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  2. 娘のこじれた人間関係と私の視点
2025-03-06 20:15

娘のこじれた人間関係と私の視点

2 Comments

・娘がこじらせた人間関係

・悪いわけじゃない

でもこのままでいいわけじゃない

・視点と動機

サマリー

このエピソードでは、子育てにおける娘の人間関係の問題についての母親の気づきや考えが共有されます。娘が友達とうまくいかず、感情的な態度を取る中で、母親は客観的な視点を持ちながら、どのようなアプローチを取るべきか悩んでいます。母親は娘との関係を再構築する過程を通じて、自身の育児スタンスを再評価しています。彼女は、否定や責めることではなく、成長と友情を重視する姿勢を大切にし、自身の育児をより良い方向に導こうとしています。

七転び八起きの子育て
七転び八起きのママLife。このラジオでは、日々七転び八起きしながら、子育てで得た学びや気づきをシェアしていきます。
こんにちは、Yuunoです。
最近どうですか、雨。私が住んでいる地域、結構ずっと雨やったんですよ。
だからもう、幼稚園の送り迎えももう、雨やんってなってたんですけどね。
もう、いやいや雨みたいな。
で、何日間かずっと結構雨がね、一日中ザーッとかはなかったけど、
割と降っている時間が長かったので、外にも出れなくて。
で、ちょっといろんなことが起こって、昨日、もうすっごい落ち込んでたんですよ。
いやもうね、もう雨には申し訳ないけど、雨のせいやんってしようと思ったんですよね。
そう、もう雨のせいにしてました。
くらい、もうシューンとなってね、むちゃくちゃあんま落ち込まないんですけど、
とんでもなく落ち込みに落ち込んでおりまして、
もう無理や、這い上がっていかれへんみたいなんで、地に落ちてしまって、上がれなくなってたんですよね、昨日。
で、そこから、もうでもね、地に落ちたままおるんがむっちゃ嫌いなんですよ。
もうね、なんかね、落ち込んだ中からでもね、なんか気づいたり学べることないみたいな、
なんかね、回収できることないみたいなんでね、すっごいセコさが出るんですけど、
なんかそんなことを考えて、昨日ね、なんかいろいろ考えてたときにね、
これちょっとシェアしたいなって思ったことがあるんで、今日はそれについてちょっとお話できたらなと思います。
今日のテーマなんですけども、どんな視点で自分の子育てを眺めるかっていうことについてお話ししたいと思います。
このテーマにしようと思ったきっかけはですね、娘なんですけれども、私、小学校2年生の娘がいるんですね。
感情的な反応とその影響
で、学校行ってるんですけど、学校でね、やっぱりお友達とね、うまくいかないことが最近増えてきまして、
そう、人間関係がね、こじれにこじれてしまいまして、全然育めないんです、人間関係が。
もう、親としては聞いててつらい話ばかりなんですよ。
聞いてるだけでもつらいんですけど、まあ帰ってきたら、その学校でたくさんのことを感じて、
いろんなことに傷ついたり悲しんだりして帰ってくるんですよね。たくさんの思いを抱えて。
ですから、まあ感触を起こします。
もうね、一生叫んでるんですよね。で、ちょっとしたことでね、怒りくるってね、大声でね、すっごい怒るんですよ。
その怒りをね、加減なしにぶつけられるもんですから、私、ちょっとだんだん落ち込んできてしまいまして、はい。
で、雨じゃないですか、気分転換の散歩も行けませんよ。
そうなってくると、ちょっとこう、外でも行くみたいな言えるんですけど、外出たら雨ってなったら、しとしと降るんですよ。また雨が悲しそうに。
もう、より一層感触が増してるのは雨のせいちゃうかなって、これも雨のせいにして、もうほんまごめん、雨って感じなんですけど。
まあそんなね、3日間を過ごしまして、先週ぐらいからね、その感触はずっと続いているんですけど、
昨日がマックス絶好調の感触をね、起こしてくれました。
話をね、聞いてる時も、ちょっとね、距離感というか、娘とあえて距離を持って話を聞くようにしています。
