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みなさん、こんばんは。今日も締めっぽい一日でしたね。お疲れ様でございました。
私は、今朝早くから、友人の送迎の方に行ってまいりましてね。
1時間ほど前に行くっていう風に自分で決めてましてね。
それはね、ギリギリにまいりましたら、自分の気持ちが落ち着かないんですよね。
やはり親しい友人の場合は、1時間前にはいって、いろんな話をするんですよね。
そうしましたら、ゆっくり一対一の対話ができましてね。
ちょうど、お席の隣に親しい先輩の、元校長先生のお友達がお座りくださいましたのでね。
家も近いことですし、いろんなお話を時間まですることができました。
また早く行くことによって、個人のお母様と今まで話しできなかったお話をすることができました。
今後お母様と私のつながりは深くなっていくんじゃないかという風に感じましたですね。
それと、やはりああいう大勢の場で自分がどういうふうに振る舞えばいいかということは、冷静なときに考えておかなければ、いざというときに混乱いたしますのでね。
この際、反省事態を込めてね、自分に対してちょっと注意喚起したいなというふうに思いましたですね。
悲しいのは山々なんです。感情的になるのは山々ですよね。
しかしそれは自宅でほぼ済ましておかなければいけないことなのかもしれません。
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そして大勢の方がいらっしゃるときは、ご遺族の方に対しては最新の注意を払って、深々とお礼とおこやみ申し上げるんですけれども、
同じように三列してくださっている方々との会話ですよね。
もう偉い方も一般の私たちも入り乱れて、席順も何もなくお食の順番を待つわけなんですが、
その中でいつものメンバーであったり、非常に有名な先生であったり、そういったときにやはり自分の感情が込み上げてきてそこで泣いてしまったり、お話が始まったりすることってあるんですけれども、
これは本当に私がそうだったので、次は気をつけようと思うんですけどね。
ひっそりとなるべく目立たない後列の隅っこで、同じようにひっそりとお見送りしている方と並んで静かに手を合わせたいと思いますね。
目と目でだいたい会話はできるものですから、ことさらそこで言葉にしなくてもいいのかもしれないですね。
それと、ああいう場におきましては、三列車同士の人間関係とか、近しいとか、ちょっと距離を置いているとかいうそういう関係がもろに如実に見て取れるんですね。
ですので、そこは一般の私たちも配慮して、なるべくどちらにつくっていうこともなく、中立の立場で、しかも気ぐらいはきちっともって対等で、全員平等に対等ですよね。
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しかし、非常に丁寧に礼をして、式場の中で過ごしたいと思いました。私はなかなかできなかったですね。できていると思っていたんですけれどもね、非常に難しいことではありますよね。
そして、ああいう場っていうのは、もう泣いてしまう場ですよね。そしてそれがなければ、泣きたらないような状態が続きましたらね、また次の一歩に踏み出せない場合もございます。
ですので、自分の中で消化できていなくても、やはり泣いてしまうということは必要かもわからないですね。
私は3日ほどございましたので、お式までに、今日4日目ですよね。
ですので、その間に自宅で大分泣きましたし、納得いく回答を自分の中で求めたんですけれどもね。
今日も本人に尋ねたんですけどね、それも帰ってこないですよね、私が考えなければ。ただ、あれだけ悲しんだのに、私は帰ってきて夫と食事をし、
それで、その後、仮眠と思っていたのがぐっすり寝てしまいましてね、4時間ほど寝てしまいました。
慌てて飛び起きまして、着替えて、何事もなかったように走りに出かけました。
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みんなまた何事もなかったように、同じことを日々繰り返していくんですね。
奥様もお嬢ちゃまも、目が開けたら、本当にまた同じように出勤し、同じように登校し、同じようにまたお家に帰ってくるという、
このぐるぐるぐるぐる回る生活、これがまた続いていくんですよね。何事もなかったように整然と、まるで地球が太陽の周りを回っているように、
月が地球の周りを回りながらついてきているように、本当にあれだけ悲しんでいた自分が、何事もなかったように走りました。
身体はやはり精神の強い味方なのかも分からないと思いました。本当にそれは思いました。
今まで精神的な部分が身体にはすぐに出ますので、アラームを鳴らしてくれますので、そういう身体とメンタルとの関係ってそういうものかと思っていたのですが、
逆に身体を走らせることによってメンタルがついてくるということもあるんだなと、今日初めて思いました。みんなこうやって、また明日から何事もなかったように生活するんだと思いますね。
そんな中で、人間関係がスムーズに、本当に明るい人だったので、誰の悪口も言わない。誰の非難もしない。素晴らしい青年でしたね。
そうありたいと思います。自分自身が。自分の気ぐらいを高く持って、しかし頭は低く下げて、本当に明るくて大声で笑って、そういう人でしたね。
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ですから、そういう人の周りにはそういう人がまた集まってね。本当にね、だからこんなに早く行っちゃった理由っていうのがね、そのご近所のご住職が、死というものはそんなに悪いものじゃないんですよって私を慰めてくれた。
その言葉の意味をね、少しずつ噛み締めてるんですよ。もし彼がですよ、115歳ぐらいまで生きてね、果たして昨日何かね、1000人ぐらい生きてたでしょうかね、今日もかなりの人が集まりました。
そういったふうにみんなの心の中に残るだろうかっていうことを考えましたらね、まあ彼は足を持って再びね、みんなの心の中に生まれて芽生えていったんじゃないかと思いましたですね。
喜ぶなんていうことはなかなか考えにくいことですが、ご住職が私に言ってくださったことはひょっとしたらそういうことなのかなっていうふうに思ったりもしました。
私のね、本当に一番の目標とするところはね、自分にないものをやっぱり求めてしまうのか、先輩方のようなね、先輩の日本女性のようなね、いらっしゃるんですよ、本当に素晴らしい方がね、何人か。
その方のようなね、奇品を身につけたいと思うんですけどね、ああいう場に行ったときはそれを保つことができないと思っていても、できないんですね、なかなかね。
そこら辺をこういう機会にね、自分のためにちょっと気をつけることとかをね、じっくり考えて、本当に関係の濃い薄いはあるとは思うんですがね、そういうときに驚かずね、騒がず、静かにね、本当に静かに見送ってあげられるように。
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なりたいなっていうふうに思いました。
今日は自分のための配信になりましたが、本当に申し訳ございません。
今日は確か60回目だと思うんですが、あっという間ですよね。
本当にあの、皆様日々いろんなことがあると思うんですけれどもね、やはりね、理想に向かって進みましょうよって感じですね。
中にはマウントを取ってくるような方もいらっしゃったり、そういう場面もあるとは思うんですけれども、まあそういう方どこにでもいらっしゃいますよね。
やっぱりそれなりにコンプレックスをお持ちなんで、だから自分は落ち着いて、自分の信念にそぐわないものはNOと言って離れて、自分が吸収したいものにはとことんついていって、研究して、そういう人生にしていきたいなって思いました。
今、雷が鳴っております。どうぞ皆様、異常気象ですので、どうぞお気をつけくださいませ。
今日はどうもお疲れ様でございました。ごきげんよう。