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こんにちは。人と組織の問題を、仕組みと教育コンテンツで解決する、コンテンツ設計アドバイザーの山田まきこです。
このチャンネルでは、私がこれまで開発してきたコンテンツのこと、コンテンツ設計のヒントや、現在開発中のコンテンツ、セミナー情報などを配信します。
普段は真面目できっちりしてるって思われがちなんですけれども、結構やらかしてるので、そんなうっかりエピソードなんかもお話できたらと思います。
さて、今日は自己紹介パート3ということで、経歴についてお話をしたいと思います。
1月12日に出版した電子書籍、お客様のお困りごとにとことん寄り添うオリジナル講座の設計レッスンの主な経歴というところにも掲載していますので、そこを読みながらお話ししていこうかなと思っています。
というのも、先日インターネットラジオ夢の種放送局札幌スタジオで、私は収録エンジニアの仕事もしてるんですけれども、そこであるパーソナリティさんが私の書籍のことを取り上げてくださって、その番組の中で、
普段、山田真希子さんという人がPAをやっているから、しゃべることはないんですよね。私は、皆さんが番組を収録する際はしゃべらない。機械の操作に徹しているので、私から私のことをしゃべる機会がほとんどないんです。
そういう背景がありつつ、その書籍の中で、私が普段どういうことを考えているのかとか、これまでどういう経歴だったのかとか、どういう経験をしてきたのかということを書いてあるので、それを読んでいただいて、知ることができてよかったということをおっしゃってくださったんですよね。
そうか、私は積極的に自分から自分がこういう人なんですということを言う機会がなかったというか、自分から言うことがなかったのかなと思ったので、今日は書籍には書いてあるんですけれども、そこもちょっとなぞりつつ、お話できたらなと思っています。
書籍の中に主な経歴という項目があって、高校時代というところから始まっています。高校時代はNHKの放送コンクールの放送劇部分で、神奈川県で1位になりましたとかいうことが書いてあります。
私はそうですね、中学ぐらいから創作活動を始めて、高校では文芸部に入ろうかなと思っていたんですけど、放送部の部活動紹介がすごく魅力的だったんですよね。
自分が考えていることとか思いを番組という形にして、しかも大会に出られますという、そういうことを発表されたと思うんです。
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それはすごく刺激的だし、やってみたいって思ったんです。
その頃、私は自分にすごいコンプレックスがあって、特に声と外見もコンプレックスがあったので、声で勝負できるっていうことだったら、自分のコンプレックスを克服することもできるかなとか、見た目でいろいろなことを判断されることがないかなというふうに希望も持っていました。
入ってみたら、顧問の先生が本当に素晴らしい方で、他の高校でも放送部の顧問をされていて、その顧問の先生が行くところ行くところ全て全国大会に出場するっていう、そういう指導力をお持ちの先生だったんですよね。
その先生が言う通りに番組制作をしたり、アナウンスや朗読の大会もありましたので、練習をしてそこに臨んだら、もうびっくりするほど症状が取れる。症状が取れるって言い方もおかしいですけれども。
今までの人生の中で、全校生徒の前で症状をいただけるなんて機会はなかったんですよね、中学までは。
それなのに、全校集会があるたびに放送部がまた何々大会で難易になりましたっていうことで、もう何回壇上に登ったかわからないくらい、たくさんの症状をいただけるような、そういう活動をしていました。
もちろん厳しい、指導も厳しかったですし、練習もきつかったですけど、それでもすごい没頭してやっていたなという思い出があります。
その活動というのは3年間で終わってしまうので、次どうしようと思ったときに、私は放送とか、声で何かを表現するということ以外では、もうちょっと自分の将来を見出せなくて、それで就職もしつつ養成所に行くという、そういう決断をしました。
ナンスに関する専門学校とかもあったんですけれどね、そこはちょっと親に許可をいただけなくて、行きたいんだったら、やりたいんだったら自分の力で行ってくださいっていう、そういう方針の親だったので、
じゃあ自分で稼ぎながら養成所に行きますって言って、バレーターの養成所に行ってました。
そこでもですね、私結構真面目に練習をするタイプなので、真面目にやって、だんだんオーディションのお話とかをいただけるようになったりとかして、だからアニメの声優のオーディションを受けたっていうこともありましたし、洋画の吹き替えのオーディションを受けたりとかっていうこともありました。
