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2026-10-27 42:03

#108『暴力はどこから来たか』ーー下駄をはかせてもらう、ということ | ゲスト・『自分の仕事をつくる』著者 / 西村 佳哲 さん

『自分の仕事をつくる』著者の西村 佳哲 さんをお迎えして、"読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】
西村 佳哲 さん|にしむら よしあき さん
1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。リビングワールド代表。働き方研究家。つくる・書く・教える、大きく3つの領域で働く。30代は、「センソリウム」や「サウンドバム」等のプロジェクトを手掛け、『自分の仕事をつくる』を上梓。60代の現在は、いくつかの会社をサポートしながら、ワークショップや執筆など。最新刊は『会社で働く』(2026年11月出版予定)。

【登場した本】
『暴力はどこから来たか』山極 寿一

感想

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00:09
こんにちは、あらしろゆうきです。
読書のまにまには、毎回ゲストの方を呼びしつつ、読みかけの本を題材に、本と人生について語り合っていく、そんな番組でございます。
本には読み終わることなんてないんじゃないかなぁ、と、日頃思っています。
閉じられたページ、止まった一節、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
ゲストの方のそんな時間や思いについて、一緒に耳を澄ませていきましょう。
それでは今回のゲストは、自分の仕事を作る著者の西村よしあきさんです。
西村さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
今日はありがとうございます、お越しいただきまして。
こちらこそ楽しみにしてました。
ありがとうございます。
まさかですが、あさってもお会いするということで、ちょっとびっくりしましたけれども。
先週で、たまたま町内の人からそれを聞いて、あ、そうなんだ、みたいなことを。
その前前日、話してますよ、みたいな感じでね。
とてもびっくりしておりました。
それこそ、西村さんとは、あれ、いつでしたっけ、一緒にご飯させてもらったの?
7月?6月?とかそれぐらいでしたっけ?
そのくらいですよね。
そう、町中でたけしくんが、町中で往来停止施設をやっている人がいるんですけれども。
彼にちょっと来てよ、みたいな感じで行ったら西村さんがいたみたいな感じで。
あ、そうか。
僕何もわからず行ってみたら西村さんでしたというところで、すごくびっくりしたというところがもともとありまして。
その時にあれでしたね、僕の前職のエールのことを知っていただいたりとかしていて。
結構、前職のことを知ってくれてて嬉しいな、みたいなことを思いながら。
そんな話、主に対話みたいな話とか、そういう僕の前職でやったようなこととかの話とかをさせてもらってありがたかったし。
むしろそういう話をお伏せに来てなかなかなかったので、懐かしいな、みたいなことを思ってました。
そうなんです。
ちなみにエールの篠田さん、取締役の篠田さんには、この読書のまにまにの番組の第100回目に出てもらいまして。
なるほど。
聞かなきゃ。
後でリンクをくらせてください。
それこそ彼女が、僕ももちろん一緒に働いている時でしたけど、2年半、3年くらい前か。
彼女と何か一緒におしゃべりしている時に、この番組の第0回プロトタイプみたいなのを彼女相手にやらせてもらったのが一番最初だったんですよ。
そうなんだ。
おしゃべりとかしている中で、そういうふうなことをしていいですか、みたいな感じで話をして。
彼女が当時、東京裁判の本だったかな。
その読みかけの本みたいな感じで一緒に話してっていうのが一番最初で、最初にプロトタイプで出てくれたのは篠田さんだったから、100回目は篠田さんを呼ぼうみたいな感じで来てもらって。
03:11
最近考えている組織の話とか、対話についての話とかをすごいたくさんしてくれていたので、ちょっとまた後で西村さんにもシェアさせてください。
ぜひです。すごい聞きたいです。
ぜひお願いします。
そんな西村さんですけれども、さっきご紹介したときに自分の仕事を作るという本の著者のお方ですというところでご紹介をしておりましたが、
多分西村さんの本を読まれたことがある方、本屋さんで見たことがある方がいらっしゃるような気もしますが、
改めて西村さんにも自己紹介をお願いしたいなというふうに思っておりまして、お願いしてもよろしいでしょうか。
もちろんです。
