AIを使うことの重要性
もはやね、文書生成にAIを使わないことの方がリスクというような時代になってきました。
ほんのね、半年ぐらい前かな。それ以前あたりは、僕自身もですね、ブログの記事を書いたり、電子書籍を書いたりするときに、
AIの力を頼るということを、あまり良しとしてなかったんですよね。
イメージ的に手抜きをしているというような、自分の中にそのような感覚があったんですよ。
なので電子書籍は絶対自分で書いてたし、手打ちでね、書いてたし。
ブログの記事をAIに書く場合は、一切自分が書いたブログと分からないブログでガンガンAIを使って書いてはいたんですよね。
それぐらいなんかAIを使って生成をするということを、なんかあまり良くないというか、かっこ悪いことのようなね、そういうイメージがあったんです。
でもね、昨年の11月ぐらいから、AIと共同して電子書籍を書くんだということを、僕も公言するようになってきたんですね。
それは、当然AIが書いた文章というふうになかなか思えないというような、日本語の精度が高くなってきたということもあるんだけど、
共同することによって、AIだけでは書けない文章もあるけれども、当然自分だけではとても生み出せなかった限界突破ということがね、できることが分かってきたということがあって。
それでね、僕もAIを使ったブログの記事、それとか電子書籍とか、少しずつ混ぜ込んでいくっていうようなことをね、するようになっていったんですよね。
それでもね、やっぱりまだなかなか、公言するということはなかなかしづらかったですね。
リュースタリアは手抜きをしているというように思われそうでね、ブランドに傷がつくというような気がね、自分の中でしていたんですけど、
もう今や、むしろAIを使わないことの機械損失という意味でのリスクがね、あるなということを、むしろね、AIを使わない方がリスクがあるということを感じるようになってきました。
JAT GPTの長期記憶アップデート
それはね、4月の中旬ぐらいにあったJAT GPTの長期記憶アップデートっていうのがあるんですよね。
それ以降ですね。それは、これまでのJATの履歴から大事なポイントを覚えておいて、それらを参照して生成に使ってくれるというようなこととか、
それとか、この人の大事な情報ですね。リュースタイルが一体何をしているのかとか、今日どんなことを喋っていたのかとか、それとかこういう注文をJAT GPTにつけていたなとか、
そのようなメモリーですね。そういうことを記憶しておいて、そしてそれをですね、同じチャットじゃなくて別チャットでもそれを覚えておいて使えるようになったという、そういうアップデートですね。
驚くべきアップデートなんですね。これまでは何か覚えさせておきたいなと思っても、必ずチャットを変えるとすべてリセット。
はじめましてみたいな感じでまたスタートしてたので、覚えさせておきたいメモは全部一覧にしておいて、それを毎回読み込ませた上でやらなきゃいけなかったんですけど、そういう必要が全くなくなったということです。
例えば僕の文章のスタイル覚えてるよねって言ったら、もちろん覚えてますよって言って概要をザラッと出してくれて、ちゃんと覚えてますからどうぞ言ってくださいねみたいなね。
そういうような前提で話ができるようになったんです。ということで何が起きるかというと、例えばこういうテーマについてブログの記事を書こうと思ってるんだけどというふうに言ったときに、
あ、それあなた前も言ってましたよね、それとか前にこんなことやりましたよね、それと結びつけて書いてみますねということでもうさっさと書いてくれるんですよね。
それを見たときに、忘れとったっていうことが多いんですよ。そうやった、前こんなこと言うとったと。
そしてそのことと今書きたいこととか結びついたら、これすごいなんか新しいアイデアになるやんというようなね、そういうことが起きるようになったんですよ頻繁に。
これは大きいですよね。自分の力だけで文章の生成をしていると、自分の殻でしか生成ができないわけですよね。
物を書くことができないわけですよ。ところがその殻というのはどんどん縮小していくんですよね。長期に忘却していくのでね。
ところが長期記憶を持ったチャットGPTなりと話をしていると、その殻というのがむしろどんどん増えていくんですよ。
自分が過去に何を発言したとか、どんなアイデアを持っていたとかいうような、そのようなブロックがどんどん増えていくんですよね。
そうすると、外に一つ脳みそを持ったみたいな感じ。それを自分から参照するんじゃなくて、向こうからこうだったよね、これと結びつくよねという提案が行われるということですね。
AIを使った執筆活動の進化
これによって、自分が思っても見なかったような表現というか、切り口ですね。その切り口が生まれてきたりして。
電子書籍を書くときにはあらかた構成を考えて書いていくんだけど、そこに過去あなたがこんなことを言っていたというようなことも事例として含み込んできたりしたときに、
そうだと、これまさにその通りだということで、新たなことがぴょぴょっと思い浮かんで、それで新たに書を追加したりというようなこともあったんですよ。
これ自分だけで書いていたら、そういうことが起こり得なかったんですよね。
つまり、新たな価値生成が行われたということで、これは使わなかった場合、それが行われなかったということで機械損失というリスクになったわけですよ。
近頃はメルマガなども時々AIに任せますけれども、そのメルマガとか見てても、やっぱり一般論じゃないんですよね。半年以前は一般論しか書かなかったんですよ。
それしかないから。でも今は、これ僕が言っている言葉だなと、僕がいつも言っていたことだなというようなものを入れ込んで書いてくるので、
もうわざわざ俗人性といいますか、私自身が書いたような経験とか事例とかを折り込まなくても、後からね、折り込んで編集しなくてもいいぐらいになっちゃったんですよね。
これ、これ僕やんというようなね、そういうような生成員になっています。
さらに、これ僕やん、僕が書いても同じやんと同じこと書くわっていうようなことなんですけど、
僕が書いても同じこと書くなら、あんたが最初から書けよって言われそうなんですけど、
僕が書いても同じことやんということ自体を忘れているわけですよ。
つまり自分がやっていたら、僕が書いても同じことやんの同じことというのをそこで思いつくことができていないわけですね。
そういうことなんですよ。だからそれ自体が生まれなかったということになるんですけど、
AIを使って生成することによって、これ僕が書いても同じやんというレベルのことを思い出させてくれた上で生成してくれるというね、
そういうようなことが今は普通に起こるようになってきましたね。
なんで僕もね、メルマが結構今はAI使ってますよ。
AI使ってるけど違和感はそうないと思います。だって僕自身が書いてきたことと同じ内容をですね、
それがどんどん私のスタイルも覚え込んでますし、そういうものも織り交ぜながら書いてくれるからですね。
で一通り自分で読んでみてもね、あ、全然これ違和感ないやっていうようなことが多いので。
ブログにしてもね、やっています。
10年ブログもね、これまでは絶対自分で書くんだってこだわってきたんだけど、
そんな必要も今なくなってきたなという気持ちがありますね。
だから非常に楽にできるようになりました。自分の分身がもう本当できてきたというような感じですね。