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2025-10-03 32:34

阪神・淡路からDPATへ——日本の災害精神医療の軌跡

心の傷はいつ病になったのか。 紀元前の記録から「鉄道脊椎」、ベトナム戦争とDSM-III、ICD-11のC-PTSDまでを一気に縦断。日本では阪神・淡路、東日本大震災を経てDPATが整備。精神科の戸惑いと利害の影、そして回復を支える「社会の余裕」と日頃のつながりを、現場の声で描きます。

 

【チャリティ・オンライン配信】心の傷を癒やすということ

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(能登地震のご寄付とともに視聴しましょう)

 

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サマリー

阪神淡路大震災を契機に、日本の精神医療におけるPTSDの認知が進んできました。このエピソードでは、PTSDの歴史や災害後の心的外傷が医療に与える影響が振り返ります。阪神・淡路大震災後、日本におけるPTSDの理解と治療の進展が語られています。特にD-PATの形成や東日本大震災以降の心のケアの必要性が強調され、精神医療の発展の歴史が紹介されています。阪神・淡路大震災を通じて、日本の災害精神医療の進展が語られ、地域とのつながりや心のケアの重要性が強調されています。また、PTSDや人間関係の大切さについての気づきが紹介されています。

PTSDの歴史と発展
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現代の精神科トピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業を所経していて、
つい先日、4ヶ月の初孫が、キャー、キャーとぬいぐるみに向かって話しかけている様子を見てキュンキュンした桜がお送りします。
心の傷を癒すということを見てみようです。
なんか精神科っぽい話になりそうです。これは?
はい、ありがとうございます。
今回、安勝雅先生の、心の傷を癒すということという本があるんですけど、
プラスそのドラマ、NHKでドラマ化されていて、映画館にもなってたんですけれども、
それをですね、今年私が触れる機会もあったので、話そうかなって思うんですけれども、
まず最初にですね、話っていうのは、この震災などの心の傷の話をしていくので、
今現在、心の傷で苦しんでおられる方は、もしかしたら聞いていると辛くなることがあるかもしれないので、
ここでちょっとそっと止めていただければなと思います。
そうですね、しんどくなったらもうそこでやめていただくのがいいことですね。
はい、よろしくお願いします。
前回の続きからお送りします。
では今回は、心の傷を癒すということをきっかけに、PTSDの歴史を振り返ってみようと思います。
震災のために注目されるPTSDの進歩、進歩の原因は何だろう?
という問いかけから始めたいと思うんですけどね。
PTSDってわりとこう、皆さんだいたい知っている言葉の一つになったかなと思うんですけど、
これは昔はそうじゃなかったよねっていう話から始まります。
最近できたんですよね、きっと。
最近ですね。今言うてるPTSDっていうのは、このベトナム戦争後の話からが有名なんですけどね。
なるほど、はい。
ちょっとその辺の歴史を振り返ってみようかなと思います。
まずですね、この古代から近世の中で、外傷体験の後の異常反応って載ってるのかっていうことがあるんですけれども、
昔はさ、もっといろんなことがあったと思うんですよ、ひどいことが。人類には。
でもあんまりこのですね、PTSDみたいなことは書かれてないんですよね。
でもゼロかって言ったらゼロではなくて、このヘロトドスの歴史っていう紀元前410年から420年ぐらいの書かれた書物があるんですけれども、
マラウントンの戦いっていうですね、エピゼロスさんっていう方が受けた紀元前490年の戦いの記録があるんですけども、
その中の戦いにですね、外傷を受けてないにもかかわらず、戦闘後に失明した戦士の記録っていうのが残ってて、
紀元前400年ぐらいの話ですけどね。
これが不安関連の戦闘外傷なんじゃないかなとかって言われてたりとか、
あるいは、1660年ぐらいですね、ロンドンに大火があって、その時に日記を書いてた方がいてるんですね。
ミッシェル・ヒープスさんっていう方の日記の中に、火災が終わった後に寝れなかったりとか、気分が動揺したりとか、そのことを何度も思い出すよみたいなことを詳しく日記に書いてたりもしました。
これも災害後の救世ストレスなんじゃないかな、みたいな。
そういう記録は残ってはおるんですけれども、ほぼないんですよ。
あんまり注目されませんでした。
なかったんですかね。
いや、あったと思うんです。
あったと思うけど、掲示されてたんですね。
病気とは見なされんかったということになります。
このPTSD、心的外傷後ストレス障害っていうのが精神疾患の概念として出てくるなって思われる一番初めっていうのが、この19世紀頃になるんですけども、産業革命の時に列車ができるんですよね。