私は30歳くらいまでちょっと大きめのゼネコンの設計部で働いていたんですよ。
建築のインテリアの設計とか後半はプランニング。どんな施設をこの敷地に建てるかみたいなことをやったり、
あと会社の中のことで研究プロジェクトとかを少しやっていたんですよね。
そういう中でちょっと思うところがあって、30歳で辞めて以来建築関係の仕事は続けなくて、
デザインプランニングの仕事を中心にやっていったんです。
そしたらその中で30代の中盤くらいに3つ4つの分岐が出てきて、
1つは、最近こんな言葉あまり使われなくなったけど、メディアートっていうんですかね。
メディアートのミュージアムがオーストリアにあるんですよ。
オーストリアのリンズっていう街にアルスエレクトロニカっていう場所があって、
そこが年に1回プリックスっていうか賞を与えるプログラムをやってるんですよね。
世界を対象に。
それで私たちのグループが作っていたセンソリウムっていうプロジェクトがあったんですけど、
それがネットワーク部門のグランプリを取ったんですよね。
同じ年のインタラクティブアート部門のグランプリが坂本隆一さんと岩井敏夫さんっていう組み合わせで、
ピアノの作品だったんですけど、そういったものを取りました。
そうするとインターネットプロジェクトだとかウェブサイトだとか、そういった仕事がワーってくるようになったんですよね。
06:09
それが一つの分岐で、ちょうどその頃美術大学、私は美大の出身なんですけど、
美大に今度デザインを教えに行くようになって、
教えに行っていたら、最初の1、2回で自分が教え方ってものを全然知らないことに気が付いた。
当たり前なんです。
高校の先生までは、いわゆる教職課程を経てるんですよね。
でも大学とか高専で教える先生って教職持ってなくても大丈夫なので、
高専も全員じゃないけどそうですね。
そこは半分大学っぽいところがあって、
大学も完全にそれで、いわゆる教育理論だとかそういったものじゃなくて、
何かあるテーマとかサブジェクト、トピックスについてみんなに教える準備があるというか、
まとまった仕事をした人たち、あるいは研究を続けているような人が大学にはいるから、
大学の先生たちってみんな教育については素人なんですよ。
自分がされたことしか知らないっていうか。
私はそれで結構困ってしまって、
人に関わるのにどうしたらいいのかなみたいな、ちょっと途方にくれた時があったんですよね。
その頃に、
みんなが集まっている学生さんたちが、
私になりたいと思っているんだったら、教えることはできなくもないけれども、
クラスにいろんな子がいるわけですよ。
当たり前ですけど、
全然自分と趣味合わないな、この子っていう子もいる。
いい奴だけど、趣味が違うなっていう子は当然のようにたくさんいるので、
しかも彼らにしてみれば、大学を選んできたのはそうだけど、
専攻を選んできたのもそうだけど、
この先生っていう非常勤講師の一人を目指してきてるわけじゃ絶対ないわけですよ。
だから私になりましょうっていう授業は成立しないので、
皆さんがなりたいものは何ですかっていうことですよね。
それぞれがなるところのものになっていくことを可能にするっていう関わり方をしなくちゃいけないので、
09:02
これは自分がどんなに自分で考えてきた自分なりのやり方とか、
自分なりのデザインについての考え方とかがあってもダメだと思って、
関わり方のことを学ばなくちゃいけないんだなと思ったんだけれども、
いわゆる教育理論、学習理論とか、教育心理学とか、
そういうことを学んでもあんまり役に立ちそうにないなってことを感じ、
何をしたかっていうと、その頃、
その頃って何年前だろう、30年くらい前か、
30年ちょっと前、30年くらい前に、
ちょうどファシリテーションっていう言葉とかが、
そういう時期なんですか。
そういう時期になってて、
じゃあこのワークショップっていう世界に何かヒントがあるんじゃないかと思って、
いろんなワークショップに自分が試しに参加してみるっていうのを始めたのが、
30代前中半くらいですかね。
そこでは結構いろんな出会いがあって、
その後自分はワークショップに関する、あるいはファシリテーションに関する本を書くことにもなったし、
それで学んだことを学校の授業に持ち帰って、
試して、手応えがあったものが積み重なっていって、
自分のワークショップをやるようにもなり、
今はデザインとかデザインプランディングの仕事と同時に、
ファシリテーションとかそういうことの仕事もしてますね。
ワークショップを自分で企画して、
4泊5日だとか、長いのだと7泊8日とか、
ちょっと長いですよね。
そういうのをやってるっていうのが一つの分岐ですよね。
もう一つが、おめでたい長くて。
会社員時代にやっていた研究の一つが、
オフィスに関する研究だったんですよ。
オフィス?
