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2025-09-19 34:15

最良の臨床家はこう闘った:安克昌『心の傷を癒すということ』を読む

衝撃——阪神・淡路大震災の只中で、精神科医・安克昌は何を見て、どう寄り添ったのか。『心の傷を癒すということ』を手がかりに、PTSDの本質、治療、そして臨床・組織・学術の三つの力を辿る。NHKドラマ/映画の裏側や症例Jも解説。安全な場と時間、信頼する他者の重要性、トリガーへの注意、回復の道のりを、臨床家の視点で具体的に語る。聴く人へのセルフケアのヒントも提示。必聴回です。

 

【チャリティ・オンライン配信】心の傷を癒やすということ

https://note.com/kokoroiyasu_mov/n/n000ce318bc24

(能登地震のご寄付とともに視聴しましょう)

 

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サマリー

このエピソードでは、安克昌の著書『心の傷を癒すということ』を通じて、震災や心の傷に関するテーマについて語られています。精神科医の安先生の臨床への情熱や、彼が直面する困難を乗り越える姿が印象的に描かれています。安克昌の著作に焦点を当て、阪神大震災における彼の奮闘や心の傷のメカニズムが考察されています。物語では、PTSDの症例や人々の心の痛みに対する医者としての役割が描かれ、作品の影響についても広く語られています。このエピソードを通じて、PTSDの概念とそれに対する理解が深まる過程が説明されています。特に、阪神大震災を例に挙げて、心の傷を癒すための安全な環境の重要性が強調されています。

精神科医の紹介
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現代の精神科トピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、つい先日、4ヶ月の初孫が、キャーキャーとぬいぐるみに向かって話しかけている様子を見てキュンキュンした桜がお送りします。
心の傷を癒すということを見てみよう、です。なんか精神科っぽい話になりそうです。これは?
はい、ありがとうございます。今回、安勝雅先生の心の傷を癒すということという本があるんですけど、
NHKでドラマ化されてて、映画館にもなってたんですけれども、それを今年私が触れる機会もあったので、話そうかなって思うんですけれども、
まず最初に話というのは、震災などの心の傷の話をしていくので、今現在、心の傷で苦しんでおられる方は、もしかしたら聞いていると辛くなることがあるかもしれないので、
ここでちょっとそっと止めていただければなと思います。
そうですね、しんどくなったらそこでやめていただいてもいいかもですね。
はい、よろしくお願いします。
まず初回は、心の傷を癒すということの感想などを話したいなと思うんですけれども、桜さんは見ましたか?
見ました。とてもいい映画で、見た後、なんとも言えない幸せじゃないんですけど、頑張ろうという気持ちになった映画です。
なるほど、頑張ろうってね、確かに。
頑張ろうと思いました。自分の仕事をね。
仕事をね、そうそう。今ね、これ無料で動画見れるんですよ。
そうですよね。
それがね、多分よくわからないけれども、今年2025年の10月の下旬ぐらいまで無料公開しますっていうふうに書いてはくれてて、
もしかしたら延長されるかもしれませんが、それで終わっちゃうかもしれないので、この機会に出そうかなと思った理由の一つです。
なるほど、今だけなんですね。
そうなんです。もし無料で今動画、映画見れますので、心の傷を癒すということっていう、Googleで検索していただければ、映画っていうことで検索すればすぐ出てきますので、ぜひ見ていただきたいなと思います。
はい。
さくらさんはそんなふうに感じて、僕はね、思ったのは、とりあえずですね、この映画なり本なりっていうのは、心の専門家は読めと。
アン先生の魂に触れろということを伝えたいなと思いました。
