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こんにちは、マモです。今日は、コントロールできないものに目を向けないという話をしていきます。
先日ですね、自分の担当生徒とお話をしていて、なんで話をしたかというと、
模試の結果が返ってきたと。やっぱり成績、思ったより良くなくてですね。
その原因を探った時に、本番というか模試の会場、模試の独特の雰囲気にやられて、緊張がものすごく高まって、
頭が真っ白になっちゃったりして、通常の力の2、3割出せないっていう状況だったんですね。
これは本人も言っていたし、そのやり直しをした先生からも、多分普段だったら溶けていたものが結構2、3割普通にガタッと落ちてるっていう
話を聞いたので、穴勝ち間違ってないかなというか、そうだろうというところで思っていました。
やっぱり緊張、過度の緊張はやっぱり頭を真っ白にして、通常よりグッとパフォーマンスを下げてしまうっていうことなので、
なんで緊張をこんだけしてしまうんだろうということを分析するために、男の子なんですけども、彼に
本番の雰囲気、もしの日の会場入ってからの試験が始まるまでのどういったものを見て、どんなものを聞いて、どんなことを感じたかというのをちょっと思い出してもらったんですね。
そこからおそらくその緊張の原因が見つかるんじゃないかと思って聞いてみたら、
かなり周りの人の様子を見たり、話を聞いていたりっていうのがすごく多い子で、やっぱりその周りを見てすごくみんな頭良さそうだな、すごく高度な勉強の話をしているなっていうのが聞こえちゃって、
ちょっと自分大丈夫だろうかと不安が高まって心臓バクバクになって、心が心臓がキュンとするような形で、ちょっと苦しくなるような状況で試験を受け始めたと。
その後も、やっぱり自分の目の前のことに集中はしているという意識でやっているものの、
周りがカキカキペンを動かす音が速かったりで、ちょっとみんな速いなと思っちゃったり、あとは紙をめくる音が速いと、自分はまだ1ページ目なのにも周りの方がどんどん次に進んでいるということで焦っちゃって、
なんか目の前のことに集中できていなかったっていう話になったので、やっぱりものすごく周りを気にしちゃっているっていうのが見受けられました。
ここで話をしたのが、自分でコントロールできないものに目を向けるなっていう話をしたんですね。
別にいくら気にしたところで変えられないので、この考え方を自分がインスピレーションを得た内容っていうのが、エピクテトスっていう古代ローマのストア派の哲学者がいるんですけども、この方が残している言葉で、
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物事は我々次第であるものと我々次第じゃないもの、この2つが両者があると。我々次第であるものっていうのが自分の意思だったり欲望だったり、心の働きによるものが我々次第であるもので、一方の我々次第でないものっていうのが、他者からの評判だったり地位だったり名誉財産だったりというところで、
あとは体もそうですよね。我々次第じゃないものっていうのがそういったもので、彼はそれに関して我々次第でないものを軽き見ろって言ってるんですね。
要はそんなもん気にしても結局変えられないし意味はないから、我々次第であるもの、要は心の働き、自分の心の働きに目を向けようっていう話をしてるんですね。
彼が気にしてた不安を高まった内容って、要は我々次第でないものなんですよ。要は他人の言動行動を変えられないし、他人のトックスピードとかも変えられないわけなので、それを変えられないのにそればっかり気にして、
あと本当に勝手に焦っちゃって不安が高まって過度な緊張をして頭真っ白になるみたいな構図になってるので、コントロールできないものを気にしてそうなっちゃってるんで、そんなもん気にしちゃダメだよねって気にしたところで意味あんのって話ですね。
で、あとそのエピクテクスが残している言葉として、細かい言葉を忘れたんですけども、物事そのものに意味はないと。意味はなくて、それを受け取った考え方にも問題があるということですね。
例えば、ちょっと話は変わるんですけども、仕事をしていて上司にきつい言葉を言われたとすると。で、その言葉に関して、その言葉、上司がきついことを言うことそのものに別に意味はなくて、それに対して自分が傷ついたと思った瞬間、その時初めて傷つくっていう話なので、要は事象に意味はないっていう話をしてるんですね。
だから別に周りが早い、周りが高度な知識をなんかしけまいに話してる、解くスピードが早いっていう事象そのものには意味がなくて、それにとって周り早い、自分は遅い、どうしようって思っちゃったこと、その考えが浮かんでしまった、そう考えてしまったことそのものが、時点がちょっと違う、ダメだよねって話なんですね。
だからその心の働きで、その瞬間に別にいくら周りが早かろうが、高度な知識を話してようが、自分は自分だし、解けるものを確実に取り切るんだっていう風な思考に変えられてれば、同じ結果になっていなかったよねっていうところだと思います。
もし緊張してしまう子の特徴って、彼みたいに同じように周りのことを気にしちゃって、自分どうしようまずいなって思っちゃったり、プレッシャーですよね。親子さんからプレッシャーで潰されそうになっちゃったり、いろいろあると思うんですけど、
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やっぱりエリピクトスの言葉を借りるのであれば、我々次第でないものに重きを置きすぎちゃって、コントロールできないものを気にしすぎちゃったゆえに、ちょっと緊張高まっちゃって、不安高まっちゃって、ベストなパフォーマンスを出せないっていうところなので、
我々次第であるもの。自分の心の働きだったり、自分がこの問題をどういうタイミング、どういう形で解くかとか、戦略ですよね。例えば後半の部分は応用問題になるから前半部分は確実に取り切るっていう戦略のもとを解くっていうことだったりっていうのは自分の意思の働きでできるわけなので、そこのみに着目すると。
言ってみれば偏差値とか順位というのも正直変えられないですね。我々次第でないものですね。周りとかが影響してくるので、自分自身はどうすることもできないんですよ。だからそこを考えたところで意味はないというか、変えられないので、だったら目の前の問題をどう解きていくかっていうことだけにフォーカスした方がいいんじゃないですかっていうところです。
だから何事ももちろん受験に限らず、人間関係なり仕事もそうなんですけども、やっぱりこれは自分自身もずっと我々次第でないものを考えていてぐるぐる悩んだ結果、何もいいこと起きない、何も解決しないっていう経験をしてきたので、
やっぱり我々次第でないものを気にしたところで意味ないし、それを軽んじるというエピクテトスな考えはものすごく自分たちが生きていく受けで必要じゃないかなというふうに思います。
以上なんですけども、もしは確かにいろいろ気にしちゃうんですけども、気にしないようにしてほしいなと思いますし、自分の変な思考が生まれた時に、これって我々次第でもないものなのかあるものなのかっていうのは今一度考えてほしいなと思います。
それだけはやっぱり違うかなというふうに考えています。以上です。