00:08
最近、僕、あれなんですよ。連載してるんです。
タツミ出版っていう出版社があって、で、そのタツミ出版さんが、これからっていうウェブ雑誌みたいなのを持ってて、連載させていただいてるんですよ。
うん。
ふだんぎとしての明朝っていう連載タイトルで、古今東西のいろいろな明朝あるんですけど、その明朝の話を思い出しながら、僕が日常で起きた、僕の日常に起きた、なんていうかどうでもいい話をするっていう感じの連載なんですよね。
第1回目は、ポッドキャストのどうせ死ぬ3人でも話した、僕が大学生の時に好きだった女の子に花束を渡したら、花は潜在的なゴミだって言われたっていう話と、
あとフランスの人類学者のマルセルモースっていう人がいるんですけど、その人が書いた雑魚論っていうのを、その花を送るっていうのが雑魚論を通してどういうふうに身づけが可能なのかっていう話をしたりとか、第2回は僕キューバに長く住んでたことがあるんですけど、
キューバで来た観光客とのエピソードとか、キューバの歴史っていうのを通して、エドワードサイドっていうアラブ系のパレスチナ人でアメリカに住んでいる研究者が書いたオリエンタリズムっていう本があって、これは西洋っていうのが東洋っていうのを常にずっと下に見てますよねみたいなことを歴史的に明らかにした明朝なんですけど、
オリエンタリズムっていうのを通して、僕たちがカリブとか、日常の些細な差別っていうのをどういうふうにするのかっていう、僕たちが音楽を鑑賞したりとか何かを喋ったりとかするときに、ほんのちょっとした些細な差別みたいなものっていうのがどういう結果を引き起こすかみたいなことっていう話をしたわけですよ。
基本的に僕の文章わかりにくいっていうフィードバックがめっちゃあるんで、僕の文章を実はミスメイラのお二人にも読んでもらうようにし始めたんですよね。
なので、僕のこのわかりにくい文章を通してお二人がどういうことを考えたのかみたいなのを、今日はちょっと収録してみようかなっていう。
ふだんぎとしての名著解体新書みたいなね。
新書版ですか、こっちは。
ターヘルアナトミアです。
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え、何それ。
解体新書のことをオランダ語でターヘルアナトミアって。
あ、そうなんだ。
解体新書ってオランダの医学省日本に初めて翻訳した日本語で書かれた西洋医学省、初めての西洋医学省なんですけど、これターヘルアナトミアって言うんですよね。
それ日本語で解体新書って言われてるんですけど。
僕の連載の内側みたいなものを解体していこうっていう。
そういう回。
え、これだから好きかって言っていいんですか。
僕、言われるの好きかって僕。
そういう趣向なんで、大丈夫です。言ってください好きかって。
前に話したとき。
前に話したとき。
なんか事前に見せてもらったときに。
事前に見せてもらったときにね。
第3回の原稿をお二人に見てもらったんですよね。
第3回はマッチングアプリとジョゼフ・ラズっていうイスラエルの哲学者が書いた道徳哲学とか心理哲学とかやってらっしゃる。
その哲学者が書いた価値があるとはどういうことかっていう本買って。
そのマッチングアプリと価値があるとはどういうことかっていう話をしたんですよね。
どうでしたチロさんは最初読んで。
いや全然、私は分かりにくくはなかったですけど、普通に面白かったですね。
ありがとうございます。
お二人はあれなんですよね、バージョン5が多分連載にアップロードされると思うんですけど、バージョン1からバージョン5まで読んでるんですよね。
そのマッチングアプリの話を通して、その価値とは何かみたいなところに繋がっていくのが面白かったから良かったな。
ちょっとその第5回の原稿の内容を簡単に言いましょうか。
第5回の原稿の内容はマッチングアプリあるよねと。
マッチングアプリって男性と女性、男性と女性じゃないやつもいっぱいあるけど、男性と男性みたいなのもあるし、いろんなパターンのアプリがあるけど、基本的にはデータ相手を探すためのアプリで、
そのデータ相手を探すときに、アプリ上でマッチングするっていうのはまあまあ起きるんだけど、そこから会うところまで持っていくのがめっちゃ難しいっていうことなんですよね。