素晴らしい。
本当そうですね。心の琴線が震えるというか、アン先生の生き方に感動しました。
なるほど。僕が呼ぶとしたら、最良の精神科医が奮闘した阪神大震災の記録というふうに言えるかなと思うんですよ。
はい。
アン先生、アン先生って言ってるんですけれども、このアン先生がですね、最良の精神科医じゃないかなと僕は思うわけですわ。
なるほど。マリモ先生にとっての最良の精神科医ですね。
もしかしたら言い過ぎなのかもわかんないんですけれども、でも間違いなく一級の精神科医だったことには事実かなと思うんですよ。
はい。私もそう思います。
その理由なんですけれども、もちろん著作に触れてもらったりドラマを見ていただいたらわかると思うんですけど、僕が伝えたいことで言うと、3つ挙げることができるかなと思うんですけどね。
まず精神科医って、僕の先輩が言ってたんですけれども、2種類いると。患者さんに当たる態度としてね。2種類いてると。
まず1種類は、目の前にある患者に今の自分の全力をかけるっていう意思がいてると。
時間とか労力とか気にしないので、どんどん時間が伸びていっちゃったりとか、時間管理ができない場合になったりとかしてね、周囲が色々困ったりすることもあるんですけど。
もう1種類っていうのは、自分の全部の能力とか時間とかを考えて、目の前にいてる患者を割り振っていくと。配分していくと。
この患者さんはこのくらいの時間で済まさなきゃみたいなことを考えながらやる医者もいてると。
だいたい2種類あるんですねっていうことを言ってた先輩がいてたりして。
なるほど。外来時間をイメージするとそんな感じですよね。
そうなんですよ。だいたい前者のお医者さんっていうのが、患者さん思いで確かに素晴らしい方なんですけれども、周囲の人は結構大変なことにもなることもあるんですけれども。
そうですね。勤務時間長くなりますしね。
いろんなものがあるんですけども。
特にそれで疲弊しちゃう方もいてたりして、いろんな問題もある場合があるんですけど。
明確にこの安先生っていうのは前者ですよね。
目の前にいる患者さんに全力で当たるというタイプなのかなと思うんです。
例えばそれが確実に分かるかなと思うのは、安先生は39歳で亡くなりになるんですよね。
阪神大震災の後5年で亡くなられるんですけれども、その時のお葬式の中井久夫っていう教授先生ですね。
ドラマでいうと長野先生っていう名前で出てきますけれども、
この中井久夫っていうのは、僕らの平成に育った精神科医にとっては神様みたいな存在なんですよ。
そうなんですね。
これの人はめっちゃ有名です。しかも僕ら関西・西日本で育った精神科医なので、中井久夫っていうのも伝説の人物なんですけれども。
安先生が尊敬してた教授先生ですもんね。
そうです。中井久夫の学弟というか、中井久夫は弟子を取らないということで有名なんですけれども。
そうなんですね。
中井久夫が教授で、安先生が医局長として頑張ってた時期が長いですから、まさに学弟なんですけれども、
この中井久夫が安先生のお葬式で挨拶文を載せています。
そこで書いている文章があるんですけれども、「君は死の2ヶ月前まで日本で最も難しい患者を診察していた。恐ろしい気力であり臨床騙しである。私はついに君に及ばない。」という挨拶文が1文が載っているんですよ。
これは教授先生がおっしゃるのはすごい内容ですね。
すごい内容だと思います。
しかもこのお葬式での挨拶文ですから、嘘なんてこの先生言うはずないので、事実だったんだろうなって思うんですよね。
つまりこの安先生というのは、とても臨床への情熱、患者さんを良くしたいという情熱が強かったということは事実かなって思うんですよね。
精神科医としての現場の態度っていうのがまず一つあるのと、人間って多面的なものがないといけないかなと思うんですけど、この臨床の場面ということだけじゃなくて、もう一つというか二つ精神科医としては必要かなと思うんですけど、
この組織の管理能力というかね、自分だけで治療ができないので、いろんな人と協力してしないといけないですし、それを組み立てていくのも大切な上に立つというかものの能力の一つだと思うんですけども、それが安先生優れてましたよねっていうことですよ。
