サマリー
このエピソードでは、AI時代における人間の信頼と倫理が考察されています。特に、中国の状況やAIの進化がもたらす影響、AIに対する信頼性や判断の重要性が提起されています。AIの進化により、情報の信頼性が揺らいでいる現代社会の中で、何を信じるべきかについて考えています。また、スタンドFMを通じて、長期間にわたるコミュニケーションの重要性と、それがもたらす信頼性の価値についても触れられています。
AI時代の到来
はい、こんばんは。バスへの精神科、リブラでございます。
昨日もですね、配信上げましたがね、 後半聞こえてなかったですね。
びっくりしちゃった。なんで? マイクがうまく設定できてないんだよ。
マイクどうなってんのこれ? 500、800メートル先?
名古屋インターチェンジ出口を 中部国際空港方面?
行ってみましょう。 中部国際空港ね。
そういうことじゃなくてですね。
もうね、おじいちゃんになっちゃったんだよね。
使えない、名古屋インターチェンジの 出口を出ましょう。
斜め右方向、兵庫間方面ね。
えーと、なんだっけ? わかった、これうるさいな。
しまったな。知ってんだよ。
しまったな。うるせえなこれ。
これ気にそれるな。
おじいちゃんになっちゃってる。 上手く使えない。
ナビうるさいね、喋ってるときに。 切れないかな?
道わかってるからいいよ。
ということで、後半マイクで 設定できてなくて聞こえなかったですけどね。
何の話をしたのか覚えてないから もうやめますけどね。
さあ、そこでまた今日も思ったときに 思ったことを話そうなお時間でございますが、
今日も思ったことね。
同じような話ですけどね、 いつも僕の話はね。
いろいろ思ったんだけど、 今ちょっと配信来てて、
今ふと思ったことね。
結局ね、このAI時代、 もうAIのことばっかり言いますけど、
だってもうAIばっかじゃん、 世の中、今。
ということで、AI時代。
ベオ3.1出てきましたね。
あんまりそれほどじゃなかったね。
1分の動画があって長いやつがあって どうなって、
あんまりそれほどでもなかったな。
あれと違ってなんだっけ、あれ?
ちょっと一旦止めましょう。
どうして?今消したじゃん。
消したのに、ちょっと。
はい、再開。
切ったはずなのにね、
中国と産業革命
ナビね、ダメでしたね。
はい、もう一回ちょっと話、 どこまで行ったか覚えてませんけど、
とにかくAI時代だね。
AIでいろんなものが、ベオ3.1も来たしね、
ソラ2もちょっと発展したみたいですけど、
僕にはよくわからんけど、違いが。
てなことで、もうすぐゼミニの 新しいやつも来るんじゃないかって、
3が来るんじゃないかって、 来てませんけどね。
てなことで、どんどんすごいじゃない。
そうなってきたときに、
僕らは一体何ができるだろう っていうふうに思っていてね。
一つは、
ふかつさんだっけ、AIの得意な人が、
後ろから車が迫ってきた、怖い怖い。
やだね、煽ってはないんだけど、やですな。
セントリアこっちと。
その中、
中国の人が書いてるブログ記事みたいなやつを 引用して、
中国、今世界で起こっていること みたいなことですよね。
世界では、
中国では、
世界で起こっていることは、
すごいな、あれ。
ダメでしょ、スピードは。
世界で起こっていることは、
新潮末期なのね。
現実と人間の認識がずれていることによる 崩壊だと、新潮というかね。
それまでは、別の王朝が別の王朝に ただ取って変わるだけだったけど、
真の問題は、
産業革命が起こっていることに気がつかなかった、
あるいは気がつきたくなかった新王朝が、
産業革命を否定してしまったことにより、
しかし、現実というのは無慈悲に 認知を破壊してしまうので、
いくら新の王朝というのは素晴らしいんだと、
いくら言ったところで、
現実の産業革命の波は抑えようがなくて、
それによって結局滅びたんだと。
かつての過去の農業による素晴らしい国家が、
結局産業革命によって打ち倒されてしまった。
そういうことを中国人はよく知っているということで、
AIによって世界が今変わろうとしていて、
それを認めないようにしようとしているのが いろいろあって、
それが例えばアメリカでありロシアであり、
中国でありということで派遣を争っているけど、
こんなことは本当に無駄なことで、 本当に意味がなくて、
30年後にはくだらなかったらというぐらいの問題とか、
台湾の問題とか、イスラエルの問題とか、 パレスチナの問題とか、
30年後には非常にくだらないように 思うんじゃないかということを、
慎重の末期を知っている我々中国人は、
それをよく知っていると、みたいなね、
中国人の秀才が書いている道具式ブログを やっていたんです。
それを見て思ったのかな、
やっぱりAIによっていろんなルールが 変わっていくだろうなというのは明らかですよね。
AIと信頼の問題
例えば誰かが言っていたんだけど、
