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2022-03-05 28:47

36 福岡市ドライブ・ライブ 糸島〜福岡市西区

福岡市西区〜糸島〜福岡市西区を回るドライブのライブです。
あたりの様子を説明しながらドライブしてます。

Bluetoothが入っていて、マイクがおかしくなっていた前段は削除。
音声が整ったところからの配信です。

#ライブ配信 #ドライブ #福岡市 #糸島市
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https://stand.fm/channels/620fb62eeb302d8b48dca4b6
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今、ちょっとブルートゥースを 押したんですが
これBGMとかどうやったら消えるんだろう
BGMうるさいですね。ちょっと聞こえてるんですけど僕も 聞こえるようになりました。ありがとうございます。今ね、ブルートゥースを切って直接
iPhoneの方で やってるんで。ただ、iPhoneから出ているBGMがもしかしたら
二重に入ってうるさいかもしれないんですけどね。ありがとうございます。 イザヨイさんとおっしゃるんですけどね。聞いていただいて。左下のプラスを押してみてください。はい、押しました。
あ、BGM設定ありましたね。音量設定かな? あ、OKです。BGMを落としました。こんな感じでいいですかね。
結構 BGMを今落としたんですけど
僕の方が結構落ちましたね。 はい、いろいろありがとうございます。何か教えていただいて嬉しいです。
はい、ありがとうございます。じゃあ、また今から車を運転し始めますので、ちょっとまた画面が見られなくなるんですが
あの今ね、雷山というところ、雷の山って書いてある福岡でね。 雷山というところに今入っていこうとしてるんですけど
この雷山ゴルフクラブというところの、ちょうど今入り口のところに広場があって、今そこに泊まってたんですね。
これから今からまた山に入っていって、曲り口というところにね、今から走っていきたいと思います。
じゃあまた車を運転し始めますので、ちょっとコメントができません。すいません。はい。
じゃあスタートします。 いやー
里山いいですね。この時期の里山ってね。 なんかあの梅的なものがいっぱい咲いててね。
ほんとこれが綺麗。 今土手があるんですけど、土手水仙が今とっても綺麗にね、白の中の黄色の水仙がいっぱい咲いてて。
水仙って何種類かありますよね。あの 白い水仙の中に黄色っていうのがあるんですけど
どっちも黄色っていうのがありますね。黄色の中に黄色。これもとっても艶やかで好きなんですけど。
他の白の中の黄色っていうのがね、僕が大好きな水仙ですね。 ところがね僕初めてこの糸島を昔ドライブしているときに、その水仙見てびっくりしたんですけど、
中があのなんていうんですか、黄色い輪っか、輪っかというか筒みたいなのがあるじゃないですか。
あれがね、あのビラビラビラって言ったら何なんだろう。 あの花びらみたいになっている水仙があったんですよ。
その一群がね、生えているところがあって。 こんな水仙見たことないなと思ってね写真撮ったんですけど、
そんなのもあるんだなぁと思いながらね、行ってました。 今ね、車は伊原峠っていうところに向かってて、これ伊原峠。
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これ伊原峠じゃないかな。この右側に行ったら、 伊原山っていうのがあってね、それを越えて向こうに行くと佐賀の方に行くんですよ。
であの、北山、
北山ダムとかね、あの辺の方へ行く道なんですけどね。
はい、いや天気がね、いいので、あのPM2.5がなければもっと綺麗に空が青いんだろうなぁと思いつつ。
えーと、行ってますねー。
はい、さて、
もうすぐですね、車が峠に差し掛かろうとして、
曲り口というところにもうすぐ着くんですけどね。 曲り口っていうのは福岡市の水亀って言われているんですけど、
大正時代にできた曲り口、ダム、水源地という言い方してるんですけど、まあいわゆるダムですね。
大正時代頃にはここのダム一発で福岡市の水道全部きっとまかないてたんですけど、
今とてもじゃないので、南旗ダムができたり、背振りダムができたりね。 今、地区号の方からももらってたりとかね、
今していますけれども、その大正時代にできた福岡市でも一番古い方のダムのある曲り口っていうところに、今から差し掛かっていくわけです。
福岡市。 ここ福岡市じゃん。あー、今福岡市に入り直したとこですね。福岡市って書いてある。
