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2020-11-20 09:28

#130 「今の若いものは」って近頃あまり聞かないよね 【知的迷走回】

ちかごろ,「今の若いものは・・」というようなことば,あまり聞かないと思いません?
聞きます?
少なくとも,僕の回りで行っている人,あまりいないんです。

これって,今の若いものがけっこう僕らの若い頃に比べてスペック高いからじゃないかなって思うんですけど。
いや,たんにガジェットやネットにつよい,というようなことじゃなくて,
心の中や思考が僕らの若い頃より洗練されてるんじゃないかなーって思うことがよくあるんですよね。
いかがでしょうかね。

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Lyustyleの知的迷走ラジオ、第130回目の今日は知的迷走回です。
近頃身の回りの人たちで、今の若いものはっていうような言葉、聞かなくなったよねという、そういうお話です。
今の若者はっていうような言葉、よく聞きますし、言いますけれども、
この言葉って、人類は過去からずっと言い慣らしてきた言葉だと言われていますよね。
何千年も前の石板に書かれた文字の中に、やっぱり今の若者はって書いた言葉がね、見つかったっていうような話とかもあります。
僕らもね、よく今の若者はとか言われてましたね。
僕のちょっと下の台になるんですけど、ガンダムが放送開始されたのは、僕は大学1年生の時だったんで、
弟とかはですね、喜んで見てましたけども、僕はですね、大学になったということで、
そんなの見ないや、みたいな感じでね、もう全然見なかったんですけど、あそこにニュータイプという言葉が初めて出てきたんでしたっけ。
それでね、ニュータイプとかね、新人類とかね、なんかよく言われてましたね。
僕なんかはですね、今のセンター試験ね、これの全身の共通一時試験という、それの最初の年度にあたるんですよね。
60歳になった人たちが、初めて大学受験をするときに、共通一時っていうのになった。
だからよくね、共通一時世代とか言われて、共通一時世代はもう個性がないとかね、もう大学の中では完璧に線引きをされていましたね。
大学の教授とかも、今年の共通一時世代になったらもうダメだね、みたいな感じでよく言われてます。
まあそういうようなことっていう、世代による線引きっていうのはね、ずっと前から行われてきたんだろうし、
若者への言葉もずっと前から言われてきたということで。
僕らは今の若者はっていうようなことを言うかというとですね、あまり聞いたことがないんですよね、僕らの世代。
私の友人が言ってるのも聞いたことないし、同僚が言ってるのも聞いたことないしね。
もしかしたらね、人類言わなくなってきてるんじゃない?みたいな気がするんですよね。
なんでかなと思うとね、僕正直言って、簡単に言うと、ざっくり言ってね、今の若者の方がね、進化しているっていうかね、
なんていうんですかね、優れていると思わざるを得ないようなことがね、世の中たくさんあるんです。
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もちろんね、これまでの考え方だとかね、蓄積された中で生まれてきてるんだから、
いろんな意味で自分たちが若かった頃よりもたくさん知識を持っていたり、最初から下駄を履いた状態で社会に出てくるというようなこと、
そういうのもあるかもしれないけれども、そういうのを差し引いて考えてもですね、今の若者の方が絶対僕らは若い時よりも優れていると思うんですよ。
それってどういうことか、どういう時にそれを感じるかというと、
やっぱり新しく入ってきた新人の人たちが、僕らがですね、10年かかってやっと意識したり身につけたりしてきたことを非常にスマートに身につけてこなしているっていうかね、
この人のこんな言葉の使い方とかこんな行動とか考え方とか、僕が10年ぐらいならないと思いもしなかったことだなとか、絶対できなかったよなとかいうようなことをね、
もう1,2年目ぐらいからしている姿をね、よく見るんですね。素晴らしいなって思うことがね、多いんですよ。
もちろんスキルはね、今から身につけていかなきゃならないということで、スキルに関してのね、こうしたらいいよっていうのはあるんですけど、根本に持っている考え方とかね、すごいよなって思うことがよくあります。
