精神医学の不完全なところっていうのを明らかにしたんかなと思うんですよ。
でもその当時、医学ってめっちゃガッチリしたもの、精神医学って、すごく信頼というのが逆かもしれないけど、
火の打ち所のないものとして社会は頼ってた傾向があるかと思うんですよね。
でもそこにはやっぱり大きな欠点とか足らんところはあるよっていうのが事実だったので、それを明らかにしたのかなと思うんですね。
その当時、こういうものっていうふうに思ってなかった一般の方には、いろんな衝撃を与えたということだと思うんですよね。
そうですね。
精神医学の中でもこの実験を受けて、例えばこの操作的診断基準みたいに発展したものもあるし、
あるいはちょっとそれによって反発も出たりし、あるいはその副作用っていうのも出たんかなと思うんですけどね。
老前半実験の一応のあらましになります。
なるほどです。でもすごいですよね。これをやろうと思うところがすごいなと思います。
確かにね。やっぱりその学者さんっていうのは、世の中の真実を明らかにしていきたいということだと思うんですよね。
だからこの真実ということでいうと、精神医学の信頼性というのもどこまでどうなんだということを明らかにするということは、学問的な意味はあったと思うんですけどね。
思ってた先生もいてるだろうけどね。でもこれを実際にやってしまうところがすごいですよね。
確かに。これ日本でも割とこの手の実験って1970年代とかにありましたよ。
そうなんですか。
新聞記者さんとかがアルコール依存症の不利をして精神科病院に入院して、そこでの非人道性、扱いの悪さとかをルポとかにしたりするっていうようなことがあったりしたかな。
なるほど。そっちげな。
今からやるといろんな意味で医療的に問題やし、倫理的に問題やし。
とはいえ、そもそもそういうことが起こっている病院自体に倫理的な問題があるんだけど。
それはまた別の話にはなりますが、割と精神科病院っていうのはちょっとそういう目でも見られつつあったんですよね。60年代70年代にかけてね。
閉ざされてる感じですもんね。
実際そこの問題っていうのは起こるからね。精神科病院の問題点っていうのは事実たくさん起こったりするし、2000年代2010年代でもありましたから。
そうですよね。
全く過去なんか言われたら言いにくいところもあるので、気づかなあかんところではあるんですけれども、そうならんような仕組みっていうのはいろいろできつつはある中で、やっぱりその中でもやっぱり一個一個起こってくるっていうこともあるのでね。
ローゼハン事件っていうのはアメリカの中では割と象徴的な出来事ではあったし、それ以降一つは世界の精神医学での影響っていうのもあったんかなと思うんですけどね。
まだその実際的な影響というのはもうちょっと次の話でしていきたいなと思いますね。
続きは次回お送りします。
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