ゼネコンの設計部とかプランディングでも、
住宅の仕事ってそんなにたくさんはない。
都市開発とか、ビル。
ビルだとオフィスビルとか多くて、
ちょうど私がいる頃に、
ちょうどインターネットの黎明期で、
ニフティがパソコン通信を送ってくれて、
そういう時期だった。
そう、みんなが掲示板に書いてるみたいな。
12:03
ちょっと記憶ある。
ちょっと記憶ある。
まだみんながメールアドレスを持ってはいない、
持ち始めた人がいるくらいの時期でした。
慶応大学のSFCの村井上先生が、
SFCになって、
全国の大学館をインターネットでつなぎ始めた頃でしたね。
その前夜くらいかな。
来るべきインターネットであるとか、
あるいは少し前のインターネットに接続してない状態での、
インターネットの中でのグループウェアみたいなものが、
オフィスっていう空間をどういうふうに変えていくかっていう研究を、
研究というか、リサーチですよね。
会社の中の情報システム部門の誰かとか、
経営部門の誰かとか、
5、6人で集まって、
いろいろ話し合ったり学び合う時期が、
会社員時代の最後の方にあったんですよ。
それでやっていったら、
結局、
働くってなんだってことを深く考えるようになり、
会社を辞めるかってことになっていくんですけど。
その流れが、
30代の中盤に、
あるデザイン師に、
いろんなデザイナーさん達の働き方を聞きに行く、
連載記事を書くっていうものが繋がっていくんですよね。
もう今お亡くなりになっている八木田本さんっていう、
日本を代表したプロダクトデザイナーさんだとか、
八木田本さんはグラフィックデザイナーだ。
東急ハンズのロゴマーク作った人です。
変わっちゃいましたけど、手のマーク。
あれを作って、あれが一番最後の。
渋谷でよく見てましたね。
今変わりましたよね。
あの人は八木さんで、
それから八木総理さんっていう、
それがプロダクトデザインの人ですね。
もうお亡くなりになってますけど。
例えば、まだご存命の方で言うと、
ポリンキー佐藤正彦さん。
とか、パタゴニアってアートドラグイヤーの会社ありますよね。
そういうところを訪ねていって、
どんなやり方で働いているのかっていうことを、
15:00
いろいろ聞かせてもらうっていう連載を、
デザイン雑誌の中にカラーで4ページくらいもあって、
重ねてたんですよ。
それが31歳から34歳の頃から。
それが働き方研究っていう領域で、
38の時に最初の本の、
さっき名前言っていただいた、
自分の仕事を作るっていう本になるんですけど、
それが働き方に関する分岐ですね。
なるほど。
今、2歳なんですけど、
それなりの年齢になっているので、
いろいろあって、次話が長くなっちゃう。
いやいや、今伺っている中でも、
聞きたいことすごいたくさんポイントを取ったんですけど、
まず、最初そういうデザインから入られてるなって、
この前も話したときに全然認識していなかったので、
なるほどって思いました。
戦争流部の話を伺った時に、
すごく僕の中で聞き覚えがあって、
なんだっけって思ったら、
竹村真一さんとかも一緒でした。
そうですそうです。
やっぱりそうですよね。
僕は竹村さんをお会いしたことはないんですけど、
竹村さんの本がめちゃめちゃ好きで、
竹村さんの本の中でも一番、
コゾミックツリーっていう宇宙宇宙術ですけど、
についてというか、そういう本があって、
それは本当に何年前かな、
結構前ですけど、
どっかちょっと自分一人で自分のことを考えるというか、
振り返るみたいな旅をする時に毎回持って行ってる本の一つなんですけど。
すごいすごい。
それで竹村さんの本を読んでたから、
センソリーが記憶にあるなって今すごい思って、
今感動してました。
竹村さんと会社員時代を終えて、
会社員時代に竹村さんとお会いしてるんですよ。
そういう時ってことですよね。
