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2025-05-30 19:56

セントルーク病院と“思いやりの治療” #3

今回は「フィリップ・ピネルが鎖を外す物語」の第3回。注目するのは、18世紀ロンドンで革新的な精神科病院を築いた医師、ウィリアム・バティです。

急速に都市化が進み、病が個人の手に負えなくなっていた時代。多くの病院が富裕層の寄付で設立される中、バティは私立病院経営者でありながら、公的色の強いセントルーク病院を設立しました。

一方で、比較的治療しやすい患者を優先していた可能性や、当時の公立病院との対比など、現代にもつながる問題も見えてきます。

次回はアメリカ合衆国のベンジャミン・ラッシュの足跡をたどります。ぜひお楽しみに。 「歴史から学ぶ精神科ラジオ」は毎週金曜朝9時に配信中。フォロー&感想もお待ちしています!

 

Note.

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サマリー

セント・ルーク病院の設立は、ウィリアム・バティが精神科医療の公的な側面を強調し、思いやりのある治療法を実践するための重要なステップです。このエピソードでは、ロンドンの都市化が進む中で、精神疾患の治療の必要性とその背景にある社会的な問題が探られます。セント・ルーク病院の歴史やマット・ドクター・バティの功績について考察されることで、新しい精神科医療の実践が明らかになります。また、バティの寄付活動や奨学金設立を通じて、その影響力が現在も続いていることが紹介されます。

