1. FM八ヶ岳 まちほくラボの八枚おろし
  2. 2026/03/09 まちほくラボの八..
2026-03-14 29:10

2026/03/09 まちほくラボの八枚おろし(座談会2)

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、「まちほくラボの八枚おろし」の座談会第2弾として、自然環境をテーマに議論が交わされました。まず、「環境」という言葉の多義性から議論が始まり、個人の生活環境から地球環境まで、人によって捉え方が異なることが指摘されました。特に、北杜市のような自然豊かな地域では、「人と自然が躍動する」というスローガンがあるものの、経済との結びつきが課題として挙げられました。多くの人が地球温暖化などの自然環境問題を重要視しているにも関わらず、政治的な争点になりにくい現状について疑問が呈されました。 議論は、自然環境を経済と切り離して考える日本の現状に対し、コスタリカのようなエコツーリズムや自然保護をビジネスに結びつけ、国を豊かにしている海外の事例が紹介されました。日本には縄文時代から続く自然を大切にする歴史や文化があるにも関わらず、現代では自然が「金儲けの対象」と見なされがちであるという指摘がありました。しかし、若い世代には自然への関心が高まっており、森の幼稚園のような新しい取り組みや、自然体験を通じた教育の重要性が語られました。 さらに、自然環境の捉え方についても掘り下げられ、人間の快適さや利便性を追求する中で、手入れされていない「厳正自然」と、人が関わりながら保たれてきた「自然度がある」自然の違いが議論されました。北杜市のような場所でも、冬の寒さや水の不便さなど、必ずしも快適な自然ばかりではない現実が示され、自然との「折り合い」や「バランス」を見つけることの重要性が強調されました。最終的には、自然を恐れ、感謝し、災害も乗り越えながら、未来に向けて持続可能なライフスタイルを築いていくこと、そして、自然の生態系全体を理解し、人間と自然が対立するのではなく共存する視点を持つことの必要性が語られました。

「環境」の定義と自然環境への意識
FM八ヶ岳 まちほくラボの八枚おろし
この番組は自然豊かな高原エリアで、つながるが合言葉。 政治・自然環境・福祉・文化芸術
子どもの育成などそれぞれの分野の人たちが、集代わりで登場し、自由に未来語りをします。
この番組は、小渕沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りします。
皆様、お疲れ様です。 だんだんだんだん春がやってきていますけれども、
北斗市はまだまだですね。 今日は自然環境に特化している
アンジーカラー。 私も自然環境大好きなあの分野なのね。
そこで、なんだろうな、学びたい。 そんな気持ちでね、今日は来てますんで、よろしくお願いします。
前回と同じでね、グループトーク座談会形式で行いたいと思います。
みんな元気でいますか? 元気ということで、アンジーお願いします。
はい、今月は座談会形式ということですが、第2週目はいつも自然環境をテーマにやってきているので、今月もそれで行きたいと思いますので、
アンジーの方から口尾を切りたいと思います。 まずね、環境っていう言葉ね、
これについてよく深くいつも考えるんですけど、皆さんいかがですか? 環境という言葉、何をイメージするか。
まず自分の環境、まず第一に、思う。 私はね。
自分のことね。 難しいですね。 環境ってね、結構ものすごく広い言葉なんですよ。
育った環境とか、その生い立ちみたいなイメージでもありますよね。 そう、当然それあるし、生活環境もあるしね。
環境っていうとすごく幅広くて、環境って言葉を使った時に、実は10人いたら10通り違うイメージを持っているというところから、まずスタートしなきゃいけない。
面白いですね。 一番最初に、自然環境に特化したアンジーナということを言っていただいたけど、
自然、僕の場合にはやっぱりね、自然界、大自然とかね、大地とか地球環境とか、そっちにイメージが引きずられるけれども、
環境という言葉を出した時に、みんな同じことを考えていないよということは、まず前提にしていただいた。
覚え込みだね。 面白い、面白い。 そうなんです。
まずね、そこのところをスタートラインにしたいと思います。 ありがとうございます。
その中で、第2週はいつも自然環境、特に私たちは、よく言う自然環境豊かなとかね、
