日本初の知的障害がある方の施設を作った、石井筆子・亮一の障害です。
この方たちは?
はい、ありがとうございます。
今回はですね、明治の時に日本最初の知的障害のある方の施設を作った、
滝の川学園という、今もあるんですけど、
この施設を作った石井亮一さんと、その妻の石井筆子さんの障害をたどろうかなと思います。
はい。
知ってました?
結構有名ですよね。知ってました。
本当?すごい。僕実は知らなくて。
本当ですか?
何かいろんなネタを探している中で、知的障害もちょっとどうかなと思って見ている中で、
この人の名前が出てきて、いろいろ見ていると、この人面白いというか興味深いなと思って取り上げようと思いました。
映画にもなってるしね。
映画にもなったんですよ。2007年に、筆子その愛天使のピアノという、
時は高子さん主演の映画化がされているということが分かりました。
はい。
もちろん見たことはないんですけれど。
うんうん。
予告編とかはね、動画とかに上がってたりするんですけどね。石井夫妻のことはどうやって知りになったのかって覚えてます?
私ね、この就労支援の事業所を始めるきっかけになったのが、
私の息子の親友のお姉ちゃん。
うちの長男と同級生になるんですけど、
その子が知的障害があって、この子がお母さんといつも一緒に、
いろんなランチ会とか、あと習い事とかついてくるんですよね。
この子の作業をしている様子とか、お母さんがいろいろ作ってたら、横で一緒になって作ったりしてるんだけど、
その様子を見てて、あ、もしかしたら私がやっているいろんなこういう手作業の仕事が。
その当時は手芸とかされてたもんね。
そうそう。もともと手芸とかビーズアクセサリー作ったりとか、
アーティフシャルフラワーっていう高級な造花のお花を作るようなお仕事をしてたんですけど、
それに、もしかしたらセラピーみたいに活かせるかもなって思わせてくれたのがきっかけだったので、
この知的障害っていう障害については、もともと就労支援を始めるきっかけになった障害ではあるんですよ。
なので、こういう仕事を始めようと思った時に、いろいろ調べたんですね。
その時に出てこられました。石井陽一さんと石井筆子さん。
本当?そうなんだ。知ってたんですね。
それって何年くらい前の話になるのかな?
15年くらい前。
15年前くらいですかね。なるほど。
ちょうど筆子さんが取り上げ出したのが2000年代になってかららしいんですよね。
2007年に映画ができたりとか、テレビ番組で撮れられたりとかってする感じですね。
ちょうど2010年とか、さくらさんが出会った時期っていうのがね。
ちょうど取り上げられた時期ですね。
石井筆子さんとか、陽一さんとかっていうのは、この2000年代からちょっと取り上げられるんですけどね、マスコミとかに。
でもそれまでは全然知らないというか。
たきのくわ学園の創始者ということで、たきのくわ学園とかその周辺の福祉業界ではもちろん有名だったんですけれど、
一般的に知られるようになったのはこの2000年代からみたいですね。
故郷の大村市って長崎県の長崎空港あるところが大村市なんですけど、
あそこが筆子さんの出身地なんですけどね。そこに銅像ができたりとか。
そうなんですか。
そうなんです。
そしてその博物館の一角に、筆子さんとかの資料が展示されたりとかっていう感じで取り上げられるようにはなっている。
でもまあ2000年からですけどね。
そうですよね。だってたきのくわ学園って東京ですもんね。
東京ですね。国立市ですね。
僕がこれ取り上げたのは、精神科医療と知的障害って、実はど真ん中じゃないんですよね。
そうなんですか。
知的障害の認定をしたりするのは精神科医療ではするし、あるいは知的障害を起こすいろんな病気があったりするので、それについての関わりはあるんですけれど。
だから周辺では関わるんですけど、知的障害自体が病院とか医療とかでど真ん中に扱うってことは実はあんまりなくて。
なるほど、そうか。
そうですね。
そうなんですよ。
だから、例えば医療って診療科別に分かれますやんか。
小児の方とかもちろん小児科の先生が知的障害とかには扱ったりとか診断とかっていうのをされるし、大人になってくると精神科私たちが関わることも多いんですけどね。
ただど真ん中の知的障害を医療的なものとして捉えることはそもそもなくて。
福祉の分野が捉えるっていうのが主なんですけれど。
確かに、言われてみればそうですね。
そうそう、それも含めてね。さくらさんの仕事は福祉だし、僕の仕事は医療なのでちょっと僕のメインからずれるんだけれども、とっても大切な領域だなと思ってて。
僕自身知的障害にはわりと興味がある方の医者なので。
これを機会に福祉の始まりについて勉強しようかなと思って勉強してみました。
実は滝の川学園に先日私行ってきたんですよ。
そうなの?見学に?
