多分ね、またあれってなると思うんで、 また迷うとは思うんですけど。
僕も行ったり来たりしましたから、 まだ僕も迷うかもしれませんが、
でもだいぶイージーさんにも教えてもらって、 だいぶ迷わなくはなりましたけど、
まだちょっと言葉が、言葉が呪いであるってことはね、いいんですけど。
でね、Chikaraさんが何度も言ってるのは、 あれだね、Chikaraさんはね、あれがわかってないんだよな。
あのね、わかってないというかね、 Chikaraさん言ってることはあってるんだけど、真実だと思うんだが、
それは神様か何かの話ですよねって言ってる。
僕らが人間であるっていうところを採用してくれないんだよね。
つまりですね、Chikaraさんが言ってるのもね、 イージーさんもね、完全にここは共有だと思うんですけど、
これね、この話にあれ似てるっていう話ですよ。
えっとね、他者がいなければ事故ってないよねっていう話です。 これわかります?皆さん。
事故っていうものってどこから発生するのかっていうね。
いやいや、宇宙空間でもし一人ぼっちでね、 生まれたら寂しいよねみたいな話を持ったときに、
宇宙空間で一人っていう概念が成立… 宇宙空間に自分しかいなければ一人ぼっちっていう概念は発生しないんじゃないかってこういう思考実験ですよ。
他者がいて初めて他者でない私というものが生まれるんじゃないのと、 こういう話、これにそっくりなんだけど、
Chikaraさんの話だと、Chikaraさんは、 いや、私は私なんだから他者がいなくたって最初から私でしょってなんか言ってるように聞こえます。
つまりね、そういうことです。
他者がいなければ事故は生まれないんじゃないかっていう疑問が、 イージーさんにはあるわけですね。
イージーさんと共有できるわけ。 確かになって思うわけ。イージーさんも多分そう思ってる。
イージーさんも、僕がそうやってコメント欄で書いたら、 イージーさんが、僕も実はそれを思ってましたと。
この話なんか似てるなと思って。 これって他者がいなければ事故は発生しないんじゃないか、自分ね。
他人がいて初めて自分というものが定義できるんじゃないか、 意識できるんじゃないかっていう話に、
これ似てるなと僕実は思ってました。 わら、みたいなコメントで。
なので、僕とイージーさんは同じことを思ったというかね。 これって似てるよねって思ったわけですね。
に対して、僕はこの話が他者がいなければ事故がないっていう話と似てると、 力さんが感じてるかどうかってことが気になりますね。
そっくりだよね、イージーさん、これ話。一緒ですよね、言ったら。 同じ構造じゃんって思うわけですけど。
ここですよ、僕とイージーさんは同じ構造だと思ってるんですよ。 僕は雑に見てるわけ。
力さんがこれを同じと思わないんだってするとやはり精細に見てる。 いや、なんで他者と事故の話とこのリンゴの上下深さの話と何が一緒なの?
こっちはリンゴの上下の話、こっちは他者と事故のありをの話。 何言ってんだ、この人たちみたいなふうに力さんに思われるのか、
ああ、なるほどねと思ってくれるのかというところですね、イージーさんね。 これは面白い。
これは僕がこの前言っていた概念を共有するその前提として概念を作る。 その概念を作るときに機能法を作る。
機能法を作るためには多くのサンプルがいる。 多くのサンプルが集まるためには何かを同じとするしかなくなるみたいな。
同じにするためには雑な理解をしなくちゃいけなくなる。 雑すぎるとアホになる。何でも一緒くたのアホになる。
細かすぎると何でもが全部別のカオスになる。 地平線側に行くと細かくなっていって詳細になっていく。
アホ側に行くとだんだん雑になっていく。
何が似ているかというと、何が売っているかというと、この世界に x 軸、y 軸、z 軸というのは、
これも自然界にあるものではないが、 自然界にあるものは空間にあるものは点と方向というものだけですね。
角度というか距離というかね。点と距離しか存在しない。 それを数値で表すために僕らはそこに座標軸を当てるわけですよね。
それはある種の恣意性はあるわけだけど、軽く恣意性があるだけですね。 恣意性には重い軽いがあるんで、
座標軸を作ったりするわけでしょ。 なのでこれはある種の恣意性を持った一方的な人間からの見方ではあるけれども、
x 軸、y 軸、z 軸というのは恣意性の低い比較的客観的に思える基準ですよね。
ここに僕らは上下左右前後という概念を当てるわけだよね。 ここが問題なんですよね。ここがポイントなんだよね。
この上下左右、左右上下、前後という、このものはそれぞれが、
この x, y, z はどれでも等価なのでどこに当ててもいいわけですけども、 この x, y, z のこの3次元の座標軸に対して僕らがそこに
奥行きとか高さとか横幅とか横とか左右上下前後みたいな言い方をするわけね。 この3つの軸に当てているんですけど、
さあここに問題がある。何かというとですね、 僕たちはそこに上下とか左右とか前後とかという言葉を当ててますけど、これはもう主観なんだよね、すごくね。
