サマリー
AIの進化に伴い、教育や医療の分野では専門知識が求められていますが、実際の人間的な体験や交流の価値が再評価されています。特に学校は、単なる学びの場に留まらず、コミュニケーションやコミュニティ形成の場として重要な役割を果たしており、AIに代替されない価値がここに存在します。このエピソードでは、AI時代における看護師という職業のユニークさとその専門知識の価値がどのように変わるのかについて考察しています。また、人間らしさや不完全さの魅力が、AIにはない重要な価値として強調されています。AI時代において、人間の価値は完璧さではなく、不完全さと可愛らしさによって評価されるべきだと語られています。学校や仕事の存在意義が変わりつつある中で、人間らしさが今後の価値であると考察されています。
スカンクからの連絡
おはようございます。
麻生の精神科リブラです。
本日は配信が上がっているのは4月2日の朝かと思いますけども、
収録は前の晩にやっております。
4月1日夜は、通常火曜日の夜はですね、
精神のPラインの収録がありますが、
今日はちょっとできないということで、スカンクさんから連絡がありますので、
上がっていないものと思います。
この話、さっきしたんだよね。
録音できてなかったよね。
撮り直しなんだよね。
撮り直しっていうか、撮れてなかったから、
しゃべり直しです。
しゃべり直しはまあまあきつい。
同じことを言うのはきつい。
何せ台本なんかがないもんですからね。
その場でやってるんで、
その場でやってるとね、
同じ話をもう一回するっていうのがむちゃくちゃむずいよね。
しかもさっきそんなに言いたいことがあって始めてなくて、
ふわっと心に移りゆく、
吉田仕事を、
なんていうか、つれづれなるままにやったんですよ。
つれづれ腐ったんだよ。
吉田健康ルートですよ。
吉田健康ルートですね。
吉田健康ルートだっけ?吉田健康だっけ?
つれづれ腐ってどうだっけ?
はっきり覚えてませんけどですね。
なかなかちょっとね、同じことやるの難しいですけども。
ではまたつれづれなるままにやりましょう。
日暮らしね、マイクに向かいて、
心に移りよく吉田仕事を、
ただそこはかとなくですね、
しゃべりましょうね。
えーとなんだっけ?
まずね、
今日もチャーケン聞きましたよね。
いろいろ話してらっしゃったけど、
思うことがありますよね。思うところでしゃべりましょうか。
えーと、
たぶんチャーケンじゃなくて、
三宅健さんの自分の配信というか、
一人でやってらっしゃったんじゃないかとは思うのですが、
えー、なんだっけ?
えーと、
あっ、
チャットGPTが進化しすぎて、
イラストの指導までできるようになっちゃったんで、
もうイラストの先生みたいな仕事が、
GPTに取られるというような話と、
イラストレーター二顔絵含め、
イラストレーターみたいな仕事は、
機能的にはGPTに全部奪われるということで、
もはや、
出る膜なしという、
ショックを受けたみたいな配信をしてらっしゃったね。
それについて、
風邪ひきましてね。
それについて思うところを話そうと思いますが、
僕がいつも言っていることなので、
そんなに目新しくはないと思うんですけど、
僕は、もちろん三宅健さんの、
イラスト講師の仕事はなくなるとは思うんですけど、
だけじゃないよねっていうことですよね。
当たり前なんだけどね。
先生みたいなものが全てなくなると思うんですよ。
先生がなくなるか分からないけど、正確に言うと、
教えるという機能が必要なくなる先生からね。
なにせさ、別にさ、
上手いじゃん教えるの、GPT。
何でもかんでも。
なので、別にイラスト講師に限らんでしょって思います。
全ての教師、
教師の仕事がなくなるかどうか分からないんだけど、
何かを教えるという業務がなくなる。
職種がなくなるかどうか分からない。
でも業務はなくなる。
なくなるというか代替されるAIによって。
なので、何かだってもうさ、
上手いよね。
だけどもだけど、
その意味で言うと、
教える業務はすでに、
AIが出る前からスタサプに奪われてません?