鉄道ができて、鉄道ができた時に大きな鉄道事故っていうのが起こるんですよね。
それを被害者が被災した後に不眠とかフラッシュバックとかっていうのが出てくるっていうことが報告されました。
これを鉄道脊椎症みたいなことを名付けた病名が出てきます、19世紀に。
これが例えばPTSDとか心的外傷後ストレス障害の始まりなんじゃないかな、みたいなことがありますね。
病名がついたんですね。
あと第1次大戦後にシェルショックっていうのが出てきます。
世界大戦って第1次世界大戦と第2次世界大戦ありますけどね。
日本の精神医療における変化
日本とかでは第2次世界大戦の方がわりと被害者も多いから有名なんですけど、ヨーロッパでいうと亡くなった方っていうのははるかに第1次世界大戦の方が多いんですよ。
第1次世界大戦の後にこのシェルショックっていうのがあって、この前線にいてた兵士が帰ってきた時に悪夢を見たりとか回避したりとか無感情になったりとかそういうような人がいてて。
こんな人っていうのはなぜこんな風になったのかなって言われてた時に、この爆風によって脳損傷を受けたんじゃないかと。
そういうような説も出たりとかして、心的外傷なんかどうかっていうのが当初あんまりよくわからなかった。
だんだんやっぱり第1次世界大戦でそんな方が増えてきて、やっぱりこれは心的外傷なんじゃないかなっていうのが第1次世界大戦の時にわかってきたみたい。
第2次世界大戦の時にも戦闘疲労とかということで、慢性的な不安とか無気力とか回避とか起こるような人が出てきたみたいですね。
日本の中でも色々こういう問題はあったようなんですけれども、あんまりそういう心理的な問題だとは言われなかった。
医療とちゃんと連動しだすのがベトナム戦争の時なんですよ。20世紀後半ですね。
ベトナムにアメリカが攻めていってというか、アメリカが戦争して、そこから帰ってきたアメリカの兵士がですね、
フラッシュバックとか化学性とかアルコール依存とか自殺とかって人が増えて社会問題化しました。
そういった軍人さんと精神科医とか、ちゃんとこれは治療しないといけないということで、戦争の後遺症としての精神障害を認知するようになって、
PTSDというのが認知されることになります。
同じ頃に女性のフェミニズム運動というのも起こったこともあって、性暴力とか家庭内暴力の被害者とかでもトラウマが起こるよということが分かってきて、
このPTSDという概念が精神医学の中で成立することになります。
1970年とはつい最近ですもんね。
50年前ですけどね。
でも医学から言うなら最近ですもんね。
そうそう。
ちゃんとした病名が出てくるのが1980年に出たDSM-3というやつで、ポストトラウマティックスウェーツディスオーダーというPTSDというのが公式名称として採用されます。
フラッシュバックがあったりとか回避したりとか化学性が起こるとかというのが有名なんですけどね。
その後、軍人さんとかだけじゃなくて災害とか犯罪の被害者にも同じようなことが起こるよということが分かってきたと言われていて、それが80年代ですね。
それ以降これは浮き沈みがあるんですけれども、最近は複雑性PTSDという概念も出てきて、複雑性というのは何が複雑なのかというと、
死ぬような場面というのがPTSDの一つの古典的なものなんですよ。
兵士とかね、あるいはこの被害者とかっていうのは、本当に死ぬような場面になった。自分の生命が危ういっていうようなことになったっていうのがPTSDの本体なんですけれども、
複雑性っていうのはそこまでいかないんですけれども、慢性的によく似たような虐待とか辛い体験を受け続けると同じようなことになるよねっていうことが分かってきたので複雑性と言います。
多くは幼い頃の虐待を受けたりとか、そういう悲惨な体験を積んだ人っていうのがこの複雑性PTSDになるんじゃないかなっていう議論が、近年21世紀に入ってからは割と出てきていたりとか、あるいは進まなかったりとかっていうのがあります。
ただ、去年一昨年に出たICD-11の中では、この複雑性PTSDっていうのが採用されたので、ほぼ国際的には認められつつある概念になりつつあります。
このPTSDっていうのが、精神科医の中でもあんまり進まなかったっていう事情があります。みんなあんまりホイホイ飛びつかなかったんですよ。
僕が精神科医になったのは1996年なんですけど、この90年代とか2000年代っていうのはPTSDっていうのは当然あるというのは分かってたけれども、あんまり精神科医は面と向かってこれをウェルカムしていない人が多かったなっていう気がします。
そうなんですか。
はい。残念なことにそういう事実があったと思います。
勉強不足がまず第一なんですけれども、それだけじゃなくて、やっぱりちょっと保守的な考えがあってね、僕たちが信仰した古典的な精神医学にはこのPTSDという概念はあんまりなかったので、どうなんだろうねっていう会議的なことがあったりとか、
あともう一個リアルにですね、このPTSDがどうかっていう診断を求められる症例っていうのが、この概念がね社会的に確立されてから増えてきたんですけれども、それがですねちょっと問題がある症例が多かった。
問題とは?
