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2020-02-09 13:29

第27回【黎明期】1987年のおばけワープロP1で知ったDTP

当時8801では最先端環境だと思っていた私のPC-VAN環境の中で発売されたおばけワープロP1は、1987年当時としては画期的なDTPという世界を私たちに見せてくれました。まさか、そんなことがあパーソナルユースのパソコンでできるとは。すでにマックでは実現されていたことなど、つゆとも知らず、1987年という黎明期のささやかなDTPに興奮した私たちでした。
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Lyustyleの知的迷走ラジオ、第27回目の今回は【黎明期】です。
1982年当時のパソコン事情、そしてその中で生まれたP1というおばけワープロの話、
そしてそのP1から学んだDTPという世界のことについてお話しします。
1987年頃のパソコン事情ということなんですけれども、
これはあくまでもNECのPC8801など、88シリーズ、98シリーズというところに限っていえばの話なんですが、
プロッピーディスクが2機使えるようなのが一般的というかスタンダードで、
さらにそのプロッピーディスクも2HDというそのようなプロッピーが使える、
それが大容量と言っていたんですけれども、それが使えるというパソコンが当時の一番先端だったと思います。
まだハードディスクなんかは高くて買えない時代です。
1メガ1万とか言っていたような時代なので、20メガが20万とか言うような時代だったので、
とてもハードディスクなんか買えるような時代ではまだありません。
ソフトウェアはプロッピーディスクで買って、そしてそのプロッピーディスクをパソコンに入れて立ち上げると。
ゲームのソフトのプロッピーを入れればパソコンがゲームになる。
ワープロに変えたければ一旦電源を切って、そしてワープロのプロッピーを入れ直さなければならなかったんですね。
電源を入れたまま切り替えられるようなメニューというようなのは夢のような話で、
当時はプロッピーディスクで1回1回電源を落としながら起動し直すというのが当時のPC88、98、
そのようなのがスタンダードだったんですね。
それ以外のことを知らなかったわけですよね。まだハードディスクも知らないので。
ですから自分たちが使っているそのパソコンが自分では最先端だというふうに思っていますので、
マウスがまだ一般的でなくて、全部キーボードの矢印キーでカーソルを動かしながら進めていくというのが一般的で、
そういうもんだというふうに思っていました。
しかしデザイナーの間ではすでにマッキントッシュというグラフィカルユーザーインターフェースの優れたコンピューターなどが、
業界では一般的ではあったんですけど、パーソナルユースでは見たことがないわけですね。
僕の周りの友人でMacを持っているような人なんて全くいないんですよ。
みんな98を持っていればすげえって言っていたような周りの人ばかりですから、
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デザイナーなどに友達がいたんだったらもしかしたらMacだよって言われたかもしれないんですけれども、
そういう一般的な人しかいないものですから、パソコンで仕事をするといったときには88とか98とか、
それからソフトウェアがたくさんあったものですからね。
売っているソフトウェアが多かったものですから、88がいいぜとか98がいいぜとか言いながらね、
友達を増やしていったわけですね。
そういうような時代ですね。
僕は87年頃は結婚して1年目ぐらいなんですけれども、
ワープロとゲームに主にパソコンを使っていました。
ワープロはDBソフトという会社のですね、スーパーシュンボーというのをね、
すごい名前ですけど、スーパーシュンボーというのを使っていたんです。
シュンボーというのは春に臨むと書くシュンボーですね。
スーパーシュンボー2とかなんとかいうやつだったと思いますが、
非常に他にもいろいろあったんですよ。
オーラエースとかね、そういうようなすごい名前がいろいろあったんですけど、
そういうものに比べてですね、いろいろ私もね、
人のを見せてもらったりして、店頭で触らせてもらったりしていろいろやったんですが、
スーパーシュンボーが一番きれいで、変換もよくてという感じで、
それが私は好きで使ってはいたんですよね。
画面もですね、斜め文字とかね、横倍角とかね、
そういうような表現がなんとかできているぐらいで、
ゴシックタイだとかミンチョウタイだとかフォントを変えることすらできなかったですからね。
フォントを変えるときには特別なディスクが必要だったんですが、
そういうようなものすらまだなかったと。
ミンチョウタイを印刷するだけでしたね。
さらにそれを編み掛けしたり太字にしたり斜めにしたり横倍にしたりぐらいのところが、
関野山というような状況だったんです。
ですから、ワープロで打った文章というのは、
だいたいどれも似たようなものだったんですよ。
他の人よりすごいものを目立たせたいなと思って、
黒い背景に白い文字とかが打たれてたりすると、
すごいなとか思ってたりしたんですよね。
ところがですね、1987年の夏にですね、
DBソフトから毎月送られてきていたマガジンに、
なんか見慣れない文字があったんですよね。
What you see is what you getという、今では有名な言葉ですよね。
あなたが見えた通りにあなたは手にすることができるよという。
そして表示されているパンフレットの写真を見ると、
目を見開かんばかりの表現力のワープロ画面があったんです。
考えられないような一つの画面の中に大きなグラフィックが書いてあって、
そして周りに小さい文字やら大きい文字やら、
白い背景に黒文字とか、白抜き文字とかね、
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もうこれまでの88のワープロでは到底考えられないような
表現力のワープロの画面がそこにあったんです。