ロンドンの都市化と病院設立
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。
この番組では、精神科医療を作った人々、現代のトピックスを精神科医が説明します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと‥
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、
つい先日生まれた初孫の写真を楽しみにしているサクラがお送りします。
フィリップ・ピネルが鎖を取る物語。
これを4回に分け、その第2回として、新しい精神科病院を作ったウィリアム・バティです。
前回の続きからお送りします。
このバティさんがそんな風に、割と自分は豊かにはなるんやけれども、
ロンドン自体の様子っていうのがですね、ライジングしていってるわけですよ。
この頃って、発達してるんですよね。すっごく発展してるっていうのかな。
急激に?
始まる前なんですけどね。産業革命が始まる前進ぐらいの形で、
海外に結構、植民地が持つようになってて、
工場とかをいっぱい作って、競り物とかをインドとか中国とかに輸出とかしてて、
ロンドンがどんどん都市化が進んでるっていう感じ。
右肩上がりの時代なわけですね。
この昭和の高度成長みたいな形を、
初めて世界で体験してるようなロンドンの街だったと思うんですけどね。
どんどん都市化が進んで、農村から都市に来ているという街の状況だったと思うんですけど、
そうなってくると、やっぱり病気になる人も多いわけですよね。
そうですね。
もともと病気になったらどうしたかっていうと、家で治療してたんですよね、みんなね。
そうでしたね。
ただ、たくさん都市に人が来てですね、
家で治療しようと思ったら、それを介護する人も必要だし、重環境の問題もあるし、
なかなか困難になってくる人、困る人っていうのが結構増えてくるわけなんですよね。
長期戦ですからね。
そうそう。
もちろん精神疾患もそうなんですけど、それ以外の病気ももちろんあって、
みんな自宅では治療できずに困る人が増えてきて、
それでこの18世紀の前半からこの中盤にかけて、
ロンドンでは比較的多く病院が設立されることになります。
そういう時代なんですね。
セント・ルーク病院の設立
そうなんですよ。
病院も、事前病院という公的な病院はもともとあるんですけど、
それはもういっぱいになっていて、あまり動かなくなっていて、
裕福な人たちとか、生殖者とかが自分のお金を投じて病院を作ると。
私立病院ですよね、今でいうところの。
それが結構目立ってきていたみたいです。
投資ですか?
投資ですね。
投資というか事前ですね。
そんなに見返りはなかったと思う。
ないんですよね。
見返りはなかったと思うんですけど、
ただやっぱりこういう時代ってお金持ちはどんどんお金持ちになるという時代だって、
だからこそ寄付をするという文化というか、
それがとても求められている、上流科学の人たちには。
なるほど。一種のステータスですね。
そうですね。社会にこれだけ貢献しているよということを言うことが大切だったし、
しかも一般の貧しい人たちを救うことがまた自分たちの身入りになるというか、
労働としてまた帰ってくるということもなるし、ということがあったみたいですね。
なるほど。
実際この1791年にはウェスト・ミンスター病院とか、
1721年にはガイズ病院とか、
1733年にはセント・ジョーズ病院とかですね。
もう本当に10年おきぐらい、もっとそれに劣らん感じで
事前病院というのが設立されるという動きがあるんですよね。
そんだけ必要やったってことですか。
そうですね。
割と必要とされていたんですかね、病院というのがね。
ただでもこの頃の病院というのは、まだちゃんとした薬というのもないという言い方はあれですけれども、
手術についても外科的な手技というのもまだまだ幼いというか、
消毒もきっちりできないので、病院で入院すると亡くなるということも多かったと思うんですけれども。
なるほど。
でもやっぱりまだ求められていたんですよね。
その流れでのバッティーはですね、ちょっと身をつけたわけですよね。
精神科の病院もベストルーム病院だけやったらちょっと問題があるんじゃないですかっていうことを考えて、
その事前病院としてのセント・ルーク病院というのを設立しようと動き出すんですよね。
このロンドンの有力者とか生殖者とか、
自分とかでセント・ルーク病院というのを47歳の時に設立します。
これは今まで彼が私立、自分が経営していた病院とは全然違って、
公的な生き色合いを持っていたんですよね。
この精神科治療に関しては専門的な、進歩的なアプローチをしましょうということで、
ベストルーム病院とかでやっていたような、公衆の前で公開したりとか、
不必要に拘束というか、鎖につないだりすることはしないようにしたのかなって言われています。
ここでもセント・ルーク病院でも規則正しい生活とか、作業とか、
リハビリテーションとかってすることが結構治療的でいいなということをわかるわけですね。
セント・ルーク病院というのが結局できるんですけど、
この病院っていうのはだいたい70人ぐらいって言われています。
