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こんにちは。人と組織の問題を、仕組みと教育コンテンツで解決する、コンテンツ設計アドバイザーの山田まきこです。
このチャンネルでは、私がこれまで開発してきたコンテンツのこと、コンテンツ設計のヒントや、現在開発中のコンテンツ、お知らせなどを配信します。
さて、今日は、現在ラジオ局の方で絶賛募集中の高校生を対象としたラジオコンテストにちなんで、私が生まれて初めてコンテンツを設計した高校時代のラジオのコンテンツ設計についてお話ししたいと思います。
高校時代にラジオコンテンツの設計をした経験が、私が現在提供しているオリジナルコンテンツの設計にとっても深く関わっています。
私がなぜそこまでコンテンツの設計書にこだわるのか、思いを言語化したり、可視化することにこだわるのかをぜひ聞いていただけたら嬉しいです。
私は高校時代に放送部でラジオ番組を制作していました。
先日実家に帰ったときに、久しぶりに放送の大会でもらった少女を家族と一緒に眺めてみました。
ドラマやアナウンス、朗読、ドキュメントなどさまざまな部門にチャレンジしたこと、県大会1位、全国大会3位など、仲間とともに獲得した栄光と青春の1ページを懐かしく思い出しました。
放送部というと、お昼の放送で流行りの曲を流したりする人たちというイメージがあるかもしれないんですけれど、私がいた高校の放送部はとても活発だったので、
お昼の放送以外にも、入学式や卒業式などの式典の音響、体育祭や学園祭のMC、地域のホールで行われる吹奏楽部の定期演奏会の司会とか、地域の文化活動のMCにも積極的に参加していました。
それらは全てサブの活動で、何がメインの活動かというと、年に3回行われる放送の大会への出品、出場、こっちがメインでした。
本文の先生が、高校の放送部の指導にとても熱心な方で、その先生が着任する学校はいつも大会で上位の成績を収めることができるという、そういう指導力を持ちの先生だったんですよね。
私はたまたまその先生が着任して、2年目にその高校に入学して、ラジオ番組の制作との運命的な出会いを果たすということなんです。
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古文の先生の指導は結構厳しかったですね。いわゆる体育会系の気合とか根性とか、できなかったら怒鳴られるとか、腕立て伏せ300回とか、そういうのではないんですけれど、
とにかく自分の心とか、心の弱さとか未熟さととことん向き合うということをさせていただいた、そういう厳しさがある先生でした。
アナウンスの大会に出場する人というのは、毎日の発声練習と書いた台本の読む練習というのを1000回やるというのがノルマだったんですよね。本番までに1000回読むという。
その練習をさぼると怒ったりはしないんですけど、本当にやらなくていいの?やらないんだったらやらないなりの結果しか得られないけど、君は本当にそれでいいの?ということを何度も何度も質問してくる先生なんですよね。
なので、質問されると常に自分と向き合わなくてはいけないので、自分の弱いところ、ちょっと後増しにしちゃうかなという、そういう弱いところと常に向き合うという、そういう厳しさがあったかなと思います。そういうふうにお尻を叩いてくれる先生だったんですよね。
私はアナウンスというよりは、主にラジオドラマの脚本を書くということが多かったんですけれど、ドラマの脚本を書くにあたっては、書く前の設計の段階というのがすごく時間がかかるんですよね。
そこで自分が考えてきたものをみんなの前とか先生の前で発表するんですけど、そこが本当にいつもいつもすごい胃がキリキリするぐらい緊張する場だったんです。
なぜかというと、設計の段階でものすごい細かな、本当に細部にわたってそこまで設定する必要があるっていうぐらい突っ込まれるんです。
例えば、主人公が犬の散歩をしているときにクラスメイトに出会って、ある会話から主人公とクラスメイトが意見の対立をするという描写がある。
そのときにその意見の対立がどんどんヒートアップしていくにあたって、主人公が飼っている犬が鳴くんですよ。
吠えるんですね。
そういうシーンがありますということを説明したら、まずその時間って何時ですか?季節っていつですか?犬の研修どういう犬ですか?