問題とはこの裁判とかの関連とかですね、労働被害とかですね、争うためにPTSDがどうか診断してくれみたいなことが多かったわけですわ。
つまり診断自体に利害関係がある例っていうことから始まっちゃったんですね、この日本で出た時に。だから純粋にかくと考えれないっていうか、実際リアルにそういうところもあるので。
確かにそうですね。
あとプラス、このPTSDだけじゃなくて、それ以外の例えばパーソナリティ障害とか、いろんな厄介のですね、厄介という言い方はあれですけれども、それ以外の精神疾患と並存することが多くて、治療困難例にPTSDが合併する例が多かったんですよ。
それで結構精神科医が痛い目に見る症例が多かったっていうこともあって、ちょっとですね、このPTSDっていうことに始めが精神科医はあんまり前向きじゃなかったんですよね。
それがちょっと変わってくるのが、例えば阪神大震災だったりとか東日本大震災だったりでもあるんですけどね。
症例がすごくたくさん増えたっていうことですよね。
だからそれがあるとやっぱり乗り越えないといけないなっていうことになってくるんですけどね。
それちょっと日本でも見ておきましょうか。日本の状況ですけど。
第二次大戦、日中戦争の時とかに、やっぱりこの戦争神経症とかノイローゼって言われるような状況があったみたいですわ。
軍隊の中の精神科の病院、国風大陸運病院っていうのがあるんですけれども。
その中でやっぱりこの戦争神経症って言われるような治療記録とかがあって、やっぱりPTSDっぽいなって今から思ったらそういう方もあるんですけれども。
ただ当時多くは、この士気というかやる気の問題とか、あるいは規律がたるんでるんや、みたいな問題として扱われてたっていうことがあるようです。
あと戦後、原爆の被災者で、放射能等々の実際リアルな物理的な障害を受けた方だけじゃなくて、精神的にも障害を受ける方があるわけですよ。
当然死ぬ思いをするわけなので。
そういう方で慢性疲労とか意欲低下とかが目立つような症候群があって、という一群があって。
災害と心の傷
原爆ブラブラ病とかって言われるような病気があったようですわ。
ブラブラ病。
ブラブラ病、ブラブラしてるって。
というふうな俗称でしょうけれどもね。
なるほど。
って言われた人たちもいてて。
こういうのも今で言うところのPTSDの一部だったんだろうなっていうところなんですけれども。
その当時っていうのは精神疾患の一部として扱われてたけれども、周辺的なというか軽く扱われてたということがあります。
ただやっぱり日本の医学っていうのはアメリカとか西洋に結構影響されますから。
1980年代にアメリカとかでPTSDの概念が確立してきたら、日本でも紹介されることになります。
なんと阪神大震災の前の3年前に中井久夫がトラウマと精神分析とかっていう本を出してたりもするんですよ。
教授先生ですね。
はい。だからそこの神戸の大学ではそういった感度は高かったんですよね。
だから庵先生もそれにうまく対応できたというかいうことだと思うんですけどね。
しっかり勉強が進んでたってことになりますね。
日本で起こった1995年の阪神淡路大震災です。
ここで多くの被災者にフラッシュバックとか不眠とかが出るっていうことがわかります。
実際トラウマ外来とかっていうのが神戸大学に設置されたりとかして、庵先生の心の傷を癒すことだったりとか、中井久夫のトラウマの臨床精神医学とかっていうのが出てですね。
割と日本でも花ばらしくは出るんですね。
あと同じ都市に地下鉄サリン事件もありました。
これも死にそうな方っていうのが地下鉄でたくさん出るんですよ。
PTSDになられる方があって、研究が進むんですね。
PTSDっていうのがやっぱり病気っていうのがあって、これに対して治療をやっぱりしましょうねっていう動きにもなるんですけれども、
ただ初めに言ったように裁判の問題になったりとか、いろんなことが多いので、一般の精神科の中にはちょっと抵抗を示す方もあったりもしてた。
そこはちょっと濃淡があったんですね。つまり90年代とか2000年代っていうのは。
治療法の進展
ただやっぱり理解が進んできて、ちゃんと勉強が進んでくると、やっぱりPTSDっていうのは正しく診断しないといけないし、大切な部分ですよねっていうことも広まってきます。
実際治療も進歩することになるんですよ。
一番の進歩は2つですね。薬物療法と心理療法が確立されたっていうのは大きいですね。
薬物療法でいうと、打つ薬、打つ病の薬って新しいのが2000年代から出るんですよ。
SSRIっていうのが出るんですけど、これがPTSDにも有効だなっていうことが分かって、割とみんな使うことができるようになったりとか。
あるいは心理療法で持続エクスポージャー法とかEMDRとか認知処理技法とかっていくつかのPTSDに効果があるといわれる治療が開発されます。
あんまりめちゃめちゃ広まってはないんですけれども、でも実際これが効果ある人はあるようですね。
今でもあるんですか?
