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2025-10-17 47:48

日本福祉の夜明け:石井亮一・筆子と「滝乃川学園」の物語

「ピアノの音が語る物語」——日本福祉の原点となった滝乃川学園には、石井亮一・筆子夫妻の情熱と信念が息づいています。明治期に日本初の知的障害者施設を創設した二人の足跡、皇室との深い縁、防災建築へのこだわり、そして「天使のピアノ」。本番組では、差別と闘い、個別支援の重要性を先駆的に実践した石井夫妻の思想と、その遺産を現代の支援のあり方とともに語ります。

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サマリー

このエピソードでは、石井亮一と石井筆子夫妻が設立した日本初の知的障害者施設「滝乃川学園」のことが語られています。彼らの業績に加えて、福祉医療の歴史や施設の現状についても紹介されています。また、石井亮一と筆子が関与した「滝乃川学園」の歴史や設計思想、障がい者教育の発展についても触れられています。学校の防災対策やキリスト教の影響、さらには日本最古のピアノ「天使のピアノ」とその歴史的な価値についても話題にされています。さらに、このエピソードでは知的障害の歴史や差別の問題について言及され、石井亮一と滝乃川学園の取り組みを通じて啓発の重要性が強調されています。教育におけるインクルーシブなアプローチの普及や、個別支援の必要性についても触れられています。また、知的障害を持つ人々との生活を通じて、彼らの純粋さや個性の大切さが語られ、相互理解や適切な関係づくりの重要性も強調されています。

00:07
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。
この番組では、精神科医療を作った人々、現代のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で、現在開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、
最近、初孫が鼻の下を伸ばす顔を写真で送ってきてくれて大笑いした桜がお送りします。
滝乃川学園の創設
日本初の知的障害がある方の施設を作った、石井筆子・亮一の障害です。
この方たちは?
はい、ありがとうございます。
今回はですね、明治の時に日本最初の知的障害のある方の施設を作った、
滝の川学園という、今もあるんですけど、
この施設を作った石井亮一さんと、その妻の石井筆子さんの障害をたどろうかなと思います。
はい。
知ってました?
結構有名ですよね。知ってました。
本当?すごい。僕実は知らなくて。
本当ですか?
何かいろんなネタを探している中で、知的障害もちょっとどうかなと思って見ている中で、
この人の名前が出てきて、いろいろ見ていると、この人面白いというか興味深いなと思って取り上げようと思いました。
映画にもなってるしね。
映画にもなったんですよ。2007年に、筆子その愛天使のピアノという、
時は高子さん主演の映画化がされているということが分かりました。
はい。
もちろん見たことはないんですけれど。
うんうん。
予告編とかはね、動画とかに上がってたりするんですけどね。石井夫妻のことはどうやって知りになったのかって覚えてます?
私ね、この就労支援の事業所を始めるきっかけになったのが、
私の息子の親友のお姉ちゃん。
うちの長男と同級生になるんですけど、
その子が知的障害があって、この子がお母さんといつも一緒に、
いろんなランチ会とか、あと習い事とかついてくるんですよね。
この子の作業をしている様子とか、お母さんがいろいろ作ってたら、横で一緒になって作ったりしてるんだけど、
その様子を見てて、あ、もしかしたら私がやっているいろんなこういう手作業の仕事が。
その当時は手芸とかされてたもんね。
そうそう。もともと手芸とかビーズアクセサリー作ったりとか、
アーティフシャルフラワーっていう高級な造花のお花を作るようなお仕事をしてたんですけど、
それに、もしかしたらセラピーみたいに活かせるかもなって思わせてくれたのがきっかけだったので、
この知的障害っていう障害については、もともと就労支援を始めるきっかけになった障害ではあるんですよ。
なので、こういう仕事を始めようと思った時に、いろいろ調べたんですね。
その時に出てこられました。石井陽一さんと石井筆子さん。
本当?そうなんだ。知ってたんですね。
それって何年くらい前の話になるのかな?