なるほど。
この阪神大震災の当時、神戸大学の医局長として切り盛りしてたということです。
一番大変な場所ですよね。震災が起こったその場所の国立大学の医局長ですもんね。一番前線ですよね。
そうです。医局長というのが、医者の世界の特徴なんですけれども、医局というのが一つの会社みたいなものなんですよね。それぞれの社員さんがそれぞれの医者で多くの病院に派遣しているというイメージなんですよ。医局というのがね。
医局長というのが、元締めというか人事部長というか総務部長というか、そういう立場なんですよね。社長が教授としたら、医局長というのは医局の実務を取りしきるような立場の人ですよ。
そういう立場で国立病院、神戸大学の医局長を当時、阪神大震災の当時していたと。
しかも神戸大学というのは、中井久夫というのがめっちゃ有名な先生だったから、すごく医局員も多かったし、全国から注目される医局だったんですよね。
多くの教育家との連携もあったりとかして、そういうところを一手に取りしきってたっていうこともあります。
実際、この被災した後、医局でボランティア医師を受け入れたりとか、それを殺害したりとか、実際この被災地の精神科の臨床を立ち替えたりとか、実際の運営にもご自身も当たったりとかしてたっていうことがありますのでね。
そうですよね。映画の中でもありましたよね。
学術的業績
映画で書いてるストーリーはほぼ事実みたいですわ。
そうなんですか。
ほぼ事実と書いていました。
奥さんとのなりそめの映画の場面とか、ああいうのはちょっと脚色が入っているということのようなんですけど、
でもそれ以外の部分というのはほぼ事実に基づいて書いているということでした。
そうなんですね。すごい取りしきるというか、自分で考えて自分で作り上げていくという感じでしたもんね。
実際彼が前線に立ってということだし、局員とかのいろんな配慮もしてたし、そういうことみたいです。
全国から多くのお医者さんを受け入れて、それをどんなふうに配置するかということも実際手配してたりとかして、
本当にその震災当時は七面六臂の活躍をしたというのが本当のようですね。
でもこの言葉でそれを聞くと、すごいやり手で情熱的で、
イメージする優秀なお医者さんというのをイメージするけど、実際映画に出られた俳優さんもそうですけど、
実際の先生というのは非常に穏やかな感じなんですよね。
それもそうらしいですわ。
非常に穏やかでね。
本当に怒ったり、でも実は情熱を持たれている部分も当然あるので、後輩に厳しい場面もあったりとか、
あるいは失敗して怒られてしょげたりとかっていうことも当然あったみたい。
人間ですもんね。
怒ったりすることもあったんやけど、
全体的なトーンとしては真面目で優しくて知的でっていうことはもちろん間違いないんですね。
そうですよね。
あともう一個の能力としては学術能力ですよ。
お医者さんの情熱と管理能力だけじゃなくて、実際学問的にとっても
庵先生っていうのは当然ですけどね、神戸大学の医学部出身の方ではあるし、
小中高は生光学院ですかね。
そうなんですか。
大阪市の優秀なところでいて、神戸大学卒業されて、
精神科医になられて、精神科医になった後もですね、多くの論文を書かれています。
映画の中でしたけど、小説を書く人になりたいって言ってたみたいですよね。
それは本当みたいですよ。文献になりたいっていう思いがあったんですけど、
でもお父さんのこともあったりして、
ご自身が在日韓国人やっていうこともあって、
医者にならないといけないということやったら、精神科医かなっていうことで考えたらしい。
なるほどです。
この先生はですね、一番有名なのは、
実はこの阪神大震災が終わってから5年間の間に、
乖離性・同一性障害っていう病気があるんですけど、
いわゆる多重人格というやつですけどね、
あれについての多くの論文とか、実際臨床を頑張ってたという側面があります。
震災の後もですか。
震災の後ですね。
もともとその前からストレスとかについての研究とかもされてたんですけど、
ようなんですけどね。
その後大きく飛躍するのが、多重人格の学術的なもの、