例えば北都市のスローガンは、人と自然が躍動するとか、そういうような言い方をするでしょ。
自然が豊かだったら、ここに引っ越してきたとか、水が綺麗だから、ここが好きだとか、というのは、僕らの身の回りの普段の生活環境、
暮らしの環境がかなりそれに近いものがあるのでね、あえて自然環境にフォーカスをしてお話をしていると、こんな感じですよね。
ただね、前回は政治の話でした。 盛り上がったね。 盛り上がって、実は放送終わった後も、また議論になって、
やっぱり全然時間が足りなかったなということですけれども、さてどうでしょうか、自然環境っていろいろ問題があったりとか、課題があったりとか、
一番大きな話としては、地球温暖化とかね、地球環境大丈夫とか、というようなことって大問題だけど、
政治の世界であまり語られないというか、選挙なんかでもあまり争点になっていなかったりするでしょ。
これはどういうことでしょうかね。 みんなが大事な問題だと思っているのに、あまりそれで対話したり議論したり、
話題にしたりということが少なくないですか。 小林さんどうですか。
ぱっと思ったことは、この卵と鶏とどっちが先かみたいなところが、ちょっと思ってね、どういうことかというと、
我々は経済っていうところは重要じゃないですかね。
一方で今、安寧が言う、自然環境の重要さとかなんとかっていう話は、当然ついてもあるわけですけど、
我々、この北都市はね、こういう自然界とか、景観とかすごく恵まれた国内でもところかなと、
すごく僕は戻ってきて、改めて自負というか、ありがたいと思ってますけどね。
そこで、やっぱり景観と僕はね、あえて言うと、景観と経済というのは結びついているものだと思うんですよ。
結びつかなきゃいけない。 結びつかなきゃいけないですよね。
だけどこれどっちかというとね、切り離しちゃってて、これで景観とか自然界は二の次で経済、経済っていう方にばっかり、
例えば政治家にしても、行政はいろいろ、それを決まったことを進めるっていう立場でしょうけど、
どっちかというとね、経済、経済の方に行っちまうその意識っていうのが、それも無意識かもしれませんけど、
そこに問題がそもそもスタートの段階であると。
安寧、どう感じました?
だからボタンの掛け違いっていうかね、そもそもスタートのところで。
経済と自然環境の乖離と海外の事例
まさに現象はそうなってるでしょ。
現象でしょ?
うん、現象っていうかね、僕ら、例えば自然観察指導員とかね、
森林インストラクターとか、自然系の何ていうか、資格があったりとか、活動があったりするでしょ。
で僕らがね、若い頃、最近だいぶ変わってきましたけどね、一番若い頃そういうものを目指したときに、
そんなもんで食っていけるの?っていうふうにすごく言われましたよ。
環境で食えるか?っていうような世論もすごくあるんですよね。
要は経済とは結びついてないっていうことになってくるでしょ。
でもね、これ今までの時代は確かにそうだったと思う。
でもね、世の中ってやっぱりね、だいぶ変わってきている部分がありましてね。
国内ではまだなかなかそこまでいかないけど、海外なんかにちょっと目を向けてみますとね、
やはり自然環境をすごく大切にしていて、しかもそれを誇りにも思っていて、
誇りに思って大切にしているから守っていこうっていうのも当然強い。
それがですね、実はエコツーリズムだとかですね、それから生活環境ものすごくいいよねとかっていうね、
社会の民度がどんどん上がっていく。しかもそれがビジネスにもつながっていく。
そういうふうになっている、モデルとなっているような国というのが実はあります。
一番目立っているのは、中米ね。
アメリカのちょうど南米と北米の真ん中、中米にコスタリカっていう国がある。
聞いたことある。コーヒーで有名でしょ。
スターバックスっていうコーヒー店のね、大きな農場が今はコスタリカにありますよ。
このコスタリカっていう国の歴史だとか、これまで至る経緯っていうかね、これを一旦ひも解いてみるとね、
いや、なんか日本と共通点いっぱいあるぞと。ところが日本で全く実現できてないようなこと、向こうでは結構できてるじゃんみたいなのがたくさんあるんですよ。
これはね、前回の政治の民主主義の話もそうだったり、それから軍隊がないんですよね、あの国ね。
だって中米とか、あの辺ってややこしいでしょ。この間もエクアドラとかね。ものすごいややこしい紛争知識の中なのに、
