Tomohisaさんのキャリアと人となり
London Tech TalkのYosuke Asaiです。
今日は、DDIAの臨読会で活躍していただいた Tomohisa さんにゲストにお呼びしています。
Tomohisa さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
Tomohisa さんは、臨読会で、多分キャリアが一番長いのかなと思うんですけれども、
臨読会の中でも毎回すごい的確で、かつ経験に基づいたコメントをしてくださって、本当に勉強になりまして、
これまで2回、過去回で出ていただいたんですけれども、今回はTomohisa さんの人となりというか、
このキャリアとかを深掘りするような回にしたいなと思っています。
Tomohisa さん、それでは自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
London Tech TalkのDDIA本の臨読会に参加させていただいて、
若いメンバーたちのフレッシュな意見を聞けて、
僕も40代半ばですけれども、
非常に刺激的な、面白い回になったと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
僕は、アメリカのJ-Tech Creations Inc.という会社に所属していまして、
日本出身で、このJ-Tech Creationsという会社は、
アメリカの小さい会社で、数人しかいない会社なんですけれども、
日本人が起業した会社なんですね。
で、兄弟会社のJ-Tech Japanで、
J-Tech Japanという日本の会社の外部CTOという形で、
仕事しているという感じになります。
なので、経営的な仕事もやりながら、
できるだけ開発の勉強であるとか、
新しいプロダクトの開発とか、
そういうのに時間を使えるように調整しているという、
そういう仕事を行っています。
はい。
あの、
この構成を知らなくて、
アメリカのJ-Tech Japanに所属していて、
日本で外部CTOなんですね。
結構ややこしいですね。
アメリカの会社がJ-Tech Creationsという会社で、
で、小さい会社、そっちの方はもう数人で、
僕と社長ぐらいのメインの会社なんですけれども、
日本の会社がJ-Tech Japanという会社で、
外社みたいな感じなんですけれども。
はい。
そっちで丸ごと働いているという感じです。
なるほど。
ちょっとこの話をまた、
こぼさせてください。
なんか、趣味とか、
普段どんなことされているかっていう話も、
ぜひ聞きたいんですけれど。
そうですね。
まあ、なんか、まあ、
いろいろ、なんか、
興味は移っていく感じなんですけれども、
その時、その時、
面白そうなもの、
まあ、昔であったら、
なんか、iPhoneが出てきた時とかは、
iPhoneに熱中していたりとか、
最近であったら、
キーボードの、
その仕事を効率的にするみたいな趣味で、
キーボードにいろいろ買ってみたりとか、
自分で作ってみたりとか、
キーボードを自分で作るなら、
3Dプリントで、
そのキーボードのケース、
自分で作れたら面白いんじゃないかと思って、
3Dプリンター買って、
プリントして、
自分のオリジナルのトラックボールとか、
キーボードとか、
自分で作ってみたりとか、
最近では、
いろいろ分散システムについて、
関心があって、
本を読み出したところで、
このロンドンテックトークの
臨読会が始まったので、
趣味の時間は、
結構、
読書と、
ポッドキャスト、
臨読会に使われているという、
そんな感じになります。
ロンドンテックトークの
自作キーボードの趣味について
臨読会の中で、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
何か、
まだ、
頂戴して、
何か、
あれ?
アンチョ
どう言った?
どういうこと?
しまった?
やめて。
マジっすか?
あそこまでは、
男性のお尻が凝って、
integration 感え、
それが。
大事な場合は、
一番オリジナルなのがキーボードのケースっていうのが
自分でデザインできるところになっていて
ケースというのは3Dプリントしたプラスチックで好きな形を作って
分割したキーボードっていうのが最近流行ってるんですけれども
ただ分割するだけじゃなくて曲線になっていて
手の動きを減らして
エルゴノミクス的なそんな感じで
検証編とかあったわけじゃないんですけれども
特にこの親指がすごい力が強い指なのに
一つのスペースキーしか押さないっていうのがもったいないなっていう
一番の
右の親指と左の親指で違う機能にしたいっていうのが
最初の発端で
それで色々作り始めた
なるほど
という感じですね
じゃあいわゆる一般的なキーマッピングではなくて
自分の親指を活用できるキーマッピングでキーボードを作っていると
そうそうなんですね
でその打ち方が色々あって
親指シフトって言って
日本語を打つ時にローマ字で2文字で打つんじゃなくて
親指と別の指を同時に打つことによって
かなり少ないキーの配列で早く文字を打てるみたいなのがあって
英語のタイピングはそんなに早くないんですけれども
日本語はその親指と組み合わせて
いろんなキーを打つことによって
結構早く打てるようになったっていう感じですね
ちょっとイメージがわからなかったんですけど
親指って本当に一般的なキーマッピングでは全然ないんですよね
親指を押しながらこれを押すとYになるとかそういう話ですか
例えば
YになるというかYAになるみたいな
そうかそうか
だから2文字を
一発で打てるというか
ローマ字
アルファベット2文字を一発で打てる
カナキーボードっていうのがあるんですけど
カナキーボードは数字の部分まで使ってやるので
結構移動が大きくて
結構慣れるのが大変なんですけど
こういう親指をシフトキーみたいに使って
使うことを親指シフトって言うんですけど
そうするとこの3列の
アルファベットの文字が
このキーと親指だけで
日本語を全部
楽天も含めて打てるようになるみたいな
そんな感じの打ち方ですね
初めて聞きました
それは一般的にあるんですかその打ち方が
そうなんです
富士通か何かが初めて