15年くらい前。
15年前くらいですかね。なるほど。
ちょうど筆子さんが取り上げ出したのが2000年代になってかららしいんですよね。
2007年に映画ができたりとか、テレビ番組で撮れられたりとかってする感じですね。
ちょうど2010年とか、さくらさんが出会った時期っていうのがね。
ちょうど取り上げられた時期ですね。
石井筆子さんとか、陽一さんとかっていうのは、この2000年代からちょっと取り上げられるんですけどね、マスコミとかに。
でもそれまでは全然知らないというか。
たきのくわ学園の創始者ということで、たきのくわ学園とかその周辺の福祉業界ではもちろん有名だったんですけれど、
一般的に知られるようになったのはこの2000年代からみたいですね。
故郷の大村市って長崎県の長崎空港あるところが大村市なんですけど、
あそこが筆子さんの出身地なんですけどね。そこに銅像ができたりとか。
そうなんですか。
そうなんです。
そしてその博物館の一角に、筆子さんとかの資料が展示されたりとかっていう感じで取り上げられるようにはなっている。
でもまあ2000年からですけどね。
そうですよね。だってたきのくわ学園って東京ですもんね。
東京ですね。国立市ですね。
僕がこれ取り上げたのは、精神科医療と知的障害って、実はど真ん中じゃないんですよね。
そうなんですか。
知的障害の認定をしたりするのは精神科医療ではするし、あるいは知的障害を起こすいろんな病気があったりするので、それについての関わりはあるんですけれど。
だから周辺では関わるんですけど、知的障害自体が病院とか医療とかでど真ん中に扱うってことは実はあんまりなくて。
なるほど、そうか。
そうですね。
そうなんですよ。
だから、例えば医療って診療科別に分かれますやんか。
小児の方とかもちろん小児科の先生が知的障害とかには扱ったりとか診断とかっていうのをされるし、大人になってくると精神科私たちが関わることも多いんですけどね。
ただど真ん中の知的障害を医療的なものとして捉えることはそもそもなくて。
福祉の分野が捉えるっていうのが主なんですけれど。
確かに、言われてみればそうですね。
そうそう、それも含めてね。さくらさんの仕事は福祉だし、僕の仕事は医療なのでちょっと僕のメインからずれるんだけれども、とっても大切な領域だなと思ってて。
僕自身知的障害にはわりと興味がある方の医者なので。
これを機会に福祉の始まりについて勉強しようかなと思って勉強してみました。
施設訪問の体験
実は滝の川学園に先日私行ってきたんですよ。
そうなの?見学に?
はい、見学に行ってきました。
びっくり。
実は学会が関東の方であって、半日抜けてちょっと見に行こうと思って見に行ったんですよ。
これ見学させてくれるんですか?
あらかじめ申し込んでおくと。
だってすごい大きな施設でしょ?
そうそうそう。一角のね、街の一角ぐらいですけれども、一角が公園というか森というか。
一帯がその滝の川学園になってて、石井両一筆子記念館っていうのがあったりとか、あるいはこの礼拝堂があるんですよね。
認定されているようなね。そこが申し込んでいれば見せてくれるというのがあって、ちょっと申し込んで先日行ってきたんですよ。
どうだったですか?
すごかったですね。
やっぱりね、国立市っていうのが全然知らなかったですけれども、住宅地というか、多分畑が住宅に変わっていったところなんかなっていうところですかね。
住宅地で、割と庶民的な住宅地。高級住宅地も東京にも関西にもありますけれども、そんな感じじゃなくて割と庶民的な感じの方がいるような住宅地で。
まだ畑も所々に点在していると。ただでも大きな道も通ってたりとかして、どんどん開発されてたりとか、いっぱい人が住んでいらっしゃる街なんかなっていう国立市の中にありました。
東京都国立市八川三丁目に本席がある日本聖皇会計っていうですね。日本聖皇会っていうキリスト教の一派ですね。の系列というか、もうちょっと関連しているような社会福祉法人ですね。
そういう知的障害児施設とか、あるいは成人の分の知的障害の支援施設とか、あるいはそれ以外のいろんな各種サービスも提供していると。
滝野川学園の職員数は約300名。施設利用者も約300名を超えるということでした。
これホームページとかに書いてたりとか、ちょっと案内してもらった事務の方にも聞いたんですけれど、当初は児童だったんですけどね。明治からあるんですけれども、当初は児童だったんですけれども。
でもその後だんだんやっぱり成人の分も開設してきてて、最近は老人のいろんな施設も作っていると。
そうなんですよ。幼児で入ってもずっとそこにいると年取っていきますからね。老人になっていくんですよね。
事務の方おっしゃってましたけれども、新宿区にもグループホームを来年の1月に開設しますって教えてくれました。
すごいですね。都会の真ん中に。
都会の真ん中にご高齢の方のグループホームなども開設しますということを見たいです。
規模をちょっと言いましたら、敷地面積は大体2から4.5ヘクタールってこっちゃってことですけれども、東京ドーム半分からほぼ1個分ぐらいの大きさです。
きっちり面積がホームページ上では特定されていない。名義とか多分知っていると思うんですけれど、ああいうところに書いているのがきっちり出ていない理由は、敷地と公園みたいになっているんですよ。
公園の中に敷地があるって感じなの?
