自分の住んでいる街のご当地ソングを聴いて、得も言われぬ恥ずかしさを感じることがありますよね。ご当地ソングと恥ずかしさの関係について考えてみました。
▶番組紹介
ご当地ソングが好きすぎるワタンドによる、偏愛に満ちた街と音楽についてのポッドキャスト。毎週金曜に配信予定です。愛するご当地ソングを取り巻くすべてについて話をします。
国内唯一のご当地ソング専門のラジオ番組「ご当地ソング捜索隊」(コミュニティFM・ラジオTAMAリバー)のバックナンバーも月イチでお届けします。
ちなみにラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~で放送中、聞いてね。
▶プロフィール
ワタンド
「ご当地ソング」や「地名が出てくる歌」のコレクター|仕事はまちづくり|地元ラジオ局のDJ|東京・多摩エリア住| よさこいの踊り子|推している日本酒は「喜正(東京)」「伯楽星(宮城)」
Twitter:https://twitter.com/RRwatandia
note:https://note.com/localsong
LISTEN: https://listen.style/p/localsong
▶おたより
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サマリー
このエピソードでは、ご当地ソングに対する恥ずかしさの心理を探ります。ポッドキャスト制作のムーブメントや、地域が歌われることへの感情、そしてその恥ずかしさを引き起こす三つのパターン、ドリーム型、レトロ型、ガイドブック型について詳しく分析します。また、街が歌われることによる恥ずかしさの理由についても考察し、特に他者の視点と住む人の視点の違いがどのように感情的なギャップを生むのかを検討します。
ポッドキャストと恥ずかしさ
ご番です。ご当地ソングが好きすぎるワタンドによる変愛に満ちた街と音楽についてのポッドキャストです。
愛せるご当地ソングを取り巻く全てについてお話ししています。 最近、ポッドキャストをよく聞く中で、なんかポッドキャストムーブメントがまた起こっているような気がしてるんですよね。
というのも、プロメセンで作るポッドキャストについての本がありて、結構それについて触れている話題を見るんですよ。
どうなんだろう。僕がポッドキャストをよく聞いているから見るだけなのかもしれないけど、結構本が少し話題になっている気がするんですよね。
ポッドキャストを作る人も増えてきていて、ポッドキャストをやりたいという声も増えているように感じます。
聞く人はね、増えているかどうかがわからないんだけど、とにかくちょっと動きとしてはあるなというふうに思います。
これまで何度も何度も音声配信の時代が来る、ポッドキャストが来ると言われたことがこの20年ほど何度もあったように思います。
近い中で大きかったのは、クラブハウスが流行った時ね、コロナ禍で。あの時なんかは音声、SNSってありだよね、みたいな感じがあったかなと思うんだけど、
どうかな、これからポッドキャスト聞く人増えたらいいなというのを切に願ったりもしてます。
はい、そんなわけで、今回話そうかなと思ったテーマは、恥ずかしさについてです。
ご当地ソングとか自分の街が歌われた歌を聞いた時に、大好きな街、好きな街なのに、嬉しさ、喜び、楽しさとかよりも、
うわっ!