結構相当前のコンピューターから使われていたんですけれども
専用のキーボードみたいなのも出していたんですけど
そういうのはなくなって
それでもまだ使い続けたい
趣味の人たちが
オープンソースのプログラムであるとか
Macに入れる
キーマッピングをアサインする
カラビナエレメントっていう
使ってる人が多いと思うんですけれども
そういう
アプリに
全部そういうマッピングを書いてあげると
そういう機能が使えるようになるっていう
そんな感じですね
なるほど
初めてのプログラミング経験
急になんか普通の
そこら辺にあるパソコンを使おうと思うと
大変そうですね逆に
そんなことないですか
でも
慣れっていうのがあって
一応普通のキーボードだったら
普通のキーボードとして使う
例えば
パソコン持っていくときに
外部キーボードがないときは
親指が
一個しか使えないので
普通のローマ字入力で
打ったりするので
しかも英語の
組み合わせと一緒に
どっちかすぐ切り替えられる
っていう感じではありますね
バイクに乗るか自転車に乗るか
みたいな違いって感じですかね
そんな感じです
ただなんか
家用キーボード
持ち運び用キーボードとか
いろいろ
キーボードのTPを考えるようには
なってしまいますね
なるほど
ちなみにこれまで何個作られたんですか
キーボード
自分で作ったら
作ったのは
まず最初にキットみたいなので作り始めて
キットができた後に
じゃあ3Dプリントでできるかもって言って
3Dプリントで作ったんですけれども
3個目ぐらいで
そのフルで
しかもエルゴノミスクスのものを作ったんですけど
これが後ろが
配線を自分でやらないといけないです
なんていうか
あの
基盤みたいなのがあって
それに挿したらできるってやつじゃなくても
3Dで
レイアウトしてるので
全部そのこの線とこの線をつないで
この線をこの線をつないでっていう
100何十個のキーに
それぞれ3つ
4つずつか4つずつ
接続するところがあるので
それが疲れすぎて
手動で
作るのを今やめていまして
今は最近
は出来合いのものを買って
使ってますね
でもそれも理由があって
出来合いのものはやっぱり
構造がしっかりしてて
なんかあの
ガスケット構造って言って
なんかレイヤーみたいになっていて
そのショックを和らげるような
バネみたいなのが中に入っていて
非常にやっぱり
その打ちやすさがいいんですよね
自分で作ったときは
それが
自分で作ったものには
それができないので
最近はその打ち心地と
親指の分かれているのと
両立した市販品みたいなのを
使ってたりします
持ち合う持ち合うという感じになってるんですか
最終的に
実際にやっぱり
その配線とかをやるって
本当に大変そうですよね
この細かい部分を一本一本やっていくっていうのは
想像したこともなかったんで
やったという経験だけでも
なんかすごいですね
結構面白くて
ただ結構このなんかつない
ハンダ付けとかされたことあるか
分かんないですけれども
結構その
最近のキーボードって
LEDが各キーの一個一個に入っていて
その配線のハンダ付けがうまくいっていないと
その光がうまくつかないっていうのがあって
そのキーボードを組み立てるときは
なんかどうしても
くっついてるように見えるのに
ちゃんと動かないみたいなのが
最初よくあるあるの間違いで
でも何回か同じのをしっかりやり直したら
ちゃんと動くようになったみたいな
結構なかなか大変でしたね
かなり緻密で根気のいる作業ですね
一回やってみたいなとは思います
面白いですね
はい
早速あの
キャリアの深掘りをしていきたいなと思ってるんですけども
まず聞きたいのは初めて
コードを書いたのはいつかっていうので
エンジニアなのでぜひいつか始めたかっていうのを聞かせてください
私中学生まではコーディングとか
プログラミングとかしたことがなくて
高校行くときに
高専っていうところに行ったんですね
高専っていうのは
大学でも高校でもなくて
5年生で高校の短大ぐらいまでの時間なんですけれども
結構その高校1年の時から技術的なことを勉強できるので
5年行くと結構大学を出たのに近いぐらいの技術の勉強ができるっていう
その高専って高校1年の時にコンピューター買って
でプログラミングの授業が始まったので
勉強し始めたっていう感じだったんですけども
結構その先生も
その当時僕40代なので
情報科みたいなのが始まって
1、2年ぐらいしか経っていない時で
先生もまだ初心者だったんですよ
そんなことがあるんですね
先生も一生懸命
色々勉強しながらC言語とか
ベーシックとか学んでやっていくっていうところで
で僕のところには何か
結構3人ぐらい友達で
結構プログラミングができる子たちがいて
でなんか
もう先生とか授業でやってることを
超えてどんどんやり始めていって
最初ベーシックで始めたんですけど
高専時代のプログラミング経験
ベーシックは遅いから
じゃあC言語やろうって言って
自分たちで勉強してC言語やったりとかしていたっていう感じですね
いやすごいそれがだって高校時代ですもんね
そのC言語が
C言語やろうとかいうのが
いやーすごいですね
高校1年とか2年で
当時は結構雑誌を買ったらですね
これを全部写したら動くみたいな
それでゲームになるみたいな
そういうのが雑誌とかで出ていて
それをなんか
まず写してまず書かれている通りに作って
そしてその次にそれを
自分でちょっとずつ修正して
自分のゲームにしていくみたいなのがあって
その時に
いろいろ勉強してC言語を勉強して
自分で独自の
なんかレースゲームみたいなのを作ってたんですね
ただグラフィックがあんまり苦手で
なんかその
シミュレーションみたいなのが
なんか面白そうだったので
なんかエンジンのパーツの
オブジェクト
そしてタイヤのパーツのオブジェクト
で車のボディのパーツのオブジェクトみたいなので
でなんかその
実際の車の
値を
エンジンの曲線
性能曲線みたいなのを
当てはめて
それでなんかあの
画面は全然大したことないんですけれども
そのテキストベースなんですけれども
キーボードで
なんだこれ
あのアクセルブレーキ
クラッチみたいな
そういうのがついている
04レースゲームっていうんですかね
あのコーナーを曲がらない
まっすぐに行くだけのレースゲームを作って
