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2023-01-25 19:14

005 札幌でのキャリアリスタート・マネジメント時代

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コンテンツ設計アドバイザーの山田真紀子です。
電子書籍の「主な経歴」をなぞりながら書籍では書けなかったことをお話しています。

なんでも数字で語ることができるコールセンターで学んだのは、人を人として大切にすることが、組織の発展には不可欠だということでした。

よろしくお願いします!

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こんにちは。人と組織の問題を、仕組みと教育コンテンツで解決する、コンテンツ設計アドバイザーの山田まきこです。
このチャンネルでは、私がこれまで開発してきたコンテンツのこと、コンテンツ設計へのヒント、現在開発中のコンテンツ、セミナー情報などを配信します。
普段は真面目できっちりしていると思われがちなんですけれども、結構オッチョコチョイなこともありますので、たまにはそんなエピソードなども配信していきたいと思っています。
今回は、また前回の続き、経歴をお話しするシリーズになっているんですけれども、前回は、私が研修講師になって、その後、ライバーシティ推進のお仕事に携わりまして、
ライフイベント、第一子の妊娠ですね。そこをきっかけに札幌に移住することを決めたというところ。そこまでだったと思いますので、その続きをお話ししていきたいと思います。
当時は、2010年ですね。ライバーシティ推進のお仕事をしていましたので、夫の転勤に伴って、なぜ女性だけがキャリアを捨てなければならないんだ、みたいな、そういう葛藤がありました。
でも、やっぱり総合的に考えると、私の気持ち以外の部分は、札幌に転居した方が長い目で見たときに、夫の健康とか、夫のキャリアとか、子育て環境とか、そういうことを考えて、まあいいなと、そういう結論に至ったわけなんですよね。
でも、やっぱり気持ちを置いてけぼりにしているので、すごく辛かったなと思います。
産休に入るときに、その部署の皆さんにですね、ご挨拶するんですよね。産休に入るだけだったら、みんな帰ってくるっていうふうに思ってくれているので、1年後楽しみにしてるねっていうふうに言ってくださったんですよね。
でも、私はそのときに、もう1年後はここに帰ってこれないんだよなっていうことをほぼわかっていたので、すごい苦しかったですね。
そんな苦しかった私にですね、直続の、前回もお話しした、本当に素敵な上司の方、女性の上司の方がですね、脇ちゃんだったら絶対どこに行っても大丈夫だからっていうふうに言ってくださって。
私はもうこの上司の言葉を信じて、行ってよかったねって、さすが脇ちゃんだねっていうふうに言ってもらえるような、そういうキャリアを札幌で作っていこうっていうふうに誓って、札幌に行くことを決めたわけです。
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3級に入りましたらですね、3.11が起こったわけです。長女は3月2日生まれなんですよね。3月11日、私実家にいました。
今まで感じたことのないような大きな揺れで、実家は木造で古いんですよね。本当に壊れちゃうんじゃないかっていうぐらい揺れました。ギシギシと怖い音を聞きましたね。
私はその時はもう小さな命を守ることに精一杯でしたし、ものすごく怖かったんです。生まれたばっかりですからね。
本当に実家の両親に助けてもらったり、妹や弟に助けてもらったりしながら何とか何とか子育てを始めることができたっていう状況でした。
仕事に関しては1年後に復帰するっていうことを自分の中でも決めていましたので、復帰先を見つけていただいてですね、会社で札幌の事業部の方で復帰できることになりました。
復帰するにあたって私が一つ心に決めたことっていうのがあって、それはですね、子育てを理由にキャリアを諦めないということ。
ここだけはダイバーシティ推進の仕事に携わっていたっていう、そういう自分の中でのプライドがあったりとか、
あとは上司からの言葉を、私は実現できる人になりたいっていうふうに思っていたので、そこを理由にしない。
できないことはたくさんあるだろうけれども、どうしたらそこを打破できるだろうかっていう、そういう思考で取り組むんだっていうふうに考えて復帰しました。
復帰後ですね、書籍の方にも書いてるんですけど、私は研修講師としてまず復帰しました。
ただその地方で行われてる研修っていうのが、本社で作ったものをトレースしたものだったんですよね。
自分が本社で作ったものが、まるで最新のものかのように地方で実施されているのを見たときに、いや、これはもっともっと改善の余地があるだろうというふうに思いました。
だって現場の実態と一致してなかったりするんです。
現場の方も本社の研修だから、受けなきゃいけないから受けに来ているっていう感じだったんですよね。
それが本当に意味ないなっていうふうに思っちゃったんです。
大人の対応ができなかったというか、大人の判断ができなかったというか。
