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2021-01-07 14:46

#176 トンデモ歴史「人類前史」その2 【書評回】

なぜ,スフィンクスはそこにあるのか。
なぜ,ストーンヘンジはそこにあるのか。
そして,
なぜ,サーペント・マウンドはそこにあるのか。

これまで考えても見なかった考え方のオンパレードで,脳みそが突き回されます。

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Lyustyleの知的迷走ラジオ、第176回目の今日は、トンデモ歴史「人類前史」その2です。
なぜスフィンクスはそこにあるのか、なぜストーンヘンジはそこにあるのか、そしてなぜサーペントマウントはそこにあるのか、その確信に迫っていきます。
昨日ですね、グルハム・ハンコックさんという人が、どのような本を書く人なのかということについて、さらっとお話をしたんですが、
いわゆるトンデモ歴史、口頭無形だと思われそうな歴史を、詳細なデータとか資料とかを分析により納得いくような表し方をして見せてくれる人というような紹介をしました。
そして、私が今25年も経って残っている3つのことについてのお話もしました。
今日は最新刊である人類前史、人類の前の歴史ですね。
人類前史に今書かれている内容について、とても面白い内容があったので、ご紹介したいと思います。
それはアメリカはですね、定説では13000年ぐらい前にようやく人が入ってきたというような定説になっているわけですね。
これが実はもっとものすごく古いんだということを、この本の中で証明されようとしているわけです。
証拠がいろいろと今から語られるんですけれども、その一番最初に語られている物語として、オンタリオ州というところですね、北米の。
オンタリオ州というところにあるサーペントマウンドが紹介されています。
相当古い3億年ぐらい前にできたクレーターですね。相当大きなクレーターの縁の丘陵地帯に描かれたというかね、土をもられたというか。
400メートルぐらいある1メートルぐらいの高さで幅が2、3メートルぐらいの土類。
これがくねくねくねくねと400メートルぐらいですね、蛇の形でもられていて。
そしてその先には大きく口を開けた蛇の頭。
それがその先にある大きな卵の形をした円形の土類ですね。
これを飲み込もうとしているような図になっている。
これは地面からは見えないわけで、ドローンなどで上空100数十メートルぐらいに行って初めてその全容が見えるというようなね。
よくある誰に向けて書いた説的なものなんですけれども。
要はそのですね、口を開けて向いている方向が下肢の方を向いているはずだというふうに言うわけです。
これを説をね、下肢を向いているわけですけれども。
その説をある方が唱えたら結構辛辣な批判が出るわけですね。
いやだってその下肢というのはね、太陽が出る方向というのは地球の最差によってだんだん変わっていくのであって。
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あなたが言う説だったら、その向いている方向が下肢である時期というのは1万3千年ぐらい前になってしまうよと。
このサーペントマウンドが1万3千年も前にできたと言えるのかいと。
いくらなんでも数人ぐらいはおかしいと思うんじゃないのというような論文で反論をされたわけですね。
数人どころかほぼ全員、いやそんなはずはないと思うわけです。
だって1万3千年前頃にようやくグループごとにね、少人数のような感じでちょこちょこと入ってきたと言われているわけですから。
そして当時の定説ですね、1990年代までの定説では、そのサーペントマウンドは2千年ぐらい前に作られたんだというのがもうみんなの前提としてあったんですね。
だから2千年前には論文を書いたあなたが言うような下肢の太陽はここは沈まないよというような話だったんです。
ところがですね、いやいや実際は1万3千年ぐらい前に作られたんじゃないのというような話になってくるんですが。
そこの詳しい証明とかいうのはその後に任せましてね。
僕はそのこと自体を面白いと思ったわけじゃなくて、そのお話の中に出てくるある事実がものすごく面白かったんです。
何かというとね、ヘビが大きく顎を上げている先に飲み込もうとしているような大きな大きな土類、円形の土類に囲まれた地形というか直径何十メートルもあるものわけですからね。
