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みなさん、おはようございます。
昨日は4月3日で、こちらでは神武天皇祭というのが行われる日になっておりましてね、
勝原神宮とその中にあります神武天皇陵の方で同時に祭典が行われるんです。
我々は勝原神宮の方で参列させていただくんですが、
市長とか限られた方はモーニングにお召しになって神武天皇陵の方で、
宮内町からの直師様をお迎えする儀式がございます。
それは一般の者は入れないんですね。
この大きなお祭りが、非常に強い雨でございましたが、千人近くの方が参列されました。
私は幸運にも内拝殿の方で参列させていただいたんですが、
最高尾の末席の側の方で座っていたんです。
慶新婦人会の方々はもっと前の方にいらしていたんですが、
私はもう後ろの方で静かに座らせていただこうと思って座っておりましたらね、
一つ開けてお隣に五年配の男性の方がよろしいでしょうかということでお座りになって、
祭典始まるまでにどちらからお越しでしょうかとかお話をしていたんですね。
そうしましたら、わりと近くにお住まいの方で、実は共通の友人がいました。
その方が実はご病気らしいという情報を得ました。
いろいろ世間話をさせていただいて、ああいう場ですのでね、小声でしかしゃべれないんですが、
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待っている30分の間に、まあそうでしたかという感じでお話をしていたんですね。
その後に直来がございまして、私たちは養成殿という神宮内の結婚式場の方に参りまして、
そこで直来のお品を食するんですけれども、楽しい久しぶりのお食事会でした。
帰りましてね、その方からお電話を頂戴しましてね、実はその共通の友人が先月亡くなっていたというんですね。
私はびっくりしましてね、なんか具合悪そうだなという気配はあったんですけどね。
その時にあまりそのことに関していろいろ聞くのも申し訳ないかなという気持ちもございまして、
でもそこで立ち話をする時間があったのに、もう少しお話をすればよかったと。
非常に私と同世代の方なのでですね、まあショックでね。
で、そのことをね、帰ってきて仲間にお伝えしたんですよ。
そうしましたらね、もう一方、その方もご高齢で京都にお住まいの方なんですが、私にとっては非常に昔からの思い出のある方で、
昔のことをよくご存知なのでね、その方も同じ頃2月にお亡くなりだったということを連絡を入れたその子から聞いたんですよ、私。
いや、なぜ教えてくれなかった。教えてくれなかったのって言う前にですね、私は非常にご無沙汰をしていたので、
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まずは言えば言うほど、自分で自分の頭をトンカチで叩くような状態になるんですよね。
ですので、日頃のご無沙汰をお詫びして、今回そちらの方の娘さんですね、娘さんに、ご同居中の御長女様に、
大変申し訳ございませんでした。遅くなりましたというお電話をお入れして、いろいろしばらく考えたんですが、
やはり何かね、あれと思った時は、すぐに駆けつけるっていうんでしょうかね。そばに駆け寄って、ちょっと他のお話でもすればよかったなと。ご病気の話ではなくて。
ですので、本当に我々の住む世界っていつこういう分かりが来るかというのは予測不可能ですよね。それに対して非常に後悔ばかりするんですよね。
いつもそうなんですけれども、日々ね、暮らしています日常もですね、同じことの繰り返しなんですが、時間というのはね、X軸を右にずっとじわじわ動いてるんですよね。
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で、その中で一つ一つコツコツコツコツ積み上げて、我々はY軸を上に上に伸ばそう伸ばそうとしてまた下がったり上がったりしながら、しかし一定のリズムで右に流れてますよね。
で、その間に悩む時間って非常にもったいないような気もしますね。
自分を置く環境っていうんでしょうか、それを守るのは自分でしかない、自分でしかできないですもんね。
自分を癒すことも最終的には自分でしか癒されない。
であるならば、とことん自分をストレスなく守ってあげるべきなんじゃないでしょうか。
時にはそれは本当に泥のように眠ることかもしれませんし、何時間も何時間もピアノを弾くことかもしれないけれども、自由にさせてあげられるのも自分ですし。
私の若い頃なんて言ったら、そんなのパワハラセクハラみたいなことはもう日常茶飯事でですね、言葉によるもの、態度によるものとかそういうことはね、ただございまして、それはつい最近まであったような気がしますね。
そんな中でもね、なぜそこからずっとずっと長い時間抜け出せなかったのかっていうことを今思い起こしてみましたらですね、
私はこの程度の人間なんじゃないかしらっていう、自分で自分の縛りを作ってた。
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それとですね、どんな状況でも慣れっこになっちゃうんですね。で、その中で、その中でわずかな幸せを見出しちゃうんですね。