これ主観なんですよ。僕らがこの3次元ユークリッド空間、この現実のこの3次元社会、これを3次元に物が点在している、これを3次元ユークリッド空間というわけです。
この名前ですよ。この3次元ユークリッド空間を僕たちがどうやったらこれ把握できるかというね。 人間というものがね、僕らの主観がね。僕らがこの3次元ユークリッド空間をどのように認識できるだろうと思った。
つまり人間が自分をどうやって認識できるようになったんだろうと思った時に他者がいて初めて事故が生まれるようなって思うっていうね。
他者がいなければ事故はいないということは、宇宙空間に一人ぼっちだったら自分は一人ぼっちだと気がつかないかっていうような、
こういう発想、こういう試行実験で行った時に、僕らがこの3次元ユークリッド空間をどのように把握することができるだろうというふうに僕らが考えた時に、
まず僕らが今現実に何を思っているかというと、僕らは上下というもの、前後というもの、左右というものを知っているじゃないですか。
これはどこから出てきた概念だろうというふうに想像するわけですよね。
そうした時に上下というのはおそらく重力があったから僕らは気づいたと思うんですよね。
気づいたというか、一軸設定したと思うんだよね。そもそも人間がね。
人間がもともと宇宙空間にいたら上下という概念結構難しくて、どういうふうに作りましたかね。
あっちの惑星とこっちの惑星の位置関係でこちらを上としましょうみたいなふうにしたかもね。
だから太陽月とか、もし重力がなければ太陽地球とかね。
地帯は太陽が上で地球が下みたいなね。
重力がないんでね。別にどっちが下とかもないんだけどみたいな。
太陽地球みたいな。太陽が上、地球が下みたいな感じで。
こういうふうに上下を設定したかもわかんないよね。わかんないですよそれはね。
そういう僕らは存在じゃないからわかんないけども。
少なくとも僕らはこの地球という重力がある惑星に住んでいて、この重力に支配されている。
そこで僕らの上下というのはこの上と下でしょ。
ということはこれは重力で、僕らの上下という概念はこの非常に重力と非常に親和性が高いところから考えて、
僕たちはおそらくこの上下というものは重力から導き出したんだろうと。
重力のある方が下で、反対側、石を落としたら下に行くからこれが下。
下に行くというか下に落ちていく。
こちらの側が下で、それじゃない方が上。
みたいなふうに上下というのを設定したかもしれないなって思うわけね。
前後という言葉は僕らが移動する前後視野が僕らは顔が前についているので、
ここに前が見えるわけで。
だけど顔がついている側と決めたわけではおそらくない。
それじゃわけがわからない。だったら耳がついている側だって言うわけで。
何がついている側でもいいんで。それは結果ですよね。
目がついている側と思ったのは結果だよね。
これはだから二次性の話ですね。
そもそもどうしてそっちに前後という概念が僕らに生まれたかと考えたときに、
僕らは移動するからだよねと思ったわけね。
移動すると景色が流れていく。何かに近づいていく。
だからそっちの近づいていく、そちら側を進んでいくほうが前という概念を
僕らがここで獲得することができるだろうと。
逆方向が後ろだということでそれはいけるだろうと。
前後と上下というものがどんなものかというね、
僕らにとってどんなものかということを想像して、
その概念がどこから来た概念だろうというふうに想像することができるわけですよ。
そうしたときにこの重力で上下というものは決めたんだろうね。
僕らは理解したんだろうな。
理解というかはめたんだろうな。
進む方向が前、そうじゃないほうが後ろというように。
移動の変化によって、運動によって前後というものが設定できたんだろうなと思う。
じゃあ左右はとなったときにこれが言いようがないんですよね。
左右というものが前後とか上下に関して物理的な力とか移動の運動とか重力とかね、
そういったもので自然界にもともとあるもので僕らが感じ取って、
つまり僕らがこの三次元ユークリッド空間を認識するときに
上下と前後は割と簡単に認識することができると思うんだけど、
縦横逆さでこの奥行きはいいんだけど、
この横の広がり、横の幅、この幅、
方向には僕らはどうやって認識することができたんだろうというときに、
ここに定義を載せることが、自然界の法則で載せることが非常に難しいわけ。
思いつかないわけ。
重力がある方向が上下、これはいいでしょうね。
進んだときに進行方向にある方を前とする。
これはいいでしょう。
右はどうやって自然界から持ち込むんだというときにこれが出てこないんです。
ここが左右の特殊なところ。
横方向っていうのは、これ横方向って言っちゃってるから、
横方向っていうのは縦じゃない側になっちゃうから、
横方向をどういうふうに他のことで定義するかということをいくら考えても出てこないんですよ。
調べても出てこない。
調べてみたらこれは縦と横が決まって決めたものだみたいなことが