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やっぱりそこに対しての違和感がすごい強くて、もっと良くしたい、改善したい。
もっとみんなの役に立てるような、そういう研修をやりたいっていう思いが強くなったんですけれど。
どうしてもやっぱりそれをするっていうふうになると、やると言われているお仕事をこなした上で、プラスアルファで時間を年出してそれに取り組むっていうことになったので。
子育てをしながら、定時で帰らなければならないっていうこの身でやるとですね、だいぶきつかったんですね。
それで当時は夫も新しい事業の立ち上げとかをしていたので、すごく忙しくてほぼワンオペだったので、自分はすごく気持ちとしてはもっともっとやれることがあるし。
時間さえあれば私にできることはたくさんあるんだっていうふうに思っていたんですけれど、実際にはできなかった。
毎週のようにやっぱり娘は熱を出して、両親に来てもらったら両親からもすごく仕事の方は今の時期は諦めたらっていうふうに言われたりとか。
やっぱり働く時間が長すぎるのよっていうふうに言われたりとかして、その言葉そのままご自身の息子さんに言ってくださいっていうふうに思ってました。
だんだんもう本当に気持ちも沈んできてしまって、何のためにやってるのかなっていうふうに思うようになってしまって、これじゃダメだなと。
なんとかしてこの状況を打破しなければならないけど、何をしたらいいのかわからない。どうにもできないということで、そんな時期にですね、これも本当に運が良かったんですけど、第2子を妊娠しまして、やったと。
これで産休に入れる。産休にさえ入れば、今のこの目の前の苦しいことから逃れられるし、産休の間、この時間をゲットできると。
まとまった時間をゲットできるっていうふうに思ったら、そこからすごいやる気が湧いてきてですね、本当につわりとかすっごいひどかったんですけれど、それでもできることをさせていただいて産休に入りました。
産休に入ってですね、すごい私、生き生きとしていました。
当時、働きながら第1子を妊娠した時にもすでにやってたんですけど、通信で大学に行ってたんですね。
通信生の大学で学んで行って、そのスクーリングの授業を受けに行ったりとか、1日中ファーストフード店に行ってレポートを書いたりとか、あんなお腹の大きい妊婦が1日中ファーストフードにいるみたいな、そういうことをやってたりとかして、それはそれですごい自分の中では充実していましたね。
第2子を出産して、育児休業に入りまして、そこで私は会社の中で自分がやりたかったダイバーシティのお仕事とか、あと女性のキャリア支援のお仕事がちょっとできなかったので、じゃあ会社の外でやろうというふうに思って、人脈づくりとか、あとコミュニティづくりっていうのをしていきました。
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会社の中でできないから諦めちゃうっていうことではなくて、社外でいろいろなことをするっていうのは、前回の放送の中でもお伝えした通り、社外の人と触れ合った経験が生きているんだろうなというふうに思います。
働くママのコミュニティを作って、ママたちを集めてイベントなどをしていました。
第二次の育児休業からの復帰は、研修工事ではなくて、お客様対応している現場でした。
オペレーターで入社をしたとき以来だったので、本当に久しぶりの現場経験でしたね。
そこでは、オペレーターの皆さんの面談担当というところから復帰しています。
一人一人のメンバー、オペレーターの皆さんが、普段どういうことを考えてお仕事をしてくださっているのかとか、ご不満があったりする場合は、どういうところに不満があるのか。
例えば、働く環境、使っている機材とか、休憩室が狭いとか、匂うとか、休憩室にこういうものを置いてほしいとか、
実際の業務の中では、こういうツールが欲しいとか、管理者にこういうことをしてもらいたいとか、いろんなご要望があるということが分かって、その要望をまとめて上司にレポートとして報告するというお仕事だったんですけれども、
そこで一人一人の方が、どういう思いで仕事をしているのかとか、なぜこの仕事を選んでいるのかとか、そしてこれから先どうなっていきたいと思っているのか、そういうことをすごく丁寧にヒアリングさせていただく時間をいただいたんですよね。
たまたまそういうことが必要だったから、そのお仕事があっただけで、いつもそういう仕事があるわけではないんですけれど、私はそれで100人以上のセンターにいた方々のお話をお聞かせいただいて、
こういう一人一人の方の力があって成り立っているビジネスであるんだから、こういう方々のお声をしっかりと受け止めるとか聞くっていうことが、このコールセンターのお仕事にはすごい大事なことなんじゃないかなっていうふうに思いました。
というのも、コールセンターって全て数字でいろんなことが語られるんです。
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お電話が入ってくるお仕事だったら何件入ってくるのかとか、それに対して何人配置していれば何パーセント受けることができるのかとか、平均の対応時間が何分だから何人採用すればいいのかとか、いろんなものが全て全部数字で出てきてしまうので、