今まであれだったら前原だったんだね。前原市だったんでしょう、きっとね。 いつの間にか前原に出て、今福岡市に入ってきました。
福岡市ドライブライブとか書いてるけど、今から福岡市ドライブライブという形になるとこですね。
いやー、あとねー、そうですねー、
福岡市って皆さんどんなイメージがあるでしょうね。
あの、千数百年前まで、日本の玄関口みたいな感じできっと栄えてたんですけれども、
なんかそんなんですごく、やっぱの初代未を戦国時代になってきたらね、ここ鳥居が始まって、
もう戦乱でめちゃくちゃになって、もうね、結構栄えてたものが焼き払われてしまって、もうめちゃくちゃになったっていうのがね、
ところがあるんですけど、
秀吉がね、入ってきて、九州を治めるよ、みたいな感じで入ってきて、
そして、じゃあこれから民に攻め入るよ、みたいなときに、この福岡の博多のところを通って、唐津の方へ行ってね、そこに名古屋城っていうのを作るんですけど、
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その間、この辺ずっと秀吉とかもね、行ったり来たりしてたような時代があって、
そのときに石田光成とかね、黒田寛兵衛とかに命じて、博多の街ちゃんと作り直せよっていうこと。
それで、今の博多の街がね、ちゃんと復興してできたっていうのが400年ぐらい前っていうところでね、
それから博多の方は一生懸命頑張って、今の博多っていうのがね、あるというような状況ですね。
福岡と博多っていうのは、県外の方から言うと、福岡と博多って一緒くたっていうかね、同じでしょっていうような感じがありますよね。
こっちの方は博多に行ってきた、博多に行ってきたっていう人は多いけど、福岡行ってきたっていう人たちはちょっと少なかったりしますよね。
だって駅の名前が博多だし、でも市は福岡市なんですよね。
福岡市なのにね、そこの駅は博多駅っていうのがあって、これにもね、いろいろとわけがあって。
もともとね、さっき言ったように、秀吉が再興した博多っていうところはね、しっかり自分たちが何百年頑張ってきたっていう自負があるわけですよね。
そして博多っていうところを大事に守ってきた人たちっていうのがいるわけですね。
福岡っていうのは、その後に入ってきた黒岳がね、作り上げた武士の街っていうのが福岡っていうところで。
なのでよく言われるのが、中須よりも東側が博多で、中須より西側、大堀公園だとか天神だとかあるよりも西の方を福岡という感じでよく言われます。
その間は橋があるんですけど、福博出会い橋っていうのはね、橋があって、中須と天神をつないでる橋の真ん中が大きな円になっててね。
そこで二つが出会ってますよっていうようなイメージを醸し出しているところなんですけど。
それぐらい福岡と博多って言ったら、やっぱり実は違うもんなんだけども、そうやって博多という方々がものすごく頑張って一生懸命作り上げた地域。
でも、武士のようになって、武士っていうか、黒岳になって何百年もなったというところで、そっちはそっちで頑張ってきたんだみたいなのがあって。
明治になって、藩が終わって市が始まるときに博多市にするか福岡市にするかっていう議論が巻き起こって、それで最終的に福岡市になったんですけど。
でもその代わりにね、駅は博多ってつけましょうねっていう形でね、うまく間を収めたというような意味で博多駅っていうのがあるという、そういうようなことだということが。
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今トンネルの中通ってます。曲がり淵ちょうど今入ってて、左側に今曲がり淵ダムっていうのがあるということですね。
そういうような今、福岡と博多の話をちょっとしたところなんですけど、全然赤信号がないので、全く画面見られないので、これがちゃんと配信できているのかどうかも全く分かりません。
左側はちょうど今ダムの水がない方ですね。水が溜まってない方に今入ろうとしていて、深い谷が今左側に見えているところですね、曲がり淵の。
はい、ということで、今坂をずっと下りているところです。もうちょっと下りたら内野の町に着くので、そこで赤信号があるからね。
そこで一旦止まることができるので、ちょっと画面を見せせていただこうかなというふうに思っている。
先ほど伊沢よいさんがとてもありがたいコメントをいただいて、それでBGMとか調整することができたんで、声が入ってたらありがたいんですけどね。
はい、今ちょっとずっと道を下っているところ。あれ、11時に散髪屋に戻らないといけないんだけど、間に合うのこれ。
11時半ぐらいか。今、父を散髪に連れて行って、そこで1時間ぐらい時間がありますので、じゃあちょっと後で来ますと言ってドライブに出たんですね。