僕は批判というか違うと思う話をしますけど、
誰かが言っていたんだが、
一見正しそうなことを言いますよ。
AIというのは手段であるということで、
人間というのは手段に支配されてはいけないわけで、
手段というのは人間が使うわけで、
例えば確かプログラマーのエンジニアの人が、
ホリエモンチャンネルか何かの中で見たんですけど、
人間というのが結局プログラムか、
プログラムというのをいくらバイブコーディングだと言っても、
バイブコーディングで出してきたプログラムが、
これ中田さんも言ったからちょっと分からないけど、
言ってないからちょっとごめんなさいね、 適当なこと言って。
人の名前出しちゃった。
バイブコーディングと言うとはいえども、
そのバイブコーディングでできてきた コードが正しいかどうかを判別するのは人間だから、
それができなければ、
コードを知っている人間でなければ、 バイブコーディングがうまく使えないというような話なんです。
よくある話で、
僕らがそれが正しいかどうかということは、
最後に人間が判断しなければならないわけだということで、
仕組みを知らないと判断ができないということで、
仕組みを知るというのには意味があるというふうにおっしゃる。
こういう論理、この論理いっぱい聞くでしょう。
もちろん一部においてはその通りだと僕は思うんですけど、
ところが一部においてはそれは違うと思うことがある。
電卓ってありますよね。電卓で計算するでしょ。
そもそも計算が正しいか間違っているかというのを、
結局電卓の仕組みとか、
電卓の仕組みを知っているべきだし、
電卓が正しいか間違っている、
電卓が出す答えが正しいか間違っているということを知るためには、
計算を知らなければだめでしょ。
算数のルールを知らないものが電卓が正しいかどうかって、
分からないじゃないですか。
本格的に信じて使うのは危なくて、
電卓を使うには数学を知らなければならない。
算数を知らなければならないよね。
計算ができなければならないよね。それはその通りだよね。
その通りだけど、皆さん電卓の仕組み知ってますか。
その通りだけど、電卓の計算が正しいかどうか
確認してますか。確認できますか。
パソコンって使ってるよね。
パソコンの答えが正しいかどうかを知るためには、
自分がやらせたものが本当に正しいかどうか、
検索の答えが正しいかどうか、
調べたのが本当かどうかを知るためには、
その調べる方法も知らなければならないし、
本当は自分で最終的に人間ができなければならないよね。
ならないよね。ならないけど、できますか。
できてないでしょ。分からないでしょ。
パソコンがどうやって動いてるか知ってますか。
一般的なパソコンがどういう仕組みか知ってますか。答えられますか。
では、
量子コンピューターがどうなっているか分かりますか。
概念は分かるよ。概念も分からないでしょ。
概念は分かるよって言ったけど、概念も分からない人が多いんじゃないの。
だとすると、量子コンピューター使いませんか。使えませんか。どうですか。
使えますよね。使えますよね。パソコン使ってますよね。
使えますよね。使えますよね。ということで、
僕らは初期においては、信頼度が低い時においては、
その仕組みを知らなければならないだろうし、
ならないというのは、仕組みを知らなければ使えないだろうし、
安心して使えないし、仕組みを知っておくべきだし、
実際に知らなければ使い物にならないでしょうね。
実際に知らなければ使い物にならないでしょうね。
それは初期の話なんですよ。
それはその技術が出始めた頃の話なんですよ。
それが進んでいくと、僕らは電卓を疑ってないんですよ。
パソコンを疑ってないんですよ。
前にそういったことが実際にあったんだけど、
今、AIって出始めでしょ。
AIっていうのは基本的には、使い方によってはですけど、
ハルシネーションを起こすじゃないですか。
間違うじゃないですか。
最近、ChatGPTはあまり間違いなくなっているけど、
間違えていて、分野によっては大きく間違えていて、
それで喧嘩みたいになったんですよ、ChatGPTと。
違うとそれは絶対違うと。これはこうだと言ったら、
僕は絶対こうですと言ってきて。
ChatGPTと喧嘩みたいになって、僕説明するわけ。
こうだからこうなはずだと言うんだけど、ChatGPTが違いますと言うわけ。
なんか知らんけど、僕にめっちゃ違うって言ってくる。
違わねえよって言って、
冗談で遊びで喧嘩してるみたいにしたんだけど、
それはね、
僕と同じ分野に詳しい
同僚の先生に見てもらったわけ。
こんなこと言ってくるよねって。
僕と先生は同じような考えを持ってるから、
もともとよくその話をしてるから、これおかしいって思うよね。
思うけど、僕らは知ってるよね。この分野のこの話って、
一般の人は知らないよねって。
ということはですよと。一般の人に僕らが、
精神科医でここの分野にかなり長けてると思われて、