本当のこと言うと。
スタサプにむちゃくちゃ優秀な先生がいて、
スタディサプリで、
不良だとちょっとしか見れませんけど、
お金払うと、年2万円かなんか払うと全部見られるんだよね。
小3から高3ぐらいまで全部見られるんですよ。
もう完璧だよあれ。
基礎のレベル、応用のレベルみたいな、
何でもできる人レベルみたいな、
かなり分かれてるんで、
面白いやつを見ることができて、
自分に合うやつを適当に見ることができるんで、
すごくもうあれも予備校もいらんし、
学校の先生もいらんかなと。
教えるという意味ではね。
学校の先生がいらんかどうかわからんし、
予備校がいらんかどうかわからんけど、
その教えるという機能はもうスタサプに代替されてるんですよ。
だけどもだけど、
まだ予備校はあるし、
学校ってありますよね。
ということは、
学校の機能というのは教える機能じゃなかったというか、
教える機能だけじゃなかったという、
逆から言うとそういうことになるかなと思いますね。
医療における人間の価値
学校にスタサプがあるのに、
まだ学校に行ってるじゃない、我々。
スタサプがあるのに、
まだ予備校に行ってるじゃない。
なぜかって。
なぜだ!
坊やだからなんですけどね。
坊やだからなんですが、
なぜ僕らは坊やと行くのかというと、
やっぱりあれは、
学校に集まって、
みんなでコミュニケーションを取るでしょ。
それだよね。
既にさ、だいぶ前からさ、
物を人に教えるという機能は、
スタサプやらに代替されていたんですよ既に。
なのにそれを使わずに、
学校に行って、
スタサプより下手くその人の授業を聞いてたんですよ、我々は。
もともと。
なので、AIが教えるのが上手くなったからといって、
先生の機能の中の、
それは先生の機能の教えるという部分が代替されるだけであって、
先生というものが本当に教えるだけだったかどうかというところに、
帰結するかなと思いますね。
だから学校に関しては、
勉強を学びに行く場だとずっと僕らは思っていたけど、
今でも残っているということは、
実は学校というのは勉強を学ぶという体で、
それをテーマにして、
勉強を学ぶというテーマで、
みんなで集まってコミュニケーションを取り、
そこにコミュニティを作るという、
そういった練習、コミュニケーションを取る練習、
コミュニティを作る練習、
そういった場として機能していたんだなと。
これこそが、
AI時代で知的作業のすべてが、
AIに代替される世の中になって、
なお生き残る仕事の一つかなと。
だから逆に学校は残るかなというね。
学校はなくなるかもしれないけど、
学校的なコミュニティは残るかなと。
スタッフの世界になっても、
まだ学校というのが残っているところを見ると、
僕らAIによって代替されるのは、
基本的には今スタッフがやっているような、
教えるという機能。
それがさらにソフィス受けとされたような、
そういうものだと思うので、
さらに力をつけたような状態なんで。
でも相当スタッフ力があるんで。
どうですかね。
家庭教師の教えるという機能が、
GPTに代替されるみたいな方が、
イメージが近いかもわかりませんけども。
どっちにしろ、学校というのは実は、
勉強を学びに行く場所ではなくて、
勉強を学ぶということをテーマにした、
人が集まる場所であったということがわかりましたね。
が、はっきりしたというふうに思います。
だから、いろんな教えるという機能は、
AIに代替されてしまうわけですけど、
教える以外にも、
何か分類したりとか、
科学者の、研究者の論文を検索したり、
論文を解析したりするのも、
ほとんどAIができるので、
ああいう力技で論文を書くような、
研究室というのは、
今はでかい大学の、
人が集まっているところしかできなかったけど、
あんなの誰でもできるようになるので、
何の価値もなくなるでしょうね。
だから大学なんかも、
研究室の多くは横並びになってしまって、
何の違いが一体残るのかなというところは、
まだ僕にはちょっと分かりませんけどね。
なかなか横並びになって、
個人の発想力みたいなもの、
AIでは出てこない発想力みたいなものが、
あるところだけが残るか、
それもAIによって代替されるのであれば、
うまくAIを使うやつだけが残るのか、
先にAIを使えるようになったやつだけが残るのか、
それもすぐにAIによって代替されていくと思うので、
分かりませんけどね。