でも当時はなんかその配信とかもなかったので
自分で一人で作って楽しんでいたという
そんな感じになりました
いやめちゃくちゃ面白そうですね
そのパソコンピューターは
どんなコンピューターで
動くのか
動くんですかそれは
当時はですね
PC98っていうのが
メインのコンピューターで
ハードディスク
最初に買ったハードディスクが
40メガバイト
でしたね
40メガバイト
ギガではなくて
40メガバイトで
でもデフォルトでは
ハードディスクがついていない
コンピューターで
5インチと
3インチと
3.5インチっていう
プロピーディスクっていうのを
作っていて
それは分かります
それが
1.4メガバイトとかだったので
それをまとめて入れられるような
40メガの
ハードディスクを
つないで
やっていたっていう
非常に昔の時代の話ですね
いやすごいですね
今キンドルみたいなやつでも
8ギガとか最低でもありますからね
40メガって
じゃあ画面に映るのは
何ですかね
文字ベースなんですか
それとも車が映るんですか
そうですね
僕の作っていたゲームでは
10メートル進んだとか
30メートル進んだとか
そういうのを
テキストベースで表示していて
04なので
400メートルに行ったら
ゴール
何とか
みたいな
そういう感じで
作っていて
シミュレーションみたいに作っていたので
小さな会社でのエンジニア経験
車雑誌を見て
当時はスバルの
インプレッサーとか
三菱ランサーとか
そういう人気の車があったんですけれども
それが
雑誌で出しているタイムに
頑張ったら近づくような
シミュレーションができていたら
これは
いいし
シミュレーションができたなみたいな
そんな感じで
いろいろやってましたね
部品の組み合わせでどのくらい速くなるか
みたいなところを作ったんですね
そうそうなんです
車屋さんというか
ショールームみたいなのに行ったら
パンフレットみたいなのがもらえるんですね
車のね
車のパンフレットには
一応その車の性能曲線とか
タイヤのサイズとか
一応いろいろなものがあるんですけど
いろいろ乗っていて
それを
3種類か4種類くらいですかね
そのもらってきて
入れて
この車は高速域が得意な車だとか
低速域が得意な車だとか
そういうのを
いろいろシミュレーションして
遊んでました
いやすごいですね
全く自分の子供時代と
違う遊び方で
やってみたかったなと思うんですけど
いや
あんまりゲームをするっていうのは
そんなに好きじゃなくて
ゲームを作っている方が
なんか面白いっていうか
アメリカでの生活
コードを書いてる方が面白いみたいな
感じだったので
プログラマーを
仕事にして
楽しい仕事でよかったなと
思ってました
じゃあその5年間
高専に通われて卒業されてから
社会人になって
それもエンジニアという感じですか
そうですね
当時ボランティア活動みたいなのも
やっていたりして
アルバイト的に入れる仕事っていうのは
大企業じゃなくて
地元の福岡の小さな会社に
入ったんですね
その会社は
当時
10人弱で
いわゆる下請けの
仕事をしている会社で
システム開発みたいな
仕事で
最初入ったときに
僕も業務システムとか
データベースとか
全然知らなかったんですけど
マネージャーみたいな人に
ちょっとここにサンプルプログラムがあるから
見てちょっと自分で
2週間で作れるものを
作ってみてよって言われて
こうやってこうやって書いてるんだな
っていうのを見て
2週間で
自分でユーザー登録して
表示するような
プログラムを作って
それを
上司に見せたら
もう全然実践いけるねって言って
実践投入されたという
すごすぎる
そういう感じでした
一番入ったときは
一般的に他の
プログラマーじゃない人でも
そういう感じで入っていたような
時代でプログラマー少なかったので
そういう感じでした
じゃあマネージャーの方は
コードを書かないけど
設計とかをするという感じだったんですか
そうですね
今でも日本の仕事の
システム開発の仕方と
海外の仕方とで
比べられることがありますけれども
やっぱりその体制というか
SEというのは
お客さんとの調整をして
Excelで
データベースに
記録する内容を書いて
あとはその画面
項目を書いて
あとはプログラマーに
お任せみたいな
そんな感じで
したね
ちなみに最初の会社では
言語とか何使ったんですか
最初はですね
ビジュアルベーシック
でしたね
ただこれがそのビジュアルベーシック
っていうのが
VB6っていうのだったんですけれども
非常に息の長い
言語で
今でもExcelとか
Wordとかで
マクロを書けると思うんですけど
その言語は
Visual Basic 6 Base
そうなんですね
言語なんですね
サムとか
ExcelとかExcelで書けるのはVisual Basicなんですね
あれは
計算式なんですけれども
裏でベーシック言語を使って
このセルからこのセルに
コピーするみたいな
このボタンを押したら
マクロが書けるんですね
それが
Visual Basic
を使われていて
当時は
クライアントサーバーシステム
っていう
そういう形で
基本的にはWindowsのアプリなんですね
Windowsのアプリで
それを
データベース
ローカルのイントラネットにつながっている
データベースのインスタンスに
直接接続しにいく
っていう
そういう感じのアーキテクチャでしたね
お客さんの
Windows上のアプリが
サーバー側のデータベースサーバーに
直接アクセスする
サーバーというのが
社内のサーバー
社内のデータベースサーバー
全然違いますね
社内に置いているマイスケールサーバーとかに
直接つなぎに
いくっていう
APIみたいなのがなくて
データベースのコマンドを
直接
Windowsアプリが
リクエストしないといけないので
めちゃくちゃ面白いですね
ウェブサーバーもないし
アパッチみたいなやつもないし
ないですね
そういう形で
だから逆にシンプルだから
すぐに入れたっていうのは
あるかもしれないですね
構成が分かりやすいですね
大きい会社だったら
多分役割みたいなのとか
トレーニングとか
いろいろあって
一人前になるまでに
時間がかかるっていうのは
あると思うんですけれども
僕の入った会社も小さかったので
どんどん人が
入ってきていて
