近況報告と「聞き合い」との出会い
こんにちは、ご無沙汰しています。まめです。 皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
まめは最近、娘が高校に入ったり、息子は小学校に入ったり、
いろいろあったんですけど、やっと落ち着いて、 一段落というところです。
最近、すごく心に残っていることがあったので、
記録として、久しぶりに、今、声を録音しています。
それは、
大好きなぁ、
大好きなって言わなくていいんじゃないって、 正確に情報を伝えるために、
こういう名詞だけでいいんじゃないって思うんですけど、 言わずにはいられない感じで、
大好きになってポロッと出ちゃうっていう。 大好きなユミコさんとずっとやっている聞き合い。
「聞き合い」の本質:正しさではなく内面への探求
自分から出てきた言葉がすごく面白くて、
聞いてとして、相手に、ここでは正しさは求めてなくて、 どこまで深く自分の内面に潜れるかっていうのを、
一番大事にしているから、どんな話でも大丈夫ですし、 もしよかったら、大丈夫です。無理に話さなくて大丈夫ですから、
もしよかったらね、聞かせてくださいっていう言葉が、 自分の中から出てきて、
私の中では、それがすごくこう、 自分の中の聞くを言葉にできたなっていう、
感覚があって、 そうなんですよ。それはどういう感覚かっていうと、
話す時に、多くの人が、 全員、絶対全員と言われるんですけど、
多くの人が話の質、内容がすごい間違ってるかなとか、 それから明るさ、暗さ、これ暗すぎないかなとか、
なんかこう、話の客観性をすごく意識しているんだなっていうのを感じて、
まあ、当然普段はね、さえ話のTPOが読めないと、 全然言ったらあかんとこで言ったらあかん話をしてるやべえやつみたいになっちゃうから、
その感覚ってすごい大事だし、必要だし、 持っていて当たり前で素晴らしいものだと思ってるんですけど、
なんかその枠の外に出るのって難しいんだなってふと思いました。
これを言ったら、これを言って大丈夫なんだろうかみたいな、
重すぎないかなとか、ヘビーすぎないかなとか、
そういう気遣いがみんなそれぞれにお持ちなんだろうなって思っていて、
それに触れたときにちょっと思ったのが、
「聞き合い」の伝え方と当初の誤解
聞き合いのことをみなさんに知ってもらいたいときに、楽しい雰囲気でお伝えするのが一番いいかなって、
その間口はなんとなくにぎやかで明るい方が入りやすいかなと思って、
ちょっと楽しめに伝えるように心がけたんですね。
実際それでたくさんの方が興味を持ってくださって、 聞き合いに参加してくださってすごくよかったなと思ってるんですけど、
聞き合いを1年以上かな、続けてきた中で、ちょっとだけ自分の聞くが見えてきて、
最初にみなさんにお伝えした、楽しい、ハッピー、ラッキーみたいなふわっとした、
本当楽しいんですよ、ハッピーって感じなんですけど、本当に楽しいんですけど、
でもそれが一面でしかなくて、
にぎやかしのためにそれを大きく取り上げたというか、そのときは自分の聞くの形もわからなかったですね。
だからそのときはそのときは正確な情報なんですけど、
聞き合いをする中で、私の聞くの形はもうちょっとリアルに伝えたいなという気持ちが湧いてて、
「聞き合い」の核心:内面への深い潜行
今これを撮ってるんですよ。
そうなんですよ。
私の聞くは、今の私の聞くは、その相手が正しいか正しくないかっていうジャッジもしないし、
それはすごく注目するところではなくて、それに注目してほしいって言われたらそれに全然注目することもできるんですけど、
一番はその人の内面に深く潜るっていうのが一番大事にしていることで、
じゃあ内面に深く潜るってどういうこと?って、うんうんそうだよねそうだよねってただ肯定するだけのものじゃなくて、
その人の横に立って一緒にその人の中身を出すみたいな例えでもいいと思うんですけど、
その人がなんでそう思うのかとか、どうしてそう思うのかとか、それはどんな温度でどんな手触りなのかとか、
それを一緒に見るんですね。
その中身は本当に何でもよくて、いわゆる嫉妬とか妬みとか尊みとか嫌いだとか怒りとか悲しみとか、
その中にある本当の部分にその人が出会うのを助けたい、力になりたいっていうところですね、私の聞くは。
ついでに言うと、私自身すごく嫉妬もするし、妬みもするし、怒りもするし、誰の話も聞きたくないみたいな。