人がですね、生身の人なのに数字になってたんです。
数字というふうに見られた人は、自分は数字だと思うんです。
だから、すごく遅刻とか早退とか欠勤が多いんですね。
だって自分じゃなくてもいいんでしょっていう気持ちになっちゃうんですよ、数字だから。
山田真希子じゃなくてもいいんですよね。
じゃあ休んでもいいですよねっていう思考になりやすいんですね。
そういう組織風土なので、管理者がそういう態度を取る、そういう行動を取るっていうことが、オペレーターさんにも自分は数字なんだっていうふうに思わせてしまっているんだろうなというふうに思うんです。
この違和感って伝わるかな?私はすごく嫌だった。
だから自分が組織を作る側になった時には、やっぱり一人一人の方を尊重できるような組織づくりをしたいなというふうに思いました。
でもその当時はね、まだ何の権限もない、ただの相談担当だったので、いつかそうなれたらいいなというふうに思っていました。
その後、何回か移動しまして、専門が人材育成とか教育企画っていうところだったので、新人研修の立て直しとか、立て直しっていうのは新人の離職率が高いと現場に出る人の人数が少なくなっちゃいますので、新人の離職率を抑えなければならないんですよね。
そこをするために、研修期間中の離脱を減らす必要がありまして、じゃあ研修の立て直しが必要だよねってことで、お声掛けをいただくということが増えてきました。
一つ一つミッションをクリアしていって、その実績が評価されて、マネジメント職に昇格しました。
いよいよ自分で組織を持ってマネジメントをしていくっていうことになりましたので、すごく責任は重くなって大変だったんですけれども、自分だったらこういう組織を作りたいとか、こういうふうに皆さんと関わりたい、上司として関わりたいっていうようなことを自分で実践できる立場になりました。
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少なかったですけれども、権限もいくつかいただいたので、やりたいなと思うことをやらせていただくということもできましたね。
そんなこんなで、マネジメント職を6年、7年くらいさせていただきました。
残りの4年くらいは、もうすでに私の中では、もうすぐ退職して独立するなという予感がしていました。
なぜかというと、自分がやりたいと思っていることと、会社がやっていきたいと思っていて、私に任せてくださることに少しずつやっぱり乖離が出てきていたからです。
それでも私は組織の中で働くということも大好きだったので、副業ができるのであれば、どちらもやりたいと思っていました。
ただ副業は禁止の会社だったので、副業をするということはできないので、やりたいの方を週末とか仕事が終わった後とか、そういう時間で少しずつやり始めていました。
そして2020年ですね、コロナがやってきました。私の退職の決定的な決め手はコロナだったと思います。
当時は大規模なセンターでマネジメントをしていました。どんなに頑張って感染対策をしても、人数が多いので、しかもしゃべる仕事ですからね。
どうしてもクラスターが発生してしまったりとか、陽性者が出てしまうんですよね。
通常業務を回しながらコロナ対応をするっていう生活が1年ぐらい続いて、本当にずっと仕事をしている感じですね、起きている時間。
休日とか朝とか夜とかも関係なく常にメールをチェックしていないといけないですし、出たとなると休みでも会社に行って対応しなきゃいけなかったりとか、そういうこともありました。
そうするとやっぱりやらなければならない、求められている仕事だからそれはやるんですけれど、やりたいの方が全くできなくなっていったんですよね。
家庭とのバランスっていうのもあって、家族は私が仕事が大好きだっていうことは分かっているので、半分諦めているかなと思うんですけど、やっぱりまだ小学生の子どもたちはお母さんが全然足りないっていうふうに、すごく寂しそうにするんですよね。
時折やっぱりストレスで爆発したりっていうこともあったりして、そうこうしているうちに私の思考力が落ちてきました。もう疲れてたんだと思います。
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普段だったらバババッと整理してパッと判断できるようなことができなくなったんです。
頭の中でそして書いてとか、いろいろやってみたんですけど、普段だったらこんなマトリックスなんかシャッシャッてすぐ作れるでしょうとか、こんなロジックツリーなんてパパパって書けるでしょうっていうようなものが書けなくなっちゃったんですよね。
これは本当に仕事にも影響があるでしょうし、本当にダメだなと思って、次のキャリアに進むタイミングなのかなと思いまして、退職を決意したというところです。
現在に至ると、こんな経歴でした。
予想以上にすごい長い経歴のご説明になってしまったんですけれど、書籍の中では紹介しきれなかったことっていうのをいくつかご紹介できたかなというふうに思います。
では、今日はこの辺で。またお会いできる日を楽しみにしています。コンテンツ設計アドバイザーの山田真希子でした。
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