もう辞めようかなと思ってるんですって相談を、
ある時にしたんですよね。
竹村さんと大分で話すっていう機会があって、
その時にちょっとついてきますって言って、
聞きに行って、それと同じ部屋に泊まることになって、
その時に竹村さんに、
ちょっと自分もう辞めようかなと思ってるんだけどって話を相談したら、
あるプロジェクトのプランニングの話が来てるから、
18:01
雇うことはできないけど、
そこに曲がりして一緒にやるみたいなことを言ってくれて、
ほんと恩師筋なんですよね。
そうなんだ。
そっか。
逆にそこに行ってなかったらないんだ。
ないです。
逆にそれがなかったら、デザインの仕事をもっとしていく、
高校人でやっていくみたいなのがなかったかもしれないっていうのもあり得るんですかね?
そうですね。全然違うと思います。
ご自身がどうかわかんないですけど、
20代後半から30代ぐらいの頃に、
多くの場合ね、
一つ本人にとってエポックな仕事が形になって、
それがその後、
本人に下駄を履かせていくところがあると思うんですよね。
本人に下駄を履かせていくんですね。
本人が本人で下駄を履くんだけど。
ある種、方向づけるというか、力づけもしてくれるというか、
それが私の場合は、
竹村さんと出会って、竹村さんと一緒にやることになったセンソリウムですね。
そうなんですか。
そっか。そこでそう繋がってるんだ。なるほどな。
それを受けただけで、僕は今日すごく嬉しい気持ちいっぱいになりましたね。
じゃあもうおしまいで大丈夫?
ぜひぜひ続きましょう。
そっか。なるほどな。
面白い。ちなみに、
それこそ、さっき何でしょう。
もともと美大でっていう話をしてくださったじゃないですか。最初の時に。
もともとそういうデザインというか、美大に行くみたいな、
そういう意識みたいなものが、
西村さんの、もともと10代なのか10代でもっと前なのかわからないですけど、
どういうタイミングでそういう風な方向性に行くきっかけというか、
種みたいなものがあったんですか。
私は新学校の落ちこぼれで、
東大だとかそういうところを目指す人も結構いるような、
東京の私立の学校の小中高エスカレーターであがった、
小中高なんだ。
のんびりした子だったんですよ。
それで中学・高校の頃からみんなが勉強にフォーカスしていくけれども、
新学校で落ちこぼれると本当になんかわかんないですよね、授業が。
そうなんですね。
みんな何やってんだろうって感じになっちゃうんですよ。
私はそれがもう中学校の頃からだんだん始まっていって、
高校生の頃は学校に行ってもあんまり場所がないから、
21:06
外の世界に割と行ってたんですよね。
そうなんですか。
その頃の雑誌だとピアとかがあるんですけど、情報紙。
あれって最初の方に労働省のページがあって、
その後に自主映画ってページがあるんですよ。
自主映画。
16ミリとか8ミリとか、
どっかの大学の映画研究サークルが撮ったとか、
それとか16ミリで戦艦ポチョムキンの上映会をしますとか、
そういうのが集まっているページが2開きぐらいあるんですけど、
そこを見てたら気になった、
映画が好きかよりでもないんですけど気になった上映会があって、
行ってみて出会った人たちが面白くて、
高校2年生ぐらいの時かな。
そこで結構いろんな人に出会ったんですよ。
出会ったのが映画を作っている人たちと、
編集者と、
漫画家。
漫画家さんにそういう時に出会っているんですね。
そうなんですよ。これね、自慢話みたいになっちゃう。
大友克博さんとか、
江口久志さんとか、
そういう方々と吉祥寺でよく、
皆さんは飲んでらっしゃって、私はグレープフルーツジュースなんですけど。
すごいですね、そうなんだ。
そうなんですよ。
大友さんに至っては、大友さんと、
大友さんその頃ね、どうぞ。
アキラの方ですよね?
