2025-10-03 26:00

本多静六4️⃣

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サマリー

本多静六の著書を基に、財産の処分や子どもへの遺産分配に関する洞察が語られています。特に、子孫の教育や努力の習慣の重要性が強調され、財産を早めに分けることが子どもたちの幸福につながると述べられています。このエピソードでは、幸せな生活を送るためのメンタルについて考察され、資産の重要性や現状の幸せを味わうことが強調されています。また、日本の女子学生の少なさや、ジェンダーバイアスについての意見が交わされ、女性の自信を促進する必要性についても触れられています。

本多静六の財産処分
こんばんは。やっと落ち着きましてね。今から、本多静六の5著書、人生と財産の続きを読んでいきたいと思います。
本多静六は、五線文が三輪なんですね。
造林学という作る林の学ぶは、中核を成す専門中の専門らしいんですけれども、それもあって、
三輪を買ってね、小学期育営資金を作ろうというふうなことを考えたんですよ。
それで、時間をかけて少しずつ買っていくんですけれども、これがまた時代と非常にマッチした部分もあるとは思うんですけれどもね、成功するんですね。
その次の章に、最も難しい財産の処分法と書いてあるんですね。
これを執筆された頃はもう80を過ぎているので、もうご自身の相続対策とかのこともお済みなのかな、みたいな感じで読み進めてたんですけれどもね。
これ、前に読んだ部分を思い出しながら読んでるんですけれども、何が難しいって、とにかくあの時代の人財産を作った方っていうのは桁外れですよね。
渋沢栄一が出てきましたし、渋沢栄一は埼玉県人会でご一緒されたらしいんですね。
その次に安田善二郎が出てくるんですね。
あの安田善二郎ですね。安田財閥。
安田善二郎は大磯で何者かに視察されてるんですね。
だからご自身が作った莫大な資産を使わずに亡くなっているということですよね。
私はこのことに鑑み、いささか財産処分の機を早めて実行したのである、と書いてあります。
さらに子どもらへの遺産分配のごときもわずかながら、いわゆる生きがたみとしてできるだけ早く引き渡し済みにした。
これで子どもたちが私の死ぬのを待っている何らの必要もなくなったというわけである、と書いてあるんですね。
子どもへの教育と遺産分配
これは子どもにとっては非常にありがたいことですよね。
落ち着いて、ある程度自分も子どもも手が離れ、ある程度の蓄えもできてからいただくよりも、本当に、ごめんなさいね、何かいろいろなって。
本当に必要なとき、本当に苦しいときとかに、ある一定額の財産分野があれば、どれだけ余裕をもって生活できるかというのがあると思うんですよね。
それを渡すときに渡す側の親御さんが、そのお金の教育をきっちりできるかどうかという問題もありますよね。
そのメンタルの部分で落ち着いているかどうかというのもありますよね。
でも、本田誠六のように莫大な財産を築いた方というのは、早めにさっさと渡してしまって、あとはお互い自由にというのが本当に幸せかもわからないですね。
本田誠六の言葉をお借りしましたら、ここで私も大学の定年退職を機会に、最後何週も古墳を招くわけではないが、
子孫のために美伝を買わずと、新たに決意を表明。
必要による最小限度の財産だけを残し、他は全部これを学校、教育、公益の関係諸団体へ寄付することにしてしまったのである。
ですので、全部子どもに渡しているわけではないんですよね。
いろんなところに寄付をして、匿名の寄付であったり、いろんなことをして、自分の渡したい期間に渡しているんですね。
子ども、お子様についてもこういうご意見なんです。
私も我が子孫の幸福について考えるに、まず子孫を健康に育て、完全な教育を施し、かつ相当な財産を分野してやりさえすれば、それで十分幸福にさせられるものと早がてにしたのである。
これは甚だ間違った考えで、最後の相当な財産の分野などは全く顧慮する必要がなく、それはかえって子孫を不幸に落とし入れるものだと前次気づくに至ったのである。
幸福と努力の重要性