たぶんどこかでGPTかジェミリーが出てきて、
ああ、なるほどと、ここ従属的じゃんっていうふうに思ったということですね。
縦と横というものはどういうふうに決めたかというと、
進む方向前後と重力方向上下の軸が90度に交差したものに対して、
これに対して垂直にこの面に対して、前後面と上下面で作ったこの二次元平面に対して、
垂直方向のものを横にするというふうにするしかないなと。
そういうふうに思ったわけですね。
なのでこの横を物理法則、僕らが知っている物理法則で定義するっていうのを、
それを上下と前後の概念を抜いた状態で定義することができないんです。
横方向ということね。横方向というのはあくまで横方向になっちゃうんだよね。
これをだから、二軸、上下軸と前後軸というものに対して、
前後軸、上下軸によって作られた平面に対して垂直成分を横とするというふうにしか決められない。
これだとどっちが右でどっちが左かというのは決められないので、
右前足の法則みたいなもので、
例えば、手のひらを上下の上の方に向け、
手のひらの指先を前後の前の方に向けたときに、
指を折り曲げてみたときに、
右前足の法則みたいに、
指先を前に、前って前にね。
手のひらを上に向けたときに親指の向いている横方向が右。
そうじゃない方が左。
逆いうと、これが右手系の左右の決め方。
左手系で決めることもできるので、
左手系の左右の決め方は、
左手系でやったら左右が反対になるので、
左手系でやったら左右が反対になりますが、
今の現実の社会というのは右手でできている。
右手系の基準で右と左というのを言っているわけですね。
左手系で言ったら反対向くだけのことですけど、
反対向きの系もあるでしょうけども。
ということで、右手系における右というものを決めるときには、
前に手を差し伸べて、
上に手のひらを置いたときに、
指が向いている方向をそっち手方向ということで、
こちらが右手左手というふうに、
僕らが間隔で右左手のものがあるのであれば、
右手があるほうが左手、
左手があるほうが左手、右手があるほうが右なんだよな。
それを横方向というのを定義付けるためには、
そんな右手があるほうが右、左手があるほうが左じゃんってことで、
チンコがあるほうが前じゃんみたいな、
お尻があるほうが後ろじゃんってことで、
これは後から付けた、
右手があるほうが右って後から付けた言葉なんで、
そもそもそれに対応する物理法則がないってことで、
左右に関してはね、僕らが感じ取れる物理運動がないってことですね。
必ず横方向に吹く風があるわけでもないし、
僕らがどっちを向いたとしても絶対横に吹く風があれば、
僕らは風の方向で横を知ることができたと思うんですけど、
そうはなっていないですよね。
なので、そういう意味で僕らが、
この三次元ユークリッド空間を認識するときに、
X軸Y軸Z軸という方向性を認識するときに、
僕らがどうやって認識できたかっていったときに、
この前後左右という言葉があるわけね。
それを認識した上にX軸Y軸Z軸という軸を置いてしまったら、
もうこれは3つの軸は等価であるから、
XYZは等価なんですよ。
XYZは等価なんだが、
それを僕らが発見するときに用いた上下左右前後という、
この3つの概念が等価ではないんですよ。
なので、僕が言っているこの3つが等価ではないというのは、
僕らがこの三次元ユークリッド空間を認識するときに用いた、
概念を作るこの構造において、
ここに従属関係があって、
横というものを知るためには、前と上がなくてはならなかった。
それがもう決まってしまって、
僕らが知ってしまった後では、
上は前と横によって規定されるし、
前は上と横によって規定されるので、
これは等価になってしまうので、
ここの一から三はずっとこの等価。
それは他の二軸が決まればもう一軸が決まるということだから、
別に左右だけが特別じゃなくて、
上下だって左右だって前後だってこれ等価ではないですか。
他の二軸が決まれば後の二軸が決まるっていうのは、
別に全部同じでしょと言って、
左右だけが特別じゃないでしょと言って、
彼はこの三つの軸の成り立ちを無視して、
あり方に対してコメントするわけですね。
ありようとしては一緒ですよ、左右も前後も。
それはユークリッド空間におけるXとYとZの関係のことです。
そうじゃなくて僕が言ってるのは、
XYZの話をしているのではなくて、
前後左右上下の話をしているので、
これはこの言葉は、しかもそれが今のありようの話ではなくて、
僕はありようの話をしているのではなくて、
これが人間がこれをいかに認知するかという、
これというかな、この三次元空間を認知するかという話に関して、
僕は言ってるわけですよ。
なのでそこのリンゴ、置いてあるリンゴに関してはどうですかって話は全然違うわけですよ。
これは僕らが三次元ユークリッド空間を認識する過程の話というかな、
その過程において僕らは横というもの、左右というものを知るには、
上下前後を先に知るしか方法がなかっただろうという意味で重則関係にあり、
しかもそれが未だに尾を引いていて、