なんと、あそこのそのど真ん中のコスタリカ、軍隊持ってないのにうまくやってるんですよ。
これもね、まあちょっと今日政治テーマじゃないからなんだけど、ちょっと不思議でしょ。でもね、ひも解いてみると、まあなるほどっていうのがある。
それとね、私がどうしてコスタリカを知ることになったかって言ったら、やっぱり自然環境なんだけども、先ほどもちょっと言った。
エコツーリズム。これが世界一なわけですよ。
で、コスタリカも実は大昔から自然環境を大事にしてきたわけじゃなくて、ある頃からやっぱりこの私たちの大地、環境を大事にすることによって、国が栄えるじゃないかって言って、
で、自然保護区をたくさん設けたり、山登るのにしても乳残量すごく高く取ったり。
で、そしたら人が来なくなるかなと思ったら、まあやっぱり魅力的な自然環境があるもんだから、世界中から人が来るようになって、それでもうそれがかなり経済を回しているというね。
これどうでしょう。この北都市あたりでも同じことできそうなんですよね。
できないと思いますよ。
そうですか。
あのね、根本的な考え方が違うんですね。
で、まあ北都市だけじゃないんだけど、日本という国が環境ビジネスっていうところが、ちょっと言葉後編があるかもしれないけど、
さっき兄さんが言ったように、環境で飯が食えるのかよっていうところがまだあるわけですよ。
ありますよね。
食えるんだよって思うんだけども、実際に、例えば富士山にしてもそうだし、
いろんな有名な観光地があるけども、そういうところを金ずるとしか見えてないんだよね。
金ずるね。
嫌な言葉。
そういう考え方あるうちは日本人にはスタリカルマネージャーできないと僕は思えている。
それは言えてますよね。
だからここまではっていう話にしないと、我々これから若者だとか後継を預かる立場とすると、
希望も何もなくなってしまうから、それを僕はやっぱり、もちろん政治家でそういうことに気がついて、
これから切り替えていこうとか、そういう社会を作っていこう。
これは多くの有権者なり、国民の意識を変えていこうっていう、これは政治家なのみではちょっとまずいねっていうのは、
一応僕はまちづくりの基本としたいと思いますけど、
大事だね。
行政とか市民、議員さんだけにおんぶに抱っこじゃなくて、我々自ら市民もつながって、
フラットにつながって、自分たちの地域は自分たちで作っていくっていう意識を高めて、
そういう切り替えるっていうことにしていかないと、夢も希望もないねって話になっちゃう。
先ほどちょっと言いましたけれども、僕らはコスタリカとは違う歴史を持っていて、
民族的にも感覚的にも違うものがあって、そういうものが背景にやってきているから、
そう簡単には変わらないよというのは確かにその通りなんですよ。
ところが一番最初に僕はコスタリカと日本って結構共通しているところがあるねと。
それ知らないんだよね、みんなはね。
そこにスポットを当ててみると、今現代は自然環境を金ずるにしか思えないというのが
主流になっているというか、メジャーになっているけれども、もともとそうだったでしょうか。
例えば縄文時代まで遡ったりとか、もっとそれより遡って旧石器時代からこの大地に人が暮らしていて、
ずっと森を大切にしながらその恵みで生きてきたという我々の歴史があるでしょう。
神様だとかいうようなことを言ったって八百万の神というものを常に建て祀って、
自然を恐れたり恵みに感謝したりという、もともとそういう国民であって、
全然金づりなんていうことは最近の話なんですよ、逆に言うとね。
だから僕らの遺伝子の中にある、深いところにあるものというのは、自然は大事にしなきゃいけない。
ただ単に汚しちゃいけないとかそういう話ではなくて、もともと我々は生かされているということ、
生命が循環しているということはこの大地あってのことだし、生命論だとか生命倫理まで立ち立っていくと、
日本人ってもともと持っているものは今の現代人とはちょっと違うものか。
それが経済も豊かになって、豊か豊か豊かって、経済経済って言ってきたら、
この百年ぐらいか五十年ぐらいの間に金づるに見えてきちゃったみたいなところがあるじゃないね。
もう一回原点に立ち返ると、僕は逆にこれから日本流のエコツーリズムというのは大いに可能性があるというふうに思っているし、
すごくゆっくりだけれども、30年前、20年前と今を考えたら、ずいぶん金づるから脱却してきている部分もあるんですよ。
僕ももう60歳過ぎましたからね、バブルの時代を知っている世代ですけれども、