プラス臨床もされてたんですけどね、
それの大変な臨床もされてたようなんですけれども、
っていうのが有名ですし、
その前ですね、震災前でも、
クラフ・コンラートっていう分裂病の始まりっていうですね、
僕らが精神科医になった時に、
先輩から絶対この本は読んどかなあかんよっていう何冊か与えられたんですけど、
それの一冊がですね、このコンラートの分裂病の始まりだったんですけど、
今でいうところの統合失調症なんですけどね、
これのとっても大切なその方の心度差であったりとか、
学術的な考え方であったりとかを書いた本なんですけどね、
それを訳しているのが、実はこの仲井久夫と一緒に
訳したのが庵先生だったっていうことも分かったりして。
そうなんですか。
そうなんですよね。
すごいなっていうか。
でね、そういうとっても異極の中でも仕切ってたし、
学術的にもすごい先生で、
実はね、私よりも9歳年上になるんですよね。
9歳だけなんだ。
そうなんですよ。
阪神大震災の影響
だからね、地方会とかって言って、近畿地方とか、
精神会が集まって、勉強会って年に2回ぐらい、今もあるんですけれども、
たぶんね、そこで僕は出会ってたはずなんですよ。
でも全然記憶に残ってないんですけど。
もうその頃はそんなに前に出てっていう感じではなかったんですかね。
いや、たぶんね、神戸大学の中ではきっと主に取り仕切ってたと思うので、
そういうところにもきっと自分の後輩とかにはいろいろやってただろうし、
もしかしたら座長もされてたのかもわかんないんですけど、
僕自身がその庵先生についての知識がなかったもので。
若かったですもんね、マリモ先生がね。
でも大体の地方会とかっていうのは、若手の先生がデビューするんですよ。
若手の研修上がりの先生とかが発表して、
指導員が教えてっていうようなことが地方会っていうのがあるんですけど、
だから僕はたぶんきっとそこで発表したのが初めてですし、
何回か発表してるんですけど、
たぶん庵先生も自分の教え子というか、指導をしてですね、
僕と同じような学年の若手を教えたりとかしてて、
たぶんすれ違ってたはずかなと思うんですけどね。
うわー、そうなんですね。
そうそう。
ということなどを考える。
でも実際僕は会ったことなくて、お話したこともないんですけどね。
マリモ先生の論文発表を聞いてらっしゃった可能性もあるってことですよね。
そうですね。もしかしたら聞いてくれたかもしれませんね。
とってもそういう先生でした。
この先生がですね、心の傷を癒すことっていう、
阪神大震災での奮闘期というか、いろんな患者さんとの出来事とか、
ご自身が頑張ったこととか考えたことなどを新聞連載されるんですよね。
PTSDの理解
それを翌年ですね、阪神大震災の翌年に出版されるということになります。
結構それが注目されるんですよ。
新聞に出す時も、この新聞の記者の方との出会いとかっていうのも映画にありましたもんね。
はい、そうそう。それもリアルらしいですよ。
記者の方も被災された方を追って写真を撮るんだけど、
やっぱりご自分でいろいろ感じるものがあって、出るところでしたもんね。
そう、あそこも泣きますよね。
泣きます。結構本当に感動するというか、
考えましたよね。
やっぱり大きな震災とかが起こると、人は大切なものを失ってしまうので、
それに立ち会った時、どうするかって本当に立ち止まってしまわざるを得ないのですけれども、
でもジャーナリストはジャーナリストとしての役割があるし、
医者は医者としての役割もあるなということを考えてしまうなということですね。
それで、1996年にこの心の傷を癒すことという本を出版して、
実はその年の第18回サントリー学術賞、社会風俗部門を受賞されます。
はい、これすごい賞なんですね。
そうそう、サントリー学術賞というのは、文化財団が主催する学術賞なんですけどね、
普通文学賞とかって言うと、小説とか、文学についての賞じゃないですか。
このサントリー学術賞というのは、研究者が日本語で出版に対する賞を与えるというのを、
結構昔からやっておられて、それで受賞されたので、そういうのもあって注目されました。