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で、それがなぜかっていうとマッチングした後にコミュニケーションを取らないといけないんだけど、そのコミュニケーションで会うに値する人間かどうかっていうのを判断されてしまうっていうことで、
判断されるときに相手に価値を出さないと会ってもらえないよねと。で、その相手に価値を出すっていうのはどういうことかっていうと、ビジネスで言われる価値を出すと同じことで、
その相手の認知みたいなのをハックして認識を揺さぶることによって、その感情を動かして自分を選択させるっていうことをしないといけないんだっていう話なんだけれども、
じゃあその価値を出すの価値ってそもそもどういうことだろうって。で、ラズはどういうふうな議論をしているんだろうっていうときに、
ジュゼフ・ラズは価値っていうのは愛着から生じますよねと。で、愛着っていうのはその対象、愛着を持つ対象っていうのと自分との固有の経験の中から生まれますよねと。
その2社間の歴史の中から生まれますよねと。で、それが星野王子様の話と一緒なんですよね。で、星野王子様は自分の星にバラがあって、そのバラを愛しているんだけれども、
地球に来るとバラ畑があって、バラが一輪じゃないってことに気が付くんですよね。で、そのバラが一輪ではないから、自分はバラが唯一のものだから愛していたんだけれども、
そのバラが唯一のものではないということを発見して、すごくびっくりしてがっかりするんですよね。
だけれども、そのバラ畑でキツネと出会うんだけれども、そのキツネと対話する中で、自分が愛しているバラっていうのは自分の星のバラだけなんだってことに気が付くわけですよね。
バラがいっぱいあるっていうことは大事なんじゃなくて、自分のバラがあるっていうことが大事なんだってことに気が付くんだと。
価値があるっていうのはこういうことだよねっていうのをジョゼフ・ラーズは言うわけですよね。
だけれども、ただ価値があるっていう話をすると、僕たちは一般的に価値っていうと固有のもののように思うんだけれども、実際には僕たちは社会的生活の中で価値あるものっていうのを交換したりするわけで、
価値あるものみたいなのを交換可能なのは、僕たちがお互いにその価値っていうものが普遍的なものとして共通理解されているからなんだっていう話をするわけですよね。
あなたも価値を理解しているし、私も価値を理解しているから、そこでようやく価値というものは交換可能になるんだと。
で、その他には何に価値があるのかをめぐって、僕たちって戦うよねと。
この民族には価値があり、この民族には価値がないみたいなことをすることで、差別したり虐殺したりすることあるよねと。戦争したりすることあるよねと。
じゃあこの価値の普遍性みたいなものを考えると、どういうふうに価値っていうのは構成されていくのかっていうことを考えられるよねっていうのはラーズの意見で。
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で、ここまでの話だと価値っていうのは固有の執着っていうか固有の愛着でしか生じないので、普遍性がないんだけれども。
じゃあなぜ普遍的なのかって考えていくわけですよね。
で、ラーズが言うのはその愛着を生むための歴史みたいなものは説明可能なので、説明可能っていうのはお互いに理解可能だよねと。
そうするとお互いに理解が可能っていうことはある程度の普遍性を持ってるってことだよねっていう議論展開をして。
で、最終的に価値っていうものを見出す主体である人間存在っていうのには普遍的に価値があるよねと。
人間の存在っていうのは価値あるものですよね。なぜなら価値を見出すからっていう。
そうすると僕たちっていうのはお互いの価値っていうのを尊重することでしか価値の意味みたいなのを見出せないのだから、我々っていうのは基本的にお互いの価値っていうのを尊重し得る存在なんですよねっていう話をラーズはするわけで。
じゃあこの話とマッチングアプリの話がどう繋がるのかっていうとあんまり繋がらないんだけれども。
僕が考えたのは価値を出すとか言ってその相手の認知を把握して自分を選ばせるということをするのではなく、もしかしたらデートするところまでたどり着けないかもしれないけれども、相手を人間存在として尊重するっていうことが大事なんじゃないかっていう話をしたわけですよね。
これが僕の原稿の簡単なまとめ。
でもちゃんと繋がってましたよ。価値の話とマッチングアプリの話が。
繋がってましたか。