バブルを知らない若い世代ってもっと純粋だったりすると、
やっぱり自然環境に向き合う姿勢だとか活動への関わり方って、ずいぶん違うというふうに感じるんだけど、皆さんいかがですか。
それはね、その通りで、極端な言い方をすれば幼児体験だと思うの。
小さい頃から本物の豊かな自然を見て育って、あるいはそれが破壊されていく姿を見て育つ。
それがどういうことかということを、やっぱり茶屋内から体験させる。
僕の場合、幼児体験じゃないんだけども、高校時代から自然保護活動を東京でやっていて、
一番ショックだったのは、多摩ニュータウンの造成工事。
あれ見た時にね、僕らフィールドだったわけですよ。
もうそこにはエビネの大群落があったりとかね。
エビネって知ってる?野生のランなんだけど。
ものすごい種類がいっぱいあるの、日本中に。
そういうところだとか、昆虫なんかも信じられないような種類の昆虫がたくさん。
蝶々が好きだったからよく蝶々を集めてたけど、こいつがいるのかっていうところだった。
それがある時からブルトーザーが入って、赤土丸出しの給料に変わっていって。
これね、見た時は本当に大ショックだったの。
だからこういう光景はもう見たくないなと思ってね。
大事なところですよね。原風景というかね、原体験とかね。
そういう意味では、今日ご結績ですけど、中島久美子さんは森の幼稚園で、
ものを日本でも一番最初にやり始めて、成果を上げてきているというかね。
これも20年前にはなかった話なんですよね。
でも今だいぶ広がりを見せてきている。
そこで育った子どもたちが、例えば中島さんとこの幼稚園を卒業した子は、
20歳を超えています。
育った子がちょうど2期生ができているので。
だから新しい時代、結構期待が持てるような気がするんですね。
ちょっと話がずれるのか、反れるのか、反っているのかわからないんですけど、
思い出ポロポロという映画があって、アニメですけれども、
その中のセリフで私すごく印象に残っているのが、すごくのどかな田園風景があると。
都会から農業体験に来た主人公の女性が、
自然が残ってていいですね、みたいなことを言ったと思うんですよ。
これは違うんだよ、自然じゃない。これは全部人間が作ったものですよ、男の人が言う。
それがすごく印象に残ってて。
北都市もそうですね、眺めがいい、富士山がよく見えるところというと、
全部田園になっている、田んぼになって、水田になっているところ。
綺麗な森があるところというのは、適度に人の家が建っているところだったりするわけです。
今、町コブでも不動産をやっていますけれども、
全然入っていけない荒れ果てた山林とか、畑、地目が畑なんだけど、
木が生い茂りすぎて、こんな大きい松の木がガーンと立ってたりするようなところ、
これもまだ畑って言うんですか、というような土地がいっぱいあるわけです。
それ、人の手が関わっていないから、手入れすることを放棄してしまったからということなんだと思います。
それだから、熊なんかもそういうことで、干渉地帯もなくて来ちゃったりするわけですよね。
ここ、やっぱり人間はちょっと勝手なところがあるんですよね。
自然があるとか自然度が高いということを、いいことのように言うけれども、
今言うように、分けて考えなきゃいけない。
人間の手が入っていない厳正自然なのか、
それから過去にちょっとそういう手を入れながら作ってきただけの自然度があるけど保たれているのか、
それとももう完全に人為的にブルドーザーで破壊してコンクリートで、
そういういろんなレベルがあるじゃないですかね。
人間は何が好きかというと、自分が快適かどうかということが問題なんですよ。
そうすると自然度が高すぎて、危険かもしれないし、
やぶかもしれないし、暗いかもしれないし、そういうところが嫌がるでしょ。
そうすると適度に快適な自然が残っているというものをゼーとするというね。
さてここで考えてみたいんですよ。
ここは北都市八ヶ岳、かなり大自然のはずじゃないですか。
それって必ず快適な自然ですかね。
自然体験と世代間の意識の違い
でもさっき安寺君が言ったようにね、違うよね。
だって例えばものすごく冬は寒い。
それって悲しむ喜ばないじゃないですかね。
だって小渕さんの上の方では水も出なくて、
みんな水を汲みに行くところから一日が始まったという、
開拓の人たちの大変な歴史があるわけですよね。
快適ということは裏返せば不便が嫌だということでしょ。