イテテテテン!みたいな気持ちが先に来ちゃう感じ。かゆさ、むずかゆさ、なんかそういった気持ちがあって見てられないみたいな気持ちが感じられることってあると思うんです。
これの正体について考えていこうと思います。
慣れ親しんだものがちょっとかっこよく歌われている、表現されている、そこに違和感を感じるのかな。
ちょっと合ってるかわかんないけど、例えば授業参観の日に親が張り切った服を着て教室に来た時、
その恥ずかしさにちょっと近いかなというふうにも思ったんですよ。
いつもの様子を見ている親が、みんなの前にバッチリしたいつもと違う格好で来た時、
その時に、かっこいい格好で来てくれた、見に来てくれたっていう喜びよりも、恥ずかしさ。
え、なんでそんなに決めてんの?みたいな。
よそ行きの顔に対するちょっといたたまれなさというかね。
そういうものがこのご当地ソングを聞いた時のかゆさに似てるんじゃないかなというふうにも思うんですよ。
ご当地ソングのこの恥ずかしさの厳選として3つのパターンがあるのかなというふうに今回このテーマを選ぶにあたって気づきました。
1つ目は3パターンあります。
3パターンそれぞれドリーム型、レトロ型、ガイドブック型という名前にしました。
ドリーム型はいわゆる盛りすぎですね。
現実感では生活感がある本当に市民のための街みたいなとこなのに、めっちゃドラマチックに描かれてるみたいな。
いや変哲もないところをそんなに素敵な美しい景色かのように言わないでみたいな。
かっこよくないでしょうっていうところをかっこよく言いすぎてるような感じで、ちょっと盛りすぎてて恥ずかしい、やりすぎて照れるみたいな感じです。
これが第1パターンです。
2パターン目はレトロ型。
田舎扱いしてディスる感じですね。
もう十分便利だし文化的でいい感じなのに、もう古くて何もないとこなんです、うちダメなんです。
そんな感じの、あえて自分の好き弱みみたいのを見せてツッコミながら表現するパターン。
それに対して、いやいやいやそんなにヒゲしなくてもいいじゃんみたいな気持ちで、ちょっといたたまれなさを感じるような気持ちです。
3つ目はガイドブック型。
これはもう、地域らしさを表すにあたって、情報をもりもり詰め込み詰め放題500円みたいなやつで、
情緒そっちのけじゃなくて、ただただ情報を垂れ流す特産品観光名所から列されて、観光協会のパンフレットみたいな風に表現されることで、
いやいやもうちょっとただ言ってるだけじゃんっていうことで、ちょっと苦笑いしちゃうようなむずかしさを感じるパターンの3つです。
なんかね、こういうタイプで盛りすぎだよ、そこまで言わなくても詰め込みすぎというツッコミの心から、その恥ずかしさが生まれるのかなというふうにちょっと思いました。
具体例の分析
ちょっと具体的な話をした方がいいかなと思うので、具体的な曲名を話しながらご紹介してみましょう。
ご当地ソング無数にあるんだけれども、僕がノートで47都道府県についてのご当地ソングについて書いたノートがあるので、ちょっとそこで紹介している曲の中から、今の3パターンのどういうのに当てはまるのかなみたいなのをちょっと分けてみたいと思います。
よかったらノートも見てみてください。例えば北海道を歌った水曜日のカンパネラのシャクシャインという曲があります。
この曲なんかはさっきので言うとガイドブック型にあたるんですね。めちゃめちゃ情報を盛り込んでて、北海道に関わる地名をラップ化のように怒涛のように浴びせかけたりとか、名物が次から次出てきて、ただただ言いたいだけみたいな感じなんですよね。
北海道らしさがあってね、僕はすごい好きなんだけど、いやいや北海道ってそれだけ?みたいな。なんか気持ちとかない?名所言って終わりなの?みたいなところの感じをもしかしたら入れ替えることもあるかなというところですね。
一方で、スピッツの大宮サンセットという曲があるんですよ。これはあの埼玉県の大宮を舞台にした歌です。
これなんかはさっきの分類で言うとドリーム型にあたるものですね。