そこが繋がっていくのがすごい面白かった。あ、そういうことかって。でも最初はあれですよね、ビジネスの話もしてましたよね。
そうそう。最初はマッチングアプリにおける価値を出すっていうのが読者に伝わらないんじゃないかなと思って、価値を出すっていう言葉がどこからやってきてるのかっていうことを整理するためにビジネスの話を入れてたんですよね、僕。
そもそも価値を出すっていう言い方、ビジネス以外ではあんまり聞かないじゃないですか。
そうですね。
価値ってあるのかないのかだから、出すっていうことだよっていう話。
だからそのビジネスパーソン、ビジネスの文脈ですか、価値を出すっていうのはあんまり聞かないんだけれども、ビジネスの文脈でそのビジネスパーソンが価値を出すっていうのはどういうふうに考えているかっていう話を初めにね、2000字ぐらいかけてやってたわけですよね。
なんかそれが、私はですけど浮いて見えたっていうか、最初ビジネスの話をするのかと思って読んじゃったから、途中であ、違うんだって気づいたんですけど、後ろの方でビジネスの話どこ行ったっけみたいに思っちゃって、
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なんかそこがちょっとビジネスの例え話だけが浮いてるかなっていうふうに私は思ったんですけど、でもまあ、だとしても言ってることみたいなのは伝わってきたから、面白かったなって思いました。
よかったです。
一向ではマッチングアプリの話をした後、ビジネスの話をして、マッチングアプリの話をして、ラズの話みたいなのをしてたんだけど、それじゃ分かりにくいってフィードバックが来たんで、ビジネスの話をして、マッチングアプリの話をして、ラズの話をするっていう。
価値を出すっていう言葉ありますよねって、マッチングアプリでも一緒ですよねって。価値があるとはどういうことかっていう話にしてたんだけど、最終的にはそのビジネスの話を全部バーって取ってしまって、マッチングアプリありますよね、で価値の話っていうのをもうそのまんまやるっていうのをしましたよね。
そうですね、なんかマッチングアプリがふだんぎの部分ですよね、でラズの話がめいちょですよね。
だからふだんぎとめいちょが一見関係ないことのように感じれば感じるほど、その二つがつながっていくのが面白いから、先生すごいですって思いました。
すいません、なんかあのー、ちょうちん配信みたいになるねこれね。
でもすごい難しいんだなと思いました。あの一番最初の連載の一番最初の話、恋愛と雑魚論の話もすごい面白くて、わぁすごいって思ったんですけど、こうやって何度もやり取りして出来上がっていくんですね。当たり前ですけど。
でも初行はこんなにあんまりやり取りしなかったかな。
あの話はこれで行こうっていう感じで連載開始したから、もう始め決まってたんで、今回の話はマッチングアプリの話しましょうみたいな、飲み会でマッチングアプリの話僕したんで、
そしたらそれ面白いからそういうの書いてくださいよって言われたから、じゃあマッチングアプリの話しなきゃって思ったんだけど、だからもっとマッチングアプリの話にフォーカスすればよかったよね。
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でもそのマッチングアプリの話と、どの名調合わせようかみたいなのが自分の中であんまり定まらなくて、とりあえずラズにしようかと思って、ラズ取り上げたら、混ざるかなっていう感じになっちゃったから。
混ざって見えますけどね、どうなんだろう。
よかった。混ざってればよかった。
山山さんは?
マッチングアプリの話がちょっとだけ引用されてる21世紀の恋愛の話で、そこだけでもちょっと見てみたかったなって思います。
価値は価値の話で、もうちょいビジネスの話。でもそうなるとさっき言ってた、千尋さんが言ってた日常と本の距離感が近いから、もしかしたらあんまおもろくなんないかもしれないですね。
分けてやったらわかりやすいんじゃないかなと思ったんですけど。
普段着としての名著っていうタイトルとはちょっと離れたものになるかもしれないですよね。内容が面白かったとしても。
何の普段着とどの名著を合わせるのか結構やっぱ難しいんですね。
確かにね、むずい。そこがむずい。
今回は題材がマッチングアプリであったじゃないですか。そこが決まって本を選んだって感じですか?