公園の中に敷地がある。つまり公園自体が滝の川学園なんやけれども、その周辺の公園と滝の川学園とがくっきり分かれているところもあるんやけれども、ぼやけているところもあるんですよ。
ここ公園なのかなっていう感じのところから、多分全部滝の川学園やったと思うんですけど、そこが公園として開放してたりとかってするんかな。
なるほどね。交流の場になるしね。
そうなんですよ。
ちょうど僕が訪れた日の2、3週後に地域のお祭りがあるみたくて、それの張り紙してたりとか、中で打ち合わせしてたりとかしてるのがあって、これからそういう地域のお見合いするんやなみたいな感じでしたね。
町の活性化の中心なんですね。
そうそうそう。そういうのもやってるみたいですよ。
事業収入が1年のうち19億4500万円っていうのが、2020年で書いていました。
19億。すごいのかな。
すごいですね。
もちろん福祉の、医療福祉法人で死人生のところで、大規模にやってらっしゃるというところなんですかね。
僕が訪れた土真ん中のところに、記念館とか礼拝堂があるんですけども、もちろんその周辺にグループホームであったりとか、いろんな施設が点在してる感じですわ。
森みたいな、木立みたいな、公園みたいなのがあったりとか、実は小さい川も流れてるんですよ。
中にですか?
敷地内に。
すごいな。
ちょっと薄そうとした森というか、森的な感じのところがあってね。矢川っていう川が流れてて、橋も架かっててっていう感じの、そういう、なんていうかな。
一つの村というのは言い過ぎですけれども、そういう一帯があるんですね。福祉施設です。
公室との関わり
こちらのすごいところを言うとくと、公室との関わりが深いんですよ。ここの施設って。
そうなんですね。
実際その秋人天皇と道子皇后って、今の上皇様と上皇后様ですよね。
はい。
実際ね、2回行行されてますし。
上皇后様というか、上皇様が退位される最後の公務っていうのが、この武之川学園の訪問だったらしいわって教えられました。
しかも道子様が私的にも結構訪れてきたことがあるんだって言ってました。
私的に?
私的に訪れることもあったっていう感じでね。
とても公室とゆかりが深いんですよ。
今日は話して、今日は言わないけれども、この武之川学園を作った当初から、この公室とちょっと関わりがあるんですね。
なるほど。
今もってあります。
僕が見てきたのが、武之川学園の文化財で、この石井良一・筆子記念館っていうやつです。
サムネイルにあげる写真にはちょっと載ってますけどね。
昭和3年に竣工された、昭和初期を代表するというような教育建造物と言われています。
モダンな感じですね。
モダンですよ、モダンですね。
今はね、この1階は石井良一さんとか筆子さんの記念物などを並べて展示してくれていて、2階が公道になってましたね。
あ、公道になってるんや。なるほど。
今もね、公道は使われていて、いろんな集いとかにも使うみたいですね。
何人ぐらい入れそうなの?
100人、200人は入るんじゃない?
すごいな、昭和初期の建物で。結構大きいですよね。
結構大きいですね。
実際その建物としても使われていて、1階が教室みたいな感じに使われていて、2階が公道として使われていたみたいですね。
今この国登録の有形文化財ですね。木造2階建てです。
木造だけれども、モダンな現代建築として有名でってことですね。
この滝の川学園って、この建物ができる前、この建物で3代目なんですよ。
3階移転してるんですね。
同じ場所ではなくて?
同じ場所ではなく移転してるんですよ。
当初はちょっと放浪した時期もあったんですけど、大きな建物ができて、3階目なんですけどね。
2階目の時に火事にあったんですよ。
火事ですか。
滝乃川学園の設計と防災
この須玉っていうところに滝の川学園があった時に、園児の失火によって園舎が全焼したっていうことがあったので。
なるほど。
この3階目のこれを建てた時に、防災を意識した造りになっているらしいというのも教えてもらいました。
火事の時にどなたか怪我したり亡くなったりしたのかな。
6人ぐらい亡くなったってね。
やっぱりそうなんですね。
そういう悲劇もあったようなんですけどね。
そういうことが起こらないように、この3つ目の国立市の建物ができた時に、
両市さんとか筆子さんは、廊下を限界に向けてだんだんと広くなるように。
同じようなスペースじゃないんですよ。
なるほど。
限界に向けてすぐに逃げれるようにしたりとか。
階段があるんですけど、一段一段が低くしてたりとかして、ゴム張りにしてました。
滑らない。
現在もゴムになってましたね、階段のところがね。
こけないようにしてたりとか。
あと窓に工夫があって、この上の窓が開くようになってたりとか、
廃煙というか煙を出す装置になってたりとか。
あと目が不自由な方もいらっしゃったみたいで、
この光を十分とれるように最高にも注意してたっていう。
窓が大きくて。
窓が大きくて、上の方にも普通の窓よりも一段もう一個ついてたりとか、
階段のところにも結構窓があったりとかっていうのが特徴みたいですね。
っていうところを見学させてもらいましたね。
聖三一礼拝堂と天使のピアノ
こうやって見学はずっと案内がついてくれるんですか?