その大きな円形の構造物、アースワークというんですが、昔はその中心あたりに石の祭壇みたいなものがあったというんですよね。
その石の祭壇から非常に山の特徴的な山の場面を見た時に、そこから確かに下地の時に太陽が沈むことになっていた時に、ものすごく天と地が一体になったかのような感覚をそこで覚えるんだそうです。
つまり古代人がその場所の不思議さというか、気高さというか、そういうものに気づかなかったはずはないだろうというぐらいの荘厳な感覚なんだそうですね。
そのような天と地が一体化するような神聖に思えるような場所というのが結構世の中にはたくさんあるんだと。
それはあるものとあるものを結んだその先に、春分と秋分の日に太陽が沈む場所だとか、あるものの向いている方向が真東だとか。
そのようなことに気づいた時、この地域というのは特別なところだよというような思いに古代の戦士の人たちは気づいて、そこを何らかのいわゆるパワースポットだというふうに感じたんだろうという考え方ですね。
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つまりこのサーペントマウントというのは、どこでもいいから月始の日に太陽が沈む場所に何か定めて、じゃあここに蛇でも作ろうみたいな感じで作ったわけでは決してないというわけです。
そのような石祭壇とそこの特徴ある山の頂を結んだ先というのは、すごいぞ、月始の日には太陽が沈むぞということで、ここって特別な場所だと思ったからそれを作ったんだという考え方ですね。
僕はですね、なるほどな、十分あり得るなと思いました。
その先にですね、このストーンエンジの話が持ってきてあるんです。
ストーンエンジというのはですね、ご存知の通りこれも月始ですね。
ヒールストーンというのとサルセン石というのを繋ぐと月始の日にヒールストーンのところに太陽が沈む。
またヒールストーンの方からサルセン石を見ると当時の日にそこに太陽が沈むというふうなことになっているわけですね。
そういうような作り方をストーンエンジというのはしているのだというふうにずっと今まで自分たちは思っていたわけです。
じゃあなぜそこにそんなものを作ったのかというのはね、これはなかなか説明がつかないわけですね。
そこのストーンエンジに使う石というのは、なんと30キロも離れたところから運んできているんですよ。
30キロも離れたところから運ばなくても30キロ離れたところの石切り場のところにこのストーンエンジを作りゃいいじゃないのという、そういう話ですよね。
じゃあなんで30キロも遠くまで一生懸命石を運んだかというと、その場所が天と地とが重なり合う神聖な場所だからというわけです。
じゃあなんでそれが言えるのかというと、ここが面白かったんですが、
実はそのストーンエンジにあるヒールストーンというのと、そのヒールストーンというのの真反対にあるサルセン石、
この2つだけはどうもその場所に100万年ぐらい前からあったらしいということが、科学者ネットで証明されているらしいんですよ。
つまりストーンエンジの円形を形作る部分は後から作られているというわけですね。
前世の人たちはその場所を見て、後にサルセン石と言われるようになる石と、それから後にヒールストーンと言われるようになる石、
この配置が実に絶妙だということに気づいたわけですね。
エゲシのある日にサルセン石の方からヒールストーンを見たら、そこから太陽が上がる。
逆に当時の日にはヒールストーンの方からサルセン石を見ると太陽が沈むと。
ここは特別な場所だというパワースポットだというふうに思ったから、
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そこに30キロも離れたところから持ってきて形作ったというわけですね。
私、このような考え方というのはこれまでしているのを見たことがなくて、
ちょっと私の知識不足だとは思うんですけれども、これって定説なんですかね。
それともグラマン・ハンコックさんの類いまれな想像力から生まれたものなんでしょうか。
でも想像力としては実に分かりやすいことなんですよね。
それというのももう一つ今度は世界的に有名なスフィンクスの例が挙げてあるんですね。
このスフィンクスというのは有名な話としては3000年前のエジプトのファラオが言った言葉として、
私が生まれたときにはこのスフィンクスはもう3000歳だったというそういう言葉がある。
それぐらい古いものなんだというのはもう一般的に皆さん知っていることなんですよね。