設立から4,5年後の患者数が残っているんですけど、
4,50人から始めて多分70人ぐらい持っていたと。
始めは使われなかった工場みたいな駐造所って言われるところを買い取って、
思いやりと治療の実践
そこを病院にして始めたと言われています。
スタッフはバティの夫婦と男性二人と女性二人の計6人から始めたって書いてました。
でも70人の時にはもっとスタッフいたよね。
多分ね。始まりはこんな風に始まったって書いてたので、
バティさんも始めは自分が医者だけだったと思うんですけど、
他の人は多分雇ったんだろうなと思うんですけどね。
でもそれにしてもそんな形で始まったと言われています。
この頃のセント・ルーク病院というのの様子ですけど、
患者さんを名前で呼ぶことっていうのを結構こだわったみたい。
その当時患者さんのことを、ちょっと言葉悪いですけれども、
基地外とか囚人とかっていうふうに職員とかお医者さんが呼んでたらしいんですよね。
え、名前じゃなくて?
それもちょっと信じられないですけれども。
今は信じられない。それダメなやつですけどね。
そうですね。今は言っちゃダメな言葉ではありますし。
バティはやっぱり名前で呼ぶと。
名前で呼ぶだけじゃなくて優しく話しかけるということも結構心がけてたと言われています。
こんな逸話があって、ある患者、今でいうところの重度の鬱病の中年の女性ですね。
何日もご飯を食べなくなって、まさに一枚お腹が空いているというような状況ですね。
何日もご飯を食べなくなって 入院していたんですけれども
職員は彼女に何もできないよ と思ってたんですけど
ただバティは毎日 彼女のベッドサイドに行って
温かい飲み物を持って行って
穏やかで忍耐強く話しかけたと
返事は求めずに そういうことを毎日やってたと
ある日 女性は突然ささやいて
あなたは他の人たちと違うわ というような言葉を言って
それから彼女が食事を食べ始めて
あとはちゃんと話ができるようになった みたいな言葉がありました
今と似た感じですね
今もありそうだと思うんですけどね
重度のうつ病って そういうことってあると思うので
これが思いやりと忍耐が 治療効果を示すんだよということを
職員にとっても 手本となったと言われています
こういう思いやりとかを持って
生活習慣を整えて 精神疾患というのが治療できますよ
ということを実践していったわけですね
55歳の時には本も出版したりして
本を出すというのもすごい話というか
この人は教授先生でもあったので
そういうこともやったり 講演したりとか
優秀ですもんね
そうなんですよね
どうもこの辺りでベストラム病院の
院長の先生方というのは 実はいてるんですよ
その人は論争になります
ジョン・モンローというですね その方は
ジョン・モンローとの論争というのが
1758年 本を出してから3年後ですけれども
結構話題というか
医学界での結構有名な 論争として残っています
パティさんは自分がやってきた治療というのが
やっぱり正しいよと
ベストラム病院というのは
ちゃんと名前は変えてないけれども
旧来のやり方というのは
あんまり治療的には良くないんじゃないか
みたいな言い方を当然するわけです
ただベストラム病院というのは
12世紀くらいから延々と続いている精神科病院で
その当時モンロー家というですね
モンロー父とモンロー息子が
ジョン・モンローというのが
モンローの息子なんですけれども
が継いだところなんですよね
ベストラム病院の院長を接種して
割とこのロンドンの精神医学界を
独占していたような地位を持っていた
モンロー一家なんですけど
その人がポットでの
パティから避難されているということで
そいつはおかしいという論争をしたりして
まあ論争にはなって
お互いいろんな言い分はあったんですけどね
ただ事態はやっぱり
パティの方に味方していて
あと数十年経てばですね
このベストラム病院の優位性というのは
衰えてきて
ジョン・モンローさんの子供にも
院長は覆すことはできたんですけど
でもそのジョン・モンローさんの子供さんの
エドワード・トーマス・モンローが
ベストラム病院を継ぐんですけど
それでその後は子供は継げなくなって
ベストラム病院の優位性がなくなってくる
みたいなことがですね
起こってくるみたいですね
でも12世紀から18世紀までは
ベストラム病院がちゃんとあったってことですもんね
ベストラム病院も実はずっと続きます
その後も
院長は変わって
やり方ももちろんその当時のやり方ではなくて
どんどん変わってはくるんですけどね
割とセントルーク病院というのが
バッティが作った病院ですね
精神科のモデルとして
割と流行ってくるということになるんですけど
バッティの業績と寄付
でも実はバッティは55歳に
セントルーク病院を辞めることになります
ちょうど55歳というのは本を出した頃
よく分かんないんですけど
多分ですけど
私立病院
バッティ自身がやってた病院というのは
ずっと続けるみたいですね
そうかそうか
もともとやってますもんね
もともとやってる病院は続けて
セントルーク病院というのは
多分行進に譲ったということになるんだろうな
と思うんですけどね
なるほど
バッティ自身は
自分の私立の私立病院と
いろんな教授業みたいなこととか