ついてくれるんですよ、それが。
すごいな。
多分事務長的な女性の方が教えてもらったと思うんですけど、教えてもらいました。
途中でこの記念館でじっくり僕見たいんでって言ったら、
そこではどうぞということで自由にさせてもらってたんですけど。
もう一個見せてもらったのが、
聖三一礼拝堂っていうところですね。
これ礼拝堂でした、キリスト教のね。
同じ年にできた、昭和3年にできた礼拝堂なんですけど、
こっちの方は鉄筋コンクリートづっくりなんですよね。
わりと教会なので、礼拝堂なので、
こっちは鉄筋を使ってですね、わりと頑丈というか、
ギッチリ使って作ってるんですね。
中野はすごく普通の礼拝堂なんですけれど、
ステンドグラスに子どもたちが動いているというか遊んでいるというか、
ようなものが載っていたりとか、絵が飾っていたりとか、
少し施設っぽい感じはあるんですけれども、
おごそかな感じの礼拝堂。
これ今も使われているんですか?
今も使われているんですって。
日曜日には日曜礼拝っていうのをされたりとか、
いろんなキリスト教の集まりもされるみたい。
牧師さんっていうのかな、ちょっと名前忘れちゃったんですけど、
ここの教会を収めている牧師さん的な人もいらっしゃるっておっしゃってましたね。
この礼拝堂にあるのが天使のピアノってやつなんですよ。
名前がちょっとあれなんですけど。
これは何かっていうと、
この学園を作った石井藤子さんがお埋め入りに持ってきたピアノなんですよ。
すごいですね。その当時のピアノを持っていける人ですよね。
その通りなんですよ。
現在日本で使われている最古のピアノって言われてて。
その当時、1885年に
藤子さんのお父さんが結婚祝いに買ったと言われてて。
その当時、家一軒買えるほど高価だったと言い伝わっています。
すごいな。お父さん何してた人ですか?
お父さんは実は県知事もしてました。
最終県知事で貴族院議員にもなっている。
男爵になっています。
なるほどです。
ここの家がまたね。
こういうことも実は藤子さんと竹戸川学園には結構大切なことなんですよ。
なるほど。
このピアノのことなんですけど、日本最古のピアノでね。
現在のアップライトピアノよりも3弦3フレット、
音が出る仕組みがオーバーダンパーアクションってよくわからないんですけど。
今のアップライトピアノとはちょっと異なる。
残響が多い。
つまりずっと反響するペダルを踏んでいるような状態でのピアノなんですね。
実は弾かせてもらいました。
弾いていいですよって言って。
触っていいんですか?
触っていいんです。
マリモ先生確かピアノ習ってたと思うんですけど。
小学校まではね。
いやいや。
でも音がブーンと響く感じで。
ど真ん中のところに天使さんが刻まれているというか乗っているというのが見えますね。
そういうのが見えますね。
なるほど。天使の横側ですか?
正面に丸い模様みたいなのがあって、そのままのところに天使さんが刻まれているのが見えます。
そのままのところに天使さんがついているのが見えます。
そのままのところに天使さんがついているのが見えます。
なるほど。天使の横側ですか?
正面に丸い模様みたいなのがあって、その真ん中に白く映っているのがあるでしょう。
あれが天使の格好をしている天使さんですね。
あれで天使のピアノという名前を通称付けられていますね。
なるほど。その両脇に出ているんだ。
食材が。
食材が出ているんです。
そういうシステムが当時あったみたいですね。
とはいえ、このピアノは1996年に埃に埋もれていたんです。
それをこのピアノを発見したらしいんですよ。
発見という言い方は悪いですけど。
どこにあったんですか?
つまりこの建物の上にある建物の上に、
教会はずっと使われていたんですけど、本館の方があるじゃないですか。
本館の?
木造の資料館というのは、今は資料館になっているんですけど、
昔はもう使われていなくて、ただの物置みたいになっていたみたいですね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
障がい者さんや爺さんの施設はずっと運用されているんですよね?