一旦はAIを使うやつが、
すぐにこれも横並びになるかなという気はします。
例えば僕ら医者なんかも、
診断をして治療するという、
わりと情報を取ってそれを分析して、
行為を決めていくという、
そういう機能ですよね、僕らの仕事はね。
機能的にはね、表面に見えている機能は。
それはかなりGDPを含むAIに代替されつつあって、
やっぱり専門以外の分野は、
僕よりもGDP機能が詳しいなと自分で思いますから、
もはや、
僕である必要はない、
医者である必要さえもだいぶなくなってきているので、
こんなのは僕らは意思免許で守られているだけですよね。
意思免許がなくなったらもう何にもだよね。
なので意思免許があるというだけの、
僕らは人間ですよね。
逆に言うと、
じゃあ医者がなくなるかというと、
それは分からないと思うんだよね。
診断して治療法を決めるという機能は、
GPTにかなり持っていかれるとしても、
それを実際に、
患者さんに施術するとか施行する、
治療を施すような場面だけが残るみたいな、
ほぼね。
でもそのわずかな専門性だけを僕らが持っていて、
知識よりも人柄だとか一生懸命だとかが、
僕らに医者に残されたものかも分からないね。
それは医療においては医者だけじゃないですよね。
何とか療法士とか、
理学療法士みたいなもの。
ただああいうものの、
実際に患者さんに施術をする場面における動きみたいなものは、
大体できないので、GPTでは。
だからそこにおいては人間が残るけども、
専門性とか専門的知識においてはもうGPTにかなわないので、
ああいう業務をする人なんかも、
その業務の部分、作業の部分だけがあれば、
何とか職種は残るかなというふうに思いますね。
看護師とかは残るよね、きっとね、ある程度ね。
まだ看護師を代替することができないね。
看護師はですね、
SAT GPTに奪われる専門性がないんですよ、実は。
変わった仕事で、変わった専門職なんですよ、あれ。
看護師の専門性
専門がないっていう専門職なんですよ。
最近は特定の専門の資格を持った看護師という新しいものもできてきましたけど、
それは非常に限られた人たちで、
基本的に看護師というのは専門性がないんですよね。
なんでないかというと、
そもそも看護師法で定められている看護師の業務というのが、
医師の補助なんだよね。
だから、診療における何々ではないんですよ。
医師の補助なんだよね。
なので、手伝うっていう専門なんだよ。
手伝う専門家なんだよね。
専門性がないんですよ。
だからすごく面白い専門家なんだよね。
医療における、医者の手伝う専門家ですという専門家なんだよね。
非常に珍しい、病院の中でも唯一の専門のない専門家ですね。
何とか療法士、理学療法士含め、
作業療法士、言語療法士、全部専門家なんだよね。
専門があるんだよね。
栄養士においても専門があるんですよね。
でも看護師の専門は、学問的にその内容ではなくて、
AIの影響と人間の価値
作業の種類の方の専門性なんだよね。
手伝う専門家なんだよね。
手伝うに特化した、補助するに特化した専門家っていうのは非常に珍しい。
なので、ある種の専門家ではあるんだけれども、
看護師というのは専門職で、資格を持った専門職なんだけど、
ところが彼の所が学校で学ぶのは看護の仕方と医学教育なんですよ。
僕らが授業に行くわけだから。僕が精神医学を教えに行くわけだから。
医学部とは授業時間が、講義時間がだいぶ違いますけど、少ないけど、
でも同じようなことをやるわけですよ。
簡単なバージョンみたいなのをやるんですけど。
看護学校の授業っていつかな?準備してない。
準備なんかもう十何年やってないのに、今更やるわけないじゃないかってところですけど、
今年はGPTで準備していこうかなと思いますが。
看護師はそういう専門がないという専門家なので、
GPTが代替しようと思ってもGTPが代替する専門の場所がないんだと思うんだよね。
だからGTPに代替されない変わった専門家ということになるかなと思いますね。
あとは何とか療法士に関しては動きの場所は生き残るけど、
知識の専門性は意味を出さないということになりますね。
それは全ての日本の世界の全ての仕事においてそういうことが起こるはずなんだよね。
何もEOだけじゃないわけだし、何もイラスト講師だけじゃないわけだし、
何も教育だけじゃないんだよね。
全ての専門職、専門的知識というものはGPTにほとんど代替されるし、