僕が実はこの心の傷を癒すことという本を手にしたのは、実は出版されたのが96年で、
僕が医者の3年目、4年目なんですけれども、この時にはまだ手にしてないんですよね。
それから5年ぐらい経った後に、2020年ぐらいに文庫本になるんですよ。
文庫本になった時に、僕たぶん全員手に取ったんですわ。で、実際買いました。
なるほど。
ところがですね、これをつんどこにしてちゃったんですよ。読まないと思って、
ずっと本棚に立ててて読んでませんでしたっていう感じでしたね。
ただこのドラマは見ました。
そうなんですね。
2019年にですね、NHKのドラマ化されますね。
4回のドラマ化されて、それが一本にまとまって映画みたいになってるんですけどね。
なるほど。
これは見たのを覚えてますね。
このアン先生ですよ。
このドラマの著作っていうのは、阪神大震災のことしか書いてないんですけどね。
もうちょっとそれの学術的なこととか、一般の方に知ってほしいようなことなどを詳しく書いている文章になるんですけども、
ドラマの方は阪神大震災のことだけじゃなくて、
アン先生の生涯というかですね、生まれてから亡くなるまでのことを書いてるんですよね。
どうもほぼ事実のことを書いているらしいです。
素晴らしい感動させてもらえる人生です。
アン先生自身がですね、どんなふうな生い立ちだってっていうことも書いてるんですよね。
厳しいお父さんと優しいお母さんっていう感じでね。
在日韓国人としてのマイノリティ性っていうのを感じて、ちょっとそれで葛藤があるというところも、
10代の頃、絵が描かれますよね。
そうですね、ありましたね。高校生の時ですよね。
あれは小学生ですよ、本人が。
あ、そうか。
お母さんが持っているパスポートに気づくんですよね。
あ、そうかそうか。
安田っていうふうに名乗られてるんですけれども、
名札をですね、玄関に置いてきたりとかっていうシーンありましたよね。
ありましたね。
高校の時とかに安田じゃなくてアンって言おうかみたいなことをね、親友と悩んだりとかしてっていうシーンですね。
はい。
親友の方も実は実在してるんですよ。
実際、ああいう先生がいらっしゃるんですね。
はい、いてますね。
あのさ、有名な精神科医で、名越越文先生って知ってます?名越先生って。
分からない。ごめんなさい。知らないです。
精神科医なんですけれども、精神科医的なコメントを、今から20年くらい目によくテレビに出てて、今も時々は出るんですけれども、
精神科医としてのコメントとかをやってるような先生でして、この先生、実はアン先生の。
見たことあります。
ありますか。
お顔は、はい、今見て、分かりました。見てます、知ってます。
名越先生ね。時々出てきてね。
お名前は覚えてないけど、お顔拝見してしょっちゅう見る先生ですよね。有名です。
この先生、アン先生の幼馴染で。
はい。
大学は別なんですけどね。
濱田岳さんが演じられてた。
そうそう。
のが名越先生ですか。
名越先生。ただ、名越先生自身は精神科医になられて、大学も別の大学に行かれるんですけどね。
アン先生は大阪大学に行かれるんですけど、でもずっと交流はあって、亡くなるときのコンサート行ったりとかっていうのも事実みたいですよ。
名越先生なんですか。
名越先生みたいです。ほぼですね、ドラマってリアルらしいですわ。
奥様とか弟さんとかもチェック、チェックというかですね、一緒に加わって台本とかも作っているところがあるみたいですわ。
なるほど、ほんと事実なんですね。
ほぼ事実というていいみたいですね。
主人公のエモとタスクさんのとっても心にしみる演技というか、
よかったです。
めっちゃリアルに感じる演技があるじゃないですか。
あれはね、やっぱり彼自身の素晴らしい演技力もあると思うんですけど、台本というかですね、それと非常にマッチしているのかなと思うんですよね。
アン先生自身の人柄というか、やったこととかをうまく非常にドラマとしてがっちり伝えてもらったなって思いました。
歩き方とか、本当に喋り方とかがすごいリアルでした。
そうですよね。
エモとタスクさんなんだけど、きっとアン先生ってこういう感じだったんだなっていうのがすごく伝わってくる感じ?