徐々に気づいていくんですね。いろんな人の子どもに対する教育を見ていくうちに徐々に分かってきたんでしょうね。
だから、子孫を本当に幸福ならしめるには、その子孫を努力しやすいように教育し、早くから努力の習慣を与え、かつできるだけ努力の必要な境遇に立たしめることであると、これまた同じところへ結論付けるに至ったと書いてあるんですよ。
努力しやすいように教育し、努力の習慣を与え、かつ努力の必要な境遇に立たしめることである。
子どもを本当に幸福にしたいなら、努力しやすいように教育し、早くから努力の習慣を与え、かつできるだけ努力の必要な境遇に立たしめることである。
私なんかは本当に恵まれていたのかもわからないですね。いろんなことを考えると。
しかし、受け取る側のメンタルの部分、受け取る子どものメンタルの部分が成熟しているかどうかというのは、これは親の教育に関わってくると思うんですよね。
ですので、我が国のお金に対する教育というのは、学校などではしてくれるわけもなく、サラリーマン家庭においてはできるわけもなく、唯一消化のご子息たちは習うかもわからないですね。
ですから、全員一致して、一から学ばなければいけないということかもわからないですね、我が国の場合。本当にね、そんな気がしてまいりました。
次の章に入る前に、こういうことが書かれてあるんです。
初めてその天丼をね、9学生時代に、ごめんなさい、上野の広小寺の売月というところの天丼をご馳走してくれたのは、金子さんのおじさんという方からご馳走してもらったらしいんですけど、
その日の日記は、漢字とカタカナ、漢文帳なんですね。
その美味、筆舌に尽くしがたく、もう一杯食べたかりしも遠慮しておいた。その価格の価ですね、三千五里になり、
願わくば時きつて天丼二杯ずつ食べられるように、食べられるようになれかし。漢文帳ですね。
いや、この時代の男子って、日記も漢文帳だったんでしょうかね、お手紙だけじゃなくてね。すごいですね。
それでね、留学から帰ってきてね、祝願の天丼二杯を試みるんですよ。
そうしたら、なんともそれがとても食べ尽くせずに、さほど美味しくもなかったらしいんですね。
その体験からね、次のように彼は言ってます。
贅沢生活の欲望や財産蓄積の希望についてもそうであって、月一万円の生活をする人が二万円の生活にこぎつけても、幸福は二倍にならぬ。
し、十万円の財産に達しても、ただそれだけでは何ら幸福倍かにはならない。
一体人生の幸福というものは現在の生活自体より、むしろその生活の動きの方向が上り坂か下り坂か、上向きつつあるか下向きつつあるかによって決定されるものである。
つまり、現在ある地位の高下、高い低いによるのではなく、動きつつある方向の遺憾にあるのである。
と書いてあるんですよね。
確かに大きなお宅に生まれた人とか、すでに大器を持っている人で、それ以上上向きになろうとしていない人がいるとすれば、あんまり幸せではないのではないかというふうな説明をされてますね、その後。
ですので、どっちに向いているか。
だから常に上を向いていきなさいということなんでしょうね。
だから、2杯の天丼はおいしくないよということですよね。
これ、非常に味わい深いお話ですね。
そういうことでね、子どもに残す財産というのを早めに分配してしまって、あとは寄付しなさい。
自分が生活していけるだけのを残して、寄付しちゃったらどうだというふうなご意見ですね。
本当にね、金の切れ目が円の切れ目とか言って、ずっとこう、お魚、馬の人参のように、釣りの餌のように、巻き絵をばらまくように、
孫ひ孫にね、ばらまいてるおじいちゃまっていますね、確かにね、います。
そんなしみったれたことをする前にバンバンバンとやってしまえということらしいです。
まあ、ね、いただいた方は嬉しいですよね。一番しんどいときにいただくのが一番嬉しいと思います。
本当に。だから、私ところのような駆け出しの親にとってはね、渡すものというのがあまりないのでね、そういう心配はないんですけれどもね。
あれですね、それ以前に、あわてて社会人になる前にあわてて、娘のお金の教育というのを半年かけて、ちょっと他の人にお願いしましたけれどもね、これは今のところ成功しております。