そういうことで11時には戻らないといけないんですけども、はい、ということで今ずっと下りていて、お、これなんか手作り家具のところに何か一枚板の専門店があるんですけど、
赤白の幕が貼ってあって、おめでたい催しをやっているのかもしれないですね。
はい、じゃあちょっとずっと下りてきました。
この辺はですね、石窯豆腐。石窯豆腐がここにあると思うんですね。
この辺、元祖とかね、何かいろいろ両方に豆腐の店があって、何かどっちが元祖みたいな感じで張り合っているんですけど、私たちは美味しいものを食べられるのでありがたいんですけど。
はい、じゃあちょっと下の方に曲がり口を越えても下の方にも降りてきているところですかね。
今もう目の前には福岡の平野が広がっているところですね。福岡の方に入ってきたんで、きれいに今見えているところですね。
目の前に油山っていうのがあって、この福岡市の象徴みたいな山ですね。油山、油って書いてあるんですよ。油山、何か
江戸時代だとかその前だとか、ちょっとわからないんですけど油座っていう、油の何か関するものが何かあったという、それで油山って言うんだっていうような話が残っていますけれども。
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えーっとね、まあ降りてきたところですね。うわ、なんかすごい、なんか焼け落ちたような廃墟がある。これ何だろう。
なんかね、あの一つの家が単なる壊れたというんじゃなくて、なんかぐにゃぐにゃになっててね、鉄骨とかが。
そして屋根が一部分がバタッと落ちるみたいな感じの廃墟になってて、これ火事か、火事かなんかで焼けたのかもしれません。
今ちょっとね、止まりましたけども。
あーたくさんくれてました、ありがとうございました。
あ、国道263号線に向かっているとこですねと。
あ、ご存知なんですね。あと20分です。ありがとうございます。
あ、椿が、あ、よくご存知だ。あ、椿ってこれ油山の話ですね。
ありがとうございます。うわ、ご存知なんだ。
あーありがとうございます。なんか今ちょっと赤信号で今完全に止まりました。
えっとね、左側に沢原地区があります。
はいはいはい。あ、なるほどなるほど。沢原区の由来。
そうですね、あの沢原っていう名前自体が相当古い名前で、
もしかしたら韓国由来かな、あの朝鮮由来かなっていう。
セフリ山っていうののね、あのセフリっていう名前が韓国のソウルと語源が同じだっていう論文を見たことがあって。
ソホリというね、どちらもなんか君主の城、なんかそういうような意味合いがあるんだということで。
セフリと、それからですね、それから言うとサワラ、サハラですねサワラ、なんか似た漢字があるので、
どちらにしてもね、なんか古い時代の朝鮮とは普通に交流行き来があって、
この辺その朝鮮の名前とかがいっぱい残ってるから、カヤサンとかケヤノオオトとかね、
アラエとかね、いうのもカラ、カラのエからアラエになってて、アラツとかいうのもカラツから来ている。
カラツとアラトと同じって言いますね。
なんかそういうような、カスガバル、カスガもカスクっていうね、朝鮮語、古代朝鮮語だっていうような感じがあって、
全く普通に、そういうような交流があった時代の名前が残っているというのがあるので、
そのサワラっていう名前もね、すごいやっぱり弥生的な響きを僕は感じるなぁと思ってね、今通っています。
はい、今ちょうどサワラ区の最南端部ですね、内野のところを通っているところなんですけど、
内野の方にやってきて、えっと、まだ間に合うのかな、間に合わなかったな、怒られそうな気がしてきた。
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えっとですね、内野大橋を今通ろうとしているところですね。
はい、内野大橋、ここすごくね、川の水が綺麗で、
今ちょうど右側に油山のね、大きな山が今ちょうど見えているところで、今からこの左側に入っていきます。
今ちょうど赤信号ですね。えっと、サワラも広いので何とも言えませんが、
ああ、ちょっと走り出しました、せっかくコメント書いてくださっているので、ちょっとまた車走り出したので、また後で。
なんかご存知の方とお話ができて嬉しいです。
今ちょうど金竹の方にね、今から入ろうとしていて。
はい、えっと、早く赤信号で止まってコメントを読みたいですね。
せっかくコメントしてくださっているんです。こういう時に限ってね、車はね、青信号がずっと続いてね、
本当にね、ありがたい話ですけどね、青信号はね。急ぎたい時にはすぐ赤ばっかりになる。
止まりたい時にはね。
はい、ちょうどこの内野から金竹へ行く間の道も綺麗に広がっててね、
この辺も遺跡が結構あるところで、吉竹高木遺跡という、いわゆる