そのときの通っている道の広さとか、クラスメイトとの距離感ってどういう距離感ですか?とか、
あと主人公と相手の服装って何ですか?制服?制服じゃないの?とか、そういうすっごい細かいところの突っ込みなんですよね。
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もうそれがすごい嫌でした。
嫌でしたね。そこまで必要?そんなの聞いてる人が自由に想像すればいいじゃん。
それでいいのにって、そのときは思ってました。
とにかく人がせっかく一生懸命作ったものに突っ込みを入れてくるなんて、すごい意地悪だなっていうふうに思ってましたね。
でもそういう細部までを設計の段階で具体的にイメージをして、世界観を作っていくっていうことは、とっても大事だっていうことが、番組制作の過程に入るとだんだんわかってくるんですよね。
ああ、そういうことかってふに落ちました。
声優をしてくれる部員がいるんですけど、私が書いた脚本を演じてくれる人ですね。
なんですけど、その人たちが役作りをするのに、その情景がわかってなかったり、距離感がわかっていなかったりすると、やっぱり私が想像しているものとその役者さんが演じてくれるものに乖離があったりしますよね。
あとはSEっていう効果音を作るときにも、音の方向とか距離感がわからなかったり、研修がわからなかったら、音が作りようがないんですよね。
なので、そういうときにもイメージって共通のものが必要だったりしますし、BGMを選んでくれる人もいたんですけど、その人もイメージに合った曲を選ぶのに、私がどういうイメージを持っているのか、どう表現したいのかっていうことを伝えなければ伝わらないので、
そういうことを言語化する、見える状態にするとか、相手に伝わるようにするっていうことがすごい大事だったんですよね。
で、そうやってチームで作り上げたものが聞いている人にも同じイメージで伝わっていくためには、その設計の段階で細かなところまで私が伝えられる状態になっているってことがすごい大事だったんですよね。
でも当時はね、そういうことあんまりわからなかったので、いや意地悪だなっていうふうに思っちゃってましたね。
あともう一つ厳しいなっていうふうに思ったのが、登場人物の設定でした。
登場人物たちっていうのは、私にとっては私の分身でした。私が言えないことを代弁してくれる存在だったんですよね。
なぜかっていうと、私は幼少期からいじめを受けていて、何度となく信じて裏切られる、それで傷つくっていうことを繰り返してきていたので、
中学生になるくらいにはもう基本的には誰も信じられない、自分すらも信じられないっていう状態になってたんですよね。
だから誰にも自分の気持ちを素直に伝えるっていうことはしていませんでした。できなかった。
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それをする勇気がなかったりとか、それを言ったことによって、それが変なふうに伝わっていじめのネタになったりとかするのも嫌だったので、伝えられなかったんですよね。
だからそんな私が自分の気持ちを表現できる唯一の方法が、物語を作ってその登場人物に言ってもらうこと、代わりに言ってもらうっていうことだったんですよね。
なので中学時代には文芸部に入って小説をすごいたくさん書いて、その一人一人に私が思っていることを言ってもらうっていうことをやってました。
中学の文芸師は本名を書かなくてよくて、ペンネームでよかったので、誰が書いたのかっていうのは周りの人にはわからないので、そういうことをしてましたね。
高校に入ってラジオで脚本を書くときもそうでした。
だから一人一人の登場人物っていうのが物語を進行するための都合のいいコマにはならないように、一人一人がそこにリアルに生きている人で、それぞれの人生とか価値観とか人間関係っていうのが積み重なってきたものがあっての、
自分のこのドラマでのこの一幕っていう、そういうことを想像していく作業があるんですけれど、それは本当に自分の言葉を代弁してくれる人たちなので、その人たちがどういうふうに生きてきたのかとか、なんでそういうことを考えたのかとかっていうのを作っていく作業っていうのは、やっぱり自分と向き合うことなんですよね。
それはやっぱりハッピーなことはあんまり思い出せないような過去があったので、辛い作業でしたね。
でもそこも容赦なく先生も部員たちもガンガン突っ込んでくるんですよね。
なんで主人公はそのセリフ言ったの?他の言葉じゃなくてその言葉を選んだ理由は何?とか、その言葉って誰かの影響を受けたの?誰?