全ての研究者は、リサーチャーはそのリサーチ力がGPTが格段に上がったことによって、
GPTを使ったリサーチみたいなことになっていくので、AIを使ったリサーチになるので、
リサーチャーは人力でリサーチするということから解放され、
だからそれをお手伝いするただの助手みたいな人たちはほとんどいらなくなるので、
その分だけ研究に没頭してくれればいいんだけど、どうなるんでしょうね。
だから研究者は今ほど必要なくなりますよね。
いいことですけどね。
その分頭を使う業務に回ってくれればいいのかなと思いますけど。
なので少なくとも僕の知る限り、学問的な場所、医学的な場所、教育的な場所の専門性というのは
著しく変わって、専門的知識は本当に無価値になって、
結局専門的な動きみたいなものはまだできないので、GPTには。
まだそこまでのロボットみたいなものがないので、
そこの作業の部分だけが残るという、そういう形になるでしょうね。
学校の先生も教えるという業務はなくて、
だから生徒に寄り添うとか、生徒の気持ちが分かるとか、
一緒にスタッフの授業を見るとか、分からないことあったら俺に言えって言って、
俺に言ったら俺が上手にGPTに聞いてやるよみたいな、
そういう機能、外の機能と生き物としての生徒との橋渡しとか、
生徒の心のサポートだとか、そういったことができる人が先生の役割、
そういったことが先生の残った役割になってくるかなと。
そういう人が向いているということで、
今までは授業上手い人とかいいみたいな話がありましたけど、
そういうのは本当に意味がないのかなと思います。
不完全さの魅力
ということで、人というのは機能においてはGPTやらのAIに全く敵わないと思うので、
人間の価値というのは人らしさだけなんだよね。
人らしさというのは不完全さだと思うんですよね。
この不完全さとかダメさ加減みたいなことが、
やっぱりAIよりも僕らの方が優れているので、
ダメさにおいて優れている。
可愛らしさとかね。僕らやっぱり可愛いよね。
だからこの可愛らしさみたいなものでGPTやAIに僕らは勝ると。
劣ってるから。
劣ってることが勝ると。
不完全さこそが僕らの魅力というふうにならざるを得ないじゃないですかね。
ハズレ値を出さないから、AIは。
このハズレ値具合、クレイジー具合、
クレイジー具合とハズレ具合、可愛らしさみたいなことが
僕らの価値になっていくんじゃないかなって。
もう既になっているんじゃないかなってちょっと思います。
そういう意味で、いい例だなと思うのはですね、
僕らのコミュニティで活躍しているのは、
ノリコンブさんなんかが最近目立ちますよね。
変でこれみんなスカイランタンを企画し始めて、
なんだ面白いこと始めたなと思って、
これでうまくいくんかなと思ったら、
なんか高いって言われてへこんで、ぐすんってなって見たり、
なんだお前だけから出ない情弱めって言って、
あんな情弱なんかうまくいくか?
私は外を見てて楽しいわみたいな悪口を言ってみたり、
しばらくしたらあんなことを言うのは良くない?って反省してみたり、
人でしょ。人間だよね。
人間だもの。可愛らしいよね。
そこが魅力ですよね。
やっぱり誠実でしょ。誠実さがあるよね。
信頼できるでしょ。
信頼感があって誠実で間が抜けていて可愛らしいでしょ。
あの人じゃない。
だけどみんながノリコンブさんになれるかどうかはちょっと分からないですよね。
あの人はAI時代にも活用を持てる人な気がしますね。
僕なんかはそんな気がしますけどね。
で、そのエピソードが最近もあってですね。
僕皆さんご存知かどうか分からないけどね。
去年の年末にね、
ふるさと納税が余ったみたいな話をしてね。
ノリコンブさんね、ふるさと納税やってたの知ってたんで、
それね、もうちょっと年末に余るんだよと。
年末に商品がねえぞと。
カレー買ってもいいけどさ、そんなトマトカレーばっかいっぱいいらねえよなと思って。
いいんだけど買っても。
なんか高いし高級だし。
高級750円のカレーそんなにいっぱい買わねえなあと思いながら。
トマト売れないの?つって。
トマト1年分12ヶ月連続配送12万円。
1回分はすごい1万円なんで。
だから3000円前後の。
前後はダメだ。3000円弱じゃないと。
3000円弱のトマトを送ってくるというね、そういうはずなんですよ。
2000円か3000円かのトマトを送るのが一般的だと思いますよ。
