ご番です。ご当地ソングが好きすぎる、ワタンドによる偏愛に満ちた街と音楽についてのポッドキャストです。愛するご当地ソングを取り巻く全てについてお話ししています。
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この収録している12月になって、寒くなってきたなと思って。昔はね、夏の方が好きで寒い方が嫌だなって思ってたんだけど、
ここ数年、本当夏が辛くて冬の方がいいなというふうにちょっと感じるようになってきましたね。 だからちょっと冬は冬の情緒がちょっと楽しみになってきたなというふうに思います。
と言いつつ、雪とかね、あまり降りにくくなっている気もするので、冬らしさというものが寒さだけなのか何なのかというところもちょっと疑問があるけど、
まあちょっと冬は冬でね、いろいろ楽しめたらなというふうに思っているこの頃です。 さあ今回はですね、
ご当地ソングを取り巻く歌、取り巻く歌と言いますか、そういうローカルを歌う歌っていうものは昔からたくさんあったんだけれども、
結構時代によって風景が違うわけですよ。 というのも文明が発展していろんなテクノロジーがどんどん進歩していく中で、それによって描かれる風景というのは大きく変わってきたなと思います。
テクノロジー進歩して便利になってますからね。 僕が生まれた時、生まれた時から比較するとあれか、ここ10年とかでも全然暮らし方も違うじゃないですか。
だから本当にね、10年前との風景も違うし、20年前との風景も違うと思うんですよ。
地域との距離感みたいのも全然違うと思っていて、便利になったしね、本当いろんなとこに行くのもそうだし、誰かと連絡取るのもそうだし、
そういうテクノロジーの進歩で人間関係とか移動とかっていうものの考え方が大きく変わってきたなというふうに思うんです。
これに伴って、ご当地ソングでよく描かれるラブソングの風景もガラーッと変わってきたなというふうに思うんですよ。
そんなわけで今回はテクノロジーとラブソングというテーマでちょっと話そうかなと思ってます。
ご当地ソングの定番フォーマットでもあるんですよ、ラブソングっていうのは。
いろんな地方に行って、その地域で恋愛をするっていう話もあるし、
振られたことで、逃避行じゃないけれども、見知らぬ土地に行って気持ちを癒すみたいな、そういった歌い方もありますよね。
幼い頃の恋愛の思い出みたいな感じで、田舎の風景と一緒に過去の思い出を歌うなんてものもあるかな。
なのでご当地ソングとラブソングというのは結構切り離せないテーマだなと思ってます。
一方でさっき言ったように、モビリティの進化によって非常に距離感が変わってきたなというふうに思ってます。
遠くに行くにあたっても、昔は、それこそ100年前ぐらい、100年前は新幹線あるか?
ないやないない。ないからさ、遠くに行くにしてもだいぶ不便でしたよね。江戸時代ぐらいに今で遡っちゃうとあれだけど、昔の時代は基本的に生まれた場所でずっと暮らして死ぬまでそこにいるみたいなものだったのが、
戦後とかになって、ある程度都市部に就職に出かけるみたいなものが生まれてきて、
広域でライフステージによって地域を移動するっていうことは大きく当たり前になりましたよね。
だから、ふるさとみたいな場所と働く場所、就業した場所みたいなのが異なっている人もよくある話になりましたし、今は働く中でも子どもの成長だとか仕事に応じて場所を移る、
大きくエリアを変えるっていうことも普通になりました。むしろ同じタイミングでも2拠点ありますみたいなことも普通っちゃ普通ですよね。
さらには、たった今というふうな視点で見ても、ちょっと九州行こうかなとか、ちょっと北海道行こうかなみたいなところも交通手段が非常に多様化して、
LCCとかも出てきたし、コストも下がったしね。あと遠くに行くにあたってもモビリティが、新幹線もどんどん伸びてるしね、行くっていうのはだいぶ気軽になったなというふうにも思ってます。
そういう意味で距離がどんどん縮まっているし、どこかへ行くということの移動コストがめちゃくちゃ下がっているなというふうにも思います。
これによって昔は遠くに誰かが好きな人が行っちゃったら、ある種根性の別れとまでは言わないけれども、結構大きく人生を隔てることだったなというふうにも思います。
また遠くに行くというものがかなり大きな決断を伴うもので、何があったのと、なんかビッグイベントがあったからこそ遠くに行くんだよねというところだったのかなというふうにも思います。