そうですね。本当に演技は圧巻やったなってずっと思うんですよ。
田本さんの演技力の賜物なんですけど、それをうまく盛り上げた。
でもすごく知識を、情報を得られたんでしょうね。
そうみたいですね。それもあったみたいですね。
物語のところに入っていきたいなと思うんですけど、
実際、阪神大震災が起こって救護所を作ったりとか、アン先生自身も被災されて、いろんな思いを持ちながらも患者さんと関わっていくというところがあると思うんですけどね。
いろんな症例が出てくるじゃないですか。何例か出てくるんだと思うんですけど。
最もドラマとか、あるいは本でもそうなんですけども、目立つ症例っていうのが、本の中では症例Jなんですけれども、JってABCDEとかいろいろついてるんですけど、その中にJっていうのが出てくるんですけど、
ドラマの中では女性でね、初めちょっとアン先生に拒否的な女性が出られないんですということで訪ねてくるっていう人いてましたでしょう。
睡眠薬をくれます。
女優さんなんて言うんやったっけ。
女優さん。
女優さん。その30代40代くらいの感じでね。
初めは精神科医なんてみたいな感じで拒否的なんですけど、実はその方は気持ちを病んでて、まず寝れませんので睡眠薬くれませんかとして訪ねてはくるんですけれども、
その方はとても辛い体験を被災の時にしたので、そのフラッシュバックに苦しんでいるという方でした。
でもそれでも死なないといけないのかぐらいの悩みを持たれているという方だったんですけどね。
その方に関わる姿というのがずっと描かれて、最後癒されるという場面も描かれたと思うんですけどね。
はい。
これがいわゆる一つの典型的なPTSDの症例なわけですよ。
なるほど。
あの方が感じていたその辛い場面を何度も思い出してしまうということだったり、
あるいは自分に対するとても自分ってもう死んだ方がいいんじゃないか、自分を責めるような思いですね。
はい。
死なないとこの苦しまからは逃れられないんじゃないかなっていうような思いとか。
はい。
っていうので苦しまれてたと思うんですけど。
はい。
こういうのがPTSDの症状なんですよね。
もう一つね、ここで浮き彫りになることがあると思うんですけど。
はい。
はじめこの方って、とっても拒否的だったりしたじゃないですか。
しました。反抗的でしたよね。
うん。
これってね、わかりっこないと、この気持ちが他の人にはわかりっこないのに、
でもやっぱりわかってほしいという気持ちがあるんですよ。やっぱり苦しいわけなので。
っていうのをうまく表現してたと思うんですけど。
はい。
あともう一個あって、同じ体験をしているのに、主人はなんで怖くないんでしょうっていう言葉も、
主人公、主人公じゃなくてその女性言うんですけどね。
はい。
つまりね、この同じ体験をしても、実は心に傷を負う人と、心に傷を負ったとしてもそれほどでもないっていう人もいるんですよね。
うんうん。
この事実っていうのが、余計その心に傷を負った人をこいつさせてしまうというか、
周囲もそのことがわからないっていうことになるんですね。
だから、例えば震災とかっていうのは、多くの方が被災されるんですけど、
はい。
で、もうその心に傷を打ってああいうPTSDの症状を出すっていう方は、実はその中では少数派なんですよ。
医者の役割
ああ、そうですよね。
でも確実にあるんですけどね。
はい。
でもそれが皆さんにもちろん言うことはできないし、共有することもできないっていう辛さもあるんですね。
うんうん。
この心の傷の問題っていうのは常にこの例に取り巻かれてて、
その方が弱いんじゃないかとか、その方の単に個人的なものなんじゃないかなっていう風に常々と思われるんですけれども、
もちろんこれは病気なのでね。病気として対応しないといけないし、そこを考えないといけないっていうことがようやくわかってくるわけなんですよ。
このPTSDっていう病名をつけられて。
そうですね。これでも苦しんでる方の身近な人ほど気づきにくいですよね。
そうなんです。そうなんですよ。
逆にね。
そうなんです。
もうちょっと頑張りってついつい言っちゃいますもんね。
そうなんですよ。この人のご性格、この人の弱さっていう風に片付けちゃいがちになるんですよね。
うんうん。だと思います。