アキラの人です。ちょうどアキラを描き始める直前で。
そうなんだ。
ドームっていう彼の名作漫画があるんです。
それがまだ未版で、
それで今度アキラっていうか、
長編をヤングマガジンで描き始めるけれども、
その前に一本映画撮りたい。
彼が思っていて。
自主映画だね。
16mmで、
ある映画を撮ったんですよ、彼が。
その頃出会ってて、
吉祥寺の銘画座とかに、
宮崎駿三本盾とか夜、
オールナイトに見に行くと、
大友さんが大西村君みたいな感じだった。
すごいな。
それで今度16mm撮るんだけど、
出ないみたいな感じになって、
出るんだ。
24:00
そうそう。
出たりさせていただいたりとか、
大学に私がその後、老人時代ですね。
大学に一郎で入って、
大学の帰り道に吉祥寺おじがあったから、
彼の事務所とかもあったんで、
よく帰りに寄ってたんですよ。
ちょうどその頃が秋田描き始めの頃ですね。
そうなんだ。
大友さん、上手いっすね、みたいな。
上手いんだよ、俺は。みたいな。
それは上手いですよね。
本当上手い。本当上手いんですよ。
そういうね。
大学でデッサンとかやってるじゃないですか、私。
はいはいはい、そうですよね。
手前に来るものと奥にあるものの描き分けはどうしてるんですか?みたいな話をして。
すごい、それを大友さんに聞いてるんです、凄まじい。
手前にある、手前にあると思って描くんだよ、みたいな。
それが、だから二十歳の頃。
そうなんですか。そっか。
その辺で、何か自分なりに物を作ってる人たちに結構合ってるんですよね。
高校生の。
で、かつ勉強はできないので、
高3の夏休みぐらいにどうしたらいいのかって逃亡に来れ、
じゃあ美大にしようって思いついて、そっちに向かったっていう。
へー。
そういう流れだったんですか?
そうです。
でも、そう思うとあれですよね、さっきほら柳総理さんの話とか、
本の直前にそういうインタビューがあってみたいな話されてましたけど、
そういう色んな方にお会いをして、それこそお会いをしてと言っても、
本当にその世界で第一線みたいな方のお話とかを伺っている中で、
西村さんの中で何かが生成されるのか切り替えるか分からないですけど、
何かそういう新しい道に行くみたいな流れとかは、
別に直近だけの話じゃなくて、
本当に幼少期からそういうのがあったんですね。
だと思います。
へー。
いやー、ちょっとなんかあきらが描き始めの時の絵とかすごいな、見てみたいな。
いや、本当すごいですよ。だって真っ白な紙から始まるんですよね。
真っ白な紙からああいう世界がその中に現れてくるっていうのは、
旗で見てるとちょっとすごいですよ。
でもそう、当時は上手いですね、ぐらいな感じで言うんですよ。
ですよね、ですよね。
でもやっぱりやっていかないとその凄さも分からないですよね。
そうそうそうそう。
はー、いやー、なるほどなー。
でもそういうね、ちなみにそういう本が書かれる直前のインタビューもそうですけど、
27:03
そういうふうにいろんな方に出会うことによって、
すごい三島さんの中で人生が切り替わるみたいなタイミングって他にあるんですか?