横で。
横で鑄やれていた。
そうなんですよ。
でもここの風景、どこにあったのか、
一般的にはない感じだったんですね。
どうしても写真が強くない。
そうだと考えたら、
何か悪いことが起きて、
何か悪いことが起きて、
何が起きて、
何が起きて、
何が起きて、
何が起きているのか、
何が起きているのか、
何が起きているのか、
だけどこの古い建物は使われてなかったみたいですね
戦後になってからね
ということみたいですね
実際この96年にピアノが発見されて
これが貴重なものだと分かって
調律したりとか手入れしたりとかっていうことをして
実際ピアノが演奏されたりコンサート行われたりとか
っていうのもありました
今もあるみたいですけど
その当時2000年代初めくらいの結構そういうのもされてたりとか
実際その道子様がですね
道子皇后が来た時も
このピアノを弾いてコンサートしたらしいですよ
障がい者教育の変遷
そうなんだ
なんかそんな記録もネット上にも残ってますわ
フルートと一緒にこのピアノを弾いて
道子様が弾いたんだって
っていう感じの天使のピアノってやつですね
映画のところにも若干登場したりとか
ちょっと名前がキャッチーなので
割と使われやすいんですけどね
なるほどなるほど
実際僕は見させてもらって
そんなところかっていうことだったんですけど
実際見させてもらって
いろいろ見てたんですよ
道子さんとか筆子さんの生涯とか
いろんな物品とか資料が残されてたりとか
資料館の中をずっと見て回ってたんです
そこで上の方1階が資料室なんですけど
2階は行動で今も使われてるんですけれども
僕が行った時にはちょうど行動にですね
ちゃんと職員の人たちが2,3グループを作って
いろんな打ち合わせをしていました
たぶんその次の週とか2週後に行われるお祭りというか
ああいうイベントのいろんな打ち合わせを
グループ分けてやってるんかなと思うんですけれども
そういうのを行動でしてたら
ちょっと後ろから覗いたりとかしてたんですけど
それとは別にね
実はその利用者の人と
あるいは指導員と2人がですね
その資料室の窓を拭いてたりとかしてたんですよ
お掃除ですね
作業をずっとしてたっていうのがあって
それもちょっと横目で感じながら
見学させてもらったっていうのがありましたね
一等一なんですねやっぱり
一等一でしてましたね
というかその指導の方も掃除しながら
その利用者の人も掃除しながら
指導員の方も声掛けしてっていう感じでやってて
ああこんな感じでやってる
優しい感じでね
やってるのを横目で感じながら見学してたっていう感じでしたね
僕はそれで帰ってきたんですけど
実際利用者さんが活躍している
例えば作業所だったりとか
中のいろんなものっていうのはもちろん今利用してるし
見せてもらうのはどうかなと思うし
別にそこは言わなかったんですけどね
でも外観を通ったりすると
ちょっとそういうざわめきとか
ちょっと声とかが聞こえてきて
ここでいろいろされてるんかなっていう感じでしたね
この知的障害の差別とかについても
ちょっと言おうかなと思ってるんです
この知的障害っていう
例えば言葉って
今僕知的障害知的障害って言ってますけれども
実は知的障害って最新は言わないんですよ
言わないの知ってました
そうなんですか最近は
最新はですね
知的発達症って言います
そうなんだ
医学的にはね
ICD-11とかあるいはDSM-5とかっていう
精神疾患とか障害の分類規定が
世界であるんですけれども
それのいろんな名前がですね
その時に更新もされるんですけれども
知的発達症と多分今後言うのかな
ただ知的障害とも言ってもいいって言われて
この今は並存してるっていう感じですかね
障害じゃなくて発達症
発達症と言いましょうということになって
この辺はいろいろな考え方があるんですけれど
この知的障害の前は
何て言ってたか知ってますかって話ですよ
私ね白痴っていうのは知ってます
白痴って知ってますか
知ってました
本でそういう表現があったように思います
なるほど
実はこの白痴っていう言葉とか
あるいはそのもう一個次の言葉は
精神白弱って言うんですけど
昭和の時代は精神白弱という風に言っていました
医学的には精神痴体とも言うことがあったんですけれども
精神白弱っていうのが福祉用語というか
教育用語として使われてたんですね
戦後から主にね
その前にこの白痴とか痴愚とかロドンとかっていう
この二次熟語で使われている言葉があったんですね
これらの言葉は今は差別的な用語として
一般的には使ってはダメというか
差別用語とされています
明治の時とかっていうのは
石井秀子さんとかが存命だった時代
主に多分言ってたのがこの白痴っていう言葉と
痴愚っていう言葉とロドンっていう言葉なんですね
ロドンあるいは軽愚っていう言葉なんですけど
これちょっと難しいですよね
今となっては
その当時はちょっと差別的な
普通の言葉だったんだけれども
差別的な意味合いが強くなって
使うのは良くなくて
精神迫弱に変わっていたということになるんですけど
今はいずれも言っちゃダメなんですけれど
知的障害の歴史
だいたいざっくり言うと
白痴っていうのが一番程度が重い知的障害で