今でもありますね。これをやってらっしゃる方もいてます。
ただ、私の住んでいる県とか地域でこれをめっちゃ詳しい人っていうのは1人か2人ぐらいしかいてないなって思うんですけども、そんなにみんながみんなできるというわけではないんですけどね。
薬物療法とか一般的な精神療法については大体精神科医は理解は広まってきてるんちゃうかなと思うんですけどね。
ただ古い、勉強進んでない先生とか20世紀の精神医学をしている先生はPTSDの理解は少ないかもしれないなっていう。
まだちょっとそれはあるかなという気はするんですけど、でもだいぶ進んでると思うんですけどね。
去年ぐらいから、あ、一昨年か。2000年から出てるこのICD-11から出てきた先ほど言った複雑性PTSDっていうのが新たに病気として認められてきますので、
日本でも徐々にこのPTSDの概念っていうのが広まって臨床で導入されていくことになるかなと思うんですけどね。
心のケアの重要性
大きな災害が起こるときにやっぱり進化するんですよ。
一番大きなことって言うとやっぱり東日本大震災ですね。
2011年です。東日本大震災で、普通の災害の医療チームとはまた別に心のケアチームっていうのも派遣されました。
これね、ちゃんとした制度ができてたわけじゃなくて、地方自治体レベルの支援体制としてこれが作られてですね。
それぞれの県とかがそれぞれの県に派遣されていくことになるんですよ。
それがそこそこいい成果を出したものなので、その後ですね、厚生労働省主体で国が主体として、
普通の医療チームとまた別に災害派遣の精神医療チームD-PATっていうのも確立されることになりました。
大きな事故が起こったときに、医療チームとまた別に精神医療チームっていうのも派遣すると。
そういうのをD-PATっていうチームが出ることになるんですけどね。
それが2016年の熊本地震で初めて実施されました。
僕らの県からもこの熊本のD-PATに行きましたね。
そうですか。
行った先生があるっておっしゃってました。
で、その後の野党地震にもD-PATに行かれましたしね。
っていうその精神医療の心のケアというか、災害時の心理的なケアっていうのが必要だなっていうことは、
国レベルでも現在日本では確立されたということになりました。
という感じで、このPTSDの疾患概念の治療の歴史っていうのがそんなことになってるんですけど、
大体この大きな災害とか大きな戦争の度に心理的な問題が出て、ようやくここまで進歩してきたなっていうことなんですけどね。
そうですね。やっぱり症例が多いから先生方も目を向けるしっていうことなんでしょうね。
そうなんですよね。この多いからっていうのも本当にポイントで、実は先ほど前回にも言ったんですけど、何かあった時に心に傷を負う人っていうのは実は少数派なんですよ。
だから全員がPTSDになるわけじゃないけども、めっちゃ多い人がそういう障害にあっちゃうと、その少数派が多数になってくるわけですね。
だから注目されるっていうことになるんですけれども。
でも今まではというか、古来からそれは少数だったからみんな切り捨てられてたっていうことなんですよね。
ただ最近はそこに目を向けるようになってきたのでっていうことで、これがなんで進歩してきたかっていうとやっぱりですね、
僕たち社会が割と余裕が出てきたのかなと、人の気持ちっていうのをやっぱり見えなあかんよねっていうようになってきたっていうこともやっぱり大きいのかなと思うんですね。
安全とか衣食重足りたりとかね。
するようなことっていうのができてきたから、人の気持ちに配慮することができるようになってきて、このPTSDっていうのがようやく注目されるようになったんかなと思うんですよね。
例えばさ、このベトナム戦争でっていうのがよく有名なんですけれども、これでもね、僕ちょっとおかしな話だと思うんですけど、
ベトナム戦争で戦ったのはアメリカ兵だけじゃなくて、アメリカ兵はベトナムの人と戦ったじゃないですか。
つまりベトナムの人っていうのはもっと傷ついてるようですよね。
アメリカの大きな武器で。
と思います。
例えば枯葉剤とかでベトちゃんドクちゃんとかも出たしさ。