幸せに目を向けるっていうのは、幸せになる基本なので、それは家庭の中とかね、日常でふとしたことに気づいていくことが幸せになる唯一の道だとは思うんですよ。
しかし、私が若い時代、長い長いサラリーマン生活であったり、いろんな部分で抜け出せなかった理由っていうのは、
やはり、いくら健山の上に立っているような状態であってもですね、その中でわずかな安らぎとか幸せを見出してしまうんですね。
それで、多くの貴重な時間を無駄にしたような気もします。
しかし、それがあったから回りくねった阿弥陀くじの末に、今の時点で、座標で言ったらどこらへんかわかりませんけれども、今の時点でここに来ているのであればね、それもそれでありなんですよね。
ただ、大きな冒険も本当に小さな小さな冒険も同じことだと思うんですよ。
山井社長がご自分の小売店で数少ないアルバイトの方たちにお仕事をさせて、一日中アパレルの雑誌を見ていた。
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その時に旗と雑誌を閉じて、アルバイトの人たちを集めてですね、これから我々は世界一になると言った途端、ゾロゾロとアルバイトの方が辞めていたらしいですけれども。
何かを決意するときってそれでいいと思うんですよね。他者に何と言われようと、引き止められようと、そんなこと全く関係ないですよね。
だから、昨日お別れした非常に誇れな方と、私と同世代の友人、会話とかね、一日に二人なんでね、ちょっときついんですよ。
本当にね。でも何て言うんでしょう、亡くなっててもお元気でも、寂しさって変わりないんですよね。
特に、ずっと会えてなかった、私の大事な先生、最後の最後まで内科の先生でしたのでね、お嬢ちゃまも先生を継いでて、一緒に机を並べて診察されてたらしいんです。
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その先生が95歳でしたか、今年。その先生がもうですので、筆談でしか話せないんですよ。
しかも隣の県にお住まいなんで、私も、またね、介護されてるお嬢ちゃまである今の院長先生があまりにもお忙しいのでね、お電話するにも気が引けるような。
お手紙何回か書いたら、喋っている文章をメールにして、メールじゃなくて印刷してですね、お送りくださったりしてたんですけどね、それも申し訳なくなっちゃって。
気にもなりながらね、その先生がね、私と同所で話した最後の言葉がですね、病気になった人に対して、最良の治療はね、何もしないことなんだよっておっしゃったんですよ。
90歳過ぎるまで現役で毎日ずっと医療活動を続けてらした県道の先生がですね、そうおっしゃったんですよ。
どういうことかしらって。人間にはね、自然治癒力っていうのがあるんだよって、それにはかなわないんだよって。
その自然にお亡くなりになってきましたですね。
まあですのであのまあさからくまあそういうね、締めっぽいっていうか、でもね、別れているようで別れてないんですよね。
なんだか会えない時間とかが長いのでね、かてはこちらは近くにいてるのに、何か異変に気づいたのに飛んでいけなかった悔しさっていうんでしょうかね。
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そういうのがあります。ですので、パッと思ったときには行動に移さなければって、日頃いつも思ってるんですけれどもね。
ですので、これはもう自分に言い聞かせるつもりで再度、後悔のないようにですね、本当にね、私も毎日の稽古を大切にして、
自分の理想の生活をしている先生方の所作というんでしょうかね、それを少しずつ真似して身につけてですね、
本当は私はここを目指しているんだということをね、きちっともう一度明確にしなければいけないなってね、つくつく思いましたね。
ですので、若い方たちには本当にね、私の年齢ぐらいになったら複雑で複雑でぐちゃぐちゃの、何て言うんでしょう、複雑な織物のような網だくじになっているんですよ。
でもね、若い方というのはね、最初どれを選ぶかというのは本当に自由なんですよ。
ですのでね、しかもまた何て言うんでしょう、また右に行きたいとかまた左に行きたいとか言ったらね、パッとまたね、行けるんじゃないですか。
ですので、ずっとどっちにしようかとか悩む時間は非常に無駄だということをお伝えしたいと思います。
では、今日も皆様、無駄な時間を過ごし、でも一見無駄と思えるような時間も自分を癒すためには非常に貴重な時間になります。
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この矛盾した二つのお伝えしたいことをうまく伝えられたかどうか非常に不安でございますが、そういうことに悩むということも非常に無駄なので。
しかしまあね、コスパばっかり考えたら何か一番大切なものを見落とすということをね、つくづく感じておりますので、コスパの悪いものの中に大切なものは隠されているような気がいたします。
では、皆様ごきげんよう。