本当に私の夫も私も、娘の年であれほどまでに貯蓄はできていないのでね、今のところ成功しております。
幸せな生活のためのメンタル
あとね、どういうふうなメンタルでね、生きていけば幸せなのかというのも、ちょっとこれからしっかり教えていかなければいけないなというふうに思いますね。
まずは、とにかくいつでも辞められるように、一刻も早く資産を作ることを考えなさいということを伝えたいということと、
幸せって求めていくんじゃなくて、今現在の幸せを味わって味わい尽くしていくうちに、日々365日幸せな生活ができると思うんですね。
ですので、そういう点をね、私の辞儀も含めてね、本当に感謝できているかということを常に考えながら過ごしていきたいなと思うんですよ。
たったお漬物と炊き立てのご飯だけであってもね、笑いながらお食事ができたり、本当に贅沢なテーブルであってもね、会話が進まないような状況であればね、
本当にそれは幸せとは言えませんものね。
まあこういうことで、第3章まで終わりまして、まだまだ続きますが、
これね、本当にね、私ね、大人になってからというか、年を重ねてから読む本田勢録と、若い頃に読んだ本田勢録との感じ方が全然違うんですよね。
ですので、皆様も、もしご自宅にあるのであれば、この機会にね、本当に読み返していただきたいというふうに思いますね。
今日はね、もう朝からね、朝稽古行って、それもう間に合わないから早退して帰ってきて、もう頭の先から足の先まで全部またお風呂で洗い直して、
全部お着替えして、もうなんか救急のスーツを着て、秋祭りに参りまして、秋祭りでいただく直来のお膳、お弁当をね、いただいて、もううちに駆け込んで、
お家で半分ほどパーッといただいて、またそれから近くのホールまで車を走らせて、そこで日本女性会議というのに出てたんですけどね、
日本の女子がね、利家の女子が少なすぎるっていうふうなことの文化会の方に言ってたんですけどね、よく考えてみたらね、日本の女子学生の工学部の卒業生が少なすぎるって言われても、
それ外国と比べて少なすぎる、もう非常に少ないんですけれども、それでなんで悪いのって思ったんですよね、私。
それで海外の人に何か迷惑かけてる?みたいな。それ誰が文句言ってんの?みたいな。
ね、それジェンダーバイアスじゃないのかとか言いますけどね、そんな文学部とか音楽学部とか演奏家とかね、そっち行ってごらんなさいよって。
もう男性ほとんどいないですよって。これを半分半分にせなあきませんの?なぜ?みたいな。
私ね、中学校の時に父が柔道部どう?みたいに言ってたんですけどね、見に行った瞬間にもう無理って思いましたよ、本当に。
だからジェンダーバイアスがかかってるから行かれへんとか言うけれど、本当に行きたい子やったら全員男子でも入っていきます、絶対に。
それを行くか行かないかを決めるのはね、その子自身でしょ?
いやいや、言わんといて、みたいな。決めさせてあげて、みたいなね。
日本の女子学生も前髪垂らして顔半分隠すようなことをせずにね、海外の女の子のようにおでこバチッと出してね、美しいお顔、額、全部出す勇気が必要と思うんですよ。
なんだかね、半分カーテン閉めてるような女の子ばっかりじゃないですか、日本の女の子って。
もう昔はバチッとおでこ出してたと思うんですよ、平安時代とか。
だからね、もっと自信を持ってね、生きていってほしいって思いますね。
理系の先生方も一生懸命、女子の先生方も一生懸命、女子もっと来てっていうふうに言ってらっしゃいますが、そんなことを心配する前にね、ご自身が本当にしたい研究とかに没頭してほしいってね、今日そういうふうに思いましたけれど。
なんか、小言ばっかり言って、小言はもう言いたくないんですが、やかましいですね、この時間帯。
そんなので、今日もお疲れ様でした。この放送は聞くだけで家が帰るラジオ、さらばラバフルカンパニー、東大卒、哲学者やすさんの家庭教師のリトライの提供でお送りいたしました。
今日は順番がちょっと入れ替わりました。では皆様ごきげんよう。
26:00

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