3ヶ月後とかには
自分が他の新しく入ってきた人を
教えるみたいな感じになっていたりとか
大きい会社から
下請けで
うちの会社に流れてきて
結局
基本的な決め事以外の
全てのアーキテクションが
全てのアーキテクチャとかは
下請けが作っているみたいな
そういう感じだったので
意外に大企業に入って
一部の仕事を任せられるよりも
最初から最後まで
プログラムを作るっていう点では
下請けに入って
逆に良かったんじゃないかなと思ってますね
なるほど
もう
高専時代からの経験があったからこそ
かなりキャッチアップも早くできて
下請けで入りつつも
基本的にいろんな経験ができた
という感じですかね
そうですね
すごすぎる
だから
ものを作る
データベースの業務アプリは
作ったことなかったんですけれども
自分で
製品としてものを作って
完成させる
僕のゲームアプリとかは
完成したのかしたのか分からないですけれども
アプリとしては
成り立っている形にするみたいな
そういうのを
学生の時からやってたから
入りやすかったのかなっていうのはありますね
すごいですね
僕スティーブ・ジョブズの映画見たことあるんですけど
まさにそれに似てるなと思って
多分かなり
スティーブ・ジョブズもゲームとか
結構自分で作ったりとか
パソコン自分で作ったりとかして
そうですよね
そこからさらにシステム会社に
一番下のレベルで入ってみたいなところから
どんどん上がっていくみたいな
ことだと思うんですけど
っていうことで
日本のスティーブ・ジョブズと
お呼びしてもよろしいでしょうか
いやいや
スティーブ・ジョブズのプロダクターから
いろいろ教えてもらったので
弟子には入るかもしれません
そうですね
iPhoneとかも
さっき興味があったと言ってたんで
そういうところも
興味があったんですかねやっぱり
はい
その辺が
後からまた
後からまた
歓喜してくれるということですね
ぜひまた話しましょう
はい
ということで
友下さん今
アメリカにいるっていうところ
それは触れてなかったですけど
触れてましたね
はい
アメリカに行ったきっかけとかを
伺ってもよろしいでしょうか
うんうん
はい
なんか
友達と
アメリカのカリフォルニアに行く機会があって
そこで
出会いと結婚
今の私の妻になる人に会って
私の妻はメキシコ人で
アメリカで生まれ育っているので
スペイン語も
英語も喋れる
国
国
市民としてはアメリカ市民なんですけれども
メキシコ系のアメリカ市民っていう感じですね
はい
で妻に会って
写真撮って
その写真じゃあ送るから
メールアドレス交換しようよって言って
そのメールアドレス交換して
文通から始まったみたいな
そんな感じで
で文通してたら
じゃあ一回
遊びに行きましょうみたいな感じで
僕がアメリカに遊びに行ったり
妻が日本に遊びに行ったりして
結婚したという
そんな感じですね
で
で結婚した後に
最初に住んでたのは日本で
日本に住んで
日本のシステム会社で引き続き
働いていたんですけれども
子供が
生まれることになって
子供じゃあどっちで産みたいかっていうことになって
妻はやっぱりアメリカの方が安心するっていうことだったので
そこでアメリカに
移住したっていう
そんな感じになりますね
なるほど
ちなみに言語は何で会話するんですか
言語のコミュニケーション
英語ですか
二人で会話するのは英語ですけれども
妻は家族とはスペイン語で喋ってるので
僕も
挨拶程度ならスペイン語喋れるようにはなりましたね
すごい
友下さんはその
何ですかね
付き合い始めた時に英語喋れたんですか
元々
いやー
もう本当に挨拶程度で
学校の授業でも英語が大事になるとは思ってなかったので
英語一生懸命やってなくて
はい
いつも
教科の中では一番英語ができないので
成績が普通だったんですけれども
はい
みんな喋れてるから
アメリカに住んでる人はね
子供から学んで喋れるようになるので
やってできないことはないんじゃないかなと思って
勉強そこから始めて
色々英語の映画を見たりとか
あとは
やっぱり妻と電話したりメールしたりするっていうので
少しずつ勉強していったっていう感じで
最初はそんなに上手じゃなかったですね
いやーすごいですね
電話とかも国際電話ですね当時は
しかも結構お金かかりますよね
ちゃんとお金ちゃんちゃん入れながらやるんですかあれは
うん
その色々あってですね
当時はスカイプっていうのが出始めた頃で
そうか
はい
スカイプを使うと
お互いに上手く使えると結構安かったですね
確かにスカイプは無料でしたっけ
そうですね
ネットワークさえあれば無料なので
でスカイプを使って
国際電話をかけるっていうのも出始めていて
だから僕だけスカイプ使ってると
なんか1分5円とか
すごい日本の電話でかけるよりも安く
国際の電話にアメリカの電話にかけられたりとか
あったので
ギリギリなんか破産せずにも済むような
技術が出始めた頃だったかなっていう感じですね
タイミングバッチリですねじゃあ
うんうん
ちなみにアメリカに住むことになってからの
ビザとかっていうのは問題なく取れたんですか
そうなんですよね結婚をすると
グリーンカードの申請ができて
日本から申請しないといけないんですよ
日本から申請しないといけないので
赤坂にあるアメリカ大使館に
いろいろ書類を整えていかないといけないんですけれども
本当にあなたたちは結婚したのかっていうのを
証明しないといけないので
若干恥ずかしいんですけれども
妻とのスカイプのチャット履歴みたいなのを
プリントして
であとその
一緒に会った時に撮った写真を
写真とかを本のようにして
30ページとか40ページの本にして
それを持って行って
いや私たちちゃんと本当に付き合って結婚して
結婚式の写真とか結婚した後だったので
アメリカで結婚式やって
メキシカンスタイルで
妻の家族とか友達とか200人ぐらい来た
結婚式とかもあったので
そういう写真と文章をくっつけて
はい
ビザ申請をすると
グリーンカードがすぐもらえるという形でしたね
なのでビザは
国際結婚した人は非常に
楽に取れるっていうのがあります
うん
確かになかなかアメリカのビザ取れないですもんね
うんそうなんですよね
いやでも面白いですねその
チャットの履歴とかを送るっていうのが
それで証明今だったら