職業ができないっていう程度の
知的障害のことを白痴と言って
痴愚っていうのはわずかに仕事ができるっていうのを痴愚と言って
ロドンとか軽愚っていうのは
それよりも軽いもののことを言ってた
それ自体はただそれの程度だけの名称なんですけれども
とても無別的な意味合いがこれにこもってくるんですね
ということで名前を
精神迫弱という言葉に変えましょうということで
昭和の初期に変わるんですけれども
でもまたそれがですね
精神迫弱という言葉も
意味合いがこもってくるので
昭和の最後ぐらいには知的障害っていう言葉に変わりましょう
っていうことに変わってくるんですね
なるほど
最近なんですね
そうですね
知的障害と主に言い出したのも90年ぐらいからですね
そのくらいって言われてます
一番知的障害での辛い記憶がどこかっていうと
優生学やと思うんですよ
イギリスドイツが障害者を虐殺したっていう話は
なんとなく聞いたことあるじゃないですか
はいありますね
あれがまあ基づいた学問っていうの
というか考え方っていうのが優生学っていう学問なんですよね
知的障害とか障害を持たれてる方が
どんどん子供さんとかを作ると
いろんな問題が社会に及ぼすんじゃないかっていう考え方があって
これは間違ってるんですけど
そういう方を絶滅させようとしたようなのが一番問題ですけれども
日本ではもちろんそういうところまではいかなかったけれど
もちろんそこいう厳しいというか
直接的なところはいかなかったけれども
でもすごい社会的に
障害されてたりとか
分別されてたりとかっていうことにはなってたってことですよね
知ろうとしてませんでしたもんね
やっぱりでもそれは問題ですよみたいなことで
もちろん石井さんとかが立ち上がったのは
そういうこともあるとは思うんですけれど
ただでもそういう時代であっても
差別の問題はあったし
その後100年経ってもまだあるし
今現在もないんかということはないんやと思うんですけどね
教育における現状
そうですね
こういう問題っていうのはやっぱり大切かなと思うんですけどね
これはでも日本だけの問題じゃなくて
全ての国々で行われていることなので
こういった正しい理解っていうのを
より広めていかなあかんなというところなんですけどね
本当にそう思います
現在どうなってるかっていうと
特別支援学級とかって僕らの時ありましたやんか
ありましたね
今もないことないんですけれども
割と今は一般の教育でも
一緒に学ぶ時間を作ったりとか
っていうことが一般的になってるみたいですね
支援学校とかっていうのもあるけど
支援学校が一つの障害を持たれている方の
ハブでいうことにはなるんやけれども
一般の学校でも過ごす時間を作ったりとか
っていうことが大切かなとかって言われています
そうそう結構交流はしてますよね
地域の方々とも
障害を持たれている方とも
当然一緒におるべきなんと違うかなっていう考え方が
90年以降ですね
2000年代になってから割と広まっていることなんですね
この差別の問題って
差別と個別支援
安全自体から意思を投げても
意味がないってよく言われるんですけれども
僕そう思うんですよ
自分だけがね自分は差別をしないんですよ
あいつらが悪いんですよみたいな
それってほんまかっていうことなんですよ
ほんまにそうですね
つまり自分事にしないと
こういうことって全く他人事っていうのは
そうです文字で言葉でやってるだけではダメですよね
そうそうもちろん差別ダメなんて言っても
その言葉自体には全く意味がないので
自分がどう考えてどう行動するかっていうことが
大切なんかなっていうことがあるので
ちょっとですね僕のこの体験を
告白したいなということがあるんですけどね
何か体験したんですか
僕もちろん桜さんも知っている通り
全く私立の中高に行ったので
知的障害の方とふり合うのは小学校までやったんですよ
私もそうです
同じです
でも小学校の頃には知的障害のある同級生もいていたりして
そこでの出来事なんですけどね
僕はたぶん小学校4年生くらいやったと思うんですよ
5年生やったかもわからないんですけど
昭和50年くらいですよ55年とか
そういうことなんですけど
知的障害のある女子の同級生がいていました
その方は支援学級にも行くんですけど
僕たちと同じように
一緒の学級にも行っていた
今のインクルージブ教育なんですけどね
そうなんですよね
その子が残念なことに
いじめ的な対象になっていました
インシスではないけど変なあだ名を付けられたり
配置を立てられたりとかね
からかわれているってことですよね
動作がゆっくりだったりとか
先生に言われたことができないとかっていうのがあったんですよね
僕は別に積極的に関わっていなかったと思うんですけど
ちょっと優等生的な立場だったからか
先生からその女の子の横に座るように
お世話してあげてねって感じですね
実際この交流というか
仲良い人まではいかないけれども
交流が少しあったりとかして
彼女が笑った顔というのが
とても記憶に残っているなと思っていたりして
いいですね
それはあれないけれども
うちの母親にもそのことを言った記憶があって
うちの母親とかって
差別意識がすごく低いじゃない?