いや大宮って言ったらその新幹線の駅があったりして、すごい便利な場所で都会的なところだけど、なんかそんなサンセットが映えるような、街かっていうと普通の都会ですみたいなところで、そんなに情緒的じゃないよ、大宮そんないい雰囲気の場所じゃないよみたいなところを感じられますね。
あとは、何だろう。愛知県の歌でツボイノリオの名古屋は栄をやっとかめというふうな歌があります。コミックソング的な歌なんでね。
これはさっきの分類で言うとレトロ型、田舎扱いとガイドブック型の合わせ技一本ですね。
こうなんだ、名古屋にはこんなすげえもんがあるぞみたいな感じで名古屋名物を次から次へ出しつつ、名古屋が一番になってやるみたいな、大阪や東京には負けねえぞみたいな、ちょっと名古屋のポジショニングみたいのをちょっとね、いじりながら歌ってるっていう歌なんですね。
ここは情報量の突っ込みどころもあるし、ちょっと名古屋を半分バカにしたいような要素みたいな面白さがあるなというところで、そういった恥ずかしさもあるなというふうにも思います。
かっこよく歌ってる歌とかはいっぱいあるんだけど、あとレトロ型の歌は花話のご当地ソング系、それこそ佐賀県とか飛んで埼玉みたいな歌なんかは、余さずにレトロ型でありもしないようなちょっと噂話みたいなものをご当地ソングの中に盛り込んで、自分たちの地域を小バカにしてるみたいなパターンになったりするなというふうにも思います。
そんな感じで、あらゆる曲がご当地ソングの分類に当てはめられるなと思うんです。もうちょっとやる?いや結構ね、これね、孵化してるドリーム型が多いんだよな。やっぱりかっこよくドラマチックに歌うみたいなのが多いから。
あとAKB48グループが地域ごとに自分たちのエリアのもの名産物を盛り込んだ、ただただ地域の名産を羅列する歌を歌ってたりするんですね。あれなんかはこれで言うとガイドブック型だなというふうにも思いますね。
演歌とか歌謡曲とかは結構ドラマチックに情緒たっぷりに歌い上げるので、それなんかはちょっと雰囲気良すぎじゃない?みたいなところでドリーム型に当たってくるのが多いなというふうにも思いますね。
あとあれか、レトロ型、田舎扱い系だと俺はこんな街出たかったみたいなことで自分たちの故郷を歌う、昔の思いを歌にしたみたいな歌なんかもある種レトロ型に当たるのかなというふうにも思いますね。
ガリレオガリレイの輪っかないというふうな歌は、この街から出て行って、俺らはミュージシャンでちょっと成功したいみたいなちょっと思いが隠れている歌なんですよね。そこの今いる現状を歌にしているので、なんかこう輪っかないを少し不足しているなという感じで歌っているところがあるかなと思います。
まあけど気恥ずかしさとはちょっと違うかな。スタンスとしてはレトロ型だな。そんな感じで歌によってスタンスがあって、それぞれ気恥ずかしさは厳選になっているなというところです。そういうのがある中で、現実とのギャップがあるってわけじゃないですか、歌が。
そうすると、歌詞書いた人が現実じゃないこと言ってんの?嘘言ってんの?嘘つき?嘘つき?ってなりますよね。いやこれは嘘じゃないのよ。
街の視点の違い
街にとっては視点が2つあるんだよね。よそ者の視点と住む人の視点です。言い換えると、よそ者の視点はどちらかというと晴れの視点。外から来ていいところを知る、体験しようとする視点かなというふうに思うんですね。非日常ですね、晴れ。
一方で住む人は暮らしの中でその街を消費して過ごしている時間を過ごしているというところなので、日常系の過ごし方だなというふうに思います。何にでもさ、浮き沈みがあったりテンション高い時、低い時があったりするわけで、全てのものに晴れと気の面があるかなと思うんですよね。時間帯もそうでしょうし、人の気持ちもそうでしょうし。
それは街も同じで、華やかな場所もあれば地味な場所もあるというところで、切り取り方だけかなというふうにも思うんですよね。それが気恥かしさの厳選になっているかなと思っています。
晴れを取り出しすぎることで、結果、いやいやいつもと違うでしょうというふうなことになって、そのギャップが恥ずかしさに生んでいると思うし、日常の中でも、特に日常で、いやいや地味すぎるみたいなショボンみたいなところを取り出した時に、いやいやそれは本当に一番地味なとこでしょうみたいな形で、ギャップがまた恥ずかしさを生むというところなのかなというふうにも思います。