私それも改ざんできちゃいそうですけど
確かに
当時なら信頼してもらえませんね
そうですね写真も
フォトショップとかもありましたけど
枚数とか増えるとあれですし
本当に偽造してたら多分
調べればわかると思うので
写真とかが重視
写真とか文章とかが重視されてましたね
なるほど面白い
アメリカでの生活と仕事
アメリカに行かれてからは
なんですかね
仕事とかはどうされてたんですか
そう
アメリカがですね
妻の実家がすごい田舎で
もう上下右左
1時間ちょっとずつ運転しないと
大都市に行かないみたいな
砂漠のど真ん中の町なんですね
カリフォルニアでしたっけそれは
カリフォルニアなんです
カリフォルニアとアリゾナの中
州境のところなんですけれども
でなんかここで何をしたらいいのかなぁ
でなんかここで何をしたらいいのかなぁ
でなんかここで何をしたらいいのかなぁ
と思って
特に最初は
出産に来てたので
すぐに引っ越しっていうのはちょっと考えてなくて
すぐに引っ越しっていうのはちょっと考えてなくて
その
実家に妻の実家に行ってたんですけれども
実家に妻の実家に行ってたんですけれども
じゃあこれがそれが2008年だったんですね
じゃあこれがそれが2008年だったんですね
その時にちょうど
iPhoneが発表されたんですよ
iPhoneが発表されたんですよ
僕もずっとWindowsばっかり使って
僕もずっとWindowsばっかり使って
僕もずっとWindowsばっかり使って
ThinkPadっていう
IBMのパソコンをずっと使ってたんですけれども
ちょっとこれ
iPhone来るわと思って
iPhone来るわと思って
初めて
プラスチック製のMacの一番安いやつを買って
プラスチック製のMacの一番安いやつを買って
それをアメリカに引っ越しするときに持って行って
それをアメリカに引っ越しするときに持って行って
iPhoneはまだ日本では出てなかったので
iPhoneはまだ日本では出てなかったので
買えなかったんですけれども
それと一緒にiPod touchっていう
それと一緒にiPod touchっていう
iPhoneとほとんど同じ形だけれども
電話がついてないやつが出てたんですよね
それを買ってiPhone開発の勉強に
この妻の出産の間
家に実家にいる間を使おうと思って
それでいろいろアプリ開発してみて
何を作ろうかと思って思い出したのが
高校生の時に作っていた
レーシングアプリ
画面はテキストベースだったんですけれども
そのレーシングアプリを思い出して
ゲーム作ったら売れるんじゃないかなと思って
レーシングゲームのiPhone版を
妻の出産で実家にいる時に
作ったっていう感じです
なるほど
学生時代に作っていた車のゲーム
ちょっと繋がってくるようなところで
ゲームを開発して
今回はそれをリリースするとかまで繋げたんですかね
そうなんですね
コードは残ってないというか
実家とかにはもしかしてフロッピーに残ってたかもしれないですけど
記憶だけを頼りにというか
新たに作り直したっていう
その時の方が
プログラマー10年くらいやってたので
オブジェクティブシーって
非常に
VBとかCシャープとか
そういう言語を使っていたものとしては
最初分かりにくい言語だったんですけれども
それ勉強して
当時はあんまり資料なかったので
Twitter始めて
Twitterでいろんな新しい情報を
発信している人を追いかけて
そしてウェブの限られた情報で
作っていくみたいなのを
やってアプリとして
完成させて
リリースしたんですけれども
そんなにやっぱり
グラフィックが
しょぼいのもあって
それだけで
仕事になるというレベルでは
なかったんですけれども
iPhoneプログラマーとしては
結構しっかり
ものが作れるようになった
という感じになります
なるほど
もともとはiPhone
iOSですか
その時は一応
そうですね
当時はiPhoneOSと
言ってましたけれども
iOSのプログラミングが
できるようになった
という感じですね
当時は
Swiftとかもなくて
Objective-Cで開発をしていた
という感じですかね
そうですね
ただそれだけでは
最初仕事にならなかったので
妻が出産して
しばらく経ったとき
じゃあ街に行かないと
仕事がないだろうと言って
ラスビングを
ラスベガスに引っ越したんですね
はい
ラスベガスで
不動産管理の会社
みたいなのが
求人していて
そこに入って
不動産管理の
システムは
システム作りとかは
してないですけれども
PCをどういう風に使うか
他の人に説明したり
どういう風にExcelとかで
データ管理するかとか
みたいなのを
アメリカ人の中で
やっていたっていう感じですね
なるほど
結構英語ネイティブじゃない
意味としては
チャレンジングだったじゃないですか
結構大変でしたね
しかも最近話題になってる本で
牛尾さんのアメリカの
米国の一流の会社の話が
入ってますけれども
牛尾さんの話とか見てみても
アメリカだったら
パワハラみたいなのは
絶対ないみたいな話してましたけれども
多分マイクロソフトとか
Googleとかは
生産性上げるために
やっぱり
プログラマーをちゃんと
正しく扱わないと
生産性上がらないと思うので
パワハラみたいなことが
ないって言ってると思うんですけど
結構一般の会社っていうのは
パワハラまでは
いかないにしても
すごい怒ってる人がいたりとか
すごい早口で
まくし立ててくる人がいたりとか
もうこの納期までに
どうしてもやってくれみたいな
プレッシャーかけられたりとか
そういうのが
普通にあるようなところで
この会社
ちょっと
居心地悪いなと思ったところで
日本に旅行に
行くっていうことになって
ちょっとじゃあ2週間くらい休みください
って言ったら
じゃあ君も
来なくていいからって言われて
えー
解雇されちゃったんですけど
そしたらちょうどその時に
友達の友達みたいな
今の
働いてるJテックの社長の人が
知り合いの知り合いみたいな感じだったんですけど
僕が
iPhoneのプログラミングしてるっていうのを聞いて
ちょっと日本で
iPhoneのプログラミングの
仕事があるから
ちょっとやってくれないかなっていう話が
ちょうどその時に来て
それから今の
Jテックっていう会社に
CTOの仕事とチーム間のコミュニケーション
