2025-05-04 14:53

中高生時代、「自分の文章」にすごくこだわっていた話

今日のnoteには高校生の時の文章を載せてます!(やばすぎ)
https://note.com/mana2518/n/n480360ae59c0

サマリー

中高生の時、マナミは文章を書くことに強いこだわりを持ち、特に作文や読書感想文コンクールに力を入れています。しかし、先生による添削や賞を狙う姿勢が逆に自分の表現を妨げ、悩む時間が続いていました。最終的に、エッセイというジャンルと出会い、自分のために言葉を紡ぐことを再発見しています。中高生の時に自己表現に対する強いこだわりが形成され、自分の言葉に価値を置けるようになりました。現在はAIを活用しつつも、自己の言葉を磨き続ける大切さを感じています。

中高生の作文への情熱
はい、こんにちは、マナミです。0歳から3歳までの3人の子供たちを育てながら、SNS発信やコンテンツ制作を中心にお仕事をしているママフリーランスです。
今日はですね、昨日のちょっと続きで、昨日はですね、小学生ぐらいの時の私の話とかね、出身地金沢のことをね、ちょっと話したんですけれど、
今日は、私が自分の人生の中で自分のコンテンツっていうのにこだわり始めたなっていう時期があって、
それがね、中高生時代の時なんですけど、結構私ね、文章を書くの好きだったんですよね。
で、その頃の考えが、考えとか、経験がね、今につながってるなというふうに思うので、昨日の続きでね、ちょっと自分の追い立ちシリーズでお話をしようというふうに思います。
で、文章が好きだったっていうことなんですけど、小学生ぐらいの時からね、作文自体は結構好きだったんですよね。
で、文章を書くのは自分は好きだなっていうふうに思っていて、で、その作文が結構好きだったっていうのの理由の一つに、みんなが嫌いなものを自分が好きっていうのがめっちゃ嬉しかったっていうのがあるんですよ。
作文ってみんな嫌いだったんですね、私の周りって。
なんかこう、運動会の後に、その感想文みたいな感じでこう、作文をね、書いていきましょうとか。
遠足の後も作文の宿題が出たりして、みんなえーって言うんですけど、私はなんかその自分の体験とかを言葉にするのがすごい好きだった子供だったので、あの作文の宿題って嬉しかったタイプだったんですよ。
で、みんながえーって言ってるけど、私はすごく、また作文書く機会ができたっていう感じで喜んでるような子でしたね。
で、あの結構ね、たくさん文章を書く子だったんですよ。
だから小学校2年生とかもその時点で、自分の父親、まあ小学校の先生だったんですけど、父親にその言いたいことは整理してまとめてちゃんと書かないといけないよっていうことを言われてましたね。
言いたいことだけずらずら書くんじゃないよって。
今思ったら小学校2年生とかにはすごいレベルの高い話ですけどね。
書けたら万々歳じゃないですか。
でもそういうふうに言われるぐらい、私はバーって文章を書く子だったので。
だからそのまとめて書くっていうのもね、例えば遠足の話を書くのに遠足に行く前、朝登校する前に朝歯磨きをしましたみたいなエピソードは書かないみたいなことは言われてましたね。
ちょっと厳しいですけどね。今思ったら別に書いてもいいやんとか思いますけどね。
だから本当に書きたいことから書きたいことに集中して書こうっていうのはすごい言われてましたね。
ちなみに私の父親はパソコンとか情報系のことにもめちゃくちゃ強かったし、ガジェット系も強かったんですよね。
私は小学校2年生でパソコンのブラインドタッチですね、自分の手元を見ないで打つっていうこと、パソコンの文字打ちをするっていうことを徹底して教え込まれました。
うちの父親は自分の娘で多分実験してたんですね、いろいろ。どういう風な指導をしたら子供たちにパソコンのキーボードを打ち込むっていう操作を教えられるかっていうので、
だからローマ字を習う前に先にローマ字の入力の仕方を覚えるみたいな感じでしたね。
ただ、あれでホームポジションを覚えて、だいたい中指とかここで人差し指はここでとかっていうのを覚えられたのは、
それを小学校2年生とかでできたのは父親のおかげですね、ってちょっと思ったりとかしています。
そんな感じでね、とにかく私は文章を書くのが好き、作文が好きで、たくさん書くことがあったので、
父親によく本当に書きたいこと、伝えたいことにフォーカスして書けっていう風に言われるようなそんな子供でしたね。
でね、結構作文がよくクラス頼りとかに取り上げられるタイプの子っているじゃないですか、あのタイプでしたね。
で私は昨日の放送でも言ったように、自分にはあまり才能がないとか、コツコツ努力しないとダメなんだっていう風に思ってたからこそ、
作文に関しては割と自分の言いたいことを言ってるだけなのに、結構それがちゃんと伝わってるな感っていうのがあったんですね。
だからまあ、言いたいことがちゃんと伝わってないっていうとか、自分の思いとかが伝わりにくいっていう風に思ってた人生の中で、