いっぱいあるんですよ、いっぱいあるんですよ。
あー、いっぱいあるんだ。
ちなみに直近だとどういうのがあったんですか?
直近?
一番最近?
いや、一番最近の絵っていう出会いは、まだその影響が具体的に見えてないから、
分かんない出会いがいっぱいあると思うんですけど、
少し前だとタセミチオさんっていうランドスケープデザイナーさんに出会って、
タセミチオさん?
タセミチオさんってね、福岡にアクロス福岡っていう建物が階段状の雛壇に片面南側がなっていて、大きなビルなんですけどね。
そこが、あのー、
あー、見たことあるな、これ。はいはいはい。
あれを設計した人ですね。
で、その人と出会って、で、その人の語りを軸にした本を一冊書いているんですよ、私。
今書いてるんですか?
いやいや、人の居場所を作るっていう本。
あー、そっかそっか、その本か。
15、6年前、15年くらいのかな、出てるんですけど、
で、その人の影響が最近だと結構まとまった形で大きかったですね。
へー、でもそれはじゃあ、書いた15年前くらいに会って話してはしてるけれども、その影響が今最近出てきてるって感じなんですか?
うーん、その人、自己語からだんだん出てきて、
で、私、神山町っていう徳島の山の町に、2015年くらいかな、に一回引っ越して、
あ、住まれてたんですか?そうなんですか?
7年ちょっとぐらい住んでたんですよ。
あ、そうなんですね。そっか、神山公船とかがね、今ありますよね。
そうですね。公船のできる前の年までですね。
へー。
これなんかね、いろんな人が誤解してるんで、ちょっと聞かれてもいないのがあれなんですけど、
なんかね、私のそのタイミングが本当に公船と回転ドアみたいな感じになったので、
あの、公船が嫌で出たんですよね、とか言われることがある。
そうなんだ。
あの、私たちが借りていた家の横にできたので、
あ、すごい、そんな場所があんだ。そうなんじゃ。
そうですから、そういうこと言う人がいるんですよ。
それ全然ない。うちの母親の年齢が上がっていったことが。
そっかそっか、全然違うんですね。
タイミングはそうだったと思いますね。
30:02
でも神山にいるときに、町のプロジェクトに関わることになって、
その中でタセさんから本を通じて学んでいたことを結構形にしていくことになったし、
あとタセさんとも一緒に一つ、
全部で20個ぐらいの集合住宅を開発するプロジェクトを一緒にやらせてもらったりとか。
へー、そうなんですか。そうなんだ。
でもね、先月なくなっちゃったんですよ。
あ、そうなんですね。そうなんだ。
へー、そっか、もうそういうタイミングだったんですね。なるほど。
でもそれが最近、博かせてもらった下駄としてはとても高い下駄でした。
そっかそっか、下駄なんですね、やっぱりそこは。
いや、下駄なんですよ。下駄についてちょっと一つあって。
そうですよ。伺ってみたいな。
いいですか?
はい、ぜひ。
就職氷河期世代ですか?
僕今35なんですけど、いわゆる氷河期と言われた時代では終わっている感じはしますね。
もう終わってますよね。
就職氷河期の頃に、やっぱり就職できず、かつあんまり出会いがなかったのかな。
私の話じゃないですよ。
東京とか都市部にいてもあれだからみたいな感じで、いわゆる地方に展開していった人たちって何人かいる?
