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コミュニケーションって、暴力じゃないですか、今。
え?
何?
これ、説明しないとまずいですか?
ちょっと、よく分かんなかった。いきなり岩が飛んできた。
これ、前提が、もしかして、ずれてる感じですか?
はい。もうちょっと、なんで暴力なんですか?
現代でルフしてるというか、基本的に考えられてるコミュニケーションって、支配するか、されるか、支配と非支配の関係性の構築をするためのものじゃないですか。
相手をハックしたり、相手に服従したり、みたいな。
自分が思うじゃなくて、世の中のコミュニケーションは、そういう場合が多いよね、みたいなこと。
基本的にそれじゃないですか。世の中で話され、言われてるコミュニケーションテクニックみたいなの。
言語を使ったケアみたいなのも、コミュニケーションとか呼ばれたりすると思うんですけど、
基本的には、暴力的なものだなっていう支配関係の構築みたいなものだと思ってるんですけど。
この間のシャチコパスで、室さんがゲストで出てた回で、愛とコミュニケーションっていう話。
それっていうのは、双方向的な対話をコミュニケーションって言ってたと思ったんですけど、
その中で前提として、コミュニケーションっていうか、相手を言ってることを100%理解するっていうのはまず不可能だから、
それを理解するために、相手を他者と認知して、互いに向き合って双方向的に近づいていくみたいな、
理解を深めていくみたいな話かと思ってたんですけど。
まずその前提を共有、コミュニケーションの不可能性っていうのをまず前提が分かってないと大変だよね、みたいな話だったんですけど。
それともう一つ、もう一歩手前ぐらいに、自分がやってるコミュニケーションみたいなのをやってる本人が理解してないっていうか、
自分自身は双方向的な対話をしてます、みたいな態度で対話をしてます、みたいな感じで言ってる人でも、
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それは相手を支配しようとしてますよね、みたいな。
そういう支配的なコミュニケーションを取ってますよね、みたいな人がいたりとか、
あとは本当はケアしてほしい、みたいな言語的なケアをしてほしいとか、そういうの望んでるけど、
私は対話的なコミュニケーションがしたいです、みたいな体で乗ってくる人とかもいて、
そこで双方はめっちゃあるよなと思って、
そうなってくると、どっから始めますか、みたいなのとか、コミュニケーション?
自分は相手を他者と見なして、双方向的なコミュニケーションをしているつもりでも、
本当は支配しようとしていたり、もしくはケアを求めていたりしている自分に気づいてなくて、
そうなってしまっている人もいる。
ってなると、つまり愛をもってコミュニケーションをし始めるには、まず自分を見つめなければならないってことかな。
自分が何やってるかっていうのを、自覚的にならないといけないんじゃないかな、みたいな。
同じ行為でも、意図が違ってくる場合とかもあるじゃないですか。
例えば贈り物をするとか、差し入れし合う文化が結構女性同士とかだと割とあったりするんだよね、みたいな話、前チロさんしてくれたじゃないですか。
私結構オタクなんですけど、同人誌即売会とかに行くと、女性がメインのイベントはみんな差し入れを持ってきてるんですよね。
差し入れを交換するっていうことが普通というか、するものなんですけど、男性が多いイベントはそういう文化がないんですよね。
っていう話をした時ですよね。
で、贈り物を贈り合うっていうケア行為で、これが例えば女劣があったりとか、男性から女性に物を贈る場合とかって、相手を支配するための行為だったりするわけじゃないですか。
そういうのもあるから難しいなっていう。
今のケアの話、贈り物の話と最初の双方向的なコミュニケーションをするには前段階がいるっていう話はどう繋がるんですか。
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何をやってるかっていうのを理解してないっていうか、自分自身の行為がどういうものを指してるかっていうのを自分自身がちゃんと把握してないっていうか。
それと一緒じゃないかなっていう。
その辺のなんていうんですかね、全部絶妙にこうなってる感じがするんですけど。
こうなってる感じが絶妙にどのラインにおいても、ケアと支配と対話とこうなってるっていうのは面倒くさいから説明しないんですけど、聞いてる人には。
コミュニケーションの危険性みたいな。
愛とコミュニケーションの話っていうのは結構すごい革新的な論理みたいなの。
