仙台での思い出
おファンです。地名が出てくる歌のコレクターはたんどがお届けする、
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今回は、Facebookを見て思い出した、
今まで住んできた街に後悔があるなというふうな話です。
Facebookで、知人の人が仙台に4年間赴任していたけど、
仙台を去ることになりましたという形で、
仙台にいた人たち、今までありがとうございました。
次の場所の人たち、よろしくお願いしますというような感じの投稿をしていました。
Facebookなんかでは結構よくある投稿ですよね。
引越しですとか転勤だとかの際に、
ちょっと総括する感じの内容です。
僕は仙台に住んでいたこともあって、
ひとしような俺の投稿を感慨深く見ていました。
すごいいい街なんですよ、仙台は。
なので、仙台にこの4年間まではゆかりがなかった方が、
仙台で4年過ごしたことで、仙台が大好きになったというふうな感じの様子が受け取れて、
仙台好きになった、仙台ファンがまた一人増えたというのをすごい嬉しく思いました。
僕も熱心な仙台ファンということもあるので、
一人でも多くの人が好きになるといいなと思うし、
やっぱり好きになるよねというような感じでも持って見ていました。
その中で、仙台で過ごした4年間の写真がいっぱいFacebookなので投稿されていたんですよね。
いろんな東北の祭りだとかイベントにもたくさん参加しましたみたいな感じで、
宮城県だけによらず山形の祭りとか岩手の方だとか福島の方だとか、
いろんな場所に仙台を拠点に回ったんだろうなと、東北を楽しく満喫したんだろうなというところも伺いしれました。
これを見て、その人の話じゃなくて、自分がちょっと帰り見る気持ちになったんですよね。
というのも、自分は仙台で過ごして楽しかったけれども、
これだけ満喫できていたのかな、もっと味わい尽くせたんじゃないかなということを思ったりするんですよね。
僕が住んでいたのは大学生の時代だから、立場が全然違う社会人の時と違うというのはあるのかと思います。
お金が自由に使えるわけでもなかったし、
いっぱいあったというわけでもないし、
あった車とか自分で自由に使える足があったわけでもないというのもありました。
けどね、そうは言っても時間はかなり無限に近いほどあったかなというふうに思う中で、
あれもいけた、これもいけたというふうなことを思ったりするんですよね。
これまでの配信の中で話したことあったかな、ちょっと分かんないけど、
例えば仙台のメディアテイクっていう有名な図書館があったりするんだけども、
そういったところに行きたかったなとか。
あと青葉城とか随法殿とか、仙台市内でも有名なスポットがあるんだけども、
一回行ったか行かないかぐらいで、せっかく住んでたんだからもっと足しげくかやって詳しくなってもよかったかなとか。
あとスーパーでは宮城県はほやが100円とかで売ってるんですよ。
ほやなんて東京だとまず見かけないし食べる機会もないんだけど、
なんか買ってみて食ったら面白かったなと。
ほやに限らずもっと地元のグルメでいっぱい食べてもよかったかなとか思ったりもするんですよね。
はたまた自分で車をなんとか借りるとかでもいいのかもしれないね。
足を使ってもっといろんな場所に行けたほうがよかったなというふうに思ったりもするんだよね。
後悔ってほどじゃないけど、もっと満喫できたのかもなという、後悔っぽいけどそんな感じを抱くんですよね。
他の街での経験
正直これ仙台だけに限らず、今まで住んだすべての場所に今思えばあそこ行っときゃよかったなというのがちょっとずつあるんですよ。
社会人になって最初に住んだのが千葉県千葉市というところだったんですね。
その時は東京都内に住んでいる知り合いとか友達とか同期とかいうのが多かったので、
休みの度に東京の方に出ていくということが多くありました。
幕張の方のイベント行ったりとかしてみたりはしたけど、千葉に住んでいる時だからこそ、
暴走半島とか千葉をもっと満喫してもよかったのかなと思うんですね。
はたまた近所にあった図書館にも行かなかったし、すぐ近くにあった大きい公園の動物園みたいのも行ってみてもよかったなと今なら思うし、
あれも行きたかった、これも行きたかった、こんなお店で飲んでもよかったみたいなことがたくさんあるんですよね。
全部の場所はそうだよね。その後住んだ公園地でも行きたかったお店、今思えばいっぱいあるし。
その後、短い期間だけど住んだ群馬県高崎市なんかでももっと群馬のいろんなところに行っても行きたかったなというふうにも思うし、
近所町に住んでた時もそうだな、東京の東側をもっといろいろ見てもらってもよかったなというふうにも思うし。
こういう思いってありますか?
