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Lyustyleの知的迷走ラジオ、第118回目の今日は、知的迷走回です。
ハリーポッターとアズカバンの囚人の一部を切り取ってお話しします。
このポッドキャストは、11月7日、土曜日の朝、収録をしています。
昨日の夜の金曜ロードショーの、ハリーポッターのアズカバンの囚人、これを見損ねました。
見ましたという話ではないんですよね。見損ねましたという話でございますが。
これが出たのが2001年ぐらいですかね、本で読んだのがね。
当時まだ息子たちも小さくて、毎晩家族で集まって私が読み聞かせをしてやっていたというね、いい思い出があるんですけれども。
長男なんかはですね、高校になってたんですけどね、夜聞きに来るんですよ一緒にね。
お前も自分で読めるんだから先読んだらいいじゃないかって言うんだけども、
いやなんか一人だけ先に行ったらもったいないとか言うんですね。
聞きかせの力ってなんかすごいなぁと思ったところなんですけどね。
それからもう20年近く経っていますよね。
あれが映画化された時に、本当毎回ハリーポッターを撮ったもんですけどね、
あのシーンどうやるんだとかいうことをね、本当にいつも思っていますね。
暴れ柳のぐにゃぐにゃ曲がるシーンだとかどうするんだろうとかね。
ルーピン先生が人狼になって動くところとかね。
空飛ぶ車なんていうのはCGでうまくやれるだろうけれども、
そういうところでいろいろ大変な中をね、ほぼCGじゃないかみたいなね、
状況の中できっと作っていくんだろうなぁとか思いながらね、
実際に見るとすげぇなぁと思いながら帰ってくるという。
お話は知ってるので、映画の楽しみというのは、
いかにCGで作り上げてあるのかというところが、
僕はすごく興味を持って見ていましたね。
その中でね、昨日は見ようと思って見れなかったんですけどね、
いろいろやってたもんでね。
YouTubeライブとかやってたもんでね、録画もしなかったんですが。
ああそうだったと思って、夜中ぐらいになってね、ツイッター見ましたら、
もうハリポッターの話がワワワさが出てきてるんですよね。
その中で気になったのがあってね、たくさんの人がツイートしてるのがあって、
それは何かというと、ルーピン先生が人狼になって襲いかかってくるシーンのところなんですよ。
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スネープ先生がね、ハリーとハンマーユニーとロンをかばうシーンがあるんですよね。
自分のマントの後ろに3人を隠して立ちはだかるっていうシーンがありまして。
いやー、すごくそこが話題になってたんですね。
で、確かにそうだったなと思って、そういうことやってたなと思うんですが、
まあ当時はさほど思わずにね、
こんな悪い人でもそういうことするんだとかね、
まあ生徒だからね、とかね、やっぱりさすが先生ではあるなとかね、
そんなことをきっと思ってたのかなとか思うんですが。
だんだん3巻4巻ぐらいになってくると、スネープ先生ってただ悪者じゃないよなっていうのはだんだんわかってきますよね。
第1巻の賢者の死の時でさえね、
ターバン巻いた人、あの人との戦いぶりとか見てたらね、
どっちなんだこの人みたいなね、感覚はなんかきっとあったと思うんですよ。
最終的にあんな形になるなんてね、思いもしてないし、
もう今さらネタバレ、もういいだろうけどね、
最後ハリポッターが自分の息子にね、スネープ先生の名前を入れ込むとかいう、
それほど最終的にハリポッターがね、スネープ先生を尊敬する存在になるということになるなんて思いもしない、
そういうような時ですよね。
まあしかしそうやって映画とかそういうところには、いろんなところに種はまいてあるんだなと思ったんですが、
当時ね、やっぱり違和感は感じなかったんですよ。
当時見たときになんかおかしいなとは思わなかった。
まあなんかいろいろあるわなぐらいにしか思ってなかったんですよね。
だからこれまで安塚晩の囚人は何度も何度もね、まあツイッター始まって以降きっと会ってるんだけど、
こんなにあのシーンが燃えるみたいな感じで出てきている時ってあったのかなと思って。
すごくなんかね、昨日はそれ感じましたね。
たくさんの人が、もう全てね、お話も知ってて、本も全部読んだ後であれを見る、
見た人たちのやっぱり感慨深さというところなんでしょうけどもね。
で、結局僕が今回初めて知ったことがあって、あの作品を撮られていた当時、
まあ2000年代の最初なんだけど、世界中の誰もがお話の結末なんかまだ知らないんですよね。
J.K.ローリングさんしか知らないわけですが、たった一人ですね、スネープ先生役の、