でもさ、ベトナムでPTSDは話題にならないのよ。
ニュースにならないですね。
もしかしたらあるし、それ頑張ってる先生もあるのかもわかんないけど、でももっと大変なことが起こってるからやと思うんですよ。
そうですね。
社会の大きな問題がもっともっとあって、PTSDまでみんなの注目はいかんかった。
アメリカは帰ってきた兵士っていうのは、社会は豊かやし、一定の安全も保障されてるし、医療でね、いろんな骨折とかを治すことができたんですよ。
で、心の問題っていうのは注目されてPTSDっていうことになったんやと思うんですね。
だからこのPTSDっていう問題が出てくるのは、やっぱり社会が豊かでないとみんな注目されないのかなと思うんですけどね。
だから日本で、これからもやっぱり日本が豊かになっていくんだとしたら、PTSDの問題っていうのはよりやっぱりきっちり向き合わなきゃならないことなのかなとも思ったりするんですけどね。
そうですね。
でもまあ移植中が足りないような社会ができたら、また逆のことでね、PTSDで構ってる場合じゃないよっていうことにもなって、来ないとも限らんので。
そうですそうです。日本もね、この先、そうです。
それで困るんやけど。
それは困るんやけど。
安心して生活できる今やからこそ、PTSDっていうのをちゃんと理解する、生き返りせんとあかんってことですよね。
そうそう。これやっぱりPTSDっていうのは大切。こういう問題をね、やっぱり今のこれからは僕たちはある程度理解していかなきゃなと思ったりもするんですけどね。
どうですか?さくらさん、何か心のケアっていうか、そのPTSD問題って何かいろいろあるんですね?実際。
また別のちょっとずれちゃう話になったらごめんなさいなんですけど。
どうぞどうぞ。
ちょうどね、今朝なんですけど、この私のさくらの住んでる地域で、朝活ってやってるんですよ。
これはいろんな意識高い方たち、いろんな活動を行う方たち、商工会の方とか役場の方とか先生とかいろんな職業の方が集まるんですけど。
そこの話題、月に1回あるんだけど、その朝活に私初めてちょっと参加したんですね。
で、そこでたまたま防災の組織、自分たちで作った防災の組織が動いてるんですけど、
っていうのは南海トラフっていうのが関西地方は大きく言われてるじゃないですか。
で、それに備えて、じゃあ何ができるのかっていうところのいろんな会議というのかな。
いろんな場面、いろんなこと、どんなこと起こるだろうねっていう、そういうのをずっと定期的にされてる方が講演をしてくださってて、
そこに地域おこし協力隊の若い子とか、大学生のインターン生とかが必ず毎年来て、
自分たちで課題抽出して、その対策を結論出してから帰るっていうような事業があるんですよ。
で、その中でどうしてもこの災害が起こった時には、この精神的なケアっていうのは後回しになってて、
みんなが話し合う内容っていうのはやっぱりお水がない、食べるものがない、電気がない。
で、これを必ず起こるので、災害が来ると、大きなのが来るとね。
で、これをじゃあどうやって確保するように動けるのかっていうシミュレーションからやっぱりスタートずっとするんですね。
で、その滝出しだったりが1週間ぐらい経つと全国から集まってくるんだけど、この1週間っていうのが結構勝負で、
1週間東日本大震災の時に9歳だった女の子が、今ちょうど地域おこし協力隊で来てるんだけれども、
小学校で震災にあって、1週間お父さんとお母さんと連絡が取れなくて、生死がわからないっていう体験をされてるんですよ。
でも今その子が成人して地域おこし協力隊なんだけど、
その時の現実をいろいろ聞くと、やっぱり飲み物、それから安全な寝れる場所とかっていうところの話が先出てくるんですね。
でもそれがいろいろ課題が出てきて、そういうことが準備していかないとダメだよねって泣いた。
心の安定と人間関係の重要性
一番最後にこの女の子が、やっぱりこの時に自分の友達とそのお友達の家族さんが一緒にいててくれたらしいんですね。
これが非常に心の安定になりましたと。
なので日頃からこうやって防災組織っていうのを自衛的に作っておくことで、