そうですね。マッチングアプリの方を先に書こうと思って、で本を決めました。
結びつけていく過程で難しかったのどこですか?
結びつけていく過程で一番難しかったのは、この話本当にくっつくかなってところですね。
つまり?
つまり、一番美しかったのは、価値を出せっていう話をした時に、そもそも価値とは何かっていう話をした方が美しかったと思うんですよ。
それは、ある種の資本主義的なアナロジーというか、倍々のアナロジーで書かれているので、市場における交換可能なものとしての価値みたいなものを提示できると、たぶん一番美しかったんだと思うんですよね。
でも、それがうまくできなかったというか、ラーズの言っている価値ってちょっとそういうものじゃないから、もう少し我々の道徳的基盤として、我々がどのようなものに価値を見出すかっていう話をしているから、ラーズは。
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そこがね、難かったよねって思いました。
うーん、そっか。価値とは何かっていうのを、室さんがまず挟んでからラーズの方に行かなきゃいけなかったっていうことですかね。
ではない?
そうね、というか、経済学の名著とかにすればよかったと思う。
本のチョイスが。
本のチョイスが。
そっか。
そうそうそう。
でもね、これがちょっと難しくて、僕がラーズのにしたのは、ラーズが結局そのヒューマニティの話をしているからなんですよね。
これ経済学の話になっちゃうと、普通に露骨に嫌な話になって終わるっていうか。
価値のない人間はマッチングアプリでマッチしないっていう話になっておしまいになると思うんですよね。
でも本当はマッチしてデートしてその先があるというか、その人間同士って言うか、
新しい人と新しい関係を築くというところに面白みがあるんだけれども、
マッチするというところだけにフォーカスしてしまうと、相手に価値を誤認させろっていう話、やっぱりどうしてもなるから。
マルクスの話とかすると、マルクスにおける価値って労働量の投入だから、
自分というものがマーケットにおける価値を出すために労働力を投入しろみたいな、だからマルクスは労働量に応じて、
労働量に応じて、労働量に応じて、労働量の投入をする。
総量の投入だから、自分というものがマーケットにおける価値を出すために労働力を投入しろみたいな、だから整形をしろとか、もっとナンパテク磨きみたいな話にならざるを得ないじゃないですか、そこに労働を投入しろって話になるから
いやな話になるから。
だから、本当にくっつくかよくわかんないけど、ちょっと遠目のところでいきたいなって思って、すらずにしたんですよね。
だとしたらやっぱ、本のチュースはあってたんじゃないですか。
ありがとう。
やっぱ読み終わった時に、ああそうだよなって思えますから。
日常パートと解説パートのバランスみたいなのってどうですかね、なんか結構半々ぐらいなんですかね。
僕はなんかエッセイパートが厚い方がおもろいのかなと思ってて、本の解説パートが長いと、もう普通に解説したらいいやみたいな話になるなと思ってて。
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今回ラズの話とかは、結構その本一冊の内容を頑張って丸めたみたいな感じなんですよね。
でもその、初回のモースの話は、本当にモースが話したことのほんの一部だけ使ってるんですよ。
うーん。
ちょっと、あれがいけなかったなと思って。
え、なんで?