その場所に後年ギザの三大ピラミッドと言われるようになるピラミッドが建設もまだされていない。
何にもない。そこにスフィンクスだけがバンと最初に作られていたわけです。
何でそこにそんなスフィンクスが作られるのかと。
何もないところにまずポンとスフィンクスが作られたわけですね。
つまりそこが神聖な場だと思われていたからです。
で、ちょっと話はそれるんですけれども、
18世紀、19世紀ぐらいからエジプトのあたりをずっと探検した人たちがあちこちで露頭というものが見られることを報告をされるんですね。
露頭というのはアラワになった頭と書くんですが、洪水とか川とかそういうものの水や風の侵食によって
岩が削られてその硬い部分だけが残って、見てみるとライオンが座っているかのように見えるような露頭があちこちにあるという、そのような報告がなされているわけです。
日本にもありますよね。海岸地帯とかに行ったらシシ岩とか波の侵食によって形が面白く自然の造形で作り上げられた岩がね。
まさにあんな感じの、ああいうのが至るところに見受けられたというわけです。
スフィンクスももともとはそういう露頭だったんですが、その露頭だったというのは前回お話ししたように洪水の跡があるわけですからね。
1万6千年くらい前じゃないと雨が降ってないだろうという、そういうところにあるもんだから当然のように水が流れた跡が刻みつけられているわけですが、
そういうような露頭だったんだと。ただたくさんある露頭のうちの、その露頭だけは完璧に真東を向いていた特別な露頭だった。
それに気づいたというわけですね。全種の人たちがね。そしてこれをちゃんと掘ってスフィンクスにしようじゃないかという形でね、ライオンのような形を掘ったみたいですね。
しかしそれから数千年くらい経ってファラオの時代になったときに、もう3000年も前からそこにあったんだみたいな時代になった頃、ボロボロになっていたスフィンクスの顔を当時のファラオの形にして掘り直したというような形で今のスフィンクスがあるというわけですね。
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ですから1万6千年前に洪水の跡があるからスフィンクスは1万6千年以上前に作られたんだというようなね、前回話があったけれども。
その頃作られたというより、そうやってできた露頭に人が手を加えて、サンペントマウンドに人が手を加えたように。
そして100万年前から建っていた石の周りに輪っかを置いてストーンヘンジにしたように、その露頭にライオンの形を掘って、そしてスフィンクスにしたのだという。
そのような話が書いてあって、そこに私がものすごく興味を引かれたというわけです。
なぜそこにあるのかというのは、昔からすごくいろんなところで言われていたけれども、そこが天と地とが不思議な形で交わっているような、天の願いがそこに表されたかのようなですね。
神聖な場所だというふうに思ったから、そこの地域を人が手をかけて別のものに作り変えたという。
もう実に私はですね、この話というのは惹かれました。
本当かどうかというのはまだ分からないんですよ。本当かどうかは分からないんです。
でもすごく惹かれました。
あのギザの三大ピラミッドがなぜあそこにあるのかって。
前の25年前の本ではオリオンの三つ星をそのまま地面に移したもんだというような説がありましたけれども。
なんでそれをそこに作ったのといったときにスフィンクスの話とくっつけて考えてみるとね、そこがやっぱり古代のエジプト人にとってはとても大切な場所だったからということで考えていくとね。
すごくついつまがうんじゃないかなと思いまして。
ちょっとね2回にわたってグラムーン・ハンコクさんの人類全史のお話をしたんですが、実はこれ人類全史の話の最初の100ページにも満たない場面の中での話です。
全体のコアな部分にもまだ行き着いてないと思うんですけれども、そこまでの間にすごくいろんなことをね、僕は思って考えたので、それについてお話をしてみました。
はい、いかがだったでしょうか。新年の最初の書評的な話ですね。
今後ですね、こんなの本を読んで面白かったところについてちょこちょこと話をしていきたいというふうに思っていますので、こんな本について話してくれというのがあったら、ぜひツイッター等でお返事いただければ、それについてお話をしたいなというふうに思っていると思うんです。
それではまた。リースタイルでした。
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