はい、見学に行ってきました。
びっくり。
実は学会が関東の方であって、半日抜けてちょっと見に行こうと思って見に行ったんですよ。
これ見学させてくれるんですか?
あらかじめ申し込んでおくと。
だってすごい大きな施設でしょ?
そうそうそう。一角のね、街の一角ぐらいですけれども、一角が公園というか森というか。
一帯がその滝の川学園になってて、石井両一筆子記念館っていうのがあったりとか、あるいはこの礼拝堂があるんですよね。
認定されているようなね。そこが申し込んでいれば見せてくれるというのがあって、ちょっと申し込んで先日行ってきたんですよ。
どうだったですか?
すごかったですね。
やっぱりね、国立市っていうのが全然知らなかったですけれども、住宅地というか、多分畑が住宅に変わっていったところなんかなっていうところですかね。
住宅地で、割と庶民的な住宅地。高級住宅地も東京にも関西にもありますけれども、そんな感じじゃなくて割と庶民的な感じの方がいるような住宅地で。
まだ畑も所々に点在していると。ただでも大きな道も通ってたりとかして、どんどん開発されてたりとか、いっぱい人が住んでいらっしゃる街なんかなっていう国立市の中にありました。
東京都国立市八川三丁目に本席がある日本聖皇会計っていうですね。日本聖皇会っていうキリスト教の一派ですね。の系列というか、もうちょっと関連しているような社会福祉法人ですね。
そういう知的障害児施設とか、あるいは成人の分の知的障害の支援施設とか、あるいはそれ以外のいろんな各種サービスも提供していると。
滝野川学園の職員数は約300名。施設利用者も約300名を超えるということでした。
これホームページとかに書いてたりとか、ちょっと案内してもらった事務の方にも聞いたんですけれど、当初は児童だったんですけどね。明治からあるんですけれども、当初は児童だったんですけれども。
でもその後だんだんやっぱり成人の分も開設してきてて、最近は老人のいろんな施設も作っていると。
そうなんですよ。幼児で入ってもずっとそこにいると年取っていきますからね。老人になっていくんですよね。
事務の方おっしゃってましたけれども、新宿区にもグループホームを来年の1月に開設しますって教えてくれました。
すごいですね。都会の真ん中に。
都会の真ん中にご高齢の方のグループホームなども開設しますということを見たいです。
規模をちょっと言いましたら、敷地面積は大体2から4.5ヘクタールってこっちゃってことですけれども、東京ドーム半分からほぼ1個分ぐらいの大きさです。
きっちり面積がホームページ上では特定されていない。名義とか多分知っていると思うんですけれど、ああいうところに書いているのがきっちり出ていない理由は、敷地と公園みたいになっているんですよ。
公園の中に敷地があるって感じなの?
公園の中に敷地がある。つまり公園自体が滝の川学園なんやけれども、その周辺の公園と滝の川学園とがくっきり分かれているところもあるんやけれども、ぼやけているところもあるんですよ。
ここ公園なのかなっていう感じのところから、多分全部滝の川学園やったと思うんですけど、そこが公園として開放してたりとかってするんかな。
なるほどね。交流の場になるしね。
そうなんですよ。
ちょうど僕が訪れた日の2、3週後に地域のお祭りがあるみたくて、それの張り紙してたりとか、中で打ち合わせしてたりとかしてるのがあって、これからそういう地域のお見合いするんやなみたいな感じでしたね。
町の活性化の中心なんですね。
そうそうそう。そういうのもやってるみたいですよ。
事業収入が1年のうち19億4500万円っていうのが、2020年で書いていました。
19億。すごいのかな。
すごいですね。
もちろん福祉の、医療福祉法人で死人生のところで、大規模にやってらっしゃるというところなんですかね。
僕が訪れた土真ん中のところに、記念館とか礼拝堂があるんですけども、もちろんその周辺にグループホームであったりとか、いろんな施設が点在してる感じですわ。
森みたいな、木立みたいな、公園みたいなのがあったりとか、実は小さい川も流れてるんですよ。
中にですか?
敷地内に。
すごいな。
ちょっと薄そうとした森というか、森的な感じのところがあってね。矢川っていう川が流れてて、橋も架かっててっていう感じの、そういう、なんていうかな。
一つの村というのは言い過ぎですけれども、そういう一帯があるんですね。福祉施設です。
こうやって見学はずっと案内がついてくれるんですか?