僕らの権威によって、
精神医学じゃなくて、
数学だったかな、数学の問題かな、
というお互いの理解があり、
その先生ももちろん数学がかなりね、
数学的な力があるというふうにお互い思っていて、
これ数学的に間違いだよねっていう話をして、
先生とこれチャットGPT間違ってますねと言ったけども、
僕らが数学に長けてると、あるいは学歴が高いということを知らない人がいて、
数学を知らない人がいて、僕らがこれ違うと言って、
チャットGPTとか他のAIがこれはAですと、
僕らはBだよねと、チャットGPTだったらAですと言ったときに、
これAだということが事実になりかねないよねという話を先生とした。
僕らが権威があるから、
僕らの偏差値が高かったという証拠があるから、
僕らが信用されているけど、
これって分からないから基本的には。
ということは、正解率が上がってきた世の中においては、
ハルシネーションが減ってきた世の中においては、
チャットGPTが言ってることが正しくなるんですよ、
そんなものは当たり前なんですよ。
正しいとか間違ってるっていうのは相対的な話であって、
納得感の話なんで実はね、
正しいものっていうのが世の中にあるというのはフィクションであって、
正しいものなんかないんで現実には。
正しいっていうのは多数派であるとかね、
多くの人が多数派であるということではない、
一種の多数ではないにしても、
正しいとみんなが思うから正しいんだよ、にしかないわけ。
そうするとGPTが言ってることが正しいというふうにみんなが思えば、
正しいんだよってなりかけてるわけ。
政治だろうが何だろうがいろんな分野において僕らが決めている、
要は民主主義だよね。
民主主義っていうものをGPTというか、
生成系のAIというのは超えてくる可能性が大いにあるというか、
間もなく超えてくるんですよ、間違いないわけよ。
となるとですよ、
AI時代の影響
いろんな社会の仕組みとかも全部変わってきますよ、
全部が僕らは民主主義ではなくて、つまり人間ではなくて、
AIに従うようになる、それはなる。
だってこれはそっちの方が正しいんだもん、往々にしてね。
間違ってるってわかる人は本当に少ないというか、
間違ってるって何?って話になってくるから、
みんなが間違ってると思ってれば間違うんだから、
ちょっとGPTが正しいと思ったらもう終わりっていうかな、
それは僕らもう無理よっていうふうに、
その恐怖感みたいなものを一回感じました、それは僕は、
数学の検定。
大半のおそらく今後、
だからある意味では大半の面においてっていうかな、
ほとんど99.999%GPTが正しいってなるから、
GPTもいいと思って間違えてこないんだとすれば、
僕らは正しい世の中に生きることになるし、
正しい方向に進むことができます、人間はね、と思う。
僕らのためになっていることをGPTが言ってくれるようになると思う。
いいと思うが、僕らはということで、
基本的にはGPTに従うようになる。
そのすっかり入れ替わる時期は、
もうそんなに遠い先じゃない。僕は医学的な判断を、
最近は自分で考えている面とGPTを含む、
生成型のAIに相談している面と半々化になってきた。
この前も死んだ瞬間にちょっとうーんと思って、
自分で一回考えてみて、自分で考えたほうが今のところ早いなと思った。
思ったが、これはもうちょっとすると、
僕よりもAIのほうがいいなって思う時代が来るなっていう感覚は掴んでいる。
掴んでいるので、まもなくそうなる。
それは5年10年先じゃない。もっと手前の時代だと思う。
ここで数年のときに社会の仕組みは大きく入れ替わると思います。
というのが一つ思ったこと。
それと今それじゃないので、
さっき言いたかったのはその話もあるんだけど、
ガンと入れ替わるなと思うんです。
同じような流れの中で、今、生成型AIがどんどん出てきたことによって
起こっている変化がもう一個。
もう一個は、世の中の動画みたいなものの全部これに、
僕は子供たちに送ったけど、ショート動画。
ショート動画というのは、うちの子供だよと。
ショート動画というのは全部嘘だと考えたほうがいいというふうに
言わせているショート動画を作って、
ソラツーで、それを子供たちに送ってます。
子供たちはそれを見て、何これ、面白ーとか言ってみてるけど、
それを見て、ホントっぽい動画が自分たちの名前を呼んできていて、
パパがそうやって言ってるから信じちゃダメだよって言ってる
おじさんがニュースで言っているという動画を
子供たちに送っていて、それで分からせようと思っているわけで、
信じるなよということでね。
うちの子供を含めて、今の子供たちはそういうリテララシーが
高くなるんで信じないとは思いますが、ということで
全部嘘になる。SNSは全部、嘘というか全部生成系の
フィクションになる。嘘というか全部がフィクションになります。
情報の真偽と信頼
そうなったときにどうなるかってことなんだけど、