確かにそうなんだけど、受け取りってとか、あれを聞いてとか、伝わってないなって人がもし愛だから、コミュニケーションは愛だからみたいになった時に。
対話的なコミュニケーションっていうのはやっぱり双方向的なものだから、すごい危険性があると思うんですけど、それはそれで暴力性があると思うんですけど。
自分自身がどういうものを望んでいるかってなった時に、
例えばケアを望んでいた場合に対話的なコミュニケーションをしちゃった場合において、相手は他者だし、自分自身と相手とっていう感じで向き合うから、一対一なわけじゃないですか。
だからケアみたいな同質性の高い行為みたいなのとは全く別なわけじゃないですか。
それで傷つけたり傷つけられたりみたいなこと確実に起きるから、コミュニケーション、他者と向き合う時は殺し合う覚悟で向き合った方がいいんじゃないですかっていう。
あと、みんなもっと自分の欲望に気づくのが他者と向き合う第一歩なんじゃないかなっていうのは、
でも野良状でセルフケアみたいな話もあったと思うんですけど、やっぱ大変だと思うんですけどね。
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自分の欲望と自分の傷と向き合ってげんなりしてから、他者とコミュニケーションを取るなら、切り合う覚悟で向き合ってくださいって思うんですけど。
そういう暴力性みたいなのを丸くするのが愛なのかなとはちょっと思ったりもしたんですけど。
コミュニケーション、殺される覚悟でしなきゃいけないのか。
相手を殺すかもしれないし。
それがどの一手で相手に刺さったかっていうのは、刺さってからじゃないと分かんなかったりするじゃないですか。
それはそう、本当に。
相手が刺される覚悟だったらまだいいじゃないですか。刺されるなって思ってて向き合ってくれてるなら、刺されたとってギリギリ死にはしないと思うんですけど。
そういうことが起きるっていう想定がなくて、相手を支配するもんだとか、相手にケアされるもんだみたいに思って望まれてたら、大変なことになるじゃないですか。
無限の闘争が無限に起きるなって。
今、ちょっと反省してます。
誰か殺したんですか?
もしかしたら殺しちゃったかもっていうことをいくつか思い出して反省してました。
それはでも、千尋さんは対話を望んでたんですか?
うん。多くの場合は。
相手を他者と認知して、相手の存在を認めた上で相手と向き合ったわけですよね。
うん。
どういうつもりだったんですかね。感触としては、そもそも。
多分ケアの言葉を求めてたんだと思うけど、今私が思い浮かべてる過去の経験は、
私は語気強く言ったりはしないので、ケアするような言い方で本当のことを言っちゃったみたいな感じだったかもしれないです。
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そういうことを言ってたんだ。
たぶんケアを求めてたんだと思うけど 私もあの後期強く言ったりはしないので
ケアするような言い方で 本当のことを言っちゃったみたいな感じだったかもしれ
そもそもお互いの求めていたコミュニケーションに 相応があったって感じなんですね
うーん そうですね
それは起こるべくして起こる事故だから いいんじゃないですか
そうじゃない時に起きる事故の方が 事故だなって感じ
そうじゃない時っていうのは例えばどんな場合ですか
向こうがすごい対話したいって 対話的に双方向的に例えばこう
議題とかその時のトーク定番みたいなのがあったとして 私はこう思うんですよねみたいに言った時に
私はこう思わなくてって素直に言った場合に 相手は同調して欲しかったりとかあるいはその
反対意見みたいなのが
すごい刺さっちゃってみたいな そういう
時にパニックになっちゃいそうなんですよ
受け取った側はその
意味通りのパニックではないと思うんですけど
比喩として 要は本当は
ケアを同調求めてたのに 自分は
議論がしたいんだ双方向的な議論がしたいんだと思い込んでいて それを
他者とした時に 相手はもちろん議論をすると思ってきてるから意見を交換するために自分の意見を言うけど
こっちその人は
自分の求めてたものじゃない 会話が来て
自分のやってることと 自分の欲求があってないことになる
っていうことかな
どっちも結構事故なんじゃないですか
そうでもないですか
でも自分が求めていることに自覚的であれば 求めている人同士で
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マッチするじゃないですか
でも自覚的じゃない人と振るう 自覚的じゃないまま振る舞うと
やっぱ 無限の闘争を予備
起こしますよね
あってないからね 会話を求める相手が
えっとこれ別に 室さんに
対抗したいわけでは決してないんですけど