でもこれを言う病気があるよっていうのがようやくわかってきてて、
阪神大震災の頃はこの病気があるっていうことはもちろんわかってはいてたんですけれども、
多くの人はまだ知らないし、医者の中にもまだ会議的な人も若干いてたし、
それをうまく取り上げて形にしたっていうのも、この物語の心の傷を癒すということで大切なのかなと思うんですよ。
それで癒すところを考えるとね、小霊Jについてなんですけど、
最後なんですけども、あの人は丘というか公園に登ってね、公園に行って旦那さんと一緒に散歩をして、
ここだったらどんな地震がしても何も倒れてこないし、安全ですよねって気づくんですよね。
自然に癒されるみたいな感じを言われると思うんですけど、
もちろんその一瞬だけで治るんじゃなくて、その前にもですね、
多く苦しんだりとか、あるいは癒しというか、安先生もいろいろ治療もされたと思うんですけども、
そういうのもあって、あの場面に行き着くんだと思うんですけどね。
安全な環境の重要性
そうですね。
そういう安全っていうのが自分の中で実感できることで良くなると言われています。
PTSDにとって大切な治療ということで言うと、安全な環境と安全な相手。
時間をかけることとリラックスできる環境というのが大切と言われていますね。
だからもう安全な環境にいますよ。安全な相手といますよ。
やっぱり人間ってね、傷つけられることってやっぱりありますから。
人に一番傷つけられますからね。
だからこの人とおったら安全だなっていうようなことを実際感じることができて、
あと傷はやっぱり時間がかかるので、すぐに良くならないんですよね。
何ヶ月か、人によれば何年かかかることもあると言われています。
そうですね。
このドラマでは数ヶ月の、3、4ヶ月の時間スパンだって、
実際、安先生が体験した症例もそのくらいだったようですけどね。
あと、本に書かれているのは、あそこがですね、砂浜ダンですって。
そうなんや。映画では公演でしたね、ドラマ映画で。
公演でしたね。
旦那さんといつも浜辺をですね、散歩してたらしいですわ。
なるほど。
そこで、ここなら地震がおってもっていうことになるんですけれども、
2019年にこれをドラマ化するときにっていう話なんですけどね、
この津波問題があって、東日本大震災の後なんですけどね。
後だから、なるほど。
後でね、だからあの場面をこの砂浜でやっちゃうと、
逆にこう辛い思いをする方が出てくるかもっていうこともあって。
だから公演になってたんですね。
あそこをね、このハラッパの公演にしたって書かれていました。
なるほど。
はい、それもとっても大切な話だと僕は思うんですけど、
あのね、PTSDにとってそのトラウマを弱気してしまうきっかけっていうのが、
その方その方にあるわけなんですよね。
とりあえずこの病気がまだ出ている間、旧世紀の症状が出ている間っていうのは、
できるだけそのきっかけから避けるっていうのが正しいんですよ。
そうなんですね。
はい、だから例えばこのね、東日本の大震災で、
この津波等でとてもPTSDを追われている方というのは、
そういった場面を避けるということがとっても大切ですし。
いまだにテレビであのカッコ書きで、この後津波の映像が流れますとか出ますもんね。
そう、そこもですね、大変このことをテレビ局とかが理解してくれてやっているんかなと思うんですけどね。
何気なく流れているけど、ちゃんとそれが知識として入ってきたってことですよね。
そうそう、アップデートしていただいたんですね、そういったことでね。
あれって津波の画面以降だと思うんですけども、
例えばまあ戦争の場面とかでね、戦争でもPTSDになられる方があるので、
例えば映画だったりとかドラマとかで、ああいった場面で苦しむ方っていうのはいているので、
そういったことも考えないといけないなと思うんですよね。
僕らの話でね、傷つく方もあったらあかんなと思って、初めにそんなことを言ったこともそうなんですけどね。
これやっぱり人によって違いますし、あるいは同じ人でもね、ある程度傷が入れてきたりすると、それが大丈夫っていうこともあるので、
そこはちょっとやっていきたいなと思うんですけどね。
続きは次回お送りします。
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