1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。不惑の歳と言い..
2020-07-01 12:01

朝の散歩から。不惑の歳と言いますねって話 from Radiotalk

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そのです。おはようございます。 朝の散歩からはんせい会です。というわけで、
この番組は前半が1日、昨日の振り返りと後半が最近考えていることや感じたことについて話すという
という構成です。というわけで、今日は不枠について、不枠ね、話そうかなとは思っています。
昨日は、
そうだね、会社の作業をずっとしていた日ではあるんだけど、
そこはね、もう今小学校が、ちょっと時間割がこれまでの休みに合わせてたりはするんだけど、
1日ある日で、
奥さんはね、健康診断とその後出社しての仕事っていうことで、
1日家にいなくて、
家で一人で仕事をしていたところかな。
でね、あとは、
ちょっとね、月曜日から、まあ昨日も結局ちょっと遅めまで起きてるんで、寝不足気味なんだけど、
あの、
まあちょっと若干眠い中で報告もあって、作業がね、
溜まっていたんで、それを
まあやろうやろうと思って、空いてる時間を
なんとかそれに当てて進めていったっていうところかな。
結局、なんとか昨日は予定していた作業が進んで、
まあ良かったなっていうのと、
なんだろうね、 まあちょっと遅くまで、
モデルが回るのを、モデルというか、
プログラムが終わるのを待ったりとかして、
かかったかな。 ここですね。
やっぱり、
なんか、あの、寝不足だと新しいこと考えるとかを取りまとめてるのとかは、
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あの抜け漏れとかも出る可能性があるけど、あんまり他のこと気にならないで進めるっていう意味では、
進むかなぁと思いました。
というので、昨日はね、あのー、夜とかも、
ちょっと、えっと、 Nサロンのゼミとかもね、
プレゼミっていうね、ゼミ前のみんなで集まる時間とかも、まあちょっと詰まってるんで、
手席にさせてもらって、 まあ仕事に集中したかな。
今日、もう一回やって、ちょっと今まで試したものを少しね、あの払い出すところを引き続き、
やりたいかなぁと思ってますね。
今日はね、7月1日、
月の変わり目なんで、えっと、
まあ、 6月の振り返りとかも多分して、
また、見直したりをするような日かなぁと、
思います。
感情的なところで言うと、昨日はそういう意味だと、すごいこうね、外からの要素が
少なくて、家にいる間とか、ほんと自分だけだったし、
やっぱりね、なんかそうなると、こう、気が散るっていうことはないかな。
まあ、集中した日だったなぁと、思うようね。
で、作業がね、なんか進むというか、とりあえず手を出して、
まあ、結果は出たり出なかったりするんだけども、ただ作業ができてるっていうこと自体は、
あの、安心感があるので、
まあ結構、
あの、迷ったり困ったりすることは少なかったかなぁ。
あとは、
昨日で言うと、そうだね、お客さんのところに常駐している自分の会社のチームは、
なんか、ちょうど4月に入ってきた新卒の子たちが、研修が終わって、現場にOGTとして配属されるので、
あのね、ケースバイケースなんだけど、今年の今のケースは、なんか、
チャージ、お金は取らずに、まあとはいえね、オフィスだったりとか、機材とかは使わせてもらうんだけど、
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えっと、まあ一応そういう枠の契約をしているので、それを使って半年くらい配属させてもらうんだよね。
で、受け入れる僕らの方も、あの、その半年の間でOGTとして、
実際の仕事を最低限している。
あの、サポート担当を、えっと、まあやるか、誰がやるかみたいな話をしてて、
厳密に決まっているわけじゃないけども、ある程度は役割を持つそうなんで、
来週から来るんだけど、来週から少し出社したりとか、
まあそれ以外にもちょっとね、毎日進捗を見たりとか、
やること考え、一緒に考える、最初は考えて与えるような仕事も増えるかなっていうので、
その辺がちょっと、まあね、この状況と、なんていうのかな、
まあオンライン環境でコミュニケーションしづらいっていうところもちょっとあるのと、
あとは単純になんかお客さん自体も体制とかが変わってて、
以前に同じようにね、あの、OGT見てたときとはまた状況が違ったりするんで、
あの、何しようかなみたいなところがちょっと、考えとかないなと。
というので、まあ不安というか、まだ不安の手前かな、
なんかどうしようかなみたいなぼんやりした状態ではあったかな。
あと気づきは、まあそういう意味だと、
その集中がやっぱ外部環境にはかなり大きく作用されるよねっていうところと、
まあ成果は別にして、ある程度安心につながるところかな。
あとは、なんか最近考えてることで、なんか結構、なんだろうな、
講師がね、なんかその年齢について言ってることがあってっていうか、
まあ自分がどうだったって話をしていて、
15にして学を志し、30にして天命を知り、40にして惑わず、
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50にして、あ、50にして天命を知るか。
30にして志しか。
60で耳したがりにして欲するところをのりを超えずっていう。
そのまあ、15歳で勉強を自分からし始めるっていうか、
自分で勉強を志して、30で志を持って自分で行動して、
40で惑わないようになって、50で、あ、これが一生の道だと知ると。
60で周りの言うことに聞くようになって、
70になったらやろうと思ったことが何も生涯にぶつかんなくなるみたいな、
なんかそういう話をしてるんだけど。
僕は43だから、40の年の不悪、惑わずっていうところで、
自分に照らし合わせると、最近だんだんと自分が過去やってきたものとか、
今やってることっていうのが、やっぱりこの後もずっと関わっていくことなのかなって。
別にこの分野でずっとやるかどうかって別だけども、
今持ってる強みとか弱みとか、あるいは逆に経験してこなかったこととかの影響は、
将来に渡ってももう死ぬまであるよなっていうところで、
割と、何ていうのかな、
昔は無限の可能性の中で一番いいものを選ぶっていう感覚だった。
今は結構、だんだんと自分っていうものに対して、
よく言えば覚悟だし、悪く言えばやれることの諦めみたいなのがあって、
だんだん落ち着いてきたなって自分でも思う。
それは20代の頃に、
なんでこの人たちこんなに諦めた感じなんだろうって思ったところではあるし、
どういう年に自分もなんだろうなと思うんだよね。
あとは、こうした時代ってもっと早く人死んでたのに、
なんでこんな現代の町名と同じぐらいの感覚でこうして過ごしてたろうっていうか、
めっちゃのんびりじゃね?みたいな少しの疑問も湧いてる。
というわけで今日はこのへんで、さようなら。
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