結構な数いると思うんですよ。
でもその人たちもそれなりの年齢になっていて、地域に行くと中堅どころみたいな。
そういう人たちのミーティングに一回参加したことがあって、それはすごい辛かったんですよね。
辛かったんですか?
ほんと何も下駄履いてない感じなんですよ。
地べたに素足で立っているような感じで。
それが何かいい意味っていうよりは、誰からも育ててもらっていませんみたいな感じ。
なるほど。誰からも育ててもらってないか。
そういう質問だったかな。
年齢が上がってくると、昔は自分の先生、つまり先を生きている人っていうのは年上が中心だったけれども、
年齢が上がるにつれて特に50歳以降かな、私40代後半くらいからかな、年下の先生が出てくるんですよ。
33:02
そうですよね。
で、増えていくわけですよ。
それはとても楽しいことなんだけれども、
若い自分に、自分が先生って思える人、私の場合竹村真一さんとかもそうだけど、
やっぱりそういう人に出会うことで、
なんていうのかな、歩幅前進だったものがちょっと位相が変わるっていうか。
なるほど。
ちょっと投資が良くなって、自分のいる場所が分かって、
新しい言葉が使えるようになっていくというか、
世界が階段状に上がっていくことが可能になるっていうんですかね。
そういう出会いを持てずにくることが、
就職小学期みたいな社会現象を通じても、こうあったんだなって感じた時だったんですよね。
そっか。
なるほど、じゃあ別にその時に就職がしづらかったよって話だけじゃなく、
それ以降の人生全てにおいてすごい影響してるっていうことなんだ。
彼らは何にも悪くないし、一生懸命生きてると思うんですよ。
でも理由がないっていうか。
そっか。
ある意味、自分の足で直接地面に立ってるみたいなのって、
ある意味、地に足がついている的な言い方もできるのかもしれないなって、
さっき上がった瞬間は思ったんですけど、
確かにそうですね。
誰かに育ててもらっているかいなかって、
本当にめちゃめちゃ人生に対して影響するし、
それって本当に死ぬまでずっと何かしらその人に、
良くも悪くも残り続けるとか分かることなんだろうなみたいなことを
今、伺いながらすごい思いましたね。
それが下駄を吐くか。
本を読むみたいなことでも下駄を吐けると思うけれども。
確かにそうですね。
でもやっぱり人っていうのはすごく強力なメディアなんで。
確かに確かに。
確かに人と直接関わらずと本を読んだりとか、
情報を手に入れるだけでそれをやりきれちゃう人もきっといますよね。
いるかもしれない。
いるかもしれないけど、それが会う人はいるかもしれないけど、
そんな多くないかもしれないし。
なるほど、誰からか育ってもらった経験か。
ありますよ。
やっぱりある気がしますね。
やっぱりそれこそ僕の前職の創業者とかは、
僕が会社を始めて3年くらいして会社からリタイアしたんですけど、
36:04
その創業者は僕が18歳の時に出会ってて、
彼がその時35歳くらい、今の僕くらいかな。
彼が初めて大人で友達になった人みたいな感じだったんですよね。
彼が初めてした社団法人みたいなのに、
一緒に大学生の時に関わらせてもらって、
すごいいろんな経験させてもらったし、
その時に初めてそういう対話みたいなものだったり、
ワークショップみたいなものをその人からすごく教わったりとか、
したりとかしてて、
やっぱりその人のところでまたその後働くみたいなことになって、
途中で彼はいなくなったけど、
やっぱり彼がいたから今自分あるよねみたいな一部ある気がするし、
直近で言うとあれかな、
それこそさっき話に挙げた篠田さんとかはそうな気がしますね。
やっぱり僕がいた会社が、
今後どうしようみたいなことを思いながらもベンチャーとして、
若干無理しながら頑張ってるみたいな時に、
彼女が一緒に参画を2020年くらいかな、
ちょっとコロナになるくらいだったんですけど、
参画してくれて、