あれがいけなかったなっていうのは、一冊をこの分量で説明するのは無理だってなって。
それで、モースが言ってることのほんの一部だけ書いてるから、造詣論の研究者とかに絶対読まれたくないっていうか。
そこだけ説明してもしょうがないだろうみたいなことしか書いてないから。
それはオリエンタリズムの話もそうなんですよ。オリエンタリズムってめちゃくちゃ長い本で。
オリエンタリズムをちゃんと説明すると、なぜ文化的な表現、音楽とか小説とか映画とかに差別的な表現したらいかんかっていうことがすげーよくわかるんですよ。
そこを通して僕たちは文化を認識するし、世界はそのようなものだと思っちゃうからなんですよね。
そうしてオッケーだと思うっていうか、南の島に住んでいる人たちを猿っていうか類人猿、エイプのように描くっていうのは、そんなわけないことはみんなわかってるんだけど、
そういった創作物を享受すれば享受するほど、南の島に住んでいる人をエイプとして表現することの異常さがわかんなくなっていくんですよ。
で、サイドはずっとその話をしてるんですけど、それを説明するにはサイドが書いたと同じだけの分量がいるわけじゃないですか。
から、サイドは文化的なことにそういうことを使ったらいかんって言っとって、一言言うみたいな感じになるから。
オリエンタリズムをちゃんと勉強してる人たちからすると、そこだけ話したって伝わらんやろみたいな感じになっちゃうわけですよね。
でも、とはいえ、名著の解説パートだけをめっちゃしても、解説の話なんみたいになるから、だったらこのエッセイパートいらんよねみたいな話になるし。
エッセイパートがないとあんまり僕がやる意味がないっていうか、ちゃんと説明、専門家がやればいいじゃんって話になるから。
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専門家が説明したらええやんみたいな話になるんで、実際あるしね、その解説本っていっぱい。解説本で解説してもらえばええやないかみたいな話になるから。
だとしたら、1回目みたいに一部を切り取るっていう形でもいいのかなって思っちゃいますけどね。結局は6千字の中で本を説明しきることは無理なわけじゃないですか。
そうですね。いずれにせよね。
そう。だとしたらなんとか丁寧に全てを詰め込もうとするよりは、私はやっぱりタイトルに合ってることが大事なのかなって思っちゃうから。
そうね。
連載のタイトルに合った形に面白く書いた方がいいのかなって思いますけど、ただそれと本の内容とか言いたいことに誠実であるっていうことの両立が結構難しいですよね。
結構難しいね。そこに頭の使いどころって感じしますね、この連載の。
そうですね。誠実であろうとする姿勢みたいなのがすごい大事なんだろうと思うんですけど。
今回のラズの話は一冊説明しないと、なぜ人間性の尊重が大事なのかのことがわからないから。
人間性大事だって言われてますから、みたいな。価値ってそういうもんですから、みたいなこと言われてもみたいところがあるから一冊説明したんですけど。
だから一部説明みたいなものに全然なりがちですよね。
あとやっぱり一部をスッと引用してくるみたいなところが面白いみたいなのがあるかもしれないですよね。
なるほどね。
この世界には何々というこういうことを考えた本があってねみたいな感じで、その人はこういうふうに言っているみたいなふうに書かれていると、日常で語りかけられてるみたいな感じになって、えーって面白いなと思えるのかな。
確かにそうかもしれない。そうかもね。
ただそうするとそれはその、はい、出来やすさというか面白さみたいなこととか、あと読みやすさになっちゃうんですかね。
解説とエッセイみたいな感じで一つの文の中に二つのものが混ざらないことになるから、引用としてエッセイ上の引用みたいな感じで出てくるから読みやすくなると思うんですけど、
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そういうものを取ると正確さみたいなのは落ちるみたいな感じ。
でも土台正確にはいかんからそっち方面に振っていくみたいなのが大事なのかもね、もしかしたらね。
前提としてエッセイ的なものが強い書き物として書いていくっていう方が面白い。
そうね、なんかエッセイ的なものっていうより、難しい本を読むことによってみんな自分が偉くなれると思うんじゃないですか。
自分が賢くなれると思うじゃないですか。
まあまあ知識が増えるわけですか。
別にって感じに行きたい。
別になんだ。
そうそうそうそう。だからそこの抜け感が初回にもあったよね。
雑魚論みたいなさ、岩波文庫にあってるさ、小難しい本をさ、女の子に振られるみたいなどうでもいい話のときに思い出しているみたいなのがね。
全然賢くもなってないし偉くもなってないみたいなのがいいかなと思って。
そうかも。
道徳哲学の大事な本でマッチングアプリの話をしてるみたいなのがね。
マッチングアプリでどうやってモテたらいいかって考えてるときに、道徳哲学のこと考えてるとかがおもろいかなって。
簡単に書いてるように見えてやっぱりすごい難しいんだなって思いました。
僕にあんまり力量がないですからね。
そうなんですか?
ちゃんとしたライターの人からするとね、別に大したことないかもしれないですけど。
ちょっと僕もこういうことやるの初めての試みなんで、なかなか苦しんでおります。
苦しんで生み出した連載。
なるほどね。
連載書くのに毎月苦しんで苦連載ってことかな。
かわいいから60点ぐらいかな。