またガイドブック型になると、その晴れも気もすべてのものを盛り込むことで、いろいろな面あるけど全部言わなくていいからみたいな気恥かしさ、ギャップみたいなところがあるのかなというふうにも思います。
地域はいろんなものがあるけども、過ごすのはやっぱりその一部分の中であって、全部は取り出せなくていいよ、その中のどれかでいいよというところで違いがあるのかなというふうにも思います。
街の仕事をする中では、やっぱりその街の外から見えている視点、中から見えている視点、外から来た人が使う使い方、中の人がいつも使う使い方、両方に目を向けないといけないなというふうにも思うんですね。
街によっては京都みたいに観光がどちらかというと非常に多く置かれている街、沖縄とかもそうかな、もあれば、本当に地方の農村とかになれば観光が来るような街でなければ、あくまで日常の舞台として過ごされる街というのも、両方、街によってボリューム感、晴れ時計というか、日常と非日常の比率は違うなというふうにも思うんですよね。
そこの塩梅がどんなのかなというところも知りながら街を作っていくことは必要で、この歌の中でもその塩梅を実際の街とは違う塩梅で見せた時に、いやいや違くねえかなみたいなところで、ちょっといつもと僕が知ってるのと違うよみたいなところでギャップが恥ずかしさを生むなというふうにも思います。
けど、このありのままの比率で見せて、そしたらそうだねっていうところでしかない。やっぱり違いを見せるからかっこよく見える、違って見えるというふうな面白さもあるし、自分が見てるものそのままじゃないじゃないですか、すべてのものって。
自分が知ってるものの通りの世界だったらさ、結構面白くなくて、人によって違う世界が見えてるんだな、違う価値観があるんだなというふうなことを知ることが世界の見方として面白いなというふうにも思うんですよね。
なんか街の見方でもそうで、人によってはこういう魅力、どこから魅力がある街なんだなというのを知ることもできる。
後藤一聖は結構そういった恥ずかしさの厳選は、その自分が知っている街と違うものが街の魅力として他の人には見え得るんだなと。
全然自分が予想だにしなかったドラマがこの街には潜んでいるかもしれないんだな、また全然知らなかったダメな部分があるのかもしれないんだな、
そういったところが恥ずかしさの厳選にはあるなというふうには僕は思います。
なんかそういうちょっと違和感を感じるっていうことは、自分の未知の街らしさ、感情みたいなことを知れるきっかけでもあるなというふうにも思うので、
なんかこのむずがゆさがあったときは愛してあげるチャンスなのかなというふうにも思ったりしてます。
はい、そんなわけで、今回は後藤一聖で感じる恥ずかしさの厳選についてちょっと分類しながら考えてみたところです。
あなたが住んでいるその街がね、歌ってるがあったときにちょっと違和感を感じるのであれば、それはぜひもっと街を知るためのきっかけになるなというふうにも思ってます。
はい、そんな感じでお届けしてきました。
次回は何話そうかな。
ちょっとテーマを決めながら、日常、具体的な後藤一聖にまつわる感情の話とか、
あと具体的な場所の話とか、ああいうのもちょっと交えながらやっていければなというふうにも思ってます。
毎回話題の中で出た曲一曲をその回のテーマソングとして流そうと思っているので、今回は青宮の歌にしよう。
スピッツの青宮サンセットをぜひ聴いてみてください。
青宮でもこんなドラマチックなシーンを過ごした青宮がこんな素敵に見える人もいるんだなというところがこの歌の気づきとしてあるのかなというふうにも思います。
青宮サンセットを聴いていただきながらお別れにしたいと思います。
聴いていただきながらって言ってもこの番組では流れないので、ぜひ放送の後で聴いてみてください。
はい、そんなわけでまた次回、後藤一聖が好きすぎるでお会いいたしましょう。おばんでした。
15:17
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