そうなると結局真実というのは相対的だということが
つまびらかになってしまう。
一旦テレビとか新聞というのが真実だと思っていた
時代があって、それがYouTubeとかによって
作られた真実であるということが
僕らの前につまびらかになったわけね。
今度、しばらくしてみんなが
YouTubeとかを信じた時代があって、
次にYouTubeとかを含むSNSを含む
ああいうものだってテレビと同様に誰かの意見によって
支配されているのすぎないという時代が来た。
なのでSNSやら
そういうYouTubeやらが
フェイクで埋め尽くされて
テレビがまず暴かれて
信頼度が落ちてYouTubeが上がって
SNSによって
SNSに見えている
動画なり情報がフェイクである
フィクションであるということが今強調されているし
それがどんどん起こっているし
これから全部がフィクションになるから
そうすると
YouTubeを含むSNSらの情報というのの
信頼度はガタガタに下がります。
ガタガタに下がった後に
かつての新聞やテレビの方に信頼度が上がるかというと
そうはならない。そうはならないと思うんです。
何がならないかというと
テレビが正しくてYouTubeが間違っているというわけではなく
SNSが間違っているというわけではなく
全てが嘘だというふうに
一回否定されたテレビは否定された話であれは嘘だからね
そこにYouTubeを信じたけどこちらも嘘だということがある
全てが嘘であるということになる
じゃあとなれば僕らは何を信じますか
僕らは何を信じるか
今後は人を信じるようになります
テレビに出ている人ではなくて
自分が信じているものを信じる中で宗教とかが強くなります
何かよりどころがいるので宗教が強くなる
相対的に宗教が強くなる
今地に落ちているテレビも
今のところより強くなると思う
だけど宗教が強くなる。そして時間が強くなります
みんなそうでしょ
例えばTwitterとかアカウントとか
サイトとかこれ本当かなと思った時に
どう判断します
見た目は判断できない。なぜならAIによって
言葉遣いが中国人っぽいとかもうないからね
それは無理でしょ
見た目の動画とかもフェイクでいくらでも作られるわけだから
ということで
目で見て音で聞いてテレビ
画面を通して目で見て音を聞いても信用できない
全部フェイクと同じだから信用できるのはあった人
目の前で見た人はいるから
いるという信頼がある。もう一個大事なのは時間でしょ
かなり前からあるサイト
10年前からここに
怪しげなんだけど10年前からサイトあるよねってなったら
信用できるでしょアカウントが同じなので持続性です
時間というのはよく西野さんとかも言うけど
時間と土地はハックできない
時間と土地は変えようがない
歴史が強くなる
歴史が強くなり宗教が強くなり
歴史が強くなる時間が強くなる
僕のTwitterのアカウントがいかに本当っぽいかという
いくら見た目をやっても
昨日作ったアカウントではこれは信頼できない
昔からあるってことが大事
ということで僕ら何年か
スタンドFMとかやってるでしょ
これはやってて良かったよ
この時代になって急に価値が上がりました
我々のスタンドFMは何年かやってるでしょ
何年かやってるってことで我々は真実ですから
僕らの話を聞いてる人たちが僕らのことを信用してるわけある程度
僕らかどうか分かりますけど
僕の言ってることを皆さんちょっと信じてるでしょ
それは長く僕のことを見てるからですよ
時間の価値というのが
フェイクの世の中で僕らは何に依存するかと言ったら
宗教と盲目的な信仰のことを
宗教と言いました
宗教と言っても宗教に限らないです
科学も同じなんです
盲目的に何かだから正しい
権威とかもそうです
あの人は医者だから正しいだろうというのも含めて宗教です
盲目的な信仰
盲目的に信じるということ自体が強くなる
その背景にあるものは時間が一つ大きい
スタンドFMの価値
僕らは少し宗教に近づいてます
3年間変なことを言わずに
3年間正しそうなことを言ってきました
なるほどなと
確かになって思うことを
僕ら3年間言ってきました
そこで僕はこれによって信頼が勝ち得ていて
僕は本当のことを言う人だという
100人ぐらいしか聞いてないから100人にとってなんですけど
100人の人の前で3年間やり続けたという
そういう信頼になるから
これは100人に刺さるわけではなくて
何かの時にズバーンと刺さります
それは僕らが100人の前で信頼を得たということ自体が
これが信用になるからです
これが盲目的な信仰に使えます
3年間やったスタンドFもやった我々
皆さんおめでとうございます
僕らは勝ちました
ということで今日はやめときましょう
この音入っているかな入っていないかな
それは聞いてのお楽しみさよなり
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