彼女しか持ち得ないような視点というか、
視座みたいなものとかをすごい教えてもらったし、
それを日々いつも見せてもらって、
その場で一緒に考えさせてもらったりとかしてたのは、
やっぱりすごい今影響を受けてるなって思うところもやっぱりある気がするから、
そういう人が確かに人生振り返ると何人かいるよなーみたいなことを、
さっきのお話、下駄話を聞きながら思いましたね。
いや、まあそうですよね。
マラソンとかで言うと、
その人と一緒に走るような時期があると、
その人のペースについていかないといけないし、
確かに確かに。
それからのマラソンとかではなくて、
窓の比喩とかでも言えると思うんですよね。
その窓からいろんなものが入ってくるみたいな。
その窓からこんなものが見えるみたいな。
なるほど。
それは本当に大きいですね。
人はとても大きいな。
確かに。
いやー、それ僕結構最近悩んでるかもしれないって思いました。
ちょっと軽くだけシェアすると、
全く経験値ない図書館業界および行政みたいな領域に来て、
ある意味図書館って行政組織ではありますけど、
ちょっとなんか出島みたいな感じなところでもあるから、
もちろん教育委員会の配下にはあるんだけど、
ちょっと独立した組織っぽい部分がある。
そこのトップというかマネジメントする立ち位置の中で、
育ててくれると言ったら若干違うかもしれないけど、
教わりに行ける人というか、
そういう存在すごいいてほしいなみたいなと、
結構館長になったときすごい思ってて、
39:02
ゆえになんかそれですごい、
町で言うと例えば町長とかは、
そういう存在な気は個人的に勝手にしてるんですけど、
町長とか教育長とかに採用してもらったから、
その2人とかはすごく僕にとってはそういう存在な気もする。
教えてくださってるみたいな感じはすごいするし、
あとやっぱり図書館業界だと本当に自分で、
そういう先輩というか人に会いに行かないと何もないなって思ったので、
比較的全国いろんな図書館の館長に会いに行きながら、
その方々から教わりながらやり始めてるみたいなところが今あって、
今ちょっと若干落ち着いてきたけど、
やっぱなんか一番成り立てのときは、
そういう人いないと僕もうさじっちゃいそうだなっていうことを
すごい思ってたのを今すごく聞きながら思い出しましたね。
そうですか。
あれちょっとすごいピンで具体的な名前になっちゃいますけど、
長野県の稲の平賀さんにお会いになってますか?
平賀さんって前の県立図書館の館長さんです。
まだお会いしなくていつかお会いしたいなとか思ってました。
なんか相性が良さそうな気がします。
本当ですか。
平賀さんは今稲にいらっしゃるんですか?
もともと稲図書館の館長から始めた人です。
そっかそっか、その後県立に行ってるんだ。
そっかそっか。
なるほど。
お住まいは稲です。
そっちなんですね。
確かに会いに行ってみたいな。
でも西村さんは繋がってるんですね、平賀さんは。
そうですね。
稲賀さん自身というより平賀さんの奥さんの方が親しいですけど、
平賀さんも存在人です。
奥さんとも何かそういう繋がりがあるんですね。
へえ。
そっか。
彼らはもともとBMWとかゴルフとかを輸入している日本のディーラーで働いてたんです。
そういう方なんだ。
そういう方なんだ。
北米かなんかで働いてた人なんですけど、
日本に帰ってきてどうしようかっていう時に新種稲を選んでいった人たちです。
そこから図書館に行くのめっちゃ面白いですね。
そうですよ。
へえ。
すごいなんかめちゃめちゃより会いたくなったな。
ありがとうございます。
今度どうにかして、
今の県立図書館の館長さんとかとおしゃべりしたら繋いでくれそうな気もするな。
私繋げますよ。
ぜひぜひ。また相談させてください。
ありがとうございます。
42:03

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