三種の神器が全て揃ったものが出てきた、日本最古の墓があるんですよね。
吉竹高木遺跡という、これあのちょうど20年ぐらい前にね、
サワラオウボという大騒ぎになったところなんですが、
吉野狩りが発掘されるちょっと前、1年ぐらい前だったんじゃないかな、そのちょっとぐらい前。
吉野狩りが出ちゃったんで、吉野狩りにも持って行かれちゃったんですけど、
実はこのサワラオウボというのも実はすごかったんです。
3つ揃って初めて出たっていうね、そういうような今でも加盟感があって、
この辺本当に広いので、当然なんかやっぱり当時は国クラスの、
当時の村が国って言ってたような時代なんだけど、
国クラスの何千人とかいうぐらいの人を養えるぐらいの農産物っていうのはね、
特に米でしょうけど、当然のようにここでできていたんだろうなぁと思います。
今横をね、室見川、室見川の横を今ずっと北上中です。
室見川もね、結構大きな川っていうか、福岡平野を作った川ですよね。
油山とか背振り山とかから長年かけて土砂をどんどん運んできて、
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平野をずっと作っていったというようなもので、大きな力を作ったんでしょうけど、
だってもっと内陸まで、本当は昔は海岸線があって、
今、油山からちょっとのところに片江とかあるんですよ。片川の江。
その江がつくところっていうのは、昔の港だとか海の名残なんだって言われてるんですけど、
油山の麓ぐらいにあるんですよね、その片江って。
ちょっと北行ったところに荒江っていうのがあって、それから草ヶ江っていうのが。
草ヶ江も本当にかなり内陸なんですけど、その名前ができた頃って言ったら千何百年も前、
2000年ぐらい前ですかね。
田島っていうのがあるんですよね。
田島っていうのは荒江とかのちょっと北あたりに田島ってあるんですけど、
この田島っていうのは本当に島だったという。あと美濃島とかもありますし。
あと住吉神社っていうのが天神のところにあるんですけど、
全国の住吉神社の一番最初の神社って言われてますけど、
そこの前にある池っていうのがひょうたいんけだったっけ、なんとかいう池があるんですけど、
これっていうのは昔の海の名残がそのまま池として残ってるらしくて。
そこまで小地図を見ると、海岸にポンって出た、
海の方にちょっと突き出た半島みたいなところの先っちょに住吉神社って書いてあったりするんで、
いやもう本当に鎌倉以前までは相当な陸まで海が来てたようですね。
そういうようなところにせっせと土砂を運んで平野を作ってくれたのがこの室見川とか比川とか中川とかね、
そういうような川がどんどん土砂を運んできたという。
今、金竹というところに入ってきてまして、ここも相当広くて気持ちいいところなんですけどね。
いやー本当に見事に赤信号ないです。
いろいろコメントしてくださってると思うんですけどね。申し訳ないですね。全然読みもできなくてね。
止まったら読みますので、すみません。ありがとうございます。
金竹中学校が右側に見えてて、そこを左側に行って、すぐまた右側に入って、
そうですね、これは。
はいはい。うわ、綺麗。
田んぼの中にポツンとある大木って綺麗ですよね。
広い田んぼの中にポツンと木が残っているっていうのは僕もすごく好きなんですけどね。
そういうのがこの辺いっぱいありますね。
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今川沿いを走っています。左の遠くに金竹小学校という小学校が見えてます。
ここ秋ごろはね、とってもね、稲の黄色い感じがね、とっても綺麗ですね。
今離合してるんだけど狭くて。
桜がね、ずらーっと並んでるんで、ここはね、ハルトが綺麗ですし、
あとコスモスも巻いてあるから、あ、菜の花畑が出ました。菜の花畑。
わー綺麗、あ、じゃなかった。菜の花畑じゃなかった。また間違えたわ。これ何だろう。
綺麗な黄色の畑ですけどね。何かの野菜ですね。ちゃんと見ることができなかったけど。
菜の花はまだ出てないのか。もうちょっとしたら出るのかな。
20日ごろはね、出ますけどね。
やぐら橋という、これを左に行くと、ひなた峠という、ひゅうがと書くのね。ひゅうがと書いてひなた峠という。
そういうところに行く道を今、横切ってまっすぐ、金竹公民館の横を通ってましてね。
今、室見川の横を通って北へというところです。
いやー、室見川がちょっと広くなってきましたね。
広くなってきて、対岸が遠くなってきていますね。
左側、桜の木が割って割ってるので、春ごろはとっても綺麗でしょうね。
この室見川の桜というのは、実はですね、30年くらい前まではスルーされてたような感じなんですね。