決してないんですけど あの私ずっと愛って見ることだなーってなんか思ってたんですよね
もう一回言って 見ること 眼差しみたいなことだなって思ってたんですけど
そうするとやっぱ 自分をよく眼差すことから始めないと
他者を見ることもできないというか 他人として
っていうことなのかな
愛するとは眼差すことだっていうことの もうちょっと分解して説明してください
えーーー
だって眼差しには愛する方法ではない眼差しがあるじゃないですか
例えば ある特定の民族を未開陣だと眼差すこととか
劣っている人々だと眼差すことって可能だから そうすると眼差すことそのものが愛なのではなくて
まなざしの持つ何か特定の要素みたいなのを 愛だとしているんだと思うんですけど
それってどの辺の感じなのか あのそこをちゃんと説明し始めると
ウェロさんが言った相手をコミュニケーション可能な他者とみなすことに行き着くので
だいたい一緒って言っちゃったらあれかな
なんか いいよ
すいません
そうだから多分ポイントとしては僕とチロさんに共通した直感っていうのは 世界には私のようであるが全く私ではない存在っていうのがいる
っていうことだと思うんですよね これを多分哲学の言葉で他者って呼んでるんだと思うんですけど
他者と他人っていうのがこの文脈で呼び分けられているのは 他人っていうのを自分と共通する要素のある何ものかと想像している人っていうのが
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いるわけですよね
つまり例えば兄弟は他人なんだけれども 俺たちは血を分けた兄弟なんだから分かり合えるって思ってる人いるわけじゃないですか
でも他者っていうのはそういうもんじゃなくて あなたとは全く異なる存在であるもの
でしかも 基本的には理解不可能なものとしていますよっていう話としてまぁだから哲学用語として
それを切り分けられているんだと思うんですけど
でも僕たちって自分自身の なんていうかなまなざしからしか世界を見える見ることができないので
そのついた者を何か 自分の
に似たものとして想像しているわけですよね 実際にはコミュニケーション不可能であるはずのコミュニケーション不可能であるはずというか実際には
理解不可能であるはずの存在っていうのを まああたかも
自分のようなものとしてだから自分のアナロジーとして理解可能なものとして想像するわけじゃないですか
うんうん でもそうじゃないっていうところがポイントだっていうのが多分チロさんと僕に共通した
洞察だったと思うんですよね そうじゃない自分ではないものがそこにはいるっていう話だと思うんですけど
だからまなざすわけですよね見なきゃいけない その
なんていうかな自分と似たようなものだったら見る必要がないからですわかっているから
けど自分と違うものだからその見なければいけないそうしないと理解することができる という話だと思うんですけどチロさんがおっしゃいたいな
そうすると今度は山下さんがおっしゃったように全く理解不能な他者っていうのは そこにいるわけだから
その人たちとコミュニケーションしようとすると それがうまくいくかうまくいかないかっていうのはほぼ100ギャンブルなんだっていう話になるって
ことだと思うんですよね だから
もしかしたら間違って殺しちゃうかもしれないし 向こうに全く閣議がなくても自分が殺されてしまうかもしれない可能性っていうのに常に開か
れている したがってコミュニケーションというのはそういう風な緊張をはらんだ
一つの行為なんだ っていう話が
山下さんのおっしゃりたいことだと思うんですよね そうなんですか
山下さんうなずくだけじゃないですよ
ポッドキャストなんでね
そうです
僕はその通りだなと思うんだけど でもだからといってコミュニケーションを取らないと
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自分一人しかいない他者のいない世界っていうのに入っていくから 他者のいない世界の中で自分がもう支配されるか支配されないか
もしくは乖離した状態で生きていくしかない 現実っていうものを受け入れずに生きていくしかないっていう状態
になっていくなって僕は思ってて じゃあそのそうならないためにどうするかっていうと
他者を支配したり支配されたりしないようにどうにかするためにやっぱりコミュニケーション するしかなくてそのリスクを経て
可能性に欠けるしかない からまあそれは愛の行為と呼べるのではないかっていうのは僕の主張だって
ことですよね
これなかなか大変ですよその他者のいない世界で生きている人も いるじゃないですか
いるの
言うからだ その支配構造が泣いてあったんじゃないですか
うーん まあ他者の存在を前提として支配している人もいるでしょうけどね