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一番得意だったのは朗読、ナレーションですね。
で、いろいろ友人のつてとか、小物先生のご紹介とかで、定期演奏会の司会のお仕事をいただいたりとか、あと英検会場、今どうなのかわからないんですけど、全国各地で英検、英語検ってありますよね。
英検のアナウンスのお仕事をいただいたりとか、ナレーターのお仕事をいただいたりしていました。
それで、その時はまだ実家にいたんですけど、そろそろ自分でやっぱり生活をしていきたいっていう思いもあって、東京に出ました。出ましたと言っても、私神奈川県在住なので、出るって言うの?っていうふうに突っ込まれるんですけど、神奈川県の端っこの方だったので、私の中では東京に出るっていう感じでしたね。
東京でお仕事を探そうっていうふうに思った時に、ナレーターのお仕事とか、表現のお仕事だけで生計を立てていくことは難しかったので、本当に安易な選択だったかなと思うんですけど、その頃は。
自分がオーディションのお仕事をいただいた時に、割と柔軟にお仕事のシフトを変えることができる、そういう仕事を探していたんですよね。どれかなどれかなっていうふうに思って、求人雑誌を見ていた時に、コールセンターってあったんですね。
コールセンターって、まず何がいいかっていうと、時給がいい。地元でアルバイトをしていた時と比べ物にならないくらいの高い時給だったので、びっくりしましたね。
しかもコール、つまり電話ですから、見た目で判断されるっていうこともないので、声だったら私いけるかもしれないと思って応募して受かりまして、オペレーターからスタートしました。
最初に入ったコールセンターは、IT系のテクニカルサポートのお仕事をさせていただいたんですけれど、そこのお仕事がすごくきつかったですね。
初めて電話越しですけれども、お客様に怒鳴られるとか、辛辣な言葉をいただくとか、そういう経験をさせていただいて、もう心が折れまくってました。
繊細だったんですよね。今も繊細だと思ってるんですけど、今よりもより繊細だったので、本当に毎日憂鬱だったんですけれど、少しずつ応対が上手になっていって、ある時、私を指導してくださった厳しい先輩に、
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私、最近クレームを引かなくなったんですっていうふうに報告したんですよ。そしたら厳しい先輩が、違うよ、それはあなたが上手くなってクレームにしなくなったんだよ。それだけあなたが成長したっていうことだよって言ってくださったんです。
すごいなって、そんなふうな言葉掛けをしてくださるこの人、すごいかっこいいなっていうふうに思いました。私もこういうことを、新人に言えるような人になりたいっていうふうに思ったんです。
それが多分一番のきっかけとなって、オペレーターではなくて、新人をサポートする人になりたいって思いました。慣れてくると、どんどんコールセンターって人が循環していくっていうかね、出入りが激しい業界なので、どんどん自分がベテランになっていくんです。
ベテランになっていくと、新人が入ってきたときに隣について教える係っていうのがあって、その先輩トレーナーとして新人につくっていうことが増えてきたら、だんだん教え方がすごく丁寧で分かりやすいとか、
私自身もお客様対応していたときにお客様からお褒めの言葉をいただいたりとか、クレームだったけれども、お客様に最後にはあなたに対応していただいてよかったっていうふうに言っていただけたり、怒っちゃってごめんねっていうふうに言っていただけたりとかっていうこともあって、
防対品質を評価するアンケートの評価が割と高かったんですよね。そういうこともあって、トレーナーやりませんかとか、あとコールセンターでは品質管理っていうお仕事があるんですけれど、
オペレーターの皆様の音声を聞いて、よりよく防対するためにアドバイスを行ったり、トレーニングを行う仕事なんですけど、そこやりませんかっていうお話をいただいたりしました。
そこから私の研修講師としてのキャリアがスタートするんですけれども、今日はまた長くなりましたので、この続きは次回にしたいと思います。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
まだ書籍は購入してないですという方もよろしければ、この放送の概要欄にURLを記載していますので、Amazonでご購入いただけたら嬉しいです。
ご感想もお待ちしています。
またお会いできる日を楽しみにしています。コンテンツ設計アドバイザーの山田真希子でした。