冷たいように聞け、聞こえるかもしれないんですけど、母親として、我が子の話を聞くと、どうしても、
え、もうそんなんつらすぎる。なんでそんなこと言われないといけないの?っていう、被害者意識って言うんですか。
この言葉のニュアンスで合っているのかなって、すごく迷うんですけど、なんかすごいね、こっちがされてるほうで、してくるほうみたいな、
対立構造にして起こった物事を眺めがちになってしまうので、母親として聞くのではなく、
冷たいんですけど、ちょっとこの表現。でも、よその子がこういうことで、学校でこんなことが起こって、こんなことを言われて傷ついて帰ってきたんだなっていうところで、
どんなことが起きたんだろうっていうのを、できるだけ客観視をしたくてですね、言い悪いでジャッジをしたくない。
相手の子が悪くて、うちの子がかわいそうとか、うちの子が悪くて、相手の子に申し訳ないとか、
そういうふうな話の捉え方をどうしてもしたくなくて、できるだけ一旦距離を置き、あえて話を聞くようにしてるんです。
でも、それでも、やっぱり我が子ですから、傷ついて帰ってきたら辛いんですよね、聞いてるだけ。
で、辛い部分もあれば、いやもうそうこうよ、そこ。そういうところがあるから嫌われるんやで。
それ言ったらあかんけど、心の中で何回も思いました、正直。そういうとこやからなって。
うちそんな人にチャチャ入れて、みたいな。そらな、鬱陶しいで。嫌いや、言われるやん。って思うんですよね、正直。
でもそうやって自分の我が子のあかんとこ探しをして、そこを改善させるっていう方法を取るっていうのは、いかがなものかなと思ったんですよね。
それに、相手の子が言い方が悪いとか、ちょっときついものいいじゃないかとかで、学校に電話をして、先生こんなことがあったんです。
どうにかしてくれませんかっていうのも、なんかちゃうな、みたいなことをすごい考えてて。
でもこのままで放っておくっていうのもまた違う。
なーってすっごい悩んでしまいまして。
どういうふうに私が感じたことを娘に伝えたらいいんだろうとかね。
できるだけ否定はしたくないんです。
だって、相手の子もただ嫌だなって思った気持ちを伝えただけなんですよ。
だから相手に嫌ってはいけないんだっていう権利って私にないじゃないですか。先生にも。
そして相手のお母さんにもないし。
彼女の相手の子の気持ちは相手の子のものなんですよね。
嫌だなーって嫌いだなーって思うのも自由ですし。
それに対して傷つきなし、傷ついたらあかんもん、ほっとったらええねんとかっていう娘が傷つくことを止めるのも私がすることではないですよね。
娘がなんだろう、こういうのしたらあかんと思うねんって注意するとか指摘をするとか
例えば好きじゃないことをしようって言われた時に鬼ごっこしようとか走るのが苦手やからしたくないねんとか
言うのもみんなに合わせて、みんなしよう言ってんねんから合わせといたらええねんっていうのもなんかちゃうなーみたいな。
その指摘ちゃちゃ入れやからやめときとか言うのもちょっとちゃうなーと思ったんですよね。
間違ってるやんって思うから、そうじゃない方がいいよと思うからただ言っただけやんっていうのもそうやなってほんまに思うんですよね。
でもね、その正しさが全てではないってことは伝えたいなと思ったんですよね。
娘の性格、性質っていうんですか、ものすごく真面目なんです。
で、こうだよって言ったことを確実に守ってくれるんですよね。
それを守り続けられるように自分で自分を利用するっていうんですか、管理することもものすごく彼女は長けているんですよね、娘は。
すごいなって思います。親としても。
いいところやんって言ってあげたいんですよ。
そういうところが嫌われる要素なんだよっていう言い方、絶対したくないんですよね。
お友達に関しても、鬼ごっこしようよとか走ってる方がおもろいやんとか、そりゃそうやん。
人によってそれは、しんどいと思う子もおれば楽しいと思う子がいるっていうのも自由やしと思うし、
なんでみんなしようって言ってるからしようよって誘ってくれてるだけかもしれへんし。