3000円弱のトマトを送るということになると思うんですけど。
で、1万円でね。
だからそれを12万円分寄付するから、
12万円セットみたいなやつ出せないの?って言ったらやっぱ間に合わないと。
年末もさっしゃべったら間に合わないんだけど。
言ってたら楽天と競技してくれて、楽天で競技したところ、
12ヶ月分はとりあえずダメだけども、
買ってくれると言ってる人に12個買ってもらえと、1万円のやつを。
そしたら楽天の方で上手に調整して、
12ヶ月に割って適当に割って送りますという風に楽天が言ってくれたということを
のりこむさんから連絡があって、それはありがたいということで、
それ買いますと。
それを買うと12ヶ月連続で送ってくるんだねという風にのりこむさんに聞いたら、
実は後藤農園のトマトというのは、
後藤農園の手法でやり方で、
7、8、9月はトマトの植え替えをするために出荷ができないと。
その3ヶ月は出荷できないので、
その3ヶ月を外すので、
12ヶ月分買ってもらったので大体3週間に1回送ることになりますと聞いてたんだね。
そうなんだと思って。
今年に入ってトマトが来るわけですよ。
割と頻繁に来るんだよね。
一時期は来たと思ったらまた来たみたいになって、
まだ少し残っている状態で来るようになって、
あそこのトマトは残らないんですよ、うち。すぐ食べちゃうんでね。
なんだけど連発で来始めて、
多分食べるペースが落ちたんじゃないかと思うんだよね。
多分季節とかもあってね。
ちょっと余った状態で次来るようになって、
ちょっと余ったなーっていうことが起こり始めましたね。
月1回にしては多い。3週間に1回だってこんなもんかと思ってね。
うちの奥さんもトマトやたら来るねって。
いやこれはねと、実はね、
あのね、僕乗り込みさんに聞いてるんだけど、
7、8、9月がないんで、3週間に1回というふうに聞いてるんで、
多分それか、7月、8、9月の分を前倒しで入れてる可能性もあるんですね。
後ろの方になったら次に1回とかなんじゃないかなって。
だから慌てて、冬場なんかおいしいって言ってたし、
ちょっと詰めて送ってるのかなみたいな。
あれは楽天が適当にやってるはずだから、
まあそんなもんかと思いながらいたんですけど、
3月の末ね、先週ぐらいになんか乗り込みさんからメールが来て、
えっと、今日トマト送りましたーって言ってね。
で、先生の12回分、去年のふるさとの税、これで最後ですって言ってたのね。
えーって思って。3月だけどって思って。
最後?12回送った?っていうね。
なんかね、12回送ったんですって。
あ、もう来たんだ!みたいな。え、もう最後なんだ!みたいな。
ちょっとびっくりした。
そしたら乗り込みさんが何言うかと思ったら、
あ、ちゃんと先生に事前に言っとけばよかったねーって。
あの、聞いとけばよかったです。申し訳ないです。
私聞かずに勝手に送ったわーって言って。
えーって言って。
ちゃんとどのぐらいのペースで送ればいいか聞いとけばよかったねって言うんですよ。
えーって思って。
えーって思って。
もう一回メッセージ。
Twitterのメッセージ機能でやり取りしてたと思うんだけど。
人間の不完全さと可愛らしさ
見たらさ、僕が毎月送るんですか?って書いてあって。
その下に乗り込みさんが、
いや、7、8、9月売れ替えなんで、3週間送れないので、
3週間に1回ぐらいでなりますって書いてあって。
あ、そうかーっていうのがあって。
それをまた、えーって思って。やっぱ書いちゃうんじゃんって思って。
送ってみたら。
え、私が言ってるの?って。
先生が3週間に1回って言ってたんだ。ごめんなさい。
思いっきりスルーしてたって最初書いちゃって。
あ、違う私が言ってるわーって言うのね。
なにそれ。そんなことあるっけって言うね。
うわ、先生3週間に1回って書いてるね。
私思いっきりスルーしてた。ごめんなさい。
いや違う私が言ってるじゃんって言うね。
なかなかでしょ。
なにそのボケって言うね。
まあ僕も気づかなかったんですけど全然。
だから毎週送ってきてたんだね今年入ってからトマト。
まあ道理で多いわけだよね。
毎週ね、ダンボールのトマトが送ってきてたんで。
毎週送ってきてるとは気づかなかったねこちらも。
えー驚き桃の木、えートマトの木ということで、
えーなかなかなのりこんぶさんのボケっぷりでしょ。
これでもさ、どうですかみなさんこれ。
自分が喰らったらどう思います?