作文っていうか言語化ですね、言語化っていうことは自分はその言葉にすればちゃんと伝わるんだっていう確信を小学校ぐらいの時に持っていたっていうのがありますね。
で私はその自分は結構作文は好きなんだっていうことを自覚し始めて、その後中学生高校生になるわけですけども、ここから中高生の話ですね。
作品の評価と悩み
でね、中学になったら、小論文とかは高校になってから書いたりするんですけど、やっぱりなんか作文というか文章を書くようなことって結構あって、
特にですね、やっぱ読書感想文コンクールっていうのは私めちゃくちゃ頑張ってたんですね。
で読書感想文コンクール頑張ると、賞に入ると結構学校から図書カードがね、もらえたりしたので結構頑張ってやってましたね。
で多分未だにありますよね、青少年読書感想文コンクール、あれ全国のやつだと思うんですけど、あれって学内でまずどこのコンクールに出す作品が選ばれて、
市内の審査があって、県内の審査があって、全国に進むんですね。
私ね、全国までは行けなかったな、県内までは頑張ったけどなっていう感じで、読書感想文コンクールも頑張ってました。選ばれたくてね。
すっごい頑張ってて、である年の時、学内では選ばれたんですけど、その学内の作文をいわゆる市の選考に送るにあたって、
こんな風にまなみさん書き直してほしいんですって先生に言われて、つまり自分の書いた文章を添削されたんですけど、それがめちゃくちゃ赤文字、赤ペンだらけだったんですよね。
でこれ先生が書いた方が良くないっていうレベルの赤ペンの入り方だったんですよ、それ。
てか私の文章じゃないよねっていう風になって、その時すっごい私ショックだったんですよね。
なんか別に私の文章を叩き台にして、先生がこういう文章を書いた方が賞が取れるみたいな、そういうのを書いてきたっていうので、
なんていうかな、プライドが傷ついたというか、別に私の文章が良かったわけじゃなくないみたいになって、すごい落ち込んだんですよね。
でそこからなんか変に先生に選ばれるための文章とか、賞をもらうための文章とかっていうのを意識しすぎて、
で、あの読書感想文とか、あと作文系のコンクールとかもいっぱい応募したけど、全部外したんですよね。
なんかね、多分言いたいことがうまく言えてないっていうのと、なんか賞を狙いすぎてやらしい文章になってたと思うんですよね。
多分当時の文章ってね、多分それが中3から高1の時が一番そんな感じだったかなって思うんです。
で、私自分作文が好きで得意だと思ってたし、自分原稿化するっていうのが好きだったから、それ奪われた感じ、
まあ自分がうまく言いたいことが言えないっていうだけの話なんですけど、それでなんか落ち込んだんですよね。
落ち込んだ。得意なことを失ってしまったっていうか、私ってもうなんか自分の言いたいことを書いても誰にも伝わらないし、
誰にも選ばれないし、読んでもらえるわけじゃないし。で、私言いたいことは言うのは自分得意だと思ってたけど、
ダメじゃん、これもやっぱダメだったんだっていう風になってね、しばらくそんな状態でしたね。
エッセイとの出会い
で、なんか高校2年生ぐらいの時に、なんか学校の授業とかもなんか面白くないし、あと自分のクラスがね、すごい荒れてたんですね。
まあ荒れてるクラスだったので、とにかく授業とかも結構、授業もまもならないような不良っぽい子とかがね、いたりとかしてね。
とにかくなんか人生つまんなかったんですよ、高校2年生の時。本当に。で、なんか勉強もつまんないし、クラスもなんかぐちゃぐちゃしてるし、
なんか私って何なんだろうなみたいにね、思ってた時に出会ったのが、学校の図書館で見つけた桜桃子さんの桃の缶詰でしたね。
だから、その頃、確かね、古文とか古典の授業で取り扱っているのが枕草子だったんですよ。
それぞれエッセイですね。随筆とか、エッセイっていうジャンルに出会って、言いたいことをこんだけ好きなように何の構成も考えてねーなとか当時は思ってたんですけど。
失礼ですね。枕草子にも、桜桃子さんにも失礼ですけど。
思ってて、こんな風に自分の言いたいことを自由に言うっていう、そういう文章のスタイルっていうのが存在するんだってことに、ただただ衝撃を受けました。
桃の缶詰なんかも読みながらずっと授業中、笑いこらえてましたからね。
そう、だからそこでエッセイとか随筆っていうジャンルに出会ったことがすごい衝撃で、もう一回なんか自分の言いたいことをもっとなんか賞を取るためとかね。
認められるためではなくて、自分のために言葉を紡ぐってことをやろうと思ったんですよね。
で、そこから今も多分あるね、大阪経済大学がやってる17歳からのメッセージっていうエッセイコンテストがあるんですけど、それで賞をいただきましたね。
今でも覚えてます。
だから、エッセイっていう文体とかジャンルに出会ってから、自分の言いたいことをもっともっと言ってみようって。
自己表現の重要性