そうですね
例えば昭和の時期っていろんな差別があったけれども
彼女はそれに対してすごく無頓着というか
むしろみたいな感じの人だったけれども
ただ知的障害の方に関しては言うだろう
それはあなたを優しくしてあげるのがいいじゃない?
みたいな言い方をしていた記憶があって
それもちょっと記憶に残っていることで
だったんですけれども
ある日の教室が終わった日なんですけど
僕たちのところって教室が終わって
放課後になったら自分らが掃除するんですよね
机を下の方に下げて
後ろに下げて掃除するっていうのが
それで帰るっていうことになったんですけど
その時に
終業になって
机を後ろに引きずっていこうというところになったところで
その同級生の彼女が動かないんですよ
椅子に座ったまま動かない
これいつも?
そんなことはなかったと思う
この時だけ?
ちょっと変やったような感じもするんですけど
あまりちゃんと記憶に残っていないんですけど
とりあえず動かなかったんですよ
もともとゆっくりだったりするんで
ワンテンポ遅れることは全然おかしいことではないんですけど
全然動かない
つまり彼女の机が動かないと
そのレッスンが動けなくなるので
色んな問題があるなということで
僕は動かさないとって彼女に声をかけたら
彼女がずっと動かなくて
ちょっと僕がイライラして
どこかさんとみんなにまた怒られるよみたいなことを言って
彼女の机を軽く蹴った記憶があるんですよ
でね
踏んだら彼女の足元に
ゆっくりと水たまりができていったっていう記憶があるんですわ
お漏らししちゃった?
だと思う
実はその後の記憶は僕に全くなくて
なんかしたことはない
なんかしたら多分記憶に残ってると思うんですけど
多分それ以降の対処は
先生がしたんだろうなっていうことを
トイレに来たかったんかな
今から思うとね
多分トイレに行きたかったっていうこともあるだろうし
日頃優しいと思ってた僕に
強い言葉をかけられたりつけおけられたり
驚いたのもあったのかもわからない
僕はねその時自分が蹴ったからって思ってたんやけれども
でも後から考えると
もしかしたら彼女はもっと前からトイレに行きたくて言えなくて
っていうようなことがあったのかもわからないと今は考えると思うんやけれども
きっとそうやろうね
だからタタンってなかったんやろうなと思うけど
ただねそこの記憶は僕はそこから全く覚えていなくて
ショックやったんや
それもあったと思うし
あまりめちゃめちゃメインの記憶でもなかったかなと思ってたりとかして
覚えてるのは
それ以降彼女と同じ教室で過ごすことはなくなったってこと
教室にも来なくなった支援学級にずっと
ずっと支援学級にいることになったんかなと思う
でもお漏らししちゃったら
先生はそう判断するかもね
そう考えるとそうかもしれないね
あと僕はちょっとそれを
めちゃめちゃ思ってるわけじゃないけど
財布感を感じて親には言えへんかったってことも覚えてる
そうなんや
ショック受けたね
いじめと言えないけれど
良くない行動やったと思うんですよ
僕は知識がなくて理解が欲しかったからした行動やと思うんですけれど
僕はこの
差別ダメですよなんて
とても人に言えたような人間じゃないんだけれども
やっぱりその後色々勉強したりとか
やっぱりこういうことっていうのは正しい行動っていうのが
世の中にはあるので
そこは勉強したかなと思いましたね
知ってたらっていうのがあるもんね
それもあるしね
知るということが知性やと思うし
やっぱり人間そうでないとダメかなと思うんですよね
本当そうですね
今思うことで言うと
差別の問題って考えるのって
差別って色んなのがあるけど
人間の考えとして
ざっくり考えたほうが人間のコストが少ないんですよ
考えるコストが
日本人はとか外国人はとか
考えたほうが考えるコストが少なくて
考えやすいんですよね
だから差別って出やすいと思うんですよ
例えば障害を持つ方も
一方まで考えたらダメで
その方の気持ちになって考えていく
その方を個人として考えていくと
差別にはなりにくいかなって最近思うんですけどね
本当におっしゃる通りだと思います
だから目の前にいる人を見て考えるっていうのが