もうなんかそんないいから時間をくれよ、時間と金をくれよみたいな、やさぐれてた時もあるし、
自分なんか価値がないと思って消えてしまったらいいって思う時もあったし、なんかそういうのも全部自分で。
そういうのあっていいじゃんみたいな、不完全上等みたいな。
感情の理解と自己受容、そして他者理解へ
ただそのまま出すと、社会でトラブルが続いちゃうから、その気持ちの形を知って自分がその気持ちを抱きしめてあげようみたいな解決策を探すのを諦めようとか、
そういうことじゃなくて、その気持ちを乗りこなすための準備に近いかなって。
これはこういう温度でこういう暑さだから乗りこなしにくくて当たり前だよねとか、
これはこれとつながってるからこんなに強く感じるんだとか、
自分を知ることによって相手に伝えやすくなるっていうのも、誰かに伝えやすくなるっていうのもあるし、
自分を知ってるから人の話も聞きやすくなるし、コミュニケーションも測りやすくなるし、
なんかそのどこかで何かをするって必ず自分が起点になると思うんですね。
誰かに何か巻き込まれても自分の行動って必ず自分が起点になると思うんですけど、
その起点の自分をよく知っておくっていうことで一歩が出しやすくなる。
そういうお手伝いだなと今は自分の中でやってみたい、こうだったらいいなと聞くはそういう形です。
「聞き合い」の真髄:感情の起点を知ること
だからただただうんうんって聞いて、気持ちの置きどころ、そうだよね、大変だよね、うんうんわかるっていう感じ。
それも一つのすごい大事なことです。気持ちを分けるとか、一緒に置くとか、そういうのもすごく大事なんですけど、
そこがメインなんじゃなくて、メインは物事の起点となる自分の感情を深く知っておくっていうこと、
深く理解しようとすること、自分のお手伝いだと思っています。
現在の活動状況と「聞き合い」への想い
今はなかなか聞き合いの聞き手として他の方の聞き手に手を挙げられてない忙しい現状があるので、
あんまりこういつでも来てねとは、私自身は声が出しづらいんですけど、
でもどんな自分でも持ってきてくれたら聞かせてくださいと思っています。
自分をよく知ると人のことももっと知りたくなるし、人のことを知るとまた自分がもっとわかってくる。
それってすごく霧がなくて、その霧のなさにいるからすごく今、人と話すのが楽しくて。
自分のことをずっとコミュニケーションだと思ってたんですけど、コミュニケーションが苦手だし、
あんまり人に関心を持ちづらい性格をしているので、人類に興味なさすぎて人類に向いてないなって思ってたんですけど、
夢子さんとの聞き合いで、人って面白いなって思いました。
感情を知ることの効用と「聞き合い」の勧め
感情の置き場所を見つけるのってすぐに見つかることも多いんですけど、でもすぐに見つからないこともたまにあって、
そういう時に自分の感情をしっかり知っておくことで、いずれはベストの置き場所が見つかるっていうこともすごい起きてて、
多分自分の感情をちゃんと知らなかったら間違ったところに置いたりとかね、間違ったコントロールで投げちゃったりとか、
しがちなんですけど、自分の感情をなるべくしっかり知っておくことで、置き場所がその時は見つからなくても、
後でちゃんと置き場所が見つかったりとか、物事とつながっていきやすくなるんで、
そういった意味でも聞き合いで深く自分の内面に潜ることってすごく楽しいし、おすすめしたいなと思っています。
言葉を残すことへの葛藤と決意
言いたいことは言えたのだろうか?聞くに絶えない形になっていないだろうか?
私は言葉を…対話は好きなんですけど、自分の言葉を残すのが本当に嫌いで、
誰かを傷つけたりとか、そんなにたくさん聞いてもらってないから気にするほどでもないとは思うんですけど、
誰かを傷つけたりとか、あとは考えてることって次の日には180度違うことをやってるかもしれないから、
その時のものを切り取って置いておくのってすごく不本意、自分の本意じゃないなって思うんですけど、
でも今は切り取っておきたい。前切り取ったものの補足としてっていう面も含めて切り取っておきたいなと思っています。
そう思ったので切り取ってみました。
結びの言葉
また聞き合いもすごく素敵な活動なので、皆さんぜひお立ち寄りくださいね。
聞いてくれてありがとう。それじゃあ、またねー。
ばいばーい。