あ、ちょっと名前が出てこなかった。
あの人だけね、知らされていたっていうんですよね。
スネープ先生の秘密っていうのを知らされていたっていうんですよ。
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それで、その役者さんのね、あの亡くなりましたね。
あの方がね、いやここはそういう過去を持っているスネープならどうすべきかっていうのを考え抜いた上でね、
あの3人をパッと思わずカバオシーンが生まれたっていうんですよね。
で、ある人によるとあれはアドリブだって言ってる人もいたし、
ある人によると監督と直談判してあのシーンが生まれたって書いてある人もいまして。
まあ現実的にはね、直談判というのが現実的かなとは思うんですけれども、
でも直談判したら監督にもね、その結末が分かっちゃうという。
いや監督だからもちろん結末分かってていいんだけど、
なんかその前提を読んだらスネープ先生をやった役者さんだけに教えたみたいに書いてあったんで、
そんなら自分のアドリブって言った方が自然かなって。
でも現実的に撮ってる監督が結末知らないっていうのもなんかなーとか思うんでね、
もしかしたらスネープ先生だけじゃなくて当然監督も知っていたということになるのかもしれないんですが、
そこはね、もう全然僕の方は今ね、情報では分からないんですが、
ただそのね、当時ほぼ誰も知らない中で役者さんの彼だけがそれを知ってて生まれたっていうね、
話にすごく心を動かしましたね。
ハリポッターシリーズはね、もうだんだん最初のね、
天真爛漫で無邪気で面白い冒険活劇的な話からだんだん重たくなってきていきますよね。
だんだん重たくなって、こんな友達関係の人が殺し合う関係になるのかよみたいなね、
そういうような感じにだんだんなっていくんですが、なんか根が深いなーとかね、
この人たち将来近所付き合いできるのかなとかね、
もしマルフォ池とは仲良くしたりするなんてことは当然できないし、
イギリスと日本ってやっぱり違って、
イギリスっていうのはね、家柄の格とかそういうのものすごくやっぱり、
まだ今でもね、重視するような感じですよね。
そういう中で君らとは一緒には、みたいな感じがずっときっとあるんでしょうけれども、
まあそうは言いながらもね、一番英語の最後のところでね、
19年後でしたっけね、それぞれのロンの家族、ハンマー4人が奥さんでね、子供がいて、
で、ハリーはハリーでね、お子さんがいて、
そして初めてのね、ホグワーツに行く時に自分たちがやったように送ってきている。
そのシーンにね、向こうにマルフォがいて、マルフォにも自分の子供を連れてきているんだけど、
なんかちょっと気恥ずかしそうに下を向くというシーンがありましたけど、
まあこれいいですよね、ネタバレ。
もう十何年も経っていたからね。
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今はそのシーンがあったんだけど、
そういうことをね、最初から全て頭に世界ができていて、
そしてそれを何年もかけながら少しずつ少しずつ出していく。
壮大なそのバックストーリーだなと思ってね、思いましたね。
ちょうど2000年頃、僕は世界の人と一緒のように新刊が出るのを待ち焦がれて読んでいったんだけど、
あの時の考えというのはね、新刊が出た、万歳良かった、さあ読もう、嬉しいなという感じじゃないんですよ。
このハリポッターというのはきっと将来も完全に古典としてね、
何百年もきっと読み継がれていく本になるに違いないと思ってたんですね。
そういう本が現在進行形で生まれている最中に立ち会っているという、
その感覚というか感動というのか、
そういう感動で毎回本が出るのを待って読んでいた記憶があります。
今まさに古典が生まれているんだというね、そういう感覚ですね。
お話の内容だけでなくてそのバックストーリー、スネープ先生の役作りというようなことも含めた映画、
映画作りまで全部含めた壮大な古典作りが行われたんだなということを改めて昨日の夜感じました。
はい、いかがだったでしょうか。
改めてね、昨日ハリポッター、見てないんですけどね、話題に接しまして、
またね、呼んでみたいなというような気持ちになりましたね。
彼らも今や、マルフォイが今30何歳?
ハンマーヨーニが20何歳とか言ってましたっけね。
一時はマルフォイの人とハンマーヨーニの人が、
ワトソンですかね、付き合っているんじゃないかとかね、一時は言ったりとか、
まあいろいろありますね、その人たちの後もね。
また改めてその世界に入り込んでいくのも楽しいなという秋の夜中でした。
それではまた、リュウサイオでした。