で、この3文字の言葉が書いてあったんです。
DTPという言葉です。初めて知りましたそこで。
デスクトップパブリッシングという言葉ですよね。
こういうことがパソコンでできるようになったのかということで、
まあその時も驚きましたね。
そういうワープロが出るって聞いてね、
もう本当に夢に出るくらいに楽しみにしてましたね。
名前がね、P1っていう名前なんです。
それね、4万円くらいかかりしてたんですけれども、
ちょっとうちの連れ合いにお金をね、
何とか出してくれっつって、もうお願いしてね、
お金持って、お金持って、お金持って、
もうお願いしてね、お金持ってソフト屋さんに買いに行きました。
もう嬉しくて嬉しくてたまりませんでしたね。
そうするとね、フォントディスクっていうのが入ってるんですよ。
民調体とゴシック体とね。
ゴシック体がね、民調体と一緒に打てるようになったんですね。
こんなゴシック体と民調体が混在できる文書が打てるのだとかね、
思いました。
一つの画面の中で、確かに絵も描けてたんですよね。
それも驚きだったし。
あと、色も自由自在につけられる。
もうね、あの小さい4分の1角の文字とかもね、
ありましたから表現力半端ないわけですよね。
いや、本当にね、もうパソコンすごいなと思ってね。
一遍変換したものでさえ、後からカーソルでなぞれば、
もう一遍そこが変換できるようになるとかね。
後年の市太郎でさえね、そういうモードにしないとならなかったものを、
88のP1は普通の通常のモードの中で再変換っていうのができてたりとかしたんですね。
いやもうね、本当に驚きでしたね。
持っていくレポートの中に、マウスで自分で丸書いたりめちゃくちゃ難しかったんですけども、
そういうような図を書いて、それを印刷して持って行ったら、
みんなびっくりするんですよ。
なんだこれって、絵が入ってるじゃないかみたいなね。
何食わぬ顔で持って行ったりするんですけれども。
まあ、それが僕は最先端だと思ってましたね。
Macがね、ページメーカーとかいう時代だったんですけれども、
本当の見た目の通りに印刷できるというようなものが、
もう存在していたことなんて、つゆとも知らずにね、
自分の身の回りで見えているそのPCのギザギザの線ですけれども、
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それが今のパソコンの最先端だと信じていました。
後年ですね、92年頃に、友人の研究室に行った時に初めてMacを見せてもらって、
その時にね、たまげましたね。
もうあの、何ですか、フルカラーということでまず驚きました。
だって僕が使っていたのは16色ですからね。
16色ですから。
16色のパソコンを使って最先端だと思った人間がね、
フルカラーの画面を見た時の、腰を抜かさんばかりの驚愕というのを想像できますか。
写真がそのまま画面に映っている。
写真が、なんで写真がパソコンの中に、スキャナーというのがあるんだろう。
スキャナーってなんだみたいな、大きな箱があって、その箱に写真乗っけると、
絵がそのまま中に入っていくという。
世の中どうなっているのかと思ってね、もうここには未来があるじゃないかとかね、
思ってましたね。
そして、ページメーカーでその撮った写真をスーッと持ってきてですね、
ここにその写真が入るんだとかね。
ここは縦書きで字を書くんだとか、一つのニュースレターみたいなやつを作ってあったんですけれども、
それを印刷するのがですね、レーザープリンターですよ。
本当にね、思い出す時の、あの時のね、あの驚愕がね、
本当に今また思い出されますね。
まあそういう私も、その2年後にようやくWindows3.1が発売されると同時に、
DOSV機を買いましてね。
そして自分でパソコンを組んで、初めてNECから離れて、
そしてメモリーがなんとですね、16メガと。
それまではね、1メガもなかったんですよ、98の時には。
それが一気に16メガですもんね。
それからハードディスク、僕はハードディスクをその7年前に買って、
80メガのハードディスク使ってましたからね。
それが一気に520メガバイトですよ。
超最先端のパソコンを組み立てましたよ。
すごかったですね。
それも30万ぐらいしたのかな。
で、フォトショッピーとかね、買いましたよ。
まだフロッピーの時にね、
フォトショップの3.1かなんかですかね、初めてレイヤーが出てるんですね。
2年のローンで買いましたよ。
それから数年して今度イラストレーター8かなんかを、
また2年のローンかなんかで買ってね。
そういうような状況で私もフルカラーという環境を94年ですか、
94年にフルカラーという環境を手に入れて、
もう世の中がね、もう感動してるんですよ。
もう世の中がね、もう完全に変わりましたね。
これが本当のDTPかと思いました。
はい、第27回、1987年当時のパソコン環境と
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オバケワープロというものすごいポテンシャルを持ったP1というワープロソフト、
そしてそこから学んだDTPという世界の話、いかがだったでしょうか。
以前私がこのポッドキャストでレイム駅のお話をしていたら、
足利キャストさんがとても面白いし需要がありそうなので、
一緒に盛り上げていきましょうと言ってくださいました。
そして今回204回の足利キャストで、
当時のDTPについての話を詳しくしてくださいました。
私はそれを読んでとても嬉しくて興奮をしましたので、
ちょうどそのP1だとか、1987年当時のDTPの話などを
ブログに書いていましたので、それを基にして今回のポッドキャストにしました。
当時の私だけでなく、その頃を生きた人たちの
DTPという環境への熱い感動、驚愕、
そういうものが伝わってくれると嬉しいと思います。
このポッドキャスト面白いと思っていただければ、
どうぞお気に入りに入れていただけると嬉しいです。
また、ハッシュタグ知的迷走でSNS等で話題にしていただけると励みになります。
それではまた。
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