例えば障害を持たれる方は
僕は割と見ることが多いので
その方になったつもりで考えるっていうことをすると
大きな間違いにはなりにくいなと思うんで
そうですね
福祉は常に個別支援なんですよ
知的障害とか精神障害って言うけど
本当に一人一人その人なりに
それぞれの支援をしましょうという考え方なので
人を見ないと
それが福祉ですね
ただカテゴリー分けをしないと
勉強が進まないというか
物事が前に進めないというところもあるので
そこが難しいところですけどね
ベースは大枠で勉強して
その先の個別支援だなとは思いますね
そうなんですよね
僕は昭和時代の話を言ったんですけど
例えば明治とか大正とか昭和初期に
こういった方の支援をしようと思った方々です
今回考えて思ったんやけれど
石塞いって今で言うたら
例えばどうだろうか
かなり飛び抜けたことをしている人だと思うんですよ
そうですね
例えば薬物依存とかの問題じゃないと思うんですけど
例えば性犯罪者だったりとか
もっとかな
もっとちゃう?
知的障害との関わり
宇宙人的な感じ
今も結構いろいろあっても
普通用みたいな時代になりつつあるから
支援を自分の生涯をかけてしようと言った人たち
本当ですね
それもお嫁入りにピアノを持っていけるお家で育っている方じゃないですか
すごいですよね
そうなんですね
興味が湧きます
というような話を次からしていきたいなと思いますね
一旦1回目はこれで終わりたいなと思います
ありがとうございます
私は日々毎日知的障害
知徹発達症と言われる方と
共に過ごしているので
もう生活の一部なんですね
すごくお一人お一人個性があって
ピュアで
すごく一緒に過ごすと
気持ちが私は楽になるんです
でも実は僕もそうかも
本当?
好きなんです私
こういう方は
僕も理解なんですけれども
やっぱり普通の方って厄介なんですよ
何が?
嘘つくし
よく見てもらいたいと思うし
やっぱりそれぞれ自分の仮面をかぶるじゃないですか
当然ですけどね
誰しもそう
もちろん自分もそうなんですけれども
そういった方とのお付き合いというのは
それなりの自分の覚悟が必要だし
知的障害の方って非常にそういうのが削ぎ落とされつつある方が多いので
こっちが余計な気を使う必要がなくなるという
気持ちのストレスがないんですよね
おっしゃる通りですね
そういったところもあるかなと思いますね
だからといって油断したらあかんので
その方はその方として
ちゃんと見ないといけないというところにもつながると思うんですけど
でも逆にそうよね
知的に高い方ってちょっとつらいよねとか思うときもあったりして
ある
幸せって本当に一言では言えないし
人によって違うんですけど
ピュアな気持ちとかピュアな考え方
割と本能に近いじゃないですか
好きとか嫌いとか
そういう本当に
基本の気持ちに忠実な方たちなので
一緒にいると本当に自分が
浄化される気がするの
大変なんよ
その意思の交通もできないときもあるし
こっちがお願いしたいことも全然通じない方もいらっしゃるから
大変なこともあるんだけど
でもなんか嫌だなってならない方たちなんですよね
本当にかわいらしいとことか
本当になんかこう
ホッとするとか
純粋に嬉しいって感じさせてくれる人たち
できたねっていうのを感じさせてくれる人たちなので
素晴らしい人たちだなと思います
この人たちの感性はすごい私大事にしたいなっていつも思ってて
好き嫌いよく言うんですよ食べるものとかも
これは嫌だって言うんですけど
そこは大事にしたいなって思うとこですね
そうですね
もちろん素晴らしいところもあるし
ちょっと肉相が良くないところも当然
人の人間としてあるので
そこのところでも正しく付き合っていくっていうか
適切に付き合っていくっていうことね
僕ら磨いていきたいところだなと思いますね
人格は人格としてちゃんと認めて
対等に付き合うっていうのは本当に大事だと思います
本当ですね
それでは1回目のコーナーにしときましょうか
精神科の知識
ありがとうございました
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