それを嫌やなって、こういうふうに嫌やって思うことを言ったら、空気っていうか悪くなっちゃって、結局すんねんけどすごく嫌なのみたいなことを抱えて娘は帰ってきて、
そういうところからだんだん人間関係がこじれていって、ちょっと気になることとかをいちいち口にする娘の性質が相手の鼻についたんでしょうね。
子育ての反省
嫌いやねんって、嫌やわっていう言葉に結果至ったのではないかっていう話を聞いてる限り、私はそう感じ取って整理をしたんですね、話の。
だから、その整理した時点で、相手の子も悪いとかないやんって思ったし、思ったことを言っただけやんって思ったし、娘の気真面目な性質で、
嫌なことは嫌だって言えることも、何も悪いことないやんみたいな。でも、理解をしあえないことはどうなんだろうねっていうところは疑問にも思ったし、
娘も極端な捉え方があって、一つがダメだからみんな私のことを嫌ってるに違いないってなっちゃって、すごく攻撃的になってるんですよね、今お友達に。
その捉え方もどうなんだろうなって思った時に、悪くはないけどこのままでいいわけではないなってすごく思ったんです。
そういうふうに客観的に話を聞いてて、ふと思ったんですよね、私自身が。
私の子育てがあかんねやって、なんか絶対思ったあかんって自分の中で思ってるんですよ。
もう責めたっていいことなんかないやって分かってるんですけど、私の子育てなんかあかんかったんかなって。
正しいとかレシするとかすごいなと思うし、大人からしたらめちゃめちゃゆーた子育てしやすいんです。
しやすい子やなって思うんです。
しやすい子ではあるけど、その子供らしさが逆に言うとないなって思ったんですよね。
でもそういうふうに子供らしさを奪ってしまったのは、私なんじゃないかなって思っちゃったんです。
もうこれを思ってしまったらさ、終わりじゃないですか。
もう責めることしかないんですよね。
自分の子育ては正しさは教えれたし、
社会性とか先生から責任感があるねって言われる大人がいいねっていう子供にはなったけれども、
同じ年の子供が思うような、こうしたいねっていう感情の部分が置いてきぼりになってる気がする。
一番大事なのに。
私は子育てで大切な部分を教えらそうですけど、
伝え忘れた?
それによって私との人間関係において、そこが抜け落ちてるんじゃないか。
感情や思いとか、人として一番大事な部分が欠落させてしまったんじゃないのかな。
私の関わり方でって思っちゃったんですよね。
娘との関係構築
けど、こういうふうに否定して自分を責めることからは何も生まれないなって思ったんですよね。
やっぱりこの娘が見てたらかわいそうやなとか、かわいそうって言うのもあれですけどね、言い方って思うけど、
辛いんです。正直見てると。
辛いけど、このお友達との人間関係のこじれから、
お友達とどうっていうよりかは、私とどうまた関係を築き直すかやなって、
その機会をもらったんちゃうかなっていうふうに捉えることにしたんですよね。
私の育児が悪いんや。だからやり直さんとあかんねや。じゃなくて、悪かったわけじゃない。
これまでやってきたことも良かったんや。
だからこそ自分でいろんなことを考えて選んでこうじゃないかっていうことを言語化することは長けてるやんって。
悪かったわけじゃない。
でも、さらによりよく関係性を築いていけたら、
娘も楽になるし、お友達と仲良くしたい。
お友達ともっと仲良くなりたいんだっていう娘の思いも汲み取ってあげれるんじゃないかなってすごい思って、
自分のこれまでの育児は良かったし、精一杯やったやんってその当時は。
もう十分やんって言ってあげることにしたんですよね、自分に。
さらに、良くしていくためにどうしていけるかっていう変化のタイミングが来たんやんちゃうん?
っていうふうな声かけをすることにしました、私は自分にね。
だからね、攻めるとか否定する、あかんかったって決めて直していくために、
もう一回学んでいく、チャレンジしていく動機って、行動の動機、やる目的のための、
こうしたいなって思うために動かす動機が、否定とか攻める、やり直させられると思ったらなんか辛ないです。