仕事が始まった
っていうところで
不動産の仕事を
解雇になったから
日本にゆっくり行って
仕事できたので
解雇されてちょうどよかったのかな
という風に今になっては
思ってますね
日本に行こうとして
どのくらいの期間だったんですか
予定としては
2週間くらい
子供が1歳くらい
1歳2歳になっている頃だったので
おじいちゃんおばあちゃんに
子供を会わせるために
ちょっと帰省しようかな
っていう感じだった
だったけど
仕事が見つかったから
日本にちゃんと本帰国したという感じですか
いや
それも本帰国したわけじゃなくて
ちょっと
延ばして
1ヶ月くらい滞在して
仕事の打ち合わせとかに出て
それで持ち帰って
アメリカでプログラミングしたみたいな
なるほど
基本的にその後もアメリカで働き続けてた
っていう感じですかね
そうなのですが
その後
JTECでも
働き始めてから
うちの
母親が体調を崩しまして
で
じゃあ日本にまた行こうっていうことになって
その後日本
福岡が実家なんですけど
福岡に戻って
また5年ぐらい福岡に住んでました
なるほど
じゃあ一旦福岡はそんなですね
そうなんですね
2018年ぐらいまで
JTECで働きながら
あの福岡にいて
そして2018年から
またアメリカに戻ってきて
今に至るみたいな
結構だから引っ越し多いですね
その時はご家族も
一緒にですか
基本的に家族一緒に
いいです
妻も日本語読み書きはできないですけど
結構しゃべれますし
うちの娘も
日本の小学校に
4年生ぐらいまで
行ってたので
漢字は読み書きできないですけども
会話はかなりできるっていう
感じですね
ちなみに娘さんは
英語日本語スペイン語も
しゃべるんですか
全部しゃべれるんですけれども
パーセントでいくと
英語が100
英語が100とすると
日本語が
60ぐらいでしょうかね
会話でいうと
スペイン語は多分10ぐらい
な感じかなと思います
賛成ですもんね
移民としてはスペインから
面白い
アメリカの会社の話も面白かったですね
やっぱり
日本だから
アメリカだからというわけではなくて
会社に全然違うよっていう話が聞けたのは
そうですね
テック業界はそれ結構
今気にしているんだとは思いますね
そうです
日本とアメリカの違いっていう
本の内容
多分強調されてると思うんですけど
多分そうではなくて
日本のテック企業とかも
ちゃんとしてるとかちゃんとしてると思ってて
確かに確かに
その違いっていうのが
ある種
特徴的なもので
新しい考え方を取り入れずにやってるか
もしくは
新しい
何か価値観とか文化とかを取り入れてるか
っていう違いなのかなと思ってますけど
それにしても
その本まだ読んでないので
読んでみたいなとは思ってます
ぜひぜひ
非常に何か面白い本で
だから日本の
僕も今は
日本の業務が6割7割ぐらいで
アメリカの業務が残りなんですけれども
日本のチームにも
あの
使える内容っていうんでしょうかね
少し簡単に失敗してもいいとか
失敗することを
前提にやって
失敗した時のリカバリーを考えるみたいな
そういうことも
非常に何か面白い内容だったので
チームで
何かディスカッションできることが
非常に多いなと思いましたね
いいですね
そういう新しい文化を
どんどん取り入れていきたいですね
妻にですね
その話をしたんですよ
はい
今日本のね
あの
テック企業ですごい流行っている
マイクロソフトの会社の話があって
マイクロソフトでは
怒ってる人見たことないとか
書いていて
すごいなと思ってたんだけど
アメリカの会社で
アメリカは本当にそんなみんな
怒んないのかなって言ったら
そんなこと全然なくて
すごい怖かったり
パワハラっぽかったのも多いし
それはやっぱ環境
良いところの話
なんだよね
って言われました
そうですよね
でもいいところの
文化とかを取り入れていくっていうのは
アメリカでも出版したら売れそうですね
その本
この文化を取り入れたらいいんじゃないみたいな
英語とか
確かに確かに
そう思いますね
いいですね
そうか
でもやっぱ
現地の方の声を聞けるのは面白いですね
いろいろ
いろんな側面から見れて
その
Jテックに入られて
アメリカに帰ってきたのが
2014年でしたっけ
アメリカに帰ってきたのは
2018年で
でもJテックに入ったのが
2011年ぐらいなので
それからはずっと
Jテックで
日本を所属にしたり
アメリカを所属にしたり
切り替えながらやっている
っていう感じですね
でCTOになったきっかけについても
知りたいので
それを聞こうと思ってました
はい
なんか
なんでか
自分が選ばれたのがなんでかっていうのは
あまり分かんないと言えば分かんないんですけれども
なんか
社長に後から言われたのは
なんか
小さい仕事を頼んだときの
フォローアップっていうか
それ頼んだことに関して
出てくるものの品質が
なんかとても良かったっていうか
最初なんか
試しになんかその
社長がゴルフが好きなので
なんか
ゴルフのスイングをiPhoneで
測れるんじゃないか
みたいなことを言われて
そうですねって言って
結局リリースはしなかったんですけれども
なんかゴルフのスイングをして
そのスピードとか
スイングの
小さな仕事を丁寧に仕上げる
スムーズさとかを
測れるかもしれないですよって言って
そのアプリを作ったんですけれども
中途半端なものを出したくなかったので
作ったのを
多分3日か4日ぐらいで
POCっていうんでしょうかね
みたいなのを作ったんですけれども
できるだけその
クオリティの良いものを作って
今これぐらいの時間で
こんなことこれぐらいまでできましたけど
って言って見せたっていうのがあったんですけど
そういうのの時になんかその
単純に言ったことだけじゃなくて
もうちょっともう一味加えて
なんかこれも
できるからいいと思ったんですけど
どうですかみたいな
まあそういう風にやる癖が多分
その最初の小さい会社で
働いてた時からついてたので
そういう風にやったのが
あの非常になんか
あの経営者として嬉しかったから
あのそういう風な文化をつけてほしいと思って
まあ選びましたみたいな
アメリカと日本で働く経験
そういう風に言われましたね
めちゃくちゃいい話ですね
それは
なんかその
ちなみにそれチートになったのは
いつ頃ですか?
