わっしょい函館の紹介
お盤です。地名が出てくる歌のコレクターは、単独がお届けする偏愛に満ちた音声配信です。
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今回は、グレイ・テルが函館に向けて書き下ろした「わっしょい函館」という曲に関する話です。
ロックバンドグレイのボーカルとして知られるテルさんは、北海道函館市出身というところです。
これまでも地域貢献だったり、地元とのコラボという取り組みはされてきたかなというふうなところです。
グレイ自身も北海道愛がいろんなところで感じられるバンドでもあります。
そんな中、今年の夏開催された函館港祭りに、ここにテルさんが書き下ろしの曲を送ったんですよね。
それが「わっしょい函館」という曲です。
これはこの港祭りの中で開催されるパレード、同じ名前のわっしょい函館というパレードを盛り上げるべく提供された曲というふうになっています。
祭りの中でこの曲に合わせて、みんなで歌いながら踊ろうよという感じですからね。非常にいい取り組みですよね。
この楽曲提供に合わせて函館市長とテルさんの対談の記事なんかも公開されていました。
この地元の祭りに曲提供というのがまたいいよなぁと思ったんですよね。
今いくつかいい点があるんだけど、やっぱりお祭りの曲ってことだからさ、みんなで歌って踊るわけよ。
自分が地元のことを思って作った曲をみんなが踊ってくれる。アーティストサイドからするとそれ絶対楽しいだろうなぁと思うし、
はたまた参加者側からすると、地元のスターであるグレイが作った曲で今年は騒ぐぞっていう感じのも絶対楽しいですよね。
ご当地ソングのあり方としても、地域の文化の一部になるというのはご当地ソングの根源的な形だと思うんですね。
最古のご当地ソングというと民謡だとかかなと思うんですよ。
民謡もいろんな仕事歌みたいなもので、暮らしの中で歌われたものもあれば、祭礼だとか祝祭の中で歌われた行事の中で受け継がれてきた歌っていうのもあるわけですよね。
それこそお祭りだよね。お祭りで歌われてきて受け継がれてきた地元の曲っていうのが昔からあったわけですよね。
それの形なんだよね、ある種。お祭りで踊る曲っていうものは。
そういう歌は、みんなで歌ってみんなで騒いで、同じ時間を共有するため、同じ目的を達成するための歌だから、本当にみんなを繋ぐものだし、その地域ならではの曲っていうことだなというふうに思うんですよね。
誰かが作った作品で、誰かアーティストが作ったものを聴くっていうような立場ではなくて、ある種みんなの共有経験になる、共有物になるっていうようなところが、
なんかこう道地ソングのある種、一つのあるべき形に回帰したものだなというふうにも思います。
かつ、やっぱり祭礼というかお祭りで歌われるっていうのはね、これからもしかしたら長く続く、愛されて100年200年で続いていく形にもしかしたら、
このわっしょい箱立ての曲なんかもなるかもしれないですよね。そういった意味で、今だけじゃない、自分から地域に引き渡しているみたいなところも、すごい素敵だなというふうにも思ったところです。
ご当地ソングの重要性
なんかこのわっしょい箱立ての形を見ている中で、やっぱりご当地ソングっていうものが、誰々が歌った曲っていうふうな作品的なものと、
地元の人がみんな知ってて、地元の人がみんな歌っているものみたいな、みんなの共有物になるものと、2種類あるなというふうに思うんですよね。
地元を思って、誰々さんが歌ってくれてるからやっぱりいいというふうな、やっぱり俗人性に紐づいた歌の形っていうのももちろんあるし、
あの人が歌ってないとやっぱりこの曲じゃないよねっていうようなこともあると思うんでね。
一方で未来に向かってずっと繋いでいく、本当に自分ごとになるっていう意味だったけど、どちらかというと、このわっしょい箱立てのように行事の一部になる、もしくは暮らしの一部になる、そういうものなのかもなというふうにも思いました。
僕がこれまでこういった番組の中で話してきた、ご当地ソングっていうか地名が出てくる歌っていうのは、
ある種、アーティストが自分の思いを紡いで、そのアーティストと紐づいた歌っていうものが多かったかなと思うんですよね。
一方であんまり民謡だとか、みんなで歌うもの、みんなで受け継がれてきたものみたいなのをそんなに紹介する頻度としては少なかったかなと思うんだけど、
やっぱりこれこそだよなって。この形でやっぱりご当地ソングとしては奥深いよなというふうに改めて感じましたね。
暮らしに紛れ込む。行事で受け継がれる。
いやーちょっとね、ここ、みんなでの共有物になる。そういう形が歌として受け継がれていく上で大切だなというふうにも思いました。
地名が出てくる歌とかご当地ソングってやっぱり地元の人に認知されて地元に愛されてこそだから、やっぱりどこか地元に引き渡すっていう作業が必要だし、
どこか自分ごとにしてもらうことで初めて愛されると思うんだよね。
自分ごとにしてもらう仕掛けっていうのが、踊れるように踊ってもらうことかもしれないし、歌ってもらうことかもしれないし、流してもらうことかもしれないし、
みんなで演奏することかもしれないし、わからないけど自分から曲に対してアプローチするっていうことだと思うんだよね。
そういうきっかけがある曲っていうものは特に魅力が感じるなというふうにもちょっと思った次第です。
はい、そんなわけでちょっとワッショイ箱立から考えた、気づいたところというか、
曲を自分のものにしていく、受け継いでいくっていうことの大切さをちょっと感じました。
抽象的だったかな?大丈夫かな?平気?
はい、そんなわけで今回はグレイ・テルが歌うワッショイ箱立の曲についてのご紹介でした。
またお会いいたしましょう。おばんでした。