だけど自然度が高かったり、山だったりすれば不便になってきますよね。
だからこの折り合いだと思うんですよね。
バランスというかね。
うまく経済ときちんと結びついていると、
そこそこいい環境じゃないけど、暮らしやすい環境。
でもそれってわがままだよね。
難しいけど、あるけど一手入れていかなきゃいけないんだと思います。
だから人間って残念だから僕も含めてみんなわがままだんですよ。
これから抜け出せないんですよね。
だから景観がいいって言ったっていい時もあるかもしれないけど、
そうでない時だってあるしね。
この辺の折り合いをつける中で、
じゃあ日本列島だけで考えても、
日本列島って森の国って言われますよね。
国土の6割7割森だというのは、いい部分もあるし不便な部分もあるわけでしょ。
だけどこの森の大地を私たちは与えられて、
大体その森の大地で暮らしてきたから、
それをなんとかうまく折り合いをつけて生きていくという、
そういう民族でありたい。
アンジー、自然とのコミュニケーションよ。
折り合いをつけていくっていうのは。
また大地の環境が違ったら、
違う民族、風習、文化、文明があっていいかもしれない。
そうすると我々はやっぱり森の大地といかに上手に付き合おう。
快適さも維持しつつ、でも自然を恐れたりとか、
時には災害もあるかもしれない。
でも感謝もするという、
このライフスタイルをいかに未来に向けて作っていくかというね。
そういうことを考えていきたいなと思うんですよ。
それから同じ日本ネットの中でも、
比較的都市に近いところと、かなり山で森もあって、
野生生物もいっぱいいるところだと、
やっぱり暮らし方、違わなきゃいけないでしょうね。
そうだよね。
だけど一律に快適がいいみたいな形になると、
人為的な開発を田舎に持ち込んでくるということになるし、
この辺りをこれから未来に向けては、
ちょっと真剣に考えていきたいし。
ほんまや、真剣に考えなきゃ。
だからさ、北東市がね、
一流の田舎町って誰かに言ったけどさ、
何をもって一流って言ったのって聞きたいんだよね。
本当ですね。
やっぱり今安寺さんが言ったように、
自然って言うけども、いろんな自然があって、
人の暮らしとどうやって折り上げをつけていけるか。
それができて初めて一流だってまだ分かるんだけども、
今の段階で、里山っていう言葉があって、
昔はその山をうまく利用して人々が暮らして、
豊かだったかどうかは別としてもね、
自然の恩恵をいただきながら、
時には喧嘩もしたかもしれないけど、
そうやって暮らしてきた時代があったわけじゃないですか。
それに比べるとやっぱりそういうのがめんどくさいとか不便だとか
っていう時代になっちゃって。
蛇口ひとつひねれば水が出てくるし、
町一歩があればストーブに火がつくしっていう時代になっちゃった。
そこを、本当はこれじゃダメなんだよね、いけないんだよねっていう風に
言ったってなかなかはいそうですかってならない。
そこをどうするかっていう問題だと思うんだよね。
快適さと不便さ、自然との折り合い
暮らす人の意識も、不便な部分と経済の部分と自然環境保護の部分を
ちゃんと全部ミックスして考えて、
それを享受した上での暮らし方をしなきゃいけない。
おっしゃるように都会と同じようなものを田舎に求めても
食われていくばっかりなので、
うちの夫なんかはよく蛍が見えたのになーなんて言いますけどね。
ちょっと政治の話になるけども、
政治家たちが環境保全だとか自然保護だとかっていろんなことを言う。
それは国会議員も県会議員も市会議員も同じだけど、
じゃああんたらね、蝶々の名前どんくらい知ってるよって。
そこら辺飛んでる鳥どのくらい知ってるよって。
要するにその自然界で永遠と生きてるね、いろんな大小の生物がいて、
そういうものにきちんと理解をしないと、
自然保護って何って言ったときに困るよって思うんだよね。
全くその通りですよね。
例えば僕らの仲間なんかは比較的蝶々の名前も植物の名前も関心があるから、
図鑑も持っててよく知ってたりするんですよね。
でもあるときこういう話がありました。
生き物たちの名前だとか種類をたくさん知っているというのは
よく自然観察をしているということではあるんだろうけど、
昔のね、今言うたら例えば縄文時代まで魚終わらなくてもですよ。
この山に乗っていつも山で仕事をしている人たちは図鑑も持ってないし、
教育も受けてないし。
そうすると目の前に植物があったときに、