シティオンとして働き始めたのが2014年
日本にいる時ぐらいだったと思いますね
じゃあ入社して数年でっていう感じですかね
そうそうなんですよね
もともと小さい会社ではあるんですけれども
やっぱり僕より長く働いてる人とか
僕より年上の人とかいる中で
まあなんでかなとは思ったんですけれども
でもまあそういうところが良かったから
選びましたっていう風に思いますね
言っていただけなので
まあできるだけそういう風になんか
あの
もう頼まれたことのもう一つ先みたいなのを
のクオリティを出すみたいなのは
なんかいつも意識しているところではありますね
なるほど
なんか多分依頼する側としても
なんていうか
依頼する側があまり考えすぎなくても
いい感じに物を出してくれるだろうみたいな
期待感があるっていうのは
すごい安心感がありそうですね
そうですね
そういう感じですかね
そういう感じだと思いますね多分はい
いやちょっと自分もそれは意識したいです
いやいや
ありがとうございます
ちなみにあの日本にエンジニアリングチームが主にいるのかなと思うんですけど
はいそうですね
その場合でコミュニケーションとかどうされてるんですか
えっとですね
まああの経営
CTOとしても経営としてほとんど働いているので
基本的にはもう
あの
連絡あったら返事するっていう感じにしていて
逆に都合がいいのが
あのうちであのうちの子供の学校の送り迎えとか
あの洗濯したり家事をしたりとか
そういうのを逆に日中のうちに
あの日本が夜でみんな寝てるときに
やってしまうことが多いですね
買い物買い物に行ったりとか
はい
でそれで日本があの
スタートするのが夕方の4時とか5時とかなので
それからずっと働いてるわけじゃないですけれども
あのミーティングがあったらミーティング入れます
その入れますし
あのペアプロしてしたいっていうことであれば
ペアプロ一緒にしたりとかして
日本の仕事が終わる
終わるまではもちろん起きてないですけれども
あのこっちのまあ11時12時ぐらいが
あのう
日本の夕方4時とか5時とかなので
まあそれぐらいまでであれば
まああの簡単に対応できる返事とかだったら
対応しているっていう感じで
まあだから経営層だからできるっていう
そういう働き方なのかもしれないですね
じゃあうまく時間を使いながら昼間も
まあなんていうか
自分の買い物とかまで来たりできるし
まあ夕方もご飯とか食べる時間はあるけど
うまく時間を使えばミーティングとかを入れていい感じで
仕事ができるという感じですかね
そうですね
まあやっぱでも
あのいいなと思うのは
プログラミングをがっつりしたい時に
あのみんなが寝てるっていうのは
結構なんか嬉しいなと思う時はありますね
集中したい時に
アメリカにいるにがっつりプログラミングしても
なんか誰からも連絡がないみたいな
そういうことは結構時々あるので
はい
なんか集中しやすいのはあるかもしれないですね
確かに
動機的なやつをまとめてできるっていうのは
でかいかもしれないです
なるほど
じゃあ実際は結構ポジティブな面があるっていうのはいいですね
そうですね
ただまあ一般的なそのICみたいなもので働くことを考えると
あのどの時間を切り取っても
なんていうか
その時間ずっと仕事してるみたいな
ステートにするのは結構難しいので
やっぱりアメリカと日本で仕事するのは
CTOとしての仕事内容
簡単ではないのかなっていう気はしますね
ちなみにコード書かれてるっておっしゃいましたけど
なんですかね
どういうコード書くんですか
CTOとしてコード書くっていうのが
結構特別かなっていう風に僕は思ったんですけど
うんうん
なんですかね
そうですね
はい
あの
完全に抜けていないプロジェクトとかもあったりして
はい
なんか
僕がメインでプログラミングしてるわけじゃないけれども
まだ関わっているプロジェクトのものを作ったり
最近では
それは少しずつ減ってきて
自社プロダクトである
イベントソーシングのプログラムを書くっていうのが一つと
あとは
時々なんか呼ばれるんですね
今やってるのは
生成系AI
生成系AI
システムの
オープンAIを使った
チャットシステムっていうのが
僕は基礎研究みたいなのを
自分でやっていたので
そうなんですか
基礎研究っていうのは
APIを使ってね
どういうのができるみたいなのをやってたので
ちょっと1ヶ月ぐらい
新規のお客さんに提案するのに
入ってくれませんかって言われて
じゃあ
作りましょうかと
そういう感じで
ラインを使ってボットで
お客さんのデータを引っ張ってきて
それを
チャットボットとして視点に出すみたいな
そういうプロジェクト
新しい
技術的に新しいプロジェクトに入ったり
そういう感じで
ちょこちょこ
プロジェクトに入って仕事してるっていう感じですね
聞いてる感じあんまり
技術研究と新しいプロジェクト
ICと変わらない働きぶりのような
すごいですね
本当にいろんなことやられてますよね
結構好きなので
新しいのがあったら
試してみたいっていうのがあって
いろいろ
新しいの見たら
GitHub
ローカルにクローンして
コード見てみたりとか
そういうのは
ちょこちょこやってますね
いやーすごい
ちなみにCTOとして働かれてて
逆にそのCTOとして
これまでやってなかったけど