そこになんか誰かに認められるとか、意外性とかあんまり公正とかいろいろ考えるのに、自分の言いたいこと自体にもしかして価値を感じてくれる誰かがいるかもしれないと思って、自分の言いたいことに価値を置き始めたんですね、自分の中で。
そう、それすごいよく覚えてます。
だからその文章のテクニックではなく、私の言いたいことに価値を感じてもらえる可能性だって別になくはないよなって。
今思うとすごい自己肯定感ですけどね。
17歳からメッセージとかで取り扱ったのは、タイムマシンっていうのは本当にあった方がいいのかっていう話でしたね。
だからタイムマシンで未来や過去に行くんじゃなくて、今を生きた方が良くねっていう話だったと思います。
生意気な文章ですね。
でもまぁそこから、そこで賞をいただいたのがすごい嬉しくて、そこからまた頑張って自分の言葉っていうのにすごいこだわるようになりました。
その時に誰かに認めてもらうためというよりも、私が言いたいことをちゃんと言語化するっていうことにすごくこだわって、
そこから読書感想文コンクールとか、あと英語化だったので、英作文コンテスト、英語で伝えるっていうこととかもあったんですけど、
もったいないっていう概念に関することとかね、そういうテーマでの文章っていうのをすごい頑張って書いてましたね。
そこからも私は大学に行ったり、その後幼稚園の先生になったりとかもするんですけど、幼稚園の先生として縁だよりとかを作るときもすごい文章にはこだわってましたね。
でもやっぱり書き方とか文章のテクニックとかよりかは、自分の言いたいことを自分で納得する形で届けられるかっていうことにすごくこだわるようにしていました。
でね、そんな私が今AIをゴリゴリに使っていて、文章を書くのにもはやAIを使わないっていうことはなくなりましたね。
とにかく、それはAIに自分が勝つとか負けるとかそういうことではなくて、
なんていうか私はですね、本当に自分の言葉で伝えたいっていうのがあるからこそAIを使うべきだなっていうふうに思っています、今は。
だから01の最初の書き出しの部分、ここ一番悩むんですけど、ここをAIにやってもらう。
そして今の自分が何を届けたいかっていう、自分の言葉で何を伝えたいかっていうのを自問自答するっていうね。
ここにエネルギーを割くべきだと思うんですよ。最初の書き出しでめっちゃ悩んで、書いてる最中にエネルギー切れするのではなくて、
まずタサキ代の01の部分をAIに作ってもらう。で、今の私が本当に伝えたい言葉は何なのか、伝えたい相手は誰なのか、
そしてこの言葉はどこに載せるのか、そういうことを考えながらやるっていう風なスタイルに切り替わっていきました。
だからそうですね、AIを使ってコンテンツを作り続けられる人っていうのは、自分の言葉を磨き続けられる人、磨き続けたいと思える人、
そうなんじゃないかなっていうふうに思ってます。で、AI時代に生き残る人はそういう人だなっていうふうに私は思っているので、
そうなりたいと思っているし、これからもそういう観点で、そういう考えでね、AIを使っていきたいと思うんですよね。
文章にプライドを持って、ある程度プライドを持っていて、自分の言葉でちゃんと伝えたいっていうふうに思っているからこそ、
AIの活用法っていうことには自分はすごく関心を持っているし、自分自身が触って試していきたいなというふうに思っているっていうところで、
自分のコンテンツっていうところで言うと、中高時代、中高生時代とかから今に繋がっているなというふうに思ったので、
AIと自己の言葉
今日ちょっと長くなりましたが、そんなお話でございました。
とにかく昨日の話も今日の話もそうなんですけど、やっぱり昔から自分ってそんなに変わらないんですよね。
私の人生だったら、いろんなタイミングがあって、私にパソコンをガッツリ教えてくれた私の父親も、
私が20何歳だ、25歳の時に亡くなって、10年前に亡くなったりとかっていうことがあったり、
その人生の中で自分のことを考えるターニングポイント的なタイミングはいっぱいあったんですけども、
根っこのところで自分が大事にしたいこととか、自分が本当に好きなこととか、心が踊るとか興奮するようなこととかって、
結構変わってないんだなっていうのは思いますね。
そんなところでAI学習用ということで、自分のおいたちトークの後編というか、
中高生時代の時に自分の文章に対してこういうことを思っていた、自分の言葉とかについてのこだわりとかのお話をしました。
ちょっと長い放送になりましたが、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
それでは、土日、日曜日ですね、一緒に頑張っていきましょう。
連休続きますが、私も頑張りますので、またコメントとか残してくださると嬉しいです。
では一緒に頑張っていきましょう。ありがとうございました。
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