私はね、すっごい辛いなって思っちゃったんですよね、その時に。
だからそういう視点で自分の子育てを、これからの子育てを見つめていくんじゃなくって、
また良くしていくための、パワーアップするための変化のタイミングが来たんやん?
っていう視点で自分のこれからを見つめていって、それを動機にまた自分の子育てをね、
娘と関係を築いていくための動機としては、もっと仲良くしたい娘と、
もっと心の部分を一緒にゆっくり育てていこうよっていうスタンスで、
子育てしていきたいっていう気持ちでね、これからをどうしていくかって考えた方が、
優しないっすか?自分に対して。
私はそう思っちゃったんですよね。あんまり自分に厳しくというか、それ以上厳しく。
だって頑張ってきたのに、もっともっと頑張れよって言い続ける必要性ってどこにあるんかなってすごい思って。
ええやん、これまでも頑張ってきたし、これからも頑張んねんけどちょっと肩の力抜いて、
もうちょっと優しい言葉がけと、もうちょっと軽く仲良くなりたいから頑張りたいねみたいなんで、
ええんちゃう?って言ってあげたかったんですよね。
そういう風な視点で子育てを見つめていくチャンスやんみたいな。ええんやんみたいな。
軽、急に軽ってなるんですけど。
でもなんか責める、否定する、直す、あかんかったことを直すっていうよりかは、そういう風にね。
もう一回やり直すというよりかは、もっともっと良くしていきたいし、仲良くなりたいから、娘とも。
娘がニコニコして友達めっちゃ好きやし、友達も私好きって言ってくれてるって、なんか嬉しいみたいな。
そういう姿見たいっていう動機で言っちゃうかなって思ったんですよね。
だからなんかその子育てってすごく人それぞれ、そのお母さんによって捉え方、育て方、関わり方、全部違うじゃないですか。
これがめっちゃあってんねんっていうことが言いたいわけじゃないんですよね。
だけど頑張ってること、自分で今まで頑張ってきてる、今も頑張ってる、向き合い続けてる、一生懸命やってる自分を絶対責めんと言ってほしいなとは思います。
そういうことを伝えたくて、どんな視点で自分の子育てを眺めるかっていうのは、自分で選んでいけるんやでっていうことをすごく伝えたいなって思ったし、
自分自身が大きな築きやったんですよね、今回娘を通して。
だから何かこれのラジオで聞いて感じてもらえることがあったらいいなってすごい思って、
今回はこのテーマでいろいろ私が気づいたことをシェアしてみました。
自分を大切にする視点
だって落ち込むだけでね、落ち込み存って嫌じゃないです。
私何かね、何やろう、得って言うとあるやけど、何か1個でも持って帰りたいんですよ。
なんかすごいオバハンソウルが出ちゃうんですけど、安いの袋詰めとかあったらめっちゃ1個でも多くいいの入れたいとか思いません?
私だけなんかな?わからんけど。
でもそんな感じで落ち込むだけはむっちゃ嫌なんですよ。もう落ち込んだら何か1個でも気づけて帰りたいんですよね。
そんな感じでね、思って、昨日雨でちょっと落ち込んだ中でも、何回こと1個でもないんかいって自分に問いかけてね。
自分にかける言葉って大事やな。自分をどんなふうに見てあげるかって大事やなって。
自分に優しい言葉がけって大事やなってすごい思ったから、それを今回はちょっとシェアしてみました。
めっちゃ熱量高めで、まためっちゃ喋ってるんで長くなっちゃってると思うんですけど、最後まで聞いてくださった方いたらね、すごく嬉しく思います。
今日はこんな感じで終わりにしたいなと思います。
今日も熱苦しく、終わりの言葉って、締めの言葉ってなかなか見つからないですよね。
今日も熱苦しくね、熱量高く七転び八起きなママライフ頑張っていきましょう!
ではまた!
20:15

コメント

自分のこれまでの子育てと繋げて自己嫌悪するループ、すぐなってしまうよな😭 思ってることを言語化してくれてスッキリした!

なるなる😭 もうすぐなるから。笑 こちらこそ、メッセージありがとう♡

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