己ごとの縁ってなります?
ならないよね。
いやーのりこんぶさんらしいなーってなりません?
誰か怒る人いる?
ナッシングでしょそんなこと。
ありえないでしょ。
ということで、のりこんぶさんに、この件でのりこんぶさん怒る人おそらく
えっとゼロなんですよね。
ゼロだと思う。
これがすごくないですか。
えーと例えばこれ僕が楽天がね、
えーにね注文したやつがね毎週来たらね、
ほぼね100%怒ってると思うんだよね。
むちゃくちゃ怒ってると思うんだよね。
あのー
なんかわからんけど。
なんかわからんけどムカつきません?楽天がそういうことやったら。
わかります?楽天がやったらムカつくでしょなんか。
むっちゃムカつくことない楽天がやったら。
なのにさ、のりこんぶさんがやってムカつく人います?
いなくない?
これどういうことこれ。
だからさ、僕らさ腹立てるのってさ、なんていうのかな。
なんか、だから内容じゃないんだねだから。
例えばさ、なんか物がぶつかっていてとクッソって殴られてクッソーと思うかもわかんないけどさ。
めちゃくちゃムカつくじゃん殴られたら。
だけどさ、例えば子供が自分にこっちにぶつかって、
まあ走ってきてぶつかっていてーってなったらムカつきます。
イターとはなるけどさ。
ムカつきはしないでしょ。
でもさ、痛さは同じだよね。
ちょっと止めよう。
はい、コンビニから戻ってまいりました。
ということでですね、えー。
まあそういうことで結局、やっぱ人ー、やっぱこうしかも、
不完全な人、
不完全な人はAIと一緒ですからね。
ということで不完全な我々こそはね、
やっぱり人間として魅力なのかなと。
僕なんかみたいなね。
全然ね、えー。
人生で一回も仕事に間に合わないみたいなね。
そんな不完全さありますか?
えー。
冒頭してたら総合病院精神医学会の専門医と指導生きれちゃうっていうね。
更新し忘れたっていうね。
そんなことありますか?っていうね。
僕の知り合いの医師免許の日行くの忘れた先生に比べればね。
よっぽど僕の方がマシですけど。
えーと。
まあまあそういうこういうね。
不完全であることがね、やっぱ人間の魅力かなと。
その可愛らしさみたいなものしかね。
もう僕らにはね、残されてないんじゃないかと。
というふうに三宅さんは思いますよね。
えー。
僕らチャージグループみんな可愛いじゃない?なんか。
人として。
こういう風だね。
我々に価値があるのではないかというふうに思ったと次第でございます。
学校と仕事の新しい価値
本日もご静聴ありがとうございました。
まとめますと。
まとめるの忘れた。
まとめますと。
もうちょっと途切れ途切れなんで。
私もう2回目のやつなんで。
もう何言ったかよくわかりませんが。
まとめると。
えー。
イラストだけじゃないよと。
亡くなる仕事はね。
既に。
亡くなる業務はイラストだけじゃない。
イラストを教えることだけじゃないよと。
しかし。
えー。
そもそも。
学校の先生も全部同じだけど。
そもそもスタッフとか。
ああいうのがもう既にあるにも関わらず学校が生き残っているということは。
えー。
学校は勉強を教わるところでは実はなくて。
学校は勉強を教わりに行くというのをテーマに。
人々が集まってコミュニケーションとコミュニティを作るという存在だということが分かって。
だから今後形を変えるかもしれませんけど。
そういうことがはっきりしたし。
えーと。
同様に。
僕らの仕事というのは機能のかなりの部分はGPDに代替されてしまうと。
AIに代替されてしまうと思いますが。
えーと。
全部がなくなるかどうかは分からなくて。
僕らの業務の柱が本当は何であったかということが割とつまびらかになるかもねというふうに思いますね。
で。
その中でやっぱり僕らに残された人間という生き物の機能的な脳を使う頭がいいみたいな機能的な部分は代替されてしまって。
AIに。
すると僕らの残ったところは不完全さ。
駄目さ。
可愛らしさ。
僕らのそういうところ。
そういう人間的魅力みたいなもののみが僕らの価値として残るのかもなと。
なので可愛らしい僕らは強いんじゃないかなと思ったというね。
チャージグループのりこんぶさん含めね。
えーと思いましたとさ。
おしまい。
さようなり。
28:37
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