ロイヤルカレッジョルフィシャンズの会長になったりとか
そういう公的な仕事を
引き受けていくということになりますね
このロイヤルカレッジョルフィシャンズというのが
精神科医になるのがこのバッティだけみたい
今までですね
ずっと内科医が当選になっているんですけど
そういう意味では
割と認められてますね
そうでしょうね
バッティは73歳で亡くなることになります
73歳で亡くなったバッティは
資産が10万ポンドって言われていて
その当時
現在の価値で3500万ポンド
日本円に換算すると
670億円
相当する資産を
わからない金額ですね
そうですね
600億
すごいですね
すごいな
すっごくお金持ちになってたんですよね
亡くなる時には
このお金をどうしたかというと
ベストラン病院じゃなくて
セントルーク病院に寄付したりとか
そういういろんな基金に資産を出したりとか
実は今もですね
ケンブリッジ大学の
バッティスカラーシップっていう
奨学金があるんですけど
それを作ったみたいですね
現在もこのバッティスカラーシップから
優秀な学生さんにですね
奨学金が出されているというような
奨学金を作ったみたいですね
いいですね
という方がいらっしゃいました
バッティさん自体というのは
精神科医療に注目して
自分で精神科医療を作った人という形です
ちょっと変わった人だったんだろうな
精神科医療の変革
ということもあるんですけど
そういう医療を提供した人です
ただ僕的なイメージで言うと
今から思うとですね
セントルク病院とかって
新しい精神科医療を実践したという意味では
もちろんすごいことがあったし
なかなかできることではないなと思うんですけど
あとの精神科医療をやっているものから見ると
ちょっと得所取り問題があったのかな
と思うんですけどね
得所取り問題
これはつまり患者さんで
自分のところの医療で提供できる
そういうので合う人を集めてた
という側面もあるのかなと思うんですけどね
でもベストラン病院というのは
多分公的な病院でもあるので
得所のみできないわけですよ
全部引き受けざるを得ないというのがあって
そういうベストラン病院としては
こういう辛さもあったかなって
だからいいとは分かっていても
新しいやり方になかなか前振りできない
というのもあったかなという気もしていて
実は今もあって
今の精神科病院問題って
いろいろあると思うんですけど
英語という病院ってあるんですよ
でもそこってちょっと違うよねっていうか
全て引き受けてるわけではないよね
っていうのも実はちょっとあって
公立病院とかって
大きな病院があったりするんですけど
そういうのって公的病院なので
得所のみできなくて
なかなかちょっといろいろ問題がある
先進的なセントルーク病院と
ベストラン病院みたいな対比って
今の日本でもあるんですよね
ずっと続いてる
永遠の課題かもですね
私立病院と公立病院ね
ただ大きくセントルーク病院の方の
やり方に変わっていくことになるんですけどね
という先駆けみたいなのが
ここで見えたかなって思いました
現在につながる歴史で
またここで一歩生まれるんだな
っていうのは思いました
バティさん
マットドクターバティ
今日は印象に残りそうです
ありがとうございます
ありがとうございました
エンディングでいいですかね
ありがとうございます
すみませんちょっと長くなっちゃいましたね
うまく話せなかった
でも歴史が動いてるっていうのは
すごいよくわかりました
大きな転換期ですね
そうなんですよね
この時代そうだったと思いますね
だからこそこの同じ時代なんですけど
次というかその次か
っていうところの
ピネルさんっていうのはもっと
バティさんよりもすごいことをやったな
っていうのがこのウィリアムバティの話を聞くとよりわかるなと思って
ちょっとピネルさんの話に注目してほしいと思うんですけどね
はい
ありがとうございます
楽しみです
事業家としてどうですか
起業する方として
この時代ね
この人バティさんはいろいろな
病院を作ったりとか
いろんなことやってたんですけど
そうですね
すごい自分の思いを
形にどんどんしていく方だな
っていうのはすごく感じたのと
論争とかあるでしょ
歴史のある病院の院長先生と論争になるの
きっとわかってたけど
あえて本を出したりとか
っていうところの
強さ
自分の道をちゃんと行くっていうところは
素晴らしいなと思うんですよ
後から振り返るときっとこういう時が歴史の変わり目
こういう方が現れるから歴史ってきっと変わっていくんだろうなと思うんですけど
なかなか当人となると
いろんなね
圧があったりとか
しんどいとこもあったと思うんだけど
もともと風変わりなことをしてたりとか
こだわりがね強かったりとか
こういう方が多分時代を変えていくんだろうなって改めて思います
まさに僕もそう思いましたね
ちょっとこう本物のエリートじゃなくて
ちょっと変わったことをする人っていうのが
バティさんでこんな風に歴史を一歩進めるんかなと思いましたね
そうそうそう
進んでみないとね
言い悪いって決められないし
素晴らしいなと思います
ありがとうございました
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