僕は若い頃、室住団地というね、室見川に沿った団地に住んでて、
また上野子が生まれた直後の頃はね、3人でね、室見川の桜がものすごく綺麗なんですけど、
そこに3人で花見に行ったりしてたけど、誰もいなかったんですよ。
当時まではね、福岡の花見っていったら西公園だったんですね。
西公園にみんな行ってたんですけども、あんまりこの大堀、いや室見の桜って今でこそすごいんだけど、
当時あんまりみんな言わなかったみたいで、あんまり来なかったですよね。
90年代に入ったぐらいから、なんか急になんかで紹介されたんでしょうね。
もう春になったら、うわーっと川の土手の上にうわーっとシートが敷かれてね、すごい状況になって、
もう今ではそんな簡単に見られないような状況になってしまったんですけどね。
それぐらい室見川の桜って、っていうふうに僕がこう言うとね、またちょっとまずいかなとか思いながらね、
たくさんの人が、いいわ、たくさんの人がね、楽しんでくれるという。
今ね、西武運動公園を左に見ながら、前にね、福岡市地下鉄の終点、
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奈落間線の終点の下大和の車両基地が今ちょうど目の前に広がっているとこですね。
はい、もういよいよ橋本のところまでやってきました。
今左側には飯盛山という、ボコンとね、ご飯の山、お茶碗を逆さにしたみたいな形ですね、飯盛だからね。
本当にそんな感じの山がぼんとあって、今その横をずっと北上をしているところなんですけどね。
いよいよ、この街の中に入ろうと。
お、目の前にあれが、コノハモールが見えてきました。
コノハモールっていう、なんか10年ぐらい前、どんとこの辺にできてね、ショッピングモールが。
一気にこの辺が栄えるようになったんですが。
さて、僕はここからどっちに行ったらいいんですかね。
あ、こっから左だ。
これね、この辺ね、すごく見晴らしが良くて、えっとね、ほんと田んぼの真ん中とかね、事故なんか起こりそうにないんですけど。
なぜかね、なぜかあれがあるんですよ。
一旦停止が。
で、そこで止まらないとね、捕まるんですよね。
いや、それは当たり前なんですけど。
なんでこんなところに一旦停止がこんなにたくさんあるのかとか。
あれ、僕なんかね、全然違う。
道を誤ってしまった。
金戸の方に入っちゃった。
で、そこで一回ね、止まらなかったんですね、僕ね。
右見ても左見ても、車なんか何も来てないんで。
その突き当たったサンサロをね、スーッと。
まあ、速度は当然落としましたけど、でも完全停止をせずにスーッと曲がったんですよ。
ただね、どこにいたのか。
後ろからドカーが来ましてね。
はい、残念でしたみたいな感じで止められましたね。
いやー、あれで僕確か20年間ぐらいゴールドメイクだったんですけどね。
それが止まってしまったというところで。
羽江戸のところまで来ちゃって、そこから曲がりました。
全然止まるとこがなくて、今止まってコメントを見させていただこうと思いつつも
止まると今度は3発11時に間に合わないということで。
今何分なのかもちょっとわかんないですけどね。
時計を見ると10時50分ぐらいですかね。
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今パッと前のね、ダッシュボードの時計見たらそうなってた。
何とか間に合いそうかもしれないですね。
もうそろそろなんで。
ということでどこかね、ちゃんとお礼を言ってコメントを読ませてもらって、
お礼を言って終わりたいんですけど。
もう本当に見事に青信号だらけなんです。
もうね、なんでこんなに今日の僕はついてるんだっていうぐらい青信号ばっかりで。
すごいですね。人生こんな時が。
あ、赤信号だ。赤信号です。
赤信号ですね。道具間というところ。
行き南小学校のところの小学校ですね。
赤信号です。ちょっと読ませていただきます。
あ、周辺。ありがとうございます。
福岡市の西の橋という人が来なかったんでしょうね。
警察のことですね。
突然と姿を現す警察が本当にそうですね。
はい、ありがとうございました。
あ、たくさん。
ここから読むのに沢原も広いのでなんとも言えませんが、
福岡市沢原区で28日火事があり、住宅が焼けて恒例農村。
そうなんですね。ありがとうございました。
はい、ということでいよいよ散髪に着きますのでこれで終わりたいと思います。
今日ずっとお付き合いいただいてありがとうございました。
ではまた昼に配信をします。
それから夜にも今配信してますのでよろしかったらお聞きください。
今日はどうも小西座右さんありがとうございました。これで終わります。
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