こんな木はうちの山にはたくさんある。
こんな木は見たことない。うちの山には一本もねえぞ。
これ言えるんですよ。
ところが名前なんか全然知らないんですよ。
だから名前だけ知っていて覚えているような人と、
要するに大地に根差して生きていて、
目の前の自然環境、虫ケラから植物からすべて焼き付けてあるないを知っているという人と、
どっちが自然のことをよく知っているんだろうという話にもなった。
そのおっちゃんはね、つまり生態系を理解しているということなんだよね。
そうなんです。
名前だけ知っていても生態系がわからない。
つまりこの女の子は幼稚園のときに何を食っていたとか。
そういうことまで全部ひっくらめての自然じゃないですか。
それがまさに自然の営みであって、
その生態系全体を通して我々はその中で生かされているんだとか、
我々もその一部なんだという感覚をね、
やはり現代人は、自然と人、自然と人間というのを対立軸で考えちゃっている。
この辺がやっぱりこれからの時代はね、ちょっと考え方を考えてきた。
今、アンジーのその言葉を聞いて、本当に私はありがたいなと思った。
そこで私は生きているんだって。
だから特にね、写ってきた人も多いわけだけど、地元で生まれ育ったという方は、
本来はそういう生態系から全部つぶさに見てきた人となっていたはずだったんだけど、どうでしょう。
最近ね、アンジーはね、この自然環境豊かな北都市とかいうことでね、
それを誇りにしていたけど、どうですか。
虫は減っている。植物も減っている。上から変化もしている。
今までいないものが来たりとか、そういうふうに変化をしているということを、
僕らは関心高いからそういうことを語るけど、誰もピンと来ていないんです。
虫が減っているということ、実感ありますか。
これはね、大問題なんだけど。
減っていることが問題ってあんまり思わないんでしょうね。
思わないな、私。今年川少なくてよかった。
でもね、それ以上に、やっぱり見てないんですよ。
見えてないんです。
見えてないんです。関心が薄いというかね。
それはね、顕著に思いますよね。
僕はいつも言うんですけどね、今から20年ぐらい前に小淵沢で中央道に乗ってですよ。
坂をずっと降りて長坂インター、下間インターまで道を崩れていく。
そうするとね、真夏でも真冬でもね、たくさんの虫が飛んでいって、
車のフロントガラスに虫だらけぶつかっちゃって。
ないですね。
もうね、あんなに洗車して出てきたのに、もう下間まで行ったら虫のつぶだらけでまた吹いたりやって。
今、汚れないですよ。
確かに、本当だ。
そうですね。
夜ね、ヘッドライトをつけて走れば虫がたくさん飛んでいた。
あれ、どこ行っちゃったなっていうくらいサイレントですよ。
生態系の理解と自然への関心の低下
本当ですね。
そういうことを地元出身の親父どもに僕よく言うんだけど、全然キョトンとした顔をしています。
それは何が悪いのって感じですね。
だから、昔も知っている人、今も知っている人、気づいていないということがある。
いやいや、本当。おっしゃる通り。
これはね、かなり深刻な問題だと思う。
例えばさ、常備滝っていう風通りが10月ぐらいにシベリアから渡ってくる。
あいつがさ、何年か前から夏にいるんだよね。
子育てしているの。
鳥好きの連中の中ではそういう評判になっているんだけど、
関心のない人には、スズメみたいな鳥がいるなって思っちゃうんだよね。
思っちゃうね。
だけど、本来冬鳥が夏にもいて子育てしているって事件でしょ?
事件だ。
所さん、事件です。
全くそのレベル。
ちょっと今、いろんな意見がね、いろんな方向から話が出ましたけど、
ちょっとあえてちょこっとだけ言うと、
ここで我々、お話だけじゃなくて、
大滝雄吹って小牧さんにね、非常にそういう意味で重要な場所があって、
それをまちほグラボがですね、一応管理ということで預かりましたので、
そこで、そこを舞台にですね、これから舞台的にそういうことも含めて取り組んでいこうと思っています。
ありがとうございます。
そこで話したいですね。
ネイチャー部分がこのアンジーですから、
今後期待でまたよろしくお願いします。
うまくまとまりました。
じゃあそんなところで、なんかねしりきりとんぼんなっちゃったけど、
また次回ということで、アンジーありがとうございました。
ありがとうございました。
この番組は小渕沢のまちほグラボ株式会社の提供でお送りしました。
29:10

コメント

スクロール