人間関係を最初に作って、少しでも不安な人のところに寄り添えるような関係性を作っていくのはすごく大事だと思いますって今日は言ったんですよ。
この女の子にもやっぱりPTSDっていうのはあるみたいです。
やっぱりサイレンとかが鳴るとすごくドキドキするし、これもたぶんPTSDの一つなんやろうねっていうのを別の機会に話したことはあるんですけど、
今日はだからまさにレアな話だなと思って、
なるほど。
はい、望んでるんですけど、いつ来てもおかしくないし、誰に起こっても災害っていうのは不思議じゃないものなので、
やっぱりPTSDっていうのを起こす人がいるし、自分ももしかしたらそうなるかもしれんっていうのは知っておきたいかなって思います。
本当ね。
本当に日頃の備えって大切ですもんね、人間関係とかね。
そうなんですよ。
物のもちろん非常食とか、避難袋とか、もちろんこれ大事なんですけど、
お人との関係性、避難場所へ行ったときの安心できる環境っていうのは、物理的なものももちろんあるけど、
お人同士の関係性とか、優しい声がけとか、安心できるとか、また一緒になって共感して泣けるとか、
そういうのもやっぱり絶対必要になってくるんだろうなって思っておくのは大事かなって思いました。
そうですね。本当大切だと思いますわ。
隣の人への気遣いっていうのは、本当にみんなができるようになっておくといいなと思いますね。
本当にね、僕、実は東日本大震災の心のケアチームに参加させてもらったんですよ。
そうなんですか。知らんかった。
偶然なんですけどね。
そこでね、僕、釜石っていう市に行ったんですけど、
そこでね、精神疾患の方とか、あるいはそれこそPTSDの方とかとお会いしたりとか、いろんなことをしたんですけれども、
そこでね、一番役立ったっていう言い方はあれやけれども、頼りになったのは地域の保健師さんなんですよ。
その地域って、実はあんまり精神科医療発展してないんですよ。関西と比べると。
そうなんやね。
クリニックも、あるいは病院とかもあんまりなくて、あんまりそういう医療にかかれなくて、地域の人たちが支えてるっていう感じが多かったみたい。
だから、保健師さんとかがこの方の精神的なことで、わりと病気のことも含めて把握してて、
それが被災されて、体育館に行ったりしたときに、地域のネットワークの保健師さんとかは、
あそこはちょっとやばいかもしれんから、先生行ってあげて、みたいな感じで、僕らのチームが行ったりとかして、
あの人は大丈夫だと思いますよ、みたいなことを言ってくれたりとかして。
なるほど。日頃からのね。
ネットワークができてたのが、それがね、もともとはそういう医療にかかりにくいっていうマイナスの面があったんやけど、プラスの面も出てきたなと思って。
そういう被災前のいろんなつながりっていうのが、とってもこの災害のときに力を発揮するなと。
心の問題ももちろんね、力を発揮するなと思いましたね。
だから、隣人と仲良くしとくっていうのは大切かもね。
地域活動と精神医療の発展
そう、その努力を一時期避けたかったんです、私も。
面倒くさいじゃない、ご近所の方とお付き合いするとかって。
だけど、やっぱり面倒くさがらずに、本当に無理のない範囲での関係性づくりっていうのは日頃からしとくのと、
あとやっぱり本当に住んでいる地域で、町内とは言わずにちょっと離れても構わないので、
いろんなこういう勉強会とか研修って必ず日本やってると思うので、
そういうのにちょこっと顔を出して勉強してみたりとかいうのは、やってみてもいいんじゃないかなと思います。
そうだよね、地域の活動っていうのはね、いろんな意味で大切になってくるかもしれないね、今後ね。
そうなんです。そう、今日は本当にレアに思いました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
精神科の知識を学べる番組、テキシカラ学ぶ精神科ラジオは、毎週金曜日午前9時に最新話が更新されます。
お聞きのアプリでフォローして最新話をお聞きください。
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