本?本だったらなんて本?みたいな、そういうことをすごい突っ込んでくるんですね。
例えば友人、その主人公の友人の言葉に関しても、友人はどうしてそこでイライラしたの?自分の大切なことを軽視されたからイライラしたの?だとしたらそれって何?とか、
そういうことをいろいろ言われて、そんなところまで細かく設定してないしっていうふうに思ってましたけど、それじゃあやっぱりリアルな人物像は描けないんだよなっていうことをそこで学んだわけですね。
だからコンボの先生は私の人生、私自身の人生について深く突っ込んでくるっていうことはなかったんですけれど、作品作りを通して、
人物設定だったりとか情景の設定を通して、強制的に自分の世界観とか自分自身と向き合うっていうことになって、結果的には自分を客観視できるようになって、
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自分が本当に言いたかったことを登場人物たちに言ってもらえたことで、気持ちが落ち着いたりとか浄化されたなっていうふうに思ったこともありました。
さて、ここまで高校時代の話が長くなりましたけれども、コンテンツ設計の話に戻ると、どこでやっぱり今やってることとつながってるかっていうと、
この高校時代のラジオコンテンツの制作において、とにかく丁寧に設計していくことが大事だっていうこと。
それから設計したものをチーム、その当時は放送部の部員でしたけど、その仲間に伝えられることが大事。
設計をすることで自分ととことん向き合うっていうことも大事だなっていうこと。
そうやって丁寧に生み出された自分の分身を自分がまず大切にすることっていうのも大事なんだっていうことを学びました。
確かに自分が大切にしていないものを大切なお客様に提供するっていうことはできないですよね。
だから私自身も改めて生み出した書籍を大切にしようっていうふうに思いましたし、自分が今提供しているサービスも大切にしようっていうふうに思いました。
高校時代のことを思い出させてくださったのは、やっぱり私の高校時代の恩師である古文の先生でした。
私は先日20年以上ぶりに先生に電話をしたんです、突然。
筆部掌なのでお手紙を書こうかなってずっと悩んだまま寝かしちゃったんですけど、これはもう一回電話をしてスッキリしようと思って電話しました。
そしたら先生は当時と全く変わらず、お元気で細かい質問をしてくださったんですよね。
こういう感じだったよなっていうふうに思い出して、ちょっと懐かしくなりました。
さて、今日は私の高校時代に制作したラジオコンテンツの設計の経験が、今のコンテンツ設計にとてもつながっているんだっていうお話をしてきました。
どんなコンテンツを高校時代に作ったのかっていうところは、また機会があればお話ししたいなと思います。
私は割と頑固なので、作品作りもですね、こう思ったことっていうのは貫きたいとか、みんながそう言ったとしても私はこう思ってるみたいなことを主張する番組が多かったんですよね。
高校生ならではの青臭い感じもあるんですけど、そういうこともちょっと思い出したので、また何かの機会があればお話ししたいなというふうに思います。
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ここで一つお知らせです。私がスタジオリーダーをしている夢の種放送局札幌スタジオとギフスタジオ協賽で、高校生を対象としたラジオコンテストボイスを企画しました。
テーマはチャレンジ。高校生が今チャレンジしていること、これから挑戦したいことについて30分のラジオ番組を制作して、自分の声と言葉で表現していただきます。
そしてその表現していただいたラジオ番組を全国放送します。
対象は岐阜県と北海道にお住まいの高校生。作品の形式はテーマに沿っていれば、トークでもドラマでもドキュメンタリーでも朗読でも、それらの組み合わせでも何でもOKです。
このポッドキャストを聞いてくださっている方で、高校生はいないかもしれませんけれども、高校生のお子さんを持つ保護者の方、ご親戚の方、学校や塾などの習い事関係の方など、お近くに高校生、特に北海道の高校生がいらっしゃいましたら、ぜひチャレンジしてみたらとお声掛けいただけたら嬉しいです。
商品は、なんとグランプリはAmazonギフトカード5万円分と、3ヶ月間自分の番組が全国放送される権利というものをいろいろご用意しています。
最後に、7月スタートのオリジナル講座設計レッスン、無料モニターセッションのご案内です。
おかげさまで、たくさんの方にお声掛けをいただいております無料モニターセッションですが、現在は7月後半または8月スタートのモニターを、それぞれ2名、先着順で募集しております。
ご希望の方は、Twitter、Instagram、Facebookなどの各種SNS、すべて実名の山田真希子で登録しております。
もちろん、このスタンドFMのダイレクトメールからでも構いませんので、ご連絡ください。
枠が埋まってしまいましたら、スタート時期を少し後ろに調整させていただくこともありますので、ご了承ください。
では、今日はここまでです。
今年1月に発売しました、お客様のお困りごとにとことん寄り添うオリジナル講座の設計レッスンの電子書籍は、この放送の概要欄のAmazonのURLからご購入いただけます。
端末に掲載されているURLから、私が全文を朗読している音声でもお楽しみいただけます。
ぜひ見て聞いていただけたら嬉しいです。
ご感想もお待ちしております。
またお会いできる日を楽しみにしています。
コンテンツ設計アドバイザーの山田真希子でした。