定番の曲で言うと、津軽海峡冬景色なんかでは、北海道までね、上野発の夜行列車で出発して青森まで行って、さらに海を渡っていくんですよね。
あれは気持ちが沈んだことで北を目指すというふうな話になっているんだけれども、夜行列車に乗って、さらには海を連絡船に乗っていくって、すげーコストの高い大変な移動ですよね。
そこまでスルッチューのは何かあったのっていうのがやっぱり歌の世界としても伝わるなというふうにも思います。
飛行機で一発で新千歳まで行きましたみたいなところだったらこの気持ちを表せないなというふうに思うので、昔の交通環境だからこそ描ける風景だなというふうには思います。
あとモビリティの便利さ具合とはまた別で、通信の制約というものが昔はあったなというふうにも思います。
今はもうスマホでピッポッパで誰とも連絡取れるしね、そもそも電話しなくてLINEとかで今何してるとか最近元気みたいなところなんかも普通の話だと思います。
これが僕が学生の頃にやっとスマホが出てきたぐらい、スマホじゃないや携帯が出てきたぐらいだったから、それより以前になっちゃうと家電しかないわけで、連絡なんかは非常に大変で。
もっと遡ると戦後ぐらいになるとまだ電話すらまともにない状況だったので、手紙とかぐらいしか連絡手段がないとなると誰かとコミュニケーション取るなんてのは非常に大変なことで、
なんか気持ちを伝えるっていうことも非常にコストがかかっていたなというふうにも思います。
これが歌の中で描かれる好きだ、別れましょうみたいなことを伝えるっていうのも大きな決意が必要だし、なんか結構頑張らないといけなかったというところだなというふうにも思います。
ちょっと歌の中での紹介になると、渡瀬橋という森高千里さんの曲があります。これは栃木を舞台にしたご当地ソングなんだけども、コミュニケーションの手段として電話BOXが出てくるんですよね。
この電話BOXで誰かと話すっていう風なのもね、自分の家からサクッと出かけられるわけではなくて、やっぱりちょっと親に忍んでさ、わざわざ外に出て電話BOXでお金をかけてわざわざ電話をするというところだったので、
なんか非常にこういったものがなければコミュニケーション取れなかったし、非常にシンボル的なものだなと。当時の時代性も表すし、電話BOXに入るということが恋愛の一つ風景の一つで当たり前だったんだなというふうにも思うので、ちょっと今と大きく変わった風景だなというふうにも思います。
連絡台、さらに前の話になると松村和子さんの帰ってこいよという風な歌があります。これは青森で好きだったあの子がいなくなっちゃって、いつか帰ってくるんじゃないかなということで待ってる歌なんだけども、頼りが全然ないなという風な感じで出てくるんですよね。
これの歌が描いたドンピシャのちょっと年代がわかんないんだけど、コミュニケーションがタイムリーに行われていない時代だから、いつか帰ってくるんじゃないか、頼りがなくてコミュニケーション取れてないけどいつか帰ってくるんじゃないかみたいな期待感があるんですよね。
今の時代だったら便利になって、すぐLINE送れば最近どうとかいつ帰ってくるって聞けるけれども、それができなかった時代においては連絡がないけれどもいつか帰ってくるかもしれないみたいな、なんかこう連絡が取れていないことイコールコミュニケーションの断絶ではなくて、まだそこから続きがあるかのようなところだったというところで連絡に対する考え方がそもそも感覚がちょっと違ってたんだろうなというところも
歌の風景の中から感じるところです。そんなところなのでモビリティの進化とか通信の進化とかでどこでも行けるしいつでも連絡が取れるようになっていく中で物理的な障害がどんどん消滅してきたなというふうにも思うんですよね。
恋愛を巡る障壁はどんどんなくなってきて、会いたいと思えば日本の中であればお金さえかければその日のうちに会いに行けるしスマホさえあれば瞬間でコミュニケーションが取れるというところでした。
これが便利になったことでかつて描かれていた地方と地方に離れていたような不便さ、そして不便さが描くなんか情緒みたいなものが失われていったなというふうにも思います。
今、過去のご当地ソングが描くような遠くを結ぶ風景、気持ちっていうものはどんどん感情移入しにくくなっていくし、どういう気持ちかようわからんねみたいなことにもしかしたらこれからなっていっちゃうのかもなということをちょっと思ったりします。