これを
勉強する必要があったとか
こういうことをやって
新たな学びがあったみたいなことってありますか
そうですね
会社が小さいからかもしれないですけれども
結構任せるところは任せてしまっていて
うちの会社のマネージャー陣は
僕よりも
得意領域に関しては
得意なことが多かったりする
マネージャーばっかりなので
結構任せきっちゃうところは
任せきっている
っていうところがあって
どちらかというと
新しい興味に関して
普通のプロジェクトを
ずっと動かしている人たちは
その時間がないので
将来のための
活動みたいなのが
少しずつ多くなってきています
そういったことが
できるかなと思いますね
技術調査とか
将来の展望で
こういう技術取り入れた方がいいとか
ドットネット
Cシャンプで言うと
7とか8とか
新しいのが出てくるんですけれども
こういう機能をどんどん使っていったら
いいんじゃないってチームにやったりとか
あとは
今回やってるみたいな
DDI絵本のフォーマットを真似して
もらっている
社内のブッククラブを
運用したりとか
そういう
サーバント的な仕事が
多いかなという気はしますね
これまでの技術の経験とか
知識とかを利用して
新しい風をどんどん吹き流していくみたいな
そういった感じの役割ですかね
将来の展望
そうですね
ドットネットのコンファレンスとかも
見られてましたもんね
ツイッターで見ましたけど
そうですね
その週はずっと見てました
今後の展望を
ぜひ伺いたいんですけれども
今後例えば10年とか
5年とかもっと長くてもいいですけど
やってみたいことみたいのはありますか
そうですね
今回2年くらいかけて
前の
エピソードでも話させていただきましたけど
イベントソーシングの
フレームワークというのを
作っていて
それがやっと
リリースすることになったんですけれども
今の
時代的に考えて
フレームワークの
使用量でお金取ると
取るというビジネスは
回らないと思いまして
オープンソース化することにしたんですよね
オープンソース化して
誰でも使えますよっていう状態にして
イベントソーシングって
結構最初に
使うのに
慣れなきゃいけなかったので
そういうのがあるので
そういうのに関する
普及であるとか
コンサルであるとか
そういうので
稼げる会社にしていきたい
っていうのがあって
そういう方向に今動いているっていうのと
小さい会社で
すごく大きなシステムっていうのを
組んだことが
まだ経験としてないので
そういうのを今回
DDIの
倫読会に参加したのも
分散システムっていうのに
すごく興味があって
分散システム
勉強すれば
なんとかできるようになるんじゃないかと思って
今いろいろ勉強しているところですね
なのでそういう意味で
自分たちのフレームワーク
もしくは自分たちの仕事で
もっと大きいものを扱えるような
そういう組織にしていきたいなとは思ってますね
ありがとうございます
今一番面白いフェーズのような気がしますね
ここから分散システムを取り入れたりとか
あとはオープンソースの
ところですね
オープンソースはちなみに
これはオープンソースを出して
会社としては
ソリューション的なところで
稼いでいくっていう感じですか
あんまりイメージが湧いてないですけど
そうですね
まずなんていうか
業務アプリのシステムなので
まず自分たちが使えるんですよね
自分たちが
たくさんのシステムを作るときに
使えるので
それ単体で自分たちは
それの進出さえ高ければ
損することはないと思っていて
かつ他の会社が導入したいと思うときに
それを教えるとか
そういう
あと最近ではGitHubスポンサーっていって
それに価値を見出す会社があったら
じゃあその月何百ドルずつ払いますよっていう
そういう感じで
会社が出てくるかもしれないですし
そういうふうな副次的なところで
仕様直接にお金を取るっていうんじゃないパターンで
ビジネスにならないかなと思っているところですね
いいですね
じゃあ実験的なとこもあり
やっていく感じですね
面白いですね
ありがとうございます
他に何か話したいないこととかありますでしょうか
そうですね
今
この録音しているのは
まだ11月ですけれども
出るのは多分12月ぐらいだと思うので
赤板という今作っている
イベントソーシングのCシャンプで
Cosmos DBとか
DynamoDBをデータストアにできる
ソリューションのオープンソースが
その頃には多分
出てるんじゃないかなと思います
予定では
なのでもし
このショーノートのリンクが
上がっていたら
もうリリースされているということだと思いますので
ぜひ使ってみていただけると
イベントソーシングの良さっていうのが
伝わるんじゃないかなと思います
リリース楽しみにしています
一応今でもウェブサイト自体は見れますよね
ただリリースではできていないという状態ですよね
わかりました
カミングスーンになってますね
楽しみですね
自分も見てみたいです
ありがとうございます
はいということで
すごい濃密な1時間をありがとうございました
いやいやいやありがとうございました
引き続きまた
臨力会とかでお世話になっていくと思うので
またよろしくお願いします
はい引き続きよろしくお願いします
はいありがとうございました
ありがとうございました