ついてくれるんですよ、それが。
すごいな。
多分事務長的な女性の方が教えてもらったと思うんですけど、教えてもらいました。
途中でこの記念館でじっくり僕見たいんでって言ったら、
そこではどうぞということで自由にさせてもらってたんですけど。
もう一個見せてもらったのが、
聖三一礼拝堂っていうところですね。
これ礼拝堂でした、キリスト教のね。
同じ年にできた、昭和3年にできた礼拝堂なんですけど、
こっちの方は鉄筋コンクリートづっくりなんですよね。
わりと教会なので、礼拝堂なので、
こっちは鉄筋を使ってですね、わりと頑丈というか、
ギッチリ使って作ってるんですね。
中野はすごく普通の礼拝堂なんですけれど、
ステンドグラスに子どもたちが動いているというか遊んでいるというか、
ようなものが載っていたりとか、絵が飾っていたりとか、
少し施設っぽい感じはあるんですけれども、
おごそかな感じの礼拝堂。
これ今も使われているんですか?
今も使われているんですって。
日曜日には日曜礼拝っていうのをされたりとか、
いろんなキリスト教の集まりもされるみたい。
牧師さんっていうのかな、ちょっと名前忘れちゃったんですけど、
ここの教会を収めている牧師さん的な人もいらっしゃるっておっしゃってましたね。
この礼拝堂にあるのが天使のピアノってやつなんですよ。
名前がちょっとあれなんですけど。
これは何かっていうと、
この学園を作った石井藤子さんがお埋め入りに持ってきたピアノなんですよ。
すごいですね。その当時のピアノを持っていける人ですよね。
その通りなんですよ。
現在日本で使われている最古のピアノって言われてて。
その当時、1885年に
藤子さんのお父さんが結婚祝いに買ったと言われてて。
その当時、家一軒買えるほど高価だったと言い伝わっています。
すごいな。お父さん何してた人ですか?
お父さんは実は県知事もしてました。
最終県知事で貴族院議員にもなっている。
男爵になっています。
なるほどです。
ここの家がまたね。
こういうことも実は藤子さんと竹戸川学園には結構大切なことなんですよ。
なるほど。
このピアノのことなんですけど、日本最古のピアノでね。
現在のアップライトピアノよりも3弦3フレット、
音が出る仕組みがオーバーダンパーアクションってよくわからないんですけど。
今のアップライトピアノとはちょっと異なる。
残響が多い。
つまりずっと反響するペダルを踏んでいるような状態でのピアノなんですね。
実は弾かせてもらいました。
弾いていいですよって言って。
触っていいんですか?
触っていいんです。
マリモ先生確かピアノ習ってたと思うんですけど。
小学校まではね。
いやいや。
でも音がブーンと響く感じで。
ど真ん中のところに天使さんが刻まれているというか乗っているというのが見えますね。
そういうのが見えますね。
なるほど。天使の横側ですか?
正面に丸い模様みたいなのがあって、そのままのところに天使さんが刻まれているのが見えます。
そのままのところに天使さんがついているのが見えます。
そのままのところに天使さんがついているのが見えます。
なるほど。天使の横側ですか?
正面に丸い模様みたいなのがあって、その真ん中に白く映っているのがあるでしょう。
あれが天使の格好をしている天使さんですね。
あれで天使のピアノという名前を通称付けられていますね。
なるほど。その両脇に出ているんだ。
食材が。
食材が出ているんです。
そういうシステムが当時あったみたいですね。
とはいえ、このピアノは1996年に埃に埋もれていたんです。
それをこのピアノを発見したらしいんですよ。
発見という言い方は悪いですけど。
どこにあったんですか?
つまりこの建物の上にある建物の上に、
教会はずっと使われていたんですけど、本館の方があるじゃないですか。
本館の?
木造の資料館というのは、今は資料館になっているんですけど、
昔はもう使われていなくて、ただの物置みたいになっていたみたいですね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
障がい者さんや爺さんの施設はずっと運用されているんですよね?
横で。
横で鑄やれていた。
そうなんですよ。
でもここの風景、どこにあったのか、
一般的にはない感じだったんですね。
どうしても写真が強くない。
そうだと考えたら、
何か悪いことが起きて、
何か悪いことが起きて、
何が起きて、
何が起きて、
何が起きて、
何が起きているのか、
何が起きているのか、
何が起きているのか、
だけどこの古い建物は使われてなかったみたいですね
戦後になってからね
ということみたいですね
実際この96年にピアノが発見されて
これが貴重なものだと分かって
調律したりとか手入れしたりとかっていうことをして
実際ピアノが演奏されたりコンサート行われたりとか
っていうのもありました
今もあるみたいですけど
その当時2000年代初めくらいの結構そういうのもされてたりとか
実際その道子様がですね
道子皇后が来た時も
このピアノを弾いてコンサートしたらしいですよ