難しいですね コミュニケーション
ムーズいと思う もっとでも
緊張感を持ってほしくないですか やっぱ危険性があるじゃないですか暴力性があるじゃないですか
うーん
だからそういうことを起き得るっていう しかも
その中には 意図的に支配してくる人とかもいるわけ
もし他者のいる世界で生きている人であるならば 緊張感を持ってほしいですね
コミュニケーションにね
いないならいいですけど 白さんどうなんですかその辺
コミュニケーション結構積極的にとっていきたい方かなと 思ってたんですけど
まあだから初めて会う人話す人とは 慎重にというか
前に言ったけどだから開ける引き出しを選んでいくって 感じです
で なんか
この話ダメかと思ったらすぐ引っ込めるっていう その結果全然話せることがなかったりしたら
残念だけどあんまり仲良くはなれないっていうことになるし どの引き出しを開けてもすごい話が合うってなるとすごい仲良くなれる
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だからそれがあれかな 緊張感を持ってとは思ってないけど慎重に
その人がどういう 話ができる人かとか
っていうのを 見定めタイムみたいなことになるのかな
やっぱその深まっていく人と 深まっていかない人と
深まっていく場合にですよ やっぱそこってすごい
とてつもない殴り合いな場合もあるじゃないですか それで深まっていくっていうか
意図的にコミュニケーションを取らないことで 相手との関係性を固定するみたいなことができるわけじゃないですか
つまり今の話で言ったら その人とは絶対に開けない会話の引き出しがあって
あの人とはこの引き出しを開けないっていうことで コミュニケーションのパターンを固定化することで争いを避け
有効的な状態でいるっていうことですか
有効的な状態 それが有効的かどうかちょっとあれですけど でも関係性としては固定されるわけじゃないですかそれだけで
うん
でもそれって上辺だけじゃないですか 厳しい
コミュニケーションって本来積み上げていくものだよねっていう話だったんで 積み上げていく段階では
えっと 深めるっていうさっきの話
言葉で言うと深めていく段階でいろいろ いろんな引き出しを上げていくわけじゃないですかお互い
でもやっぱその中で 開けられたくないものを開ける場合もあるわけじゃないですか
まあ深めていくにはやっぱそことそことそことそことって一個一個積み上げていくっていうか
対話を繰り返していくって でもやっぱその俺ってすげー
大変って言うの
まあ人によるかもしれないですけどやっぱそういうのって結構 大変だと思うんですよね
共有できる引き出しが多い方が仲がいいってするなら たとえ意見が違ったとして
その話ができる状態の方が対等で相手を他者と皆知っているということ
その行為っていうのはすごい やっぱ
すごい 本物の剣を使って
演武を待ってるみたいなノリじゃないですか いや山山さんやっぱ厳しいなぁ
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いや
だからあんまりコミュニケーションといたくないんですよ 真剣を使って待ってくれる人があんまりいないからですか
いやこっちだって嫌ですからね 刺さりたくないんで基本的に
傷つけられたくないし傷つきたくないんで いやなんか今の感じだと相手が例えば
市内を持ってたらムカつくってことになりません 市内を持っている人は市内を持っている人と
試合をしてないと 事故じゃないですかっていう
そういうこと起こるかもしれないからもっと緊張感を持った方がいいんじゃないですか って
思うなぁって これ前も言ったかもしれないんですけど
なんか例えば 開けられない引き出しがあったとしても会話の
他人ととりあえず手をつないでいる状態というか コミュニケーション可能な状態でいることによって
もしかしたらその開けてなかった引き出しをいつか開けられるようになるかもしれない っていうふうに
思ってて だから
私は 結構
自分は もしかしたら真剣で切りつけられる可能性があるかもって
思ってるから開ける引き出しを選ぶしかつ いつか開けてなかった引き出しを開けて
たとえその時もう1回自分が切りつけられたとしても より
深い中になれる可能性を残しとこうって思うのかな だから
まあ結構切られる可能性っていうのは考えてるのかもしれない 今言われて思ったけど
緊張感持っているんじゃないですかそうしたら 今そんな緊張して喋ってるかなと思ったけどよくよく考えたらそうかもしれない
大半の人がそうであったら 事故とか少ないと思うんですけどね
そこら中で事故ってる
まあ あまり人を傷つけないような対話がしたいわってことかな
70点