皆さんいかがですか?それはもちろんね、ネットとかでいろんな情報があふれているからだと言うことも確かになり立つと思いますけれども、それでも、だからこそなのかね、知らないですけど、僕は優れているところが多いなって思うんです。
若い方が書かれたブログとかをね、見るんです。20代の方がね、書かれたブログを今僕ね、自分のお手本として読んでるんですけどね。その考え方がね、素敵だなぁと思いながら、愛読しているブログがあるんですけど、20歳代の後半ですよ。
その方々、その方の書くブログっていう、本当に思考が整理されていて、そして何かで意識高い系みたいな感じでね、いろんなものをただ聞きかじって、どこかで聞いてきたことをそのまま右から左に流しているというような、そういうものではないんですよね。自分の経験から思考しているということがよくわかるものなんですね。
そういうようなブログをよく見るんですよ。なんでこの人はこんなに若いのに、こんなに洗練された思考ができるんだろうっていうことをね、やっぱり思いますね。
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僕らが若い頃って、そんなね、やっぱり緻密にね、思考をするということをね、あまりしてなかったと思いますね。そうですね、思考なんてきっとしてなかったんじゃないかと思いますね。なんか漠然とした不安だとか、漠然とした喜びだとか、なんかそういう思いだけでね、生きてたような気がするんですよね。
おそらくね、何も考えなくてもね、乗っかっているだけで世界は右肩代わりになっていたというようなことがきっとある、永久しているんじゃないかなと思うんです。まだバブルの前だったんですけどね、僕の時なんかはね。それでも、明日食えなくなるんじゃないかとか、明日給料もらえなくなるんじゃないかとか、そういう心配っていうのはほとんどね、無縁の時代だったんじゃないかなって思うんですよ。
ですから、そういうことに関して、今の自分はこれからの自分はどうあるべきかとか、自分の身を守るために何をしないといけないのかとかね、そんなこと、思考をしたことがないですね。
ぼやーんとした中で、ぼやーんとした中でざっくりと物を考えて、そして波に乗っかってただ動いていたというような時代が80年代に、若者時代を過ごした僕なんですよね。僕らとは言いませんよ。僕らとは言いません。僕なんですよね。ぼやーんとしてました。
だから自分の80年代の自分の20代の時のことと比べると恥ずかしくなるんですよね。時代がそういう時代だったからというのもあるのかもしれないし、僕らの頃は交流しようとしてもね、発信とにかくできない時代ですよね。まだ携帯もないんだから、電話しようと思ったら黒い電話をかけなきゃいけないしね。
何か自分の思ったことを伝えようと思っても、ミニコミ紙みたいなのに自分で印刷してどこかに持って行っておいてもらう的なことぐらいしかできない。自分でラジオ配信なんかもとてもじゃないけどできないしですね、ホームページなんかないわけだしね。発信するというようなことっていうのは皆無。そういうような方法を持ったところが大きい力を持っていたわけなんで。
そういうことがあって、交流できる仲間というのは自分の目の前にいる人たち、そのグループの中でしか交流できない時代だったんで、当然思考というのはそこで止まっちゃいますからね。いわゆるクラスターと言いますけど、そういうクラスターの中では同じような考え方とかイノベーションがそこで起こるわけでもないわけですから。
そういう意味でですね、思考をほとんどせずに平和にきっと暮らしてたんだなというふうに思っています。
今の若者っていう言葉、あまり使わなくなったなというか、使ったことが僕あまりないんですね。だからね、そういうある意味平和な時代を過ごしたからなんだろうなというふうに思っています。
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はい、いかがだったでしょうか。3000年も前から続いてきた今の若者はという言葉、もしかしたらこの世代で途切れるのかもしれません。それではまた、リュウツザルでした。
09:28

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