時間と選択の重要性
本当に今思えばできたこうできたが積み重なってるんだよね。
それを後悔が多かった人生というわけでは全然なくて、その時はその時で目いっぱい楽しんでたし、
より良い選択をしてきたというふうな形では思ってはいるんだけども、その時できる精一杯だったのかなというふうにも思うんだよね。
これは何なんだろうね。人生が進む中で俯瞰して見れるようになって見えなかった視点が見えてるということなのかもしれないよね。
当時は職とかにあんまり頓着がなかったから、ホヤを買ってみようなんて思わなかったということなのかもしれないし、
はたまた地域の文化みたいなところに関心がなかったから、ちょっと歴史的な場所に行こうというふうな思いにはまったく至らなかったということなのかもしれない。
たまたま目先の快感というか楽しさというか、友達と過ごすことだけに執着して、自分の興味を突き詰めるみたいなところに手が回ってなかったということなのかもしれない。
その時の価値観だったから選びようがなかった選択ではあるんだけれども、今の価値観で見るともうちょっとできたかなというふうなことを強く思ったりします。
そう思うと、今この瞬間みたいのも遥か未来から見た時にもっとできたって思う可能性があることはきっと溢れてるんだろうね。
今自分が40くらいなんですけども、50歳とかになった時に、そして年というよりは子供が小さい時にやっておけばよかったっていうことがきっと10年後に思ったらたくさん出るんだろうなと思うんでね。
それを50歳の時の視点に今なれるかって言ったらなれないかもしれないんだけれども、思いつくことはできるだけやってみる。
やらない後悔よりやって後悔というふうな言葉はよくあるけれども、思い至れることはたくさん考えて、できることは金の問題なのか時間なのかわからないけどクリアしてできることはやっていくようにしたいなというふうなことはちょっと強く思ったりします。
そんな意味で誰かがどこに行った、ここで楽しく過ごしましたっていうところを見ると本当に素敵だな、幸せそうだな、いろいろあったんだろうなみたいなことを思う中でどうしても写し鏡で自分のことを考えてしまうなというふうにも思ったというような出来事でした。
フェイスブック絡みで別の方が北海道に長く赴任していたんですよね。その過程でその方は北海道を余すとこなく行っているような投稿をたくさんポストしてたんですよ。
それこそ季節に応じた、春とかだったらラベンダーとかの広大な花畑だったりするし、はたまた冬だったら流氷とか大雪原みたいなところだったり、北海道なのでいろいろな地域ごとに大自然があるし季節の顔がありますよね。
本当に北海道のエリアに応じてまた違ったグルメがあるじゃないですか。そういったのを本当に余すとこなく体験してそうだなと思って、その中、余すとこなく抑えに行っている姿勢っていうのがすごいなと思うんでね。
そういうことができるようにありたいなということを自分でも強く感じました。単身赴任とかで行かれていた人とかだったりするので、そういったところで時間がある程度作れるっていうところもあったのかなと思うんですよね。
やっぱり自分が今どうしても何かしようと思うときに子どもとの時間だとか家族との時間みたいなのが最優先事項というところでもあるので、そういったところで選べていない選択っていうのもあるのかなと思います。
だからこそ得られている体験っていうのもたくさんあるんだけれども、そういったところで使える時間を何に投下するかみたいなところも一つ人生の中でのポイントなんだろうなというふうに思っています。
だからそういう意味で今のは言っててよくわかんなくなっちゃったけど、とにかく悔いなく今できる中で考えていく、かつ足りないものがあれば、それが時間なのかお金なのか情報なのかわかんないけれども、余すとこなく拾いに行くっていうことはしたいなというふうにも思いました。
何度も言うけど公開っぽい感じの話になっている気がするんだけど、公開ではないんだよね。決意の話だと思っています。
はい、そんなわけでちょっとFacebookを見てそうだなというふうに感じたところがあったので、改めて残しておきたいなというところで話をしてみました。
はい、そんなわけでぜひ皆さん、皆さんというかあなたも今ある時間で思う存分生きてもらえればというふうに思います。
なんだこりゃ、結びとして変だね。
はい、そんなわけでこの番組では情報欄の方で番組への意見とかメッセージとかご意見とかはいつでも募集してますので、もしよろしければお寄せください。
そんなわけでまたお会いいたしましょう。ご番でした。